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この日記を更新する前からひさびさの本日のアクセス数の多さに驚いた。日記を書いた昨日より多い。そんなに他にもボイラーが壊れた経験のある、ご家庭が多いのだろうか?*****ところで皆さんは「ラテン」と書くと何を想像するだろう?わたしにとって「ラテン」な人々とは:「ええ加減」「自己中」「やたら熱血」「めちゃめちゃアバウト」「根性で動く人々」「下半身で動く人々」「ヤギの脳みそ」などなど。。。はっきり言ってあまりいい印象がない。ちょっと違うよなあ?と今朝読んだ記事で思った。仕事意識を「ラテン化」しよう! まあ真面目一徹日本の企業戦士には、これぐらい気を抜く「気持ち」が必要なんだろうか。********話を戻して昨日のボイラーの話だが、結構皆さん、もっと低温に慣れていらっしゃるのをみてびっくりした。わたしは新居に引っ越すまではどこの家もアパート全体のセントラルヒーテイングで、ミラノの冬の屋内=暖かいが当たり前だった。ミラノは北海道と同緯度にある。北海道も冬は暖房つけっぱなしが当たり前のところが多いようだけど(←そう、隼瀬さん??)そのあと、ネットサーフィンしていて見つけた北イタリア在住の誰かが書いた記事を見てなるほどと思った。日本の寒さは同じ気温でも「表面的に寒い」らしい。しかしイタリアの寒さは「骨から血液を凍らせる寒さ」なのだ。その方の記事では「だからこっちは油もそのまま飲んで(オリーブオイルのことだと思う。)体内に油膜を張る必要があるのだ。」と。←わたしは飲まないけど。汗そういえば、実家も奈良の一軒家だったので、冬はめちゃくちゃ冷え込んだ。でも、確かに寒かったけど、なんか違ったな。。。。火曜日の夜はそうやって、ボイラーが直って家が徐々に暖まっていくことに感激しながら、「鳥の水炊き鍋」の準備をしていた。わたしの胃が悪くなってから、あっさり系ばかり夕食に出すようになっておっとにはぶ~ぶ~言われていたのだが、これだけは好評で、我が家の食卓によく登場するようになった。するとインターフォンが鳴って、外には同じならびに住むカルラと同棲中のシモーネが(←彼らもひさびさの登場!)。カルラ「今からうちの畑でサンアントニオの焚き火をするの。一緒に観に行かない?」というわけで、夕食つくりを中断、大好きなTV番組「SMALL VILLE」の再放送を名残惜しそうにながめてスイッチを切った後、厚着をして出かけた。サンアントニオとは:うちらの田舎町の農業の守護聖人だそうで、昔々毎年1月17日に古いものを焼いて古い年の厄をはらう焚き火をしていたを今年からカルラのお父さんたちが市とにかけあって復活させたらしい。(←カルラのお父さんはこの辺の大地主のひとり)お父さんの畑は我が納屋の前のお父さんの農場を隔てたすぐ後ろに広がっている。暗くてほとんど何も写ってないけど、どれだけ大きな焚き火かおわかりいただけるだろうか?我が家と階下の家を改装したとき、ルイジがこともあろうに中庭に古い建材を全部放棄していったのだ。引っ越したときから気になっていたのだが、最初は誰のものかわからなかったし(あまりにも堂々と放棄されていたので。汗)、我々のものだと気がついても、こんな大量の粗大ごみ、どうしていいのかわからず、知らない振りを決め込んでいるうちに、周りには草がぼうぼうに生え、ねずみや有象無象の巣と化していた。それがここ数日、会社から帰宅するたびに少しづつ減っていた。どこに消えたのかと思いきや、ここに全てが集合していたのであった!!近くで撮った写真。ドアやら窓が焼けている~!これ、ほとんど全部我が家から出た廃材(恥かしや。。。)。焚き火のそばは熱かった。あまりの熱さに20mは近づけない。まるでピザを焼くかまどの中にいるような気分だ。ここはまだ暖まりきっていない我が家の中よりよっぽど暑かった。周囲の住人がたくさん集まっていて、なんとなく談話している。別に祭りのように出店が出ているわけでもなく、ただの巨大な焚き火なだけなのに、結構な人数である。カルラのお父さんは集まったひと、ひとりひとりのところをまわって挨拶をしていた。有名人である。果てしなく続く畑の果てを見渡せば、あちこちで炎が見えた。なんだかとても「ああ、やっぱりわたしは南米の田舎じゃなくて欧州に住んでいるんだなあ。」という気持ちにさせられたのであった。おっとに聞けば、エクアドルでもこういった焚き火があるらしい。しかしもっと普通の規模の焚き火で、それを囲んで酒を飲み、厄をはらうために焚き火を飛び越えるという。酔っ払って飛び込んで、火だるまで「あっちちちちちち!!!!」と出てくるあほうも必ずいるらしい。そういえば、日本も焼けた炭の上を修行僧が歩いたりするよな。やっぱり「火」というのはどこの国でも神格化されているんだなあ。おっと「誰が最初に火を見つけて使い始めたんだろうね?」まったくだ。なまこを最初に食したひとのように、かなり勇気のいる行為だったに違いない、と思ったわたしだった。PS.あ、今日はなんか普通な日記。
2006.01.19
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おっとはまだ「コックさんはいつ帰ってくるの?」と未練たっぷりなのだが、クールなわたしは日曜日にはさっさとコックさんの部屋に置いていたタンスをおっとに命じて移動させ、布団を干して、シーツを洗って、しまった。月曜日からはまるで2ヶ月も同居人がいたことがウソのように、今までのペースで生活が廻りだしたのであった。やっぱり家の中に他人がいるのといないのとでは、緊張ぐあいが違う。コックさんが去った土曜日には「次は和食の板前さん限定で借家人を募集しようか?」とかなり本気で言い合ってたのだが、もうどうでもよくなってきた。去年わたしたちを経済的、精神的に追い詰めた一番の原因の3年分まとめて一気に毎月押し寄せたおっとの税金と、社会保険は四苦八苦しながらも払い終わったし(コックさんからの家賃収入には相当助けられた)、屋根と階段の問題は何も解決してないけど、この状態に「慣れ」てしまったし(涙)、きっと今年は借家人がいなくてもなんとか乗り切れるだろう。*****話は替わるが、ここ数日、わが田舎町は今までの寒さに増して、さらに寒くなった。夜は氷点下である。そんなときに限って。。。ボイラーがぶっ壊れた!!!!!!!我が家は全館温水暖房。暖房も水道から出るお湯も、全てボイラーが正常機能しなければ、使えないのだ!OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!日曜日の夜だった。わたしたちはだんだん冷えてくる家の中で、手をすり合わせながら取り扱い説明書を見てあれこれいじるが、どうもならない。ルイジ(←ひさびさの登場!)が取り付けた新しいバカでかいボイラーは生意気にもコンピューター制御で「ERROR! RESET」と冷たく表示するだけで、熱いお湯の一滴も出してくれなかった。実は兆候はコックさんが家に居たときからあったのだ。タイマーで朝と夜だけ暖房にスイッチが入るようになっていたのだが、しょっちゅうスイッチが入らなかった。汗コックさん「こうも何回も点かないなら、きっと接触かなんかの具合がおかしいから保障期間内に修理を頼んだほうがいいですよ。」わたしもコックさんと一緒に、おっとに訴えていたのだが、ものぐさなおっと、「リセットすればすぐに点くからいいじゃん?」とほっぱらかしにしていたのであった。その夜はしかたがないので、顔だけ洗ってベッドにもぐりこんだ。毎日夜にシャワーを浴びなければ気がすまないわたしは、身体がムズムズする気がしてなかなか寝付けなかった。月曜の朝、目が覚めると家の中は冷え切っていた。温度計を見ると14度。さっそくおっとがボイラー会社に電話する。ボイラー会社のお兄ちゃん「わかりました、金曜日の午後に伺います。」おっと「何言ってるんですか!ぼくたち暖房もなしにこの寒い日を金曜日まで待つですって!?今日来てもらわないと困ります!」ボイラー会社のお兄ちゃん「そうおっしゃられても、仕事が立て込んでいるので。。。」おっと「今日来てください!」ボイラー会社のお兄ちゃん「。。。わかりました。今日の仕事の様子を見て、行けるときにご連絡さしあげます。」と電話を切ったのであった。しかし。夜帰宅すると家は更に冷えていて13度。ボイラー会社のお兄ちゃんを恨んだ。おっと「あの野郎、電話なんてかけてこなかった!」わたしたちは家の中でコートを着たまま、夕食の支度をはじめる。だんだん、コンロの炎でちょっと温まってきた。わたし「そうだ、オーブンを点けよう!そしたらもっと家の中が暖まるよ!!」とオーブンのスイッチをいれる。このアイデアはよかった。少し暖まって来たので安心して夕食の支度を続行しているとおっとが、ぼろ布や洗剤を持ち出してきたのである。わたし「何やってるの?」おっと「オーブンの臭いが気になるんだ。この間、魚をグリルしたときにちゃんと掃除が出来てなかったんだと思う。だから、今掃除しようと思って。」わたしが「ふ~ん、そんなの後でいいやん?」と思いつつ、後ろを向いたとたん、ブシューッ!!という音と共に後ろから薬くさい煙幕が立ちこめるではないか!わたし「何やってるの!!」おっと「スプレーを撒いたんだよ。オーブンが熱いうちにしなきゃいけないって書いてある。。。。」とまたブシューッ!!とさらに煙幕を拡げた。わたしはこのいかにも毒の煙幕にゲホゲホしながら、慌ててキッチンから非難し、家中駆け回ってあちこちの窓を開ける。おっと「何するんだよ、寒いじゃないか!?」寒いじゃないかじゃない!!わたしは玄関も開けて外に飛び出し、ガタガタ震えながらキッチンを見た。煙でもうもうで白くなっていた。当のおっともゲホゲホいいながらオーブンの中を磨いている。たった今、ソースをからめたばかりのパスタの皿の上にも、ふたをあけっぱなしのスープの鍋の中にも霧のようにまんべんなく毒の煙幕が降りている。。。。あ、あかん。。。。。もう食べられない。玄関の温度計を見ると12度。窓を開けたことによって、更に温度が下がった。