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きょうはこのブログ左のフリーページに、33年前に雑誌に発表した「C. G. ユングの風景がをめぐって」を英訳して掲載した。ただし図版は割愛した。同ページの日本語版を参照しながら読んでくださるなら幸いです。英語版を図版とともにお読みいただくには私の別ブログ「山田維史の青空日記・遊卵画廊」を開いてください。 「山田維史の青空日記・遊卵画廊」
Nov 19, 2025
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ひと葉散りみつ四つ六つ暮の秋 青穹(山田維史) 落ち葉掃き小庭なれども腰叩き 枯れ枝にからびて残る柿ひとつ 夕刊をばさりと投げて行く秋ぞ からびたる吾が手吾が脚冬木立 行人やまだ乾びぬと言うも秋
Nov 17, 2025
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アメリカ合衆国では国家權力を掌握した一人の男によって、かの国が営々として築き上げてきた「民主主義」が崩壊しつつある。民衆は大挙して連日のように各地で、ワシントンDCの議事堂前で、ホワイトハウスの前で、抗議デモンストレーションをくりひろげている。 その民衆はいったい何を訴えているのだろう? デモンストレーションの報道映像を他国(日本)にいて眺めているだけではあまり判らない。しかし彼らが掲げているプラカードを読むと、もう少し彼ら民衆の心情が解るように私は思う。そこで私はそれらのプラカードに書かれていることをメモしてみた。以下のとおりである。 ★ American Will Not Be Ruled (アメリカ人は支配されない) ★ No Tyrants!(専制君主はいらない)No Palaces! (宮殿はいらない)No Trump!(トランプはいらない) ★ Trump Must Go Now, Ya! (トランプは今すぐ出てゆけ、イェイ!) ★ Make America Free Again!(アメリカに再び自由を!) ★ Nope ICE Following orders. No Defense(いいえ、移民・税関執行局は命令に従うだけです。弁護はしません) *ICE (Immigration and Costoms Enforcement) ★ Donnie ー You're Out of Your Element(ドニー、あなたは場違いなんだ) *DonnieはDonald(ドナルド)の俗称・愛称。 ★ The King is Naked(王は裸だ) ★ We The People Will Never Forget Cowards in Congress Who Kept Quiet(我々国民は議会で沈黙をまもった卑怯者を決して忘れないだろう) ★ People Over Power(国民は權力の上に) ★ Resist(抵抗) ★ F*ck MAGA(くそくらえ MAGA) *MAGA ( Make America Great Again; アメリカを再び偉大に / 2016年の大統領選挙におけるドナルド・トランプ氏の選挙スローガン) ★ Stop Trump's Tariff Scheme(トランプの関税計画をやめろ) ★ The Fascist Trump Regime Must Go Now(ファシスト トランプ体制は今すぐ去らなければならない) ★ The Fall Trump Fascist Regime(堕落トランプ ファシスト体制) ★ Impeach Him Now, No King, Trumpu Out(彼を今すぐ弾劾、王はいらない、トランプは出てゆけ) ★ Elbows Up, Fingers Crossed(肘を上げて、指を交差させる;自分を守り、幸運な結果を誇る) *カナダから広まったとされる二つのジェスチャーの組み合わせ。elbowの熟語として、elbow one's way(人を押しのけて自分の道を行く)、あるいはelbpw a person out of ~(人を追い出す)がある。 ★ Feed Gaza(ガザに食料を) ★ No War in Venezuela(ヴェネズエラでの戦争をやめろ) ★ Trump Parties at Mar-A-Lago While 42Million Go Hungry(4200万人が飢えているのにトランプはマー・ア・ラゴでパーティーをしている) ★ Hell isn't hot enough for child rapists(児童レ*プ犯にとって地獄は暑過ぎることはない) ★ Get These Fascist Pedos Outta Here(こいつらファシスト小児*愛者をここから追い出せ) ★ The Deportations Begin(国外追放が始まっている); Tolerance(寛大)、Decency(親切)、Truyh(真実)、Sanity(健全)、Expertise(専門技術、知識)、Freedom(自由)、Democracy(民主主義)、Competence(能力、権限)、Unity(統一性)。 *これはMike L氏の政治風刺漫画から。
Nov 16, 2025
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庭の土佐文旦 2025年11月12日 撮影 庭の茶の花 2025年11月12日 茶の花や俯向きてありし面影 青穹(山田維史) 茶の花や俯向きありて増女かな
Nov 12, 2025
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仲代達矢氏が亡くなられた。享年92。 90歳を過ぎてもなお熱意をもって芝居に精進されていた。まさに「精進」という言葉がふさわしいように私は思う。 私が仲代達矢という俳優を知ったのは小学生の頃である。正確な年月は忘れたが、昭和30年か31年頃だった。母が購読していた婦人雑誌「主婦の友」だったと記憶しているが、そのグラビア頁に新進の俳優として颯爽とした青年の写真が掲載されていた。それが仲代達矢氏だった。記憶の中からおぼろげな影像として浮かんでくるのは、右脚を何かコンクリートの台上にのせ、大きな目でポーズをとっていた。 その後は三島由紀夫「金閣寺」を原作とした市川崑監督「炎上」(1958)、同監督の翌年の谷崎潤一郎原作の「鍵」、小林正樹監督「人間の条件」連作(1959〜1961)、そして黒澤明監督作品でお目にかかることになる。「七人の侍」の通行人の浪人としてチラリと。「用心棒」「椿三十郎」「悪い奴ほどよく眠る」「天国と地獄」・・・「影武者」「乱」。私はそれらを皆観て来た。 以下、思い出すままに・・・「切腹」「他人の顔」「上意討ち 拝領妻始末」「御用金」「華麗なる一族」「金環食」「鬼龍院花子の生涯」「ハチ公物語」 そして私の資料箱から1964年の日生劇場公演「ハムレット」のパンフレットを掲げて、仲代達矢氏のご冥福を祈ります。
Nov 11, 2025
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昼食後、家周りの草取り。この作業、昨日の予定だったが雨のために止めていた。毎日の朝夕、枯葉と落下した熟柿の始末をしながら家周りに茂った草を気にかけていた。 そういえば昨日の朝日新聞朝刊のコラム「天声人語」が、柿の渋抜き、そのひとつ鹿児島県紫尾温泉の「あおし柿」について書いていた。紫尾区大衆浴場の軒先きの柿専用浴槽に、ちょうどこの時期、渋柿が入った袋がならぶ。温泉に12時間ほど漬けると、渋柿がトロリとした甘さになるという。温泉に漬けおく加減が難しいようで、温泉管理の方は気が抜けないのだそうだ。 「あおし柿」、私は食べたことがない。熟柿が好きな私は、そのトロリとした甘さというのに惹かれる。 ところで天声人語氏が、管理者に「柿が渋いのはなぜか」と問うと、「鳥に食べられないようにでしょう」という応えがかえってきた。天声人語氏は、それも一理ありそうだが・・・と思いわしたが・・・ 私も天声人語氏と同じように「・・・」を残しながら、しかし管理者の解釈に一理あるかもしれないと思うのは、我が家の庭の柿を見ていると、柿がまだ青かったり色づき初めの頃は鳥は食べないのである。鳥たちは食べる頃合いをちゃんと知っているようだ。 我が家の柿は「禅寺丸」という鎌倉時代、源実朝の1242年に現在の川崎市王禅寺の山中で偶然発見された種類(あるいはその交配種)で、「禅寺丸」は半甘柿と分類されている。半甘柿とは奇妙な表現だが、じつは我が家の柿は15年くらい以前はまったくの渋柿だった。あまりに生りすぎて大枝が折れたこともあったが、すべて廃棄していた。秋になると始末が大変だった。もちろん齧ってみたこともある。とても食べられたものではなかった。ところが15年ほど前のある年、私は捨てようと集めたのを一口齧った。なんと、甘かったのだ。甘柿に変身していたのだ。・・・そして、鳥たちが来て啄ばみ始めたのである。以来、毎年、頃合いを見計らって鳥たちがやって来ている。 「柿よ、甘柿に変わらなければ鳥たちに食べられまいに・・・」 (柿曰く)「いやいや、鳥に食べられることで、種をあちらこちらにバラ撒けるのですよ」
