セレンディピティ

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2008/09/10
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カテゴリ: 歴史

【秀真伝】第十五章は、ポンティコンの実から採った秘薬を 【山のみちのく】として

述べています。 赤形国の王トヨクムヌノ尊の王妃ウケステメは、根の国で

タマキネノ尊に仕え 女性シャーマンのココリ姫の義妹となって、この秘薬を授けられたといいます。

この章は、根の国一族が肉食をタブーとして、【ススナ(清菜)をとって長寿を得た】と

繰り返し強調し、同じ趣旨は【上記】のウガヤ王朝冒頭部分にも記録されています。

ポンティコンの実を食用とする根の国一族はアッカドの末裔のアルギッパイオイ人であり

後のサカ族の王 シャカ がサカ族の主家にあたるアメニギ氏のタブーを継承しています。

西域とインドでサカ族の僧を【サンガ】というのは、エンシ時代のラガシュ神官の【サンガ】が

ルーツです。BC1000年以降、海の国のカルデア人が西域に逃れてサカ族になった時

シャーマン達を【サンガ】と称えつづけました。またウルのカルデア人の主神は

有翼の獅子の ニンフルザグと 大鹿 のインザグで【倭人興亡史】が 扶余 の前身を

【サカイン】とするのは、 この人々がインザグの一族であることを表します。

【秀真伝】第十五章は、(1)根の国のシャーマン・ココリ姫が語った物語と

(2)月読命を王とする月氏一族との間の食肉タブーからのトラブルについて

天照(アマテラス)がクスヒに語った菜食奨励の説示とに分けられますが

ココリ姫の物語は、次のようになります。

・国常立尊の国にクロソノツミテという国があった。

・その王はアカカタ王トヨクンヌであった。

・王の死後王妃ウケステメは根の国に行き、タマキネによく仕え

シャーマン・ココリの義妹となった。

・ウケステメは【山の道奥】という秘薬を与えられた。

・ウケステメは帰国して、コロヒン王と再婚し、クロソノツモル王子を生んだ。

・ウケステメは中国史の西王母である。

・コロヒン王(匈奴冒頓王)は肉食した。

・中国史の穆王子が西王母を訪ねて千代見草を求めた。

・国常立命らの領域はマラカンドからバルハシ湖までである。

・アカカタ(ラケーのカルデア人箕子の実子)のトヨクムヌは、この頃バルハシ湖東岸にいた。

・根の国はウラルトゥ北方のアララト山の麓である。

・ココリ姫は世襲名で、ニニギ命王妃はココリの末らしい。

・【山の道奥】はポンティコンから採った不老長生の秘薬である。

・ウケステメの再婚の相手、コロヒン王は尾茂太留命(オモタル)後の匈奴冒頓部の王で

ウケステメと先夫・トヨクムヌとの間の王子を養子として育て、【倭人興亡史】は、このことを

国常立命の孫が匈奴冒頓部の王になったと記します。

クニトコタチとクニサッチはイシン王朝のあとの海の国の末王カシュナディアッヘ(BC1006~1004)

の子で、兄のクニトコタチは、先にイシンの末王ナプシュミリプルの従弟であった箕子が

ユーフラテス河上流のラケーに逃れて建国したイシン・アラム人の王家の主家を継ぎ

後にアッシリアに圧迫されたため、バルハシ湖の周辺に還ったのです。

弟のクニサッチは、その後、海の国のカルデア人を率い、ペルシア湾を越えてマラカンドに

入り、その地で冒頓匈奴と同盟して、サカ殷、のちの扶余を建てます。

イザナギは、この時、既に西域にいたアメニギ氏の辰王で、箕子国やサカ殷と同盟しました。

辰王は、辰国連合の王ですが、マラカンドからバルハシ湖にかけての地を、二国に譲り

コータンから楼蘭にかけての地を占めました。イザナギ自らはクニトコタチの王女シラヤマヒメを

娶り、バルハシ湖の南に住みました。王名イザナギは世襲名で、アッカドの末王イギの末裔です。

【宮下文書】によれば、イザナギの部族は次の三系です。

(1)アマテラスは、アラメのことで、ウラルトゥ(アララト)の初代王。

(2)ツキヨミはコータンの月氏王。

(3)エビスはフェニキア船によって、イシン末期に海路で山東半島と北九州に来たエブス人の王。

エビス王は【倭人興亡史】の東表王で、クルタシロスとなっています。

尾茂太留命(オモタル)は、ニンフルザグとインザクをトーテムとする氏族でニギシの王姓は

ラガシュの主神であるニンギルスによります。アマテラスのアラメはアッカドのサルゴン王家の

末裔、アッカド人とフツリ人の王で、それぞれの主神のハルディスとティシュプを祀りました。

オモタルの子のスクナヒコナはスーヒの王、コトシロヌシはバビロンのチュルク人(高令)の王

オオトノヂの子のオオアナムヂはイスラエル王、サクタヒコはユダ王をそれぞれ表しています。

倭王一族とは、カルカルの戦い前後、シルクロード西端のアルメニアから、東端のバルハシ湖

にかけて散開したアッカド・アラム・ラガシュ系諸族であり、オリエント史のアッシリアと抗争した

シリア十二ヶ国同盟側も諸族でもありました。なお、国史のスサノオはウラルトゥのアラメと戦った

アッシリア王シャルマネサル四世を指します。

奈良の春日神社の 鹿 は、昔から、神の使者、神史とされています。

なぜ鹿が春日神の【神史】になったのかという理由は、日本では秘史になっています。

【秀真伝】には、サオシカ(小忍鹿)、オシカ(忍鹿)、あるいはタマツのオシカのような表現で

しばしば人格化された【神官】として登場します。オシカには神官の意味がありました。

これは古代観念でシュメールの神話に登場するニン・フル・サグ女神の化身である

獅子頭大鷲神・イム・ドゥグドゥと、その神の使者である二頭の大角鹿でした。

世界文明の発祥地、青銅器文明と都市文明の発祥地は、BC3000年紀のメソポタミア南部

に端を発し、チグリス、ユーフラテス、二つの河両側地帯の南部にはウルク・ウル・シュルパク

ウンマ・ラガシュ市が大いに栄え、それらの優れた文化・文明が世界中に広がっていきました。

なかでも強い影響をうけたのは、メソポタミア北部のセム人たち・・・アッカド人、バビロニア人

アッシリア人などで、彼らは宗教の面でもウル、シュメールの感化をうけました。

その時のシュメールの神、風神が日本の飛鳥(アスカ)と忍鹿(オシカ)の起源でした。

ニン 獅子 ウル・マ サグ  ウル語、シュメール語による獅子頭大鷲、ニンフルサグ女神。

旋風 アスク  大鷲 アスク・フ  大角鹿  ウスク  セム語、これがペルシャに伝播されると【アスカ】。

大鷲アスカの使者である大角鹿は、BC30世紀後からBC20世紀のセム語、バビロニア語では

【ウスク】といいました。獅子頭大鷲神は、どういう神格の神だったかというと、古代の戦争に

於いて 最も重要だった投石弾の神、礫(つぶて)の神でした。したがって【アスク】というセム語

には 【旋風】という意味の他に【投げる石弾】という意味があります。

日本各地の大鳥神社、鷲神社は、獅子頭大鷲神(ニンフルザグ)のアスカを祀る神社です。






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最終更新日  2008/09/11 09:00:35 AM


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