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最近、毎週末 隣町の屋内市民プールに通っている。かつしちさんがおっしゃるとおり、水の中の運動というのは、馬のリハビリにも使われるぐらい筋肉の矯正にいいのだ。昨日は諸事情があって前日夜中から家出して、着の身着のままで我が町行きの始発までミラノの駅のホームでホームレス状態で過ごしたコックさんと、諸事情があってへべれけ朝帰りのおっとと3人で昼からプールに出かけた。いつもはガラ空きの駐車場がどういったわけか観光バスまで停まっていて満車である。見れば併設のサッカー場でセリエCだかDだかの試合をしていた。それだけではない。市民プールの入り口は子供であふれかえっていて幼稚園のような騒ぎである。わたしは目を丸くしながら子供たちを掻き分け、チケット売り場へと向った。「あの~、今日はプールはやってるんでしょうか?」受付のおねーさん「やってますよ、ただ今日は屋内で子供たちのコース終了の発表会があるんで入れません。それに今日から、一般の方は屋外となります。」屋外?確かに今日は空がどよんとして蒸し暑い。けど、まだ外で泳ぐのは寒くないか?わたしはコックさんとおっとを見た。ふたりともどよんとしていて、暑苦しい。心を決めた。「切符3枚下さい。」着替えて屋外のプールに出る。晴れて暑ければ、きっと居心地がいいであろう芝生の上にバスタオルを引いて、ガランとしたパラソルの下の喫茶コーナーを見渡してからプールに目を移した。プールの中は真夏ほどの盛況さはないものの、自分の発表の番が終わった子供たちでにぎわっていて、次々はしゃぎながら水の中に飛び込んで行っている。わたしはわくわくしながら手すりのところから水に入ろうとするが、ひとりのお母さんがずっと足首まで水に浸かった状態で留まっているのだ。お母さん「あら、ごめんなさい。」とすばやくあがり、わたしにお先にどうぞ、と勧める。わたしは会釈をして、一段目を降りる。そしてこのお母さんの10秒前状態で留まってしまった。こ、氷や。。。。この水。ぐずぐずしていると子供たちがわたしの後ろに並んだ。ああ~、早く水に入らないと。心を決めてなんでもない振りをして水にぽちゃんと浸かった。子供たちは手すりからもどんどん飛び込んでいく。若いっていいなあ!すぐそばで、ドボンッと音がしてコックさんが飛び込み台から飛び込んだ。ザッザと50mをあっという間に泳ぐ姿は漁師のおっちゃんのようである。わたしも急いで彼の後を追った。コックさん「寒いよ、50mは長いよっ!」わたし「がんがん泳いで温まろう!」2人でがんがん泳いでみるが、疲労が増すだけで一向に温まらない。寒さで足がつりそうだ。こうやってデカプリオもタイタニック号から落ちて次の日の朝になるまでに死んだんだろうか?←死んでないか?一通り2人で泳いでおっとの姿を水の中に探すが見当たらない。。。と思ったら、まだ手すりのところで足の指先すら水につけず、固まっていたのである。汗「こんなに冷たかったら心臓マヒを起こすよ!」と叫ぶおっとを2人で容赦なく水に引きずり込んだのであった。なにかあっても生命保険もかけてるし、大丈夫だろう。おっとはいくじなく少し泳いでまたもや水からあがり、タオルを巻いてうずくまってしまった。わたしもいつもは疲れても疲れても、憑かれたように泳ぐのだが、こんなに冷たい水ではもう限界だった。身体が紫色になったコックさんも上がってきた。さすがにこの水泳の後、2人はどんよりから目が覚めたようだ。普段の半分の時間も泳がないうちに全員であがり、震えながらパラソルの下の喫茶コーナーで「ホットチョコレート3つ!」と注文する。店員「そんなもの、ありませんよ。」とカキ氷やアイスキャンデーの写真が、満載のメニューを差し出した。こうしてわたしたちは3時間チケットを買ったというのに30分ほどでプールを後にしたのだった。****前置きが長くなったが、週末は楽天のお友達、ちずMILANOさん に会った!金曜日の夕方、はじめてお会いしたというのに、ちょっと外のカフェでアペルティーボをした後、なんと引っ越されたばかりのお宅にまで招待していただいたのだ。(ちずMILANOさん、女の一人暮らし、気をつけないと、もしわたしが狼女とかだったらどうするの?)大きなベランダを持つ、小さなアパートは、まさに独り暮らしにぴったりだ。ベランダにテーブルを出してビールをごちそうになったのだが、彼女、飲む飲む!それが証拠に独り暮らし用の小さな冷蔵庫には各種の酒とチョーヤの梅酒の梅しか入ってない。しかしはじめてだというのに延々とお喋りに盛り上がり、珍しくおっとが心配して「いつ帰ってくるの?」と電話をかけてくる始末。結局は優柔不断で待ち合わせの場所が決められないおっとに彼女が業を煮やして、我が家まで送ってくれたのだった。そしてドアを開けたおっとを見て「日記と見かけが違う!涼しいよっ!?」と第一声。←そんな見かけにだまされた被害者妻。わたしのことも会うまでごっつい体格の大女だと思っていたらしい。←ちなみにわたしは「あんたは骨格が細くて壊れやすいんだから、もう絶対こけないように!」と訳のわからない指示をリハビリ師から出された女。そういうちずMILANOさんにも、わたしはもっとこう、素直でおっとりしたイメージを描いていたのだが。。。。これ以上、ノーコメント。我が家でもまた飲んだのだが、彼女はしらふでクルマを運転して帰っていった。次の日の夜は彼女の引越し祝いの会。某日本食レストランには何人か彼女の日本人のお友達が集まっていて、彼女のお知り合いの板前M田さんが彼女のために腕を振るった。「姐さんのためですから!」←ちずMILANOさんってもしかしてそっちの世界のひと?メニューにはない牛肉のたたき、ビーフシチュー、フィレ肉のステーキ、〆にたけのこごはんと冷やしうどんを作っていただいて、めちゃくちゃ感激したのだった。M田さん「お客さんにね、『おいしい』って言ってもらうのはプロとして当たり前のことなんだよ。『すごくおいしい!』という言葉を聞くために板前生活を30年してるのさ。」としみじみ語る。ビールやワインがとめどなく出てきて、ひさびさに酔っ払った上、こんな状況になんだか日本の居酒屋にでもいるような錯覚を起こすわたし。ひさびさに「ヤギ社会」でも「イタ公社会」でもなく「ピュア日本人社会」に浸れて楽しかった。ちずMILANOさんはこれだけでも飲み足りなかったようで、元気にこの後、2次会に消えていったのである。(あの後、大丈夫だった?)ちずMILANOさん、はじめて会ったというのに、こんなおいしい会に、お誘いしていただいて、本当にありがとう。そして参加者のみなさん、一人日本語が喋れなかったおっとにもみんなでかまっていただいてありがとうございました。また近いうちに会おうね。