はっと気がついて、息をとめて吹き抜けの2階の寝室に上がるとここも煙幕で覆われていた。そう、我が家の全ての臭いもゆげも、最後にはここに集中するのである!!慌ててここも全ての窓とドアを開けると、冷たい風が外から流れ込んできた。こうして我が家の中は、隅から隅まで完璧に冷え切ったのであった!そしてわたしは階段を飛び降り、「なんでこんな日に限って、こんなことをするんだ~!!」と大喧嘩に発展したのはいうまでもない。このあと、わたしは再び調理する意欲をなくし、おっとが阻止するのも聞かず、パスタもスープも流しに捨てた。そしておっと秘蔵のドックフードのような肉の缶詰とぱさぱさのパンを食べ、わたしは熱いお茶を飲んだが、へそを曲げたおっとはお茶には手をつけようとしなかった。このあとどうしても気持ちの悪いわたしは鍋とフライパンを総動員させてお湯を沸かし、タオルをしぼって身体を拭き、嫌がるおっとの髪も無理矢理タオルでごしごし拭くと、おっともしかたなく身体を拭き始めた。****そういえば昔。まだお嬢だった学生時代。「貧乏学生生活」に憧れていた。ある日昼メロで下町のおんぼろアパート「◎◎荘」(4畳半風呂なし)に住むOLが流しにお湯をためてそこにひざを抱えて座り込んだ姿勢で身体を洗うシーンがあった。それがやってみたくて両親が留守の隙にやったら、身体を洗うどころか、狭くてちっとも動けないし、流しが重みで壊れそうになったっけ。。。。それを思い出した。*****こんな後、おっとと抱き合いたくはなかったが、抱き合って寝ないと凍えて死にそうだったので、イヤイヤながらおっとの背中にしがみついて寝た。火曜の朝。布団から出ると吐く息が白い。温度計を見ると8度。今日ボイラー修理に来なかったら、どうしよう?と出勤、会社の暖房の暖かさをむさぼるように味わっていた。すると携帯に電話が。「ボイラー会社です!今から10分後に伺います!!」わたし「今から10分後?おっとに電話しました!?」ボイラー会社「いえ、いただいた電話番号はこれだけですが。。。」←おっとのあほわたしはすぐにおっとに電話、いつもはあまり融通の利かないおっとも今回ばかりは家に飛んで帰ったようである。夕方わたしはどきどきしながら家に帰った。玄関のドアを開ける。朝と同じくひんやりした空気が顔に当たったのでがっかりした。なんだ~、治ってないやん。と、暖房機に手を乗せるとほんのり暖かい。ををををををををををををを!!!タイマーを見ると13度。作動は10分前から開始だった。やった~!!!治ったよ!!!!!!おっとが帰宅したので、前日の大喧嘩もどこへやら、上機嫌で「何がだめだったの?」と聞く。おっと「なんかね、修理屋がふたを開けて、2つのチューブみたいなのにフッフッて息を吹き込んだだけで、治っちゃったんだよ。ものの10分ぐらいの修理だった。湿気がこのチューブに入り込んでこうなっちゃったんだろうって。」ああそうなんだ~、そんな軽症でよかったよ。しかし、この後、この2日間で冷え切った部屋を暖めるためにボイラーはフル稼働をしていた。そのためか?今までなかった稼動時の騒音がすごくなったのだった。。。。。。。。また修理屋を呼ぶべきか??っつーか、こういった緊急時に備えて、やっぱり早めに薪ストーブを買わなければ 。。。と真剣に思ったわたしたちなのだった。
2006.01.18
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先週土曜日、とうとうコックさんが我が家から退出することとなった。仕事が月曜日から木曜日のコックさんがはじめての休日の先週金曜日。彼が仕事をはじめてから、いつもすれ違いだったおっとはずっとこの日を待っていたようである。この日、帰宅したおっとはさっそくソファをここちよく整え、小さなテーブルを出してきて、ポップコーンとジュースを準備、PS2で遊ぶために朝から外に出て行ったコックさんの帰宅を待つ体制に入った。わたし「ちょっと、夕ご飯も食べないで、遊ぶつもり?」おっとはあたふたと「こ、これは夕ご飯のあと用だよ。」と答える。まだコックさんは帰って来ない。わたしも彼を待っていた。と、いうのは次の日引越しだというのに、何も荷造りをしている気配がない。日本から来て、まだ2ヶ月で荷物が少ないとはいえ、間に合うのか?しかも帰ってきて、おっととすぐ遊んでしまったら、いつやるんだよ!?やがておっとにコックさんから電話があった。「友達と夕食を食べてくるんで遅くなります。」この言葉におっとはショックを受けたようである。コックさんには「うん、わかった。」と短く答え、電話を切ってすぐに「友達って誰なんだよ?ぼくよりそいつのほうが大切だっていうのっ!?」と叫んだ。完璧なジェラシーである。あんたはコックさんのいったい何やねん!!??結局コックさんが帰らぬまま、おっとは夕食後、ここのところいつものように独り寂しくサッカーゲームの「エクアドル 対 日本」に興じ、不貞寝してしまった。わたしも布団に入る前に「明日わたしたちは朝早くからいないけど、午後までには帰ってくるからそれまでに荷造りお願いします。」とコックさんにメモを残して眠りに着いた。***土曜日の朝。夜中に帰ってきたであろうコックさんは当然のごとく起きている気配はない。テーブルの上を見ると「朝、出かける前に起こしてください。」というコックさんからのメモがあった。おっとが容赦なく部屋に乗り込んで揺り起こす。とコックさん「OK,大丈夫、起きま。。。。むにゃむにゃ。」と訳のわからないことを言いながらとりあえずは上半身を起こしたので、一抹の不安は感じつつ、わたしたちは外に出たのであった。わたしたちが外に出たのは金曜日のホームドクターにやっとこさ赤紙を、しかも何枚も(汗)、書いてもらえたので、そのスケジュールをこなすためだ。まずは血液検査と尿検査。田舎の保健所だってのに、早朝からすごい人ごみである。1時間ほど待って、血液検査を済ませられたのはいいが、尿は自宅より持参しなければならなかったことが判明。ホームドクターはそんなこと一言も言わなかったし、今までの大きな町の病院ではたとえ忘れても、その場で採尿できるしくみになってたのに。。。。また、月曜日に出直しとなった。涙←しかも結果は1週間待ち。次に隣町の大きな病院に2つの診察の予約をしに。これも1時間ほど並んで、1つは来週すぐにとれたが、もうひとつは1ヵ月後。まったく体力と気力の勝負である。***ようやく午前の労働が終わるともう、10時になっていた。もう、コックさんは荷造りが済んだだろうか?ここからはわたしの運転でのろのろこわごわと家に帰り、時計を見ると11時だった。(おっとの場合所要時間15分)汗しかし、予想はしていたがコックさんはまだ寝てやがった!再度、おっとが優しく揺さぶると、今度は飛び上がるように起きるコックさん。(これだけ寝りゃ、目覚めもいいだろ。)あたふたと、顔も洗わずにスーツケースに荷物を詰めだす。おっとは、コックさんがふんだんに使っている衣類の圧縮袋がおもしろいらしく(こんなもの、イタリアに売ってない。)、興味深々で見ていたが、やがて飽きて家の掃除をしだした。やっかいである。なぜなら、ふだんはものぐさなおっと、いったん掃除をし出すと止まらなくなる「掃除マニア」なのだ!!わたし「ちょっと!昼ごはんは最後だから、みんなでミラノで日本食を食べるつもりでしょ!?掃除なんかしだしたら、間に合わないじゃない!!」おっと「10分で済ませるから!」大急ぎで荷造りを終えたコックさんがシャワーを浴びたり、ひげをそったり、わたしはコックさんの洗濯物を取り込んだり、バタバタ家の中を駆けている中、おっとは隙間を縫うように掃除をしている。大いに邪魔である。結局おっとが最後までしつこく掃除をしていたおかげで、いつものように予定時間の30分、きっかり遅れて我々は家を出ることとなった。クルマの後部はコックさんの荷物でぎゅうぎゅう詰め、たった2ヶ月前はスーツケース1個とショルダーバックだけで我が家に来たのに、信じられないぐらいの荷物の増量である。コックさんは家を名残惜しげにながめ、近所の行きつけになったバールのおばちゃんに挨拶をした。そして我々はミラノの中心の「大阪」という老舗の日本食レストランに向った。レストランに入ると、ほぼ満席、しかもそのほとんどが日本人イタリア人夫婦かカップルである。ハーフの子供連れの家族も居て、おっとは何かしきりに感激していた。(「大阪」初体験おっと)おっととコックさんは「寿司てんぷら御膳」を、わたしは「大阪」名物、「ラーメンギョウザチャーハンセット」を頼む。料理を待つ間に今まですれ違いばかりで聞けなかった、コックさんの仕事の状況を聞く。今のところは言葉が通じなくてもうまくいっているようだが、わがままイタ人客がメニューにない注文をしてきたときは、言われてもわからないので困るらしい。最後の揃っての会食、ということで、ちょっとしんみりしながら料理を食べ(おっとはわたしが注文した「とんこつラーメン」が気に入って、結局ほとんど食べやがった。怒)、中華街で日本食材を少し買出ししてから、いよいよコックさんの新しい住居に向ったのである。新しい住所はわたしのあの元同僚夫婦 の家のすぐ近所にあった。確かに夜遅くまでトラムが通るが、最寄の地下鉄駅はない。かといって、想像していたようなミラノのはずれではなく、結構中心にある。。。。。な~んだ、ちぇ。結構きれいなアパートの入り口を入ると、中にはガラス張りの中庭が広がった!ガラスの外はつたが這っていて、地下がアパート専用の広い駐車場になっているのが見える。眺めは美しくはないが、庭を囲むガラス張りの通路にはコロニアル風に大きな観葉植物が並べられていて、クッションつきの籐のベンチも等間隔に並べられていて、座って団欒出来るようになっている。ますます。。。。。。。ちぇ。(←何を期待しているんだ?)通路を抜けてエレベーター(これはふつう)のところに行くと、住人専用のコインランドリー、自販機もある。ふつうのエレベーターであがった2階にコックさんの新しい部屋があった。ここからはもう、どこにでもあるアパートの様子である。鍵を開けて家の中に入るとウッとくるようなおっさん臭に顔をしかめた。