Nov 10, 2025
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今日は国会議事堂が竣工して89年目にあたる。 戦後を瞥見しただけでも、議事堂に警察を引き入れたり、議事堂前のデモストレーションで死者が出たこともある。やくざのように暴れまわって寝転んだ議委員もいた。国会の最中に議員の居眠りの場になっていることはしょっちゅうだ。与党野党の別に限らず、政策に関わるまともな知識もなければ勉強もしていないのか、官僚や秘書が下書きしたとおぼしい原稿を読むだけの無能な議員もいる。SNS等で取るに足らないゴシップを書き立てて人気を獲得し、それ政党結成だと国会に乗り込む。まあ、たしかにジャーナリスムの本質にはゴシップを掻き立てる一面もあり、それも重要で、そこから政治的腐敗や悪を暴いていくことはある。しかし国会議員の役目は政策立案であり、SNSでゴシップを掻き立てるのとはちがう。 建物は歴史を積んできたが、中身の方は・・・?????というところかもしれない。
Nov 7, 2025
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山田維史 「智慧の実 with 世界の言語」 2019年 油彩、クレヨンTadami Yamada "Wisdom Fruit with Languages of the aorld" 2019、Oil and crayon
Nov 6, 2025
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アメリカ合衆国の来るべき来年の中間選挙を占うとされるニューヨーク市長選挙が現地時間4日におこなわれ、民主党のゾーラン・マムダニ(Zohran Mamdani) 氏(34歳)が当選した。マムダニ氏はインド系移民のイスラム教徒で、初のイスラム教徒の市長となる。就任は2026年1月。 トランプ大統領は、投票日前日まで、はげしくマグダム候補を敵視して「共産主義者」「アメリカ経済を破壊する」「彼が当選したら連邦給付金を停止する」と、脅迫まじりに攻撃していた。マグダム氏がこの選挙で訴えていたのは、家計や生活費(バス、保育料、家賃)の軽減を具体的な数字をあげて述べ、その財源は富裕層や大企業の増税とした。・・・これはトランプ政権の実情と真っ向から対立する問題である。というのは、富裕層や大企業は莫大な資金をトランプ大統領に寄付をしているが、彼らはその返却を要求してい、その「返却」が富裕層や大企業に対する減税である。 トランプ大統領は一貫して自由主義(リベラリスム)を敵視し、その思想に沿った政策を立案し実行してきた。国連の各国代表に向かって、「私は憎しみにみちている」とまで発言して驚かせた。しかしながら世界に向かってそこまで言い切ると、(少なくとも私山田は)トランプ氏の言動・・・政治的言動しか窺えないにしても・・・に、他者にまったく関心がない自己中心な(精神に少々余白のある自己中心的ではない)一貫性を見る。 ゾーラン・マムダニ氏の支持者は若者が多かったと言われる。その理由は今後の社会科学的分析が出てくるだろうが、ニューヨーク市の家賃が月額60万円以上もし、毎日のように移民の逮捕があり、それによって親子が引き裂かれ、犯罪歴のないラテン系アメリカ市民がオフイスから路上に引き摺り出され逮捕されている。1600万にの子供が飢え、1700万人が医療保険(メディケイド)を剥奪され、8人に1人がフードスタンプ(食料給付)に頼ってい、政府機関が閉鎖されて65万人の職員給料が支払われない。連邦職員が食料配給に長蛇の列をつくっている。トランプ大統領は食品価格高騰は無いと公言し、現実から国民の目をそむけさせようと虚偽をばらまいている。しかし、若者たちはその現実を目撃している。 トランプ大統領はアメリカ国民の所有である歴史的建造物ホワイト・ハウスの東棟を破壊し、金ピカのボール・ルーム(ダンス・ホール)の建設に着手した。世界一大きなボール・ルームになる、と自慢して。のみならず凱旋門も建設しようとしている。(国民が疲弊しているというのに・・・と、そのニュースを見聞きしながら私は呟く。) 他国のことを私が言うことはないが、そうとばかりに済ますわけにはいかない。やはり大国アメリカ合衆国である。その国の大統領や世界経済の中心ともいうべきニューヨークの市長の言動の影響は、わが日本をも巻き込む。私は特に、自由主義や民主主義に関わることがらを注視しないではいられない。わが日本も懐に爆弾をかかえているからだ。
Nov 5, 2025
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山田維史「りんご」 2017年Tadami Yamada "Apple" 2017
Nov 5, 2025
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山田維史「林檎の樹の下で」 2017年Tadami Yamada "Under The Apple Tree" 2017
Nov 4, 2025
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予算不足(脚新聞に依る) 大学の施設朽ちゆく文化の日 青穹(山田維史) 時雨るゝや別れ言葉もそこそこに 時雨るゝや鴉ついばむ柿の穴
Nov 3, 2025
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野球ワールド・シリーズ (WS) の優勝決定戦、ロスアンジェルス・ドジャース vs トロント・ブルージェイズは、延長11回でドジャースが5-4で球団史上初の2連覇を果たした。WS連覇は25年ぶりだそうだ。試合の様子は私が詳しく述べることもあるまい。しかし、いやー、おもしろかった、おもしろかった。山本由伸選手がMVPを受賞。誰もが納得だろう。ドジャースの日本人選手は大谷翔平選手を筆頭に、佐々木朗希選手も全米を虜にする活躍。球場を揺るがす「ショーヘイ」コール、「ヨシ」コール、「ローキ」コール・・・やっぱり嬉しいね!
Nov 2, 2025
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私が会津若松市に身寄りもなく独り住まいしていたのは中学・高校時代の6年間である。そのころのことについてはこのブログにぽつりぽつりと書いた。その後、2005年8月、中学時代の清水先生の喜寿をお祝いするために42年ぶりに会津若松市を訪ね、さらにその2年後にも、清水先生が創立者のおひとりで、私が所属していた劇団の創立50周年の祝賀会に出席した。42年ぶりに清水先生を訪ねたときに、劇団50周年記念パンフレットの表紙デザインと表紙絵を描く約束をしていたのである。 訪ねた時、先生は私の市内散策のために新しい自転車を購入されてくださっていた。私は卒業した会津高校(当時は男子校だった)とは別の会津女子高校の先輩とも42年ぶりに再開し、彼女の案内で二人で自転車で市内を巡った。「山田クン、浦島太郎だわよ」と。 たしかに彼女の言う通りだった。私が親しんだ街並みはまったく失われていた。独り住まいしていたアパートが無人のまま、窓や戸口に板を打ち付けてそこにあったのが不思議なくらいだった。「まもなく取り壊すそうです」と、たまたま近所の方が通りかかり、言った。 さて、以上は前置きである。じつはYouTubeの「おすすめ」なのだろうか、昭和34年の木下恵介監督の映画「惜春鳥」の一部を7分程度につまんで繋ぎあわせた動画と、それとは別にその「惜春鳥」の当時の予告編が掲載されていた。この映画は公開当時、私は八総鉱山で見ていた。中学2年生、14歳だった。私は会津若松から一泊の予定で両親のもとへ帰っていたのであった。 映画「惜春鳥」は全編が会津若松市内で撮影された。ロケ地は名所巡りのようであるから、それがかえって私が在住していた昭和34年を映し出している。同市を去って42年後に訪ねた会津若松市は私の青春の城下町ではなかった。テーマパークを訪れた観光客の感じがしたものだ。 映画の中の市内は、まさに懐かしい会津若松で、神明通りも、その入り口にあったライオン堂も、山形屋さんも、鶴ヶ城の天守閣のない石垣も、西出丸のあたりも、飯盛山の石段も、御薬園も・・・。予告編の3分08秒あたり、白虎隊墓前祭の剣舞を披露しているのは会津高校剣舞会の諸君である。