2006.05.29
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さて、スクーターの保険がもうすぐ切れる。ここでわたしはギアつきの自転車を買うか、スクーターを修理して保険を更新して使うか、すごく迷っている。家と駅までは歩くと20~25分。途中山坂もあって、毎日の通勤となると少々つらい距離だ。先日スポーツ店で見た、一番安いギアつきの自転車は99ユーロ(約1万5000円)だった。しかし、スクーターを修理して保険を更新して使うとなると;修理代約200ユーロ、保険代250ユーロ、合計450ユーロの計算だ。こうやって数字だけ見れば、自転車の方がはるかにお得なのだが。。。おっとは渋い顔である。なぜならわたしに根性がないことをよ~く知っているし、それだけじゃない。おっと「前に住んでた家も入居時に『自転車で通勤するんだ!』って自転車買って、すぐに乗るのやめちゃったじゃない?」う。。。そういえばそうだ。わたしの小鳩の脳みそはすっかり忘れていた過去の記憶を一気に引き出した!あれは何年も前の12月。あのミラノ隣接町には地下鉄も通っている。しかし我々の家は地下鉄駅までバスで30分。クルマなら5分。なぜ、こんなに開きがあるかというと、バスは我が家を始点に市内を隅々までぐるぐる廻ってお客を拾う、恐怖の市内循環バスだったのだ。こういった理由で自転車を買う決断に至ったのは、早かった。わたしはあの当時、かっこつけてアンティークの黒い自転車を買い、それにあわせてデザイナーズブランドのリュックサックまで新調した。服装もちょっとおどけてシチリアの少年のようにベレーをかぶり、黒い重いコートを着て、家から約3~4kmの地下鉄駅に向って走り出したのだった。この町は、昔は工場町として栄え、今は昔の廃工場がどんどん壊されて新しいマンションが建っていっている。なので駅までの道は工事の大型トラックがばんばん通り、まだ壊されていない工場の高い灰色の壁がひたすら続いていて、決してサイクリングに楽しい道ではなかった。しかも12月の真冬。わたしは毎朝夕、約2週間ほど冷たい灰色の排気ガスをたっぷり吸い込み、結果、人生はじめての「気管支ぜんそく」で倒れた。その後しばらくは、口からシューハーシューハーするミニ呼吸器みたいなものを持ち歩かなければならなくなってしまったのだった。ああ、そんなこともあったっけ?おっと「それだけじゃないでしょ?」そういえば、大きな声では言えないが、固い細い黒い革張りのシートがわたしの敏感な股間を集中的に攻め、股の間が腫れあがり、水ぶくれみたいなのが出来て、しばらく用を足すにも沁みてトイレに行くたびに「!!!!」という悲鳴を押し殺す日々が続いたっけ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。う、う~~~~~~~~むむむむ。。でもさ、この田舎町は空気はきれいだからきっとぜんそくにはならないよ。それにあのおんぼろ自転車が悪かったんだ。ちゃんとした新品のスポーティなサイクリング車を買えば、お股だってそんなことにならないと思うんだけどな?やっぱりお金がかかってもスクーターのほうがいいのかな。。。でも。先日、めちゃくちゃ久しぶりに大学時代の友人からメールアドレス変更のお知らせが来た。わたしはうれしくなって、今年の不幸を一気にメールで語った。返事がすぐ来た。「お前、まだ懲りずに当たり屋やっとるんか?」当たり屋。。。?はっ!!!そういえば、遠い遠い過去の記憶が一気に戻った!!!まだわたしが将来こんな苦労を背負うとは想像もしていないお嬢様大学生だった頃。父の海外赴任に母が数ヶ月、手伝いに付いていったのだ。わたしは片道2時間の家からでも通えたのだが、それをチャンスに大学の女子寮に入寮したのである。どうでもいいことだが、はじめて監獄のような母の元から解放されての女子寮暮らしはめちゃくちゃ楽しかった。えげつないぐらい羽目をはずし、ほうけて遊んだいい時代だった。「アルバイトなんて、絶対にしてはいけませんよ!」というお嬢母の意向で、生活費もたっぷり仕送ってもらっていた上、内緒でアルバイトもやったので、わたしは更に行動範囲を広げるためにぴかぴかの新品のスクーターを買うことはたやすかった。(もちろん親には内緒)青い「どらえもん号」と名づけたスクーターで天気のいいある日、わたしは大学の午前の講義に急いでいた。ああ~、前の日のコンパで飲みすぎちゃったな、まだ頭がくらくらする。。とたんぼの中の一本道をひたすら走る。ほんの一瞬だった。ほんの一瞬、こっくりして、はっと意識を戻すと、ひたすらひろがる田んぼの中にぽつんと一軒あった小屋の影からトラックが出てきたことに気がついて、慌ててブレーキをかけたときにはすでに遅し!わたしはまるで、スタントマンのようにトラックの下にスクーターと一緒にザザザザザッと滑り込んだのだった。びっくりしてへたり込んでいると、トラックから運転手が「だ、大丈夫!?」とわたしをかつぎあげてトラックに乗せ、病院に運んでくれたのである。救急棟での診察の結果、すりきずだけで異常なし。トラックの運ちゃんは「会社で全部、責任を持ちますから!」とその後、大破したスクーターと同じものの新品と、見舞金を届けてくれたのである。それからだ、しばらくわたしが「当たり屋」と友人の間で呼ばれるようになったのは。そ~いや、そんな若い頃もあったな。懐かしいエピソードだったので、ついうっかりおっとに話してしまった。おっと「スクーターの上で居眠りするようなやつは、運転する資格がない!!!」ああ、じゃあいったい毎日の通勤、どうしたらいいんでしょうか???
