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週末は久しぶりに野毛の「武蔵屋」へ。特別な日なので気合を入れて開店1時間前から並ぶ。待ち時間をつないでくれるのは、ホステスさんたち。この日はミケちゃんコンビ。16:30過ぎから並ぶ人はどんどん増え、17:00の開店と同時に満席。ポールポジションのご褒美はオプションメニューのきぬかつぎ。定位置に座るチーママ、クロちゃんの見つめる先には大好きな佐藤クンこのようにガン見されて彼が仕事をするのもこの日が最後。大学を卒業し、4月からは社会人になるのだ。(学生バイトの彼ですが、名店ゆえにほぼ公人なのでモザイク処理等ナシで掲載します。)彼に注いでもらう最後のお酒。佐藤クンLOVEなクロちゃんが来月からもキチンと出勤するのか心配だ。90歳の女将、喜久代おかあさんとの2ショット。料理の合間に腰をかける時間がめっきり増えられた。それでも1回は客席を巡回してくださるのが嬉しい。佐藤クンがこの店でバイトを始めたのは大学1年生の時。劇団のエキストラ募集で「おばあちゃんと猫」という題目に興味を持って出掛けてみたら、実は「武蔵屋」のアルバイト募集だったという。震災の日もおばあちゃんとお店が心配で、チャリで駆け付けた佐藤クン。5年間お疲れ様。今度会う時はお客さん同士だね。「まっすぐお帰りなさいね。」と送り出してくれるおかあさんの言葉どおりに、とは解っていても、足は本能のママに2軒目に向かってしまう。着いた先は、俗称「世界の西村」実はここも3杯ルールを持っていた、と初めて知る。店内にトイレは無くともWi-Fiは有る1杯呑んだところでモーレツにトイレに行きたくなり案内図に沿って初めて行ってみることにする。しかし、結末は大体想像が付くので、荷物を全部持って店を出た。(キャッシュonデリバリー方式なので食い逃げではないのよ。)倉庫の1角にソレはあった・・・・・黙って3軒目に向かったのは言うまでもありません。
2013.03.31
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満開を迎えた桜のトンネル!辰巳緑道公園は600mの桜並木の遊歩道です。例年は屋台が沢山出てにぎにぎしいのですが江東区の桜まつりは日程変更が出来ず、30日からの実施。よく見ると、付近は整備工事の真っ最中。関係者に伺うと、桜まつり目指して工事を請け負ったそうで。これでも工夫して遊歩道は何とか通り抜け可能にしたらしい。でも屋台は出せずぼんぼりは間に合わず。アタシはこの方が質素で好きだけど♪我が家では桜そっちのけでバースデー飲み会開催。主役なのにいつものようにやっぱり料理係のアタシ(T_T)その日の朝、幼馴染からサプライズでケーキが届いた!パーティをやるなんて話は一切してないのに。同包してくれたホイップクリームでデコレーション。最初はどーなることか、と思ったけどローソクを立てると何となく形になるから不思議。とこちんもクリームのご相伴にあずかる。こちらは残念じゃないユキヤナギとスカイツリーのコラボ。春本番だなー
2013.03.26
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今月はアタシの誕生日月♪なぜかお誕生日会が例年になく多い。1発目は毎年バースデーに奢り合いをしている悪友のご招待。どこに連れて行かれるかわからない、ミステリーツアー。今年は神楽坂のアタシ好みの風情のある古民家で鴨鍋いただきましたーヽ(^o^)丿シメの手打ちうどん、激ウマでした。2軒目も路地裏の古民家barへ。満腹、満足の夜でした。2発日は3月生まれの女子会。20代からの付き合いの3世代の集い。それぞれバラでは会っているけど、3人揃うのは実に15年ぶりかも!全然計算が合わないけど、20,30,40代ってことで(^^ゞアタシが一番年下なんだけど、2人は昔と変わらずキレイ。なんでかなー、自分だけが歳をとった感じ・・・(-.-)兄から届いた、山口の名酒「獺祭」眩し過ぎる、金のつづらと銀のつづら週末のほーむぱーちー用に送ってくれたのですが「金のつづらはそれまでに空いてしまうだろう。」の予想通りの展開を辿っております。いくら呑んでも二日酔いしないんだもーん!!
