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まったく最近出会いと別れの日々が多い。月曜日、コピー室にコピーを取りに行って自分のデスクに帰ってくると携帯の着信メロディが流れ続けていた。わたしにいつも電話をかけてくるといったら、目目さんか、ベネチア在住のSaicuccioさん、現在イタリア旅行中の謎探偵さんがメッセージを送ってくるぐらいだし、おっとは一回だけ鳴らして電話を切って、わたしからかけなおすのを待ちやがる。怒だからこんなに長くメロディが流れることはめったにないので、慌てて携帯に飛びついた。「もしもし、いくきーとちゃん?」この声を聞いて、じわっと涙がこみあげた。声の主は3年前に旦那のアンちゃん(仮名)の転勤でアメリカのシアトルに行ってしまったピツコちゃん(仮名)だった。ピツコちゃんがこの時期ミラノに里帰りすることはずいぶん前にメールで知っていたのだが、ちっとも連絡がないので寂しい思いをしていたのだ。ピツコちゃんと旦那のアンちゃんはおっとの心の友があのエクアドル暗黒組織のボス(違)である「ウイリアム」であるように、わたしが約10年前、ミラノに来て以来の「心の友」だ。いつもほがらかで前向きなピツコちゃんたちは、すぐに凹んで閉じこもってしまうわたしにとっては「憧れ」であると同時に数少ない心を許せる友だった。ピツコちゃん「ごめんね、親戚廻りが忙しくて、なかなか連絡できなくて。あたしたち、あさってもうシアトルに帰るの。今日か明日に会わない?」わたし「もちろん、会おう!どっちでもいつでもおっけ~!!」というわけで、その日の夜、運河沿いにある魚屋の前で待ち合わせることになった。銀行の審査に通ったおかげでぎりぎり1回ぐらいは外食できる余裕も出来たし、大丈夫だ。このことを悟られないようにしなければ。。。待ち合わせの時間、8時きっかりに魚屋の前に着くとピツコちゃんと旦那のアンちゃんのほかにも、やっぱり昔からの「心の友」だったルミブー(仮名)とひろぽん(仮名)とその旦那さんも来ていて、涙がちょちょ切れそうになり、熱く強く抱きしめあったのだった。←考えたらほとんど日本人なのに、なんか変だ。わたしたちはピッツエリアに入り、昔話に、現在の話に、シアトルの話に、と声が枯れるまで喋った。シアトルとは行ったことがないのだが、ピツコちゃんたちの話によるとこれといった観光名所はないけれど、住むには税金も低いし、治安もいい、イタリアみたいに警官や裁判官など、ありえないひとに裏切られる心配もないらしいし、暮らしやすい街らしい。ここミラノでは日本人は「わたしはデザイナーです。」とか「ぼくは翻訳家です。」とか、プロでなくてもなんか肩書きを持っていなきゃいけないような雰囲気があるのだが、シアトルでは、普通に肩書きを持たない人がへれっと普通にすごい特技を出してみたりするところらしい。うううううう。そんな街にわたしも移住したいよ。わたしに関してはみんなが「ときどきブログ、読んでるよ。大変だねえ。」と言うので、極貧バレバレやんけっ!!!と穴があったら入りたくなった。もうついでなので、ブログに書くようなことでもないし、おっとにも他の友達にはなんだか恥ずかしくて言えないようなクヨクヨしていたことも思い切って話したら、あっさりみんな受け入れてくれてなんだかスッキリした。(ルミブーからは、それに関連してそれを上回るような、わたしだったら立ち上がれないような体験談も聞けたし。)とにかく楽しくて楽しくて楽しくてずっと笑い転げてニコニコしていた。こんなに心の底から笑ったのは何年ぶりだろう?イタリア人やヤギたちの言うギャグなんて100発100中おもしろくないから、愛想笑いだけは覚えたけど、笑えないし、知り合って間もないようなひととはやっぱり「ここで笑っていいのかな、いけないのかな?」と様子を見てしまうし。ああ、気持ちがよかった。すっきりした。笑うってやっぱり気持ちがいいなあ。ピツコちゃんたちは、ちなみにグリーンカードを申請中だそうだ。ということは、この間家も買ったし、向こうに永住するってことか。。。。。←本人たちはそのつもりはない、と言ってる割にはそのつもりな行動である。ルミブーもわたしたちが知り合ったころからのつきあいのスイス人の彼と結婚したら、どこに行くかわからないし、ひろぽんも旦那さんは日本人だから日本に行ってしまう可能性だってある。別に彼らとは普段からしょっちゅうべったり接触していたわけじゃない。ピツコちゃんたちとの3年の年月だって、会って5分もたたないうちに埋められたけど、だけど。。。なんだか無性に寂しくなった。この間のおっとと同じくうるみそうになったが我慢した。12時も過ぎてレストランが閉店支度を始めたので、わたしたちは腰をあげざるおえなかった。まずはひろぽん夫妻が帰っていって、わたしたちは全員で我が家のクルマ、もんで男くんを停めているところまで歩いた。そういえば、もんで男くんはピツコちゃんの旦那のアンちゃんがシアトルに引っ越すのに売りに出していて、出発3日前に売れたはいいけどドタキャンされて、廃車に行く時間もないから出発2日前に「もらって!!」とおっとと一緒に名義変更に行ったのだ。そこでおっとの滞在許可証が5日後に切れることが発覚_| ̄|○、窓口で「出来ません。」と言われたらアンちゃんが切れて「ぼくはあさって国外に引っ越すんだ!なんとかしろ!!」と窓口のお姉さんに怒鳴って、名義変更が出来たんだっけ。。。アンちゃんは懐かしそうにもんで男くんの廻りを一周し「ぼくのクルマ、こんな紺色だったっけ?てっきり明るい灰緑だと思ってたよ。」わたし「うん。。。最初わたしたちもそう思ってたんだけど。」引き取ってからおっとのいつもの病的なほどの丹念な掃除と磨きで、本来の紺色を取り戻したのである。汗ピツコちゃん「ミラノはスモッグが多いからね~。」ああ、いろいろ思い出すなあ。これで一緒にメルツォの巨大映画館に行ったこと、彼らが狭い狭い天井裏の家に住んでいたときに家の中で焼肉をして、みんなでいぶされたこと。。。あのころはまだミラノ生活をぶ~ぶ~文句を言いながらも謳歌していたな。こうしてわたしとおっとはもんで男くんに乗って帰途に着いた。また次の日から、こんな楽しい日なんかなかったような日々が続くと思うと、ほがらかなピツコちゃんたちを見習わなければいけない、とわかってながらも暗く凹むわたしなのだった。
2006.11.29
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先週土曜日。エンジンのかかりがおかしいからとおっとが修理に出していたワゴン車を取りに行ったのは、近所の修理工場が閉まる5分ほど前だった。この工場は以前おっとが夜遅くにガス欠でクルマが路上で止まってしまったとき、門戸を開けて、ガソリンをわけてくれた親切なところなのである。(いつもガソリンぎりぎりでクルマを走らせるおっとが、恥ずかしい以上に、いつまたどこでこんなことが起きるかこわい。)工場長のじいちゃんとおっとが話し込んで居る間、わたしはもんで男君の中でおとなしくスーパーの折込ちらしを読んで待っていると、このじいちゃん、突然「はい、ごめんよ~。」と運転席に乗り込んできたのでびっくりして外に出た。おっと「何やってるんだよ、さあ乗って!」というので慌ててクルマの後部座席に乗り込むと、じいちゃんの運転でもんで男君が走り出した。おっと「ね、このクルマもかかりがおかしいだろ?」じいちゃん「ああ、こいつもちょっと様子を見ないとな。」そうか、もんで男君も調子が悪いから試運転して様子を見てるのだな。。。と思っていると、じいちゃんはどこまでも遠くへ走っていく。