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2月28日のホワイトハウスにおけるトランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談決裂後に、世界は大きく動いている。もっとも注目すべきは、英スターマー首相と仏マクロン大統領がセッティングした、ウクライナ支援のためにゼレンスキー大統領を囲んでの欧州首脳会議である。3月2日、18カ国の首脳と機関がロンドンに集結した。この会議が歴史的な重要性をもっていることは、米国抜きで、トルコが参加していることとカナダのトルドー首相が参加していることで、両国が欧州会議に参加するのは初めてのことである。さらに親トランプのイタリアのメロニー首相が、トランプ氏を振り切ってEUの決議に賛同した。 この会議の前にゼレンスキー大統領は英チャールズ三世国王と握手を交わした。のみならず国王はゼレンスキー大統領の腕を優しくおさすりになられた。このことは国際的には非常に大きな意味をもつ。チャールズ国王はトランプ大統領との面会も予定されていたが、現時点で延期になっている。はたして実現するのかどうか。 さらに、ゼレンスキー大統領の服装は戦争渦中の国家元首としての服装で、礼装ではなかった。しかし国王はそれを受け入れられた。 ・・・このゼレンスキー大統領の服装について、トランプ大統領との会見でも同じ服装であったのだが、アメリカでは無礼と批判する取材者がいたようだ。ゼレンスキー大統領は3年前にロシア侵攻により戦時体制になって以来、一貫してスーツを着用していない。 無礼と批判した記者は勉強不足である。第二次世界大戦下の1942年、英チャーチル首相がホワイトハウスでルーズベルト大統領と会談した際の服装は、礼装でもなくスーツでもなく常装軍服であった。有名な写真が残っている。このとき合衆国はチャーチル首相をまったく批判しなかった。 ホワイトハウスには歴史的な先例があったのである。・・・つまり、記者の中にさえウクライナとゼレンスキー大統領を侮り見下すような心理が形成されていたということだろう。 この両国大統領会談でもっと憂慮すべきことがあった。それはバンス副大統領が会談に割って入り、持論を述べたことである。 国際外交では首脳同士の話に下位の者が口を挟むなどあるべきではない。無礼を通り越して、ホワイトハウスはバンス副大統領を処罰すべき行為だったのだ。報道関係は、戦時下にあるゼレンスキー大統領の服装を批判し揶揄うよりも、バンス副大統領を猛烈批判するほうが報道の本筋であろう。【注】 上に述べた1942年にホワイトハウスを訪問した軍服のチャーチル首相の写真は、トランプ/ゼレンスキー会談決裂後のマイケル・マックフォール、スタンフォード大学教授・元駐ロシア米国大使のX(ツイート)にも掲載されている。【注】欧州首脳ロンドン会議は、ロシア/ウクライナ戦争の「1ヶ月停戦」の提案を準備していると報じられている。しかし、もしも「1ヶ月停戦」が決議され、交渉のテーブルに乗せられたならば、ロシアは受け入れる可能性が強いだろう。なぜなら、ロシアはその1ヶ月間に、ウクライナ軍によって弱体疲弊化している戦闘態勢を、立て直せるからだ。プーチン大統領は「侵略」政策を決して捨てはしないだろう。彼の狙いは単にウクライナのロシア化だけではない。ポーランド、ルーマニア、フィンランド・・・邪な欲望の視界は次々に広がっている。欧州はそれを熟知しているはずだが・・・
Mar 4, 2025
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両作品ともに山田しゑ作 1965年頃 写真;北海道新聞社 朝からの雨がとうとう雪になった。わが町の初雪である。なんとまぁ、「桃の節句」の3月ですぜッ!
Mar 3, 2025
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Mar 2, 2025
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米ホワイト・ハウス外交史上始めて両国首脳がマスコミ取材陣の前で口論。米大統領はついに全世界にそのビジネス・マフィアのような本性を現した。 侵攻者プーチン・ロシア大統領に加担しつつウクライナの鉱物資源(レア・メタル)を要求する米大統領の卑劣な取引に対し、ウクライナ大統領はウクライナ国民の矜持を示して自国の自立防衛のために、ウクライナの将来的安全保障を全く抜きにしたこの卑劣な取引を断った。 トランプ大統領の言動は、ゼレンスキー大統領に対し朝貢外交を強制しているようだ。それはこの会議におけるトランプ大統領の言葉に明瞭にあらわれていた。 Trump ; You not, don't tell us what we're going to feel because you're in not position to dictate thatremember this, you're in no position to dictate whatwe're going to feel, we're going to feel, we're goingto feel very good, feel influ・・, feel very good andvery strong, you will feel influence you're right nowin a very good position, you've allowed yourself to bein a very bad position, it happens to be right aboutfrom the very very begining of the war you're not in agood position, you don't have the cards right nowwith us you start having right now you don't you'replaying carding card you're gambling with the livesof millions of people you're gambling with World WarIII, you're gambling with World War III, and what you'redoing is very disrespectful to the country, this country. (ANNnews CHの映像より原語を速記:山田) ゼレンスキー大統領はロシアに侵略されているのはウクライナであり「私は戦争の渦中にある大統領です」とトランプ大統領に抗弁し、その終戦のためのアメリカ合衆国との外交はあくまで相互に対等であることを示したのである。ウクライナはロシアに対し譲歩することは些かもないからである。そして、ゼレンスキー大統領はアメリカ合衆国に対して、アメリカ合衆国国民に対して、感謝の言葉を20回以上も繰り返し述べているのであるから、トランプ大統領が「貴方はこの国に対して感謝をしていない」と面罵したことは、明らかな誤認というより、「見返りを寄越せ」が本心だと理解できよう。 このニュースに対してすぐさま欧州各国の首脳は反応し、それぞれがSNSでウクライナ支援を表明した。それは、米大統領は就任以来、超越的権限を有する大統領令によって、矢継ぎ早の爆発的な速度で世界の民主主義国家の分断につながる政策を打ち出しているからである。世界の危機の瀬戸際認識が、28日の両国大統領の外交破綻によって事実上の危機と認識されたのである。 アメリカ国内の反応はどうか。トランプ大統領の味方であるはずの下院共和党会議の元議長リズ・チェイニー氏が、ゼレンスキー大統領が守ろうとしていることとアメリカ合衆国がその歴史において守ってきたこととは同じであるが、トランプ大統領とバンス副大統領はそのアメリカ合衆国の歴史に恥ずべき汚点を残したことを記憶しなければならない、と非難した。 先月2月24日にトランプ大統領はフランス大統領マクロン氏と会談した際、その手前勝手な発言をマクロン大統領が嗜めるように手で制止した。そのニュースは物笑いの種となって全世界に広まったばかりだ。アメリカのマスコミさへトランプ大統領に好意的に報じなかった。
Mar 1, 2025
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ジーン・ハックマン氏が亡くなった。享年95。 米時間26日、ニューメキシコ州の自宅で夫人と愛犬と共になくなっているのを発見されたという。サンタフェ郡保安官事務所は、夫妻の死因は確認していないが犯罪性は無いと発表した。 出演映画: 「俺たちに明日はない」1967 「父の肖像」1970 「フレンチ・コネクション」1971 「ポセイドン・アドベンチャー」1972 「スケアクロウ」1973 「カンバセーション:盗聴」1974 「ヤング・フランケン・シュタイン」1974 「ミシシッピー・バーニング」1988 「訴訟」1991 「許されざる者」1992 「ザ・ファーム 法律事務所」1992 「クリムゾン・タイド」1995 「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」2001 私は「許されざる者」の悪徳保安官リトル・ビル・ダゲットを演じたジーン・ハックマン氏が忘れられない。クリント・イーストウッド演じるウィリアム・ビル・マニーに銃殺されるシーンのハックマン氏は素晴らしかった。 名優ジーン・ハックマン氏を追悼します。
Feb 28, 2025
