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みんな真面目に更新しとるなあ。ワシも不真面目に再開するか。ポールの、ゆる~い、この曲で。ビートルズが解散した、その翌年。ポールは、以前から親交のあったデニー・レインと、嫌がるリンダ(当時の奥方)をメンバーに迎えて、自分のバンドを作る。バンド名も決定しないまま、スコットランドのポールの農場でニュー・アルバムの制作を開始。レコーディングは3日で終わらせたという。バンド名はWingsに決まった。「ボブ・ディランが1週間でアルバムを作ったという話を聞いて、それじゃ同じことをやってみようということになったんだよ」という事らしいが、いくら何でも3日は焦りすぎ。出来上がったアルバム「Wild Life」(写真)は、ワイルドというよりも、ラフで稚拙な所が目立つ一枚となった。それは、当時大ヒンシュクを買った1stソロ「McCartney」を思わせるものでもあった。素人同然のリンダをバンドメンバーに加えた事もあって、ポールは批評家連中から総攻撃を受ける。アルバムも全米10位、全英11位と、商業的に(ポールとしては)不調であった。今から15年前(くらいかな?)、僕も初めてこのアルバムを聴いた時は、一秒で「駄作」と決め付けた。だがその後、歳を重ねるに従って、なぜかこのアルバムを愛おしいと思うようになっていく。今では、ポールのソロ作の中で一番聴く事の多い作品だ。アルバムは、全体としては確かに練りが足りないが、ポールらしいセンスは随所に感じられる。特に後半4曲は、地味ながら名曲揃い。この「Some People Never Know」はアルバムの5曲目。6分40秒という大作だが、大上段に構えたトコなど微塵もない。全篇、牧歌的な演奏が、同じ調子で淡々と続いていく。そのまったり具合は聴いてて眠くなる程だが、どこからか「寝たくなったら寝てもいいよ」というポールの声が聞こえてきそうでもある。メロディも起伏は少ないが、ポールならではの美しさに満ちており、実に安らかな気持ちにさせてくれる。隠し味的なアコーディオンの音色や、ラストで聴ける、洗濯板(?)の音が泣かせるなあ(´ー`)「誰も分かっちゃいないのさ」「僕は正しくやり直そうと思う」という歌詞は、当時メディアから集中砲火を浴びていたポールの心情そのものだろうが、その歌声は穏やかで優しい。ユニゾンで重なる、リンダの素人ボーカルもいい味出してる。粗雑なサウンドの中に流れる開放感は、後期ビートルズでは聴けなかったものであり、この雰囲気が、僕は大好きだ。「My Love」や「心のラヴソング」のような分かりやすさはないが、これもポールならではの名曲である。アルバム「Wild Life」は、今でも世間的には評価の低い一枚だろう。だが、すき間だらけのサウンドから感じられる、静かな情熱とメロディセンスは、今も色褪せてはいない。代表作とされる「Band On The Run」「Venus And Mars」「Tag Of War」のような完成度はないが、いい加減な部分も含めて、ポールの魅力が詰まった作品だと思う。それでは、ここをクリックして「Some People Never Know」をまったりと聴こう。関係ないけど、今の若い人って「エイプリル・フール」なるものを知ってるのだろうか?今日のコボちゃんを見て、そう思うワシであった。ポム・スフレのメインHPはこちら。
2007.04.01
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『Trilogy』が好きな人、いませんか?エマーソン、レイク&パーマー(EL&P)四枚目の作品ですがな'72年に"来日記念盤"として発売された、長島茂雄も所有している(はず)という、あのアルバムですよ(※)。EL&Pの代表作として名高い『Tarkus』、『Pictures At An Exhibition(展覧会の絵)』、『Brain Salad Surgery(恐怖の頭脳改革)』などの間にはさまれたこのアルバムは、比較的「地味」な印象を持たれることが多い。確かに、彼らの"静"の部分が出た作品であり、スパニッシュ・ボサっぽい「From The Beginning」などは彼らのイメージからすると異色に聞こえる。だが、個々の楽曲は充分なクオリティを持っているし、気品と円熟味をたたえた演奏は、先述の他のアルバムにはない魅力だ。実のところ、今の自分がいちばん好きなEL&P作品がこの『Trilogy』なのである。ヒプノシスのデザインによるジャケットが、某国のモーホー雑誌に無断転用されたというエピソードも大好きだ(笑「Hoedown」は、このアルバムに収録されたEL&Pの名演のひとつ。アーロン・コープランドの「Rodeo」を下敷きとした、彼らお得意の「クラシック名曲をプログレで聴こう」な一曲だ。演奏時間は3分45秒とプログレにしては短く、そんな所もあいまって聴きやすい作品に仕上がっている。ライヴ向きのホットな演奏で、'74年の二枚組ライヴ・アルバム『Ladies And Gentlemen』の冒頭をかざっているのもこの曲だった。イントロからしてケレン味たっぷり。ムーグ・シンセサイザーの音がサイレンのごとく唸りをあげる。つづいて飛び出すは、ハモンド・オルガンのファンファーレ。ディス・イズ・キース・エマーソン節。ELP的ハッタリはここでも健在ですリズム隊の登場と共に、ほどよく歪んだ音色のオルガンがコミカルに暴れだす。キースの流麗な指さばき、アッパーで人懐っこい響きには、いやおうなしに心がはずむ。豪快な弾きっぷりなのにリズム感も正確じゃな~い♪3ピースによるストレートなビート。曲が短いぶん、密度は濃い。カール・パーマーのドラムはいつもに比べておとなしめだが、それでも躍動感は充分。グレッグ・レイクのベースも、ユニゾンをしつつハードに唸っている。終盤にはどこかで聴いたフレーズも出てきて思わずニッコリ楽しい。そしてカッコいい。その印象はジェットコースターと言うべきか。プログレ的ダイナミズムとパンク的なスピード感を持ちあわせたこの曲は、彼らの魅力を4分足らずに凝縮した傑作だと思う。プログレ・ファンならずとも楽しめる痛快な一曲と断言したい。EL&Pは、英国プログレ・バンドの中では、ある意味、特殊な位置にあると思う。彼らの特徴を一言であらわすなら、それは"分かりやすさ"だろう。プログレというと、小難しさとか知性だとか哲学っぽさなどがイメージとしてあるが、この三人組にはそうしたものがほとんどない。単純でゴリ押し気味な演奏はアメリカン・ハード・ロックにも通じるものであり、クリムゾンやフロイド、ジェネシスなどのバンドとは対極といえる。それはスポーツ感覚で楽しめる音楽であり、よい意味で「お子様向け」だ。オルガンに日本刀を突き立てるという見世物っぽさ全開のパフォーマンスも、エマーソンの芸人根性からくるものだろう。プログレッシヴでエンターテイメントなロック。トリッキーでいて、とてもポップなEL&Pの音楽は、僕の感性にダイレクトに訴えかけてくる。何気に幅広い曲調、無駄にテンションが高いところなんかも大好きさ♪(´ー`)プログレが好きじゃない人でも聴けるプログレ、それがEL&Pです。つーコトで「Hoedown」を聴くにはここをクリック。映像はラピュタだぜ!※ 来日した際にメンバーは、長嶋茂雄宅を訪問して、このアルバムをプレゼントしたという。
2008.08.09
