セレンディピティ

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2008/09/19
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カテゴリ: 歴史

【倭人興亡史】によれば辰王家=ウガヤ王朝の

前期王朝は天の王朝の 安冕(アメ)氏であり、後期王朝は扶余系百済王家の賁弥(ヒミ)氏です。

前期辰王朝の天の王朝が、朝鮮半島の主権を高句麗に渡した後、 倭の大乱を 経て

畿内に侵入し、物部王朝を建て、 倭軍を率いた 安冕(アメ)氏の一族が 移動した時に

【アメ】という言葉や地名を残しています。

まず沖縄では【アメ】とは、遠来の人を表すとされますが、国東半島南部には今日でも

【海部(アマ)郡】という地名があります。

また京都には天部(アマベ)という地名があり、これは後に余部とも書かれ

はじめ五条河原、後に三条河原にあった賎民の蘇塗です。

実は余部という地名は福知山をはじめ全国に散在するのですが

最北には酒田市北東の余目(アマルメ)があります。

この地の人々は肌が白く、瞳が碧眼でコーカソイドの特徴をもっています。

この地名遷移は、辰国前期王朝の人々が、沖縄、別府、京都、山形と移動して 行ったことと

この人々がコーカソイド系、たぶんイラン系の民族を中心としていたことを示します。

次に【長田】という地名があります。

【秀真伝】に【長田猿田彦】という名があり、【宮下文書】はこれを【作田彦】としています。

神話では天津神に服従を誓った地神で、スキタイ民族の系統のサカ族系

の南准夷であり、扶余・辰国の王朝に属した華南と西域の民族です。

また【長田】とは山岳部の段々畑のことであって、これは秦国の低地水田とは異質の

高地農耕なのです。

さて、【長田】の地名についてみると、まず九州国東半島海部郡にあり

神戸市に 長田村(現長田区)があります。

また山梨県に、黒駒、 竜王 、八ヶ岳山麓長沢村と、 三ヶ所に長田一族がありました。

甲州街道との交差点が【 竜王 】で【 八ヶ岳 】に向かって【 若神子 】【長沢】【長田】となります。

また宇都宮北東部に【 馬頭 】という町があって

ここから【 八構 】山地に向かって、【 鷲子 】【長沢】【長田】とあります。

両地名群を比較すると【 竜王 】が【 馬頭 】、【 八ヶ岳 】が【 八構 】、【 若神子 】が【 鷲子 】にそれぞれ

相当し、【長沢】、【長田】の両地名は一致し、両群とも関所または番所を持っています。

このように【地名遷移】が群として捉えられるとき、住民の移動は、ほぼ確実ですが

既に研究によって、北九州、京都郡と奈良盆地の地名群の一致、熊本盆地と出雲平野の地名群

の一致などが指摘されています。

福島県猪苗代湖北岸に、野口という邑があって、ここは野口英世の生地ですが

ここから磐梯に向かって、細い川筋に戦前まで【長田】という地域がありました。

この奥には木地部落もあり白木城という地名もあります。そして【長田】の人々は

戦後の【食料不足を補うため】に山麓の開墾に動員され、部落ごと移住させられました。

このような【長田】という地名遷移が、【アメ・アマ】という地名遷移とほぼ平行して行われている

こと は、先の王朝系諸族の東北逃避の道筋と考えられます。

騎馬民族は、【地名遷移】が特有です。






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最終更新日  2008/09/20 01:05:16 PM


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