どこに行くのかな、修理部品でも取りに行ってるんだろうか?と見ていると、ある田舎町の中心街でじいちゃんはクルマを降りて走リ去ってしまった。おっととわたし「ど、どこに行くんだ!?」見ているとじいちゃんはバーバーショップに入り、何か美容師と話して戻ってくる。「スマンスマン、午後に髪切るの、予約してきたんだ。」わたしとおっと「。。。ハハハハハ。(このじじい)」怒そのままわたしたちは工場に戻った。じいちゃんはおっとから受け取ったお金をポケットにねじこみ、工場を閉めてすぐに白い自分のおんぼろ車に乗ってバーバーショップに行ってしまった。わたしたちももんで男君を工場に置いて、ワゴン車に乗り込んでエンジンをかけ、スタートさせる。ブルン、ぶるっぶるう~~~ん。。。。。。。。。。エンジンが止まってワゴン車が動かなくなってしまった。大汗じいちゃんはもう居ない。おっとはため息をついて、ワゴン車の前を開けてバッテリーのあたりを見るが、工具がないことにはいじりようがない。コインやらペンやらでいじってると、工場の番犬の大きなボクサーが駆けて来た。うわ~、こんなに怪しいわたしたち、咬まれる!と思いきや、この犬はしばらく近づいてわたしたちの様子を見た後、工場の2階の母屋にいたじいちゃんの息子を呼んできてくれたのだった。ヤギなんかよりもよっぽど利口な犬だ!!息子が貸してくれた工具でおっとはバッテリーをいじりなおすとなんとかエンジンがかかる。「じいちゃん、バッテリーのねじを閉め忘れてたみたいだよ。たいした問題じゃなくてよかった。」ほ~。わたしたちはそのまま安心して遠くの大型スーパーにこれから給料日まで持たせなければならない食料の買出しに出かけたのである。そう、銀行の審査が通って、おっとは融資を受けることが出来たのだ。しかし、先日からさらにいろいろと引かれてすっかり赤字になった口座を立て直すと、たいした額が残らなかった。涙わたしたちは、慎重に買い物を済ませ、ワゴン車に戻ると、今度はバッテリーがすっかりあがって動かなくなってしまっていた。滝汗おっと「この間、新品のバッテリーに交換したばかりなのに、あの工場のじじい、2日間預けていた間に何しやがった~~っ!!!???」わたしは非常に焦った。なぜなら食料を長期間もたせるために、冷凍食品をたんまり買い込んだのである。すぐに家に帰れないならこれらは全て解凍してしまうではないかっ!?わたし「誰かに助けを求めなよ!」おっと「って、誰に?」わたし「エルトン(ブラジル人)だ、エルトン!」おっと「ぼくの携帯に残高がないよ。君の携帯貸して。」←口座のみならず、携帯までかっ!?エルトンはこのスーパーのすぐそばに住んでいる。わたしが貸した携帯でおっとがエルトンに電話すると、彼はさっそく修理に必要なものを買うようにおっとに指示、おっとがスーパーに入りなおして買っている間にエルトンが駐車場に現れた。この時点、スーパーの駐車場は混み混みだ。エルトン「ぼくのワゴン車はあっちに停めてある。ここだとゆっくり修理が出来ないから、マルちゃんのを移動させよう。」←ちなみにおっとのワゴン車は小さな駐車スペースにぎっちり入り込んでいる。わたし「でも動かないんだよ、どうやって?」エルトン「いくきーとが運転席に乗ってハンドルを切って。ぼくは後ろから押すから。」え~~~~!!!????わたしは運転席に乗り、ハンドルを廻そうとするが、重くて10度ぐらいしか廻せない。顔を真っ赤にして両手で必死に廻すうちに、ちょっとだけハンドルが軽くなって、ワゴン車が動き出した。をを!これはわたしの攻撃レベルが上がった?違)「もっと右にいっぱいハンドルを切れ!」と おっとの声。な~んだ、おっとが来たのか。滑稽な姿だった。大の男が2人で後ろから次々来るクルマのクラクションを浴びながらワゴン車を押し、真っ赤な顔の中国娘が運転している。。。。わたしもすっかりガテン系になったな。涙やっとのことでおっとのワゴン車はエルトンのワゴン車に近づけることが出来て、2つは買ってきた接続チューブみたいなもので合体し、火花を散らせておっとのワゴン車は復活!「ふ~、やれやれ。」ワゴン車の荷台に座り込む3人。エルトン「せっかくうちの近所まで来てるんだし、うちでコーヒーでも飲んでいかない?」うう~~ん。。冷凍食品のことを考えると一刻も早く帰りたかったのだが、たった今世話になったことを考えるとむげに断れず、お邪魔することにした。エルトンが離婚して奥さんが家を出て行ってから約1ヶ月。家に入るとなんというか、哀しい空気が充満していて、胸が苦しくなった。カントリー調の家具に囲まれて、いつも造花ではあるが、花が活けてあったダイニングキッチンに今あるのは 最低限の冷蔵庫と流し台、コンロ。そして、新しいテーブルはなくなっていて、これもどこかからもらってきた古いテーブル、ずいぶんまえにおっとと一緒にもらってきた古びたソファがあるだけ。TVも家具もない。おまけに暖房も点いていなくて、寒くてコートが脱げなかった。エルトン「全部奥さんが持っていった。まあぼくはTVを観ないしね。」ワゴン車の移動で真っ黒に汚れた手を洗うため、洗面所に入るとずいぶん前、彼らがこの家に引っ越してきた当初にわたしが奥さんと一緒に入った雑貨屋で買ったきれいなドライフラワーのデコレーションや甘い香りのボディソープ類ももちろんなくなっていて、まるでガソリンスタンドにあるちょっときれいめな公衆トイレみたいだ。石鹸をさがすがないのでシャワーボックスの中にあったボディソープを手に取ると、ほとんど水ばかりの液が出てきて更に哀しくなった。エルトン「あ、ごめん。タオル出してなかったね。ぼくはいつもバスタオル1本で全て済ましちゃうから。。」わたしを「いいよ、気にしなくて。」と手をブラブラさせて空気乾燥させながら出た。エルトン「つまみもなくてさ。。。」わたしたちは苦笑いをして断り、コーヒーをいただいた。何か楽しい話をして、この暗い雰囲気を盛り上げようとするわたしたち。わたし「あのさ、ステファノとも話してたんだけど、クリスマス前にインターナショナルパーティしようよ。」エルトン「パーティなんかに行く金ないよ。」わたし「うん、うちもないよ(自信たっぷり)。だからね、うちにみんなで一皿づつお国のお皿を持ち寄りってのはどう?」エルトンはいらいらした表情に変わった。「ぼくが出来るって言えば、シュハスコぐらいだ。でも肉を買う金もないんだよ。わかるかい?奥さんが出て行って、家のローンは全部自分の負担だし、去年の夏に奥さんとブラジルに帰省したときのローンもまだ残ってるんだ。奥さんが毛布も持って出て行ったけど、この寒いのに毛布を買うお金もないんだよ。そこに以前自営業をしていたときの(エルトンは某運送会社の正社員)税金がまとめて来ちゃったし。ダメだ、ダメ!!」と少ない髪をかきむしった。わたし「ご。。。。。。ごめん。」このときわたしの中で「わたしたちが世界一貧乏」という自信が崩れ去った。わたしたちを上回る貧乏人がこんなに近くにいたとは。この後急に座がしらけ、エルトンが「そろそろ行ったほうがいいんじゃないの?」と招待しておきながら追い出すような言い方をしたのだが、これに反感も覚えなかった。わたしたちはワゴン車に乗り込み、エンジンをかける。また動かなかったので、エルトンをまた呼び出し、スーパーと同じ動作をしてやっとエンジンがかかって帰途に着く。おっとはうれしそうに「。。。うちって、エルトンから比べたら、超リッチなんじゃない?」わたし「う。。。うん、そうだね。」情けないような、ホッとしたような。。。いや~~~~~~~~~っ、やっぱり情けないっ!!!!!!!!!給料日まであと12日!