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ホワイト・アルバム収録の、ジョンのハチャメチャなロック・ナンバーじゃ。それにしても長(な)っげえタイトルだな、おい。イントロのギター・リフ、その曲調、ジョンのやさぐれ気味のボーカルまで、ビートルズというよりローリング・ストーンズに近い小気味良さを持った曲だ。「Wow!」という掛け声もひんぱんに入るしね初期のような結束力とは違うが、全員が一丸となって突進していくような凄みがあり、そのドロドロした疾走感はパンク・ロックにも通じるか。幼稚な表現をするなら、のりのりゴーみたいな感じか? わはは。タイトルにMonkeyの文字もあることだし、町田康風に邦題をつけるなら「けものがれ、俺らの猿と」でOK?それぞれのメンバーが手持ちの楽器で勝負するストレートなナンバーだが、後ろで鳴っているキンキンした鐘の音が、曲のせわしない雰囲気を表していてヒジョーによろしい。ギターの音色も結構ハードだが、ザックザックと歯切れの良いジョンの弾きっぷりが気持ちいい。ジョージもそれに負けじとばかりにクラプトンばりのギターを聴かせる。ブンブン唸るポールのベース・ソロはダビングで二本重ねたもの。1:58あたりから出てくる「カモンカモン、カモカモカモカモカモカモ…」という言葉の連射は、もうほとんどマシンガン状態。緊迫した人間関係とドラッグでとってもラブリーになっていた4人(特にジョン)の状態がそのまま音になった感じだ。誰か止めるヤツはおらんのか。むきゃー。曲はさらに異様な、というか何が何だか分からないようなテンションに突入し、混沌としたままフェイド・アウトしていく。全員ラリッてるというか・・・・・・ジョンとかヨダレたらしながら歌ってるだろ、これ。う~ん、とっても濃い2分25秒。なぜか話題になる事の少ない曲だが(ネットで検索しても、これに言及している記事はあまり見つからなかった)、これも後期ビートルズの傑作だぞ、おい。同アルバム収録の「Helter Skelter」といい、この曲といい、翌年にデビューするLed Zeppelinにも負けてないぞ(←無理やり比較するバカ)。つーことでここをクリックじゃ!Take It Easy! Take It Easy!※ポム・スフレのメインHPはこちら。
2007.04.15
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AC/DCを聴くとスカッとする。ソリッドでたたみかけるようなリフ、単純で躍動感にあふれた楽曲と演奏は、レッド・ツェッペリンとKissを足してさらに分かりやすくしたような感じだ。それはある意味、「ロックの本質を純粋培養したもの」と言うこともできるかも。ランドセルに半ズボンという小学生スタイルでギブソンSGを弾くアンガス・ヤングも、"ギターをかかげた曲芸師"という感じで大好きだ。そんなAC/DCの音楽性は、基本的にデビュー以来ほとんど変わっていない。'80年の加入以降、現在までフロントをつとめるブライアン・ジョンソンもいいボーカリストだ。だが、彼らの明快な魅力と迫力は、故人であるボン・スコットをボーカルに据えていた70年代の作品に、より顕著だと思う。かつては『Back In Black』や『For Those About to Rock We Salute You』などを聴きくるっていた自分だが、今聴くのはほとんどボン時代の作品だ。'78年発表の『Powerage』(上ジャケット)は、世界規模で発売された四枚目のアルバムである。ヴォーカルはボン・スコット。ギターはアンガスと彼の兄であるマルコム・ヤング。ドラムにフィル・ラッド、ベーシストは本作から加入したクリス・ウィリアムスだ。代表作とされる次作『Highway To Hell』('79年)には劣るものの、本盤もなかなかに捨てがたい一枚となっている。「Riff Raff」は、アルバムの四曲目に置かれたハード・ドライヴィングなナンバー。「T.N.T」、「Dirty Deeds Done Dirt Cheap」、「Whole Lotta Rosie」と並ぶ、初期の代表曲中の代表曲だ。いきなりアンガスとマルコムが豪快にギターをかき鳴らす。続いて、ドラムとベースが地響きを立てるように湧き上がってくる。すさまじいイントロだ。これだけでも期待感で背筋がざわざわしてくる。シンバル一発で準備をととのえた後は、もうノンストップ状態。アンガスのSGが轟音をまき散らす。クリスとフィルのリズム隊が暴走機関車のごとく突進する。シンプルなリフのカッコ良さはロックのお手本。スピード感はパンク・ロックにも負けていない。ギター・ソロも燃える燃える。そして、凶暴なバックにのせて、ボン・スコットが本能のままにシャウトする。「Riff Raff! I'm only in it for the laughs (ha ha ha)」と。なんというエナジー。なんという爆発力。そのボルテージの高さは、さわれば感電死しそうなほど。目の前で演奏されているような生々しさもタマらん。ヘヴィでありながら、全体を包む解放感も素晴らしい。体中の血が頭にのぼっていくような気にさせられる、最強の5分15秒である。このアルバムには、ほかにも「Rock & Roll Damnation」、「What's Next To The Moon」、「Kicked in the Teeth」など、ガツンとくる曲がてんこ盛り。「理屈ぬきにカッコいいロックが聴きたいなぁ」と思うアナタはぜひどうぞ。ライヴ盤『If You Want Blood You've Got It(ギター殺人事件)』もお忘れなくつーコトで、ボン・スコットに敬意を払いつつ「Riff Raff」を聴くのだ。ここをクリック。何度聴いても血がたぎるぜ!
2008.08.18
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オーストラリア出身であるこのバンドを、僕がはじめて知ったのは、'85年に全米TOP10ヒットとなった「What You Need」を聴いた時だったと思う。当時洋楽を聴き始めたばかりの僕には、「どこの馬の骨だ」くらいにしか思えなかったこの人達だが、その後'87年に発表した「Kick」(写真)はじわじわとベストセラーを記録。アルバムからもシングル・ヒットを連発して、気がついた時にはオーストラリアを代表するロック・バンドになっていた。後から聞いたハナシだが、デュラン・デュランのジョン・テイラーもInxsの大ファンだったらしい。ボーカルのマイケル・ハッチェンスは、当時セックス・シンボル的な人気があり、カイリー・ミノーグなんかともイチャイチャしていた記憶がある。Guns'N'Rosesのアクセルからは「カッコつけ野郎」なんて言われていたような気もするが、この時のハッチェンスは確かにカッコ良かったような気がするなあこの「Need You Tonight」は、アルバム「Kick」からの1stシングルで、全米1位を記録した、Inxs最大のヒット曲。クール&ファンキーなナンバーで、強烈に跳ねるリズム隊と、歯切れのいいカッティング・ギターがエラくカッコいい。マイケル・ハッチェンスのつぶやくようなボーカルや、つかみ所のないメロディも何だかイカす。とりたててキャッチーってワケでもないんだけど、ミョーに耳に残るんだよなあコレ。シンプルというかスカスカな音作りも当時としては新鮮で、それがかえって曲に生命力を持たせているような気もする。プロデュースを担当したクリス・トーマスも実に的確な仕事をしたと思う。だが、90年代に入ってからはバンドの人気も下降。マイケル・ハッチェンスは'97年11月、シドニーのホテルで自殺してしまった。特別ファンてワケでもなかった僕だが、ハッチェンスの訃報を聞いた時には、妙に寂しい気持ちになったのを思い出す。残されたバンドは、ベスト盤を発表したり、臨時ボーカリストを加えてライヴを行っていたが、2005年には新ボーカリストを迎えて新作を発表したという。残された側もタイヘンだなあ…MTV大賞も取った「Need You Tonight」のPVはここをクリック!あ・にーじゅとぅなぁい♪マイケル・ハッチェンスが一番輝いていた時の記録だなあ…I'm Lonely! Ha!