当時、正式な詩吟「白虎隊」で正式な剣舞を飯盛山の白虎隊墓前での披露を許されていたのは会津高校剣舞会のみに限られていた。会津高校が藩校日新館を礎としていたからである。 このYouTubeのつまみぐい動画を見てあらためて気づいたことがある。友人が詐欺で逮捕されると知った津川雅彦氏と山本豊三氏が演じる若者が、会津若松駅に駆けつけるシーン。脚に障害がある山本豊三をおいて津川雅彦が先に駆ける。あとから追いかけ、神明通りを脚をひきずりながら走る山本。画面は左から右へ(北から南ヘ)移動するが、その背後に山形屋さんが映っている。・・・実際は、山形屋さんの位置からすると、駅に向かうには右から左へ移動しなければならない。なぜ、このシーンが実際とは逆にしたのか? そのほうが絵面が良かったのかな? まあ、しかし私は私が知っている昭和34年頃の会津若松市を懐かしく見た。天守閣が再建されたのは、私が同市を去った翌年である。その年、つまり大学1年で東京住まいになった私は、札幌の両親の家(八総鉱山から札幌に移転していた)に帰省する途中に会津若松市に立ち寄り、夜、ざんざんぶりの雨の中で濡れながら天守閣を見た。現在、城中本丸の「麟閣」が再建されているあたりに佇んで・・・。それから濠のそばにあった貸しボート屋の店先の公衆電話でタクシーを呼んで、帰路、なんだか淋しさを抱えて会津若松駅へ向かったのだった。YouTube 昭和34年の会津若松「映画惜春鳥のシーンから」YouTube 「惜春鳥」予告編
Oct 30, 2025
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山田維史「大波」紙にペンとインク
Oct 29, 2025
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急に寒さが身にしみるようになり、暑がりの私もカーディガンなどを着込んだ。午後7時、灯油販売車が童謡を流しながら町内を巡っている。 午前中に主治医のクリニックに行き、10月初めに予約しておいたインフルエンザの予防接種をした。民生委員だったときにたくさんの人に接しなければならなかったので、10月末か11月の初めに予防接種をすることにした。以後、ずっとそれが恒例となっている。医師が「お元気そうですね」とおっしゃるので、「おかげさまで元気に過ごしております」と私は応えた。きょうも自転車で山坂を下り登りした。まあ、元気な人間にも老衰はやってくる。過信はしていない。
Oct 25, 2025
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舞踏家の大野一雄氏が亡くなられて来たる10月27日の祥月命日で15年になる。享年103。100歳をすぎてもなお踊りつづけていられたと聞く。今日、私は大野氏の踊りを記録した映像を観ていた。 私が大野氏の踊りを観た最後は、たしか1981年、第一生命ホールで土方巽氏の演出による「わたしのお母さん」だった。それが最後になったのは、私の作品制作が昼夜を問わず多忙になったから。当時は記録映像を容易に観る機会はなかった。今日、私はYouTubeで観たのだが、撮影者が誰かわわからないが、YouTubeで貴重な映像が観られることはありがたい。 一足早く大野一雄氏を追悼した。YouTube 「Kazuo Ohno ー My Mother」YouTube 「大野一雄 美と力 ラ・アルヘンチーナ頌」YouTube 「1977 Admirando a Argentina」
Oct 24, 2025
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ルーブル美術館の盗難はわずか7分間ほどのできごとだったらしい。しかも美術館は昼間の開館中で、来場者がおおぜいいた。フランス歴史上の貴重な宝石が9点奪われた。そのうち王冠1点は逃走途中で落としたらしく、損傷した状態で回収された。奪われた8点の行方はまったく捜索不能らしい。王妃のティアラやネックレス等の宝石が狙われたのは、バラバラに破壊して個々の宝石にしてしまえば処分しやすいからだと推測されている。フランス政府は、盗まれた宝石類は戻らない可能性がおおきいと公言した。 各種報道はルーブルの監視員等の人的不足と防犯設備が不十分だったことを指摘している。盗難事件の責任の一端はルーブル美術館側にもある、と言外の非難をしている。私はそのように報道を解釈した。 それは妥当な指摘であるが、しかしもうひとつ別の視点で考えることもできるのではあるまいか。 ルーブルは城館建築として世界遺産になっている。世界遺産の条件として、当該物件を改変してはならないことが規定されている。建築物ならば新たに手を加えてはならないということだ。つまりルーブルの今回の盗難は工事用梯子車をバルコニ下に横付けし、ガラス窓を破って侵入したのだが、そのガラスをたとえば強化ガラスのようなものに取り替え、なおかつ建物壁面に防犯装置を設置することができなかったと言えないだろうか。ルーブル美術館を訪れたことがある人は、あるいは気づいたかもしれないが、窓ガラスなどはいたって簡単に破れそうなことは素人目にも推測できる。今回の盗賊は単独犯ではないことは明らかで、のみならず残された道具類や闘争にバイクを使用しているらしいので、事前の下見と綿密な計画をたてていたと思われる。 我が国でも世界遺産登録をめざして活動しているし、すでに世界遺産となったものも少なくない。それは喜ばしいことではあるが、私が上述のように推測した問題を考えると、登録申請前にそれこそよくよく考えておくべきこともあるような気がする。防犯上からも場合によっては国内で手厚く文化遺産を保護してゆく道を選ぶことを考えたほうがよいかもしれない。
Oct 23, 2025
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シェイクスピアの戯曲にもなっている540年前のイングランド国王リチャードlll世に関して、その遺骨が2012年8月にイングランド中部のレスターの駐車場地下から発掘されたことなど、私はこのブログにすでに7回も書いている。2013年7月31日、8月1日,2日、9月5日、2014年9月20日、12月3日、2015年3月27日のブログである。 当時の報道は、その遺骨を発掘したのはレスター大学遺跡研究チームである、と報じられた。ドキュメンタリー映像もそのように報じた。私もその報道に従って上述のブログ記事を書き、レスター大学が次々に発表した遺骨研究の成果を興味深く思ってきた。 リチャードlll世に関する私の最後のブログ記事からちょうど10年を経過し、遺骨発掘から540年、発掘をめぐって私が知らなかった事実を一本の映画作品によって知り、いささかならず驚いているのである。その映画は2022年に制作されたスティーヴン・フリアーズ監督『ザ・ロスト・キング 500年越しの運命 (原題:The Lost King) 』である。フィリッパ・ラングレーとマイケル・ジョーンズの著書『ザ・ロスト・キング ; リチャード lll世を捜して (The Lost King: The Search for Richard lll) 』を原作として脚本はスティーヴ・クーガン、ジェフ・ポープ。 じつはこの原作者のフィリッパ・ラングレー (Philippa Langley) こそがリチャードlll世の遺骨を探し求め、レスターの駐車場に狙いをつけて発掘の主導をしたというのである。彼女はいわゆるアマチュアの研究者で、職場では上司から正当な評価をされず、またリチャードlll世についての歴史記述やシェイクスピアの戯曲に描かれたような人物ではないと主張する彼女の意見も嘲笑されていた。彼女の発掘調査を認可したレスター市も、実のところは、もし遺骨がでてくればそれはそれで市の宝になるであろうし、発掘過程は市の観光事業におおいに役立つだろうという考えだった。資金の一部を拠出することにしたレスター大学にしてもフィリッパ・ラングレーの見解に疑問をいだいていた。というのは、彼女の見解は科学的証拠によるのではなく、彼女がそう「感じる」ことに依拠していたからだ。しかし協力を決定したのは、彼女の有力な味方にリチャードlll世の遠い子孫をたどったDNAの研究学者があり、もしも何らかの遺骨が発掘されれば、遠い子孫のDNAと比較ができるからだった。 さて、私はフィリッパ・ラングレー (Philippa Langley) 氏の存在を初めて知ったわけだが、私がブログ記事で言及できなかったのは、レスター大学が彼女の名前を消していたからだ。発掘調査を主導したのはレスター大学であるとした、大学側の卑しい判断があったことを、私は映画『ザ・ロスト・キング』で知ったのである。おくればせにウィキペディアで Philippa Langley を検索し、この映画が事実に基づいていることを確認した。・・・急いで付け加えるが、発掘後のレスター大学の遺骨研究は現代先端技術によってすばらしい成果をあげている。 