2006.11.27
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昨日は午前、半ドンを取った。まずは社会保険事務所(INAIL)に行く。1月の左足の骨折の診察をするためだ。前回夏前に行ったときはまだ治療中で、結構な金額の保険金が降りた。「これで日本に帰れる!」と思っているうちに瞬く間におっとに使い込まれて大喧嘩に発展したのはいうまでもない。今回は。先日も書いたが我が家は経済的に大ピンチである。全てはおっとが無計画にワゴン車を買い、従業員を雇ったおかげなので、わたしはちっとも関係ないのだが、さすがに今月の給料日の3日後から銀行口座に10ユーロしか残っていないとあれば、話は別である。涙おっと「足の具合はどうだ?」わたし「う~ん。。まだ歩くときにちょっと痛いけど、かなり普通だな。」おっと「バカッ!INAILでそんな風に言っちゃダメだ。足を引きずって痛そうに歩くんだ!!」わたし「そんなことしたって、相手はプロだし仮病ってすぐばれるよ。」おっと「そんなことを言ってたら、今回保険金が降りないじゃないか。ダメ元でやってみるんだ。女優になれ!!」わたし「。。。。。。」大汗INAILについてクルマから降りると、いつもはわたしが大荷物を持っていても「持ってよ!」と言わなければさっさと歩いていってしまうようなおっとが、わたしの軽いかばんを自ら持ち、わたしの肩を支える。くさい演技。。。わたしもしぶしぶびっこを引いてみた。そうして待合室に入ると、入り口のすぐそばに座っていた、腕を骨折したおじさんが席を譲ってくれる。いやだよ~、こんな嘘っこで他人の善意をあざむきたくないよ!!わたしは恥辱で真っ赤になってうつむいて座っているとすぐに医務室に呼ばれた。若い女医はてきぱきとわたしの診療ファイルを見て、わたしを診察台に寝かせ、太ももとふくらはぎのサイズを測り、両足を曲げる。やはりちょっと痛みは走るのだが、そこをわざと「いたたたたた。。。」ともっと痛そうに顔をしかめてみせる。女医「はい、今度は歩いてみて。」わざとよろよろと歩くわたし。女医「はい、今度はゆっくり屈伸して。」わざと左足を苦痛そうに曲げるわたし。女医はにっこり笑って「はい、何の問題もありません。診察の結果は1ヵ月半後にレターでお知らせします。看護婦室で会社への遅滞届けを書いてもらって帰ってね。」とドアを開けた。がく。うう~ん、演技不足だったか。_| ̄|○おっとはひそひそ声で「ここでもっと哀れな顔をしてリハビリの方法を聞け!」わたし「え~と、えと、まだ結構痛いんですけどぉ、どんなリハビリをすれば?」女医「え?ああ。そうね、水泳が足に付加をかけないからいいわよ。でも平泳ぎはタブー。足に負担がかかるから。」わたしたちはINAILを出た。おっとは何も言わなかったが「ち、今回は保険金がすぐ降りないかぁ。」と心の声が聞こえたような気がして、情けなくなった。******そして、このあとすぐに、超久しぶりだが、INAILと同じ市内にあるモンツァの裁判所へ出廷(?)だ。先週金曜日に久しぶりに弁護士からメールでお知らせがあった。4月に彼らのところに行ったときには「家に雨漏りがするなんて緊急のことですから9月までには解決できるように持って行きましょう。」という内容を言われてそれを信じて9月が過ぎ、11月になった。とりあえずおっとが勝手に屋根を修理したおかげで雨が家の中に入らなくなったせいか、最近はもう考えたくなくなって放置していたのだ。「家の検分結果を9月中に出す、と裁判所が決めたにもかかわらず、裁判所指定のペリートはまだあなたたちの書類を提出していないことが判明しました。もう2ヶ月も過ぎているのにこれは異常です。覚えていらっしゃいますか、彼が不動産屋と影で手を組んでいるようだと言ったのを?我々はこの遅滞を理由にペリートの交代を求める書類を裁判所に出したところ、裁判所からこの件についての事情聴取に来るように通達が出ました。月曜日なので、ご無理は言いませんが、被害者自ら出廷されることが望ましく、うんぬんかんぬん。。。」なんだかよくわからないけれども、この朝はとにかくINAILという用事もあったし、ということで前回同様 、弁護士とジオメトラ(建築鑑定士)に付き添われて出廷することとなった。メンツは前回同様。やはり不動産屋は出廷せず、彼らの弁護士だけの登場となる。しかし前回の強面のジオメトラはいなかった。部屋に入るとさっそく前回と同じ爺ちゃん、いや裁判長は「今回はジオメトラはいらないよ、出て出て。」と我々のジオメトラも退出させられる。さて、全員で席に着いた。さっそく裁判長が口を開き「今まで書類が未提出なのはどういうことかね?」とペリートにふる。ペリート「9月の書類を書き終わり、提出しようとしたところマルちゃんから電話があって屋根の雨の被害がひどくなって、2階に溜まった雨水が床を通して隣の家の1階の壁に流れ込んだ、って電話があったんで検証に行って、それをまた書き加えていたところでさぁ。」→言葉使いが前回に比べてずいぶん汚くなっている。裁判長「しかしそれは10月はじめのことだろう。9月締め切りの書類は書き終えていなければならないはずだし、そんな追加事項に1ヶ月以上もかかるのかね?」ペリート「ちょっと、ちょっと、それはだねえ。。。」と裁判長の言葉をさえぎって一人であたふたと専門用語を使いまくって口から泡を飛ばしている。こうなると、わたしは何を言っているのかだんだんわからなくなってきたのだが、言い訳をしていることだけは充分にわかった。裁判長「しかし憲法(?)◎◎条においては。。」ペリートはそれにかぶせるように「だから、云々カンヌん。。」裁判長「ちょっと人の話を聞いて。。」しかしペリートはまだ中腰になって裁判長に向かって泡を飛ばしている。裁判長は机をドンッとこぶしで叩いた。「いい加減にしなさい!わたしが質問していることに答えろっ!」ペリートは驚いたようにイスに座りなおしてふんぞり返った。それを見てやっと鈍感なわたしも、このペリートの悪質さを理解したのだった。そこから裁判長は短い言葉をゆっくりと言って、そばについている秘書にPCで書類を打たせる。途中ペリートに2~3、質問を投げかけるが、奴はあざ笑うかのように横柄に答えるのだ。怒裁判長「それではペリート、この被害者の家の検分の書類を明日までに提出のこと。以上、閉廷。」我々は裁判長とひとりひとり挨拶を交わして部屋を出た。ペリートだけはぶっちょう面で無言で大股で歩き去った。部屋を出たところで我々のジオメトラが座っていて、立ち上がって近づいてきた。ジオメトラ「どうだった、奴はこの件から追い出されたかい?」おっと「いえ、明日の奴が提出する書類しだいみたいです。」ジオメトラ「そうか。。。実はここで君たちを待っている間に小耳に挟んだんだけど、こんな事件が明らかになって呼び出されたのは奴にとって2度目らしいんだよ。こうやって、裁判を延ばすと、被害者が弱ってくる。そうやって被害者を弱らせて降参させるように不動産屋に金で頼まれているようだし、たとえ被害者がねばって裁判を続けても、何回も検分に行く自分の懐にお金が入ってくるから、それはそれでどちらに転んでも奴が得するように仕組んでるようなんだ。でも、こうやって2度も呼ばれて裁判所内で悪評が広まると、そんなことも出来なくなるからね。奴め、次に何かやらかしたらもう後がないけど、どうするだろうねえ?まあ、幸運を祈ろう。」わたしはすごくこわくなってきた。すごいマフィア野朗たちのくもの巣にまんまとひっかかった蛾の気分だ。でもそうやって考えると、やっぱりレダおばさんが紹介してきたいかにもマフィア仲間の地元の弁護士じゃなくて、まったく蚊帳の外のミラノの弁護士に依頼したのは正解だったか?ペリートはめちゃくちゃ怒っていたから、我々の書類をいったいどんな風に書くかわからない。それで、我々の家の修理の運命が決まるというのに。。。