←わたしは鼻が敏感この家は男性3人暮らし。ひとつの8畳ぐらいの個室におっさんと、もうひとつの6畳ぐらいの部屋にベッドが2つ置いてあってコックさんともうひとりのホテルの若造が住むらしい。誰もいないことをいいことに家の中を探検した。おっさんの部屋は長く住んでいるらしいが、TVとたんすとベッドと冷蔵庫以外には何もなし。コックさんの部屋も、まるでユースホステルの相部屋のようにベッドが2つとタンス、小さな冷蔵庫がある以外なにもなし。バスタブのついたあまり清潔でないバスルーム。短い廊下。以上。わたし「。。。あれ、キッチンは?」コックさん「ここで火は使っちゃいけない決まりなんでないんです。」わたし「じゃあ、夕食は仕事場で食べれるとして、朝と昼はどうするの?」コックさん「外食ですね。たぶんホテルに行けば、まかない飯を食べさせてもらえると思うんですけど。。。」そうか。。。ちょっとホッとした。なぜなら、あまり完璧だと腹が立つではないか!?荷運びはあっという間に終わった。おっとは家の中でコックさんと「じゃあな、体に気をつけてな。」とひしっと抱き合い、階段を降りたところでも「いつでもうちに来いよ、待ってるから。」と抱き合い、アパートの入り口のところでも「なんかうちでやるときはすぐに呼ぶから。」と抱き合い、(←いったい君たちはどういう関係や!?)クルマに乗り込む前に「どうだ、一緒にこれからスーパーに買い物に行かないか?」と名残惜しそうに聞き、コックさんに辛そうに首を横に振られた。コックさんはわたしたちのクルマが見えなくなるまでずっと寂しそうに見ていた。そこからわたしたちはスーパーでひさびさにふたりきりで買い物を済ませ、ふたりきりで家に帰った。コックさんがいない家の中はなんだかすごく大きく、空っぽに感じた。あの「エクアドル人に生まれたかった~!!」 も忘れられない名言だが、ヤギたちが去った直後に「家に南米人は。。。。一人だけでいいっス。」など、グッとくる発言を残していったコックさん。たった2ヶ月でもコックさん、存在感があったよな~、と歯ブラシの数が減ってしまった洗面所のコップを見やる。ひさびさにふたりきりで夕食を食べていると、何か考え事をしていたおっと、いきなり「コックさんの部屋の相方、ゲイだったらどうしよう?」と心配そうに言うではないか!?何を心配してるんじゃ~っ!!!!!!??????????君と一緒にするな!と、こんなおっとに心配になった土曜の夜であった。**********PS.月曜は外部友達のボローニャ在住Naocciがミラノに来たついでに我が社の近くまで一緒にランチをしに来てくれた。感激初対面!!休憩時間の1時間しか会えなかったけど、うれしかったよNaocci。Naocciって。。。。。。。。。。。背が高~~~~い!!!!文章で外見はわからないものだなあ、ははははは。またミラノに来たときは会おうね!!
2006.01.17
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ついこの間、「ネタが目白押し!」と宣伝文句を書いてみたが、それは「ネタが目白押し予定!」だったのだ。←うかつに忘れていた、ここはルイジの国。全ての予定ネタが現時点で延期である。汗ところでわたしは新居に引っ越してからすぐ、住民登録も、免許も、書き換えられるものは全てすぐに書き換えた。←真面目日本人ホームドクター(イタリアではホームドクターを決めることが義務付けられている。)も、訳がわからないまま、保健所にあった医者のリストの一番上に書いてあった名前を選んだ。しかしこちらに来てから今まで医者にかかることはなかったので、どこにあるかすら知らなかったのだ。日記には書かなかったが、年末前の日曜日には急なめまいと嘔吐で起きれなくなって、おっととコックさんに付き添われて隣町の病院の救急棟に運ばれはした。そのときに救急医者に「一度、ホームドクターに処方箋を書いてもらって、病院できちんと検査したほうがいいですね。」と言われたのだが、病院で今まで味わった長蛇の列、2~3ヵ月後の診察の予約、待合室の険悪なムード。。。。それを考えると足が重たくなって行かなかった。でも、ヤギたちが去ってからもまだしつこく続く胃の痛み。。。。。ようやく、重い腰を上げることにした。何ヶ月も前に保健所でもらった住所はとっくに紛失してしまったので、おっとにまたもらってきてもらった。開院時間表を見れば、週に2日が夕方、3日が午前中に開いている。夕方開院日の先週金曜日を狙って仕事を少し早引きして医者に行った。住所は大きなマンションの1室である。ひとつひとつ、60~70世帯はあろうインターフォンの名前から医者の名前を探すが見当たらない。とうとう困り果てて近くのバールに入ってたむろっていた若造たちに「ねえ、お医者を探してるんだけど、どこか知らない?」と聞く。すると幸運にも一人の若造くんが「ああ、あの先生なら引っ越したよ。おれも知らなくてこの前、行って困ったんだ。新しい住所は駅前の銀行の2階だよ。」わたしは保健所の古い情報に踊らされたことに怒りを覚えながらも「銀行って インテーザ銀行(大手都市銀)?」若造「違う、違う。◎◎◎☆▲◎◎◎銀行の上だったと思う。」うううう。困り果ててしまった。駅前には何軒か銀行があるのだが、インテーザ銀行以外、全てめちゃめちゃ長い名前の地方銀行でとりあえずわかった振りをしてしまったが、ちっともその名前を覚えられなかった。一軒一軒、銀行の周りを廻ってみるか。。。。と、とりあえず駅前に行くと、薬局のネオンが目に留まった。そうだ!薬局ならきっと知ってるよ!さっそく薬局に行くとお兄さんが「ああ、簡単だよ!」と一緒に外に出て「あの銀行の上さ。」と踏み切りを渡ったところの銀行を指差した。「今、電気が消えてるから閉まってるな。また開いてるときに来なさい。」おかしいなあ、時間表は今日は夕方開いてるはずなのに。。。。。しかし住所も保健所がくれたものと違ったし(怒)、今度電気が点いてるときに来よう、としぶしぶ家に帰った。そして昨日。電気が点いていることを確かめて、入り口を探した。わかり易く表示していなければならないような医者のマークも入り口も、どこにも見当たらない。しかたなしに下のブティックのお姉さんに聞いた。お姉さん「ああ、この銀行じゃないわよ!あっちの銀行!!」と踏み切りをはさんで隣り合わせの銀行を指したのだった。踏み切りそばの薬局で聞いたとき2つの銀行は並んでいたので、勘違いをしてしまったのであった。大汗慌てて2階を見る。あっちも電気が点いていた。わたしはいそいそと駆け込んだ。ああ、やっと見つけたよ。なんだか迷路のような、宝探しゲームのような気分だったな。。。。安堵の息をつきながら階段を上がって、モダンなドアを押した。改装したての医院は壁がエメラルドグリーン、イスが黄色となんだか、水族館のようなつくりである。めちゃくちゃ混んでいた。わたし「あの~、列の最後の方はどなたでしょう?」と声をあげる。なぜなら今までのホームドクターもいつ行っても混んでいて、そうやって聞かないと、横入りしようものなら、他の待っている患者からえげつないブーイングが飛んでいたからである!すると愛想の悪そうなおっさんがわたしをじろりと見やって「そんなのねえよ。ここは全部予約制だ。」はあ?受付なんてないし、じゃあ、誰に聞けばいいんだよ!?とじたばたしていると、すぐに一人の患者の診察の終わった女医が診察室から顔を出して「何か御用?」と聞いてくれたのでほっとして「診察を受けたいんですが。。。」と言う。女医は机の引き出しから小さな時間帯と電話番号の書かれた紙を出してきて「じゃあ、明日の朝、この電話番号で予約してね。」とそれだけ言い残して、次の患者と一緒にぴしゃりとドアを閉めてしまった。はあ。。。。。。。気が抜けた。ここまで苦労して、まだ診察にたどり着けないなんて。。。というかわたしにはただお医者のハンコが押してある病院での診察許可証みたいな、赤紙が欲しいだけなのだ。お医者なら30秒で書ける代物である!!しかしめげずに今朝、さっそく昨日もらった電話番号に電話するわたし。医院「診察ですか?午前と夕方とどちらがご希望ですか?」わたし「病院に行く処方箋が欲しいんです。夕方をお願いします。」医院「え~。。。と、今週はもういっぱいですね。来週も。。。。再来週の火曜日の5時。」わたし「えええええ!?そんなに待たないと診察してもらえないんですか!?」医院「それがダメでしたら再来週の月曜日の午前10時でもよろしいですよ?」わたし「。。。。。たいして変わらないんですね。じゃあ、火曜日の夕方をお願いします。涙」医院「ではこれはプライベート診察になりますのでお値段は。。。。」わたし「ちょ、ちょっと待ってください!!最初に申しましたとおり、わたしはただ、公立の病院に行く処方箋が欲しいだけなんで、プライベート診察は必要ないですよ!!」医院「あ。わかりました。では、来週の火曜日の夕方。」わたし「。。。。もっと早くならないですか?」怒医院「うう~ん、今週金曜の午前11時20分なら?」わたし「。。。。。それでお願いします。涙」やれやれ。魚屋の前の値引き交渉の気分であった。しかし我が社は金曜日は午後3時までなので、こんな時間に設定された日には年が始まったばかりなのにさっそく有給を1日使わなければならない。怒我が田舎町なんて、ミラノよりもっと人口が少ないから簡単だろうとたかをくくっていたのが甘かった。たかだか、1枚の赤い紙っ切れをもらうだけにこの時間の浪費。。。。しかしこれで終わりなのではない。これが始まりなのだ!しかし、高熱とか、ぎっくり腰とか、インフルエンザとか、急を要するけれど、救急病院に駆け込むほどじゃない程度の病人もこのプロセスを全て経て、診察にこぎつけているんだろうか?大いなる謎である。。。。。。というか、ますます医者から足が遠くなるな。はあ。
2006.01.11