もうひとつ。この映画は、フィリッパ・ラングレー氏の見解を導き出す彼女の「感じる」を、彼女のそばにしばしばリチャードlll世が姿を表すことで映像化している。私はちょっとやり過ぎじゃないかな、と思わないでもないが、しかしエンターテイメントだからこれでいいのか、とも思った次第。フィリッパ・ラングレー氏自身がちょっと登場している。それがどこかは・・・ Youtubeでこの映画を日本語吹き替えで観ることができる。私は吹き替え映画が好きではないが。YouTube「ザ・ロスト・キング」YouTube ドキュメンタリー「リチャード lll世の埋葬」8, 2018YouTube ドキュメンタリー「リチャード lll世 最終ビデオ」 YouTube ドキュメンタリー「リチャード lll世 プランタジネット家最後の人物」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 話題を変える。 と言っても、私が言いたいのは一つだけ。高市内閣が正式に発足した。その顔ぶれを見て、防衛大臣に小泉進次郎とあったので呆れたというより・・・まあ、ばっかじゃなかろうか、と。日本の防衛のみならず戦争の世紀というべき現代の荒れ狂った世界情勢のなかに、喜劇役者を据えてどうなる? まともな理念も言葉も持たない人物が、どうやって狂乱の国々と日本国防衛のために渡り合える? 高市総理、あなた、おかしいよ。
Oct 22, 2025
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気温12℃。急に寒くなった。 寒いのは気温のせいだけではなさそうだ。高市早苗内閣発足に向けた人選が判った。高市氏の保守主義は危険な臭いが漂う。人の意見に耳を傾け、何故、と自問しながら真摯に向きあうような顔ぶれと評価できるだろうか。悪しきナルシズムによって民主主義が崩壊してゆくのはアメリカだけではなかろう、と私は危惧する。
Oct 21, 2025
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歴史的な事件がプロパンガダ(政治的な特定の主義・主張)によって広められると、時の経過とともに歴史的事実と認識され、学問としての歴史をゆがめてしまう。ゆがめられた学問はその権威主義によってあらゆる反論を拒絶し、歴史の真実はますます不明になってしまう。 ・・・今日あらためて私が気づいたこと。
Oct 20, 2025
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驚き! MLBポストシーズン、ロスアンジェルス・ドジャース vs ミルウォーキー・ブリュワーズのワールドシリーズ進出をかけた第4戦。ドジャースの大谷翔平選手はPS二回目となる投打先発。なんと7回途中降板までに無失点10奪三振、3本のホームランを放った。また9回に登板した佐々木朗希選手が見事に押さえて、ドジャースは5-1で勝利。ワールドシリーズに進出を決めた。 PSで投打、いわゆる二刀流で、一試合ホームラン3本はまさに驚異。2本目の143メートル打球は場外へ。味方ドジャースのダグアウトの選手たちは一斉に立ち上がって狂喜するどころではない、フーリーマン選手は呆れて頭をかかえていた。 山本由伸投手の風格あふれる大活躍、そしてスタンドを揺るがすローキ・コールのなか守備陣の巧みな捕球送球に助けられながらも見事に守護神の役目を果たした。
Oct 18, 2025
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第81代総理大臣村山富市氏が逝去された。享年101。 在任中には阪神淡路大震災を対処。また被爆者援護法を制定された功績は大きい。謹んでご冥福をお祈りいたします。
Oct 17, 2025
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グラミー賞受賞の米ミュージシャン、ディアンジェロ氏が14日に亡くなった。享年51。 レコード会社RCAが家族からのメッセージを伝えた。癌による長い闘病のすえだったという。ディアンジェロ氏はネオソウル・ミュージックの先駆者といわれている。初期の「ブラウン・シュガー」「ミー・アンド・ゾーズ・ドリーミン・アイズ・オブ・マイン」「クルージン」「レイディ」など多数。 私の所持するCD画像を掲載してディアンジェロ氏を追悼します。
Oct 16, 2025
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すでに旧聞に属することであるが、昨年2024年3月にネトフリクスがドキュメンタリーで初めて報じ、次いでイギリスのBBCなど各プレス・リリースも「窓拭き業者がシェイクスピアの在世中に描かれた肖像画を発見か!?」と報じて研究者たちを色めきたたせた。その窓拭き業者とはスティヴン・ワドロウ氏である。彼は自身が所有する古い肖像画について10年間以上も解明をこころみてきた。その絵は彼の父親が1960年代に900ポンドで購入し、以来訳40年間、テレヴィの上の壁に掛けられていた。「昔は怖かった。家の中のどこにいてもそれがこちらを見ていた」と、スティヴン・ワドロウ氏はインタビューに応えて言っていた。 この肖像画がシェイクスピアその人であるか否かは、議論の余地があるようだ(個人所有なので残念ながらここに画像を掲載できない)。もしシェイクスピアならば、その肖像画はシェイクスピア生存中に描かれた唯一のもの、という意見もある(じつは現時点で二つ目になるはず:山田注)。 さて、私はシェイクスピアの肖像画に関心をもって、すでにこのブログでも3度書いている。すなわち2009年3月11日、2009年3月15日、2014年4月26日の日記である。 その日記で言及した肖像画で、映画「恋におちたシェイクスピア」の制作のきっかけとなったといわれ、それがシェイクスピアならば彼が24歳のときの肖像画が、イギリスの国立肖像画美術館が展覧会を控えて9ヶ月かけて鑑定した結果、シェイクスピアではないと断定した。理由は、24歳当時のシェイクスピアは双子の赤ん坊の父親になったばかりで、しかも劇団に入る直前だったこともあり金銭的に余裕がなく、当該肖像画のような豪華な服を着れる状態ではなかった、という。 私はこの発表報道について日記に書いてからずいぶん経って、イギリスの歴史的事跡の研究でシェイクスピアの母親の住居とその周辺の街区の調査がおこなわれた記録映像を観た(ブログ;2023年11月28日:下にその映像のURL)。その調査で判明したことは、シェイクスピアの母親が使用人を抱えた裕福な人だったようだということ。街区に広い中庭をそなえたかなりの規模の邸宅を構えていたのである。・・・私はこの調査結果を知ったとき、ちらと頭に浮かんだのが上述の否定された肖像画だった。チューダー朝時代の女性の生活がいかなるものであったかについてはほとんど記録がない。シェイクスピアの母メリー・アーデンに関する記録も同様で、じつは現在もなお母親については謎なのである。シェイクスピアは18歳で結婚したが、この結婚に母メリー・アーデンが関わっていたのか否かさへ判っていない。しかしながら、かなり裕福であったと思われる母親の息子としてのシェイクスピアが、サテンにレースの襟がついた衣服を着ていても不思議ではないのではなかろうか? まあ、これは私の推測にすぎないのでその後は言うまい。シェイクスピアの家の発掘調査 BBC Home "A virtual tour of Shakespeare's mum's home というわけで、窓拭き業者のスティヴン・ワドロウ氏が所有する肖像画についても興味をもったのである。ちょっと付け加えれば、この肖像画の人物は、これまでシェイクスピアの肖像画といわれてきた人物の容貌と比べると、いわゆる「富士額」であることが際立った違いである。BBC Window cleaner in quest to />Mary Arden's HouseVoiceTube "SHEIKESPEARE The Greatest Playwright"
Oct 14, 2025
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ドキュメンタリー「ピカソの悪癖から逃れた女」を観た。 たくさんの女と関係を持ち子供を産ませたピカソを、10年間の同棲の後に彼を振り切って別れたただ一人の女性として知られるフランソワ・ジローが、ニューヨークの彼女のスタジオでインタビューに応じて回想したドキュメンタリー。2021年。監督;アンイー・メイリスとシルヴィー・ブラム。制作:Les Films D'lci Méditerranée. ピカソとフランソワとの10年間をその出会いから本人が回想している大変めずらしく、また貴重なドキュメンターリーである。もちろん私は初めて観た。YouTube ドキュメンタリー「ピカソの悪癖から逃れた女」