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きょうは少しばかり暖かった。まだまだ寒さはつづくようで、来週はどうやら雨つづきらしい。 暖かくなると猫たちの恋の季節。俳句では「猫の恋」は二月の季語である。江戸中期の俳人高井几董(たかいきとう;1741-1789) の句に、「轉ひ落し音して止みぬ猫の戀(ころびおちし おとしてやみぬ ねこのこい)」我が家の近辺のどこからも、まだ猫たちの声は聞こえない。 ところでロッシニー作曲に「二匹の猫のおもしろい二重唱 (Duetto buffo di due gatti)」がある。「ミャーウ」という猫の鳴き声に終始する歌曲である。いま私の手元にその楽譜がある。メロディーはそんなに難しくない。ただ、この割合単縦なとも思えるメロディーを愉快に、可愛らしく、魅力的にデュエットしようとすれば、意外に難しいかもしれない。ピアノの伴奏も大事になってくるだろう。 ・・・低音パートから始まる。F-Majo(ヘ長調)4分の4拍子で、AーD#C(ミァ---ウ)、AーBAFー(ミー---アウ)、Aー↓D♭EBGEDーF♮EDー(ミァ--------ウ)・・・というぐあいである。面白いのは、29小節目の高音部・低音部共に「Soffio (呼吸)」と書かれている。ブレス記号(V)ではないのだ。私はこのような記述を初めて見た。ピアノ伴奏は二分休符になっている。ということは二分休符の長さでこの部分は無音になるわけだ。そして次の小節から8分の6拍子になる。・・・なるほどねー。 というわけで、ただいまロッシーニの "Duetto buffo di due gatti" の楽譜を読んでいるところである。YouTube 仏リトル・シンガーズの二人による猫の二重唱この演奏では上述の「呼吸」の部分を観客サーヴィスのfúnny hahá (おもしろおかし)なインターヴァル にしている。この部分は自由な演出にまかせているのかもしれない。次は同じくYouTubeでみつけたベテラン歌手キリ・テ・カナワとノーマ・ブラウンによる猫の二重唱。キリ・テ・カナワとノーマ・ブラウンによる猫の二重唱
Feb 26, 2025
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トランプ大統領のセルフィッシュ(自己本位)な発言がつづく中で、アメリカの大企業の株価が軒並み下落している。トランプ大統領はウクライナのレア・メタル(希土類資源)欲しさに、侵略者ロシアに加担してウクライナを脅したり賺(すか)したりしている。大統領の「両国停戦・終戦」と「平和」は、彼の「ビジネス・ディール」が成立することにほかならない。 ・・・アーティスティックな話題ではないが、ロシアのウクライナ侵攻による両国全面戦争(それはすでに11年前、2014年のロシアのクリミヤ侵略から始まっている)、引いては全世界パワー・バランスの今後に重大に関わっている問題だ。それは、欠点はあっても人間社会の基盤としての叡智として到達した民主主義を破壊し、独裁政治によって世界を染め上げることになるか否かの瀬戸際にある問題である。自由があってのアートである。 独裁政治を志向する者たちを精神病理学的に観察すると、自己のいわば悪しき心理をそっくり相手に転化して、まるで相手が悪しき心理であるかのように、自己を正当化して相手を侮辱し、罵倒し、その存在を無きものにしようとする。病的なセルフィウッシュ(selfish; 自己本位)は、意識の表層では決して自己の本姓に気づくことがない。軽い言葉で言えば、まるで幼児の駄々っ子みたいな人格。自分の過ちを認めない。外界に対する錯誤と欺瞞と謀略によって生き、自らが仕掛けたその網(ネット)に自らも搦め捕られ、何が真実か解らなくなってしまう。そのセルフィッシュさは、政治家である場合は政治手腕のように見え、支持者や心酔者が蝟集する。あるいは「類は類を呼ぶ;Birds of a feather flock together」。しかし、その精神状態が突き進むと容易に殺人者にもなりうるものだ。戦争を志向し、酸鼻極まる虐殺によって英雄を気取ることになる。英雄視されたいという欲望が目的化するのである。・・・世界の独裁者や独裁傾向者たちを見るといい。そのすべての人物に上述のことが当てはまるだろう。
Feb 25, 2025
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Feb 24, 2025
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昨日2月22日は「猫の日」だった。ニャンニャンニャン、と遊び心ある呼び名が、いつの頃できたのか私は知らない。「猫カフェ」などというカフェがあり、人気があるようなので、「猫の日」という日もおそらく愛猫家たちや商人の発想だろう。 我が家にはもう猫たちはいない。クロ(雌猫である)を親として、子や孫たちが生まれたが、みな長生きして天寿をまっとうした。 女性なのにクロという名はヘンだと思うかもしれない。ギリシャ神話の「ダフニスとクロエ」、フランス語でChloé, ファッション・ブランド「クロエ」のあのクロエを縮めた名前である。我が家では「天才クロ」と思っていた。猫離れした猫、人語を完全に理解し、豊かな「心」をもっていた。 動物と人間との「交感」などあり得ないと考える学者(?)もいるようだが、それはその人の人間性が動物たちに見抜かれているから、と言えなくもない。学術的(?)論説として公言する前に、信頼できる映像を含む膨大な実例と自分自身とをしっかり観察するほうが先かもしれない。 さて、「猫の日」の一日遅れになるが、我が家の猫たちの思い出に、昔の私のスケッチと彼らをモデルに装丁のために描いた絵を掲載しよう。クロ、ミーコ、チョンコ、ルル、チーコ 「猫団子」1986年ミーコ 1987年 クロの長女。逆子で生まれた。クロは出産に苦しみ、生まれるまで4時間ほど要した。私が付ききりで励まし、出産を手伝った。それ以来、クロは人語を理解するようになった。また数年後に重病になり、身体はボロ雑巾のようになった。病院でも安楽死を勧められた。が、私はクロに「きっと救けるよ」と言い、病院から器材を借り、自宅で毎日添い寝をしながら2ヶ月ほど看病した。クロの片目は熱のために溶けてしまったが、ついに完全快復にこぎつけることができた。病院の院長先生は「奇跡」と言った。私はその言葉を容認しない。ただ、器材を無償で貸してくださったことに感謝した。 ミーコはおもしろい猫で、戸袋の小屋根などにのぼっているのを、下から「おいで」と両手をさしのべると、立ち上がって自分も両手をさしのべて私の腕につかまった。クロとサチとフク「ノーサイド」誌(文藝春秋)のためのスポット(カット)クロ、ミーコ、チーコ (蝶はウラナミアカシジミ。私の小学生時代の思い出の蝶) 花輪莞爾「猫鏡」(平凡社)装丁画。この装丁は1992年ブルノ・グラフィック・ビエンナーレで選定され、同展カタログに1ページ大で掲載された。コタン(この名前はアイヌのコタン(村)の熊祭から連想。亡父が笑いながら「なるほどね」と言った。)「イギリス・ミステリ傑作選 '83年版 伯父さんの女」(早川書房)の装丁画
Feb 23, 2025
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【注】ここに書いた言葉は、松尾芭蕉の「朝顔に我は飯食う男哉」を借用しての反語的なモジリである。衆知の名句なので説明をしなかったが、あらためて記しておく。現代戦争の裏にある醜さ、実は侵攻者やその戦争終結仲介者である国々の最高権力者のほぼ個人的な欲得ずくの「本心」を、私は指摘したいのです。およそ普通に誰もが思い描くような人間のいわゆる等しい「平和」を、彼らは意志してはいない、ということです。それを政治と言うのなら、もはや何をか言わんやです。
Feb 20, 2025
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Feb 20, 2025
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Feb 19, 2025
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こりゃーポスターにもならないな、押し込み強盗団長とマフィア式強奪団長どうしが被害者の頭ごなしに握手だってヨ!?。"Birds of a feather flock togeither" かーッ! 狙っている物は何であるか、岡目8目、誰もが判っているゼイ。
Feb 18, 2025
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NASAの宇宙探査機ヴォイジャー1号が1990年2月14日に60億kmの彼方から地球を撮影した「Pale Blue Dot (薄青い点)」という愛称が付けられた人類史上記念的な画像を、その35周年を記念して先日NASAが再び公開した。画像は現在の最先端ソフトウェアーと画像処理技術によって最初の画像より一層鮮明になった。そこにはまさに私たちの地球が「Pale Blue Dot 」として写されている。人類が最も遠くから目にする地球である。宇宙を構成する1,000兆個といわれる星の中の人間が乗るたった1個の星である。愛しい愛しい薄青い点である。点のようなこの星を、守ろうとする人間も、破壊しつくそうとする人間も、等しく乗っている。 ヴォイジャー1号と2号は、太陽圏を抜けて今尚飛行しつづけている。何処へ? 宇宙の彼方、永遠に向かって・・・NASA 'Pale Blue Dot' Revisited
Feb 17, 2025
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何が起こっていたか私は知らないのだが、午後数時間なんだか外が騒がしかった。ヘリコプターが市の上空かなりの高度で旋回していた。2時間も飛行していただろうか。私は家の中にいて、大きな工事が始まったかと想っていた。ところが小用があって近くまで出かけると、ヘリコプターであることがわかった。そしてさらに、その飛行とは無関係だと思うが、交差点で交通事故が発生していた。乗用車とオートバイが衝突したらしい。救急車が誰かを搬送した。さらに同時間に別関係で消防車2台がサイレンを鳴らしながら疾駆して行った。 ・・・まあ、こんな事態は私の居住地ではめったに起こらないのだが・・・
Feb 15, 2025
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きょうは昼食後から始めて午後6時まで明治時代の手書きの史料を読む。手書き行書はまだしも、小さな文字の略字もあり、繰り返し読むには不便。コンピューターで活字体に直しながら読んだのでなかなか時間がかかる。現代ではまったく使わなくなっている言葉もある。たとえば「兵燹(ヘイセン;兵火に焼かれること)」。フォントに入っていないかもしれないと思ったが、入っていた。逆にオドロイタ。 読んでいるのは明治33年に書かれた会津戊辰戦争の、私がこれまで目にしなかった記録で、八月下旬から九月下旬までつづいた籠城時の詳細な身分別の総人数まで書かれている。奥御殿が危なくなったので藩主松平容保と子息は頑丈な鉄門(くろがねもん:現在復元されている)に移った。藩主は将6名を定め、さらに内政に与る者38名を定めている。その全員の氏名も記録されている。ソニー創設者井深大氏の御親族お二人の名もある。この名簿で興味深いのは家老西郷頼母の名前がどこにも登場しないことである。松平容保の勘気を被ったことがここに反映していると見なければならないだろう。 ・・・これからじっくり読んでいこうと思う。