2013.03.21
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ガイドの最後のページ、2011/3/15と3/21にどんな行動をしていたか、とあります。この2日間に東京にもブルームが来た。21日は特に雨だった、と記憶している。危機を知らせてくれた友人は「雨に当たるな。特に降り始めに注意。」とも言っていた。アタシは2日とも1日中家にいた。もちろん意図的に。ただ、事前にブルーム到来日がわかっていたワケではない。わかんないからひたすら引き籠っていただけの話。15日は事故前から打合せの予定があり、電車も不通なのでチャリで行かねばと覚悟を決めていたが、クライアントがメールと電話で何とか済まそう、と言ってくれた。とてもラッキーだった。初期被曝をほんの少しだけだろうけど軽減できたのは助言をくれた友人と配慮してくれたクライアント、間違いなくこのお二人のおかげ。事故の前年に20年以上暮らした、隙間風が吹き抜ける渋谷のオンボロマンションから現在の2重サッシ付きのマンションに越していたことも大きい。前の住まいではとこちんにも影響が大であっただろう。「とこちんの住まいは、青山のお外の暮らしから、雨風はしのげる渋谷へ。そして床暖でヌクヌクの今。次は高級マンションにアップグレードにゃね、ボス!」コンシェルジュに頼んでもカリカリの増量は無いけどね(-.-)雨上がりの24日夜、高級レストランで食事した。少々無謀かとも思ったが、これが事故後初の外出だった。2011年4月、運悪くか運良くか、未だに判断は付かないけど人気だった江東区の「プランター菜園講座」に補欠当選してしまった。震災の関係で、講座は1ヶ月遅れの開始となり、キャンセルが発生した結果だ。初夏の時点でのアタシの選択は、地に根付いて栽培された北関東の野菜を食べるより、プランターで育てた野菜の方が安全だろう、という考えで補欠合格を受け入れた。【今でこそ、西日本の食材は近隣でも入手出来るが当時は非常に困難であった。】ずっとベランダで野菜を育ててみたかったので、欲望が勝ってしまった。これからここで生きて行くのだ、我慢ばかりはしていられない。不幸な人生にも楽しみは必要。納得して死ねれば良い。画像は今年の1月17日の「福島民友」という地元新聞。出身者によるとあちらの家庭では全国紙はあまり読まれず二大地元紙に人気があり、そのうちの一紙である、とのこと。掲載の基準が名士だけなのか、角のタバコ屋さんのおばあちゃんまで載せるものなのか、無償or有償なのか、など全く不明。何にせよ、紙面の下半分がお悔やみ欄で埋め尽くされているのは事実。
2013.03.17
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とこちんには悪いが、アタシはリスク回避体制を取りながら東京に住み続ける決断をした。最大の理由はアタシが天涯孤独の身であるということ。若い頃に子供を持たない選択をして本当に良かった、と心から思う。しかし子供のいる友人達は違う。子々孫々の将来を背負っている。以後、彼らに向けて放射能の恐怖を啓蒙活動をするも、皆の反応は薄かった。そりゃそうだ、TVや新聞では「放射能は怖くない。」と言うばかり。法律で決まっていた「年間1ミリシーベルト」の一般人の被曝限度の壁は「有事」ということでいとも簡単に破られた。教材は、早川マップ。この地図のソースは主に文科省や市町村が採取したデータを火山学者である群大の早川教授が、放射能の拡散と火山灰の拡散は同じ原理であることに着目し、地図上にまとめた物。今は全国紙マンガ「美味しんぼ」にも掲載され、印刷物が有料で出回るようにもなっております。当時はネット上のみの公開だったためか、信頼が得にくかった。【このマップの詳細を知りたい方は最初にガイド、次に地図裏面の解説をご覧ください。】結果、アタシに洗脳されたのは見事に子供のいない女友達ばかり。無論ある程度の危機感を最初から持っていた人達だ。子供に屋外の部活をさせていたママには「部活は止めさせた方が良いかも。」と言ってみたが仲間内でいわゆる「放射脳」「危険厨」としてアタシのことを笑いものにしていたことを後に知った。そんな友人たちが決まって口にするのは「アンタ、いくつまで生きる気なの?」あぁ、そーなんだ。天寿を全うしたいと願うことは恥ずかしいことなんだ。だから自分の子供が被曝したというのに平常で居られるのか。わかってはいたけど、理解ある友にも「お前のやってる事は新興宗教の布教活動と同じ。慎むべき。」と注意を受けた。そして「布教」からは足を洗った。時折雑談で放射能の話が出る時がある。意図的に話題を変える人はいてもアタシの不安を解消する具体的な材料を提供してくれた人は今現在も、誰一人として現れていない。事故当時、東大のド偉い先生が「全く心配は要りません。」とテレビでコメントしていた同じ時東大の研究室では「換気扇廻すべからず。」とお触れが出ていた。そのド偉い先生は放送が終わり、「よかった、原発は大丈夫なんですね♪」と声を掛けた日テレのD(ディレクター)に対して「ダメダメダメ!!」と手を横に振ってお帰りになった。そのDは局を辞め、西日本に移住した。「とこは大丈夫ニャよ。お外には出歩かニャいし毎日のゴハンはオーストラリア製。ボスの呑み過ぎの方がよっぽど心配ニャ。」
