倭人の先祖は概ね満州にいた奇子朝鮮、公孫燕、北扶余などの傘下にいた【北倭】と【南倭】です。
【北倭】とは広義には瓦族、クメール族、ナガ族、シャキィ族などの総称ですが、
北倭が三分して、一つは日本に渡来し、一つは、蒙瓦室韋から今の蒙古人になり、
一つは、朝鮮の 朴氏と昔氏 になりました。
新羅帝国の 金氏 は、九州の駕洛国の金氏から分れたもので、これを【南倭】といいます。
朴氏と金氏は、共に現在の朝鮮の大姓になります。
朝鮮ではこの他にもチュルク族の高句麗文化が残っていましたし、
また中国からも朱子学が入ったので異民族の間で異文化の対立がおこりました。
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しかし日本では北倭と南倭が共同してツングースを追放し、
ツングースは北海道に逃れてアイヌ人になったので、
本島だけでは単一文化、単一民族の杜会になりました。
ツングースも元々満州から日本に侵入した人々で、
当初、満州でオロチョンと苗族が混血した人々らしい。
日本列島にはツングースの渡来以前に縄文人であるギリヤックとオロッコ(ウェツタ、穢多)
などが先住していました。琉球や琉鬼国(樺太)はギリヤックの地といわれました。
奈良時代の東北地方は、アイヌと蝦夷の斑状社会でしたが、これは異系民族の別邑社会でした。
北海道でも両者は初め別々に生活し、後に一括して【アイヌ三族】と呼ばれました。
【契丹北倭記】第18章に、【 初め五原に先住の民あり、没皮、龍革は北原で牧畜し、
魚目・姑腹は西原に穴居し、熊耳・黄眉は中原に住み、苗族・盃憑は南原に農耕し
菟首・狼裾(オロチョン)は海原で漁猟していた。これらの諸族は皆よく服従した。
しかし南原の 朴・金・昔 は凶暴で帰服せず、神祖は討って海に追放した。
疏に曰く。『朴昔金は三族の名であって、鳥をトーテムとするクマソ族である。
のちに海をへて沖縄に侵入し宇豆(大隈国)を根拠として、日向を乱し、
ついに辰国に入ったものはその一族の末という。 】
【五原】とは高句麗の通商圏ですが、 没皮はニヴヒ 、 龍革はギリヤック のことで、
彼らはもと大陸の北にいたものです。 新羅王家の朴・金・昔は、元々朝鮮半島にいましたが、
彼らのいたという【南原】は九州から沖縄にかけてになります。
朴氏
はじめマガダのシスナガ王朝がベトナムで植民地を作って文郎国といいましたが、
中山国から亡命したシャキィ族の蜀の安陽君に国を譲って海頭の沖縄に移りました。
そして沖縄から北支に入り、ウラルトゥ亡命者の国を奪って大扶余国といってその王となり、
また沖縄に残ったものは南解次々雄(ナガ族の支派シシュナガ族)と名乗り、
日本史のナガスネヒコとなりました。
ナガ族は沖縄では那嘉氏といい、本土では中曾根氏になりました。
沖縄の那嘉氏は後に尚氏という王家を作りましたが、その同族は契丹の王妃族蕭氏です。
尚も蕭もシシュナガ族を表わしたものです。
北支で中山国を建てたシャキィ族(カルデア人)の昔氏とナガ族の朴氏を鮮虞といい、
彼らが後の 奇子朝鮮 を作り、その朴氏がチュルク族の匈奴冒頓部と混じて鮮卑となり、
後に契丹の王族と王妃族になったのです。
次に昔氏はインドのシャキィ族の子孫です。
【契丹北倭記】は 「 シャキィ族の殷が海路満州に渡来して、その地に穢国をたてた 」 とありますが、
その王が中国史の穢君南呂峠(ナロン)で文郎国の子孫です。
シヤキィ族はいにしえバビロン南部のアル・ウカイルにいてジッグラトを作りました。
シャキィ族は、インドから渡来して新バビロニア帝国の亡命者と共に北支の中山国の支配者になり
中山国の滅亡の後に分裂してベトナムの 文郎国 と満州の 奇子朝鮮 に分れました。
中山国の王家は、シャキイ族(昔氏)、人民は鮮虞でした。
文郎国の王家はシスナガ国の植民地で始めはナガ族で後の朴氏でしたが、
シャキィ族の王に変ってから昔氏となり、これがのちに穢国の王家に続きます。
穢君南呂峠の子孫の 陜父 がチュルク族が王になった高句麗から分れて南下し、
九州の熊本に上陸して多婆羅国または多羅国を作り、陜父の名を改めて ニギハヤヒ といいました。
多婆羅国の名は今もなお田原坂として残っていますし、百済の国名も旧多羅(くたら)からなったものです。
金氏は、【黄金の牛】といわれるヴァル神を奉じて、はるかアラビア海を渡って朴氏以前に
前7世紀頃には沖縄を経て九州の宇佐に渡来しました。その国は始め東表国といい、
次いで狗邪国または駕洛国といいました。後の金官加羅国であり、その民は、南倭でした。
この王家が金氏でした。
国東半島から前7世紀の青銅剣を含む青銅器と多数のトーテツ土器が出土しています。
新羅の金姓王家は九州の金氏から分かれたもので、
駕洛王金首露は実は新羅王統の金首留と同一人です。
倭人とは陜義には同音の亙族のことで、日本人とともに、
後に蒙古族となる満州の蒙瓦室韋もその子孫ですが、
広義にはナガ族、シャキィ族、クメール人、ボド語族などを含めて、
インドから中国の長江流域にやって来たインドのアジア系諸族の総称でした。
檀君朝鮮と奇子朝鮮の王家は共に広義の倭人であり、
北倭の朴氏と昔氏、南倭の金氏という新羅三姓もすべてのちに倭人になります。
檀君朝鮮、従って大扶余、及び奇子朝鮮、新羅の王家はすべてが倭人だったのです。
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