Oct 13, 2025
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既出の論文の英訳を左フリー・ページに掲載。この英訳もすでに別ブログに掲載していたがこのブログにも徐々に再掲載することにした。
Oct 12, 2025
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秋雨や文つづる音かすかなり 青穹(山田維史) 雨すだれ途切れ途切れの蟲の声 落ち柿の濡れた香りに更けて行く
Oct 11, 2025
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このところ就寝前にベッドで眠くなるまでジェフリー・アーチャーの『ナッシング・アドヴェンチャー (冒険なし)』を読んでいる。まだ40ページほど残っている。作者によれば主人公ウィリアム・ワーウィック・シリーズの第1作である。 主人公ウィリアム・ワーウィックは、父である勅撰弁護士(QC ; Queen's Counsel. 現在のチャールズ3世のもとではKing's Counselとなる)ジュリアン・ワーウィック卿のように法廷弁護士になることを望まず、大学卒業後にロンドンの首都警察(MP ; Metropolitan Police) の刑事になった。このことはジュリアン卿を落胆させたが、まもなくロンドン警視庁(Scotland Yard) に転属になった。そこで配属された部署は〈美術ならびに骨董部 (Art and Antique unit)〉だった。すなわち盗品あるいは偽造(フェイク)美術・骨董品に関する事件を担当する部署である。公立・私立の美術館や個人収集家から盗まれた美術品の捜査、流通経路の確定、偽造場所の特定、犯人捜査、犯人逮捕・・・等々を扱っている。長年にわたって追求している事件もある。 ウィリアム・ワーウィックが就任してすぐに携わった事件は、ある美術館から盗まれたレンブラントの「織物製造者組合の理事たち」の捜査。そしてウィンストン・チャーチル卿の12巻におよぶ「第二次世界大戦回顧録」である。この書籍は、3冊にチャーチルの直筆署名があるのだけれど、古書市場には偽筆の署名本が出回っている。その製造場所はどこだ?・・・ワーウィックはいきなり重大事件を担当することになったのである。 ・・・と、まあ、そんな小説だ。私が面白いと思ったのはスコットランド・ヤードの盗品・偽造美術品事件がどのように捜査されているかということ。その指揮系統がどうなっているかということ。また、法廷裁判がどのように展開するかということ。・・・私はイラストレイターとしてディクスン・カーなどのミステリ小説に長らく関わってきたが、盗品美術や偽造美術を主題にした小説、しかも警視庁を主体とした作品は読んだことがなかった。 現実の問題として盗品美術・偽造美術の事件はじつは非常に多い。国際刑事警察機構(インターポール)は国際的な美術犯罪捜査のいわば中心である。ナチスによって政策的に略奪されたりナチス幹部らが個人的に盗んだりした美術品の捜査は現在もなおつづけられている。実物が発見され、元の所有者が特定されてもすぐに変換されるわけでもなく、国家間の問題となることは少なくない。 このような美術犯罪事件は決して海外の話ではない。日本でも公開手配されている盗品美術は多い。また、つい最近は美術館が購入した絵画が偽造であると判明した。ちょっと笑うに笑えないのは、偽造絵画を今後どう処理するかに関係者は悩んでいるとか、いないとか。専門家と称し称される者でも見抜けなかったほど良くできた(上手い)絵なのだから、それはそれで美術品として扱ってよいのではないか・・・と言うのかしら? 私はいろいろなことを思い浮かべ、考えながら、おもしろくジェフリー・アーチャー『ナッシング・アドヴェンチャー (冒険なし)』を読んでいる次第。日本語訳があるかどうか、私は知らない。 ところで、もう一つ美術関連で。 YouTubeで観たフィンランド映画。『ラスト・ディール (最後の取引)』(2020年)。監督:クラウス・ハロ、脚本:アナ・ヘイナマー。 ヘルシンキで美術商をいとなむ72歳のオラヴィは、いまやオンライン・ビジネスに押されて時代遅れになった仕方で破産寸前である。これまでオークション等で買い集めた絵画はいまでは雑貨同然。日銭さへ稼げず、オークション会場に足を運んでも競り落とす金がない。そんな折り、なじみのオークションで1点の男の肖像画に目を止めた。さしたる大事に扱われずに人目もつかないような場所に掛けられている。その肖像画には作者の署名が無いのだった。・・・しかしオラヴィの目には深い人間観察と静謐感、いうならば名作だけがもっている芸術性が観て取れた。落札したい。金はない。そして、この絵の作者は誰だ? なぜサインを書き入れなかったのだ? ・・・映画の内容をこれ以上打ち明けるのはやめよう。私は非常におもしろかった。以下にURLを記しておく。YouTubeフィンランド映画『ラスト・ディール (最後の取引
Oct 10, 2025
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蕣(あさがお)も秋深ければ味気なし 青穹(山田維史) 朝顔も秋深ければ影うすし 庭の柿がなりすぎて 食べきれぬ柿を隣家に押し付けし 秋深みはや耶蘇祭り見越しおり
Oct 9, 2025
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小津安二郎監督作品「お茶漬けの味」を観ていた。1952年の松竹映画。脚本は野田高梧と小津安二郎。撮影は厚田雄春。出演:佐分利信、木暮実千代、津島恵子、鶴田浩二、淡島千景、上原葉子、笠智衆、他。 私はこの映画を初公開年の1952年に長野県川上村梓山の公民館二階で観ている。小学校1年生だった。小津映画を最初に観たのが「お茶漬けの味」だったことになる。いや、そんなことに気づいたのは後年も後年になってからだ。私は佐分利信と木暮実千代の夫婦がお茶漬けを食べる映像はずっと記憶してきたのだが、じつのところ映画そのものはまったくといってよいほど記憶にない。今日、再見していて、これは7歳の子供が記憶してないのも無理はない、と思った。そして散りばめられたユーモアにも(今日、私は観ながら何度も笑った)。見合い結婚した育った環境も性格もちがう夫婦が、お互いにそのズレを感じながら打ち解ける事なく長い結婚生活をしている・・・そんな淡々とした物語が7歳の私に理解できるはずはなかっただろう。ただ、いうならばヒョンなことから互いを認め合い、深夜にふたりきりで向かい合ってお茶漬けを食べる。糠漬けを食べるポリポリという音がする。・・・そのシーンだけは理解できたのであろう。そして印象に残ったのであろう。「お茶漬けの味」の映像として唯一記憶に長く残ったのだろう。 1952年(昭和27年)の東京の風景が映し出されるが、戦後7年経って、廃墟のような街がめざましい復興をとげているのがわかる。 そうそう、もうひとつ。佐分利信と木暮実千代の佐竹家の洋風の応接間に東郷青児の女性像の絵が掛けられたいる。小津安二郎は東郷青児が好きだったのだろうか、「麦秋」にも画伯の絵が登場していた、と私は記憶している・
Oct 7, 2025
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自民党総裁選で高市早苗氏が選出された。初の女性総裁の誕生である。そして、つづく首相指名選で、自民党は少数与党であるものの、おそらく高市氏が首相に指名されるという大方の予想である。もしもそれが現実となれば、日本政治史上初の女性首相となる。ヒラリー・クリント氏が大統領選に出馬したとき、女性の社会進出ならびに更なる高度な活躍の場を広げる合言葉として「ガラスの天井を突き破る」と言われた。高市氏首相の誕生を予測して、早くも「ガラスの天井を突き破る」と表現したマスコミもある。 私は常日頃から女性の活躍を応援している。世界中のあらゆる分野、あらゆる場面で、非常な活躍をしている女性がおおぜいいる。「男に期して」という日本語があるが、とんでもない、「男」などという称名は少なくともほとんど意味をなさない場面がある、と私は思っている。 しかしながら、である。事、日本の政治に関してみれば、女性議員として登場した人たちは何か危うさを私は思うのである。勇ましいのは良い。だが、その勇ましさが軽薄な男どもと同じ「戦争志向」があるとなると、「おい、待て!」と言いたくなる。男にある戦争志向が女にあって何が悪い、と反論されそうだ。女性の活躍を「戦争反対」と結びつけるな、と。 たしかにその通りで、私の思考に依然として「男」「女」を弁別しているスィッチがあるのかもしれない。