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特集~トラベリング・ウィルベリーズと愉快な仲間たち その4「驚異のスーパーグループ」と当時謳われた、トラベリング・ウィルベリーズのメンバーの中で、当時の僕が唯一名前を知らなかったアーティストがロイ・オービソンだった。「Oh! Pretty Woman」の人として、今ではおなじみのオービソンだが、この時は映画「プリティ・ウーマン」もまだ公開前。ビートルズと「ベストヒット USA」くらいしか眼中になかった中坊の僕がこの人を知るはずもなく、色白の顔にサングラスという姿とどこか神秘的な雰囲気を持つオービソンに不思議な印象を持ったものの、この人がエルヴィス・プレスリーから「世界一美しい声の持ち主」と言われたシンガーだなんて、その時は夢にも思わなかった。1936年4月23日、テキサス州に生まれたロイ・オービソンは1955年にシングル「ウービー・ドゥービー」でデビュー。1956年から1959年にかけてはこれといったヒットがなかったが、モニュメント・レコードに移籍してからはヒットを連発。「Only The Lonely」「Crying」「Running Scared」などの大ヒットを放ち、1964年にはビートルズ旋風のさなか、彼の代名詞的な名曲である「Oh! Pretty Woman」が全米No.1ヒットとなる。しかし、モニュメント・レコードを離れてMGMに移籍した60年代後半以降は活動が低迷。さらに事故や火災で妻子に先立たれるなど、不幸が続いた。70年代以降は、ロイの曲がリンダ・ロンシュタット、ヴァン・ヘイレン、ドン・マクリーンなどにカバーされてヒットもしたが、彼自身によるヒットは生まれなかった。だが、地道な活動を続けたオービソンは、デビューから32年後の1987年にロックの殿堂入りを果たす。同年に行われたステージではエルヴィス・コステロ、ブルース・スプリングスティーン、トム・ウェイツなどといった面々と共に演奏し、「ビッグ・オー」の貫禄を示した。そして'88年、ジェフ・リンのプロデュースで新しいアルバムの制作に入ったロイが、その途中で参加したプロジェクトがトラベリング・ウィルベリーズだった。ウィルベリーズのアルバムは当然の如くヒットを記録し、それと共にロイの歌声も改めて注目される事となった。だが同年12月6日、ロイは心臓発作のため急逝。52年の短い生涯に終止符を打った。長い不遇時代を経て、久々に第一線にカムバックする矢先の出来事だった。翌年の2月に発売されたロイの遺作「Mystery Girl」(写真)は、その悲しい話題も手伝って、全米5位、全英2位という大ヒットを記録。話題性でヒットした感は否めないが、アルバムはそんな事に関係ない素晴らしい内容となっている。ジェフ・リン、ジョージ・ハリスン、トム・ペティといったウィルベリーな面々に加えて、U2のボノとエッジ、エルヴィス・コステロ、アル・クーパー、アルバート・ハモンドといったアーティスト達がこぞってサポートしており、粒の揃った楽曲と、ロイの声を引き立たせるアレンジは、文句なしの仕上がり。ジェフ・リン、トム・ペティ、オービソンによる共作であり、アルバムのオープニング・ナンバーでもある「You Got It」は、全米9位、全英3位のヒットを記録。アコースティックを基調としたミディアム・テンポなナンバーで、オービソンのブルーな声にピッタリのポップ・ソングだ。サビの部分で飛び出すストリングスなんかは、いかにもジェフ・リンっぽいが、「BABY~♪」の後に出てくるギターのフレーズが「Oh! Pretty Woman」を思い起こさせるのが嬉しい。ジェフ・リン&トム・ペティによるナナナ・コーラスも泣かせるなあ。なお、この曲は後にボニーレイットもカバーしている。他の曲も聴きもの揃いだが、もの哀しい「In the Real World 」や、あまりにもロマンティックな「Love So Beautiful」などは、ロイの声と相俟って涙なしには聴けない曲だ。「声がいい」だけのシンガーならいくらでもいる。だけど、真に人の心を打つ声を持った人は、そうそういるもんじゃない。かつてブルース・スプリングスティーンは「誰もロイのようには歌えない」と言った。そしてその意味は、ロイの歌を聴けば誰もが理解できると思う。このアルバムでのロイの歌声は、それほどまでに美しく、そして哀しい。「You Got It」を聴くにはこちらをクリック!ついでに「Oh! Pretty Woman」もサービス!ここをクリック。
2006.12.06