Feb 14, 2025
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朝から午後5時過ぎまで強風が二階の軒下を唸りをあげて吹いていた。吹き飛ばされたプラスティック袋か何かが、送電線に絡まって、電車がストップしたと聞いた。建築現場の7メートル丈の防音シートが吹き飛ばされた処もあるようだ。まさか春一番ではあるまい。今日の日差しは明るく晴れていたが、またまた寒波が襲来するとか・・・。 それにしても暴風は世界に吹き荒れている。 一国の大統領や首長を選ぶのは実際本当に大事だな。その一人の采配で、国家がまるで押し込み強盗殺人者のようになってしまう。まあ、それは現代に始まったことではなく、人類史に縷々つづられてきたことだ。中世・近世と現代の違いを簡単に言えば、その首長自らがまったく戦場に出ないということだ。国民を狩り集めてまるで己の盾のように矢面に立たせる。あるいは兵を売って懐に金を入れる。・・・この私の指摘が嘘でないのは、たとえば数年前にイギリスのレスターで発掘されたリチャード3世の遺骨を見れば分かる。 その遺骨にはすさまじい傷跡が見て取れる。頭蓋骨を貫き脳まで達した剣による傷。頭蓋骨にはさらに重量級の刃による大きな穴となった傷がある。ナイフによると想われる下顎の傷。死後に加えられた打撃による肋骨のダメージ。骨盤のダメージ。両足の切断。 リチャード3世の戦場での死については、チャールズ・ディッケンズの「イギリス史」にも描写されているが、レスター大学の考古学チームの研究で上述のように明らかになった。 王の戦場でのこのようなすさまじい死に様は、現代の兵士たちには起こりうることだが、彼らの後ろでたらふく食って采配を振っている者には起こりえない。・・・そこに焦点を絞ると、なんだか20世紀21世紀の現代世界は、人類史上でもっとも醜悪な時代のように、私は思えてならない。 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画「海の上のピアニスト (The Legend of 1900) 」(1998年・イタリア映画、日本公開1999年)は、ヨーロッパと米国ニューヨーク間を航行する客船内に捨てられた生まれたばかりの赤ん坊が、下級機関士に発見されて国籍も名前もないまま船内で成長し、船内楽団のピアニストとして一度も陸に上がることなく生涯をとじる物語。赤ん坊は1900年に生まれたので「1900 (ナインティーンハンドレッド)」と呼ばれている。 物語の語り手であるトランペッターが、その数奇な話をはじめるときのセリフ。 「It was the first year of this fracking century (イカレタ世紀の最初の年)」 英語の実際のセリフをそのまま訳せば、「この水圧破壊の世紀」であるが、日本語の字幕は「イカレタ」と訳している。これはすばらしい翻訳だ。そしてこのイタリア映画が制作されたのは1998年、日本公開されたのは翌1999年であるが、まさに世紀の変わり目だったことは、私にはジュゼッペ・トルナトーレ監督が意図したとしか思えない。同監督の名作「ニュー・シネマ・パラダイス」のテーマも、いわゆる時代の移り変わりと人生を重ねるものであった。私はそこにジュゼッペ・トルナトーレ氏の映画作家としての一貫した視線を思う。 そして先にのべたとおり、私は、イカレタ君主や大統領や首長によるイカレタ20世紀21世紀の暴風圏を生きていることを自覚する。
Feb 13, 2025
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現在、新宿駅東口と西口の再開発が進んでいて、小田急百貨店と地下広場はすでに取り壊され、新しい建設工事が始まっている。ひきつづき西南口の京王百貨店とルミネも取り壊され2028年に新建設に着工するらしい。東京都と新宿区による共同の再開発計画は2040年の完成を目指している。現在の京王百貨店は9階建のビルディングであるが、完成時には19階建になるという。私は生きていたとしても100歳を超える。まあ、新しい新宿を見ることなく、元素に還っているだろう。 私は現在、京王電鉄沿線に住んでいる。京王百貨店は馴染みというより、その建物に常時出入りしているわけだ。さて、その京王百貨店は昭和39年(1964) に竣工して開店した。私が大学入学した年である。その年に東京オリンピックも開催された。 今、京王百貨店では取り壊し直前の大きなイベントとして「有名全国駅弁とうまいもの大会」が開催されて賑わっている。この「全国有名駅弁大会」は京王百貨店の名物イベントとして知られているが、その第一回は昭和41年(1966) に開催された。じつは私はその第一回駅弁退大会にアルバイトで販売員をやったのである。富山の「鱒の鮨」とか群馬県高崎の「だるま弁当」、あるいは岡山の「祭り寿司」、信越線横川駅の「峠の釜飯」などを私は担当した。思い出せば、良く売れて大忙しの持ち場だった。ハハハ、嬉しかったなー。 私は、高校生のころは会津若松と両親が住む札幌を往復していたし、大学生になってからは東京から帰省していたのだが、北海道森町の「イカ飯」は馴染みの駅弁。その「イカ飯」は「駅弁大会」では、たしか森町から出張して来た料理人が店内のブースで直接作っていたと記憶する。人気駅弁のひとつで長い行列ができていたことを思い出す。 現在では東京駅でも上野駅でも、各地の駅弁が気軽に買える。私もたまに利用する。先日も上野駅で「神戸のすき焼き弁当」を買った。・・・便利といえば便利。おいしく食べながら、しかしこころの何処かで「旅が味気なくなったかもしれないな」と思っていた。もっとも、昔のように列車到着プラットホームを駅弁売りが、首から片肩にかけて、ベルトで吊った黒塗りの平たい木箱(正式名称は何というのだろう?)を胸に抱え、駅弁の折り箱を積み上げ、「弁当、弁当」と駆け足で売り急ぐ姿が消えて久しい。客は車窓を開けて呼び止め、弁当を買った。茶色の陶器の急須に入ったお茶も売っていた。経木箱に入ったアイスクリームの売り子も、「アイスクリーン、アイスクリーン」とホームを駆け足だった。・・・いつのころからか列車の窓が開かない造作になっている。スピードが格段に向上し、危険防止のためであろう。・・・などと思いながら、学生時代のアルバイトを思い出したついでに、京王百貨店の「全国駅弁大会」に行ってみるか・・・
Feb 12, 2025
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ジョン・スタインベックの小説「赤い子馬」(1937) の最初の映画化、ルイス・マイルストン監督、ロバート・ミッチャム、マーナ・ロイ、ピーター・マイルズ(子役)主演の米映画「赤い子馬」(1949) は、原作者のスタインベック自身が脚本を書いている。その映画作品に、老いて同じ思い出話を家族に数百回繰り返して、今や家族にうるさがれ疎んじられている祖父がポーチに座って述懐するシーンがある。それは次のような言葉だ。 「I am nearing the end of into my life and there's nothing I do and nothing I have done that I don't know could be done better but I don't do nothing about.」 (わしの人生は終末に近いのに、わしがすることは何も無い。今までやったことも何も無い。もっと良くできるかもしれないことなのに、しかしわしは何もしていない。) このお爺さんの述懐を、私はここに書き留めておこう。
Feb 9, 2025
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たまたまwebサイトをザッピングしていたら1年半前のテレビニュースに目が止まった。テレビ静岡の2003年9月10日の放送。タイトルに曰く、「戦後にブルドーザーに改造された九五式軽戦車 静岡・御殿場市に到着 博物館での展示目指す」 報道の内容は、1940年(昭和15年)頃に日本で製造された九五式軽戦車が、戦後ブルドーザーに改造されて北海道など各地で活躍してきた。そのおそらく現存する最後の1台が、静岡県の博物館に展示されることになるだろう、というものである。テレビ静岡「戦後ブルドーザーに改造された九五式軽戦車」 私がこの旧聞となるニュースに目を留めたのは、「あれはやはり」と思い当たることがあるからだった。もうすでにこの日記に何度も書いているが、鉱山技師だった亡父の転勤で私たち一家が福島県南会津の住友金属八総鉱山に入ったのは昭和28年9月(1953年)だった。そして間も無く本格的な鉱山町の建設が昭和30年までつづいた。そのわずか2年半ほどの期間のごく初期に使われていたブルドーザーが、九五式軽戦車を改造したものではなかったか。このことについて私はすでに2005年9月12日のこのブログに書いている。当時私は小学校2年,3年生だったので、それが改造戦車だと断言できないけれど、車高の低い、キャタピラーと車輪の関係性に特徴があるブルドーザーを、年上の中学生たちは「戦車を改造したものだ」と言っていたのである。 ・・・まあ、それ以上の思い出が私にあるわけではない。ただ、戦後10年も経っていなかった頃に建設が始まり、すぐに福島県随一の銅鉱山として発展した、鉱山関係者とその家族だけが居住した聚落が、戦車を改造したブルドーザーで造成されたのだということ。20年前に書いた私の舌たらずの八総鉱山回想記をいまだに読んでくださる方が大勢いられる。おそらく私よりずっと若い八総鉱山関係者の御子弟だと思う。あの深い山懐に抱かれた、小さな桃源郷のような場所を思い出されていられるのかもしれない。その人たちも現在は60歳代後半を過ぎていられるだろうが、子供時代を過ごしたあの地の鉱山住宅建設時のブルドーザーについて、私の記憶から拾い出して書いておくのも無駄ではないかもしれない。