2006.10.10
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2006年2月15日はデュラン・デュランはトリノ・オリンピックでパフォーマンスを行う。そして明日(2/16)はギタリストのアンディ・テイラーの誕生日なんだそうだ。↓と、いうことで……たななな、たななな、たななな…ふれふれふれふれふれっっくす!1984年に全米全英No.1を記録した、デュラン・デュランの絶頂期を代表する一曲だ。3rdアルバム「セブン&グラスタイガー」(写真)の1曲目に置かれていた曲だが、そのバージョンはシングルにするには力不足と判断され、当時デヴィッド・ボウイ等のプロデュースで名を上げていたナイル・ロジャースにリミックスを頼む事になった。パワー・ステーション・サウンドで有名なナイル・ロジャースのリミックスを施された「The Reflex」は華やかで力強いサウンドに生まれ変わり、No.1シングルにふさわしいキャッチーなものとなった。初期のチャカポコダンスビートと後のファンク路線の中間的な曲調になってるのも興味深い。アンディ・テイラーのギターも地味ながらも曲にアクセントを与えており、ギターリフなどは荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」に引用されていたりする。いかにも80年代的な大味なメロディとダサダサなシンセの音も今となっては愛しい。個人的にはデュラン・デュランの曲としてはそんなに上位に来る曲ではないが、この辺が彼らの人気のピークと言えるもので、この時期のワールドツアーのパフォーマンスを収録したビデオ「Arena」で見れる彼らはまさに「時代の寵児」というべきオーラを放っている。今からちょうど20年前、Duran Duranはオリジナルメンバーが分裂して「え~Duran2大丈夫?」という空気が漂ったものだが(実際この後人気はガクンと落ちた)、その20年後にオリジナルメンバーがオリンピックで演奏する事になるなんだから人生って不思議…(しみじみ
2006.02.15
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素晴らしきポップ・クリエイター、ニック・ロウにとって生涯の名曲のひとつである。ニック・ロウやブリンズレー・シュウォーツは知らなくても、この曲は知っている、あるいは聴いたことがあるという人もいるかもしれない。ニック・ロウやイアン・ゴムを擁していたことで知られるブリンズレー・シュウォーツは、70年代前半のイギリスで活動していたバンドである。その前身はキッピングトン・ロッジというバンドで、60年代から活動していたが、70年代に入ると共にブリンズレー・シュウォーツと名前を変えて再出発する。バンド名は、ギタリストの名前をそのままつけたものだった。CSN&Y風のコーラスとThe Bandのようなサウンドを合わせた音楽性は"泥臭いカントリー・ロック"とでもいえるもので、初期には「Country Girl」という名曲も生まれている。その鍵となるのは、ニックのすぐれたポップ・センスである。ブリンズレーを形容する際には「パブ・ロック」という表現がよく使われる。それは音楽自体の特徴を指すものではなく、彼らの主な演奏場がパブだったということからそう呼ばれたのだという。そしてそれは、シンプルで普段着的な親しみやすさを持つ彼らの音楽にはピッタリの呼称だったともいえる。キャロル・キングの作品であり、ビートルズが取り上げた(ライヴで)ことでも知られる「Don't Ever Change」でのホンワカした演奏は僕も大好きだ。ただ、メンバーのルックスはお世辞にもいいとはいえなかったし、サウンドにも野暮ったさや散漫さが感じられるのも事実だった。デビュー当初のプロモーションからして大失敗(そのためいきなり多額の借金を背負ったという)した彼らは、最後まで商業的成功とは無縁のまま解散してしまう。この当時のニック・ロウは「極貧だった」と、のちのインタビューでも語っている。後年、"パブ・ロックの名グループ"として再評価されたブリンズレーも、当時は悲運のB級バンドに過ぎなかった。「(What's So Funny 'Bout) Peace, Love And Understanding」は、ブリンズレー最後のオリジナル・アルバム『The New Favorites Of Brinsley Schwarz』('74年)の冒頭をかざる一曲。エルヴィス・コステロのカバーでも知られる名ビート・ポップ・ナンバーだ。ここでのプロデュースを手掛けるのは、のちにニックと行動を共にするデイヴ・エドモンズである。デイヴのプロデュースが功を奏したのだろう、ここでのサウンドはそれまでにくらべてかなりシャープなものとなっている。ギター・リフは明快で力強い。ポップで切ない響きを持ったメロディも耳にのこる。ふんだんに取り入れられたメンバーのコーラス、ストレートなビートも聴いてて実に気持ちよい。ニックの歌声は、コステロのそれにくらべて少し頼りないが、丸みと優しさの感じられるこちらの方が僕は好きだ。また、その内容はタイトル通り、「平和、愛、理解の何がおかしいんだい?」というもの。ポップな旋律の中に、ニックらしい毒と深遠さが光る素晴らしい歌詞となっている。それは、当時の世間には受け入れられず、貧苦にあえいでいた彼の"怒り"が生み出したものだったのかもしれない。この曲は、のちにカーティス・スタイガーズというシンガーに歌われ、そのヴァージョンは映画『ボディガード』('92年)のサウンド・トラックに収録された。アメリカだけで1700万枚を売ったというそのサントラは、ニックにも億単位の印税をもたらすこととなった。同時期、メジャー会社との契約を失っていたニックはそのお金をもとに『The Impossible Bird』('94年)を制作。以後の彼は、メジャーの音楽シーンとは距離を置いた、シンプルで自然体なアルバムを数年ごとに作り続けている。彼の人生において重要な一曲となった「(What's So Funny 'Bout...」は、前述のアーティストのほかにも、ブルース・スプリングスティーン、ボン・ジョヴィ、R.E.Mなど様々なアーティストに歌われている。'03年の映画『ロスト・イン・トラストレーション』(ソフィア・コッポラ監督)でも、この曲が使われていた。そして現在でも、銀髪のニックがこの曲を歌ってくれるのは嬉しいかぎりだ。ポップなメロディと力強いメッセージを持った「(What's So Funny 'Bout) Peace, Love And Understanding」はこれからも聴き継がれていくに違いない。『ただただ素晴らしいポップ・ソング。僕が目指しているのはそれなんだ』-----ニック・ロウつーコトで、ブリンズレー・シュウォーツのオリジナル・バージョンを聴くにはここをクリック!邪悪なこの世界を僕は歩く狂気の闇の中 光をもとめて僕は自分に問いかけるもう希望はどこにもないのだろうか?あるのは苦しみや憎しみ、悲しみだけなのだろうか?こんな気持ちになるたびに知りたくなることがある平和、愛、理解の何がそんなにおかしいんだい?平和、愛、理解の何がそんなにおかしいんだい?※ ポム・スフレのメインHPではブリンズレー・シュウォーツの名盤『『The New Favorites Of Brinsley Schwarz』について取り上げています。
2008.08.25
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マーヴィン・ゲイといったら、黒人音楽に興味のない人でも名前くらいは知っているであろう有名なソウル・シンガーであり、ミック・ジャガー、ダニー・ハサウェイ、山下達郎をはじめとした無数のミュージシャンに影響を与えた偉大なアーティストなのだが、ワシがマーヴィンの名を初めて知ったのはシンディ・ローパーのカバー・バージョンでだったりする^^マーヴィンといったら、'71年の名作「What's Going On」が有名であり、ワシもそれが一番好きなのだが、タミー・テレルとのデュエット作品や'73年の「Let's Get It On」や'76年の「I Want You」も捨てがたい。ちなみにドリフで有名(注:三十代以上限定)な早口言葉「なまむぎ・なまごめ・なまたまご…」のバックで使われている音楽は、マーヴィン・ゲイ(とダイアナ・ロス)の「Don't Knock My Love」であるこの「Got To Give It Up,Part1(黒い夜)」は'77年に全米1位を記録。ライヴ・アルバム「Live at the London Palladium」(上写真)の最後に収録されている唯一のスタジオ録音で、元々はアルバムの穴埋め曲として入れられたものだったが、それをシングル用に短くしたこのバージョンは、マーヴィンにとって3曲目の(そして最後の)No.1ヒットとなった。マーヴィン本人のペンによるミドル・テンポのファンク・チューンで、クールなメロディとグルーヴィーに流れる演奏が実に心地良い。名盤「What's Going On」で打ち出したソフト&セクシーな唱法にはさらに磨きがかかっており、その艶かしい裏声には男も濡れる。ベース・ラインもえらくカッコいい。サウンド的にも今の耳で聴いても全く違和感がなく、クラブでかかっていてもおかしくないナイス&クールな一曲だ。なおこの曲は、マーヴィンがモータウン・レーベルから出した曲としては、最後のチャート・イン・シングルでもある。マーヴィンの音楽というと、シリアスで内省的うんぬん…で語られるコトが多いが、ゴキゲンでちょいエロな香りもするこの曲がオイラは大好きさ(´ー`)「Got To Give It Up,Part1」を聴くにはここをクリック!セクシーなマーヴィンの姿に萌えろ!