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ディープ・パープルの曲といったら、大抵の人がまず思い浮かべるのが「Highway star」であり「Smoke On The Water」だろう。あるいは「Speed King」が最高という人もいるかもしれない。言い換えれば、ディープ・パープル=イアン・ギランがボーカルだった第二期であり、"様式的ハードロック・バンド"というイメージを持っている人が多いということだ。その一方で、デヴィッド・カバーデイル(Vo)やグレン・ヒューズ(b,Vo)を迎えた、いわゆる第三期のメンツで作られたアルバム『Burn』も、第二期の作品群と並んで有名な一枚だ(ジャケット含むw)。さらに言うなら、このアルバムの人気を決定づけているのは、オープニング・ナンバーでありタイトル曲でもある「Burn」だろう。確かに、鉄壁の完成度と燃えるような疾走感を持ったその曲は"パープルの代表作"と呼ぶにふさわしい。だが、それはあくまで「Highway Star」の様式を踏襲したものだ(だからこそ人気があるのだろうが)。第三期パープルの音楽的面白さは、むしろ他の曲に顕著だと言えるだろう。その面白さとは、リッチー・ブラックモアのハードロック魂とデヴィッド&グレンのふたりが持ち込んだ黒人音楽指向の組み合わせである。そこで自分が推したいのが、アルバム5曲目にあたる「You Fool No One」だ。メンバー全員の共作とされている(※)曲であり、それまでのパープルにはなかったファンキーさが強い印象を残すナンバーだ。イントロでのつぶやき声(?)が示すようにジャムっぽい曲でもあり、ハイレベルな演奏の中に漂うどこかリラックスした空気が微笑ましかったりもする。イントロからしてもうノリノリ(←死語)で、その躍動感あふれるリズムはパープルというよりサンタナに近い。ジャズあがりのドラマー、イアン・ペイスの職人的技巧と感性が遺憾なく発揮されている。カウベルとスネアの音色がもうたまんね~歌い出しから分厚いコーラスが聴けるのもパープルとしては珍しい。のちにホワイトスネイクを結成するデヴィッド・カヴァーデイル、元トラピーズにして「ポール・マッカートニー以来の歌えるベーシスト」(By リッチー)であるグレン・ヒューズ、という二人のヴォーカリストの存在を前面に押し出した、胸おどるハーモニーだ。腰のすわったデヴィッドのヴォーカル、"ヒステリックなスティーヴィー・ワンダー"といったグレン歌声の対比も聴きどころ。そしてリッチーのギターである。リッチーは黒人音楽があまり好きではないらしく、自分の色が薄められていくことに不満を持っていたらしいが、ここでは存在感のある良い演奏を聴かせてくれる。特に間奏部分は、彼らしい個性を保ちつつも黒っぽい楽曲にピタリとはまったソロが聴ける。激しさやテクニックよりも一音一音のフレージングを重視したプレイは、タイトル曲のソロとはまた違ったカッコよさだ。要所要所で飛び出す、バネが伸びるようなチョーキングも最高っす。バッキングに徹しているものの、ジョン・ロードのオルガンも熱いアツい。まさしく「ファンキー・ハードロック」。音楽観の違う者同士が微妙なバランスで渡りあっていた、第三期パープルならではの名演だ。パープルのカッコよさはハードロックだけじゃないですぜつーコトで「You Fool No One」を聴くにはここをクリック。"カリフォルニア・ジャム"での演奏はもっとスゴいぞ~。※ 当時はグレン・ヒューズの名は契約問題によりクレジットされなかった。* ポム・スフレのメインHPではディープ・パープルの名盤『Burn』について取り上げています。
2008.07.05
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「今からずっと先のことだけど 歳をとって髪の毛がなくなったときにもバレンタインには贈り物をくれるかい? 誕生日にはワインで祝ってくれるかい?この僕が64歳になったときにも。」ビートルズの「Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band」に収録の「When I'm Six-Four」の中の一節だ。クラリネットのホンワカした音色がなんとも印象的で、ポールの小市民的感覚が滲み出た一曲と言える。キーはC#だが、これは元々Cのキーだった録音バージョンのピッチを思いきって上げたためで、そう思って聴くとポールの歌声もどこか人工的に響く。ポールの父親はトラッド・ジャズのセミプロ・ミュージシャンであり、ポールは子供の頃にトランペットを買い与えられているが、ディキシーランド・ジャズを彷彿とさせるこの曲といい、「Maxwell Silver Hammer」といい、こうした曲調は、ポールの中に流れるルーツのひとつなのかもしれない。ポールは後に、父ジェイムスが書いたトラッド・ジャズ風のナンバー「Walking With The Park With Eloise」を別名義でレコーディングもしている。「僕が64歳になった時…」という内容を持つこの曲は、ポールが16歳の時に書かれた曲らしい。64歳が「まだまだずっと先」である、こわいもの知らずの若者が書いた詩にしては妙に達観しているのはさすがだが、それでもどこか作り物っぽい感じがしてしまうのは仕方がない。「君は僕をまだ必要としてくれるかな?」というフレーズもあるが、先日64歳を目前にしてヘザーと離婚する事になってしまったポール。人生思った程うまくはいかない。そして今日はポールの64歳の誕生日。ポップミュージック史上最も成功した男であるポールは今どんな気持ちでいるのだろうか?