***********気が重いまま、この後、わたしはおっとに連れられて、おっとの銀行融資のお願いに、有無もなく連帯保証人として同行させられたのだった。そりゃあ、給料日直後から口座内に10ユーロぽっちでは有無がいえない。今までおっとはいろんなヤギ友達に借金をお願いしては翌月付の小切手で返金し。。を繰り返していたが、とうとうそんな親切なヤギ友達もつきた。わたしの愛想もついてついて、つきまくっている。というわけで、わたしは銀行に向かうクルマの中、ずっと思いつめてきた銀行口座を別ける話を切り出した。(というか、何度も切り出しているので、細切れ状態もいいところである。)来月からはステファノの収入も定期的に入ってくるはずだから、本当にうまく行くならわたしの介添えがなくても大丈夫なはずだ。おっと「ぼくもウイリアムや、他のひとに相談してね、それがいいんじゃないかと思って、今日話すつもりでいたんだ。」ホントかよ、今までわたしがいくら言っても聞かない、というか出来なかったくせに。おっとはだんだん目をうるませてきて「。。。ごめんね、君に苦しい思いばかりさせて。もうすぐ楽になるから。」??それはどういうことだ?眠っている間にわたしの寝首でも掻くつもりか?!謝るぐらいなら、最初から計画性を持って動けってんだ、このヤギめ!!わたしは銀行ですっかり顔なじみになったフォンターナ氏の前ですでにある銀行融資の増額の連帯責任者の欄にサインした。わたし「。。。これは我が夫が事情はともかく支払いが出来なくなった場合、わたしが責任を取る、という署名ですよね?」わかっているのについ意地悪くこんな言葉が出てしまった。おっと「。。もう、何言ってるの。」フォンターナ氏「あ、それは前提の上で、これは銀行融資の書類作成上のサインです。」フォンターナ氏はこの後、「できるかどうかは近日中にお知らせします。」と全ての書類をまとめてファイルに入れた。わたしたちが更に重い気持ちで銀行を出た。ああ、ダメだったらおっと、イヤ、わたしたち、この1ヶ月どうやって生きていくよ?ちょっとすると待っていたかのようにステファノから電話があった。「あの~、今月の給料は。。。?」おっと「60日後から発生するって言っただろ。来月からだよ。」ステファノ「え~!!てっきり今月からだと思ってたよ?どうしよう、給料入らないと、家賃も養育費も払えないんだけど?前借りさせてよ。」OOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!で き る かぁ ~~~~~~~~っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!爆死。つ。。。。次の給料日まで、え~っとあと19日!
2006.11.21
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最近、同僚のシルビアが新しい犬を飼い始めた。「ジャダ」と名づけられたその犬はきれいな白黒のまだら模様のセッターだ。イタリアの田舎は、っつーかうちの前の道も、秋になると狩猟が解禁になって、毎週末「日曜にわか猟師」が猟犬たちを連れて横切る。彼らの猟犬のほとんどは、たいてい昔の肖像画なんかにも描かれているセッターである。シルビアのジャダもそんな中でも毛並みの美しい人なつっこい犬なのだが、可哀相に片目がつぶれている。猟のときに間違えて銃で撃たれたのだ。そんなわけで猟犬として使い物にならなくなったジャダが高速道路脇につながれて捨てられていたのを、動物保護団体のひとが見つけて「CANILE(カニーレ)」という施設に送られた。カニーレは、日本の保健所のようなところだけれども、ここでは引き取り手のない犬を殺すことはないようだ。ここで一生を終る犬もいるらしい。シルビアは以前から動物保護団体のボランティアをしていて、彼女の家には常に2~3匹の犬がいるけれどもみんなカニーレから貰い受けた犬である。なので、奥さんがペットショップを経営しているマッシモが、ときどき社内で新しい仔猫や子犬を入荷した、と宣伝するといつも「売るから、買うから、動物を捨てる人間が跡を絶たないんだ!」と小喧嘩に発展するのである。汗そういうわけで、実はこの間から無性に動物を飼いたいわたしはおおっぴらにマッシモにその旨でお願いする勇気がなく、シルビアに「子犬か仔猫を飼いたいんだけど。。。カニーレってそんな子供もいるの?」と聞いてみた。シルビア「常時じゃないみたいだけど、結構いるよ。これで探すといいよ。」と何軒かのサイトを教えてくれたのである。(イタリア長期在住で動物を飼いたい人はここで可哀相な子達を救ってやってください!!)http://milano.kijiji.it/f-Animali-In-regalo-W0QQCatIdZ901 http://www.enpanet.it/cercatrova/http://www.enpamonza.it/さっそくひとつのサイトのページを開けると1800件以上の犬や猫の写真つきの掲示があって驚いた。犬が100匹のうち猫が1匹の割合で圧倒的に犬が多い。子犬も結構多かった。しかしそのほとんどが、シェパードや、サモエド犬の雑種などの大型犬だ。うちは共働きだから手間のかかる犬より、家の中で勝手気ままにしてくれる猫のほうがいいな。と探しつつもほとんどそんな掲示がないので自然に犬の掲示を開けてどんなものか読むようになった。「ディエゴ。約5歳。ラブラドールの雑種。高速道路のそばでひどい咳をして倒れているのをわたしたち(動物保護団体)が発見し、すぐに獣医に連れて行って一命を取り留めました。10日間の点滴の後、なんとか元気になりましたが、彼はカニーレの寒さには耐えれません、このままでは死んでしまうでしょう。暖かい室内で飼ってあげられる飼い主を至急募集!」「アンナ 約13歳。ヨーキー。飼い主の虐待の末、カニーレに来ました。おとなしくて人なつっこいおばあちゃん犬です。眠ってばかりいますから手間がかかりません。お願いですから彼女の犬生を虐待の末、カニーレで終らせないで!」わたしは目をうるませて「ううううう、可哀相に。全部引き取りたい。。。。」シルビア「いちいち真剣に読んでたらダメだよ。カニ-レも収容場所がないから一匹でも早く減らしたいために、同情を引く文を強調して書いてるんだから。写真を見て本当に気に入ったものだけちゃんと読むようにしないと。」な、なるほど。わたしは日本ではずっと犬飼いだったので、犬なら大人の犬からでも飼えそうだけど、未経験の猫にはやっぱりしつけやすい仔猫が欲しい。そういったわけで猫だけ集中的に探し始めたのだが、なかなかいない。数日も経つとすっかり猫を飼う心の準備だけは整ったわたしは焦ってきた。「全然猫が見つからないよ。」とあちこちでこぼしているとプログラマーのロンギが「猫ならうちのばあちゃんちに14匹もいるよ。そのうち3匹はこの夏に生まれたばかりだから興味があるなら写真持って来てやるよ。」とさっそく次の日写真を見せてくれたのだ。3匹全部がまだら模様でグレーX白、赤茶X白 ベージュX白。か、かわいい、全部欲しい!わたし「これ全部予防接種とマイクロチップ登録は済んでるの?」ロンギ「まさか!全部田舎の庭に放し飼いの半野良猫状態だから、そんなものないよ。」うう~ん。マッシモに聞いてみることにした。マッシモ「それ全部個人でやったら、100ユーロはするよ。それだったらうちの店の仔猫、予防接種とマイクロチップ登録済み、ごはんのおわんと1回分の餌つきで50ユーロ、を40ユーロに負けてやるからそれにしなよ。」た、確かに。店で買ったほうが安い。でも買ってしまうとシルビアに悪いなあ、というかやっぱり不幸な猫を救ったほうが世界平和にちょっとでも協力することになるし。改めて検索範囲を広げてネットで探しているとなんと、家の近所に「CANILE(カニーレ)」ではなく「GATTILE(ガッティーレ。猫のカニーレのようなもの)」をみつけて小躍りした。