Feb 8, 2025
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大雪に降り込められている地方はまことにお気の毒。観測史上記録的という地方もあるようだ。我が東京は天気予報では雪だるまマークが付いた日もあるが、そのマークもいつの間にか削除されて、実際は今日まで降らずに来ている。しかし今夜などは更けるにしたがって冷え込みが厳しくなっている。我が家の水道管は、元栓から家の中の各種蛇口までの距離が比較的長い。そのためであろう、厳寒の深夜に凍結することがある。その用心のため近頃は夜間だけ元栓を止めて水を抜いておく。不便を感じるが、凍結するよりマシだ。背に腹は変えられない。・・・そういえば、昔雪国に住んでいた子供の頃の家の水道には、凍結防止のための水抜き栓が設備されていた。 さて、私の来週の予定のなかに人に会う約束もあり、このまま雪とならなければ良いが、と思っている。
Feb 7, 2025
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東京・上野の科学博物館で開催中の特別展「鳥 ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統」を観てきた。 国立科学博物館が「鳥」をテーマとしたまとまった、しかもここ10年間に分類学上で大きく変わった研究成果に基づく展覧会を開催するのは初めてである。この展覧会は、いわゆる鳥の祖先と認識されてきた「始祖鳥」以前にすでに有翼恐竜が現れていて、鳥の進化の過程を数千万年前まで遡ることを具体的に実物剥製標本や模型で示す。現生鳥類のみならず、絶滅したものや絶滅危惧種の標本も展示している。 ・・・実際に観なければ解らないことはいまだに地球上に無限にある。鳥について私はまさにそのことを実感した。私は鳥の骨格を実際に見たことがなかったので、たとえば空中を飛ぶために軽量である必要性から骨自体が中空であること、しかもその軽量化による脆弱さを補強するため橋桁構造になっていること、他方、捕食のために潜水する水鳥の骨は、中がぎっしり詰まって重量化していることを実物標本で知った。あるいは、鳥は鳴管を使って鳴くが、非常に大きな声で鳴くハクチョウの鳴管はトランペットのように渦を巻いている。鳴管は気管支と分岐して体内に延び、幅広い胸の竜骨に同化している。つまり竜骨で音を増幅しているのである。あるいはまた恐竜時代の四足の前肢が数千万年かけて胸骨に結合、融合して消滅し、二足の鳥になった進化も、骨格標本で私は知った。 私は科学的な近代解剖学の基礎を築いたアンドレアス・ヴェサリウス(1514-1564))が、解剖図譜を著わすきっかけとなった逸話を思い出す。彼が大学で医学生たちに解剖学の講義をしたときのこと、人体解剖をしながらその構造を話しても医学生たちがまったく理解できないらしいことに気づいた。ヴェサリウスが標本(図譜)の必要性をさとったのはこのときであった。・・・私が「鳥」展を観ながら思ったのはそのことだった。 先日もこの日記に書いたが、我が家の小庭には朝になると鳥たちがやってくる。柿が生るころはカラスやハトなどがその実をついばみに。そしてヒヨドリはナンテンの実をついばむ。節分の豆まきの庭にこぼれた豆もついばんでいた。年によってはウグイスもやって来る。日野市の市鳥はカワセミである。市内を走るミニ・バスにもその名がついている。多摩川や浅川にはシラサギが小魚をねらっているのを良くみかける。今は土地造成のために切り払われて失ったがムクドリの一群が巣篭もりしている薮があった。・・・身の回りに鳥はいるが、それらがどんな進化をして現生鳥類として私の目の前にあらわれているか・・・本当のところを私は知らないで来た。「鳥」展を観に行かずばなるまい、と思ったのである。 特別展「鳥 ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統」は2月24日まで。特別展「鳥 ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統」図録 (左)おもて表紙 (右)裏表紙国立科学博物館 表紙デザイン:キャデック【下の2点の画像は私が所蔵する鳥の本】「大図説 世界の鳥類 (The World Atlas of Bird)」日本語版監修:山階芳麿 小学館刊 昭和54年(1979)原本:Mitchell Beazley Publishers Limited 1974「The Living World of AUDUBON(オウデュボンの生き生きした世界)」 by Roland C. Clement(国立オウデュボン協会会長)出版社:The Hamlyn Publishing Group Limited 1977カヴァー写真:David Mohrhardt*この本は、高名なアメリカの画家・博物学者ジョン・ジェイムス・オウデュボン (1785-1851) が、ミシシッピーに生息する野鳥を描いた手彩色の版画64点を、1点につき見開きページで掲載。加えてそれぞれに、次の見開きページで、現代20世紀の17人の写真家が実写した写真を添えて、国立オウデュボン協会会長ロランド・C・クレメント氏が解説執筆した。
Feb 5, 2025
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上弦の寒月あかし不動橋 青穹(山田維史) 寒月に横たう星や米軍機
Feb 4, 2025
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大きな寒気団が北海道および日本海側の東北地方から北陸地方に大雪をもたらすかもしれない。さらに四国・九州にも降雪の予想がでている。東京都心に出ていた降雪予報はどうやら解除されたが、はたしてどうなるかは分からない。 昨年の2月5日の午後、東京に初雪が降った。現在予想されているマイナス40度以下の大寒気団ではなかったはずだが、東京に雪が降った。そしてその残雪は、我が家の近辺では2月11日ころまであり、雪の重さで収穫もせずに放ってあった小庭の土佐文旦の実がいくつも落下した。ところが3日後には暖房を切る暖かさになったのだった。 暦のうえでは立春である。大寒気団が南下しているとは言え、そのすぐ後ろに春の歩みが来ているのかもしれない。各地に大雪の被害が出ないことを願いながら、春を待つのである。 八十の春を待つ日の寒さかな 青穹(山田維史)
Feb 3, 2025
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寒かろう鬼に蓑貸せ節分会 青穹(山田維史) 豆撒けばあすは鳥食う福となろ 老いてなおこころに鬼の節分会
Feb 2, 2025
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我が家の小庭には数本のナンテンがある。また、常緑樹も種々あるのだが、花のない冬にその緑の葉叢を彩っているのが赤いナンテンの実である。この赤い小さな実をヒヨドリが食べに来る。ナンテンの実には毒がある。ほかの鳥たちは食べない毒の実を、ヒヨドリは食べることができるのだ。 じつは我が家のナンテンは、他の種々の木々も同様に、人間が(つまり私や家人)が植えたものではない。鳥たちがどこかで食べた実を糞として小庭に落としていったと思われる。数本のナンテンは一箇所にまとまっているのではなく、こっちに一株、あっちに一株という具合なのだ。犯人はヒヨドリ。「ああ、こんなところにまた新らしい芽が・・・」と、呆れながらもそのままにして、やがて舞妓さんの簪のように小枝にたくさんの赤い実をつけるのを待っているのである。 寒い朝、「赤い鳥、小鳥、なぜなぜ赤い。赤い実を食べた・・・」と口ずさみながら、ヒヨドリの食べかすと敷石や石段の糞の痕を掃除している。
Feb 1, 2025
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きょう降るか明日降るかと思いながら降雪に備えているが、東京の天気予報に雪ダルマさんマークがついた日も降らずに来ている。 雪を待っているわけではない。降らずにすめばそれに越したことはない。今朝の予報でも週末は都心でも雪になりそうだと言っていた。週明けは早、2月。そして節分である。 我が家の降雪の準備のなかに節分用の煎り大豆が入っている。これを他人が聞けば笑うかもしれない。しかし、豆まきをする、しない、にかかわらず、山の上から雪の中を買い物に出るのはいささかならずしんどい。準備怠りないというのは、実はそんな地理的な問題からである。歳をとれば、いくら足腰元気な爺ちゃんでも、やらないほうが良いことはやらない。これも元気でいる秘訣かもしれない。 かの家の垣の蝋梅見に行かん 青穹(山田維史)
Jan 30, 2025
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フランスのマクロン大統領がルーヴル美術館の改修工事を今後10年ほどをかけて行うと発表した。観客が殺到している「モナリザ」のために新たに専用の部屋を設け、一度の入場者数を制限するという。また、ユーロ圏を除く国々からの訪問者の入場料を現在の22ユーロ(約3.500円) から値上げするという。昨年は年間約870万人がルーヴル美術館を訪れているが、この改修によって1,200万人の観客を受け入れが可能になる。予算は日本円に換算して約1,100億円〜1,300億円。マクロン大統領はこのプロジェクトを「新ルネサンス」と称した。 さて、わが日本の状況は、といういと・・・ 国立東京博物館の年間入場者数は、令和5年(2023) に 過去最高の259万人。 ルーヴル美術館とはまるで比べ物にならない。2024年度の訪日客は過去最高の36,869,900人であった。これらの人々が必ずしも美術館・博物館を訪れるはずはないだろうが、それにしても日本の美術館・博物館が観光ルートから外れているか除外されているであろうことは推測できる。 ・・・何が問題なのだろう? 何か問題がありそうな気がする。・・・第一に、マクロン大統領が「ルーヴルをフランスばかりでなく世界の美術史の中心にする」と演説してそれを実行する行政措置に手をつけるようなことを、日本の首相が世界に向かって演説する「文化的な知性と政治力」は持ち合わせてはいなさそうだ。どうだろう?