2006.06.18
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三十数年も生きていると、「人生ナニが起こるか分からんなぁ」と思うことがしばしばある。スライ・ストーンの来日もそのひとつだ。8月31日(日)の東京国際フォーラム、9月2日(火)のブルーノート東京で公演が行われる(後者の方は自由席で15750円。高っ!)。自分の周りでは、The Who(こちらも初の単独来日)の話題ばかり盛り上がっているが、スライの方もそれに負けないインパクトがあると思うんだけどね。だって、あのスライですよスライ。文字通りの"生きた伝説"の"初めての来日"ですぜ、ダンナ。スライ・ストーンことシルヴェスター・スチュアートは、いうまでもなくスライ&ザ・ファミリー・ストーンのリーダーである。ジェームス・ブラウンと並ぶファンクの創始者であり、60年代末から'71年頃にかけては商業面でも圧倒的な成功をおさめた男だ。そして、急激な成功ゆえの重圧に耐えきれず薬物におぼれ、あっという間に転落していったというのも音楽ファンの間ではよく知られているハナシだろう。Everyday People」、「Hot Fun In The Summertime」、「Family Affair」(過去ログ参照)などの曲を次々とヒットさせる一方で、スライはグループ間の軋轢や暗殺などに怯えていた。その救いをドラッグに求め、バンド・メンバーに銃を向ける、コンサートをすっぽかすなどの寄行を重ねていく。その結果、彼は孤独になり、最終的にはファンからもプロモーターからも見捨てられた。スライのマネージャーだったカプラリック氏は、彼のことを「かわいそうなシルヴェスター青年」と言った。スライは、70年代後半以後もそれなりの活動を行いはしたものの、かつてのような勢いを取り戻すことはできなかった。その栄光と挫折は、ある意味、絵にかいたようなスター人生だったとも言える。自分は80年代後半から洋楽を聴きはじめた世代だが、音楽雑誌を見てもスライについては"過去の名盤"が紹介されているだけで、"現在のスライ"に関する情報はほとんどなかった(ネット時代になってからは、さすがに変わったが)。ゆえに、その伝説やカリスマ性がアタマの中でふくらむだけで、ほとんど歴史上の人物みたいに思えた、というのが正直なトコロかもしれない。少なくとも、"復活"などというのはありえないだろうと、ほぼ決めつけていた。スライは、自分との闘いに敗れて墜ちていった者なのだから。スライのファンクにはアッパー系とダウナー系がある。僕が好きなのは後者の方だ。理由があるとすれば、それは自分がダウナーな性格だからだろう(笑一般にスライの最高傑作といわれる『There's a Riot Goin' On(暴動)』('71年)もダウナー系の名盤だ。そのアルバムは音質はこもってるし、内容も言われるほどスゴイとは思えない。だが、あの淡々とした雰囲気と沈みこむような演奏が、僕はとても好きだ。スライのダウナー系名盤にはもうひとつある。'73年に発表された『Fresh』(上ジャケット)だ。前作『There's a Riot Goin' On』とこのアルバムには二年のインターバルがある。その間、スライは薬物治療を行っていたらしい。そして発表されたこのアルバムは、"& The Family Stone"という名義こそ同じだが、バンドのメンバーは大幅に入れ替わっていた。つまり、スライと新しいファミリーによる作品集である。その中には、ラスティ・アレンとアンディ・ニューマークがいた。特にアンディは、「黒人よりも黒人っぽい」と言われるほどのグルーヴ感を持つ白人ドラマーで、のちにジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、デヴィッド・ボウイ、スティングほか名だたるミュージシャンのアルバムに参加している。ラスティとアンディの参加は、このアルバムのひとつの鍵といっていいかもしれない。「In Time」はアルバムの冒頭をかざる曲だ。チープなリズム・ボックスに絡むペラペラな音色のギター、ラスティ&アンディのクールで粘っこいファンク・ビートがなんとも印象的。このポリリズム的音作りは、基本的には『There's a Riot Goin' On』の延長線上にある作風といえるだろう。だが、ひたすらダウナーだった前作にくらべて、ここには微妙な"ポジティヴさ"が感じられる。この曲には「コークをやめてペプシに替えた」という一節が出てくる。この場合のコークというのは薬物(コカイン)のこと。「In Time」は、彼が薬物中毒から立ち直ったことを歌ったものだ。その中にはこんなフレーズも出てくる。"時がたてば忘れられるこの俺を見ろ俺の目にうつるのは午後の明るい陽差しだけ"スライの声は力強く、彼の弾くオルガンも熱っぽい。メロディは何気にポップだ。トボけたようなサックスもなかなかのクセモノ。無愛想な女性コーラス、歯切れよいハイハットの音色もやたらとカッコよく響く。ビートはゆったりしているが、演奏自体は鋭い。地味ながら聴くほどに味の出るファンクネス。この曲、および演奏は、今の時代にも有効だと思う。『Fresh』と題されたアルバムのジャケットの中で、スライは屈託のない笑みを浮かべてジャンプをしている。それは彼流の皮肉だったと考えることもできる。