2006.05.25
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いよいよ土曜日。おっとは午前中、かっちゃんのために注文したワゴン車をガットと一緒に工場に見に行き、わたしは市役所にでかけたりして過ぎた。昼からガットも一緒に買出しに着いてきたが、彼も「今日、本当にだいじょうぶかよ~?」と不安そうである。買出しを済ませ、家に戻るとわたしはさっそく夕食の準備にかかり、おっとはガットを送った後、掃除をはじめた。メニューは手巻き寿司とから揚げ、ポテトサラダ。これまで何度か、目目さん夫婦に手伝ってもらったり、ちょっとお手伝いをしたので、だいぶパーテイの仕込みに慣れてきたことを感じる。おっとも掃除を済ませたあと、慣れた手つきで海老をまっすぐになるよう、竹串に刺して小さな鍋でゆで始めた。←目目夫さま直伝テーブルセッティングも整い、約束の夜の8時半の5分前。ウイリアムは当然まだ来ない。10時までに来たらいいか。。。それまでかっちゃんたちとは契約の話題は避けよう。8時半になったと同時にかっちゃんから電話があった!「すみません、ちょっと遅れます。9時までには着きますから!」←さすが時間に正確な日本人である。9時3分前。珍しくウイリアムがたったの27分遅れで現れた。やはりおっとのことが心配だったんだろう。しかしかっちゃんはまだ来ない。9時きっかりにかっちゃんから電話が。「道に迷っちゃったんですけど。。。」かっちゃん、あんた正確や!正確すぎるっ!!それから約30分間、おっとが助手席のイタリア人の彼女に電話を通してナビをして、無事にかっちゃんが家に現れたのだった。玄関を開けるなりかっちゃんは土下座でもしそうな勢いで「本日は遅れまして、どうもすみません!」と日本語で頭を120度ほどにも下げた。わたしは面喰らって「いやあ、そんなたいしたことじゃないよ。家で待ってるだけだったし、気にしないで。」とモゴモゴ言うと、そばにいた彼女も「わたしも、そう言ったんだけど。。」と口を挟む。かっちゃんはちょっとムッとして彼女をにらんで「だって、日本人のお宅だし、時間厳守が当たり前なんだよ!」わたしは心の中で拍手した。おっとは感心したように見ていた。ウイリアムは理解が出来ない顔をしていた。みんなで席に着く。やっとわたしは落ち着いて、かっちゃんと噂の婚約者を見ることが出来たのだった。かっちゃんは、いかにも「駐在員タイプ」である。どういったらいいのか、自己的統計によると、イタリアの留学生あがりの社会人は、たいがいこちらに何か私的な目的があって留学してきて、そのままこの国に居座っているひとばかりだから、なんだか欲に燃えている、というかねばった感じがするというか、濃い~ひとばかりだ。それに対して駐在員のたいがいは、自分の意思ではなく、会社命令で来ているものだから、この国に対する執着が薄いし、会社に保護されているから「イタリアで生活するひと」ではなく切り離された「日本そのままの生活をするひと」の臭いがして、薄味な感じだ。かっちゃんは、そんなひとだった。それに比べて噂の彼女は予想はしていたが、お歳がかなり上のようである。背が低くてやせ気味、しっかりもののお姉ちゃん、といった感じ。わたしの隣の席に着くなり「どうやっておふたりは知り合ったんですか?」という言葉を皮切りに、すごい勢いでしゃべりはじめた。今日はIKEAにケーキを買いに行って、すごく混んでいて遅れたこととか、かっちゃんが今夜の夕食のことで緊張しすぎて朝の5時から起き出してウロウロしていた、とか、とにかくとめどなくしゃべりまくる。わたしは彼女が1/100秒ほど息継ぎをする間を狙って急いで「え~と、えと、この度はかっちゃんが研修の最終試験合格にかんぱ~い!」とグラスを持ち上げた。かっちゃんは60点満点の試験に60点で合格。彼はエヘへ、と照れくさそうに笑った。彼女「試験日早朝まで勉強した甲斐があったわね!」さすが、日本人は勤勉で優秀だなあ。。。ほろり。これをきっかけにやっと彼女は少し落ち着いて寿司を食べ始める。きちんと箸の反対側で大皿から具を取り、きれいに手巻きにする姿に感心したが、テーブルの向こうでそんなことにおかまいなしにガツガツと寿司をほうばっているおっととウイリアムを見ると(しつけ不行き届き)、手放しに褒めるのもイヤミかな、と黙って見ていた。彼らの家では猫を2匹、飼っているという。わたし「あ~、うちも猫が欲しいんだよね。天井裏にねずみが住んでるみたいだから。」と言ったのが運のつき!今度は猫の話題を息継ぎもなくしゃべりまくるではないかっ!ああ~、止まらない。これって、元同僚のマリーナが自分の猫の話題を始めると止まらなかった現象に似ている。。。←一種の中毒症状だとわたしは判断している。彼女はとうとう、わたしのほうに向き直り、全員にではなくわたしに集中的に猫話を話し出した。わたしはうんうんとうなずくだけである。その間にかっちゃんは、おっとに仕事のことに関して何か聞き始め、おっととウイリアムと3人でテーブルは分裂する。あかんやん!彼女抜きでこんな大事な話題に持ち込んだら!!実は彼女の喋りの中からわたしはわたしのお嬢母を見い出していた。こういうタイプは、自分が重要な話題から少しでもはずされると切れて、感情のみで話題をぶち壊すのである!←日本での結婚が壊されたのもこんなちょっとしたことがきっかけだった。わたしは焦って彼女に「ちょっと待って。ジュース取ってくる。」と断って立ち上がり、冷蔵庫を覗き込みながら背中で様子を伺った。彼女はから揚げをつまみながらまだわたしを待っているようだ。グラスを洗う振りをして時間を稼ぐと、やっと彼らの話題に入っていったので、洗い物を続けながら聞き耳をたてた。前日の我々の談話で、どうやって聞きだそう?と算段していた例の「前の職場」の話が意外にも簡単に、彼女の口から出たことに驚く。数年前、彼はある日本の会社の駐在員として派遣されたものの、(やっぱりね。)その会社がイタリアから引き上げることになり、かっちゃんは彼女のために残ったようなのである。(愛だなあ、愛!)それから、彼の苦労がはじまったらしい。あらゆるバイトを経た後、最後のとある日系の店でのバイトでは粉引きロバよりも、船こぎ人夫よりも、過酷な扱いを受け、辞めることを決意したそうである。(もちろん彼女が切れて暴れたこととかは言わなかった。)でもまあ、こうやって双方の話を聞けば、どっちもどっち。。。前情報からの恐怖がここでかなり取れた。かっちゃん「日系だから、と思って選んだのが間違いでした。」日系? わたしはぐっと息が詰まり「。。。マルちゃんも妻が日系なんですけど?」とおそるおそる聞いたが、笑って流されてしまったのである。ナメルナヨいよいよおっとから口火を切って、契約内容の説明がはじまった。彼女とかっちゃんは待っていました、とばかりググッと身を乗り出す。はっきりいって、おっとの出した条件はシビアで大企業の従業員のようにノホホンと出来ない内容である。かっちゃんは難しい顔でうんうん、と聞き、彼女は「打てば返す」間合いでどんどん突っ込んでくる。きっと彼らなりにもいろいろと前相談をしていたんだろう。話はほとんどおっとと彼女の間で進んだ。事前に予想はしていたのだが、彼女はやはり時々不満の声を上げた。するとおっとは正直に運送会社から出る純利益をそのまま述べ、財布の底でもさらすかのように、我々の経済状態をあからさまにするのである!あほっ、駆け引きをせいっ、駆け引きを!!わたしは洗い物を止め、救いを求めるように何度もウイリアムを見た。ウイリアムはおっとの横で黙って聞いているだけで口を開こうとしない。おっとは誰にでもそうなのだ!あまりに正直に、しかも誰かれ構わず全てを打ち明ける。極貧夫婦として恥ずかしいことこの上ないし、このおかげで今までいったいどれだけの問題を生み出したか!?現在は現在で、我々には、まだかっちゃんのワゴン車の支払いをしていないから、銀行から融資されたお金が結構残っている。そのおかげで、それを目当てに金の亡ヤギや、ルイジなイタ公たちが、いったいどれだけ群がってくるんだ!?しかし。この場合、おっとの「ウルウル目での正攻法(?)」は効を成したようだった。彼女は、かっちゃんにおっとのお古のワゴン車じゃなくて、新しいワゴン車を提供する、という提案に胸キュンになったようだし、運送会社から出る純利益から、諸費用を引いて、残りのおっとの収入の少なさ(?)を明らかにすると、さすがに彼女もあきれたのか、そこまでかっちゃんを思いやるおっと(?)に感動したのか、納得してうなずいた。←まったくこんな少ない利益で従業員を雇う必要性があるのか!?国際離婚思想率さらに上昇そして、おっとは仕事上での嫌なこと、いいこと経験談をはじめる。かっちゃんも仕事内容が、粉引きロバよりも、船こぎ人夫よりもずっとマシなことがわかってホッとしたようだった。へえ、なんかうまく行きそうじゃない?ウイリアムもそう感じたのだろう。黙って立ち上がって、ソファに移動し、独りでTVを観始め、やがて夜中の12時も過ぎた頃、「遠いから、もう帰るわ。」と立ち上がった。ウイリアムが出て行った後、場はぐっと和やかになり、日本茶をすすりながらまたもや猫の話に戻ったり(大汗)、日本の話をしたりと(ほとんど彼女のワンマンショーだったけど)、楽しく過ごしているうち、瞬く間に夜中の3時(!)になってお開きとなった。かっちゃんは今頃、おっとと6月に始まる正式採用の前の予行演習のため、一緒に仕事をしているはずだ。6月、土曜日に話し合ったことがそのまま契約書になるのだが、そのとき、彼女が話し合ったことをすっかり忘れて暴れださないことを祈る。。。。。チガウ←やっぱりまだこわい?