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先週金曜日はイタリアは「エピファニアの日」という宗教的な祭日だった。この日は「べファーナ」という鼻の曲がった醜い魔女がほうきで飛んできて、いい子たちにはお菓子やプレゼントを、悪い子たちには木炭をくれるという。この日の夜。我が家にも「べファーナ」がやってきた。いつものように夕食後、全員でソファの上に固まってTVを観ていたのだ。そのうち、コックさんがおもむろに立ち上がったかと思うと、部屋に入ってがさごそして、50cm四方はある箱を抱えて出てきた。コックさん「いくきーとさん、これちょっと早いんだけど、通訳と今までお世話になったお礼です。」とわたしのひざの上にその箱を乗せた。箱はずっしりと重く、ミラノの中心街にある電気屋のマークの入ったきれいにラッピングされていた。敏感日本人のわたしはこの時点で中身がわかってしまったのである!わたし「いやそんな、いいのに。。。。」汗コックさん「いろいろ悩んで、やっぱりこれが一番かと思って。」わたし「そんな。。。。気を使わなくていいよ。」大汗コックさん「絶対気に入ると思います。」わたし「いやマジで。。。。いらないって!」本気コックさん「そんなこと言わずに開けてください!」ううううう。。。。しかたがない。横でTVに夢中のおっとをちらちら見ながらしぶしぶ包装紙をはがす。中身はやっぱり おっとが過去に何度も妻や友達を売ってまでも、手に入れることをもくろんだ 「PS2」だった。おっと「ウ。。。。。。。。。ウワア~~~ッ!!!!!!!!!!」と奇声をあげ、わたしから箱をひったくった。「こ、これ。。。。。。ぼくの?」コックさんはうれしそうにうなずく。おっとは感動で言葉に詰まり、ひしっと強くコックさんを抱きしめた。さっそく説明書を取り出し、おまけでついていた「BUZI」というイントロクイズゲームの準備にとりかかる。コックさん「あ~、よかった。こんなに喜んでもらえて。重い思いをして、自転車で担いできたかいがあったなあ。」わたし「。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」わたしはちっともうれしくなかった。だって。。。。だって。。。。。。。。。この功労賞はわたしにあるはずなのに、どうしておっとに、なんだ?しかもわたしにとって、もらって迷惑千万な「PS2」である!!しかしこうなる経緯はわかる。わたしは無視することに慣れてしまったが、他の人がおっとと毎回買い物に行くたびにゲームコーナーのPS2の前に貼り付かれていたら、そりゃあ、同情もして買ってあげたくもなるだろう。いつも「もしおっとがPS2を手に入れてしまったら。。。」と想定していた悪い夢はここから始まった。***次の日、バーゲンでずっと前から欲しかった籐の整理棚が29,9ユーロと安くなっているのを発見。わたし「ねえ、これ安くなってるよ!買おうよ!!」おっと「え~。。。。どこに置くのさ?ちゃんと置き場所を決めてサイズを測ってからにしなよ。」わたし「金魚のそば!ごみの分別にずっとこういうのを探してたんだよ!?」おっと「うち、お金ないし。。。。もうちょっといろいろ見て、これしかないなら買いなよ。」とわたしの手を引っ張って売り場から離れた。そして。しばらくわたしはいろいろな売り場を見ているうちにだんだん面倒くさくなってきて整理棚のことがどうでもよくなってきてしまった。ひとりで別行動していたおっとがスキップをしながら戻ってくる。おっと「見てみて!いくきーと!!」その手には大きく「21,9ユーロ」と書かれたすでに会計済みのサッカーゲームが握られていた。怒更に。1.この日から、わたしはうちに一台しかないTVが観れなくなった。2.おっととの会話がほぼゼロとなった。3.おっととつきあって毎晩遅くまでゲームをしていたコックさんは昨日の夜から仕事だったというのに、疲労で熱を出した。←あほまったくコックさんはとんでもないものをおっとにプレゼントしてくれたものである。怒*******************当のコックさんだが、昨日からいよいよ仕事が始まった。しかし、イタリアというところは契約書にサインするまでは油断してはならない国である。年末ローマをヤギたちを連れて忙しく歩いていたとき。若い女性から携帯に電話があった。女性「わたくし、◎◎ホテルの人事を担当しておりますフェデリカと申します。コックさんはおられますでしょうか?替わっていただけますか?」わたし「今、わたしはローマにおりまして。。。コックさんはミラノですが、ご用件はわたしが伺いますよ。」女性「いえ、これは本人にしかお話できないことなんです。」わたし「本人はイタリア語が出来ませんので、わたしを通してお話いただければ伝えますが?」女性「どうあっても本人でないと!コックさんの電話番号を教えてください!!」強引なお姉ちゃんやなあ。。。と思いつつ、電話番号を教えて電話を切った。しかし、10分もしないうちにコックさんから「なんか電話があったんですけど、全然わからないっス。」という電話と、引き続き、女性から電話があったのだった。女性「。。。契約書のことに着いてお話したのですが、コックさん、ぜんぜん理解できなかったようなので、こちらにもう一度お電話しました。」わたし「だから申しましたでしょ?どういったご用件ですか?」女性「契約書の内容承諾とサインの日の設定のことです。契約期間は1月9日から6ヶ月、週4日20時間労働となります。サインには今週中に来ていただきたいのですが。」わたしは怒った。「ちょ、ちょっと待ってください!契約はロメオ氏(マネージャー)との話ですと1年のはずですよ?それに先日別の人事の方にも申しましたように当方ローマにおりますので、今週中にサインに同行なんて出来ませんよ!」女性「1年なんて、我が社の決まりでは新入者には出来ません。初めての契約は最高6ヶ月までとなります。それと、今週中にサインが無理でしたら、来年1月3日に書類を取りに来てもらい、コックさんに訳していただいて、5日にサインに来てもらえますか?」ロメオにだまされた。。。。と思いながら決まりならしかたがないか、としぶしぶOKし、3日はコックさんにひとりで書類を取りに行ってもらって5日にサインに同行する、という形で落ち着いた。コックさんにさっそくそれを話すと、期間が短くなったことにちょっとがっかりしたようだった。わたし「あ、でもとりあえず6ヶ月で、たぶんその後更新してもらえるよ。」と電話を切った。しかし。その後すぐ、また女性から電話があったのである!女性「たった今、ロメオ氏からリクエストがありまして、契約は1ヶ月間のみ、となりました。」わたし「えええええええ!いったいどうなってるんですか!!まったく最後の面接 と話が違いすぎるじゃないですか!?」女性「わたくしに言われましても。。。ロメオ氏からのリクエストですから。」わたしは蒼白になって電話を切った。コックさんにすぐに報告することがためらわれた。さっきの今だ、あまりに本人にとっては酷すぎる。ロメオの野郎。。。。。おいしいことばかり並べ立てておいて、ひどい仕打ちだ。すぐに電話をかけて、問い詰めてやろうか、とも思ったが、わたし自身のことではないのでミラノに帰ってからコックさんと相談しようと決めた。(←もう出発日だったこともあり)おっと「きっと言葉とスシが出来ないのがネックだな。」わたしもそう思った。*****ミラノに帰り、おずおずとコックさんに報告する。いつもはポーカーフェイスのコックさんは相当の衝撃のようだった。わたし「ロメオに電話してみる?」コックさんはこくんとうなずき、わたしに携帯を渡す。電話に出たロメオは予想出来ていたはずなのにあたふたとしていた。ロメオ「い、いや、それはだね。うちの新入りコックはみんな1ヶ月契約からなんだよ、アハハハハ。すまんすまん、すっかり言うのを忘れてた。」そんなわけないだろう!ロメオ「とりあえず1ヶ月、うちでの仕事の様子を見ようじゃないか。それでお互い、気に入るかどうかで契約を更新してもいいし、転職してくれてもいいし。」わたし「でも待ってください。彼は1年契約だというから、他の仕事のリクエストも振ってここに決めたんですよ?話が違いすぎます。」ロメオ「ま、待ってくれたまえ。うちはね、コックは通常テストをしてから採用することにしているんだよ。だけど、彼は特別だ。言葉ができなくても、スシができなくても(←やっぱり)、今までの面接できっと彼ならやれる!と信じてテストなしに採用を決めたんだ。これはね、すごい栄誉あることなんだよ!わかる?「栄誉」だ!!」わたしは口をぽかーんと開けて電話を切った。何が「栄誉」やねん!とにかくわたしのことではないのでカッカしながらも、コックさんにロメオが言ったとおりに伝えた。コックさん「「栄誉」ですか、ハハハハハ。。。。はあ。」相当落ち込んだようである。わたしはどうなぐさめていいか、言葉に詰まり「。。。。あのさ、もしもよ。1ヶ月たって、コックさんがここの仕事気に入らなくて、転職することになって、住む家がなくなったらうちに戻ってきていいからね?」と言うしかなかったのだった。これが年末のこと。ここからコックさんはどうにか自分の中で「ダメだったらダメでいいや。」という割り切りを生み出し、1月5日にサインすることとなった。大きなホテルの割には、ちっぽけな事務所でサインをすませ、あの女性、フェデリカに付き添われて厨房に挨拶回りに行く。さっそく前回の青い目のコックさんが出てきて、他の4つの厨房をまわり、他のコックさんひとりひとりに「彼が来週から6ヶ月、うちで働くことになったコックさんだ!」と紹介していった。なんだ。。。。とりあえず6ヶ月のつもりはあるわけね。と内心ほっとしながら厨房を笑顔で廻る。宴会専用の厨房に行くと、2人の頑固そうな爺さんが黙々と果物を切っていた。青い目のコックさん「◎◎さん、彼、来週からあんたたちの下で働いてもらっていいかい?」2人がじろりとコックさんを見る。ひとりはふん、と知らん顔をしてしまった。もうひとりは「ああ?こいつ、イタリア語は出来るんかい?」わたし「ええ、少し。」爺さん「まあ、やらせてみるけどよ。」と顔も上げずに答えたのであった。*******そして昨日からコックさんの仕事は始まった。とりあえず今週いっぱいはまだ我が家を足場に通うようである。夜しか家にいないわたしたちは夜が仕事のコックさんには遭えないのでさっき電話をしてみた。わたし「どうだった?」コックさん「ああ、なかなかいい感じですよ。楽しかったです、みんな親切だし。宴会のほうに廻されるんじゃないかと心配してたけど、レストランのほうに廻してもらえて今日からさっそく前菜つくりをさせてもらえそうです。」ああ、よかった。「案ずるより生むが易し」なのか?まだ初日が終わったばかりである。