あるいは、前作で自分の葛藤を吐き出し、薬物中毒を(一応)克服したスライは、本気で「やりなおそう」と思っていたのかもしれない。このアルバムの邦題は「輪廻」とつけられている。若干地味な印象はあるものの、本作は『There's a Riot Goin' On』と裏表一体といえる名盤となった。だが、彼はかつてのような人気やカリスマ性をとり戻すことは二度とできなかったのである。スライと同時期に活躍したロック・スターには、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン(ドアーズ)などがいた。そしてその三者は、'70年から'71年の間に、いずれも27歳で命を落としている。ロックがもっとも熱かった時代を象徴するアーティストだったこと、パッと咲いてパッと散ったという意味では、彼らとスライはよく似ている(年齢も同じだった)。ただ、ジミやジャニスは死んで伝説になったが、いっぽうでスライは生きのびた。あるいは、死ねなかったと言ってもいいかもしれない。以後、彼は何度もカムバックをこころみては失敗し、事実上シーンから消えていった。だが、2006年の2月、スライはグラミー授賞式のステージに姿をあらわす。銀ラメのスーツ、巨大なモヒカン・ヘアーという格好で彼は「I Want To Take You Higher」を歌った。これには誰もが目を疑ったに違いない。2007年に入ると、彼はステージ活動に力を入れ始める。そして今回の初来日だ。こんな事を誰が予想しただろう。人生なにが起こるか分からない。ファンの中には「長生きすれば、いいこともあるものだ」と思った人もいるかもしれない。デビューから四十年、六十五の齢(よわい)にして今また表舞台に立とうとするスライ。たった二日間しかない日本公演において、彼はどんなステージを見せるのだろうか。「In Time」を聴くにはここをクリック。
2008.08.23
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AC/DCを聴くとスカッとする。ソリッドでたたみかけるようなリフ、単純で躍動感にあふれた楽曲と演奏は、レッド・ツェッペリンとKissを足してさらに分かりやすくしたような感じだ。それはある意味、「ロックの本質を純粋培養したもの」と言うこともできるかも。ランドセルに半ズボンという小学生スタイルでギブソンSGを弾くアンガス・ヤングも、"ギターをかかげた曲芸師"という感じで大好きだ。そんなAC/DCの音楽性は、基本的にデビュー以来ほとんど変わっていない。'80年の加入以降、現在までフロントをつとめるブライアン・ジョンソンもいいボーカリストだ。だが、彼らの明快な魅力と迫力は、故人であるボン・スコットをボーカルに据えていた70年代の作品に、より顕著だと思う。かつては『Back In Black』や『For Those About to Rock We Salute You』などを聴きくるっていた自分だが、今聴くのはほとんどボン時代の作品だ。'78年発表の『Powerage』(上ジャケット)は、世界規模で発売された四枚目のアルバムである。ヴォーカルはボン・スコット。ギターはアンガスと彼の兄であるマルコム・ヤング。ドラムにフィル・ラッド、ベーシストは本作から加入したクリス・ウィリアムスだ。代表作とされる次作『Highway To Hell』('79年)には劣るものの、本盤もなかなかに捨てがたい一枚となっている。「Riff Raff」は、アルバムの四曲目に置かれたハード・ドライヴィングなナンバー。「T.N.T」、「Dirty Deeds Done Dirt Cheap」、「Whole Lotta Rosie」と並ぶ、初期の代表曲中の代表曲だ。いきなりアンガスとマルコムが豪快にギターをかき鳴らす。続いて、ドラムとベースが地響きを立てるように湧き上がってくる。すさまじいイントロだ。これだけでも期待感で背筋がざわざわしてくる。シンバル一発で準備をととのえた後は、もうノンストップ状態。アンガスのSGが轟音をまき散らす。クリスとフィルのリズム隊が暴走機関車のごとく突進する。シンプルなリフのカッコ良さはロックのお手本。スピード感はパンク・ロックにも負けていない。ギター・ソロも燃える燃える。そして、凶暴なバックにのせて、ボン・スコットが本能のままにシャウトする。「Riff Raff! I'm only in it for the laughs (ha ha ha)」と。なんというエナジー。なんという爆発力。そのボルテージの高さは、さわれば感電死しそうなほど。目の前で演奏されているような生々しさもタマらん。ヘヴィでありながら、全体を包む解放感も素晴らしい。体中の血が頭にのぼっていくような気にさせられる、最強の5分15秒である。このアルバムには、ほかにも「Rock & Roll Damnation」、「What's Next To The Moon」、「Kicked in the Teeth」など、ガツンとくる曲がてんこ盛り。「理屈ぬきにカッコいいロックが聴きたいなぁ」と思うアナタはぜひどうぞ。ライヴ盤『If You Want Blood You've Got It(ギター殺人事件)』もお忘れなくつーコトで、ボン・スコットに敬意を払いつつ「Riff Raff」を聴くのだ。ここをクリック。何度聴いても血がたぎるぜ!