2007.05.17
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ELOの曲が「電車男」のTV版に使われている。これを機会にELOの音楽もクイーン並に認知される!…というわけではなさそうだが(泣)、それはまあいいとして(よくないけど)、ELOと聞いて自分が思い出すのはパフィーのこのデビュー曲だ。奥田民生作のこの曲、メロ自体はELOのどの曲に似てるというわけでもないが、民生らしからぬ(?)どキャッチーなメロディと暑苦しいくらいきらびやかなアレンジ、とりわけサビの部分のストリングスアレンジといい、「これELOじゃん!」と思った方は決して少なくない…はずユニコーン時代にはELOの「MR.BLUE SKY」を下敷きにしたと思われる「ヒゲとボイン」という曲もある。ちなみに当時「アジアの純真」は、今はもうないオレンジジュース「きりり」のCMに使われていた。そのCMにも出ていたパフィーの二人は「何この人達?どっかのシロウト?」とでも言いたくなるようなダッサいおねーちゃんだったのを今でも思い出す(遠い目)…
2005.08.03
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モット・ザ・フープルは、ブリティッシュ・ロックを語る上で忘れられないバンドのひとつであり、その代表曲である「All The Young Dudes(すべての若き野郎ども)」は文字通り全てのロック・ファン必聴の一曲である。バンドのデビューは'69年。前身バンドであったサイレンスに、イアン・ハンターが加入した事からモットの歴史が始まる。「歌えてピアノの弾ける男求む」というオーディションにやってきたハンターは、ボブ・ディランの信奉者で、そのヴォーカル・スタイルはディランの影響丸出し。オーディションも実際にディランの曲を歌って合格したという。作家のウィラード・メイナスの小説に出てくるキャラクターから名を取って、バンドはモット・ザ・フープルと改名。アイランドレコードからデビューし、'71年までに4枚のアルバムを発表した。だがセールスは伸び悩み、メンバー間のゴタゴタなどもあって、バンドは解散寸前に追い込まれる。そこに手を差し伸べたのが当時スターダムに昇りつつあったデヴィッド・ボウイだった。ボウイはかねてからの彼らのファンで、「力になる事を約束するから解散はするな」と言ったという。ボウイは最初、自分の作品「Suffragette City」(ボウイのアルバム『ジギー・スターダストに収録』)を提供しようとした。だがイアン・ハンターはこれを拒否。ボウイはよりキャッチーな「All The Young Dudes」を提供する事にした。歌詞にビートルズやローリング・ストーンズも登場するミディアム・テンポのロック賛歌で、ボウイ自身、当時のステージで歌っている事からも自信作であった事が伺える(後に本人によるスタジオ・テイクも発表された)。プロデュースもボウイが担当(自らもレコーディングに参加している)。レコード会社移籍後の第一弾シングルとして'72年の夏に発表された。バンドの個性とボウイの相性はピッタリだった。独特のヌメリとディラン風の節回しを持った、イアン・ハンターの歌声。心地良く歪んだミック・ラルフスのギター(柔らかいアコースティックギターも○)。プロコル・ハルムを彷彿させる味わい深いオルガン。そして、ボウイのポップセンスが光るメロディ・ライン。華やかなコーラスとハンド・クラッピングで盛り上がるサビの部分は、思わず一緒に歌っちゃう。ストーンズ、ディラン、ボウイのエッセンスを一気にぶち込んで、それをさらにポップにした素晴らしい仕上がりで、結果、全英3位、全米でもTOP40に入るヒットを記録。モットのみならず、ボウイのキャリアにおいても重要な一曲となった。この曲および同名アルバムのみでバンドはボウイから離れるが、イアン・ハンターとのつき合いは続いていたようで、フレディー・マーキュリーの追悼コンサート('92年)では、ハンターとボウイが同じステージに上がって、この曲が演奏された。モットはこの曲のヒットによってスターダムにのし上がるが、皮肉にもメンバーが次々と離脱。'74年のイアン・ハンターの脱退によりバンドは事実上の終焉を迎えた。その全盛期は短かったものの、後の世代に与えた影響は大きく、クイーンの曲「Now I'm Here」の歌詞にはモットが登場していたり、クラッシュは2ndアルバムで「全ての若きパンクスども」なんて曲を収録していたりする。'96年にはブライアン・メイやハイロウズが参加したトリビュート・アルバムも作られた。この曲が収められている同名アルバムを始めとして、「Mott(革命)」(1973)、「Hoople(ロックンロール黄金時代)」(1974)、「Mott The Hoople Live」(1974)などの諸作品は全てが傑作。オイラは今も昔もモットが大好きさ。イアン・ハンターはソロになってからも「双子座の伝説」「バイオレンスの煽動者」などの傑作を発表。ロックン・ロールのカリスマとして現在でも勢力的に活動している。ミック・ラルフスはその後、Bad Companyに参加。後期メンバーであったモーガン・フィッシャーは現在日本在住で、なんと2007年には映画「神童」に俳優として出演している。つーコトで、「All The Young Dudes」を聴くにはここをクリック!すべての若き野郎どもよ、モットを聴け!※ポム・スフレのメインHPではモット・ザ・フープルの名盤「Mott」について取り上げています!
2007.10.19
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三十数年も生きていると、「人生ナニが起こるか分からんなぁ」と思うことがしばしばある。スライ・ストーンの来日もそのひとつだ。8月31日(日)の東京国際フォーラム、9月2日(火)のブルーノート東京で公演が行われる(後者の方は自由席で15750円。高っ!)。自分の周りでは、The Who(こちらも初の単独来日)の話題ばかり盛り上がっているが、スライの方もそれに負けないインパクトがあると思うんだけどね。だって、あのスライですよスライ。文字通りの"生きた伝説"の"初めての来日"ですぜ、ダンナ。スライ・ストーンことシルヴェスター・スチュアートは、いうまでもなくスライ&ザ・ファミリー・ストーンのリーダーである。ジェームス・ブラウンと並ぶファンクの創始者であり、60年代末から'71年頃にかけては商業面でも圧倒的な成功をおさめた男だ。そして、急激な成功ゆえの重圧に耐えきれず薬物におぼれ、あっという間に転落していったというのも音楽ファンの間ではよく知られているハナシだろう。Everyday People」、「Hot Fun In The Summertime」、「Family Affair」(過去ログ参照)などの曲を次々とヒットさせる一方で、スライはグループ間の軋轢や暗殺などに怯えていた。その救いをドラッグに求め、バンド・メンバーに銃を向ける、コンサートをすっぽかすなどの寄行を重ねていく。その結果、彼は孤独になり、最終的にはファンからもプロモーターからも見捨てられた。スライのマネージャーだったカプラリック氏は、彼のことを「かわいそうなシルヴェスター青年」と言った。スライは、70年代後半以後もそれなりの活動を行いはしたものの、かつてのような勢いを取り戻すことはできなかった。その栄光と挫折は、ある意味、絵にかいたようなスター人生だったとも言える。自分は80年代後半から洋楽を聴きはじめた世代だが、音楽雑誌を見てもスライについては"過去の名盤"が紹介されているだけで、"現在のスライ"に関する情報はほとんどなかった(ネット時代になってからは、さすがに変わったが)。ゆえに、その伝説やカリスマ性がアタマの中でふくらむだけで、ほとんど歴史上の人物みたいに思えた、というのが正直なトコロかもしれない。少なくとも、"復活"などというのはありえないだろうと、ほぼ決めつけていた。スライは、自分との闘いに敗れて墜ちていった者なのだから。スライのファンクにはアッパー系とダウナー系がある。僕が好きなのは後者の方だ。理由があるとすれば、それは自分がダウナーな性格だからだろう(笑一般にスライの最高傑作といわれる『There's a Riot Goin' On(暴動)』('71年)もダウナー系の名盤だ。そのアルバムは音質はこもってるし、内容も言われるほどスゴイとは思えない。だが、あの淡々とした雰囲気と沈みこむような演奏が、僕はとても好きだ。スライのダウナー系名盤にはもうひとつある。'73年に発表された『Fresh』(上ジャケット)だ。前作『There's a Riot Goin' On』とこのアルバムには二年のインターバルがある。その間、スライは薬物治療を行っていたらしい。そして発表されたこのアルバムは、"& The Family Stone"という名義こそ同じだが、バンドのメンバーは大幅に入れ替わっていた。つまり、スライと新しいファミリーによる作品集である。その中には、ラスティ・アレンとアンディ・ニューマークがいた。特にアンディは、「黒人よりも黒人っぽい」と言われるほどのグルーヴ感を持つ白人ドラマーで、のちにジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、デヴィッド・ボウイ、スティングほか名だたるミュージシャンのアルバムに参加している。ラスティとアンディの参加は、このアルバムのひとつの鍵といっていいかもしれない。「In Time」はアルバムの冒頭をかざる曲だ。チープなリズム・ボックスに絡むペラペラな音色のギター、ラスティ&アンディのクールで粘っこいファンク・ビートがなんとも印象的。このポリリズム的音作りは、基本的には『There's a Riot Goin' On』の延長線上にある作風といえるだろう。だが、ひたすらダウナーだった前作にくらべて、ここには微妙な"ポジティヴさ"が感じられる。この曲には「コークをやめてペプシに替えた」という一節が出てくる。この場合のコークというのは薬物(コカイン)のこと。「In Time」は、彼が薬物中毒から立ち直ったことを歌ったものだ。その中にはこんなフレーズも出てくる。"時がたてば忘れられるこの俺を見ろ俺の目にうつるのは午後の明るい陽差しだけ"スライの声は力強く、彼の弾くオルガンも熱っぽい。