2006.05.24
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みなさんにご心配をおかけしているようなので、まずは昨日の帰り道の報告。往き以上にこわかったです! 帰りは往きと違って2つ坂を上り下りしなければならず。。。しかも田舎道だから道路上にもトラクターなんかが撒き散らした砂があって、カーブごとに滑りそうになってヒヤヒヤ。両足をほとんど路面につけて、時速5kmでノロノロと帰りました。今朝は会社に遅刻の予告をして、遅い時間の始発(始発が8時って、あんた。。。汗)のバスで駅に行きましたよ。帰りの最終バスは18時終わりなんで、19時半に田舎町に着くわたしは、どうしようかと悩んでいます。****前後が逆になってしまった。先週土曜日、はじめておっとの初の従業員となるかもしれない「かっちゃん」に会った!ミラノという街は狭い。実をいうとわたしは、とあるルートから、まだ見ぬかっちゃんのことを耳にしていた。「若いかっちゃんには、なかなか強力なイタリア人の婚約者がいて、前の職場では彼女がかなり揉めたらしい。」その話と履歴書写真からイメージする事後面接は:たけり狂うトドとそのそばで玉乗りをする小オットセイ VS ヤギ。ど。。。どうする???別にうちではかっちゃんを採って喰おう!などとはもくろんではいない。だが、おっとが考えている就労条件で満足するだろうか?その強力なイタリア人の婚約者が気に入らなければ切れて、逆に採って喰われそうではか!!??OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!ああ、もうっ!!!!ど~して我が家には次から次へと、こんなに問題が発生するんだ!おっと、なんであんた、研修に通わせる前に5分でもいいから、面接しなかったのかなっ!?←国際離婚思想率上昇。おっと「大丈夫、就労条件に関してはウイリアムとよく相談して決めるから。」おっとの幼なじみのウイリアムはすでに数台のトラック、ワゴン車を持っていて、複数の従業員を使い、着々と事業を拡げて行っている。きっと彼は経験上、適切な助言をしてくれるだろう。わたしはほっとして「いつ彼に遭うの?」と聞いた。おっと「えっと、かっちゃんに会うのが土曜の夜で、ウイリアムが日曜。」OK。え?あほうううううううううっ、順番が逆やろう、ぎゃ、くっ!!!!!!!!!!というわけで、わたしはウイリアムを金曜の夜、無理矢理夕食に招待したのである。そしてわたしはおっとのそばにへばりついて、ウイリアムの助言を熱心に聞いた。ウイリアムはさすがに「ラテンキング」(←ジェノバを拠点にミラノまでも勢力を伸ばしている南米人ギャング団。)と呼ばれるだけあって(たぶん嘘)、大ボスの落ち着きがある。わたし「かっちゃんって、実はこ~ゆ~ひとなんだけど。。。何かの拍子に暴れられるかもしれない。」おっと「こっちの条件を飲めないんだったら、他の人を探すよ。」研修させといて、それはないだろうっ!?ウイリアム「相手の出方を見ながらうまく駆け引きするしかないな。」 ←さすがに言うことが違う!しかし、駆け引き。。。。おっとに唯100ぐらい欠けている能力のひとつだ。そんな高度な技、おっとに出来るわけがないっ!!わたし「ウイリアム。。。明日の夜、暇だよね?」ウイリアム「う、うん?」おっとは消え入りそうな声で「もしよかったら、その。。。かっちゃんと一緒に夕食に来てくれない?」ウイリアムはバンッと立ち上がった。「マルちゃん!お前はもうすぐ、社長になるんだぞ?『来てくれない?』じゃなくて、『明日は必ず来なさい!』と言い直せっ!!」おっと「ウイリアム、明日の夜は必ず来なさい。」←なんかギクシャク。OOOOOOOOOOHHHHHHHH,YESSSSSSSSSSSSSS!!!わたしとウイリアムは揃ってパチパチと拍手した。どうでもいいことだが、わたしと彼は同じ誕生日のしし座である。長くなりそうなんで、つづく。
2006.05.23
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あ~、こわかった。今朝は本当にちびるかと思った。今日からいよいよ会社復帰である。4ヶ月近くも間が空いたというのに、朝起きて、支度をはじめると、この4ヶ月間の空白がウソだったかのように思えてきた。リュックを背負い、ヘルメットをかぶってスクーターのチェーンをはずした。1週間前、おっとが洗車センターできれいに洗ってくれたばかりなのに、シートは砂埃だらけ、あちこちにクモの巣が張っている。慌てて家に戻って雑巾を取って来てざっと拭き、またがった。そして、ミラーが事故で割れてしまったのをおっとが知らない間に替えてくれてたことに気がつく。はっきりいって、またもやスクーターに乗るのはこわかった。ちょうど1週間後、保険が切れるのでわたしは保険を更新するより、そのお金でギアつきの自転車を買って乗りたいとおっとに提案したのだ。そうすれば、保険代もガソリン代もかからないし、今のわたしにはリハビリも兼ねて好都合ではないか?おっと「この季節は寒くも暑くもないからいいけど、夏とか冬はど~するの?」うむむむむ。。。確かに。朝はいいけど、疲れて帰って来た夏の夕方に、駅前の「心臓破りの坂」を上がるのは酷かも。そこでとりあえず保険が有効な1週間の間、こわいがちょっと乗って考えることにしたのだった。スクーターのエンジンをかけた。エンジンも先週おっとが全て点検してくれて問題がなかったはず。4ヶ月近くの休息の後、彼のエンジンは最初、にぶくかかったが、何度かかけるうちに快調なモーター音となった。さあ、出発!げげげっ!!!すぐに異常に気がついた。ハンドルが右に右に向く~!!!????こんな重要な問題、おっとは一言も言わなかったよ!?ノロノロと走りながら一生懸命ハンドルを左に向ける。かろうじてまっすぐ走るが、右手の力をゆるめると、すぐに右に傾く。あ、あかんやん!やがて駅前の「心臓破りの坂」の上に着いた。わたしはここで滑って骨折したのだ。ただでさえこわいのに、この状態、どうするよ!?バックミラーを見れば、わたしの後ろでは後続車がどんどん集まってきて、引き返すわけにも行かない。覚悟を決めて、クラクションの嵐を浴びながらノロノロと坂を下りたときには冷や汗でびっしょりになっていた。今日、また帰りにこのスクーターに乗るのがこわい。やっぱり、自転車を買おう。でも、週末まで買い物に行けないから、今週いったいどうしよう???++++++とにかく往きは無事にたどり着けたので、いつもの場所にスクーターを停めて電車に乗った。ミラノの終点で電車を降り、地上に上がると、いつもの景色が広がったのだが、排気ガスと、いろいろなものが混ざった臭いに「う!」と顔をしかめる。ミラノの街って、以前は慣れていたから感じなかったけど、やっぱりくさい。