掲示を見れば、仔猫であふれている!しかも全部予防接種とマイクロチップ登録済みだ。わたしはうれしくなってさっそくそのガッティーレに電話でコンタクトを取ると週1回の一般公開日を教えてくれた。くしくもその次の日の夕方だったのだ。今夜おっとに許可をとって、明日見に行ったらちょうどいいな。。。と思った。帰宅しておっとに話すと、おっとは「え~、ぼくは犬のほうがいいのに。」といいながらも「やっぱり明日は行く前にキャリーBOXを買っていかなきゃいけないかな?それとも下見だけにしとく?」と乗り気である。次の日わたしは意気揚々と出勤した。夕方になるのが楽しみでしかたがなかった。昼休み。新人のジャンピエロの奥さんが会社まで来たのではじめて一緒にマッシモとアンナとで近所のバールで昼ごはんを食べた。出産まであと2週間を切った奥さんは、ジャンピエロ同様、はきはきとして楽しいひとだった。ちなみに彼らはペルシャ猫を飼っているので、わたしは猫を飼っている感想を奥さんに聞いてみたのだ。すると奥さん、目じりがだらんと下がって「猫ちゃんはねえ、いいわよお。わたしたちは彼女なしの人生は考えられないわ。」と猫自慢話がとまらなくなった。わたしも、そうかそうか、やっぱり猫を飼うって素敵なんだなあ。とウンウンうなづきながら熱心に聞く。そこに黙って聞いていたマッシモが水を差した。「その猫、妊娠する前から飼ってたんでしょ?その~。。こわくなかった?」え?奥さん「いやねえ、あんなウイルスのリスクなんてほんっとに低いのよ。妊娠初期も猫のトイレ掃除とか自分でしていたけど、大丈夫だったわ。ちゃんとその後に手を洗えばいいのよ。」??マッシモ「まあ、今が無事出産間近ってことでいいんだけどさ。でもうちの奥さんは妊娠中は店に猫を仕入れるの、やめてたしね。」???何を話してるんだろう、この2人。。。疑問が残ったまま、話題は変わり、やがて昼休みが終って奥さんは帰っていった。ジャンピエロはお腹の大きい奥さんを駅まで見送りに行った。わたし「あのさ、さっき奥さんとなんの話してたの?」マッシモ「猫が持ってるトキソプラズマ菌のことだよ。妊娠初期に感染すると流産したり、障害児が生まれる確率が高くなるんだ。知らなかったの?」OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO????知らなかったよ~~~~~~~~~~~~!っつ~か、マッシモ、わたしが「不育症」治療しているのを知ってるくせになんで言ってくれなかったんだろう!?この話題が一日遅れてたら、わたしは2回も流産してるのに、さらにハイリスクな猫飼いになってたかもしれなかったよ!?わたしは日本語のサイトに行ってさらにトキソプラズマ菌について調べてみる。どのページを見ても、猫を飼うことで感染率が高くなる、猫なんて飼うのはやめとけ、と書いてあるのだ。そんなリスクを承知で無理に飼って、また流産したら、たとえ猫が原因ではなくても、自然、矛先は猫に向けてしまうだろう。そんなのイヤだ。この午後、わたしの猫欲しい度が120%から0,0001%に下降した。涙その日の夕方。我が田舎駅に着くと、おっとがワクワクしながら待っていた。事情を話しているうちに、おっとがだんだん猫に見えてきて、ひげがだらんと下がっていくのがわかる。おっと「。。。。。い」わたし「え?」おっと「。。。犬ならいいんだよね?」わたし「犬がこの菌を持っている場合もあるって書いてあった。」おっと「。。。。。。そうか。」こうしてわたしたちの動物飼いの話は不完全燃焼な形で終ったのだが。。。。シルビアにもらったサイトをついつい毎日見る癖がついてしまった。フェレットなら、ハムスターなら、うさぎなら大丈夫だろうか?としつこくリターンマッチを考えているこのごろである。なんか飼いたいなあ。やっぱ犬。。。。
2006.11.16
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最近なにかと出会いが多い。楽天やミクシのお友達にも会ったし、小さな出会いといえば、今朝は同僚の旦那さんに中央駅前の信号のところでばったり出くわした。昨日も同じ信号で待っていると 前の道のトラムの線路を防護マスクをつけて座り込み、火花を散らして工事している男がいて、興味深く火花を見ていると、信号が青になる。渡ろうとすると、この男が防護マスクをとった。とたんマスクの下から金色の巻き毛の髪が乱れ落ち、彼はそれをかきあげながら、どこまでも透き通る緑の目でにっこりとわたしを見上げたのだった。ごっつーっ、ええ男やっ!!!!わたしは目じりをだらりと下げ、彼にすれ違いながら微笑み返す。ゴンッ!!そしてわたしは道路の向こう側の信号の柱に激突したのだった。(実話)しかし。出会いもあれば別れも多い。今日、この日記をUPするころにはコックさんはシベリアの上空だろうか?今朝、コックさんは1年のイタリア生活を終えて日本に帰国した。彼は最後の1ヶ月はミラノでゆっくりするつもりだったのが、急遽、知り合いのマルケ州のレストランに呼び出されて、我が家から先日バタバタと荷物を引き上げてぎりぎりまで忙しく働いていたのだ。昨夜はお別れを言うためにおっとと2人で電話をしたのだが、電話をかける前まではいろいろ言葉を用意していたのに、いざ彼の声を聞くと、言葉が詰まって「気をつけてね、さよなら。」ぐらいしか言えなかった。おっとはお得意の祝辞のような言葉を並べ立てていたというのに。今までこちらでいろいろな日本人を見てきたけれど、彼のように濃い1年を送った人もそういないだろう。最初のホテルの面接のときは「おそろしいほどずうずうしい奴だなあ。」と思ったけれど、今考えてみれば、このイタリアではそんな大胆な奴のほうが生き抜いていけるのだ。「終りよければ全てよし。」は、彼のようなひとに当てはまる言葉だ。彼はホテルで数ヶ月働いた後、主にサルデーニャとマルケのレストランで働いたが、その間にイタリア全国のレストランを食べ歩きし、例えばリグーリアで気に入ったレストランを見つけると、厨房に入って1週間ぐらいただ働きしてそこの味を勉強したり。彼には家族がいるが、日本に期限付きで置いてきたのは正解だったと思う。わたしもおっとがいなければ、そんな大胆な冒険をやってみたいものだ。彼の風貌も、イタリアに到着した当時は色が青白くてストレス太りした、ちょっとくたびれたおっさんだったのが、今は色が浅黒い、しまった体つきの南イタリア人のように変わった。最初は他人にばかり頼っていたのに、今はなんでも一人でやっているようだし、たった1年でも過ごし方しだいでこんなに変われるものだ。彼はこの調子ならきっと日本で大成功するとわたしは思うのである。*****ところで日曜日はまったく久しぶりにウイリアムの、正確に言うとウイリアムの弟アンドレスの家に行ってきた。というのも、彼の娘の3歳のお誕生日会に招待されたのだ。わたしは彼らの住む、マルペンサ国際空港近くの南米人密集地にクルマで行く道々3年以上前のことを思い出していた。この弟はその当時の20歳近く年上のイタリア人の彼女を妊娠させて、その責任を取りたくないために逃げ出し、雲隠れの間に、今の歳のそんなに違わないエクアドル人の奥さんと知り合って、性懲りもなくすぐに孕ませたのである。この種馬野朗、どうするつもりだ?と観察していると、イタリア人の彼女は泣く泣く雲隠れされた状態で中絶し、彼はまるで何事もなかったかのようにもうひとりの彼女の妊娠を喜んで受け入れたのであった。その頃、まだヤギの行動を充分に把握していなかったわたしは(今も把握できてないが)、こいつとこいつを擁護する家族の態度に頭を混乱させていたのだが。。。あれから3年。浮き足立っていた種馬アンドレスも、少女のように軽かった奥さんも落ち着いていっぱしの娘の親に成長した。彼らが7月に買ったばかりの田舎の果ての家は、我が納屋よりもさらにおんぼろな納屋の一角だ。