2006.01.10
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前回までのローマ物語で、体力を使い果たした。。。*******2005年12月28日ローマから帰宅した次の日、大雪で外に出られなかったこともあり、ゆっくりと起き出してトランプなどを楽しんでいた。しかし、雪が止むとすぐに「ショッピングセンターにお買い物に行こう!」とヤギたちはバタバタ支度を始める。今度ばかりはコックさんも行きたそうだったので、「じゃあ、わたしは家でゆっくりするからいってらっしゃ~い!」とヤギたちを送り出した。(←クルマは5人乗りなので誰か1人がお留守番になるのだ。)わたしはふ~っとため息をつき、この隙に、久しく入らなかったお風呂でもゆっくり入ろうか、と洗面所に向うと、すぐにジョバンニが戻ってきて「おい、いくきーと!君はスッチーをしてたから、見方がわかるだろ?ぼくたちの帰りの飛行機の時間を確認してくれ!」とチケットを突きつける。なんだよ~、それぐらいわかれよ~~~。。。。。としぶしぶチケットを見て凍りついた。ジョバンニ カルロ ◎◎ 搭乗時間: 11.00搭乗日時: January 30January 30!? つまり2006年1月30日!?OOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!たったの1週間だけだと思ったから、こころよくこのヤギたちの滞在もOKしたのだ!1ヶ月とは長すぎる!耐えられんっ!!!!!!!わたし「あ。。。。あんたたち、確か、帰りはあさって、って言ってたわよね、1ヶ月もうちに居ないわよね?」ジョバンニ「あん?何を言ってるんだよ?」わたし「帰りが1月30日になってる~!!!!」ジョバンニ「あんだって!?」ジョバンニは家を飛び出し、家の外で雪合戦しているヤギたちに向って「ストップ、ストーーーーップ!!!ショッピングセンターは中止だ!!みんな戻って来い!!!」ヤギたちは訳がわからないまま、ゾロゾロと戻ってきた。事情を知ってパニクるヤギたち。発券したときに、なんの確認もしないアニマル共である。汗わたし「落ち着いて!チケットを発券した旅行会社に電話して、変更をするのよ。」ジョバンニ「旅行会社の電話番号なんて知らねえ!」←堂々と言うな、あほう!わたし「チケットと一緒に普通は封筒に入れてくれるはずだよ。。。」とチケットの入った封筒を探るが、そんなものはどこにもない。更に混乱するヤギたち。ジョバンニ「やい、マルちゃん!今からおれたちをマルペンサ空港に連れてけ!!」何言ってるんだ!?我が家からマルペンサは遠いんだぞ!!!!!わたし「マルペンサ空港に行ったところで、お金払わないと日時の変更ができないよ。旅行代理店に連絡しないと。。。あっちのミスなんでしょ?」やっとちょっとジョバンニは我に返ってきたようである。「スペインの彼女に電話する!」電話でもさんざんパニクッた末、彼女に替わりに旅行代理店に行ってもらう、という原始的な方法でひとまずは落ち着いた。大迷惑もいいところの彼女、すぐに旅行代理店に行ってくれたのだが、日時の変更の問題前に、すでに閉店しかけていた旅行代理店、責任者が帰宅してしまっていて、「どちらのミスかわからないので、明日、責任者に聞かないと。。。そちらのミスの場合はおひとりにつき、100ユーロ追加していただくことになりますよ。」と。こうしてヤギたちは「100ユーロだって!ちくしょう!!」と言いながらも、まだ日時の変更もなっていないのに、とりあえずは連絡が取れたことに安心して、ショッピングセンターに買い物に行ったのであった。汗わたしは「あほらし、もう知らん!」とゆっくりお風呂に入って、ヤギ飯用に肉じゃがを作る。しかし夜の9時半になっても、まだヤギたちは帰宅せず、10時ごろ、カッカしながら独りで食べようと支度をはじめると、やっと帰ってきておっとがまず先に「アモーレ!!」とわたしに抱きついてきたのであった。おっと「死にそうになったんだよ!死にそうに!!」なんでもヤギたちは買い物が終わり、クルマに乗り込んで、暗いまた雪の降り始めた夜道を通常のスピードで走っていたところ、雪ですべってギュルギュルとスピンをし、ガードレールに突っ込んだ、と言うのだ!わたし「で、クルマは!?」←修理代、出す金なし。おっと「幸いにもなんとも なかったんだよ。」ほ~、よかった。クルマもおっとも無事で。心の底からほっとした。まだおっとの生命保険も2回分未払いだし、今死なれたら困る。。。。。。。。。********************2005年12月29日ベネチアに行った。 クルマで2時間半もかかる日帰り旅行にあんたら、10時半にのんびり起きてるんじゃないよ!お日様が気持ちよく出ていたのはベネチアに向う高速道路の上だけである。汗現地に着くと、陽が傾きかけ、ミラノよりも寒かったので運河を行く船でサンマルコ広場まで行っただけで、写真だけ撮って、いそいそと帰路に着いたのであった。←何しに行ってん?この度、新しく楽天に仲間入りしたベネチア在住のJOYchan には、出発前に現地の天気だけ聞いて、遭うこともなく、失礼しちゃってごめんなさい。チケットはというと、無料で日時を変更してもらえることとなった!しかし、当初の予定の12月30日のチケットはすでに満席で取れず、31日、つまり1日伸ばすことに。イタリアではこういう状況の場合、こう言う。「昨日までの客も、1日過ぎれば腐った魚の臭いがする。」。。。。。。。。。。。。。うまい具合に言うものである。うんうん。************************2005年12月30日今まで、食事つくりをずっとわたしたちにまかせっぱなしだったヤギたちは、さすがに悪いと思ったらしい。昼食はおばさんが南米風セボイアード(魚の丸揚げ)を作った。重かったがおいしかった。夕食は、包丁も握ったことがないようなジョバンニが:油の池に漬かったフライドポテト、2次油を使って炒めたウインナー、3次油で目玉焼きを作って振舞ってくれた。コックさん「ううう、酸化した油の味がする。」←言うことがさすがに違う。わたし「。。。。。。。。。。。。。。」家中が油膜で覆われ、息が出来なくなるわたし。窓を開けるとジョバンニ「寒いじゃねえか!」とたちどころに閉めてしまう。この日、わたしの繊細な胃は完全に壊れた。*****************************2005年12月31日やっとヤギたちが午前中に旅立ち、おっとは泣きながら前日の油でべとべとになったキッチンを磨き、わたしは荒れ放題に荒れた家中を掃除した。コックさんはすっかりダウンして起きてこなかった。←このやろ。気持ちがまだ悪い中、夜から目目さん宅の年越しパーテイに呼ばれる。いつもはおいしすぎる目目さん作の日韓合作のおせち料理も、味が半減して感じた。ひじょ~に哀しかった。おっとは12時が来るまで耐えられず、布団を引いてもらって(目目さんちは純日韓式なのだ。)眠ってしまった。鉄の胃を持つコックさんだけがガンガン飲んで食べるのをうらやましく見ていたのだった。目目さん、ごめんよ。こうやって、ぱっとしないまま年が明け、2006年1月1日になった。***************************未だにまだ10日も前のことを書いているわたしって。。。。。。。ネタはまだ他にも、年が明けてからの事件が目白押しなんだけど。。。。。。。。。。。
2006.01.09
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2005年12月27日朝7時半。ホテルのブレークファーストルームでの待ち合わせになんとか全員、遅れずに揃った。わたしはいつものように、たっぷりのカフェラッテとクロワッサンを食べ、おっとは朝からドーナツにかぶりつく。しかし、おばさんたちのお皿を見れば、菓子パンから、果物から、ヨーグルトから、てんこ盛りである!わたし「。。。朝からすごく食べるんだねえ。」タニアとおばさん「違うわよ!これはお弁当に持っていくの。いくきーと、あんたも持てるだけの菓子パンを取ってきなさい!」い、嫌だ。。。恥ずかしいよ~。そうは思いながらもお行儀のいいわたしは、露骨に拒否せずになんとかチョコレートバーを2本だけ取ってきた。そしてバタバタとチェックアウトをしたのだが、コロッセオはもう見たからホテルで昼まで寝ていたい、とタニアとおばさんの希望がフロントのひとに拒否され、ここでも一揉めあったのである。ふう。コロッセオの前に着く。わたし「1時間だけだからね。」ジョバンニ「わかった、わかった。」と言いながら入場料を払い、コロッセオの中に入っていく。あ。。。。あんた、中に入ったら1時間なんて無理やん!!さすがにこの広大な遺跡には全員が感動したようであった。ビデオを廻しまくり、写真をとりまくり、たった1m進むのに時間がかかる。おっとがDVD「グラデイエーター」から想像したでたらめの解説をしているのを見るに見かねて、管理員のおじいちゃんが正しく説明してくれる。恥ずかしいなあ、もう。わたしは最初、イライラと時計ばかり気にしていたが、とうとう開き直った。そう、わたしは何度となくローマに来て、見所は全部見たのだ。少ない時間で出来るだけたくさん彼らを観光スポットに案内したい、と思っていたのだが、やつらがコロッセオだけでいいなら、いいではないか?結局じっくりっコロッセオを見たおかげで午前中はみごとに潰れたのであった。そして。タニア「もう一度、明るいうちにサングラスを探しに行ってくるっ!!」な、なんだとう~~~~~~~~!!!!!?????またもや彼女はおばさんと一緒にかき失せたのであった。大汗わたしの中でぷちんと何かが切れた。「ねえ、彼女たちは放っておいてもう行きましょ。」