先週リハビリ師に出された指示通り、びっこを引かないように注意しながらゆっくりゆっくり歩いて会社に向った。いつもはあっという間に走り渡っていた横断歩道も、なかなかクルマの切れ目の間が掴めず、渡る事ができない。誰かが渡るのを待って、慌てて後ろから引っついて渡る。やっと会社に着いた。今朝は初日(?)ということもあって、早めに出勤したら案の定、まだ誰もいなかった。電気をつけて、窓を開けて、懐かしの自分のデスクに行くと、PCがないではないか!?OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!わ、わたし。。こんなに長いこと休んでたから、もしかしてクビになった!!??真っ青になって、呆然と立ち尽くしていると、あのマリーナの後釜の新しいレセプションのキアーラがやってきた。キアーラ「あら、久しぶり。やっと復活したの!?」わたし「うん。。でも、わたしのPCがない。クビにされちゃったのかな?えへへ。苦笑&涙」キアーラ「え~、知らない。」とさっさとレセプションに行ってしまった。新しいキアーラは前任のマリーナに比べて優秀肌なのだが、なんだか人間味に欠けるな。もっとこう、一緒にPCを探してくれるとか、慰めの言葉をかけてくれよ!絶望の淵に立たされ、オリの中の熊のようにウロウロしていたら、次々に社員が出勤してきてやっとプログラマーのロンギが「ごめん、ごめん。君のPC,ちょっとの間、拝借していた。」と抱えて現れたので、ふ~と息がつけたのだった。やれやれコーヒーでも飲むか。。。と久しぶりに再会した同僚たちと休憩コーナーの自販機で今までの朝と変わりなくカプチーノを選ぶ。一口飲んで「げ!?」と吐き出した。コーヒー豆の賞味期限の過ぎたすっぱい味がする!!わたし「まずいよこれっ!」同僚たち「え、いつもと変わらない味だけど?」わたし「。。。。。」我が家にはイタリア人はひとりもいないので(当たり前だけど)、「大阪人の一家に一台たこやき機」のような存在の「イタリア人の一家に一台エスプレッソマシーン」はない。日本でもわたしはほとんどお茶か、たまにアメリカンコーヒーしか飲んでいなかった。ここではイタリアンコーヒーが飲みたければ、ちょっとその辺のBARで100円程度で飲める。そうやってここ4ヶ月、ほとんどコーヒーなしの生活を送っていたのだが。。。自販機のコーヒーがこんなにまずかったとは。再認識してショック。やがて昼休みになった。(仕事いつしてるんだよって?)マリーナが会社を辞めてから、というか、レセプションがキアーラに替わった後、わたしはすぐに事故を起こして出社しなくなったのだが、今までは、女性陣全員でお昼は会社の周りのBARをあちこち巡り歩いていたというのに、今はみんな適当にパニーノなんかを買ってきて、会社で食べているという。「そんなの、つまらないよ~。」わたしは久々に田舎町の家ではなく、会社という「監獄」の中で午前中いっぱいを過ごしたおかげで、外に出たくてたまらない。ひとり、男性陣と公園のベンチに座ってパニーノをほうばった。いつの間にか新しいプログラマーがひとり増えていて、なんと彼の弟が日本人と結婚して青森県に住んでいるというので、その話題で盛り上がり、なんとか退屈せずにすんだのであった。そして今。まだ退社まであと4時間。耐えれるかな、ふう。。。と、こんな日記が余裕で書けてしまうぐらい、会社は4ヶ月近く前とほとんど一緒の状態だ。
2006.05.22
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今日がリハビリ最終日だった。リハビリは総計24日間、自宅軟禁生活約4ヶ月。あしたは労災(INAIL)の審査がある。リハビリ終了の証明書まで発行されたし、確実に明日の審査で労災期間は打ちきられるだろう。とうとう終わった。。。わたしは朝、いつものように病院行きのバス停に向かった。この平和な平日の遅い朝の光景をひとつひとつ心に刻みながら、感慨深く歩く。隣の家のシェパードは、いつもわたしがそばを通るたびに「ワン!」と軽く吠えて尻尾を振りながら柵のそばまで寄って来ていたのだが、最近は暑いのか、ぐったり地面でFの字になって、こっちをチラリと見るだけで立ち上がろうともしない。(寂しい。。)バス停にはいつもの金髪のおばさんが待っている。毎日遭うってのに今まで「ブォンジョルノ。」としか挨拶を交わしたことがない。というのも、彼女はちょっとこわそげなキャリアウーマン系の女性なので、わたしは気後れしてそれ以上、関係が進まなかったのだ。しかし、ここ数日見なかったな。今日もそうやって挨拶を交わした後、彼女はいつものように舗道にしゃがみこんでタバコを吸い、わたしは動かさなければすぐに固まってしまう足をプールの準備体操のように曲げたり伸ばしたり、ぶらぶらしたりしてバスを待った。やがて自転車で近所のおばさんがわたしたちの前を通った。おばさんは金髪のおばさんに向かって「あんた、この通りの45番地よね?」金髪のおばさん「そうよ?」自転車のおばさんの後ろからは高級そうなクルマがノロノロとついて来ており、その運転席の窓が開いて、ざ~ます系おばさまが顔を出した。「ということは、あなたが美容師?」金髪のおばさん「はあ!? ああ、うちは45番地のB。Aと新しく出来たCがあるからたぶんCでしょ。」ざ~ます系おばさまは金髪のおばさんに「ありがとう。」と言って去る。金髪のおばさんはクルマを見送ってからわたしのほうに振り向き「うちの隣で美容院やってるなんて知らなかったよ。」と笑った。OOOOOOHHHHHHHHHH,YESSSSSSSSS!!!!これがきっとはじめてで最後の彼女との会話だろう。これも心に刻み付けておこう。バスが来た。この日の運ちゃんは密かに想いつづけた、バスの運ちゃんの中でも一番仲のいい運ちゃんだったので、最後にプレゼントを用意しておいたのだ。この運ちゃんが最終日の運ちゃんだってことがうれしい。しかし、この運ちゃんは金髪のおばさんを見るなり、「ここ数日、どうしてたの!?」と散弾のように喋り始めるではないか?(ちなみに運転中の運転手とのお喋りは禁じられている。汗)あああ~、この調子じゃ、プレゼントが渡せない。。。わたしは一生懸命、無理やり会話に押し入る。偶然にも金髪のおばさんの娘が秋から大学で日本語を習う、というので、その話題で少し盛りあがった。(いいぞ、よし!!) すると、他の乗客もどんどん押し入ってきて、バスの中は遠足のような大騒ぎになってしまったのである。汗とうとう病院前に着いてしまった。もうここしかチャンスがない!顔を真っ赤にして「あのこれっ、プレゼント!!」とでっぷりとした彼のお腹に埋め込む様にプレゼントの箱を突きつけた。運ちゃん「何これ?」わたし「「減肥茶」っていう中国茶。ダイエットに効果があるから、毎夕食後に飲んで!」と吐き捨てるように言って慌ててバスを降りた。