しかし、我が家のときと同様、リフォームした状態で買ったので、彼らのきれいな一角だけがおんぼろな中、妙に浮いている。家は2階立ての田舎つくりで、可愛い。中に入ると色とりどりの紙テープのデコレーションがされていて、13時開始で13:30にわたしたちが到着したというのに、まだ誰も招待客がいなかった。汗15時も過ぎる頃、やっとぞくぞくと近所の同い年ぐらいの子供を持った、ウイリアム一族の家族たちが20人ほど集まった。大人は座ってサルサが大ボリュームで響く中、スペイン語で大声で会話をし、子供は子供で走り回っている。わたしはスペイン語の会話にいつものごとく、入れないので子供の相手だ。おもしろいのはわたしを除くほかの人々は全員エクアドル人であるのに、子供たちは全員イタリア語で会話をし、サルサがかかっていてもジェノバのおっとの姪っ子たちのように踊らない。すでにイタリア人と化している。わたしはそんな子供たちに囲まれて、たちまちのうちにマジックペンと、ケーキくずにまみれた。洗濯したばかりの白いパンツなんて、なんで履いていったんだろう?涙そんなにぎやかな中、一人孤独にちびちびとビールを飲んでいる男、ウイリアムがいた。ウイリアムの婚約者は現在イタリアにいない。なぜなら、妊娠して、子供をアメリカで産むべくロサンゼルス在住の彼女のお母さんのところに数ヶ月前から行ってしまったのだ。哀しいかな、エクアドルの国籍というのは、一歩エクアドルを出ると、まるで紙くず同然の価値で、どこの国に入国するのも困難である。そのため、彼らの多くは自分の子供に他国籍を持たせたがるのだ。ウイリアムの場合は、彼はイタリアの永久滞在許可証を今年手に入れたので、そのうちイタリア国籍も取得し、子供にはアメリカの国籍を持たせて将来どこの世界でも生きやすくするのが目的で、奥さんを送り出した。が。そんなウイリアムにちょっと変化が起きた。アメリカに行ってしまった奥さんが、あちらのほうが暮らしやすくて、もうイタリアに帰って来たくないらしい。それは激しく同意する。わたしもおっとさえいなければ、こんなイタリアもうごめんだ。イタリアは人種差別が激しくて、どんなに優秀な人材であっても、イタリア人ではない、ということだけで出世がはばまれるケースがほとんどだ。だから、自営業をする外国人が多いわけだが。それに毎年どんどん厳しくなる外国人の締め出しにも閉口する。理由は不法移民や難民を減少させるためなのだが、そういうものは、入国の取締りを厳しくするとか役人の働きを活発にさせるだけでも減ると思うのだが。話を戻せば、ウイリアムはアメリカに移住するかどうか悩んでいるのである。わたし「英語話せるの?向こうに行って仕事どうするのよ?」ウイリアム「LOSはメキシコ人が多いから英語が喋れなくても仕事はあるらしい。」わたし「あんたの一家はどうするの?みんなで移住するの?」ウイリアム「いや。。。もうみんなそれぞれ家族を持って、独立してきてるし。行くならオレだけだ。だがな、仕事がな。。。」そうなのだ。彼はこの日記では語れないほどの苦労をして事業を大きくし、この大一家に仕事を廻し、切り盛りしているボスなのだ。彼が抜けるなら跡目は必然的に種馬弟アンドレスが継ぐ、という形になるだろうが、他人のわたしが見ても彼にその器はない。それで彼は憂えているのである。首領の悩みだ。しかし、状況はかなりアメリカ移住へと傾いているらしい。そうか、おっとをイタリアに連れて来た張本人、つまりおっとをわたしと出会わせてしまった極悪人も行ってしまうのか。。。。おっと「ぼくたちもイタリアを捨てて、日本に行こう!そして君が働いてぼくが主夫をするの。」。。。。。。こんなときに、シャレにならない冗談を言うのはやめて欲しい。涙*****そして昨日。夕方、わたしを駅に迎えに来たおっとは目に涙を溜めていた。わたしはびっくりして「どうしたの!?」と聞く。おっと「さっきローランド(ジェノバのおっとのいとこ兄弟の弟)から電話があった。何だと思う?」わたし「え~と、ミッシェルちゃんが、事故した?あ、それとも奥さんのローリーがおめでたで妬いてる。と。か?」おっと「あのね、12月に3日間、うちに泊めて欲しいって。」わたしはちょっとホッとした。実は以前にも同じようなお願いがあって、それは3日間ではなく期限なし、つまりミラノで働くために家をシェアさせてほしい、ということだったのだ。以前の同居人コックさんとはうまくいっていたけれど、彼は一人だったし、日本人でおとなしかったので問題はなかったが、あのおそろしい子悪魔ミッシェルちゃんと一緒に生活するのは到底ゴメンである。わたしは鬼嫁と化して、断固反対したのであった。わたし「どういうこと?たった3日なんて。」おっと「もうイタリアがイヤだから、永久帰国することにしたんだって!だから出発日前にぼくたちと過ごしたいって。。」わたし「え~!!??」彼らもか~!!??彼らは兄に「そのうち滞在許可証も取れるから移住して来いよ。」と薦められて前回のサナトリア(不法滞在外国人労働者に一時期のみ滞在許可証を出す時期があった)が終ったばかりのときにイタリアに来たのだ。もちろんそんな時期は、サナトリアが終ったとたんにそれに漏れた不法滞在外国人の締め出しが厳しくなったときで、彼ら(特に奥さん)は毎日泣いて暮らしていた。やっと1年ほど前から落ち着いて、仕事も見つけて順調に行っていたけれど、やはり不法滞在外国人は不法滞在外国人。さぞや、住みづらかったのだろう。わたし「辛かったんだね。。。」おっと「ううん、そうでもなかったみたいだよ。ある程度のまとまったお金をこの2~3年で貯めれたから、喜んでるみたい。だから、喜んで見送ってあげないと。」そ、そうなのか。こういうところ、ヤギってポジテイブだからいいな。うらやましいぞ。おっと「でもね、でもね。。こうやって、どんどんぼくの周りから誰もいなくなっちゃうんだなあって、ガッカリしてたんだ。」わたし「。。。まあ、時が経って状況が変化するのは誰にも止められないから。」おっとは目をキラキラさせて立ち上がった。おっと「ぼくたちもイタリアを捨てて、日本に行こう!そして君が働いてぼくが主夫をするの。」。。。。。。だから。こんなときに、シャレにならない冗談を言うのはやめて欲しい。涙
2006.11.14
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わたしは久しぶりにおっとでも不動産屋でもルイジでもない、他人に腹を立てている。さっき、ネット上で宣戦布告をしてきた相手にだ。というのも昨日、わたしが登録している、とあるイタリア在住の日本人のコミュニテイに彼がミラノにて「日伊昼食会」というイベントを立ち上げたのを見たことから始まる。「へえ、楽しそうだな。」となんとなく彼のページを覗いて彼が日本語を勉強しているイタリア人の学生であることを知った。この知らないイタリア人の若者、かなり日本語が出来る。わたしはイタリア語がきっと彼の日本語の半分のレベルも出来ないぐらい達筆である。そういえば、最近まわりに片言でも正しい日本語を言えるイタリア人が増えてきた。そんな彼らに「どうして日本語が喋れるの?」と聞くとたいがいは「日本のアニメやマンガをオリジナルの言語で理解したいから。」という言葉が返ってくる。きっと彼もそういう若者の中から、さらに突き進んで勉強をしたひとりに違いない。まあそれはともかくそれっきり、わたしはそのコミュをとじて仕事に戻った。昼休みに、またそのコミュのあるサイトに行くと、わたしの個人宛に彼からメッセージが来ていた。開くとたった一行、そのイベントのアドレスがペーストされているだけ。足跡たどってきたのかな?まあ、日本人じゃないからだとは思うけど、挨拶の言葉もなしにダイレクトな宣伝だな。と心の中で苦笑いして返信を出した。「わたしは社会人で昼間は仕事があるので行けません。土日も遠いので行けるかどうかわかりません。ミラノ在住の留学生の方に聞かれたほうがいいと思います。」