メロディは何気にポップだ。トボけたようなサックスもなかなかのクセモノ。無愛想な女性コーラス、歯切れよいハイハットの音色もやたらとカッコよく響く。ビートはゆったりしているが、演奏自体は鋭い。地味ながら聴くほどに味の出るファンクネス。この曲、および演奏は、今の時代にも有効だと思う。『Fresh』と題されたアルバムのジャケットの中で、スライは屈託のない笑みを浮かべてジャンプをしている。それは彼流の皮肉だったと考えることもできる。あるいは、前作で自分の葛藤を吐き出し、薬物中毒を(一応)克服したスライは、本気で「やりなおそう」と思っていたのかもしれない。このアルバムの邦題は「輪廻」とつけられている。若干地味な印象はあるものの、本作は『There's a Riot Goin' On』と裏表一体といえる名盤となった。だが、彼はかつてのような人気やカリスマ性をとり戻すことは二度とできなかったのである。スライと同時期に活躍したロック・スターには、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン(ドアーズ)などがいた。そしてその三者は、'70年から'71年の間に、いずれも27歳で命を落としている。ロックがもっとも熱かった時代を象徴するアーティストだったこと、パッと咲いてパッと散ったという意味では、彼らとスライはよく似ている(年齢も同じだった)。ただ、ジミやジャニスは死んで伝説になったが、いっぽうでスライは生きのびた。あるいは、死ねなかったと言ってもいいかもしれない。以後、彼は何度もカムバックをこころみては失敗し、事実上シーンから消えていった。だが、2006年の2月、スライはグラミー授賞式のステージに姿をあらわす。銀ラメのスーツ、巨大なモヒカン・ヘアーという格好で彼は「I Want To Take You Higher」を歌った。これには誰もが目を疑ったに違いない。2007年に入ると、彼はステージ活動に力を入れ始める。そして今回の初来日だ。こんな事を誰が予想しただろう。人生なにが起こるか分からない。ファンの中には「長生きすれば、いいこともあるものだ」と思った人もいるかもしれない。デビューから四十年、六十五の齢(よわい)にして今また表舞台に立とうとするスライ。たった二日間しかない日本公演において、彼はどんなステージを見せるのだろうか。「In Time」を聴くにはここをクリック。
2008.08.23
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「恋のダイアモンド・リング」('65年、全米1位)の作者であり、ブルース・プロジェクトやBS&T(ブラッド、スウェット&ティアーズ)、マイク・ブルームフィールドとの活動でも知られるアル・クーパーは、60年代からミュージシャン/プロデューサーとして活躍している才人だ。ボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」での印象的なオルガンも、彼の演奏によるものである。そんなアルは、ひとりのアーティストとしてもいくつもの名盤を残している。R&Bの影響をしのばせたシンガー・ソングライター的音楽性で、都会人の孤独を繊細に表現した作品には定評がある。中でもソロ三作目にあたる『Naked Song(赤心の歌)』('72年)は、彼の最高傑作にして、アメリカン・ロック史に残る名盤だ(※)。名曲だらけの『Naked Song』は、約半数が他人のカバーで占められているのだが、「Jolie」はアル自らが書いた、とびっきりの一曲。当時彼が入れこんでいた女性(クインシー・ジョーンズの娘らしい)への狂おしい愛を歌った、メロウで美しいラブ・ソングだ。日本では2003年にYOSHIKAがカバーして、ソニーのCMでも使われたので耳に覚えがある人も多いと思う。イントロからあふれ出るオルガンがまず素晴らしい。情感ほとばしる音色とグルーヴィーな演奏は、これといってテクニカルではないものの、聴いてて胸を焦がされる。キーボード・プレイヤーである彼の面目躍如たる名演。そこに絡む女性コーラスも魅力的だ。そしてアル・クーパーのヴォーカルである。憂いを帯びた声、その歌唱は素人に毛がはえた程度のものだが、そこには上手い下手を超えた何かがある。それはまさに赤心の歌。ピアノを弾きながら頼りない声をしぼり出すようにして歌うアルの姿は、技巧の有無と音楽的感動が必ずしも一致しない事を教えてくれる(と思う)。全体を包む哀しげな雰囲気も印象的なこのナンバーは、アルが生んだ至高の名曲。この一曲だけでも彼のシンガー・ソングライターとしての価値は不滅だと思う。つーコトで「Jolie」を聴くにはここをクリック。アルの弾くオルガンと濡れたヴォーカルに泣け!※ポム・スフレのメインHPでは、アル・クーパーの名盤『Naked Songs(赤心の歌)』について取り上げています。
2008.04.23
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僕が聴く黒人音楽といったら、ファンク系のものが多い。スライとかプリンス、オハイオ・プレイヤーズ、ウォー、リック・ジェイムスなどは未だによく聴くが、アース・ウィンド&ファイアー(EW&F)なんかも好きなグループのひとつだ。モーリス・ホワイトのアクのない歌声とフィリップ・ベイリーによる艶やかなファルセット・ヴォーカル、しなやかで弾力性のあるリズム、親しみやすいメロディ、そして歯切れのいいホーン・サウンド。ファンク、ジャズ、ラテン、カリビアン、ポップスなどをバランスよくミックスしたこのグループの音楽性は、ポップオタであるワシのような人間にもとても馴染みやすい。そういえばフィル・コリンズのソロの音楽(ジェネシスも一部含む)は、EW&Fのホーン・サウンドに大きな恩恵を受けていたなあ。などと思いきや、ワシが初めて聴いたフィリップ・ベイリーの歌は、フィルとデュエットした「Easy Lover」だったりする。EW&Fの中では最も有名な曲であろう「September」は、オリジナル・アルバム未収録の作品で、1978年に全米8位を記録。リズミカルなギターと指パッチンが入るイントロからして体が動く動く。エネルギッシュなファンク路線からより売れ線のダンス・ミュージックへと姿を変えていく時期の曲でもあるが、メロディ、サウンド、リズムが完璧に融合しており、彼らの音楽的特徴が最も良い形で結実した一曲だと思う。EW&Fの日本での人気の高さは本国を凌ぐと聞くが、ファンク的な躍動感を保ちながら、よりポップに洗練された魅力を持つこの曲を聴くと、それも分かる気がする。なお、同時期にはビートルズのカバー「Got To Get You Into My Life」もヒット(全米9位)させているが、ビーオタのワシとしては、あまりにもハマリ過ぎな選曲にチト苦笑い(´ー`)EW&Fの音楽は今も古びた感じはしないし、これらの他にも名曲が山程あるのは言わずもがな。『That's The Way Of The World』('75)から『I Am(黙示録)』(79)までのアルバムは全て必聴なのだが、とりあえずベスト盤だけでも持っておくべし。「September」を聴くにはここをクリック!どぅゆーりぃめんば~♪なお現在は、リーダーのモーリス・ホワイトがパーキンソン病にかかっているため、フィリップ・ベイリーが中心となって活動しているそうである。
2007.04.21
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'71年に発表されたジョンの傑作アルバム「Imagine」(写真)に収録されている曲で、よく知られているようにポール・マッカートニーにあてつけた曲だ。'71年に発表されたポールのアルバム「Ram」には「Too Many People」などのジョンをあてこする曲があり、さらにそのアルバムの内ジャケットには、ポールと当時の妻リンダがお面をつけてシーツにくるまっているという、ジョンとヨーコの「ベッドイン」にあてつけた写真があった。この「How Do You Sleep?(眠れるかい?)」はそうしたポールに対するジョンのむき出しの敵意となった。レコーディングにはジョージ・ハリスンもしっかりと参加している。ビートルズ時代「Yer Blues」や「I Want You」などで見せたジョン流のブルース感覚の延長線上にある曲で、毒の効いた重いナンバーに仕上がっている(8分近くあるこの曲の別バージョンはさらに重い)。フィル・スペクターによるストリングスも非常にネチネチした感じで、この曲の毒をいっそう際立たせている。歌詞はこれでもかこれでもかというくらい辛辣で、毒舌というよりは単なる私怨をぶちまけたといった感じの陰険なものだ。しかし、「嫌い」という感情はつまる所愛情の裏返しであり(『好きの反対は無関心』と言いますね)、長年お互い認め合ってきた相方をここまでコキおろすというのは、ジョン自身に対する一種の自虐であったとも思う。またポールの「Ram」のジャケットはポールが羊と遊んでる写真だが、ジョンの「Imagine」の裏ジャケにはジョンが同じポーズで豚と遊んでいる写真が使われている。いや~もうまるっきり子供のケンカですね。ジョンは確か同時期のインタビューで「ガンジーの『無抵抗主義』に賛成だ」と言っていたような…未だに「ジョン・レノン=愛と平和の人」という図式で捉えてる人はこういう事を知っているのだろうか…しかしこんな男だからこそ「人間に対する優しい眼差し」を見せた時、それは我々の胸に迫ってくるものにもなる。同アルバム収録の「Jealous Guy」や「How?」はそれを物語る曲だ。Imagineという曲はジョンを「聖人君子」にしてしまったが、その影絵のような「How Do You Sleep?」が同じアルバムに入ってる所がジョンたる所以だ。人間ジョン・レノンの「優しさ」と「残酷さ」が詰まっている所にこそ、アルバム「Imagine」の価値があると思う。ポム・スフレのホームページでは自作曲の公開や独自の名盤CDレビューを行っています。
2006.01.08