バスに残った乗客は「ひゅ~ひゅ~!」と言って窓から親指を立てる。運ちゃん、きっとドキドキしたに違いない。金髪のおばさんは「明日のバスの中では娘に日本語の個人レッスンお願いしてみようかしら?」なんて、考えてるかもしれない。。。でも、明日からわたしはもうバスには乗ることがない。リハビリ室に入ると、いつもは遅れてくるわたしのリハビリ師が珍しく先に来ていた。最近わたしは機械の振り子運動は卒業して、「なんちゃらランナー」という機械のベルトの上をひた歩くハムスターとなっている。彼女はわたしが歩くそばでウルウルと「寂しいわ。」と繰り返している。「なんちゃらランナー」が終わると、ベッドの上で彼女がわたしの足をぎゅ~っと伸ばしたり、曲げたりするのだが、かなり痛い。彼女はわたしの足を容赦なく曲げながら、憂鬱そうに「来週からね、あなたの後、他の私立のクリニックで脊髄の手術に失敗した女性を担当するの。まだ50歳を過ぎたばかりで若いのに、記憶がなくなっちゃって、わたしがやることのコピーは出来るけど、自分の意思で何かが出来ない人なの。あなたのような、日に日に治っていくことがわかる患者を担当するのはうれしいんだけど、彼女のようにいつ治るかわからない患者を担当するのは精神的に辛いわ。でも、大半がそういうひとばかりなんだけど。。。」そうなのか、リハビリにもいろいろあるのだね。。。。そんな話を聞いて、わたしまで憂鬱になった。リハビリが終わった。わたしのリハビリ師はわたしをぎゅ~っと抱きしめて「また病院に来る事があったら、絶対寄ってね!」と言う。わたしもなんだか胸が詰まってウルウルなりながら「うん!」とうなずいた。他のリハビリ師たちも口々に「またいつでもおいで~!!」と手を振った。しかしもう当分病院のお世話にはなりたくないんだけど。。。平日に遊びになんて行けない。次に行くのはまた「何か」があったときだ。汗病院を出ると、空がどんよりして小雨がぱらぱら降り出してきた。ああ、今日が最後だから、バスの中から気になっていたパン屋さんでパンも買ってみたかったし、この間は時間がなくて流し見だけした画廊もゆっくり廻りたかったけど。。。。。。雨だからいいや。(←結局はぐ~たら)帰りのバスに乗った。珍しく知らない運ちゃんだった。そんな運ちゃんを見て、ちょっとおセンチに終わりを感じたわたしなのだった。
2006.05.18
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昨日は身体が火照って眠れなかった。(いやっ、そ~ゆ~意味じゃなく)たぶん、日曜日に1年ぶりにプールに、しかもまだ完治していない足で出かけて泳ぎすぎた筋肉痛が、年寄りなので、次の日には来ず、2日目に襲ってきたのと、昼は目目さんと、夜は中部イタリアのウンブリアから1年ぶりに来た友達のアンドレアと、ごちそうをたらふく食べたのがひびいたんだろう。だから昨日は精神まで崩壊したのだろうか?(恥ずかしいから削除を考えたけど、あんなんでもコメントがいただけたし。。)****実はひさびさに「ちょいネタ」が出た。まだ断言は出来ないけれど、おっとが従業員を見つけたのだ!!その名は「かっちゃん。」(仮名)どんな人かというと、わたしたちは知らない。大汗おっとは自営である。しかし、週末に時々引越しの手伝いをする以外は、大手外資系の運送会社ひとつに契約社員状態で毎日勤務している。なぜ彼のことを知らないかというと、彼が電話で応募してきた翌日、おっとは毎月行なわれる1週間の会社の研修に、その日から彼を放りこんだのである!わたし「ちょっと!まだ見もしないひとを会社の研修に放りこむってどういうことよ?!普通、まずは面接をして、実技をさせて適性を見定めてから雇うことに決めて、研修なりなんなり、させるもんでしょ!?」おっと「だって、今月の研修を逃したら、また来月まで待たなくちゃいけないんだよ?この研修を1週間やって、試験にパスしないと働けないんだ。今月は今日からだったから、急いで行ってもらったんだよ。」わたし「向こうだって、あんたを見て、決める権利もあっただろうに。。。」おっと「彼は快く行ってくれたし、それでいいじゃないか。」それでいいじゃないか、って?そ、そんなんでいいのか??他に何人も応募者がいるってのに・・・前回の日記では、「やっぱりやめるよ。」と言って、わたしの気を揉ませたおっと。これだからコロコロ気の変わるB型は苦手である。それに加えて「ヤギ」だから周りを巻きこむので始末が悪い。わたし「彼の滞在許可証は?」おっと「今は学生で、もうすぐイタリア人と結婚するから問題ないって。」そう?わたしはちょっと驚いて、そして安堵した。なぜなら、おっとが行く先々で求人活動をしているおかげでここ数日、あらゆる国籍のひとたちが応募してきているのに、ほとんど全員滞在許可証がないか、問題ありだったのである。当たり前のことなんだが、滞在許可証なしのガイジンは雇えない。我々も夫婦して「ガイジン」なので、そんなガイジンを不法に雇って、余計なリスクをしょいこむことなど、絶対したくないのである!(ウイリアムはおかまいなしにそんなひとたちをどんどん雇ってるけど。汗)もう研修が始まってしまった現在、遅いのだが、「かっちゃん」に履歴書を送ってもらった。彼のイタリア語はまだあんまりなので、イタリア人の婚約者が代わりに書いた。アイドル写真のようにポーズをつけた自己紹介写真には笑ってしまったが、それはともかくとしてイタリア人というのは、どうも誇張して履歴書を書くものなのだ。そんな部分を差っぴいても、まあ良い人材のようである。そして若い!昨日の夜、研修1日目が終わった「かっちゃん」がさっそくおっとに電話報告をしてきた。おっとはいつもの調子で馴れ馴れしく「土曜日に夜ご飯でも一緒にしよう!」と誘っている。ところがかっちゃんのほうは、すっかり研修1日目にびびってしまっているようで(おっとが事前に試験まであることを説明しなかったこともあり)、「ええ!?土曜日まで?また、なんで!!??」としどろもどろになっているのだ。するとおっとまでが「え。。?いや、だって。。。ぼくたち面識がないし、会うのが当然かと。。。。ぼく、土曜日しか空いてないし。。。」としどろもどろになった。(←君がなるなぁっ!)聞いているわたしのほうがハラハラと不安になりかけていると、婚約者が電話を替わって、急に話がスムーズになったのでホッとしたのである。この話を契約内容、給料額を含めて目目さんにしてみた。目目さん「えっ!それ、わたしが働く。マルちゃん、わたしのことよく知ってるから問題ないでしょ?」わたし「・・・・・え?」 そ~ゆ~問題じゃなく、わたしとしては、やっぱり若い男の方がいいかと。。。。(そ~ゆ~問題じゃなく。)冷静に見てみれば、おっとの出したのは決して悪い条件じゃない。これはおっとがなかなか人材を見つけられないのを見て先週、わたしなりのやり方で出した求人からの応募だった。今までのおっとの求人のやりかたが悪かったのか?とにかく1週間後、かっちゃんの試験の合否で採用が決まるだろう。というか、かっちゃんはそれまで研修に耐えられるだろうか?合格、となればおっとの記念すべき従業員第1号は日本人になるのか。。。まあ、わたしが求人出したのは邦人イタリア在住者のよく見るサイトだったしな。