そうするとすぐに彼から返信が来た。「日曜日。サンバビラ(ミラノの中心街)で待ち合わせて◎◎◎という日本レストランに歩いていく☆」あはは。ここまで熱心だと行かなくては悪い気がしてきた。わたしは彼のイベントのページのコメント欄に「遠いので行けるかどうかわかりませんが、他の国の外国人を同行してもいいですか?」とおっとの参加許可を求めるコメントを出したのだ。「駄目です これは日伊昼食会ので 外人なんか要らないんです」なんじゃこりゃ?彼は「外人なんか」という言葉をどれぐらい理解して使ってるんだろう?わたしもときどき日記の中におっとの友達を「荒くれ系ガイジン」とか、自分のことを自嘲して「ガイジンの姉ちゃん」とか使うけど、この場合の「外人なんか」は適当じゃない気がする。「外人」と「外国人」の区別がつかないんだろうか??わたしは少々ムッとしながら「旦那が『外国人』なので、残念ですが同行できないなら行きません。」と少し嫌味をこめてイベント欄にコメントを出した。それと共に余計なおせっかいで彼の私書箱に「『外人』は差別用語なので使わないほうがいいと思います。」と出した。するとまたすぐにイベント欄には「残念ですけど外人禁止です。」とご丁寧な返事があり、わたしの私書箱にも「『外人』というのは差別用語で使いたかったから使っただけ それじゃ、さようなら」とメッセージが入っていたのだ!やっぱりわかってて使ってやがったっ!!この小僧~~~~~っ!!!!!!なんだかこのままじゃ、表のイベント欄でわたしがやられっぱなしな気がして大人気なくこう書いた。「わかりました。 どうでもいいですけど「外人」という言葉を差別用語とわかっていて、連発するのはやめてください。 気を悪くするのはわたしだけではないはずです。 このコミュは右左寄りのコミュではないとおもいますが。」この後、わたしは猛烈に腹を立てて彼の返事を待っていた。腹が立つ、腹が立つ。彼の中で世界の国籍に対して、どのようなボーダーラインが引かれているんだろう?彼のお気に入りコミュを覗くと、同じ日本好きでも過激なものが多い。イタリア人と日本人が世界を征服する支配者だとでも思っているのだろうか?なんか第2次世界大戦時みたいだ。あのとき日本とドイツとイタリアは世界征服者(歴史に詳しくないから違うかもしれないけど)を夢見てたと思う。でも敗戦寸前、アメリカに翻ったのはイタリアだ。あ、何を書きたいのかわからなくなってきた。やがて返事が来た。「じゃあ、終わりにしましょう。」この頃にはわたしの中の熱もちょっと冷めてくすぶりかけていたのでというか、こんな外国人の若造相手に「外人」という言葉ひとつでカッカするのも馬鹿らしくなってきて、「お互いの表のコメントを削除して終わりにしましょう。」と、この喧嘩は一応のところ、幕を閉じたのだった。そういえば、この若造のような独特のボーダーラインを持つイタリア人の友達が昔いて、わたしから一方的に縁を切った。そのころはまだ、おっととも付き合ってなかったので、きっと彼の中じゃ なんでわたしがよそよそしくなって、つきあいをしなくなったのか理解できなかっただろうけど、頭の固いわたしは、そうやってあからさまな言葉をまったく赤の他人の知らない外国人に使う友達がだんだん許せなくなっていた。←そんな気持ちが知らず知らずにイタリア国内にて、あえてイタリア人以外のおっとを持つ、という行動で現れたのだろうか?しかし。そういうわたしも、差別はダメだ、と思いながらもやっぱり差別的な行動をとることが多い。でも、それはそのひとを至近距離で見て、出来るならコミュニケーションをして、自分で判断してからのことで、やっぱり「ヤギ」は「ヤギ」という固定観念も最近自分の中だけで成立してきたものであり、誰にも強制してはいない。イタリア人じゃないから、日本人じゃないから、ってことじゃない。固定観念で判断するな、見た目で判断するな。これが最近のわたしの自戒である。別にいいんだ、日伊だけの楽しいお食事会、なんぼでもしてちょ~だい。ただ、どこの国のひとにしろ、自分から誘うだけ誘っておいて、こんな悪意のこもった返事はないと思う。自分がイベントの主催者なら、参加の意思を示す人(ほとんどごり押し的だったけど)にこんな対応をしていたんじゃ、社会人はやっていけないぞ。若気の至りだとは理解するけども。それに、日本を本当に好きならば「最低限の礼儀」をわきまえろ!!あああああ、なに熱くなってるんだ。こんな小僧っ子相手に。。。。。_| ̄|○PS.昨夜夢を見た。小学校のときの同じクラスだった女の子が泣いている。「どうしたの?」と聞くと彼女は涙でグショグショの顔をあげて「藤◎くんに『ガイジン』っていじめられた。」と言った。そういえば思い出した。彼女は旧チェコスロバキアからの帰国子女だった。わたしは彼女の家が、見たこともない欧州の調度品に囲まれているので、お邪魔するのが大好きだったけど、藤◎くんときたらクラスでは彼女は日本人なのに『ガイジン!ガイジン!』と髪を引っ張るわ、蹴るは、えげつないいじめ方をしていたのだ。彼女の泣いている姿でさらにだぶったのは、大阪の私立のお嬢さん高校に通っていたとき、一緒に電車に乗って帰宅途中の友達が突然泣き出したことだった。このときもびっくりして「どうしたの?」と聞くと「◎谷さんたち(いじめっこグループ)に『ガイジン』みたいな顔して気持ち悪いっていじめられた。」ときれいな長いまつげの下からポロポロ涙をこぼしたのを覚えている。彼女も100パーセント日本人だったけど色が白くて、目が大きくて、きれいな顔をしていて、でも気が弱かったものだから、きっとジェラシーでいじめにあったんだと思う。だからたかが「ガイジン」の一言だけど、わたしにはやっぱり「『ガイジン』=仲間はずれのひと=いじめ」みたいで許せない。わたしが日本にいた頃には外国人とふれあう機会はなかったのだけど、これが本当に日本在住の外国人だったら、日系人だったら(彼らは日本生まれの日本人よりも自分が日本人である、という意識が強いひとたちなのだ)、きっともっともっとイヤな思いをしてるひとが多いと思う。そういえば、わたしが高校ぐらいのときに使い捨てカメラが登場してまたたくまに市場に普及した。その当時、そのカメラのことは「バ◎チョ◎カメラ」と言われてて、わたしもなにも考えなく使ってたけど、あるとき在日韓国人の女の子と出会って、その言葉に含まれるえげつない意味を知った。(他にも意味合いがあって、断定は出来ないとのご指摘がありました。スミマセン)日本って、たぶん他の外国よりも言葉あそびや、言葉での表現方法が豊富な国だ。だから言葉は薬にも武器にもなる。失礼な言葉たちが知らないで使われるのも気分が悪いが、知ってて使われるのはまったくもって哀しい。こんな「ガイジン」の小僧っ子はともかくとして、せめてわたしはそんな言葉を相手に対して使わない、使わなくてもそんな意味合いの別の言葉を相手に感じさせない日本人として生きたい。
2006.11.07