←やけくそジョバンニ「何勝手なこと言ってるんだよ!?この隙に撮影してくるからちょっと待ってて!」。。。。。。どっちが勝手やねん。わたしはおろおろするおっとの手を引っ張り、バス乗り場に立つ。「ダメだよ!ここに居ようよ!!」というおっとに冷たい一べつをくれて、独りでバスに乗り込もうとすると、どこから見つけたのか、タニアとおばさん、ジョバンニがばらばらな方向から息を切らせて駆け着いたのだった。。。。。。。。。これでわかった気がした。そう、彼らは「放し飼いのヤギ」なのだ!!指導者「ヤギ飼いペーター」がいないと、てんでばらばらになるが、いざ、ペーターが行ってしまうとなるとおとなしく付いて来るアニマルなのだっ!!!!ここから主導権は完全にペーターこと、いくきーとに移動した。全員はおとなしくペーターについて、バスに乗り、地下鉄に乗り換えて、バチカン美術館へ。きっとヤギたちの目には素晴らしい美術品もその辺の雑草にしか写らないだろうが、ペーターは指導者なのだから、さからわせないぞっ!!(←独裁者)いよいよ胸を高鳴らせて、美術館の前に立つ。そこには大きく「CLOSED」 「開館時間8.45-12.20」と書かれていた。時計を見れば 13.00OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!よ、予定通り、午前中に行っときゃ、あんた。。。。。見れたのに!!!!!!!!!>(←竹下景子さん、1500点獲得!)この怒りを、どこにやればいいんだよっ!!!!!????????????わたしが深いショックと哀しみに打ちひしがれていると、ジャイアンジョバンニ「閉まっているところでいつまでもグズグズしていたって、しょうがないだろ?さっさとバチカン市国に連れて行けよ。」ううううううううう。ヤギ飼いペーターの短い独裁政権はこの場にてあえなく崩壊したのであった。。。。。足取りも重く、バチカン市国へ。この日はクリスマス直後、年末、ということもあり、すごい人ごみでまるで大阪の天満宮の初詣状態である。バチカン国境の楕円形の支柱に沿って「は~い、参拝客はこちらに並んでくださ~い!」とまるでデイズニーランド状態で監視員が叫んでいる。わたしたちはおとなしく何十mも続く列の最後尾に並び、おとなしく待った。これはジャイアンジョバンニが「故パオロ ジョバンニ2世の墓参りがしたいから。」と言ったためである。列の動きは早く、あれよあれよと礼拝堂の入り口に着いた。しかし、入り口は3つに分かれていて「礼拝堂」「クーポラ(塔のてっぺん)」「パオロ ジョバンニ2世の墓」と書いてある。当然ジャイアンジョバンニを先頭にわたしとおっとは「パオロ ジョバンニ2世の墓」へ。薄暗い地下の歴代法王の墓地に入るとここもすごいひとだかりで、監視員が「はい、止まらないで、どんどん進んで!」と急き立てる。ここでわたしはタニアとおばさんが付いて来ていないことに気がついた。汗わたし「ちょっと!彼女たちは!?」おっと「あ、いない!!」ジョバンニ「心配するな。墓に行きたい、って言ってあるし、すぐに追いつくって。」そ、そうかなあ。。。。。追い出されるようにそそくさと地下墓地を出て、出口のそばで彼女たちを待つ。しかし、いっこうに現れない。大汗わたしはタニアの携帯に電話した。バチカンの中は妨害電波が出ているらしく、なかなか繋がらなかったが、やっとひどい雑音と一緒に繋がった。ジョバンニ「どこにいるんだよ!」タニア ぶぶぶぶぶぶ。。。。「いま、入場料払って、階段を」。。。ががががが。と切れてしまった。入場料?地下墓地にはそんなもの払わなかった。礼拝堂にもそんなものいらない。と、すれば「クーポラ」である。地下墓地って言ったのに、なんで「クーポラ」に行くねん!?ここからジョバンニは完全に我を失った。そりゃそうだ。このすごいひとごみ、広すぎるバチカン市国、ヘタしたら永久に遭えなくなるかもしれないと彼は思ったのだろう。何度も何度もひとの携帯で(怒)タニアに電話するが、ちっとも繋がらない。おっととジョバンニ「しかたない。ぼくらもクーポラに行こう。」えええええ?また列に並びなおすの!?クーポラの出口がどこか聞いて、そこで待ってりゃいいのに。。。。長い時間、あほのようにまた並びなおして入場料を払い、クーポラ行きのエスカレーターの前に行くと、職員用電話があった。我を失ったジョバンニ、さっそくダイアルを廻す。大汗すぐに職員が飛んできて「あんた!何やってるの!?」ジョバンニ「母と妹が行方不明なんです。電話連絡させて!!」職員「これは局内電話で外線は繋がらないよ。ダメダメ!」と追い払われてしまった。エレベーターに乗り、塔の中腹に着く。しかし彼女らはいない。そこから果てしなく続く階段を頂上まで上がっておろおろと2人を探すジョバンニ。こんな吹きっさらしの横殴りの雨が降っている頂上で当然彼女たちが来るかどうかも定かではないわたしたちを待っているはずがない。わたし「じゃあ、残るところはもう礼拝堂だけね。」長い細い階段を転げるように下り、出口を出るとそこは礼拝堂の中だった。わたしとおっとはもう吹っ切れて、ゆっくりと見物をし、ジョバンニはまた職員用電話を見つけてかけようとして職員に怒られる。(←学習しろよ。)こうしてバチカン市国を隅々まで見て、礼拝堂の出口を出ると、タニアとおばさんの姿が。2人は涙ながらに駆け寄り、ジョバンニも「ママッ!」と駆け寄って3人でひしっとうれし涙を浮かべながら抱き合ったのであった!はあ~~~、「母をたずねて3千里」を地でやってんじゃないよ。←クールこの後、タニアとおばさんはまだ「地下墓地」を見ていない、というので あほみたいにまたもや列に並びなおして見に行き、ようやくバチカン市国から脱出したのであった。この後、すっかり日が暮れ、真っ暗な中、スペイン広場を見て、エクアドル人念願のマクドで遅い昼食を摂った後、トレビの泉を廻り、とにかくお賽銭を投げ込んでこの日は終了した。やれやれ。。。。めちゃくちゃだったけど、だいたいの見所は見れたか。。。。(バチカン美術館だけが無念だが)と、ほ~、っと地下鉄を待つ。ちょうど通勤の帰りのラッシュでホームは混んでいた。電車が到着したのでぎゅうぎゅう押されながら乗り込もうとすると、すぐ後ろにいたおじさんが「レディースアンドジェントルマン!かばんにお気をつけて!」とのんびりと大声で言う。その言い草がおかしくて「は~い、気をつけます!」となにげにショルダーバッグに手をやると誰かの手に触るではないか!「ひ!」と横を見ると15~16歳ぐらいの少女が「ちくしょう!」とわたしとおじさんを交互ににらみつけて引いたのでびっくりした!!電車に乗っておっとたちに周りを囲んでもらって慌ててバッグの中身を確かめる。幸いにもファスナーだらけだったので、盗られたものはなかった。つくづく、こわいところや、ローマって。。。。。。帰りの6時間のクルマ旅は皆が興奮していて、喋りが止まらず、あっという間にミラノに着いたのである。もうローマはしばらくはいいわ。←っつーか、ヤギ飼いはいい。(とりあえず終わり)
2006.01.05
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結局3人全員がわたしたちの部屋にある全てのタオルと石鹸類を使い切って、洗面所をびちゃびちゃにしてさっぱりと身支度を整えたのは5時を過ぎていた。ミラノとは大違いで暖かかったローマもさすがにこの時間は夕暮れで陽が傾きかけていた。わたしとおっとは待ちくたびれて、失望と放心状態で、のろのろと上着をはおり、全員で地下鉄に乗った。すっかり遅くなってしまったが、この日に予定していたスケジュールを全部こなさなければ、次の日のめちゃくちゃ楽しみにしているミケランジェロの「天地創造」のある世界最大級の美術館、バチカン美術館(一人でも行くつもり)やら、ついでのバチカン市国やら、スペイン階段やら、トレビの泉やら、なんやらかんやらが、見れなくなる!この日のスケジュールは: 真実の口、フォロロマーノやその周辺の遺跡、コロッセオを見ること。まあ、暗くなってもこの辺はライトアップされて遅くまで開いているから大丈夫だろう。まずはカンポマッシモという古代の競技場のそばを抜けて「真実の口」に行った。信号のない横断歩道を、クルマが途切れたのを見て渡る。すぐにクルマが一台やってきたのだが、停まってくれた。会釈をして渡り続けると2台目のクルマも停まる。ところが3台目のクルマが猛スピードでやって来て、ガッチャ~ンッ!!と派手に2台目に突入してきたのであった!あっという間にクラクションの嵐。わたしたちはまるで田舎ねずみの気分で慌てて信号を渡り切り、走って逃げた。ローマに来てまだ数時間。事故遭遇2回目。ローマはこわいところである。汗そんな思いをしてたどり着いた「真実の口」は長蛇の列であった!こんなことはじめてだよ、いつ行ってもガラガラだったのに。。。。。おっとは列に並んでも、見たかったようだがジョバンニたちに「時間の無駄無駄!さっさと次に行こう!」と急き立てられる。(←誰が無駄な時間を一番長く費やしたんやっ!?)そして早足でコロッセオへ。と。タニア「ああ!わたしのサングラスがない!!」なんでもう暗いのにサングラスなんて持って来るんだよ!?タニア「この旅行のために買ったばかりなのよ?60ユーロもしたのよ!?今来た道を戻って探してくる!!」と止める暇もなく、おばさんの手を引いてあっという間に闇の中に姿を消したのであった。え。。。。。。。。。。。。。。。?わたしとおっとはあっけにとられてコロッセオの前に取り残された。さっきから、ずっとビデオカメラを廻していたジョバンニ、「今のうちにフォロロマーノまで撮影しに行ってくる!」わたしとおっと「ダメだよ!ここで全員がはぐれたらどうするのさっ!?待ってなよ!!」ジョバンニ「どうせしばらく帰ってこないって。すぐ戻るから!!」と行ってしまった。すぐ戻るから!って、あんた。。。。。わたしたちは待ち合わせの場所も時間も決めていない。コロッセオの前、といっても広すぎて、観光客が多すぎて、漠然すぎる。