2006.05.16
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前回日記に書いちゃったおかげで2週間でやらなきゃいけないこと、はっきりしたから、ひとつひとつ、やっていくことに決めたの。と、いうわけで、おっとは昨日、家にいませんでした!こんなにお天気のいい日曜だったってのに、わたしを独りで家に残して外に出かけるなんて、ひどいでしょ?でも・・・彼、あたしの原チャリを掃除に洗車センターまで行っちゃったしぃ。(だってツバメの糞なんて、汚くて触れなぁい!!>_<;)今日は、さっそく目目ちゃんにもらったお菓子の本を見て、ケーキを作ることにしたの。(目目ちゃん、サンキュ!)あ~~~~ん、でもとっても難しそう。どれどれ、「イチゴのパルフェ」これなんか名前もおしゃれで簡単そうよ、やってみよう。どれどれ、凍らせたいちごと、生クリームとお好みのリキュールをミキサーにぶち込んで、まわせばいいのね。ガリガリガリ!!! すごい音!ちょっと、大丈夫?あ、でもだんだんそれっぽくなってきた。なんだ、これってただの「いちごアイス」じゃん。料理名を考えるのにコピーライターさん、苦労したのね。意外に早く出来ちゃったから「よもぎロール」も作ってみよう。えっと、よもぎ20g、これは前の道から摘んでくることにして、米粉?え~~~・・・そんなのイタリアに売ってない。あ、そうだ!お米のこななんだから、ミキサーでお米を粉にしたらいいんだ!! わたしって、あったまいい~。ガリガリガリ!!! ガリガリガリ!!!!!あれ?なんかプラスティックがこげてるような臭いが・・・きゃあ~☆ミキサーからけ・む・りが出てるぅ!!!???プチン!動かなくなっちゃった~~~~~??????ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ・・・・ま、いいか。大汗 米はとにかく粉になったし、このミキサー、もらいものだし、自分で使うのはじめてだし・・・・・これからも使わないよねっ?気を取りなおして続き、続き。米粉と薄力粉と砂糖とヨモギを混ぜて玉じゃくしでフライパンに流し、玉じゃくしの背で薄く広げる。うふっ、なんだかテキヤみたいでおもしろいわ。市販の煮豆を封を開けずに袋の上から手で押しつぶし、アンを作って焼いた生地の上に乗せてクルクル巻いて出来あがり。煮豆って、缶詰のひよこ豆でいいのかしら?ビニール袋に入れて、押しつぶして、クルクル!写真よりちょっと焦げてるけど、それっぽく出来たじゃない。「ただいま~!」あ、おっとが帰ってきた。グッドタイミング!「ねえ、お味見してぇ。」「ええ!君、お菓子なんて作ったの!?すっ、すごいじゃないか。ありがたくいただくよ。」彼、感動のあまり、ウルウルしている。可愛い~。「おいしいっ、よくやったな!!」「きゃ☆うれしい!もっといっぱい食べて!!」「うん、今はお腹いっぱいだからまた後で。」ええ・・・熱いうちのほうがおいしいのに。食べないんだったら、わたしが全部食べちゃうから!ぷんぷん。ぱくり。。。。。。。。。。。。。ひ、ひよこ豆の塩味が絶妙によもぎの深い味わいを殺している・・・・えっと、えっと・・・え~い、もったいないけど捨てちゃぇ!なんだか、こんな日記を書くの、うざくなっちゃったから もうやめよっ。社会復帰まであと1週間。力の限り、専業主婦を楽しんじゃおうっと!!えへへ。
2006.05.15
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わたしはまだ毎日バスに乗って、病院のリハビリに通っている。さすがにここは田舎町。毎日、同じ時間のバスに乗るので、バスの運ちゃんたち(複数。なぜなら彼らはローテーションで顔ぶれが替わる。)とも、バスの乗客とも、この時間帯に決まって外を散歩しているお年寄りとも、リハビリでいつも顔を合わせるじーちゃんばーちゃんたちとも、リハビリ師たちとも、すっかり顔なじみになった。我が家の周辺は番犬を飼っている家が多くて、はじめの頃は、バス停までたどりつくまでに犬たちの「わんわんわんわんわんっ!!!!!」という大合唱だったのだが、最近は1~2匹が「わん。」ととりあえず吠えてくるだけだ。リハビリに話を戻すと、わたしのリハビリ師はものすごいお喋りで、しかも喋っている間は手が留まる。なので貴重な1日1時間のリハビリのうち、30分は彼女の話に相槌を打ってぼけ~っとつっ立ったままなので、とても損している気がするのだが。。。(これが労災でカバーされているのではなく、自腹で治療しているならとっくに暴れ出している。)そんな状況でも左足はだいぶ良くなって来た。まだ完全に足は曲がらないものの、ちょっと重たい感じはするが、ゆっくりなら、歩いてバスや電車に乗れるようになったし、階段も手すりに掴まりながら、よちよち上り下り出来るようになった。ここ数週間、リハビリの間に病院の診察、労災の審査、病院の診察と次々に行なわれた。5月2日の労災の審査では仮病も使っていないのに、期日が5月19日まで延長された事には、かなりがっかりしたような、ホッとしたような複雑な気分になったのだが、今朝の病院の診察では、「この調子で行けば19日までにはリハビリは終われそうね。」と太鼓判を押されたのだ。OH,やっと終わるのか。。。しみじみカレンダーで数えてみた。19日は金曜だから、22日の月曜日に仕事に復帰するとして。。。そう、やっとあと12日、つまりあと2週間もない!事故後は、入院中は激しく、退院後もしばらく「早く良くなって家から出たいよ!!」と痛切に願っていたのだが、最近といえばすっかり家に居る事に慣れてしまい、もう仕事に復帰する事に嫌気がさしている。しかし、あと2週間。こうやって期日が出来るとなんだかすごく焦ってきた。事故後、整理し始めた大量の写真をアルバムに収めるのも「まあいいや、いつでもやれるし。。。」と途中で投げ出しているし、急に「ケーキを作ろう!」と思い立って目目さんにお菓子作りの本までプレゼントしてもらったのに、まだ作ってないし、この機会にやろうと思っていた古い書類の整理もそのまんまだし、そろそろ気になっていたタンスの衣替えもしてないし、この際、読破しよう!ともくろんでいたイタリア語で書かれた分厚い小説も1ページもめくってないし、スクーターも掃除しないと、今の時期、ちょうど停めてある場所の上にツバメが巣を作ったので、ツバメの糞だらけだし、OOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!何から手をつけたらいいんだ!!!???ってことで、こんなにのんびり日記を書いている場合じゃない。今日はここまでで、失礼致します。じゃ。