2008.08.18
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直感でクリムゾンを聴く事にした。どんな直感だ、と聞かれるかもしれないが、それは内緒だ。アルバムは「Discipline」('81年、上写真)。CDをデッキに入れプレイ・ボタンを押す。Talk , It's Only Talk♪エイドリアン・ブリューが、ギターで象のトークをやっている。エフェクターを駆使した、パオーンな響きがあまりにも有名な曲だ。1981年、2枚のソロ・アルバムといくつかのセッション活動を経たロバート・フリップは、「Drive To 1981」なるテーゼを掲げて、新しいバンドを結成する。メンバーはフリップの他に、クリムゾンの『太陽と戦慄』にも参加していたビル・ブラッドフォード(Dr)、フリップのソロ・アルバムに参加していたセッション・ベーシスト、トニー・レビン。そして、フランク・ザッパ・バンド出身の個性派ギタリスト、エイドリアン・ブリューである。クリムゾン参加以前にもデヴィッド・ボウイやトーキング・ヘッズのサポート・メンバーとして来日経験もある人物だ。新しい個性を得たフリップは、この四人でリハーサルを開始。バンド名は"Discipline(訓練)"と決まり、ツアーも始まった。だが、ツアーの途中で突然、フリップが「これはクリムゾンだ」とか言い出したため、バンド名は急遽キング・クリムゾンに変更。かくして新生クリムゾンが誕生する事となった。元のバンド名は、1stアルバムのタイトルとして残った。で、「Elephant Talk」だ。複雑かつ有機的に絡み合う四つの個性。だが、フロントに出ているのは、ヴォーカルも担当するエイドリアン・ブリューだ。クリムゾン史上、初のアメリカ人であり、ギタリストがヴォーカルを兼任するのも初の試みだった。エキセントリックなブリューと、学者的なフリップ。対照的な二人のギタリストが微妙なバランスで渡り合い、そこに職人肌のリズム隊が交わる事で、スリルとキッチュさを持った空間が生まれる。それは"いわゆるクリムゾン"とは全く違うものであり、スケール的には若干こじんまりとしているが、これはコレでなかなか面白い。ただし、曲調やリズム・アレンジは、ブリューも参加していた同時期のトーキング・ヘッズからの影響丸出し。ブリューのヴォーカルなんて、まんまデヴィッド・バーンやんけーけど、楽しめるから許すアルバム3曲目には「Matte Kudasai(待ってください)」なんて曲も入ってるし。それにしても、これを「クリムゾンの作品」として世に出したフリップは凄い。輝かしい過去にこだわらず、前進しようとするその姿勢。うーむ、このオッサン、文字通りプログレッシヴだ。あるいは単に支離滅裂なだけなのかもしれないがタイトル曲の演奏がブツリと切れる。アルバムが終わった。もういちどクリムゾンだ。プレイ・ボタンを再度押す。象の咆哮が聞こえてきた。ロバート・フリップがつべこべとギターを弾き、トニー&ビルのリズム隊がわちゃわちゃと動く。イッツ・オンリー・トーク。すべてはムダ話だ、と歌うエイドリアン・ブリューの声を聴きながら、俺は今日も、くだらないブログを書く。「Elephant Talk」を聴くにはここをクリック!
2007.12.03
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特集 プログレッシプでいこう!~その2~ジェネシス4作目のアルバムにあたる「Foxtrot」(写真)は、プログレ全盛の1972年に発表された作品である。前期ジェネシスの完成形というだけでなく、プログレッシヴ・ロックを代表する名盤としても知られる一枚だ。各メンバーの演奏力の飛躍的な向上とバンドとしてのまとまりがピーターの創造力を刺激したのだろうか。緻密なアレンジ、バンドのアンサンブル、圧倒的な構成力、どれをとっても最高の出来だが、何よりもメロディの良さを重視した作りがこのアルバムを名作の名にふさわしいものにしている。小林克也のベストヒットUSAでフィル・コリンズやピーター・カブリエルを知り、初めて聴いたジェネシスの曲が「Invisible Touch」だった僕が初めて体験した「プログレバンドとしてのジェネシス」がこのアルバムだった。ここで聴けるガブリエルの繊細かつ変化自在なボーカルは、「ピーター・ガブリエル=スレッジハンマーの人」というイメージが固まっていた僕にとっては「某萌えアニメののロリ声キャラとクレヨンしんちゃんの声優が同じ人」というのに近いくらいのインパクトがあった。それに加えて「Apocalypse In 9/8」で聴けるフィル・コリンズの超絶変拍子ドラムのスゴさ!この人って実はすごいドラマーだったのね… 「Horizons」という美しいギターソロを弾いてる人はGTRの人だったんか~!!さらにマイク&メカニクスの人までメンバーにおる…って…いやいやいや…↑もお~、こんな感じでございますよ。さて、このアルバムというと、22分にも及ぶ組曲「Supper's Ready」がなんといっても有名だが、僕が特に好きなのは1曲目の「Watcher Of The Skies」だ。メロトロン(キング・クリムゾンのおさがりらしい笑)の不穏な響きが印象的なイントロ。そこからフェイド・インしてくるフィルのタイトなドラム、トニー・バンクスのシンフォニックなキーボード、そしてガブリエルのシアトリカルな歌声が耳に残る一曲で、緩急自在なアレンジと演奏はスリリングの一言!70年代の中期までのライブにおけるオープニング曲として使用されたナンバーで、プログレ時代のジェネシスの代表曲のひとつと言っていいだろう。そして一曲一曲が高い完成度を持っていながら、全体でひとつのアートとして完成されているこのアルバムは、まさにプログレのお手本ともいうべき一枚だ。つーコトで「Watcher Of The Skies」を聴くにはここをクリック!(最初の音質が悪いのは原曲の仕様です)
2006.04.18
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ファンカデリックとは、ジョージ・クリントン率いるP-Funk軍団から構成されるプロジェクトである。P-Funkというと、他にもパーラメントとしてのグループ活動が知られているが、このファンカデリックも実体はほぼ同じ(契約上の関係で名前を使い分けているらしい)。彼らの生み出すファンクネスは、JBやスライにも劣らないものであり、ヒップホップをはじめとして後世に多大な影響をおよぼしている。そんな彼らの代表曲と言えるのが「(Not Just) Knee Deep」だ。'79年の傑作『Uncle Jam Wants You』(上ジャケット)に収録のナンバーで、オリジナル・ヴァージョンは15分にもおよぶ大作である。黒人音楽ファンにはもはやクラシックとも言える、おなじみの一曲だ。まずは何といっても、イントロから飛び出すキーボード・リフだろう。ネットリした音色、どこかトボけていながらも人懐っこいフレーズは万人を惹きつけるキャッチーさを持つ。