わたしとおっとが出来ること、といえば、全員がちりぢりばらばらになったその地点で動かず、当てもなく、「待つ」しかなかったのである!!とうとうわたしの怒りは頂点に達しておっとと大喧嘩となった。しかしおっともこれでもずいぶん日本人ナイズされてきているので(?)彼らの行動にカンカンである。ひたすら2人でわめきまくっていると、やっとジョバンニが、これも怒った顔をして帰って来たのであった。ジョバンニ「どこももう真っ暗でビデオカメラを廻しても何にも写りやしない!明日またここに来て、撮りなおしだ!!」な。。。。。。なんだとうっ!!!!??????いつもう一度戻ってくる暇があるねん!!!!??????そこからジョバンニはおっとと2人で「明朝コロッセオでビデオを廻して、昼からバチカンに行って。。。」と勝手に計画を立て始める。わたしはムカムカしてきて「ごめん、明日の朝はわたしバチカン美術館を見たいの。だからこうしない?12時ごろにバチカン市国で待ち合わせ。」おっとはたちまち泣き出しそうな顔になった。「そんな!君しかローマを知らないのにぼくらだけで歩けないよ!それにそんなことして会えなくなったらどうするの!?」ふん、携帯電話があるだろうが。←クールしかし結局いつものおっとのウルウル攻撃に負けてしまい、「1時間だけだからね!」という約束で翌朝コロッセオも付き合わされるはめとなった。はぐれてから約1時間。タニアとおばさんがおまわりさんに付き添われてこっちに向ってくるのが見えた。わたしたちを見つけると、おばさんの目から感激の涙がこぼれる。彼女たちはサングラスを探しに戻って道に迷ってしまい、運良く通りかかったおまわりさんにホテルまでの案内をお願いしたらしい。大汗もちろん、サングラスは見つからなかった。。。。。。。。。。。。。。。。。どつくぞ、あんたら。この夜はマクドに行きたがるエクアドル人たちに断固として拒否をし、ホテルの近くのピッツエリアでピザを食べる。まあまあおいしかった。しかし。タニアがいかにもナポリ人の濃いウエーターに一目ぼれをしてしまい、やたら色目を使って口説いていた。やっぱりあんたもラテン女だよ。忙しいのにすまなかったね、マッシミリアーノ。(←ウエーターの名前。独身)(つづく)
2006.01.04
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皆さん、年明けのコメントありがとうございました!!これからも本当によろしくお願いします!!************2005年12月25日この日は前夜の余韻で全員昼前にのろのろと起き出し、遅いが軽いパネットーネとホットチョコレートという朝食を摂った後(←イタリア標準エクアドル人移民は朝から揚げ物も平気で食べるのだ!汗)、これもまた、軽くミラノ観光に出かけた。この日はどんよりと曇っていて、凍てつくような寒さである。急いで大型ショッピングゾーンのブエノスアイレス通りから中央駅をクルマで回り、ドウモ、スフォルチェスコ城へ。おっととジョバンニだけがあちこちで降りてビデオカメラを廻すが、わたしたち女性陣は寒すぎてクルマから降りることを拒否。ドウモだけはクルマで進入できないのでしぶしぶ降りて早足で見たが。出発も遅かったので日暮れも早く、この日は早々に家に帰り、おっとの焼いた大きな七面鳥の丸焼きにかぶりついたのであった。。2005年12月26日早朝3時起床。なぜならこの日からローマへの1泊2日の旅なのである。ローマをちゃんと見るなら最低でも3日間は必要だ。しかし、極貧なわたしたちには3日間もの旅費は出て来ない。ミラノからローマへは約620km。クルマで6時間の旅だ。コックさんも見送りにわざわざ起き出してくれた。5人乗りのクルマに乗り切れない彼はお留守番で、ちょっと寂しそうだった。宿はインターネット予約したテルミニ駅のそばのダブルルーム72ユーロ、トリプルルーム107ユーロと破格値なのに、写真で見る限りはちゃんとした3つ星ホテルである。しかし、3年前のエクアドル旅行の時にインターネット予約では少々怖い目に遭っているので、ちゃんと予約が通っているかどうかも不安であったが、何が心配って、わたしたちが月末のなけなしのお金をはたいて立て替えた、おばさんたちの宿代をちゃんと払ってくれるかが めちゃくちゃ心配だったのだ。なにせ彼らは信用の出来ないエクアドル人なのである!が。そんな心配は「普通」な彼らには無用であった。24日に我が家に着いたとたんに「これ、忘れないうちに。」と清算してくれたのだから。ミラノからローマに向う一直線の高速道路に乗って、一回給油したときも「はい、往きのガソリン代ね。」とおばさんはすんなり財布を開けてくれる。(こんな当たり前のことが「イタリア標準エクアドル人移民」や「貧乏在住日本人」相手だと簡単ではなく、いつもおっとがタダで利用されるあほな運転手に見えてしかたがないのだ。)これでわたしはかなりリラックス、おっととジョバンニが運転を替わって彼が安全運転であるのを確かめてからふ~っ、と息をつきウトウトと寝入ってしまった。しばらくして周りが明るくなってきたので目が覚めた。出発時はひどい霧で真っ暗だったミラノはとうに過ぎ、夜明けの光の中、クルマはあのわたしの大好きなオリビエートのそばを走っていた。うっとりとオリビエートを、ウンブリアの景色を眺め、いよいよローマに近づいたことに気づいて地図を取り出し、ナビをする。クルマはボルゲーゼ公園のそばを通ってテルミニ駅へ。目的のホテルは駅のすぐ横。写真で見た豪華さとは偉い違いで、看板さえあげていないちっぽけな入り口だったが、とりあえず中に入るとフロントはきっちりしていたので安心した。インターネットでは「駐車場つき」と書いてあったので、さっそくちょっと離れた駐車場の場所を聞いて行くとうさんくさそうな管理人のおっちゃんが出てきた。おっと「ぼくたち、◎◎ホテルの客なんだけど。」おっちゃんはわたしたちをじろじろ見て、「◎◎ホテル?何時間停めるんだい?」おっと「まる1日。」おっちゃん「30ユーロだ。」はああああああああ?「駐車場つき」というのは「無料」じゃないんかい!?おっちゃん「うちはそんなホテル専用のスペースなんか持ってねえよ。」わたしたちは納得がいかないまま、そこには駐車せず、ホテルの周りをぐるぐる何周もし、やっと見つけた路上の有料スペースに駐車することにした。やっとホテルに戻ってチェックインする。おっと「あの駐車場、有料って言われたんだけど、どういうこと?」ホテルのお姉さん「ええ有料ですよ。」←けろっと。おっと「お宅のサイトに駐車場つきって書いてあったんだけど?」ホテルのお姉さん「そんなこと、わたしは知りません。」←イタリア人の得意技である。汗そして更に。ホテルのお姉さん「まだ双方のお部屋の準備が出来てません。昼の2時以降にお越しいただけますか?」時計を見るとまだ11時だった。仕方なく相談をする。とても日本人なわたしはたった2日間で大都市ローマをくまなく廻るために事前にガイドブックとにらめっこをし、綿密に計画を立てていた。これなら今からイタリアンな昼食を摂り、コロッセオの周りの遺跡を半日かけて見て夕方に再度チェックインするのが理想だろう。ところが。おばさん「冗談じゃないわ!わたしはシャワーを浴びたいのよ!」タニア「わたしは髪を洗いたいの!」ジョバンニ「すみません、シャワーだけでも空いている部屋はないんですか?」ホテルのお姉さん「いえ。。。そんなお部屋は。。。。。。」ジョバンニ「。。。。じゃ、こうしよう!今から2時まで駅の周りの美術館とか見て、2時にチェックインしてシャワーを浴びよう!決まりだ!!いくきーと、この近所にさっと見れるような美術館はあるかい?」な。。。。なんじゃ、それは~~~!!!!????素直なわたしはオタオタとガイドブックを見直し、ちっとも予定になかった国立博物館を見つける。この博物館、実はローマでは有名なのだが、今まで「イタリア標準エクアドル人移民」にはそんなアートなものに興味があるひとにイタリア人と結婚したひとりを除いて出会ったことがなかったので、美術館、博物館系は度外視していたのであった。わたし「ちゅ、昼食はどうするの?」おばさん「昨日の七面鳥の残りをタッパーに詰めて持ってきたわよ!」げ~!!!!そんなもの、どこで食べるんだよ!?おばさん「部屋が用意できたらそこでいただきましょ。」は。。。。。恥ずかしい。。。。。。。。。。。。。。。。。。。貧乏学生のユースホステルでもあるまいし。ホテルのすぐ近くの博物館の入り口をくぐる。すると背後でがっちゃ~んっ!と派手な音がして振り返るとすぐ前の道路でバイクにクルマが衝突していた。こわいなあ、ローマって。。。と思いながら入り口のお姉さんに「入場料はいくら?」と聞く。お姉さん「4館共通券のみ7ユーロ。」4館も見ないが、まあお手ごろな値段か、と切符売り場に行くとおばさん、「おひとり9ユーロになります。」すぐそばでお姉さんが7ユーロって言ったばかりやん!おばさん「そんなこと、わたしは知りません。」←イタリア人の得意技である。汗タニアとおばさん「そんなに高いなら、わたしたち興味がないから外で待ってるわ!」ちょ、ちょっと待ってよ、あんたたちが美術館で時間を潰そうって言ったんやん!?ジョバンニ「わかった、ぼくたちだけで入ろう。」←いいんかい、それで!?そうして憤慨しながらわたしとおっととジョバンニは博物館に入った。有名なだけあって、中は素晴らしい彫刻であふれ、わたしはまたたくまに現実を離れた。(←美術、博物館オタク)しかし。夢の中をふわふわとさまよっていると、何度も何度もジョバンニに「外で2人が待ってるんだから早く出よう!」と急き立てられて集中して見るどころではない。しまいに引きずられて外に放り出されると、タニアとおばさんは門の前でイライラと待っていた。タニアとおばさん「わたしたち、トイレに行きたいの。次の博物館はわたしが入ってトイレに行くわ。さあ、どこ!?」わたし「ええええ~と。。。」と地図を広げて幸運にもすぐそばの別館を見つけた。今度はおっととジョバンニが外で待って、わたしたち女性陣が中に入る。ここの庭は、古代の彫刻が無造作にごろごろしていて素晴らしいのだ。