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'87年の暮れといえば、ジョージ・マイケルの新作アルバム『Faith』(過去ログ参照)が注目を集めていた頃だ。同時に、"元ビートルズ"であるジョージの方も五年ぶりの新作を出したとして、地味ながら話題になっていたと記憶する。当時は、まだLPとCDが混在していた時代。いきつけのレンタル屋には、ジョージ・マイケルの『Faith』、デフ・レパードの『Hysteria』と並んで、アルバム『Cloud Nine』(上写真)がアナログ盤でかざられていた。ジャケットの中には、グレッチ・デュオ・ジェットをかかえて不敵な笑みをうかべるジョージ・ハリスンがいた。清潔とは言いがたいヒゲ面に、白く光るサングラスをきめた中年男。そんな彼の姿を見て、「シブイなぁ」と思ったことをよく覚えている。ビートルズの音楽は知っていても、ソロとしてのジョージはよく知らなかった、21年前の冬だった。その時、ビルボード・チャートでは、先行シングルとしてリリースされた「Got My Mind Set On You」がトップへ向けてジリジリと上昇していたのだった。'82年に発表した『Gone Troppo』が商業的失敗に終わったのをきっかけに、ジョージはしばらくの間、音楽から距離を置いてしまう。アルバム『Cloud Nine』は、そんな彼にとって業界へのカムバックとなった作品でもある。共同プロデューサーに選ばれたのは、エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のリーダー、ジェフ・リンだった。ジェフは、ジョージが製作者として出資した映画『上海サプライズ』(←マドンナ主演)に出演しており、それがきっかけで二人は親交を深めるようになる。そして音楽への情熱をも取り戻したジョージは、ジェフに協力をあおぎ、アルバム制作へと着手するのだった。「That's What It Takes」は、その『Cloud Nine』収録のナンバー。個人的にはアルバム中のベスト・トラックといえるチャーミングな一曲だ。作者はジョージとジェフ、そして元スプーキー・トゥースにして「夢織り人」のヒットでも知られるゲイリー・ライトもクレジットに入れられている。ミドル・テンポで派手さのない楽曲ながら、ジェフのプロデュース・ワークに包まれ、ほんのりと温かい仕上がりとなった。曲は、ちょっぴり幻想的なサウンドに始まり、アコースティック・ギターの優しげなコード・ストロークへとつながる。マイナーコードをうまく使った曲作り、いぶし銀のポップ・センスが光るメロディ・ラインはジョージならではの世界。サビ部分における、リード・ボーカルと追っかけコーラスが合わさることでワン・フレーズが完成するというパターンも、いかにも彼らしい。短いながら、お得意のスライド・ギターが聴けるのも嬉しい。甘い音色のソロには思わず頬をゆるんでしまう。名セッション・ドラマーにして、のちのトラヴェリング・ウィルベリーズでもサポートをつとめるジム・ケルトナーもいい演奏を聴かせている。そしてエンディングでのギター・ソロは、盟友エリック・クラプトンによるもの。一聴して彼と分かるプレイでありながら、自己主張しすぎない、曲にぴったりなソロを聴かせている。ジョージとクラプトン、ふたりのソロが楽しめるという意味でも"ひと粒で二度おいしい曲"であり、男の友情を感じさせる好トラックといえる。淋しげな余韻の残すフェイド・アウトの終わり方もウマいですなぁ。ジョージは、自身もプロデューサーとして優れた男だったが、コマーシャルな音作りは得意とはいえなかった。同時に、フィル・スペクターとのコラボ作品『All Things Must Pass』('70年)を成功させた経験もある彼は、ほかの誰かにプロデュースをまかせることで自分の音楽が輝きを増すことを知っていたと思う。強度のビートルズ・フリークであり、ELOとして数々のきらめくようなポップ・ソングを残してきたジェフ・リンは、その役割に最適だと判断したのだろう。ジェフは、フィル・スペクター同様、オーバープロデュースをするタイプだったが、ジョージと相性は実によかったと思う。『Cloud Nine』は、ジョージのポップ・センスが華やかにコーティングされた傑作となった。ここからは、先述の「Got My Mind Set On You」が全米1位を記録。後続シングルの「When We Was Fab」(過去ログ参照)も中規模ながらヒットしている。アルバム自体も商業的にひさびさの大成功をおさめ、賛否は分かれるものの、『All Things Must Pass』と並ぶ代表作となった。そして、この時のセッションはそのままトラヴェリング・ウィルベリ-ズにつながっていくのである。アルバム・タイトルの「Cloud Nine」は"至福の時"という意味らしい。"ビートルズ第三の男"だったジョージの人生は、ソロになってからも苦難の連続だった。盗作問題による裁判、妻パティとの別居~離婚、多量の飲酒による肝臓病、ソロ・ツアーや自己レーベルの不振、創作活動の挫折……などなど。精神の救いを宗教に求めた時期もあった。全米1位を記録した「My Sweet Lord」や「Give Me Love」は、神への希求を歌った曲である。そんな幾多の逆境を乗り越えて『Cloud Nine』は発表された。ここでのジョージの歌声は、余裕と貫禄を感じさせるものだ。「That's What It Takes」を聴くと、仲間にかこまれて楽しそうに演奏している彼の姿が浮かんでくるようでもある。思えば、このアルバムの頃が彼にとって、アーティストとして、あるいは人間としての"ほんとうに幸せな"時期だったのかもしれない。それだけに、これがジョージ生前最後のオリジナル・アルバムとなってしまったことが、よけい残念に思えるのである。「That's What It Takes」を聴くにはここをクリック!
2008.08.10
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スティーヴ・マリオットは、ブリティシュ・ロック史上最高のヴォーカリストのひとりだ。そんな彼が、Small Facesに続いて結成したグループがハンブル・パイである。パイというと自分の場合、ピーター・フランプトンとの双頭バンドだった前期ももちろん好きだが、どちらかといえば、後続ギタリストであるクレム・クレンプソンを据えた後期の作品を聴くことが多い。『Smokin'』('72年)、『Eat It』('73年※)などは、70年代ロックの名盤としてそのテのファンにはおなじみだろう。「Tunderbox」は、'74年のアルバム(上ジャケット)のタイトル・ナンバーで、マリオットとクレム・クレンプソンの共作。数多いパイの名曲の中でもとびっきりの一曲だ。キャッチーで歯切れのよいギター・リフは、有無を言わせぬカッコよさ。リズム隊も負けじとグルーヴ感たっぷりに突き進む。黒人女性シンガーによるコーラスもとても色っぽい。クレンプソンによる豪快なギター・ワークは、ピーター・フランプトンに劣らぬ素晴らしさだ。そしてスティーヴ・マリオットのシャウトである。小柄な体からしぼり出される、しわがれたハイトーン・ヴォイスが全篇にわたって炸裂する。ソウル・フレイヴァーと熱さがほとばしるその歌声は、いつ聴いても鳥肌が立つ思いだ。ハーモニカの音色も、煙が立ち込めてきそうなくらいブルージーである。これしかないぜ!、とでも言いたくなるカッコよさ。黒人音楽とハード・ロックの美点を見事に融合したこの曲は、ある意味、白人ロックのひとつの到達点かもしれない。これでメロディがもっとポップだったら、もっと知名度があっただろうが、マリオットのヴォーカルにはそんなタワゴトを言わせぬパワーがある。これを聴くと、寝タバコで焼死('91年)してしまうという彼の最期がことさら悔やまれる。それもまた人生かつーコトで「Thunderbox」を聴くにはここをクリック。マリオットのハード&ソウルな歌声に燃えろ!※ポム・スフレのメインHPでは、ハンブル・パイの名作「Eat It」について取り上げています。
2008.06.03
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Run DMCの'86年の大ヒット曲(全米4位)にして、今やヒップホップの古典中の古典である。僕がラップという音楽の存在を知るきっかけでもあった。メジャーのヒットチャートにおいて大々的な成功を収めた初のラップ・ソングであり、ヒップ・ホップという音楽を世の多くの人に知らしめた、という意味でも重要な一曲である。エアロスミスの'75年の曲('76年全米10位)のカバーで、レコーディング自体にもエアロのスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーが参加。思わず体が動いてしまうファンキーでボトムの太いドラムのイントロ、途中で入るスクラッチ音、それに続いて飛び出すシンプル&キャッチーを地でいくようなギターリフ、これらが絡み合って生まれるグルーヴ感のカッコ良さは、普段黒人音楽を聴かないロックファンをもあっという間にトリコにした。突進力あるRun DMCのラップに割り込んでくるスティーヴン・タイラーのシャウトの迫力も圧倒的。チープなサウンドと乱雑な演奏が毒々しいオリジナル・バージョンも捨てがたいが、完成度という点ではやはりこちらに軍配を上げたい。それでも、このRun DMCのバージョンは、基本的にはエアロのオリジナル・バージョンに結構忠実な作りであり、そう考えるとヒップホップの元祖はエアロであると考えられない事もない。(ちなみに、世界初の本格的なラップ・レコードは、シュガーヒル・ギャングの「Rapper's Delight」('79年)と言われる事が多い。その後のヒップホップに与えた影響が絶大なのはもちろんだが、当時ほとんど「過去の人」扱いだったエアロスミスは、この曲のヒットによって一気に株を上げる。勢いづいたエアロは'87年に「Permanent Vacation」を発表。これがジワジワと売り上げを伸ばしロングセラーを記録する。さらにはガンズ&ローゼズ、モトリー・クルー、ラットといった当時人気を博していたバンドの連中が口を揃えて「俺達はエアロスミスに影響された」と発言。かくしてエアロは第二の黄金期を迎える事となり、それは現在でも続いているのはご存知の通り。つーコトでここをクリックすれば、この曲のカッコいいビデオクリップが見れますぜい!