顧みれば、過去の戦時中の「国防婦人会」のように戦争協力組織として大衆を駆り立て、のみならず近隣住民に対して集団でヒステリックに脅迫したのは女性たちであった。自分の息子を戦場に送り出すときも、涙を呑んでというのは嘘ではなかっただろうが、反面、息子の生命を死なしめることをおおいに誇らしく思っていたことも事実であった。・・・母親だから、女性だから、生命を愛おしむ優しい普遍的な心性をもっているわけではないのである。そのてんに期待することはできないのである。 さてそこで、高市早苗氏が首相になった場合だ。この人の変わらない政治主張に「憲法改正」がある。私に言わせてもらうと、その主張の本意は、現・平和憲法を積極的戦争行為が可能なものに「改悪」することだ。彼女の言い分は、現在の国際情勢に鑑みて「専守防衛」で日本を保持できない。自衛隊を武力攻撃可能な軍隊にする必要がある、ということだろう。この考えは、もちろん彼女ひとりのものではない。憲法改正論者の一番の目論見である。そして、私はその心情をあまり理解できないのだが、戦争を知らず、戦争ゲームで育った若者が戦争指向の「憲法改正」に賛成しているらしい。この若者たちは戦争による自分の死を想像できないのかもしれない。戦争が起これば、戦死からもっとも遠くにいて威張り腐った指揮をしているのは、平和憲法を踏みにじった年寄りたちなのだが。 高市氏が目先の判断でヒステリックな政策を発言する危険性があることは、彼女が政府の見解と異なると見たテレヴィ番組をもって、いきなり電波停止を言い出し、「放送法」改正を提議した一件でもわかる。都合の悪い言論を封殺する。・・・このような言論封殺がいかに社会を政治的に堕落させ、ファシズムへの道を開くかは、歴史が示している。ファシズムは外からやって来るのではない。常に内側で芽を出すのである。高市氏の言論が、事実確認をせず伝聞にもとづく情報を公言して自分の御都合主義に傾くことがあるのは、このたびの自民党総裁選のさなかにも起こった。首相として御都合主義な言論が自国を崩壊させることは某国の大統領の言動が示しているとおりだ。 高市氏に何が期待できるだろうか、と私は思わずにはいられない。首相の眼前には喫緊に解決しなければならない問題が山ほどあろう。高市氏も「働いて、働いて、働く」と言っているが、所詮麻生氏の傀儡。しかし戦争志向だけは私は願い下げである。ギリギリのところで戦中に生まれ、いま(たぶん)死を目前にした私の気がかりは、ただ戦争のことだけだ。
Oct 5, 2025
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ちょっと忙しいのでCNNのURLだけ掲載。CNN 「国家非常事態」トランプ氏が介入する芸術
Oct 2, 2025
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次男である弟が77歳の喜寿を迎えた。「77歳だって。びっくりしちゃうよ」と言った。元気に毎日仕事をつづけてい、のみならず趣味の句作に精を出し毎月4回の都内地方の句会に一度も休まずに出席している。「この頃寝不足だ」と言う。それはそうだろう。私は心配しているが口には出さない。エネルギーが燃焼して気力が充実しているところに側から水を差すことはない。私自身が絵描きとしてやってきて、80歳、エネルギーと気力を持続させる方法を良く承知している。・・・三男の弟も70歳を過ぎた。彼も元気らしいが、兄弟皆高齢者と言われる年齢になったわけだ。まあ、仲良くやってきた。
Sep 29, 2025
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9月23日にイタリアを代表する女優のおひとりクラウディア・カルディナーレ氏が亡くなられた。享年87。 私がCCことクラウディア・カルディナーレさん出演映画を見たのは15,6歳のときだったと記憶する。私は映画館で観た作品をかなり良く記憶しているのだが、CCを観た最初の作品の題名を思い出せない。その映画のなかで彼女はたくましく大砲を引っ張っていた・・・と、記憶している。その後に観た出演作品を時系列で述べれば、◯ 若者のすべて(1960:ルキノ・ヴィスコンティ監督)◯ 8 1/2 (1963:フェデリコ・フェリーニ監督)◯ 山猫 (1963:ルキノ・ヴィスコンティ監督)◯ ブーベの恋人 (1963:ルイジ・コメンチーニ監督)◯ 熊座の淡き細影 (1965:ルキノ・ヴィスコンティ監督)◯ 家族の肖像 (1974:ルキノ・ヴィスコンティ監督)◯ フィツカラルド (1982:ヴェルナー・ヘルツヘルツォ=ク監督) クラウディア・カルディナーレ氏を追悼します。
Sep 28, 2025
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日本時間の26日の米野球、ロサンゼルス・ドジャース vs アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で、大谷翔平選手が今期第54号ホームランを放った。試合は8-0の大差でドジャースが勝利した。地区優勝である。 ところで試合後、ダイヤモンドバックスの監督が記者会見で驚くべき発言をした。NLBは54号ホームランを放った大谷選手のバットを検査すべきだ、と。禁止されているコルク・バットを使用したことはヴィデオ映像が証明している。ボールを打った瞬間、バットに亀裂が入り、光を反射しているのが見て取れる、と監督は言ったのである。 大谷選手がホームランを放ったとき、じつは彼は低めの球を体幹を使って右手だけで打ち、そのボールは場外の池に落ちた。片手でホームランを放つことなどできるわけがないと言うのがダイヤモンドバックス監督の言い分だった。 大変な論争が巻き起こった。この監督に賛意を表明するSNSへの投稿も少なくはないようだった。専門の野球関係者の間でも議論が持ち上がった。 MLBはついに大谷選手のバットを機器を使って精密検査をした。もちろんヴォデオ映像も厳密に調査された。・・・そして、結論。バットはコルク・バットではなく、映像で亀裂と見えたのはボールとバットの接触瞬間の「擦れ」が光を反射したのであることが判明した。すなわち大谷選手は強靭な体幹と技術によって片手で場外ホームランを放ったのである。 ダイヤモンドバックス監督に対するNLBの処分は免れないであろうが、それについては私の関心外だ。つまり私は、ただただ大谷翔平選手の野球技術に驚いているのである。
Sep 26, 2025
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秋分の一日だけの涼味かな 青穹(山田維史) 汗拭けば空の青いろ秋の青
Sep 25, 2025
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ようやくに一息付ける秋の風 青穹(山田維史) 夏さらば青空に風の道 熟柿落ち下戸酒飲みに間違われ
Sep 23, 2025
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朝日新聞東京本社版が2025年9月20日、5万号になったそうだ。朝日新聞小史によれば東京朝日新聞の創刊は1888年7月10日。本日9月22日の夕刊がいやに分厚いと思ったら、38ページからなる記念の「朝日新聞写真館 ー since 1904」が別刷りになっていた。時代を象徴した写真である。 おもしろいのは1955年6月1日のラジオ番組欄から1980年6月7日までのラジオ・テレビ欄が、もちろん各ページに1日分ではあるが、そのまま復刻されている。1955年(昭和30年)、私は10歳。NHK第一(夕)6時25分に「オテナの塔」とある。北村寿夫作「新諸国物語」だ。この番組を私は楽しみにして聴いていたものだ。翌年、つづいて「七つの誓い」。 ・・・ラジオドラマは楽しみだった。記念付録には復刻掲載されていないが、昭和26,7年頃にはやはりNHK第一で「ピー子ポン太郎世界巡り」。「♩ピコポン ピコポン ポンピコポン」とはじまる主題歌。75年ちかくになる今でも憶えている。また、「母を訪ねて三千里 ー 家なき子」。ここに登場するカピという名の犬から、私はタカノさんからもらった子犬にカピと名付けた。 朝日新聞にまずは「おめでとうございます」ともうしあげます。ジャーナリズムの本分である政権に対する厳しい目を保持してほしい。 私が最近ちょっと気になるのが、用語の問題だ。「婚活」「就活」などという奇怪な造語の使用を見受ける。つい数日前には、「オワコン」などと書き、その下に括弧に入れて「終わったコンテンツ」と書き添えていた。私は呆れるを通り越して笑ってしまった。もちろん嘲笑である。正しい言葉を略語化してしまうのは、それこそラジオ・テレビ欄のスペースの経済学に端を発しているのではないかと優しく推測もするが、本心はヤクザな風潮と思っている。