しかしタニアとおばさんはそれには目もくれず、一直線にトイレへ!2人は用を足して出てくると「せっかく博物館に入ったんだし、ちょっと見ましょうか。」と言ったのでほっとした。しかし。ここも同じであった。タニアとおばさんは駆け足の流し見である。「お墓みたいでおもしろくないわ。もう出ましょう。」そりゃそうだ。ここの博物館の見所は死者の埋葬された古代の棺からの発掘品なのだ!!あああああ。。。。哀時計を見るとやっと2時。やれやれとホテルに戻る。ホテルのお姉さん「まだダブルのお部屋しか準備が出来てません。」タニア「そんな!外で今までずっと待ってたんですよ!?」ホテルのお姉さん「ダブルのお部屋でお待ちいただいたら20分ほどで用意しますのでお呼びしますわ。」わたしたちはしぶしぶダブルの部屋、つまりわたしとおっとの部屋で待つことにした。おばさんはさっそく「さあ、昼ごはんを食べましょ!」とスーパーの袋をベッドの上に開いて、その上に七面鳥のタッパーと、コックさんが焼いたもうカチカチになってしまったパンの残りを広げる。わたし「ナイフとフォークとナプキンは?」おばさん「あら、忘れたわ。」ううううううううう。。。。。。わたしたちはベッドに身を寄せ合って、手づかみで七面鳥を食べ、掴むとぽろぽろパンくずのこぼれる固いパンをぬるくなってしまったコーラで喉に流し込む。こうして20分がたった。ホテルのひとは呼びに来る気配がない。タニア「わたし、もう我慢出来ない! シャワー貸してね!」と洗面所にこもってしまった。汗わたしたちはTVを見ながらぼんやりと待つ。1時間近くたってもまだシャワーの水音が続く。。。。ジョバンニとおばさんもいそいそと着替えを荷物の中から準備しはじめた。ちょ、ちょっと!全員うちらの部屋でシャワーを浴びる気!?ちょうど1時間後、タニアがさっぱりした顔でわたしたちの部屋のバスタオルを頭に巻いて出てくると同時におばさんがさっと洗面所に飛び込んだ。。ホテルのひとはまだ来ない。時計を見るともう4時。あ。。。あかん。今日の観光はもしかして博物館だけで終わり!?大都市ローマ、2日間しかいないんですけど!!??涙(つづく)
2006.01.03
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明けましておめでとうございます!日記を読んでくださっている皆々様、本年もよろしくお願いします。いや~。。。さすがに10日以上も日記をさぼっていますと近年にないアクセス数のあまりの低さにたまげてしまいました。今週は社長もバカンスでいないことだし(予定では)、ちっと真面目に日記を書かねば。。。*********「休暇」とは: 「休む」「暇」という意味のはずである。(←そのまんま)考えたら去年の有給休暇25日間は年末に取った4日間を最後に、「体力」と「精神力」を「消耗」させるだけのために消化されてしまった気がする。汗2005年12月23日(金)この日は社員、社長全員の意見の一致で午前中で仕事が終わった。「クリスマスが命」のカトリック教の国イタリアでは、クリスマスイブ直前まで仕事なんぞやっている暇はないのである!街は最後のクリスマスプレゼント買出しでごったがえし、わたしは平日昼間だというのに超満員電車に揺られて家に帰り、大掃除をした。2005年12月24日(土)朝早くに起きてマルペンサ空港までおっとのおばさん家族を迎えに行く。コックさんも一緒に起き出して、さっそくパンを焼くために粉を練りだした。空港に行くと、おばさん家族はすでに到着していて、すぐに遭うことが出来た。わたしにとって初対面である。彼らはスペインに住んでいる。わたしの中での標準エクアドル人移民のイメージは:「ごつくて」「浅黒くて」「背が低くて」「むっつりした」「酒がなくてはお話にならない」いわゆる「ウイリアムの家族」や、「「渡る世間は鬼ばかり」を地で行っているジェノバのはとこ家族」のようなイメージだったので背は低いけどほっそりして、品のいいショルダーバッグを提げ、フェミニンな服装のおばさんマリアと、おっととおなじぐらい背の高い、濃いスペイン人のような顔立ちのいとこジョバンニと、サラサラのロングヘアのおとなしそうないとこ妹タニアが出てきて、「ああ、やっと噂のいくきーととご対面が出来たわ!」と抱きついてきた時には面食らったのであった。うううううう~~~~~ん、スペインのエクアドル人移民と、イタリアのエクアドル人移民とではこうも違うのだろうか??だって。。。だって。。。。。。第一印象だけでは、めちゃめちゃ「普通」やん!!!(←「普通」とは一般日本人や欧州人と比較して、である。)空港から我が家に向うクルマの中でもおそるおそる彼らを観察した。わたしはスペイン語はあまりわからないけど、彼らの会話を聞いているととても上品に聞こえる。おっともいつものウイリアムやジェノバのはとこ家族と喋っているようなスラング連発の下品な言葉ではなく、上品な言葉を選んで喋っているような。。。???このおばさんはもしかして我が「お嬢母」のような存在なのだろうか?ああ、どうしよう。「イタリア標準エクアドル人移民」を予想して、気を抜いて、新しいタオルも布団も用意してないよ!こうして悶々と小さなことで悩んでいると、「いくきーとは仕事、何してるの?」とジョバンニが英語で聞いてきた。これにも相当たまげる。だって。。。だって。。。。。。知っている限りの「イタリア標準エクアドル人移民」は英語なんて話さないぞ!!(←おっとを含め。涙)しかし、おっとの親戚にこういう人達もいるのかと思うと、なんだかうれしくてつい感慨に浸ってしまったわたしなのであった。家に到着した。ドアを開けると香ばしいいい匂いが家中に漂っていて、イタリアではお目にかかったことがないような、ふわふわのフランスパンが焼けたばかりでテーブルに載っていたのである。手際よくコックさんが用意してくれた昼食のパスタをみんなで頂く。実はコックさんの中でも「標準エクアドル人移民=お皿にてんこ盛り食べるウイリアム家族」の図式が出来上がっていて、それはそれは大量にパスタをゆでたのだが、みんなが普通量しか食べないのを見てたまげたのであった。コックさん「このひとたち、「普通」ですね。。。っつうか、「上品」だ。」 ←やっぱりあんたもそう思うか。普通な昼食が済み、コックさんの指示の元、買出しを急いで終えて、みんなでキッチンに立ち、支度をしているとあっという間に夜になって、目目さん一家が彼女のお友達のさびしがりやのコモ在住の日本人のおじさん(独身。若い結婚相手募集中)と一緒にやってきた。さっそくみんなでテーブルに着き、コックさんが1週間前から徐々に仕込んできた素晴らしい料理の数々をフルコースで頂く。バックミュージックはジョバンニが持ってきたサルサではあるが、ボリュームを落としているので耳につかず、気分はホテルのレストランの中のようである。目目さん「同じスペイン系でもエクアドル人は上品なのね。きのうはスペイン人のパーテイに行ったんだけど食べてる間も音楽がうるさくて、たまらなかったのよ。」←やっぱりあんたもそう思うか!(嬉しい)しかし。スペイン語、英語、イタリア語、韓国語、日本語の混じったインターナショナルな会話が弾んだ食事が終わり、目目さんが持ってきたこれも手作りの「ブッシュ ド ノエル」(木の形をしたドイツのクリスマスケーキ。これもコモ在住のおじさんは知らなかったのに、ジョバンニは知っていたのでまたもや感激!)を食べている間にサルサのボリュームがあがった。おばさんが体を揺らし始めると、それを合図に目目さん一家を除く我が家とエクアドルチームは黙々と食器を下げ、テーブルを隅に移動させる。目目さん「。。。。これってもしかして舞踏会会場を作ってるの?」コックさん「そうです。」←すでに場慣れ舞踏会会場が出来上がると、まずはおばさんとジョバンニが手を取って踊りだした。すぐさまコックさんが進み出て、ひとりで踊りだす。目目さんは目をキラキラさせながら興味深く見つめ、目目娘ちゃんはママから離れないながらも跳ねながら踊り始めた。そしてわたしとおっとが加わると、とうとう目目さんも立ち上がってダンスの輪に入ってきたのである!ジョバンニ「サルサのステップはこうだ!!」とインストラクターのごとく、みんなの先頭に立って「ウン、ドス トレス、クアットロ!」と踏み始めた。目目夫、コモのおじさんも並んで踏み出す。ここからは踊る、踊る。目目さんはスカートをひるがえしてバレリーナのようである。お相手の目目夫さまもなかなかのダンサーである!コモのおじさんはひょっとこ踊りのようである。コックさんは突然フランスパンを掴んだかと思うと、ギター代わりにして片足で踊り始める。わたしたちが「今日の功労者コックさんに拍手~!!!!!」と拍手喝さいすると、コックさんは感激のあまり、エクスタシーに達して、パンを放り出し、走り去ってしまった。汗しばらくはコックさんはトイレにでも入って酔いを醒ましているのだろうと、そのままみんなで踊り続けていたのだが、いつまでたっても戻ってこない。だんだん心配になってきた。わたし「。。。トイレで気絶してるのかな?」とトイレのノブに手をかけるとドアが開いていたのでおそるおそる覗き込むと、トイレは空っぽ。おっと「部屋にもいないよ。」と真っ暗な彼の部屋を覗き込みながら言う。目目さん「。。。ベランダにもいない。」コックさん。。。。。。。。どこに消えたんだ!?わたしは彼の部屋の電気を点け、入った。すぐに何かにつまずく。そろそろと足元を見る。それは1本の「足」だった。そう、コックさんは酔っ払って、部屋の中に干していた物干し台の下できちんと枕まで引いて伸びていたのである!!みんなは大爆笑。わたしはコックさんを揺り起こし「だめだよ、こんなところで寝ちゃ!」コックさん「ううう~~ん、あれ?誰が枕引いてくれたんっスか?」自分で引いたんだよ!コックさんは枕があるのを確認して安心したように寝返りを打ち、またもやそのまま眠ってしまったのである。こうして笑いの渦の中、わたしたちは踊り疲れて、パーテイはお開きとなり、連休初日は終わったのだった。(つづく)
2006.01.02
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