このリフ、実はイントロで聴けるのみなのだが(笑)、これだけでも曲を聴く価値は充分だと思う。もちろん、曲の魅力はそれだけではない。いかがわしくて艶かしいコーラス、クイーカ(猿の鳴き声のような楽器)を全面的に取り入れたアレンジ、そして大きなウネリを持ったリズム隊にはバカバカしくも腰が動く。マイケル・ハンプトンによる、ドロドロでヘヴィなギターも聴き逃せない。同じヴァースを延々と繰り返す構成はテクノ/トランスにも通じるもので、うっとおしくも気持ちよい。これぞファンク。This Is The Funk。少しばかりアクもあるが、ハマると抜け出せない魅力を持ったP-Funk印の一曲です。また、この曲はサンプリング・ネタの定番である事でも有名で、デ・ラ・ソウルの「Me Myself And I」、ボビー・ブラウンの「Get Away」、デジタル・アンダーグラウンドの「Kiss You Back」などを通して様々な人たちの耳に浸透している……かも?(笑この曲だけでも『Uncle Jam Wants You』は購入の価値ありの名盤だが、その他にも聴き所がいっぱい。くわしくはこちらをどうぞとりあえず、「(Not Just) Knee Deep」を聴くにはここをクリック(5分ほどの短縮ヴァージョン)だ。おお~おお、おーおお~♪
2008.06.19
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'72年にジャマイカ録音の「Mother and Child Reunion(母と子の絆)」をヒットさせ、ソロとして好調なスタートを切ったポール・サイモンは、翌年、アラバマの名門、マッスル・ショールズ・スタジオに赴く。そこでの録音曲を含む2ndアルバム「There Goes Rhymin'Simon(ひとりごと)」は、彼のソロ・キャリアを代表する一枚となった。アルバムの冒頭を飾る「Kodachrome(僕のコダクローム)」は、サイモン節とも言えるチャーミングなメロディと爽やかな疾走感を持った、楽しい一曲である。バックもマッスル・ショールズの腕利きミュージシャンが固めた。ダブル・トラッキングによるまろやかなヴォーカル、素朴でいて力強いアコースティック・ギターの音色が印象的(サイモン自身がギターの名手)。馬の足音を連想させるパーカッシヴなリズム・アレンジが躍動感を添える。軽やかに弾むピアノにもウキウキ♪ 後半からエンディングにかけての演奏には思わず体が動いちゃうしっかり作りこまれたプロフェッショナルなサウンドながら、どこかトボけた味わいを残しているのも良いなあ。この曲は'73年7月に全米2位まで上昇。イギリスでもシングル・カットされたが、放送禁止になったためヒットはしなかった。理由は、歌詞の中に実在の商品名(コダックのフィルム)が出てくるからだとか(90年代後半には、コダックのCMにこの曲が使われた)。ちなみに同年の日本では、かぐや姫のあの曲が大ヒットしていたのだが、それも歌詞に商品名が出てくるために紅白に出られなかったという。そういえば南こうせつって、ポール・サイモンの東京ドーム公演にもゲスト出演していたような…閑話休題。ともあれこの曲。サイモンのメロディ・センス、持ち前のフォーキーさと先鋭的なリズム志向、そしてサウンド・プロデューサーとしての資質が見事に発揮された一曲だと思う。この曲は、1981年に行われたS&G再結成コンサートでも、アート・ガーファンクルと肩を並べて歌われた(あまり出来が良くなかったのが残念)。ジャケット・ワークも素敵なアルバム「There Goes Rhymin'Simon」には、他にも名曲がいっぱいさ(詳しくはここを参照)。つーコトで「僕のコダクローム」を聴くにはここをクリック!僕のコダクロームを持っていかないで~♪
2007.11.24
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80年代というのは、Band Aid、Live Aid、U.S.A. For Africaなど様々なチャリティものが流行った時代でもあったが、それらの中にまぎれてこんなのがあったりする。1987年、イギリスのゼーブルッヘで起きたフェリー転覆事故の遺族の義援金のために企画されたチャリティ・シングルで、ビートルズの名曲「Let It Be」が大々的にカバーされる事になった。参加メンバーは、ポール・マッカートニー、当時はまだそこそこ人気があったボーイ・ジョージを始めとして、ケイト・ブッシュ、バナナラマ、アンディ・ベル(ex:イレイジャー)、キム・ワイルド、レベル42、メル&キム、ギターにゲイリー・ムーアとマーク・ノップラー(ex:ダイアーストレイツ)…といった具合に、80人以上のアーティストが集まった。特に、他人の楽曲を歌わない事で有名な歌姫ケイト・ブッシュの参加は当時の話題のひとつだったとか。プロデュースは当時売れっ子だったプロデューサーチーム、ストック・エイトケン・ウォーターマンが担当。イギリスでは当然の如くNo.1を記録。当時「ベストヒットUSA」でもそのビデオクリップが紹介されたのを見てた中坊の僕は、「ほっほう」みたいな感じで見ていた。…のだが、同じイギリスでもBand Aidに比べればどうしても面子に見劣りがするし、このテのものには食傷気味だった事もあって、ビートルズの曲だったにも関わらず、当時ほとんど興奮も感動もしなかったような気がする。世間の皆様も同じように感じられていたかどうかは知らないが、当時もそれほど話題になってなかったような気がするし、今も語り継がれるBand Aid、Live Aid、U.S.A. For Africaに比べて、こちらの方はほとんど忘却の彼方といった扱い。出来は決して悪くないんだけどね。現在ではストック・エイトケン・ウォーターマンの手掛けた曲を集めた「Stock Aitken Waterman Gold」というコンピCDで聴ける。曲はポールの歌から始まるが、これはビートルズのバージョンのボーカル部分をそのまま使ったもの。ただし、自分の曲という事もあってか、ポールはプロモビデオには出演している。後はボーイ・ジョージを始めとして、様々なアーティストがバトン形式でボーカルをとり、最後はみんなで大合唱といういつものパターンで、「よーし、みんなでレリビーうたっちゃうぞー!」みたいな、なんだか微笑ましい仕上がりとなっている。個人的にはマック・ノップラーのギターソロがツボ。ただしビデオクリップは、「電気を消したWe Are The World」といった感じの芸がない作りで、見ててナチャケナイものがある。まあ「We Are The World」のプロモ自体がBand Aidの二番煎じだから、元来文句を言われる筋合いはないのだろうが、これは萎えるまあ今となっては「こんなのもありました」、それ以上でも以下でもないシングルかなあつーコトでここをクリックぅ~!それにしてもフェリー転覆事故に対して「あるがままに」とか歌われてもなあ…※ポム・スフレのホームページでは自作曲の公開や独自の名盤レビューなどを行っています!