2006.05.10
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最近、特筆するような気持ちを揺さぶる事件がない。毎日のようにあった今までが異常だったか?というか、あまりに立て続けにいろいろなことが起こるので、だんだん神経が麻痺してきたんだ、と自己診断している。家の事は6月8日に裁判所に弁護士と出向いて、はじめての申し立てをすることになった。そして、もうご記憶の方は少ないと思うが、去年7月に追突された事故。あれもまだ保障が降りてない。事故直後、おっとが書きこんだ書類にたった一箇所、間違いがあったのだ。(チェックシートの一箇所を間違えて○した。)それを盾に相手は、被害者であるおっとに罪をなすりつけ、やつのクルマの損害賠償をしろ、と言って来たのである。最初、このニュースを聞いたときは、開いた口がふさがらなかった。あの時、急いでいたのはわかるが、おっとが自ら「示談にしましょう。」なんて言うから!!←またもや国際離婚を考えるわたし。壊れた助手席のドアはだいぶ前から錆が浮き始めたので、自腹で応急処置だけ修理屋にやってもらった。これも6月14日にわたしが裁判所に目撃証人、として出向いて証言をする。この件に関しては、おっとがかけている自動車保険で全てカバーされるので、わたしたちの懐は痛くはならないのだが、とにかくバカバカしい。きっとこれがわたしたちもイタリア人だったら、ここまでなめられた事には至らなかったと思うのだ。そういえば思い出した。以前わたしがマーベルと住んでいたアパートに住んでいる日本人の独り暮しのご婦人も、片言の日本語を喋るスリランカ人と行き付けの日本料理屋で親しくなった。ある日、彼の身の上話を聞いていると「本国にいる妻と子供を呼び寄せたい。そのために家を買いたいのだが、銀行が融資してくれない。申し訳ないが、代わりに家を買ってくれないだろうか?家の代金は毎月、あなたに払うようにするから。」と懇願された。彼女曰く、彼は品性があって礼儀正しいスリランカ人だったようである。彼女はわたしのようにイタリアに来てから、地を這うような生活は送った事がないようなお金持ちのご婦人である。心から同情し、彼の望むままのミラノ中央駅近くのアパートを(たぶん)一括購入してあげたのだった。つまりは名義はご婦人のもので、彼は家賃の代わりに少しづつローンを払って払い終わった時に自分のものになる、といった形である。銀行のローンとかじゃないから、きっとお得に違いない。彼は喜んで、すぐさま妻と子供を本国から呼び寄せたようだ。そして、まじめに彼は毎月、彼女にお金を持ってきて、彼女は彼持参の領収証にサインをし。。。とやっていたのだが、ある時から彼がお金を持ってこなくなった。ご婦人は「どこかにバカンスにでも行っているのかしら?」と思っていると、ある日いきなりこの男が雇った弁護士からレターが来たのだ。内容は「あなたはこの男への支払いを滞っています。至急支払わない場合は云々カンヌン。。」と書いてあるではないか!?どういうことかしら~~~~~~っ????とご婦人は気を失うようなショックを受けたらしい。そこで彼に問い詰め様にも「弁護士を通さずには話はしません。」とコロリと態度を変えた一点張りである。しかたなく彼女も弁護士を雇って調べたところ、わたしはちょっとここのところ詳しく理解できなかったのだが、どうやら過去にいつものように彼が持参した「領収証」なるものが、「所有者の名義変更」だか、とにかく立場を逆転する書類だったようだ。彼女はこの男を信用しきっていたので、ろくに目も通さずサインをしてしまったのである!つまり彼女はこの男にアパートを巨額のお金を出して買ってあげた上、ローンでこの男に毎月その倍になるお金を払っていかなければならなくなり。。。の形である。OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHH、NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!なんじゃそりゃっ!!??完全な詐欺に乗っ取りやんけっっ!!!!!完全になめられてる。平和ボケ金持ち日本人と思ってバカにしやがって~~~~っ!ゆ・る・さ・ん!!!!!!!↑彼女の心情をわたしなりに表現。ここから長い裁判が始まった。あの時期の彼女の疲れ切ったうつろな目を思い出した。「親切をした、というのにどうしてこんな目に遭わなきゃいけないの?バカなわたし、バカなわたし!」とお会いするたびに聞かされた。冬のある日に電話をすると、ひどい風邪を引かれてて「裁判にかかるお金を稼ぎに明日からドイツに行って参ります。」と弱々しい声で電話を切った。あの時、わたしはあの優雅なご婦人から「お金を稼ぎに。」なんて言葉が出るとは思わずショックを受けたことが忘れられない。とにかくどれぐらい彼女は荒波に揉まれたのだろう?ある日「とうとう裁判で勝利しましたよ!」と喜びを込めたメールをもらった時、わたしは「当たり前じゃん。」とそっけなく思ったのだが、今はその気持ちがわかる。(後日談:この後、この男はミラノの同国人を牛耳る闇のボスだと判明。妻と子供はとっくの昔から別のアパートに住んでおり、彼女の購入した小さなアパートの一室から10人以上も住みついていた、しがみついてなかなか出ていかないスリランカ人を追い出すのに警察を動員して苦労したようである。)このイタリア、「勧善懲悪」の図式が、そうそう簡単には成り立たないのである!そしてサイン社会のおそろしさ。。。わたしは日本にいたときは親元から仕事に通う、言って見れば「不完全自立」な大人だった。ということもあるが、「ハンコなんてお中元お歳暮が来た時の受け取り印と、銀行の開設にだけ必要なもの。」と思っていた。しかし、ここ最近はちょっとしたものにサインをするときも、いかに相手が急いでいようがじっくりその場で書類を読むか、相手に書いてある内容をしつこく聞くようになった。我々の家の諸々の書類に、不動産屋を信用してろくに目を通さずサインをしてきたものが多い。だって、それなりのお金を払っているんだから、それなりに向こうもちゃんとしてくれるのが、当たり前、と思っていたからだ。(←この辺まだまだ平和ボケの習慣が取れていないのである。)この過去のうかつさが、裁判で裏目に出ない事を願いつつ。。。。弁護士から連絡があるまではなるべくそのことを考えないようにしている毎日である。
2006.05.05
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