Jan 29, 2025
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寒椿 垣添いに花びら散りて寒椿 青穹(山田維史) いろどりの乏しき冬の椿かな 大寒 ぬくぬくの布団にもぐる寒い朝 寒けれど今日も始まるありがたさ
Jan 26, 2025
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どんな分野にも格別に優れた技術を有する職人がいる。広く世間に名が知れた人もいるが、一般にはほとんど知られず、ただその職人の仕事の結果の素晴らしさだけに惹かれている人たちに知られているだけの職人。あるいは同業者だからこその経験と見識によって知られている職人も決して多くはないかもしれない。私もそのような職人の仕事に心底からの敬意を抱いている。その人たちは「物の理」を知った上におのれの感覚を磨いているのである。物との対話によって己の人格を陶冶している、と私は思って来た。 ところで新しく物を作り上げることばかりが職人仕事ではない。使い捨てるばかりの物品や数百年前の物品を、驚嘆にあたいする技術と根気で「修復」する人たちがいる。近頃はインターネットの動画でそういう人たちの仕事をつぶさに見ることができる。美術館や博物館の展示品の裏にある修復家の仕事や、その仕事のための科学的見識や器具の発展状況である。のみならず一般の顧客に開かれた各種の修復工房の存在や、実際の作業の様子も、モニター越しではあるが見ることができる。 私は自作絵画の制作の参考にすることもあるが、物の修繕なども自分でできないかをまず最初に考え、先述した「物の理」の勉強の一助として優れた職人仕事を観察する。道具類を買い集めるのは大変だが、入手できないものを工夫するのもおもしろい。 20年前、不動産会社を通して依頼した職人の仕事がまったく気に入らず、結局一年半ほどかけて居間の床板の全取り替え、壁塗り、全部屋の壁紙張り替え、浴室のタイル貼り等々、すべて私がやった。昨年も玄関の張り出し屋根の一部の修繕工事を依頼したが、一部を除いて不完全だった。理由を問うと、一部を破壊しないと手がとどかない、と言った。それで仕事を断った。私は自ら調査して、道具を工夫し、三日ほどかけて私自身がやった。・・・見事に修繕できたのである。 ことほどさように、職人はたくさんいるが、私が尊敬する職人はどういう人を指すかお分りいただけるだろう。 いつもYouTubeの動画のURLを並べて恐縮だが、次に私が敬意をもって見ている修復家の仕事を紹介してみる。【絵画・美術品】「ヴェルサイユ宮蔵の家族の肖像画の修復」「ルーヴル美術館蔵ヤン・ファン・エイク絵画の修復」「絵画修復 - ドキュメンタリー・グランプリ動画」「フィゲイレード美術修復所の絵画洗浄」「ヴェルサイユ宮蔵振子天文時計の修復」【ポスター】「インディー・ジョーンズ・ポスターの洗浄修復」「バット・マン日本版ポスターの洗浄」【版画】「古い汚れたエッチングの修復」【コスチューム・テキスタイル】「メトロポリタン美術館のテキスタイルの保存」「メトロポリタン美術館のテキスタイル保存と電子機器」「ハンプトン・コート城蔵の360年前の貴重ドレスの保存」「V&A美術館蔵ジュリー・アンドリュース使用の舞台衣装」【古書】「400年前の本の修復」「自然史博物館図書館の古書洗浄と保護」「EICAPの貴重書籍修復プロジェクト」【家具】「V&A美術館の家具修復」「トーマス・ジョンソン・アンティーク家具修復工房」「ジョン家具修復工房」【玩具】「チプ・チャンネルの米トンカ製玩具修復」「チプ・チャンネルの61年前の錆た玩具修復」「チプ・チャンネルの1957年トンカ社の除雪車玩具修復」
Jan 25, 2025
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福島県の会津檜枝岐を震源とする地震が1月23日以降頻発しているというニュース。震源は浅く、10km未満。近くに火山が存在するが、火山との関連は薄いようだ。 この地震情報を聞いて、昔住んでいた八総鉱山が檜枝岐の近くだったので、気になりつつ子供時代の当時の記憶を掘り起こしていた。 昭和28年から38年までのちょうど10年間、八総鉱山での地震の記憶が私にはまったく無いのである。私の記憶から抜け落ちているのではなく、地震が起こっていなかったと思う。八総鉱山の主産物は銅であったが、約46億年前の地球誕生とその後の地質時代を経て、八総一帯が火山地帯であったことは柱状節理が露出していることでわかる。私自身がその柱状節理をごく普通に目にしていた。そして画家になってから、その思い出を描いた作品もある。地質時代の火山脈はすでに死火山であるが、檜枝岐の震源近くの火山とはたして地質学的に関連があるのかどうか・・・。 私はさらに会津若松市に一人暮らししたが、その6年間にも、地震の記憶が無い。身寄りのない町での一人暮らしだったから、災害や地震などには鈍感ではなかったはずだが、地震を経験した憶えがまったくない。 私が大学に入った年、東京住まいするようになって3ヶ月目の昭和39年 (1964) 6月16日の昼過ぎ、私は突然巨大地震を体感した。私は昼食後、法政大学の市ヶ谷田町校舎に着いた。ほぼその途端だった。一辺が50cm以上あるコンクリートの角柱がグラグラ揺れた。「新潟地震」である。 その直後の夏休み、私は札幌の両親のもとへ帰省する途中に、新潟の伯母の家を訪ねた。じつは地震災害の状況を見るためではなく、佐渡へ渡って飛び込みで交渉して烏賊釣り漁船に乗り込むのが目的だった。しかし、伯母の家の近所で私は大きな地割れを目撃した。巨大地震に対する私の認識を変える深淵を見たのである。 子供の頃に住んでいた八総鉱山は檜枝岐からさほど離れていない。八総鉱山という名称の元である八総という昔からの集落は、八総鉱山とは別なのだが、その八総は檜枝岐へ通じる道の途中である。旧八総鉱山小学校跡地には公的機関の地震測候所が地下(?)に設営されている、と私は東日本大震災からしばらく経ったころに聞いた。そのとき私はその地震観測機器は、あるいは福島第一原子力発電所の災害とも関連があるのではないかと推測した。かの地は旧八総鉱山とはずいぶん離れていると思う人がいるかもしれないが、じつは直線距離にすると意外に近いのである。旧八総鉱山は山また山の奥地。いまでは人も車も入らない、森閑という表現がぴったりな土地である。東日本地震を思えば、地震計を設置してここほどふさわしい場所はないかもしれない。 そのおそらく無人の地震測候所が、現在も稼働しているなら、今回の会津檜枝岐を震源とする頻発地震も観測されていることだろう。檜枝岐の地震情報を聴き、何事も怒らないことを願いながら、思いがけなくも子供の頃の旧八総鉱山を思い出した。【1月26日追記】 21日の会津檜枝岐を震源とする地震は23日にもっとも頻繁に起こっていた。26日午前2時49分に起こった地震はM5.2、震源の深さ4km、震度5。(週刊地震情報より) 会津檜枝岐近辺一帯で震度5以上が観測されるのは、観測が始まった1919年以降初めてだそうだ。
Jan 24, 2025
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イギリスの古書商、特に稀覯本の売買を専門にしているらしいトム・アイリングという人物がいる。この人の動画が本好きの私にはなかなか面白く、ときどきYouTubeでみている。イギリスの古書事情を薄々ながら知ることができる。また、稀覯本と一口に言うが、いったいどのような点に価値を見ているのか、商人の「目」・・・その見識を窺うことができる。また、いずれ販売するのかもしれないが、トム・アイリング氏自身が稀覯本コレクターなのかもしれないというフシもある。 さて、同氏の最新の動画を見ていたら、話としては取り上げた古書のいわばセールス・ポイントをのべているのであるが、太平洋戦争中の日本がシンガポールに設営した捕虜収容所に関することだった。そして、その話は東南アジア戦線の正史記録には書かれていないようなことだった。英語で話してい、英語同時字幕を掛けてみたが、ところどころAIが聞き取れていないと思われるところもある。それで、私はこの話は記録しておこうと思い、トム・アイリング氏の話すのを、同氏に断りなく、私自身が日本語に訳してみた。以下にその翻訳を掲載するが、同氏の動画と一緒にごらんくださればと思う。この本には暗い秘密がある トム・アイリング この本には秘密がある。一見しただけではわからないが、人間の条件の最も暗い要素のいくつかを見てきた。表紙からはわからないが、中身を見て、この本がどこを通り、何を見てきたかを知れば、戦争と孤立の悲劇だけでなく、この本がどのようにして二人の命を救ったかがわかる。 先週末、私はヨーク・ブックフェアにいた。人々に本を売ろうとする仕事の真っ最中、この本が棚に置かれているのに気づいた。見た目はたいしたことがなかったので、なぜ手に取ったのかよくわからない。でも、手に取ったら、オックスフォード英語詩集の刊本だった。これはかなり標準的な詩集で、この刊本は1924年に出版されたので、101年前のものだ。それ自体は価値のある、または収集価値のある本ではない。この本の刊本は、日が良ければ5~10ポンドで売れるかもしれない。しかし、この本を持っていた人が数百ポンドで売っていたので、興味をそそられた。もう少し何かあるかもしれないと思ったのである。 外見はあまり良くない。明らかに何度も何度も使われてきた。本の上部からは紙のリボンが突き出ている。表紙はかなりボロボロに見え、実際、歴史上のある時点で誰かが本の表紙を交換しなければならなかったほどボロボロなのだ。収集価値のある、あるいはあえて言えば売れる本を探す上ではあまり有望なスタートではない。中を見ると、見返しに識語がいくつかある。前面には鉛筆で大文字で書かれた「C.W.DAWSON K37」とある。反対側の前面の遊び紙にはさらに2つの識語「CW DWSON」があり、その名前と「Changi Prison 1942」と書かれている。現時点での私の考えでは、これは正式な明示のようで、右側の手書き文字は、1942年にチャン刑務所でこの本を実際に所有していた人物のしるしのように見える。 