2006.05.25
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ボン・ジョヴィ、モトリー・クルー、ガンズ&ローゼズと共に、80年代ハード・ロック・ブームを語る上で忘れられないバンドであり、現在も現役であり続けるデフ・レパード。彼らの四作目であり、HR/HM史に残る特大ヒットを記録した名作「Hysteria」が、2枚組デラックス・エディションで再発された(今の所UK盤のみ)。うう懐かしい…オレも中坊の頃はこのアルバムをサルのように聴きまくったものだぜつーコトで、今回は「Hysteria」と並ぶ'83年の名作「Pyromainia」(写真)のお話さ'80年にデビューしたデフ・レパードは、NWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)ムーヴメントの中から出てきたバンドとしては、当初からメロディを重視したバンドだったが、最初の2枚のアルバムは、やや荒削りでこじんまりとしており、「小型AC/DC」などと呼ばれていたという。だが、ギタリストとしてフィル・コリンが加入し、プロデューサーにロバート・マット・ラングを迎えたこのアルバムからバンドは大化けした。ハードなサウンドはそのままに、わかりやすいメロディと美しいコーラスを強調した作風は、「みんなで歌えるハード・ロック」の典型であり、後のHR/HMブームにも大きな影響を与えた。このアルバムからのヒット曲「Photograph」は、そんなデフ・レパードの魅力を集約したミディアムテンポの名曲。抑えた出だしから徐々に盛り上がっていき、サビの部分でポップなメロディが一気に炸裂するという曲構成は、いい意味でポップスの定石を踏まえたもの。分厚いコーラスとギターのアルペジオの響きも実に気持ちいい、彼らの代表作だ。「Pyromania」は当時のHR/HMアルバムとしては異例の大ヒットを記録。その時のアルバム・チャートでは、マイケル・ジャクソンの『スリラー』が居座っていたため全米1位は獲得できなかったが、それに次ぐ全米2位を記録。現在では全世界で1000万枚以上を売り上げるヒットとなった。この後バンドはリック・アレンの交通事故(片腕を失った)や、オリジナル・メンバーにしてメイン・ソングライターでもあったスティーヴ・クラークの死亡というアクシデントに見舞われるが、バンドはそんな逆境をバネにするかのように「Hysteria」や「Adrenalize」という大ヒットアルバムを連発。今年の5月にはカバー・アルバム『Yeah!~イエーイ(YEAH!)』をリリースしている。デフ・レパードの名曲「Photograph」のPVはここをクリック!↑うう…リック・アレンの腕が2本ある…(泣スティーヴ・クラークもちゃんとおる…「フィル・コリンズに名前が似ているなあ…」と思っていたフィル・コリンは、この後アタマの方もフィル・コリンズに似てしまったなあ…※ポム・スフレのホームページではデフ・レパードの名作「Pyromania」について取り上げています!
2006.10.17
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クリスマス特集 恋人達のバラード(←ありがちなタイトル) 第二夜女優としても、シンガーとしても一流の才能と実績を持つベット・ミドラー。ミドラーが主演した'79年の映画「ローズ」のサウンドトラック(写真)の最後に収められているこのタイトル曲は、彼女のシンガーとしての名声を印象付けた名曲である。'80年全米第3位。現在も様々な形で聴き継がれてるスタンダード・ナンバーでもある。『黄昏』の名匠マーク・ライデル監督によるこの映画は、ジャニス・ジョプリンをモデルとした主人公ローズの生涯を描いたストーリーで、酒とドラッグ、そして男でボロボロになりながらも最後までエネルギッシュに歌い、そして死んでいった女性シンガーをベット・ミドラーが熱演している。この映画でのミドラーの存在感と演技は素晴らしく、特にライヴ・シーンにおける彼女の歌唱力は圧倒的だ。その一方で、麻薬に溺れながら自ら墜ちていく後半はなんとも孤独で悲しい。映画の中でこの曲が使われるのは、そのラスト・シーン。ローズが故郷フロリダで、熱狂的なファンの待つ舞台に立ち、その命をふり絞りきるかのように歌いきって倒れた後、このタイトル曲が寂しく流れ、映画はそのままエンド・ロールに入る。このラストシーンは、この世の苦しみから解放された魂が、天に昇っていくかのような感動とカタルシスを感じさせる。アマンダ・マクブルーム作によるこの曲。静かなピアノの響きに導かれて流れる、切なく神聖でもあるメロディの美しさ。抑制を効かせつつ丹念に歌い上げていくミドラーのボーカルが素晴らしい。徐々に盛り上がってはいくものの、弾き語りをベースとしたシンプルなアレンジも、かえって曲の美しさを引き立てている。哲学性と詩情に溢れた歌詞も泣かせる。楽曲自体はジャニス・ジョプリンの音楽を連想させるものではないが、奔放に生き、男を愛そうとし、そして誰よりも「生きる幸せ」を求めながらも最後まで孤独なまま短い一生を閉じた、一人の寂しい女性の歌として、心に沁みる名曲だと思う。映画「ローズ」は、アカデミー賞に4部門(主演女優、助演男優、音響、編集)ノミネート。ゴールデン・グローブ賞では、主演女優と新人女優賞(ベット・ミドラー)、楽曲賞(アマンダ・マクブルーム)を獲得した。この曲はベット・ミドラーのベスト盤でも手軽に聴けるが、映画「ローズ」を観て、そして映画のサウンドトラック盤の中で聴くと、感動もひとしおになるはずだ。ベット・ミドラーの名曲「The Rose」を聴くにはここをクリック!人は言う 愛は柔らかい葦(あし)を溺れさせる川だと人は言う 愛は魂の血を流す剃刀だと人は言う 愛は飢えだと 終わりのない痛みだとでも私には愛は花 あなたはその種傷つくことを恐れるその心は、魂の踊りを知ることがない目覚めることを恐れるその夢は、運をつかむことがない受け入れようとしない人は、与えることもしないそして、死を恐れる魂は、生を知ることがない夜がとても寂しい時、そして道がとても長い時あなたは思うでしょう 愛は運がよく強い人だけのものだとでも、少しだけ思い出して冬の最中に 冷たい雪の下に種は太陽の愛を待ち 春にはバラの花を咲かすの
2006.12.12
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akikki姉さんのトコロでな情報をげとー。「エリック・クラプトン波乱の人生が、7日間連続CMで見られる」そうです(詳しくはここじゃ)。うわ~、チェックチェックそれにしても、「Sunshine Of Your Love」はまだしも、「White Room」を"クラプトンの曲"みたいに紹介するのって何だかなあ… そりゃ確かにクラプトンも自分のステージ・レパートリーとして取り入れてるけどさあ。「White Room」はジャック・ブルースの曲だ、と思っているのは俺だけなんだろうか?というムダ話はさておき、'71年の夏にデレク&ドミノスを解散させたクラプトンはその後、デュアン・オールマンの死によるショックもあってドラッグにどっぷりとハマってしまい、結果、しばしの活動停止を余儀なくされる。が、ピート・タウンゼントやスティーヴ・ウィンウッドらの尽力によって実現された'73年のレインボー・コンサート(←美談)をきっかけに見事復活。彼の本格的なソロ・キャリアはここから始まったと言っていいだろう。以降のクラプトンは、火を噴くようなギター・プレイは抑え、代わりにレゲエやレイド・バックなどを取り入れながら、メロウで落ち着いた音楽を前面に出していく。評論家的には、こうした彼の変化を"円熟"と表現する事が多い。