私が嘲笑したのは、略語にしたものをスペース経済学に反して注釈を書き込んでいたからだ。そんなことをするくらいなら初めからキレイナ言葉で「終わったコンテンツ」と書けばよさそうなものを。 80歳のじいちゃんが紙面作りに感じるのは、ああ、社員も記者も若い連中になったのだなー、ということ。興味の焦点が、エンターテインメントに傾いているようだ。こんなことを取り上げれば、新聞離れの傾向にある読者を引き止めることができるのではないか、呼び戻せるのではないか・・・そう、考えてはいないだろうか。私の下司の勘ぐりかな? まあ、80歳のじいちゃんにはむしろだんだん読む記事が少なくなっているのだが。夕刊の第一面の作りにはあまり感心していない。 しかし、私は現代世界情勢に照らし合わせながら、朝日新聞のオトナのジャーナリズムの良識を信頼しています。 そして、創刊以来5万号の実物がすべて残っているのかどうか私は知らないが、少なくとも1940年以降の実物は残っているのだろう。これは「紙」だったからではないだろうか。電子新聞がはたして5万号分を後世に残せるかどうか。電子新聞が歴史の証言者になれるかどうか。時代世相を歴史として後世に伝えることができるかどうか。これは朝日新聞だけの問題ではない。出版全般に言えることだが、やはり早急に考えるべき問題ではなかろうか。朝日新聞発行が5万号を誇る意味が、そこにある、と私は思います。
Sep 22, 2025
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彼岸過ぎ国勢調査訪えり 青穹(山田維史) 雨音のはげしくなりて夏去りぬ 雨に散る柿葉のなかに赤黄いろ
Sep 21, 2025
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予報どおり昨夜から今朝方まで降った雨のため、きょうは凌ぎやすい1日になった。これ幸いと私は終日、事務仕事。わき目もふらず。 それはそれとして国内に目を向ける。自民党の総裁選の立候補者が出揃ったようだが、いずれも危ない奴ばかり。国会議員も要職に就くと多忙をきわめ、おそらく目先に山積する問題に私利私欲が絡んで物事を広く深く考えなくなるのかもしれない。 T氏は政権に不都合な放送をしたと電波配信停止のイチャモンつけて放送法を改悪しようとした。安倍の子分よろしく先方にファシズムを据えての言論封殺。ヒステリックな傾向があるようで、T氏が首相になれば、台中悪化で日本は盲目的に参戦方向へ舵をきるだろう。 K氏は、そうだなー、国会議員であることが不思議。なぜ担がれているのだろう? 担いでいる人たちの欲得のバランスとは何だろう? この人は考えていることなど何もないのじゃないかなー。物事の論理性、それを組み立てる能力がまるでない。事態をとらえる言葉がない。言葉には修練が必要なのだ。すなわち古代ギリシャ以来のエロキューションが非常に重要だということ。その修練は、この人の担がれ方をみていると今からでは無理なのではあるまいか。 以上で日本のお二人にからめて私が言うことは、いままさにアメリカ合衆国で起こっている問題、まことに奇怪な人物が大統領となってしゅったいする現象と、問題の底にあるものは同じだ。 奇怪な人物と私は言ったが、独裁者や権威主義者がそうであるように、精神病理学的な観点からはむしろモデル・タイプと言ってよいほど納得しやすい人物ではないだろうか。自らが吐き出す蜘蛛の巣のような詭弁や嘘に自らが絡みとられ、二進も三進も行かなくなると、不安感と自己憐憫と強烈な自己愛が撚り合わさって鎧となる。このような人格は決して常軌に目覚めることはない。そしてこの人物が権力を掌握すると、その国や組織は落ちるところまで落ちる。歴史が教えている。 アメリカの分断状況は、大統領の意向に追従するか否かで右派と左派とに敵対し、政治思想的と言うよりも感情的に攻撃をあおって事件を創出し、それを理由として大統領不服従を封じ込めようとしていることだろう。 この大統領の弁論術は、一度の演説のなかで攻撃ポイントを同じ言葉で3度4度と繰り返すこと。あるいは言葉を変えて思いついた譬え話を何度も何度も繰り返し、その冗漫な演説で論点を移してゆくか擦り替えてしまう。さらに悪いことに、その大統領としての発言が当然社会に波及して問題化すると、彼はまるで他人事のように自らの言論の責任に背を向けるのである。強烈なナルシズムの様態であり、自己保全のための忘却でもある。彼の演説はいかなる場面の演説でも常に虚偽をものともしない誇大化した自己宣伝である。それは見事なものだ。なぜなら何らかの不安をかかえ自己の矮小化に圧迫を感じている聴衆は、誇大妄想に容易に自己を重ねることができ、喝采するからだ。この喝采こそが彼が望んでいることだ。妄想の中で「王」でいられるのだ。彼が「言論の自由」と言うとき、それは彼に反対しない言論のことである。反対でないかぎり虚偽でも陰謀論でもよいのである。 私の観点は、政治的あるいはオデオロギー的な右派とか左派の問題ではないということ。大事なのは個人の尊厳をたしかなものとする社会であること。そのために言論の自由が保証されていること。すなわち憲法によって保証されていること。その憲法のもとに制定された各法律によって保証されている社会であらねばならにということ。それが私の考えの基盤である。
Sep 19, 2025
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夜中に雨が降る予報が出ている。明日の予定のためにちょっと外に出て夜空を見た。昼間の34℃の暑さが夜9時、24℃まで下がった。10度の差はさすがに涼しく感じる。空気は幾分湿っている。 虫が鳴いている。・・・やはり秋なのだ。柿をひとつ捥いだ。 昼間より十度下がりて秋の声 青穹(山田維史)
Sep 18, 2025
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柿の葉裏にセミの抜け殻。この夏、我が家の庭でi五つ目の抜け殻発見。一番下の画像はセミの巣穴である。二つある。残暑と言うが、きょうも猛暑。午後2時過ぎ、36℃。 2025年9月17日 撮影
Sep 17, 2025
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Tadami Yamada Sep 16, 2025ああ、大統領!考古学DNA調査の結果、アメリカ合衆国国民のほとんどが移民であると判明しまし。大統領も例外ではありません。
Sep 16, 2025
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山田維史 「2025年9月15日の自画像 80歳」Tadami Yamada "Self-portrait on September 15, 2025 age 80"
Sep 15, 2025
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明日の敬老の日を前にして、今朝、町内自治会から私の80歳(傘寿)に対して祝意を頂戴した。恐縮。町内のみなさん、ありがとうございました。
Sep 14, 2025
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さきほど19時までYouTubeで市川崑監督作品、1956年の「ビルマの竪琴」を観ていた。11歳か12歳のとき、葯70年近く前に観て以来である。しかしそのころ観たこの映画は、実に鮮明に記憶にある。竹山道雄原作小説の映画化である。主演は安井昌二、三國連太郎、浜村純、西村晃をはじめ多くの男優諸氏、そして北林谷栄氏。脚本は和田夏十(市川崑夫人)、撮影;横山実、美術;松山崇、音楽;伊福部昭(ゴジラの作曲家)。 ビルマ戦線に連合軍の猛攻になすすべもない三國連太郎演じる井上隊長が率いる小隊の物語。1945年7月。終戦1ヶ月前ということになる(余談だが、私山田は生まれて2ヶ月経っていた)。井上隊長は音楽学校出身で、兵舎で部隊に合唱をおしえていた。安井昌二演じる水島上等兵は竪琴を弾けた。 ・・・私山田は作中で歌がうたわれる映画をいくつも記憶しているが、美空ひばりや高田浩吉が道中歌などをうたう時代劇などは別にして、その歌に感心した映画のなかにこの1956年の「ビルマの竪琴」がある。その「埴生の宿」はすばらしい。あるいは三船敏郎が富島松五郎を演じた稲垣浩監督「無法松の一生」のなかで吉岡少年がうたう「青葉の笛」。あるいは小栗康平監督「泥の河」のなかでキッちゃんがうたう「戦友」(ここは御国を何百里 離れて遠い満州の・・・)。あるいは木下恵介監督「二十四の瞳」のなかの「七つの子」「浜辺の歌」「仰げば尊し」・・・ 小隊は宿営しているある村で印英軍に包囲され身動きがとれなくなる。