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昨日はピエモンテから楽天のお友達Katia66さんが我が家に来てくれた。彼女は旦那さんと2人で大のヘビメタファンで、昨日も夜からのミラノでのヘビメタのAMON AMARTHのコンサートに行く前に寄ってくれたのだ。わたしは旦那さんを見たことも、もちろんKatia66さんもまだ見たことがなくて、会うまでに想像を膨らましまくっていた。旦那さんは腕にタトウが彫ってあって、背中に墓場の彫り物をすることが現在の目標って言ってたっけ。ピエモンテといえば、山の幸食道楽だから、旦那さんはきっと山のようにでかくて赤ら顔で、でもヘビメタだから(ヘビメタって全然知らないけど)、きっとムキムキで腕と背中はホラーな彫り物でいっぱいで。。。。奥さんのKatia66さんはきっとたくましい女性なのだろう。3歳の息子くんはきっともうタテガミが頭部に突っ立ってるに違いない。数日前に我が家への来かたを説明するために電話する。シャキシャキとしたKatia66さんの声の向こうで旦那さんと息子君が吠えていた。ああ、やっぱり。すごいな~。こわいもの(?)見たさでワクワクした。そして約束の昨日。さすがに日本人のカップルは時間に正確。というよりも30分も前にしかも道に迷うことなく(我が住所の通りはまっすぐではなくロの字になっていて、最初は誰もが絶対迷うのだ!)Katia66さんカップルは到着した。クルマはよく彼女の日記に登場する旧型のチンクエチェントかと思いきや、真っ赤なアルファロメオの新車だった。かっこえ~。そして助手席から出てきたのは、すらりとした関東美人でおっとは「をを!」とベランダから身を乗り出す。次に運転席から、旦那さんが降りてきた。彼は全身黒尽くめでヘビメタのイメージをはずさなかったが、びっくりしたのはKatia66さん同様、細身のええ男だったのだ!な~んだ。。。違)まったくブログの文面でひとを判断してはいけない。さっそくアペルティーボをテーブルに並べたのだが、がっついているのはおっとだけだ。わたし「遠慮しないで食べて食べて。」Katia66さん「高速のインターチェンジで食べてきたから。」と遠慮(?)している彼らの前で4人分のおつまみを口に放り込んでいるおっとがだんだん「千と千尋の神隠し」の豚に変化していくお父さんに見えてくる。そういうわたしはお母さんだ。ハッとしてポテトチップに伸ばしかけていた手を留めた。旦那さんはとにかくおもしろいひとで、しゃべりまくり、そこにたまにぼそっとKatia66さんが入れる突込みのタイミングが絶妙である。旦那さんはピエモンテのひとではなく、シチリア人とべネト人のハーフだそうだ。だから、といっちゃなんだが、この細い身体と笑いのツボに納得がいった。アペルティーボを一通りおっとが食べ終わった後、お土産のピエモンテのお菓子をみんなで食べてわたしを除くヘビメタの話に盛り上がっていた。わたしは今まで聖飢魔IIもヘビメタだと思い込んでいた大ボケ野朗である。(隼瀬さん、スマン)しかしおっとがヘビメタのことを知っていることは新たな発見だった。次は彼らの家に行く約束をして、Katia66さんはヘビメタルックに着替え、彼らは颯爽と真っ赤なアルファロメオで去っていったのだった。あ~、かっこよかった。
2006.11.06
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そういえば、最近日記をさぼっている。忙しいのもあるのだけど、「おっとのお出かけについて行く」という冒険をあまりしなくなったので自然にネタが減った。おっとはネタの元だったのである。というのも今年の初めから、わたしは体調不順だし、一緒に出かけたところで苦行なだけで違和感を感じまくりだし、こうしてだんだん一緒に出かけることが減っていって、そのうちいつしか「夜に一緒に出かけるなんてとんでもない!」気風ができあがってしまっていた。しかし先日のへたれ日記を書く前、おっとはこのことに反省し「2度とこんな一人お出かけはしない!」とのたまったのである。わたし「ふ、ヤギなんてどうせ口先だけ。」「違うよ!本当だよ、ぼくの言葉を信じろ!!」と本気で怒るおっと。わたし「わかった。何日続くか楽しみにしておくよ。」おっと「2度としないって、さっき宣言したばかりだろっ!」わたし「。。。。。。」あれから何日経っただろう?先週末、おっとは再び朝帰りをした。←予想通り早い。あ、でも、さすがに今回は一人で出かけ辛かったらしく「一緒に行こう!」と言ってきた。行く先は近所のペルー人やもめ達の館。イタリアンカントリー風の家のなかは古びた額入りの風景画やら少女の横顔が等間隔に飾られてあるのだが、その隙間の壁にセクシーダイナマイトな女性のポスターが等間隔で貼ってある。テーブルの上もソファの上もいつ行ってもいろんなガラクタでごちゃごちゃしていて、それらをズズズズズ~~~とよけてビールを12~13本ほどドドンッと並べ、全員がたばこをスパスパやりながらビールをちびちび飲んでダラダラスペイン語で エロ話らしきものをしている。そしてたまにわたしに振り向いてイタリア語で「ねえ、友達に独身のセクシーな日本人いないの?」と聞いてくるだけだ。そんなところに「一緒に行こう!」????わたし「。。。行かない。」おっと「いいんだな、行かないんだな?これはぼくが強制したことじゃなくって君が選択したんだぞ。」わたし「。。。。。。。」おっとはバツが悪そうに出て行った。だから、そういうことじゃない。おっとが家を出てから約2時間後、わたしが風呂に入っていると電話がかかってきた。何事か、と慌ててビショビショのままバスタオルを巻いて浴槽を飛び出して電話を取る。おっとは酔っ払った声で「ぼくが変なところに一人で行ってない証拠を見せる。」なんだ、なんだ?おっとの友達のチェーザレに替わった。「いくきーと、心配するな。マルちゃんはぼくんちで男ばっかりで喋ってるだけだよ。」わたし「わかってるよ、だから?」チェーザレ「だから女と浮気してないから怒るな、って言いたいんだ。」わたし「怒ってないし、浮気してるとも思ってないよ。ただ、簡単に自分からたてた誓いを破ったことに気を悪くしてるわたしです。」チェーザレ「??わからないから、マルちゃんに替わるよ。」おっと「わかっただろ、これで。」わたし「わかってないよ、あんたがちっとも。『2度とこんな一人お出かけはしない!』ってこの間言っときながら、よくも簡単に自分で立てた誓いを破れるね?」おっと「だから一緒に行こうって言ったじゃないか。」わたし「。。。もういい。わたし風呂に入ってる最中に出てきたから身体が濡れてて寒いの。電話切る。」おっと「怒ってる?君は一生ぼくを監禁して家から出さないつもりなの?!」わたしは電話を切った。ちっともわかってない。だから、そういうことじゃない。それこそおっとが誓いを立てたとおり「こんな一人おでかけ」をしないつもりなら、わたしを本当に連れて出て行くつもりなら、同じ夜のお出かけでも、一緒に軽く飲みに行くとか、映画を観に行くとか、ラテンクラブに行くとか、(お金ないけど)他に方法があるだろう。現在のおっとは、わたしがおっとが夜出かけることを許さない、と思っている。わたしだって、毎晩は遠慮したいけど、夜のお出かけは好きだ。しかし、場所と連れと場合と時間による。おっとのヤギ仲間とヤギ小屋で意味もなく酔っ払って夜を明かすパターンなんて、もううんざりなのだ。おっと「じゃあ、君が計画してよ。」わたし「2人で軽く飲みに行くとか、映画を観に行くとか、ラテンクラブに行くとか。。」おっとは笑顔で「素晴らしいアイデアだ!(←笑顔に無理がある。)でも、そんなお金がどこにあるのかな?」わたしは淡々と「じゃあ、あんたの友達の家に毎週買って行くビール箱のお金、どこの口座から出てるのかな、わたしたちの共同口座でしょ?」おっとはムッと顔色を変えて「たまに同郷の人間と息抜きをして何が悪いんだよ?ビール代なんてこれっぽっちじゃないか?」わたしは怒りを抑えながら「これっぽっちって、ダースで買ったらいつも20ユーロとかじゃないの!?それを毎週繰り返してるお金を勘定したら映画やラテンクラブはおろか、その月に一回は旅行も出来るわよ!?」おっとは売り言葉に買い言葉で「わかった。一人でどこにでも旅行に行けばいいじゃない!」わたしはぶち切れ「あんたが使い果たすから行きたくても行けないんでしょ~っ!!うっき~っ!!!!」おっと 無視を決め込む。違う、違うっ。言いたかったのはそう言う事じゃない!AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA。。。また元の木阿弥。。。。。。。。。。。。。。。。_| ̄|○
2006.11.06
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