2006.07.23
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80's音楽愛好家にとって忘れられない「素晴らしき一発屋」のひとりが、チェンジニア生まれのフレンチ・シンガー、F.R.Davidだろう。彼の代名詞的な名曲「Words」がヒットしたのは、'82~'83年。僕がこの曲を知ったのはそのだいぶ後なのだが、音がクソ悪い安物ラジオからこの曲のメロディが流れてきた時には、何とも心が癒されたものだ。'47年生まれの彼が、F.R.デヴィッドとしてソロ・デビューしたのは20歳の時。その後、バンド活動をしたりヴァンゲリスのアルバムに参加したりと、それなりにキャリアを重ねていったようだが、彼の名が世界的に知れ渡るのは80年代になってから。デヴィッド自らのペンによる「Words」がシングルとしてリリースされたのは'82年。この時彼は35歳になっていた。この曲はイギリスで最高2位まで上がったのをはじめとして、ヨーロッパを中心に大ヒットを記録。ドイツでは11週間1位に輝き、フランス、ベルギー、オランダ、イタリアなどでも軒並み1位を記録したらしい。日本でも、オリコンでの成績はさほどでもなかったが、ラジオやディスコなどではよくかかっていたという。最終的なセールスは全世界で800万枚。一説には2400万枚とも言われているが、そんなハナシもちょっとだけ信じてみたくなる、素敵なポップソングに仕上がっている。口下手な男の気持ちを切々と歌ったこの曲。憂いを帯びたデヴィッドの歌声、シンプルなビート、柔らかくも優しいメロディが胸に沁みる。80's丸出しなシンセの音は、ダサいけどとても温かい。いかにもフランス人らしい聞き取りやすい英語も泣かせてくれる。80'sの香り、ヨーロッパ的な気品と哀愁をたたえたこの曲は、「懐かしい」の一言で済ますには惜しい名ポップ・ソングだと思う。F.R.デヴィッドのヒット曲はぶっちゃけたハナシこれだけ。この他にも「I Need You」「Sahara Night」「Don't Go」などの佳曲もあるが、「Words」の前ではどれも霞んでしまう感は否めない。そういう意味では、悲しいかな「This Is The 一発屋」の名にふさわしい人なのかもしれない……とベスト盤しか持っていない自分が言ってみるそれでも、「Words」一曲だけでもこの人の名はポップス・ファン(注:30代以上)の記憶に残るだろう。現在発売されているベスト盤には上記の代表曲の他に、「Words」の新録バージョンや、アル・スチュワートや10ccのカバー曲なんかも入っていたりする。ポップスが好きな人や、心が癒されたい人などは、この曲を知っていても損はないかもしれない。F.R.デヴィッドの名曲「Words」を聴くにはここをクリック!Words Don't Come Easy To Me(←うう…身につまされるフレーズ…)
2007.11.17
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1984年の全米No.1ヒットであるこの曲は、同名タイトルの映画の主題歌だ。スタジオ・ミュージシャン出身のアーティスト、レイ・パーカーJrにとっての代表曲でもある。『ゴーストバスターズ』は'84年の後半頃から話題になっていた映画で、日本ではクリスマスの時期に公開された。当時オコチャマだった僕も友達と観に行ったのを覚えている。読んで字の如く「オバケ退治」の映画だが、コメディーものに仕立てられており、オバケを掃除機で吸い込むという子供騙しな内容がいかにも80年代的で楽しかった。主題歌はそれ以上に印象的で、♪If there's something strange in your neighborhoodWho you gonna call?Ghostbusters!というキャッチーなリフレインが当時あちこちからシツコイくらいに流れており、僕の耳にもこびりついて離れなかったものだ。『僕が考えたのは誰にでも「ゴーストバスターズ!」と叫ばせる事です。だから何も考えさせないような簡単な言葉でまとめました』-----とは、この曲を作ったレイ・パーカーJr.の弁だが、'84年という年は誰もがそんな彼の手中にハマッていたような気がする。単純かつキャッチーなフレーズを連呼するというポップスの美学の理想形であり、能天気な楽しさをめいっぱい詰め込んだこのナンバーは、80年代ならではの忘れがたい名曲だ。PVも非常に楽しいもので、道端でヘンな踊りをする出演者達のほかに、映画には出ていないダニー・デヴィートやチャビー・チェッカーなどがなぜか顔出していて笑かしてくれますつーコトで「Ghostbusters」のPVはここをクリック!なお、この曲は後に、M(ロビン・スコット)の1979年の全米No.1ヒット「Pop Muzik」(ここを参照)の盗作であるとして訴えられている。さらには、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースからも'84年のヒット曲「I Want A New Drug」のリフをパクッたとして訴えられ、しかも両方に裁判で負けるという集団リンチのような目にあっている。嗚呼、80's……
