
"かつて富士山は水に浮かんでいた " と、いいます。
佐治芳彦氏の著書で知ったのですが
大正年間に 吉田文俊氏 によって書かれた【 吉田論文 】がありました。
この【吉田論文】とは、大正10年三輪義熈氏が【神皇紀】を著し
【宮下文書】を公開したとき、この文書を 科学的に検討するために
各界知名の士を集めて翌大正11年に設立された【財代法人富士文庫】
の研究報告である【富士文庫第一巻】(大正15年)に掲載されたものです。
吉田氏自身は考古学者であり、 古史古伝のファンでなかったことが
却って 客観的姿勢でクールな視点で書かれていて秀逸だといいます。
吉田氏は、富士山が他の火山と、きわだって異なった点は
その豊かな水にあるとしています。
現在、平地や森林になっている山麓部分、たとえば青木が原は
【大湖】であったし、御殿場付近の沖積地も【太古の湖水跡】だった
そうです。また駿河湾は現在よりはるかに内陸部まで喰い込み
海岸線は愛鷹山山麓にまで迫って、当時は現在の甲府盆地も
巨大な【湖】であり、その後、人類の生活がはじまった時代に於いても
【湖沼地帯】であったといいます。
これらのことは、現在の地質学でも認められているそうです。
1万8千年前まで、現在の日本列島は存在しませんでした。
朝鮮海峡や津軽海峡は陸橋であり、宗谷海峡が開いたのは
1万2千年前、間宮海峡にいたっては5千年前まで開いていなかった・・。
縄文につながる旧石器時代人は、日本海ならぬ日本湖の
畔を徒歩で、あるいは、まだ一面の大平原だった東シナ海や玄界灘
を徒歩で日本列島に渡ってくることが出来たそうです。
縄文時代、現在よりもより温暖でした。
富士山麓は原始林に覆われていました。
山麓の大部分を占める 湖沼群から流れる多くの河川の水量は豊かに
原始林の間を縫って駿河湾や相模湾に注いでいました。
青々と拡がる大湖沼群のなかに、また海上からはより近く・・・
つまり水面にポッカリ浮び、雪をいただくコニデー型の美しい山容
しかも標高は三千メートルを軽く越すのだ。そして、その裾野はまた美しい緑の原始林・・・。

水と緑の山、富士山の周囲に最初に住んだのは オロッコ人
彼らの群れはシベリア・バイカル湖周辺にいましたが、1万2千年前頃
日本列島へ渡来して縄文人となりアソベ族といわれます。
8000年前頃、バイカル湖周辺でオロッコ人とアーリア人との混血によって
生まれたアイヌ(ツングース)の一部が日本列島へ渡来し縄文人仲間として
参入しました。彼らは、バイカル湖に来る前、小アジア(トルコ)かコーカサス地方の火山近く
そして地中海や黒海に付近にいたと思われます。
【宮下文書】は、初めに最古の神々、即ち【天之世】の七代の神々をかかげています。
【第一神朝】
第一代 天峰 火 夫神(アメノホホ オノカミ)
第二代 天高 火 男神(アメノタカホオカミ)
第三代 天高地 火 神(アメノタカナホカミ)
第四代 天高木比古神(アメノタカギヒコカミ)
第五代 天草男神(アメノクサオカミ)
第六代 天高原男神(アメノタカハラオカミ)
第七代 天御柱比古神(アメノミハシラヒコカミ)・・・第二神朝・・・天之御中世十五代
【宮下文書】の初代から三代の神々がその名にいずれも【火】がついています。
次に、これらの神々の治績ですが、まず初代神が製塩法を発明します。
塩分の付着した海砂を海水とともに土器に入れて火にかけて水分を
蒸発させて塩を採ったこと、ここで土器が開発されたことが分かります。
第七代 天御柱比古神 天之御中主神 から第二神朝・・・天之御中世十五代が
始まります。この天之御中主神は、古史古伝とかぎらず日本書紀や古事記にも
神代最高神あるいは元始神として出てくる重要な神です。
本格的な農耕文明は、この第二神朝、天之御中世十五代の五代神の頃からと思われます。
五代神からすべて、その【諱いみな】に【 農 】の字がつけられているからです。
彼らは神農系。それに対して初代から三代の神々は火高見系。
互いに対立した集団、先住していた火高見系のオロッコやアイヌと
神農系の第五皇子・国常立(クニトコタチ)尊、第七皇子・国狭槌(クニサヅチ)尊の対立。
神農氏といえば伏犠氏・女カ氏とならんで【三皇】の一人、彼は農業神だけでなく
商業神、医薬神、易神でもあり、そもそも【火】神であったとも伝えられています。
【神農氏】は【姜キョウ】姓とされ【人身牛頭】だったとあります。
姜姓とは【羌】人、古代、殷と対立関係にあり、やがて殷を亡ぼした周と同盟
通婚関係にあったチベット系遊牧民とされています。
一方、【人身牛頭】ということは、伏犠、女カ氏が【人身竜体】東南アジア系の神々だった
のに対して、チベットよりもはるか西方オリエント系の神々であったことを物語っています。
それは【牛頭天王】と伝承される【スサノオノミコト】が示唆されます。
すると世界に広がる伝承【八岐大蛇】スサノオノミコトのオロチ退治は
原住民オロッコ族たちを征服したアーリア系騎馬民族を物語っていることに気づきます。
最も原初的な神はイザナミノミコト、生の営みの神秘的な力の象徴として
5万年以上ものむかしからユーラシア大陸の各地で崇拝されていました。
ユーラシア大陸の旧石器時代後期の遺跡から、しばしば出土する
【ヴィーナス】がこの神への信仰のひろがりと古さを物語っています。
この神は、新石器時代に入ると農耕文明の開始とともに豊穣の女神として
大地の生産力を象徴する【地母神】となりました。そしてオリエントから地中海沿岸
インドなどに拡まりさらに南太平洋の島々にも足跡を残します。
水と緑のなかに浮かぶ【富士山麓】は先住民にとってパラダイスであったし
侵入者に対する防御も固く、チャシ(アイヌの城塞)を築いていました。
前面に集落があり、一朝事があると【裏山】をもって城砦になしたといいます。
こういう【高地性集落】が富士山麓には多くあるそうです。
やがて渡来してきた弥生人によって先住民のチャシも利用されます。
弥生人は二つのルートで渡来し、陸ルートは【山?やまずみ】の神を崇拝した山?部族。
狩猟民族の山?族の娘がコノハナサクヤヒメ、富士山の本霊です。
また富士山麓には海ルートから渡来した【大海津見神】の祖神も多く見られ富士山の周囲
には水がふんだんにあった水に浮かぶ富士山のいわれ、海の民も共存していました。
先住のアイヌ、山民と海民の三者が共存し、あるいは競合して生活していたようです。
弥生人は一つは山?(やまずみ)として山野に生活地を求め
一つは、海?(わだつみ)として河海湖沼などの水源地をテリトリーとしていました。
やがて富士山の大噴火によって、【富士アイヌ】と呼ばれた人々は、山?、海?の一部
とともに、埋没してしまったのではないかと佐治氏は書いています。
神武王朝が征服した【ヒ】一族とは、この二系をいうのでしょうか。
【日高】とは日本列島先住民にとって誇り高い神聖な呼称
【ヒ】【ヒタ】【ヒタカ】【ヒタカミ】は【ヒ】一族の支配地域でした。
南は九州、壱岐、対馬から中国、近畿、それに中部、関東、東北さらに北海道にかけて
現在も残ります。日田、日高、飛騨、常陸、信太など【ヒ】一族支配地の移動軌跡が辿れます。
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