2013.03.15
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F1(福島第一原発)がヤバいのはわかってたけど200km以上離れた東京にまで被害が及ぶとは考えていなかった。東京から離れることも考えたが、受注済みの仕事がある、とこちんもいる。下関の兄に頼めば、おそらくは受け入れてはくれただろう。が、テレビではかのエダノ氏は「ただちに影響は無い」と国民に語りかけていた。兄はアタシが恐怖でおかしくなった、と思うに違いなかった。【ちなみにエダノ氏は、まさにその時、妻子をシンガポールに逃していた。当時「記事を書いた記者を訴える!」とご本人は息巻いていたが後日事実と認めた。が、前から決まっていた「ただの旅行」だったそうで。それが事実としても、とーちゃんが人生の一大事で寝ずに仕事してる時に普通はキャンセルすると思うけどね!(-_-;)】とりあえずアタシは自宅で、ハイパーレスキュー隊の注水作業を固唾を呑んで見守った。効果の程はわからなかったが、あの石原都知事が任務を終えたレスキューに泣きながらお礼を述べていた。それをTVで見て少しホッとした。直後、別の友人から入った電話が人生で一番絶望を感じた瞬間だった。「F1はもう何をしたってダメなんだって。」彼女は郡山にも校舎を持つ私大の出身。複数の教授から情報を得ていた。大学は郡山校の閉鎖を、国は東北新幹線の福島中通りの駅をノンストップで通過させる運転を検討していると言う。【又聞きなので真偽のほどは不明。現在も両者は変わらず運営している。】会社の社長でもある彼女は、避難せず東京に留まると言った。首都圏で太く短く生きるのだ、とも言った。アタシも仕事の事、見知らぬ土地で独り暮らしをするリスク、自身の年齢など色々天秤に掛けて、今の暮らしを維持することを最終的に決断した。若干イカミミのとこちん。 道連れにしてゴメン・・・。
2013.03.13
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歳を重ねると、時間の経過が早く感じると思っていたがこの2年は例外。人生の中で、最も長い2年だった気がする。20代の頃に広瀬隆氏の著書を読み、原発に関しては普通の人より危機感を持っていた。社会人になってたった3年で無謀にもフリーランスとして舵を切った理由のひとつでもあったかもしれない。将来何が起こっても悔いのない人生を過ごすために・・・・。その頃は2年前の3月にそれが現実になるとは本気では思ってもいなかったけれど。地下鉄サリン、阪神大震災、が人生の中での2大ニュースだったがそれを超えるものが2011年3月11日に起こりました。当初は東北の大地震、津波被害の悲劇を愁い余震に不安を募らせるばかりの日々を過ごしていた。が、津波警報が解除されてからは呑気にチャリで近所の液状化被害を調査して廻ったりもしていた。原発の危険性について認識していながら能天気に生きてきたアタシに危機感を呼び戻したのは、3/14に友人から入ったメールだった。「福島原発がヤバい!外出厳禁、洗濯物干すな、換気扇止めろ!」「今日はいつになくシリアスな内容だニャ。大人しく避難訓練、そして黙祷ニャ。」
2013.03.11
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ベランダの絹サヤが開花しました♪毎年、ウドンコ病にかかってしまう豆類。今年は絹サヤに初挑戦。今冬は寒かったので昨年の様に早熟せず今のところ順調な生育模様。友人の息子、あぶさんとの再会。とりあえず、とこちんは窓辺の椅子に強制避難させる。なぜ、あぶさんがウチに来ているか?昨年、江東区主催の講座で仕込んだ味噌は大好評。自分の手元には殆ど残りませんでした(T_T)今年の開催を心待ちにしていたのですが、区報には一向に載らず。仕方なく自前で原材料を購入し、友人と一緒に仕込み作業スタート。(今月中が仕込みのリミットらしいので。)講習では味噌屋さんが煮大豆を用意してくれていたでの「味噌作り楽しー♪」というノリだったけど今年は自ら大豆を煮て潰す、この作業が一番大変な工程だったとは!!あまりの重労働に製作過程の写真は撮れず。豆を煮てから仕込み完了のこの状態になるまで約5時間(>_
2013.03.09
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今季初挑戦した、芽キャベツ。いっちょまえに大きくなりました♪といっても市販のサイズの半分くらいの大きさにしか育たなかった。愛読の教則本には「実が固くなったら収穫。」と書いてあるがイマイチ最適な時期がわからない・・・。とりあえずトマトシチューに(^.^)ある時はシンプルにガーリック炒めに。メインはなんちゃってパニーニ。裏返した油揚げをパンに代用したダイエットレシピです。「無駄な努力ニャ。」とテーブルの向こうでとこちんが呟いてる気がするが・・・(-_-;)
2013.03.02
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