1942年、チャンギはシンガポール東部のシンガポール・モンテ地域のひとつで、今では最初の空港があることで知られているかもしれない。1930年代のイギリス占領時代には刑務所が建設され、第二次世界大戦中にイギリスが日本に降伏した1942年、その刑務所は日本軍の捕虜収容所になった。 本の表紙を見ると、これは確かに1924年のオックスフォード英語詩集の刊本であることがわかるが、ここには日本語で書かれた語句がある。これを日本の本に詳しく、言語知識のある友人に見せたところ、この語句は、この本がすでに官憲の検閲済みであることを示していると教えてくれた。そしてそのすぐ下に、本の所有者である C.W. ドーソンが書面でこれを確認し、日本軍のこの印章のおかげでチャンギ刑務所に本を保管することができ、彼はそれに CW D と署名したと述べている。これは非常に興味深いことである。なぜなら、本は捕虜に提供されるものの、実際に捕虜に渡される前に検閲官の承認を受けなければならなかったことを示しているからである。1942 年から 1945 年にかけて、チャンギ刑務所と捕虜が収容されていたその周辺では反乱があったが、少なくともこの英語の詩集は軽い内容で、深刻ではなく、反乱が長引く可能性は低いとみなされていた。 しかし、私にとってこの本の魅力的な点は、その存在と存続だけでなく、本に目を通し、これから皆さんと一緒にやろうとしているように、ページをめくるだけで、その収容所でどのように使われていたかを正確に知ることができることである。この捕虜がどんな詩を読んでいたかを正確に知ることができる。彼らが捕虜についてどう思っていたかを私たちは知る。そして、彼らがどのように秘密裏に捕虜生活を記録していたかが分かるのである。 本全体を通して鉛筆で注釈が付けられており、その一部はまさに詩集に期待されるような注釈である。ここでは文学的な参照があり、ページをまたいで本の中の別の詩を相互参照している。しかし、本の他の部分には、詩について語っているように見える注釈はあるが、実際には捕虜収容所での生活を記録している。ウィリアム・デュバーズのキリスト生誕に関する記事の下には、2ページにわたる注釈があり、そこには「シムロード収容所、シンガポール 1944年クリスマス、 雨が降り嵐の夜の後の晴れた朝 、収容小屋53の外の夜明けの朝食」と書かれている。ジョン・ミルトンの作品を含むページは特によく読み込まれており、「サムソンの闘士」の箇所に行くと、少なくともこの箇所の横にはもっと識語があり、ハイライトされていることが分かる。そして、ミルトンの詩は、翼のあるエクスペディション・スウィフトが稲妻の視線で邪悪な者たちに使命を果たすように読み上げられる。彼らは驚いて防御を失い、気を散らされている。そして驚嘆し、その隣の余白には、ミルトンの韻律や韻律の使用に関するコメントはなく、「連合軍の爆撃機を初めて見、救援を期待する」と書かれている。44年11月5日。私たちの捕虜がミルトンのこれらの詩をどれほど頻繁に読んで、そして、翼のある探索隊が来ることを望み、そして、空を飛ぶ飛行機を見ると、370年前に書かれたミルトンの詩を読み返して、その希望は近いかもしれないと記録した。 1944年の聖ジョージの日に、彼らはキーツの「明るい星」を読み、その詩の下に「この聖ジョージの日の体重は100ポンド(約45kg)です」と書いた。チャンギ、そして、ちょうど1年後、さらに1年後、1945年の聖ジョージの日に、シムロードキャンプ(収容所)。1942年の日付の最初の食料包みは、今では米も野菜も残りはわずか。1945年までに、彼らはチャンギから、より広いスペースのシムロードキャンプに移った。チャンギ刑務所は、もともと600人から800人の居住者を念頭に置いて建てられたもので、この収容所の開始時にさえ、そこには3,000人の囚人がいたが、1945年4月に送られてから3年後にようやく小包が彼らに届いたのは興味深いことだが、日本の兵士はまばらで、戦争はまだ 7 か月残っていた。これらの識語から、この戦争の本は軽く使われた本ではなく、頻繁に参照されていたことがわかる。この期間、つまり少なくとも 3 年間は彼らが持っていた唯一の本だったと考えられる。 本の最後、ページが少し薄くなっているところに戻ると、実際の見返しの紙に番号のリストがある。これは 155 の番号のリストで、それぞれの番号が本の中の詩に対応している。したがって、リストの一番上にある 9 番は、本の中の 9 番目の印刷詩に対応する。本の始めに戻ると、9 番目の詩はジョン・バーバーの自由詩であることがわかる。このリストから少なくとも私が言えるのは、詩の素晴らしい点の 一つは、読んだものに印を付けて戻って読み返すことができることである。そして、それらの読み返しで、詩について、あるいは自分自身について何か新しいことを発見することができる。そして、私にとって、そして少なくとも私たちにとって、最も想像を絶するものでそれができるということは、命を救うことになるかもしれない。 最後にもう 1 つ、皆さんと共有したい識語がある。これは、この囚人がチャンギから釈放された後に書かれたもので、本の冒頭の詩の最後の白紙部分に書かれていて、今度は刑務所での収容所の鉛筆ではなく、W・ドーソンのごく短い識辞の中にこう書かれている。 「この本は、私とジルが1942年から1945年にかけてシンガポールで日本軍に抑留されたときに、生き延びるのに大いに役立ちました」 C.W.ドーソンはクリストファー・ウィリアム・ドーソンで、イギリス人。戦争当時はシンガポールで働いていた公務員で、妻のジルと一緒にそこに住んでいた。彼らは1924年12月に結婚した。この本が最初に出版されたその日に、彼らがシンガポールに持ってきた結婚祝いだったのではないかと私は思っている。彼らは二人ともチャンギに収容され、後に、私が述べたように、シムロード収容所に収容されたが、幸いにも二人とも投獄を生き延び、戦後を長生きした。クリストファーは 1983 年に亡くなり、妻のジルはそのちょうど1 年後の 1984 年に亡くなった。しかし、クリストファー自身がメモに書いているように、この本がなかったら、もっと早く亡くなっていたかもしれない。トム・アイリング「この本には暗い秘密がある」
Jan 22, 2025
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私の亡父が鉱山技術者だったので、子供の頃の私の机の抽斗には鉱石や岩石の小さな欠けらがいくつも入っていた。川原などから拾ってきた摩滅した石を父に見せると、父は舌でチョンと湿らせて、「これは花崗岩だよ」とか「片麻岩だよ」などと教えてくれた。私はそれがおもしろくて、いろいろな石を拾ってきては父に見せたものだ。あるいは鉱山採掘の主目的である鉱石の生成過程、・・・すなわち地球誕生から数十億年の気が遠くなるような年月を経て、マグマの上昇の繰り返しによって、やがて我ら人類が有用とする鉱物を形成するわけだが、・・・鉱山学的には、主目的の鉱物にはマグマと共に上昇してきた「随伴鉱物」が存在するため、鉱山採掘以前の問題として重要となる。一例が、金の場合は柘榴石が随伴鉱物である。そんなことを教えてくれたのも父だった。 後年、私は「湯浅泰雄全集」を白亜書房から刊行した。企画から編集・造本まで、要するに全集本を刊行する作業を、そばに白亜書房社員のコンピューター・オペレイターを一人置いただけで、全部たった一人でこなした。御茶ノ水の湯島聖堂の近くに在った白亜書房は、その数年前に経営者が変わる以前は社名に表されているように鉱山学の書籍を出版していた。巻数ものの大部の書籍は、ある一人の学者が日本全国の鉱山を実際に踏破調査したもので、おそらく後にも先にも類書が無い知る人ぞ知る優れた専門書籍だった。私は子供の頃からさほど意識するでもなく白亜書房の社名に親しんでいた。大学生になり学校に通う電車の中から、神田川河岸の石垣の上の小さな木造社屋に掲げられた白亜書房の社名看板を、なんとなく懐かしく見ていたのだった。まさかその出版社で私が上述の日本学・東洋思想史・宗教学・心理学・身体論・ニューサイエンスの湯浅泰雄博士の広範な分野にわたるすべての論文を、湯浅博士の知己と認可を得て刊行をすることになるとは思ってもいなかった。しかし刊行が決まって同社を訪れて驚いたのは、白亜書房の名を子供の私に知らしめた鉱山学書の在庫分は、会社を引き継いだ経営者がすべて廃棄したと聞いたことだ。「湯浅泰雄全集」を購入してもらうために私自身が各大学の図書館関係者を訪ね歩いていたとき、或る大学でその鉱山学書の名が出た。私は「やっぱり!」と名にし負う書物を思いながら、在庫は廃棄されたことは黙っていたが、内心で冷や汗をかいたのだった。 さて、私事にわたる前置きばかり長くなった。といっても表題の「二つの金属考古学の話題」は、ごく短い紹介だけである。金属とか鉱石という文字を見るとつい読んでしまう私が関心をもった話題である。【古代火入れ法による辰砂採掘】 本日1月20日の朝日新聞朝刊が〔世界基準の採掘法 弥生時代にも?〕という見出しを掲げて、〈朱の原料となる鉱物「辰砂(しんしゃ)」の採掘跡、若杉山辰砂採掘遺跡(国史跡、徳島県阿南市)で、弥生時代後期(1~3世紀)に火を利用して採掘したとみられる国内最古の痕跡が見つかった。市が19日発表した。〉と報じた。(吉田博行記者) 記事はつづけて、〈火入れ法〉は硬い岩盤の表面をまきなどを燃し、もろくしてから採掘する技術で、古代ローマや中国・漢にあった方法、と解説。国内ではこれまで江戸時代初期の山形県の延沢銀山遺跡が最古とされていた。〈火入れ法〉が若杉山辰砂採掘遺跡で使われていたとすれば1400年以上さかのぼる。 吉田博行記者は記事の結びで『魏志倭人伝』の記述を引きながら「朱」と「丹(に、たん)」とを同一の物質として書いていられる。必ずしも誤解とは言えないのだが、しかし古代絵画彩色材料学の見地からはもう少し細かく朱(赤)と丹(橙)とに分類されている。 高松塚古墳壁画の研究では、使用されている色料は、東壁北側女子像と東壁南側男子像とにすべて表れているとされているが、女性の衣服の赤は朱である。また朱の濃淡で表現している部分もある。 しかしながら消失した法隆寺金堂壁画の阿弥陀如来像の赤色系色料は、丹(に;橙)の上に紅殻(べんがら)を重ねていたことが分かっている。