最後に日本に渡来してきたアメニギシことニギハヤヒの一族は
青い目の人々もいたらしい。
平安時代から村はずれに天部、余部などという部落があって
元来は天の王朝の人々の部落でした。
新羅の奈良王朝を破って百済人が平安王朝を建てた時
その圧制の下で家を捨てた人々が、この地に次々と入り込んできました。
山形県の余目も最果ての余部と考えられますが、ここには青い目の人々が多いのです。
あらゆる文化が辺境に、辺境にと逃れるように、天部の純粋の形態は東北地方に残ったようです。
天の王朝一族は、ニギハヤヒ族の他、東表国・金官国の中臣族、公孫燕・邪馬壱国の
大伴族などもありますが、このような青い目の人もいたかもしれません。
さて、BC1000年紀のインドは、ガンジス流域を中心にして十六王朝があって
月神王統と日神王統とに分かれていました。
月神王統は、カッシュ人の亡命者が主流なので
中国史の大月氏と同じルーツから二分したものです。
月神王統の諸国からマガダ国が次第に頭角を表して、ついにインドに統一王朝を建てましたが
マガダ国力を支えたのは、この地のインド最大の製鉄地域でした。
マガダの製鉄はヴォラテイアという漂白の民によってなされていたといいますが
彼らは、サカ族系であったといいます。
また東の方、メナム河の流域に、ドバラヴァティというモン族の国家があり
吐火羅あるいは堕羅と書かれ、モン族は自らタラインと称していました。
この吐火羅人は、月氏系ですが、この月氏は、中国史の月氏ではなく
インドから入った月神王朝、すなわちカッシュ人の子孫のクル族のことです。
インドネシアで発見された銅鼓には月氏の絵があって、これはインドの月氏で
あったようです。インドに入った月神系のカッシュ人と日神系のサカ族は
それぞれクル国とプール国をたてて合流し、のちにメナム流域のモン族を支配した 吐火羅国をたて
さらにベトナムで文郎国をたてた後、阿南省の南陽に植民して製鉄基地をたてたと考えられます。
マガダの都は、ガヤで、中国では、これを伽耶と書き、これが朝鮮の駕洛諸国の語源になった
らしい。十六王朝の時代に、サカ族は、アソカ国をたて、コーサラ国では釈迦を生み
さらに、マガダ国の製鉄部族になりました。
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