メソポタミアに発生した世界で最も古い文明の一つの起源が
アナトリアからシリアにかけてのタウルス山脈周辺地域から
チグリス・ユーフラテス両河沿いに南に下って来た人たちにあります。
これがウル人です。ウル人は、牛頭信仰を持つ人たちでした。
メソポタミアから銅を求め、北ないし西へ行ったウルの人々の行方は古代文明の一つの地
BC6500年頃アナトリアから農業が伝えられたのです。
クレタには、この時代になって初めて人間がやってきたと考えられています。クレタに最初にやってきたのは農民で、西アナトリア
或いはキリキアから海を渡って やってきたらしい。
同じ農民の流れは、ギリシャ本土にも達し、中石器時代の人と混血したと おもわれます。
この時やってきた農民の家は、方型の部屋をもったものが、クレタやキクラデス
そしてテッサリーで知られています。しかしエーゲ海の一部の住民は、先王朝時代のエジプト
や 初期の頃のシリアやキュプロスと同じ円形の小屋に住んでいた可能性があります。
この家の形は、結構重要です。日本の前方後円墳にもつながるものです。
パレスチナの世界最古の町、エリコでBC8000年からBC7000年まで城壁をつくって
世界で初めて組織的な農業をやった人たちは、円形の家に住んでいましたし
それを破壊してその後住んだ人たちは方型の家に住んでいたのです。
つまり方型の家の方が新しいのです。方型の家はアナトリア起源の可能性が高い。
BC3000年頃、クレタに青銅の技術をもった人達がやってきました。
クレタやギリシャ本土でも新石器時代の末期、銅のナイフや斧が発見されています。
しかしエーゲ海では、金・石器併用時代を経験することなく、石器時代から一挙に青銅時代
へ 突入しているのです。クレタにやってきた青銅時代人は、東から来たといわれます。
クレタが青銅時代に入るのは、エジプトが初めて上下エジプトを統一して
初期王朝時代に入ったのと同じ頃。エジプトもクレタもメソポタミアの原文字期の影響を
受けたと考えられます。青銅器時代クレタはエーゲ海の先進国でした。
BC2500年頃、エーゲ海は本格的な青銅時代に入ります。
その頃の中心は、クレタ、キクラデス諸島、ギリシャ南部にありました。
この三つの地域は、多くの点で共通性を持っていました。
彼らは、同一もしくは互いによく似た非ギリシャ系の言語を話していたといわれます。
それがウル語だったようです。
この頃、ペロポソネス半島のミケーネや海岸よりのラルナの居住跡は、突き出た塔を
もった 城壁で囲まれていました。この城壁はキクロペスの城壁と呼ばれています。
キクロペスという名の片目の大男がつくったという伝説があるからです。
日本にも片目の大男の伝説を持つ地方は多い。
片目の大男は、製鉄部族と関係があるという説があります。
温度計のない古代の精錬では、炎の色で温度を測定せざるをえない。
そこで古代の製鉄技術者は、常に炎を見続けているため目を悪くするので 片目の人が
多かったというのです。この説は、日本のタタラ製鉄民族にも云われていることです。
銅の精錬は鉄より低い温度ですが、目にとっては悪い影響をもたらしたでしょう。
そこで片目のキクロペスという名前自体が、銅の精錬者だったことを示唆しています。
キクロペスという名はキプロスと近いが、そのキプロスは銅という意味だったといいます。
古代のキプロスは重要な銅の生産地でした。
クレタ島は、キプロスからギリシャを含む大規模な銅生産シンジケートの中心基地
であり、メソポタミアのために銅を集めて出荷していた可能性があります。
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