同じく薬師浄土図の薬師如来の衣には丹と密陀僧(黄)とを混合して用いている。これらの色料はいずれも高松塚古墳壁画には用いられていない。(文化庁監修、渡邊明義『日本の美術 10』参照) 古代絵画における「朱」と「丹(に、たん)」の分類は辰砂の構成物質の違いで、朱は硫黄と硫化水銀の化合物であるが、丹は鉛はの酸化物である。【ツタンカーメンの神の短剣の鉄】 エジプト・グラン・ミュージアムが完工し、膨大な古代遺物が運び込まれた。その中に5千点以上になるツタンカーメンの遺物がある。未盗掘墳墓から英考古学者ハワード・カーターによって1922年11月に発掘された。その後、100年の間、確実な精度が期待できる検査技術が発明発展するまで手を触れることなく、博物館の倉庫に眠っていた遺物がある。それらがいま、世界的な専門研究者の調査になり、実体が明らかになりつつある。 金属考古学の見地から最も重要だったのは、ツタンカーメン王の遺体(ミイラ)の胸の上に置かれていた短剣である。「神の短剣」は美しい柄(つか)に鉄の刃が付いている。しかしながらその時代、鉄はエジプトで発見されていなかった。どこか他国から入って来たのか? そうだとしたなら、その産地はどこか? ・・・これがこの短剣に関する問題であり、また引いては古代エジプトの地政学上の問題であった。 100年間待った。そして、時が来た。検体(この場合は短剣)を破壊せずに、X線照射によって「鉄」の組成分析ができるようになったのである。その成分によって鉄の産地を知ることができる。世界各地に鉄の産地があるが、それぞれ成分に違いがあるからである。 分析の結果、ツタンカーメンの短剣の鉄にはニッケルが突出して含まれていた。・・・世界のどこにもそのような鉄は産出していなかった。 それは何万年もかけて地球にとどいた「隕石」であることが判明したのである。エジプトの砂漠から集められたそれは、まさに宇宙からツタンカーメン少年王に贈られた「神の短剣」だった。 このすばらしい考古学・科学物語は、ナショナル・ジオグラフィックがドキュメンタリー動画をYouTubeで期間限定で公開している。日本語のナレーション付きである。ここには金属に関してもうひとつの研究成果が述べられている。装飾に用いられバラバラに剥落した金の細片を、ジグソーパズルを繋ぎ合わせるように原型に復元する技術が、いま、一人の研究者によって実現したのである。 このドキュメンタリー動画は、古代エジプト皮細工技術や匣(はこ)や弓に描かれた絵についての新たに判明した意味等々、現代の考古学の進歩を一般にわかりやすく、しかも余計な画像で感傷をあおらないすぐれた作品である。また、研究分野によっては時至るまで「待つ」ということの重要さを私に教えた。以下にYouTubeのURLを掲載しておく。ナショナル・ジオグラフィック「ツタンカーメン 〜財宝に隠された真の素顔」
Jan 20, 2025
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映画監督デイヴィド・リンチ氏が1月15日に亡くなられたという。享年78。 「エレファント・マン」(1980年:日本公開 '81年)、「ヂューン 砂の惑星」(1984)、「ブルー・ベルベット」(1986)、「ワイルド・アット・ハート」(1990)、「マルホランド・ドライヴ」(2001)等、いずれも私に強烈な印象を残す作品を発表した。デイヴィド・リンチ監督を追悼します。 映画キャメラマン上田正治氏が1月16日に亡くなられた。享年87。 黒澤明監督作品の「影武者」(1980)、「乱」(1985年)、「夢」(1990)、「八月の狂詩曲」(1991)、「まあだだよ」(1993)、黒澤明脚本・小泉堯史監督の「雨あがる」(2000),、同じく小泉堯史監督「阿弥陀堂だより」(2002)、「蜩の記」(2014)等々の撮影監督として多くの栄誉を受けられた。 私はまた、上田正治氏が監督助手を務めらえた東宝怪獣映画、本多猪四郎監督「モスラ」(1961)をここに記そう。会津若松市で、中学1年生の次弟と彼の同級生につきそって観に行ったことを思い出す。映画撮影監督上田正治氏を追悼します。
Jan 18, 2025
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1月15日は、古来、「十五日粥」あるいは「赤小豆粥(あずきがゆ)」と称して、小豆を入れて炊いた粥を食する年中行事の伝統があった。現在でも実際におこなわれている地域あるいは家庭があるかもしれない。この粥を三日後まで蓄えておいて食すると疫病に罹患しないといわれた。おそらく正月明けの餅でもたれた腹休めと滋養補給の面からの習わしだったと思われる。現代の栄養学では、赤小豆(あずき)には食物繊維やポリフェノール、鉄分、ヴィタミンB1、カリウム、サポニンが含まれているため、便秘や高血圧の解消、貧血やコレステロールの予防に効果が期待できるようだ。 さて、我が家ではこの昔ながらの年中行事を継承してきた。特に私は、信仰心はまったくないけれど、季節の移り変わりを感覚しようという気持ちが強く、またダラダラとした日常にちょっとした変化をつけようと思う気持ちもあり、日本古来の伝統行事を心にさしさわりがないと考えることだけ家庭内でそっと営んで来た。いや、そんな大それた考えよりも、ただおもしろがっていると言うのが本当だ。 というわけで、今日は小豆粥のかわりに善哉汁粉をつくった。朝のうちに小豆を洗って準備をし、差し水をしながらとろとろと煮て、ちょうど昼食に間に合った。 変われかし祈りつづけて小豆粥 青穹(山田維史) 短かくも命思えばあずき粥 短かくも命うるわし小豆粥 少なきは俺がいのちと小豆粥 先見えぬ八十路越さんと小豆粥 彼方行く列車のひびき冬木立
Jan 15, 2025
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19時1分、わずかな揺れを感じた。地震か? 先日も就寝中に背中にごく微弱な揺れを感じた。その後、しばらく経って青森県を震源とする地震があったと報じられたが、私が感じた微弱な揺れはこの地震と関係があったのかどうか、東京の状況に関する報道は一切無かった。・・・報道するまでもない微弱地震が実は意外に頻繁に起こっているのか否か。ちょっと私に疑念がわいているこの頃である。【追記】 ただいま21時30分を過ぎたところだ。21時19分に高知県・宮崎県にマグニチュード6.9の地震があった。津波注意報が出た。 ・・・私が2時間半前に体に感じた微弱な揺れは、この高知県・宮崎県に発生した地震とはまったく無関係だろうか? 過日、青森県の地震のときも、私は発表のずっと前にあるかなしかの極微弱な揺れを感じたのだけれど・・・
Jan 13, 2025
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ふたたびヘミングェイの『汽車旅行』について。 カナダ旅行に出発した父子は列車に乗り込む。通路を挟んで親子の隣に四人の男たちが座っている。窓際の二人の男はまるで凸凹コンビのように背丈が違う。そしてその男の右手には手錠がはめられ、隣の男の左手とつながっている。通路側に座った男二人はデテクティヴ(刑事)と、サージェント(巡査部長)と呼ばれている男である。・・・窓際の男と背の低い男とに手錠がはめられていることを不審に思った父親が尋ねる。「何をしたんですか?」「殺し」、と刑事が言う「イタリア人を殺したんですよ」。「イタリア人なんか殺しちゃいねぇ」と手錠の男は言い、父子にちょっと笑みを浮かべながらウインク(目配せ)する。そうして2度ほどウィンクを送られた父親は、「別の車両に移ろう」と息子を促して席を立つ。 殺人の容疑者である男の笑みを浮かべたウインクについて、ヘミングウェイはまったく何も説明していない。父親の感想も、一切書いていない。殺人容疑者二人と刑事ら二人、そして父子、この四人が列車内で遭遇し短い会話をした、その事実だけを書いている。・・・ヘミングウェイの小説はほとんどこうした書き方である。事実を積み重ねてゆくだけ。私が面白く思うのはそこだ。読者の想像を掻き立てる、まさに「小説」がある、と。読者自身の人生経験によって、・・・つまり年齢を重ねると読み方も変わってくるのである。 ・・・この短いエピソード(挿話)を読みながら、実は私自身が高校三年生の夏休み、帰省する列車の中で、殺人事件の刑期を終わって出所したばかりの青年と向かい合って同席したことを思い出したのである。 そのことについてはこのブログの左フリー・ページに英語で『That Man』と題して掲載してある。当時の日記をそのまま写したもので、日本語の文章を英訳して掲載したのは、フィクションではないからだった。会話もすべて事実、ありのままである。 ・・・あの青年が現在存命ならば86,7歳。90歳にはなっていないだろう。獄中で読んだのだろうか、永井荷風と椎名麟三の小説に感銘を受けたと言っていた・・・そして、文学の世界から現実社会に戻ってきた、と。
Jan 12, 2025
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東京の明日に雪予報が出ている。鉢植えの植物に雪囲いをした。 寒灯に過ぎ行く薄き影ふたつ 青穹(山田維史) 寒灯や遠くに灯油売りの声
Jan 11, 2025