ビルマ人に扮装するのが上手い水島上等兵が斥候に出るが、彼はいたるところに散らばって白骨化している日本兵を見る。そしてそのまま部隊には戻らず、ビルマ僧として慰霊に服することを決意した。・・・間も無く終戦となり、井上部隊に日本へ帰還して復員するようにと命令が降る。水島上等兵はまだ帰隊しない。ある日、合唱をしていると兵舎の柵の向こうにビルマ僧が佇み、歌に合わせて竪琴を弾き始めた。戦友一同が「水島!」と叫ぶが、僧は無言で去った。 兵舎に出入りしている物売りの老婆がいる。北林谷栄が演じている。兵たちは老婆から鸚鵡を譲り受け、鸚鵡に「ミズシマ イッショニ ニッポンニ カエロウヨ」と覚えさせる。 ・・・映画のスジを追うのはここまでにしよう。11歳か12歳だった私は北林谷栄氏のお婆さんに見入ったものだ。お婆さんの肩の上で鸚鵡が「ミズシマ イッショニ ニッポンニ カエロウヨ」と言う、その哀切さに胸を打たれた。70年近く忘れられない映像として記憶に刻まれた。 出演俳優がみな自ら戦場で戦って復員した人たちだった。それだけに身にまとっている、なんと言おうか、空気感が違う。あえて批評することもないのだが、市川崑監督はこの「ビルマの竪琴」を1985年に再映画化していられる。市川監督の心に再映画化のどんな必然性があったのか、私は知る由も無いが、残念ながら私はやめておけばよかったのに、と思った。俳優たちが全然あの戦争の過酷さを身にまとっていない、と私は感じたのだ。頭で作り上げた演技で表出してくるものではない何事かがある。実際に戦場をくぐり抜けたあの時代の「顔」ではない、と私は思った。子供達の顔が、戦後すぐの頃の顔と、現代の中高なすっきりしてキレイな顔と、たいへんな違いがあるのだが、それと同じことを現代俳優が演じた兵士に感じたのである。市川崑監督、おやめになればよかったのに、ことは物語があればすむ問題ではないのではありませんか?YouTube 1956年版「ビルマの竪琴」
Sep 13, 2025
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都内が大雨となり、あちらこちらに店舗等の床冠水や河川の急激な増水、また氾濫警報が出た。 私の処は昨夜から断続的に激しい降雨となったが、いずれも比較的短い間の降りだった。しかし雷はあまり経験したことがない音がつづき、その異様さに私は夜中に目覚めたほどだ。地響きもした。今日も午後3時ごろに何かくぐもったようではあるが、それだけに異様な轟音がつづいた。このときに違いない、隣市の立川に雷警報が出たらしいが団地の建物に落雷があり、出火した。高齢者が煙を吸って、病院に搬送されたようだ。 河川の増水や氾濫の映像を見ると、激しく降り出してからたちまち通常水面から高さ2mはありそうな河岸擁壁を超えている。川幅4mから5m以上もあるような川である。10分20分のうちにまるで水が膨らむように盛り上がってくる。あれはどういうメカニズムなのだろう? 深山の源泉の一滴がやがて大河となるのも、考えてみると驚異だが・・・。 画像は数年前に見学した「首都圏外郭放水路」パンフレット。この放水路に水を取り込むのは年平均7回程度。最も多かった平成27年9月の台風17号18号には、約1,900万㎥の排水を記録した。通水による治水効果は目覚ましく、浸水被害は大幅に軽減されている。(同パンフレットより)
Sep 11, 2025
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昨夕、秋刀魚の塩焼きを食べた。入荷したばかりのものを家人が買ってきた。店内で捌いてもらったと言うので、見ると、頭と内臓を抜いていた。私は笑いながら、「秋刀魚は内臓も食べるんだが・・・」そしてつづけて、「佐藤春夫の詩に、秋刀魚 にがいか、しょっぱいか、とあるでしょ?」 と言って、ふと私もずいぶん歳をとったな、と思った。いや、秋刀魚の内臓を食べる食べないとは関係がない。 私が学生のころ、佐藤春夫氏はご存命だった。谷崎潤一郎、永井荷風、井伏鱒二、正宗白鳥、志賀直哉、武者小路実篤、野上弥生子、有島生馬、有馬頼義、永井龍男、網野菊、佐多稲子、円地文子、宇野千代、北原武夫、高見順、伊藤整、梅崎春生、武田泰淳、今東光・・・みなさんご存命でご活躍されていた。毎月出る文芸誌を私はむさぼるように読んだ。ノイローゼに陥って神経が光に過敏に反応するので昼間学校にも行けず、雨戸を閉めきった部屋で読んでいた。三島由紀夫氏や中村真一郎氏や高橋和巳氏には直接お目にかかっている。中村真一郎氏がノイローゼから回復されたと聞いていたので、私は「ノイローゼは自覚がありますか」などと聞いたものだ。谷崎潤一郎がなくなって幾ばくもしないころ、今東光氏が師・谷崎純一郎の思い出を話すのを聴いた。平安時代の「牛車」についての薀蓄で叱られたことや、同じ話を嫌い、「その話、聞いた!」と叱られたこと、あるいは、今氏がいまや縁先でコッコッココ、コッコッココと鶏と遊んでいるのだ、などと。 文学史に足跡を残すこれらの方々は、いまやずいぶん遠い昔の文学者のように感じもするが、その方々が御活躍していた頃に私の生も掠るように重なっていた。・・・私も歳をとったものだ、と思った次第。 「男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 思ひにふける・・・」(佐藤春夫 秋刀魚の歌)
Sep 10, 2025
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わんさか生っている庭の柿を一つもいで食べてみた。コリッとまだ硬いが甘い。これはもう少し経つと美味しい柿になりそうだ。 じつはあまりにも生り過ぎて、すでに二度、バサリバサリと枝切りをした。もちろん実がついたままである。5,60個はあった。ちょうど枝切りをしているときに、隣家の夫人が「今年はたくさん生りましたね」とおっしゃった。そうそう、去年はヒロヘリアオイガの幼虫が大発生して、駆除するまでにすっかり葉を食い荒らし、ほんの10個ばかりの実だった。殺虫剤を噴霧したのでその実は食べられない。とにかく駆除後のあとしまつが大変だった。 そんなことがあったからであろうか、今年は柿ががんばったのだろう。しかし、一つ食べてみたところでワンサカ生っている数百個を食べてしまえるものでもない。朝方に鳥が食べて、例によって半欠けを地面に落としているが、それとて限りある。 我が家のこの柿は、たった一本の木であるが、種類は禅寺丸(ぜんじまる)ではないかと思っている。禅寺丸は1214年(鎌倉時代・健保2年。前年に源実朝の「金槐和歌集」が成立した)に、現在の川崎市麻生区王禅寺の山中で偶然発見されたと言われる。物の本には不完全甘柿と書かれている。 この「不完全甘柿」という記述、私には思い当たるふしがある。我が家の柿は、20年くらい前までじつは渋柿だったのだ。たしかずっと以前にこのブログ日記に書いたと覚えているが、ある年、何気なく今日のように一つ捥いで食べてみた。すると甘柿に変わっていたのである。ちょっとびっくりして「宗旨を替えたか」と思った。 私は中学・高校生時代をまるまる会津若松市で一人暮らしをしていた。会津は「不知身柿(みしらずがき)」の産地である。たくさんの柿農家が点在するが、この柿は渋柿である。収穫後は大樽に詰め込んで焼酎をふりかけて寝かせ、渋抜きをする。美しい姿のおいしい柿ができる。・・・思い出す。私が八総鉱山小学校6年生の冬、担任の星孝男先生に連れられて同級生のSさんとふたり、汽車で下郷町旭田中学校の作曲コンクールに参加した。終了してから、そのまま徒歩で先生の御実家に伴われた。先生は下郷町の御出身だと、私はそのときに知った。そのお宅で先生のお母様に迎えられた。陽のあたる広い廊下に大きな樽がならんでいた。不知身柿の樽だという。私はそのときはじめて不知身柿が焼酎を振りかけて渋を抜くのだと知ったのだった。 じつは見事なその不知身柿の産地に暮らしながら、当時私は柿が食べられなかったのである。小学校3年生か4年生のときに、たしか夕食だったと記憶しているが、何かキノコと柿を食べて失神してしまったのだ。大事に至らずすぐに回復したが、以来、柿をたべられなくなった。・・・しかし食物アレルギーが慢性化するのでもなく、自分でも気づかないうちに柿を食べるようになった。それも熟柿が大好きである。キノコも大好きだ。いろいろなキノコを入れた炊き込みご飯をつくる。赤ん坊のころからシイタケが好きで、「シイタちゃん」と呼ばれていたようだ。赤ん坊のころなので私にその記憶はない。私には食物アレルギーも他のアレルギーも全く無い。 庭の柿で「柿酢」や「柿ジャム」や柿のブランデー砂糖漬け「パーシモングラッセ」を作った年もあったが、もうそんなことをする余力がない。もうすこし熟すのをまって、きょうのように捥いで齧るだけである。
Sep 8, 2025
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