先週、源氏物語のサークルに行ってきました。
六条御息所が生霊となって葵上を亡きものに
してしまう有名な場面、 憑かれる方も憑く方も
なんとも哀れで、光源氏の罪深さを思います。
生霊の憑き・・・から連想されたのでしょう。
講師が 「狐憑き・・から何を連想しますか?」
と皆に訊きました。
瞬時に私は 「安部清明の母狐」 と口にして
自分でも驚きました。
それが【葛の葉】の物語です。
しかも偶然に講師が用意していたプリントにも
【葛の葉】のことが書かれていました。 源氏物語と関係のない【葛の葉】を私が言い、
後で配られたプリントに同じ事が書かれて あったのは、 なんという偶然でしょう。
皆もビックリしていました。
そして話が進んで次回の講座では公民館の視聴覚室でスクリーンとプロジェクターを
借りて 上映することになりました。 昔、観た【葛の葉】の映画がひどく印象に残って、
手に入れにくいビデオまで購入して秘蔵にしていたのです。
下準備として【葛の葉】について調べてみますと、たいへんな事が分かってきました。
それも何の脈絡もなく読んでいた古史古伝【宮下文書】につながって、驚いています。
【 葛の葉】は葛の葉狐、信太妻、信田妻(しのだづま)とも呼ばれます。 安倍晴明(幼名:童子丸)の母、白狐について以下のように語り継がれています.. 村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満(あしやどうまん)の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(しのだのもり・現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがを してしまう。そこに葛の葉(くずのは)という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。 二人は恋仲となり、結婚して童子丸(後の安倍晴明)という子供をもうけた。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。 恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉 この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。保名は書き置きから、恩返しのために葛の葉が人間世界に来たことを知り童子丸とともに信田の森に行き、姿をあらわした葛の葉から水晶の玉と黄金の箱を受け取り別れる。 数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、母親の遺宝の力で天皇の病気を治し、陰陽頭に任ぜられる。しかし、蘆屋道満に讒奏され、占いの力くらべをすることになり、結局これを負かして、道満に殺された父の保名を生き返らせ、朝廷に訴えたので、道満は首をはねられ、晴明は天文博士となった 。
【瞽女(ごぜ)】さんは、「近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを 転々としながら三味線、時には胡弓を弾き唄う、盲目の女性旅芸人のことですが、彼女たちの歌の 代表作が 【葛の葉子別れ】2万年前の最氷期に南下して富士山麓に集落をつくって住んでいた先住民は、小アジア(トルコ)かコーカサス地方の火山近く、そして地中海や黒海に付近からバイカル湖~ユーラシア大陸の草原の道を辿ってきたアイヌや後に渡来したエブス、新羅人、秦氏(古代イスラエル)彼らは、大和朝廷が勢力を伸ばす段階で先住の地を追われた人々であり、狐は、中央政権側から見た被差別民の徴であったといいます。自分たちが追い出した異民族が復讐してくるのではという恐怖心の現れ、また、動物が不思議な能力を持つというのは、異民族が持つ特殊な技術を暗に意味しています。この考え方に沿えば、異類婚姻は、それらの人々との婚姻を意味する。女が身元を偽って(化けて)婚姻したものの里が暴かれ、子の将来を案じて消えてしまった物語と解されます。安部清明の出自は秦氏、都が平安京に遷都されると、元々この地を基盤としていた秦氏が政治的な力を持ち、それにより稲荷神が広く信仰されるようになったそうです。 伏見稲荷は、711年頃、秦伊呂具(はた・いろぐ)によって創建されたと伝えられています。秦氏は、天皇家の前にあった【天の王朝】系、藤原政権になってからは、被差別民として逼塞させられた人々、一方、秦氏は有能な職能集団であったため安部清明や天皇の側で出世した人々も多く、藤原氏自体も秦氏の一部である根拠が見られます。蘇我王朝も一掃されました。
ところで・・・・・葛の葉→信太妻から信太という地名にインスピレーションを感じました。
信太を飛騨の地と何かの本で読んだことがあったからです。
飛騨白川は秦族の限定地域【飛騨は異語を話す】とあり、
【魏志】も辰(秦)人は異語を話すと記します。
【宮下文書】の先住民族が追われた移動軌跡も日田、日高、飛騨、常陸、信太などでした。
信太→信太寿司→稲荷寿司→葛の葉と連想して、【葛の葉】の場は大阪でしたが油揚げの
稲荷、乱暴とも見れる【だんじり祭り】は飛騨、日田、日高、常陸にもあります。
藤原政権への先住民の抵抗勢力のパワー、青森の【ねぶた祭】もしかり。
義経に追従した山民、被差別出身の秀吉の大返し、家康を助けた忍者なども
先住民のパワーと考えられます。
ヒ族 は今の天皇家以前に渡ってきた渡来系で、後に朝鮮半島から渡って来た神武王朝に征服され、同化しました。日守で、ヒという言葉を単独で発音するのを嫌った大和朝廷が、接頭語のイをつけて、イヒモリと発音しました。古代から現代に至る長い時間の変遷の中で、「ヒナモリ→イヒモリ→飯守→飯森→飯盛」 飯盛は、山の形からの呼称と一般的に考えられていますが、実は、元は飯守で、飯族が守っていた山という意味です。ヒという言葉には接尾語を付けることもあり、ヒナ(日名・日南・夷・比奈)となります。この時、大和朝廷に服従した人は「イヒ(飯)族」となり、敵対した人は「ヒナ(蝦夷)」と分類されたようです。彼らの特徴は、陰陽道を用いた非常に精巧な測量技術を持っていたことです。また、山の頂上付近に古代の土木工事をほどこしています。山の形を整形しているのです。 日本には、全国に 「ヒダカミ」 の名があります。紀伊国に「 日高 郡」があり、九州豊後にも「日高郡」があり、この豊後には後に「 日田 」となっています。ヒダとシダとは通音で常陸の「 信太 郡」も、昔は日高であったとも思われます。「 飛騨 」というのも同じ語源。この国の人はいわゆる飛騨匠として古くから朝廷に使えていました。その飛騨人は、承和年間の「太政官符」によると、 言語・容貌・他国人に異なりとある。 当時、飛騨人は徴発せられ、しばしば逃亡しています。飛騨人は異種族として思われていたようで、飛騨の南の入口に、「夷守(ひなもり)神社」という社が「延喜式」に書かれています。また、越後の頸城郡(くびきぐん)には、夷守郷(ひなもりごう)という地名があります。 このヒナもヒダも元は一つで、「夷」という文字を当てて、異族の称呼でした。すなわちヒナも、ヒダも、ヒダカも、ヒダカミも、同一語なのです。このように日本国にはかつては、日本全体に「日高見国」があったのです。崇神天皇がつくりあげた国が、日高見国と呼ばれていたとも考えられます。歴史的に倭国には、物部氏の「ひのもと国」、崇神王朝の「日高見国」、 応神王朝以降の「ヤマト国」と変遷したと考えられます。
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