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昨日ヘミングウェイの短編小説『A Train Trip』の煙突にバケツをかぶせる記述を思い出したと書いた。ついでなので現代の戦争状況に重なるヘミングウェイの見解が、映画『誰が為に鐘は鳴る(For Whom The Bell Tolls)』にあるので書いておく。ヘミングウェイの同名小説の映画化である『誰が為に鐘は鳴る』は、1943年のアメリカ作品。第二次世界大戦中に公開された映画である。監督はサム・ウッド、主演ゲイリー・クーパー、イングリッド・バーグマン。 物語はスペイン内戦(1936~1939)。共産主義ソビエト連邦の支援を受けた第2スペイン共和国政府の人民軍とナチス・ドイツとファシスト・イタリアの支援を受けたフランシス・フランコ率いる国民党派との内戦。物語における史実は、スペイン共和主義の破滅的な内部分裂の前段階を描いている。付言すれば、この後、世界は第二次世界大戦へと突き進むが、スペイン内戦時にはアメリカ合衆国は参戦していない。 ・・・アメリカ本国で大学教授だったロベルトは共和国側の義勇軍に参加し、将軍の命を受けてフランコ軍の高架橋を爆破にのりだす。その困難を極めた作戦のさなかに、ロベルトは次のように言う。 「さまざまな勢力がいる。ドイツにイタリア、それにロシアもいる。スペイン人は間に挟まれている。ナチもファシストも実際は敵対関係にある。この国は新兵器の実験場で、その兵器を使い民主主義を倒そうとしている。こちらの態勢が整う前にだ」(邦訳字幕より) 私が注目したのはロベルトによって解き明かされるこの戦争の裏にある本当の姿、現代戦争の「秘密」である。90年前の戦争の実態と現代2025年の戦争の実態・・・大国主義(覇権主義国家)の裏にある真相は、まったく変わっていない、ということである。ウクライナが新兵器の実験場として戦争を仕掛けられたということ。威力が試された新兵器を買い求める「顧客」を獲得するために仕掛けられた戦争。戦争商人となった権力者(もちろんその人間に支配された国家)にとっては、人間の生命など屁でもない。その大量死は兵器の威力を証明するにすぎない。 ・・・ああ、誰がために鐘は鳴る、である。ヘミングウェイは戦争の裏にある本当の姿を鋭く見抜いていた。
Jan 10, 2025
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昨夜、雪にならなければ良いがと思いながら、ふと、幼少年の頃の薪ストーブを思い出した。私のはっきりした記憶がはじまる昭和20年代半ばから30年代末頃までのことだ。どこの家にも煙突があり、冬空に白い煙が流れていた。雪が降りしきる寒い外から帰り、その煙を見ると、足早になったものだ。 そんなことを思い出しながら、私は同時に、ヘミングウェイの生前には未発表だった短編小説『A Train Trip(汽車旅行)』のおもしろい記述を思い出した。 湖を望む林のなかの小さな家に二人きりで暮らす父と息子ジミー。親子はこれからカナダへ旅に出るところである。父親は息子に家の中を良く見回して記憶するように、と言う。それから、ジミーに外に出て梯子で屋根に登り煙突にバケツをかぶせるように、と。 私がおもしろいと思ったのは、ここである。煙突にバケツをかぶせるようにと言ったのは、つまり、留守中に火の気のない煙突に雨が入るのをふせぐため。そしてリスや北米固有種のシマリスが入り込むのをふせぐためである。この煙突も薪ストーブ用である。ジミーが屋根の上からWoodshed(薪小屋)を見る、と書かれている。・・・私は他の小説家や著述家でこんな記述を読んだ記憶がない。私が幼少期に過ごした雪国で、煙突にバケツをかぶせているのを見たことがない。たしか円錐形の覆いがついてた記憶もあるが・・・。しかしヘミングウェイのこのバケツは、言われて初めて「なるほど」と思う。 ヘミングウェイがおもしろいのは、物語もさることながら、こういう細部に出逢うことだ。ときにクドイと思う繰り返しに私は読みながら辟易することもあるけれども、英語表現の特徴かもしれない(私は門外漢なのでまったくわからないが、ヘミングウェイの英語表現はいささか特異じゃないかしら?)。・・・まあ、それはさておき、こういう日常的な細部をさりげなく書いている小説・・・そしてその細部が人物の生活環境のみならず性格や人物関係を表現しきっている小説に、私は小説を読むおもしろさを感じている。80歳にもなればエキセントリックな物語などに興味がないのである。
Jan 9, 2025
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日本海側の地方に大雪警報が出ている。青森県では経験したことがないような積雪量だとか。 さて、東京も12日(日曜日)以降の数日に降雪予報がある。備えは大丈夫か?と、自分に問うている。我が家のこれまでの最大の被害は、駐車場の上を横切っていた電線に積もった大きな雪氷が落下して、車を直撃。廃車にしなければならないほど破壊した。人間が乗っていなかったことを幸いとした。 幼年時代、少年時代と、雪国で育ったので東京の雪くらいでオタオタはしないが、年をとるとそのわずかな雪を掻くのが億劫になる。つい数年前までは高齢者の家の前の雪掻きをしてあげていたが、もうとてもそれをできそうにない。 雪国の会津若松で一人暮らしをしていたときに書いた詩の一編を次に掲げてみよう。62年前、17歳の詩である。 漂白 山田維史 淋しい心で 魂魄となり 午前零時の 窓を出れば そとは雪颪 街は瞑目し 死相表われ 大地氷結し 遠々に哭く 仏神よ聞け 地球が哭いているのだぞ 環境の一切が凛烈として せつない感動をよぶから 俺は泣きながら焦がれて 死んだ街から街を漂おう 帰る当なく滄浪とすれば 宇宙の瞳の慈愛も凍てる 仏神よ地球を去るがいい 淋しい心で 魂魄となり ほとほとと ほとほとと 尸柩を尋ね 大路を駆け 小路に蹲る 闇だまりに 雪霏霏たり ついに悔恨の裸体を焚く (1963年作)
Jan 8, 2025
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「初雪」という成句はあるが、まだ明けぬ正月に降る雨を表す成句はない。夕方から雨が降り出した。その音が今は闇のなかに聞こえている。雪にならなければ良いが・・・ 城ヶ島歌にそぼ降る寒椿 青穹(山田維史) *】北原白秋作詞、簗田貞作曲/山田耕筰作曲「城ヶ島の雨」 寒聲や隣近所を気にしつつ 小寒の名を違へたき寒さかな
Jan 6, 2025
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山田維史「2025年1月4日マフラーの自画像」紙に鉛筆Tadami Yamada "Self-portrait with maffler"
Jan 4, 2025
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三が日が過ぎた。早い早い、今年も残り362日だ。ハハハハ。 三が日オリオン天に輝けり 青穹(山田維史) 疾く来たり疾く去りゆくや去年今年
Jan 4, 2025
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山田維史「朝のテラスに」1992 キャンヴァスに油彩山田維史「お出迎え」1985 キャンヴァスに油彩
Jan 1, 2025
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午後3時30分丁度、おせち料理をすべて作り終わった。コーヒーを淹れて、年越しの小宴まで一休み。 我が家は何事もなく過ごせた一年だった。 しかし、世界は各地で地獄図だった。罪深い人を名指しできなくもない。子供が、赤ん坊も含めて、膨大な数が殺戮された。子供たちは自分の意志で生まれてきたわけではない。生まれる環境を選択できたのでもない。生命の喜び、この世に在ることの喜びを全く知らずに、ただ殺されるままの寸毫を生きたに過ぎない。・・・罪深き者よ、おまえも誕生を賀(ことほ)がれた赤ん坊だったではないか。だが、今、お前の生命は、お前が命じて殺戮した人たちの骸(むくろ)が発する呪詛の霧のなかにある。 大晦日仏花かかえて老爺行く 青穹(山田維史) 手袋や道にかたっぽ招くよう 大年や茶を啜りつつ目をつむり 本年三百句め 年越しや年の回りも今は賀し 年越しや老いの重ねを賀するかな 年越しや老いの重ねの慶賀かな (302句め)
Dec 31, 2024
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門松を飾った。いよいよ押し詰まって、正月迎えの準備である。おせち料理作りは明日からにするが、時間がかかる黒豆はもう煮始めた。 山の下の道に薄氷が張っている。その御近所の方、あるいは町内自治会のご好意であろう、薄い土嚢が敷き詰められ、「氷が張っているので注意して、土嚢の上を歩いてください」と張り紙をしてあった。 本年296句目 今日はまだ呟いている年の内 青穹(山田維史)
Dec 28, 2024
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いまさら慌ただしくすることもないのだが、年賀状も出し終えて思うのは、80歳にもなれば差し上げる年賀状もぐっと少なくなった。数百枚が今や三分の一。一人二人と追悼してきた。初めのうちは私よりずっとご年配の私がお世話になった方々だった。それが次第に同年代だったり、幼馴染になった。人の世の常・・・そういうものだと思いもし、私の心にも人生の苔が生えているから、たくさんの訃報も静かに受け止めてきた。 末弟から大部の歴史資料本が送られてきた。過日、家族会食で会ったときに約束した調べごとのためである。資料が届くまでの間、私はすでに一応の家系図を書き上げておいた。しかしながら、聞き取りすることができる年配の親族はすでに亡く、ある程度知っているのはむしろ私だけである。 家系図というのはインチキも多い。家系図屋というのがいて、相手が喜びそうなことをそれらしくデッチ上げるのである。私は弟のためにそれを避けようというわけである。せっかく自分のルーツに関心が向いたのだから・・・ 枯枝や吾が骨拾うシミュレーション 青穹(山田維史)
Dec 27, 2024
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今日12月25日は蕪村忌(1716-1784)。私が最も敬愛する俳人である。 蕪村忌や月無き里のつづらおり 青穹(山田維史) 蕪村忌や指折り数う一世かな 蕪村忌や筆あと薄き滲みかな 画仙紙に落つる涙の蕪村忌 ◯ 画仙紙の涙も涸れて蕪村忌 蕪村忌や薄氷張り更けてゆく 蕪村忌や英書の隅に一句メモ
Dec 25, 2024
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Dec 24, 2024
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