ソロ時代の代表作とされる「461 Ocean Boulevard」('74年)や「Slowhand」('77年)は、ポップですがすがしい名盤となった。ソロでのクラプトンといったら、こういったイメージが強いだろう。もちろん、そういうクラプトンも魅力的なのだが、ライヴで鬱憤を晴らすように聴かせてくれる奔放で鋭角的なギター・プレイは、やはりたまらないものがある。そして、そうしたものはブルースのカバーなどに表れる事が多い。唯一の全米No.1曲がボブ・マーリーのカバーだろうが、世間的なイメージ(特に若い人達の)があの曲だろうが、この人の本質はブルースマンなのだなあ……と当たり前な事を言ってみる上写真のジャケットは、'80年発表の2枚組ライヴ・アルバム「Just One Night」。'79年12月の武道館公演を収めたもので、個人的にはクラプトンのライヴ・アルバムで最もよく聴いた一枚…もとい二枚だ。「Wonderful Tonight」「Lay Down Sally」のようなポップな代表曲も入っているが、全体の選曲は渋め。ダイアー・ストレイツの「Set Me Up」なんかが取り上げられているのを見てムホッとする。「Double Truoble」はディスク2の冒頭に入っている曲で、オリジナルはオーティス・ラッシュ。クラプトンのルーツとも言えるブルース・ナンバーだ。秘めた情感が滲み出るボーカルとギタープレイには耳を奪われる。適度な重さ、フレージングにおける絶妙のタメ具合。ん~、スタジオ録音にはない魅力だ。この頃はまだ、アル中の真っ只中だったはずなのにさすがクラプトン。大人の落ち着きとブルースへの情熱が同居した、いい演奏さ(´ー`)という事でここをクリック!この前年('78年)に行われた、ヨーロッパ・ツアーでの演奏です。※ポム・スフレのメインHPでは、エリック・クラプトンの名盤「Slowhand」について取り上げています。
2007.11.20
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↑こーゆーコトをやると警察に通報されるかもしれないが、このジャケットのアルバムが名盤なんだからしょうがない。ワシはやる。変態と言われようが、犯罪者と言われようが。耳こそすべて、音楽は正義、名曲は権力よりも強しだ。ジャケットのアルバムはその名も「Virgin Killer」(邦題『狂熱の蠍団』)。ドイツを代表するハードロック・バンド、スコーピオンズが生んだ'77年の傑作だ。スコーピオンズは、ルドルフ・シェンカーを中心として'65年に結成。その後、ルドルフの弟であるマイケル・シェンカーを加えて'72年にデビューする。だが、マイケルは直後にUFOに移籍。他のメンバーの脱退もあって、バンドは一時、活動停止を余儀なくされたという。'74年、ギタリストにウリ(当時はウルリッヒ)・ロートを加え、バンドは再出発。'77年には4枚目のアルバム「Virgin Killer」を発表し、注目を集めることとなった。ツイン・ギターを売りにしたサウンドと哀愁を帯びた楽曲は、日本のメタル・ファンにも人気が高い。なお、上にあるジャケットは当然のごとく大ヒンシュクを買い、アメリカをはじめとした多くの国で発売禁止となった(メンバー写真に差し替えられたジャケで売られた)。が、なぜか日本ではそのまま発売。Blind Faithのアルバムと並ぶ少女ヌード・ジャケとして語り草となった(笑しかし、ジャケットのエロさだけで語りつがれる程、音楽の世界は甘くない(…と思う)このアルバムが今も残っているのは、内容そのものが素晴らしいからだ(…と思う)「Pictured Life」はアルバムのオープニングを飾る必殺の一曲。邦題、『幻の肖像』。現在でもライヴで演奏される、スコーピオンズの代表作だ。イントロから切り込んでくるギターリフに電気が走る。この時点で即、名曲決定。続く、ルドルフによるザクザクとしたリズムギターもカッコいい。それをバックに歌うのは名ボーカリストのクラウス・マイネ。美しくも荒々しいハイトーン・ヴォイスからにじみ出る情感が素晴らしい。もちろん、ウリ・ロートによる、ねちっこいギターの音もグレイト。ボーカルの後ろで鳴るトリル下降のフレージングがたまんね~。リズム隊は何気にファンキーで、演奏の緊張感もバッチリ。そして、日本人の琴線にふれる泣きのメロディ・ライン。おまけにキャッチー。カッコいい。カッコよすぎるドラマティックかつ構成的にもコンパクトにまとまったこの曲は、HR/HMのひとつの理想形といえるもの。同時期のブリティッシュ・ハードロックにも全くひけをとらない名曲と断言したい。この一曲だけでも充分なのだが、アルバムにはこの他にも「Catch Your Train」、「In Your Park」、「Virgin Killer」など名曲がてんこ盛り。'82年の傑作「Blackout」と共に、HR/HMファンなら女房を質に入れてでも購入すべき一枚だ。そうでない人も、ジャンル無用の名盤として聴いておいてソンはないかも。つーコトで「Pictured Life」を聴くにはここをクリック。何度聴いても熱くなるぜ!なお、先日あらためて再発された本作の紙ジャケ盤は、「社会規範の変化に伴い」という理由でとうとうジャケットが凡庸なメンバー写真に差し替えられてしまった。これも時代の流れか……ロリ目的で購入するヤツは注意しろ!
2008.04.04
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トニー・アイオミとの確執で、'79年にブラック・サバスを脱退(クビという説が有力)したオジー・オズボーンは、当初は酒に溺れていたが、やがて当時無名だった天才ギタリスト、ランディ・ローズと出会う事によって新たな伝説を作る事になる。ビジュアル的にはブラック・サバス時代のイメージを継承していくものの、ソロになってからのオジーは、ランディー・ローズを片腕に、音楽的にはよりキャッチーで分かり易いものを提示するようになった。'81年に発表されたオジーの2ndソロ「Diary Of A Madman」(写真)は、そのオドロオドロしいジャケットとは裏腹に、親しみやすいハードロック・ナンバーが満載で、HR/HMファンならずとも一度は耳にしたい名盤。世間的にはソロ一作目の「Blizzard Of Ozz」の方が有名だが、こちらも負けず劣らずの素晴らしさだ。この「Over The Mountain」はアルバムのトップを飾る曲で、重量感溢れるリフ、怒涛のように迫ってくるリズム隊、ドラマティックな曲展開と美しいメロディ、そして「神童」と呼ばれたランディ・ローズのプレイが堪能できる名曲。クラシックをルーツに持つというランディのギターは、トリッキーながらもアグレッシヴかつ流麗なプレイで、ギターキッズならずとも耳を惹きつけられる。オジーの1st、2ndソロにおける音楽的な素晴らしさはランディの存在抜きにはありえない…なーんてコトは僕がこのアルバムを聴き始める前からさんざん言われてる事か(笑しかし、「Diary Of Madman」発表後の'82年3月、ランディ・ローズは飛行機事故により、あっけなくその若い命を散らすことになる。彼の夢であった「ギターヒーロー」の名声をつかんだ矢先の事であった。25歳の若さで非業の死を遂げたランディの才能と情熱が詰まった「Blizzard Of Ozz」と「Diary Of A Madman」は、いつ聴いても色褪せる事がない。それではここをクリックしてランディーのギターに萌えろ!Quiet Riotの項に続くポム・スフレのホームページでは、ブラック・サバスのアルバムについて取り上げています!
2006.07.13
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