2005.10.27
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時は1983年。当時EL&Pはもちろん、まだプログレなんて言葉も知らなかった(というか洋楽もロクに聴いていなかった)僕の耳にこびりついていたのがこの曲である。曲のタイトルは「地球を護る者/Challenge Of THE Psionics Fighters」。アニメ映画「幻魔大戦」のメインテーマ曲である。「幻魔大戦」は平井和正と石ノ森章太郎との共作として少年マガジン(1967)で開始されたSF大作。迫り来る大宇宙の破壊者“幻魔”に対して、地球の超能力者達が戦いを挑むという内容で、ハルマゲドン(最終戦争)をキーワードとした、強大なスケールを誇る作品となっている。これを映像化したのが当時隆盛を極めていた角川映画で、監督にりんたろう、キャラクターデザインに大友克洋、脚本に真崎守、アニメーターに金田伊功(特殊効果)という錚々たるメンバーで製作された。役者陣も超豪華。アニメ畑からは、古谷"アムロ"徹、小山"アラレちゃん"茉美(古谷と小山は当時夫婦だった)、池田"メーテル"昌子、永井"波平"一郎。他にも江守徹、美輪明宏、穂積隆信、といった実力派が参加。その中にまぎれて、当時"時をかける少女"だった原田知世が棒読み初々しい演技を披露していたりする。そして、音楽監督として招かれたのが、当時EL&Pを解散させて映画音楽などでお茶を濁していたキース・エマーソンである。サウンドトラック(写真)は、エマーソンと青木望との共同名義で製作される事になった。この「地球を護る者/Challenge Of THE Psionics Fighters」はキース・エマーソンの手による壮大なインスト・ナンバーで、サントラではラストに置かれている。当時、映画のCMや本編のクライマックス・シーンなどでこの曲が使われており、「警告、ハルマゲドン接近」というキャッチフレーズのもと、このメロディがやたらと流れていたものだ。EL&Pでのトレードマークでもあったトリッキーかつアグレッシヴなプレイはここでは影を潜め、聴かせる事に徹したかのようなオーソドックスな演奏が聴ける。時間にして4分10秒というコンパクトさ。エマーソン節ともいえる、いつものハッタリ臭さはそのままに、普段洋楽やプログレを聴かない人にも受け入れられる、聴きやすい仕上がりとなった。エマーソン的でありながらどこかチープなそのサウンドは、「お小遣いかせぎにちょっとやってみましたぁ」みたいな手抜き感も漂う。とはいえ、フレーズの印象深さはなかなかのもの。当時も今も「幻魔大戦」と聞くと、ワシの頭の中にはこの曲のリフレインが高らかに鳴り響くのである。う~んパブロフの犬効果。今聴くと、音色、旋律ともに「朝まで生テレビ」を連想させるのが爆笑。エマーソンの音楽にはピッタリなオチだ(本人が聞いたら怒るだろうなあ…)。なお、映画の主題歌である「Children Of The Light(光の天使)」もエマーソンの作曲、演奏によるもの。ローズマリー・バトラーをヴォーカルに迎えた湿っぽいバラードで、EL&Pからは想像もつかない曲調だが、プログレ経由の産業ロックだと思えば納得もいく(笑)し、これはこれでなかなかの名曲だ。なお、ローズマリー・バトラーは同じ角川映画である「汚れた英雄」の主題歌も歌っていた。ワシはそっちの曲も結構好きだったので、ローズさんも個人的には妙な思い入れのあるシンガーだったりする。閑話休題。で、「角川映画第一回アニメ作品」として大々的に宣伝されていたこの映画。僕も「何だかよく分からないけどスゴそうだ」などと胸を躍らせながら見に行ったものだが、いざフタを開けてみると、映像の綺麗さやスケール感ばかりが先走りして、肝心の脚本や演出が伴っていないという、なんとも中途半端な印象を受けた記憶がある。まあ、あまりにもスケールの大きい原作(未だに未完)のダイジェスト版(をさらに圧縮したもの)だから、しょうがないのかな。。。この作品は、後に石ノ森キャラによるアニメ版も製作された。エマーソンはこの後、グレック・レイクやコージー・パウエルと組んでEL&P(パウエル)を結成。'90年代以降は、安室奈美恵のバックバンドとして来日したり、「ゴジラ・Final Wars」(2004年)の映画音楽を担当するなど、なかなか日本びいきな所も見せている。この「幻魔大戦」の仕事にしても、本人にしてみれば本業の合間を縫ったアルバイトなのかもしれない。だが、それはそれとして、EL&Pとはまた違った意味で、ワシはこの曲が今もなんとなく好きだったりするのであるつーコトで「地球を護る者/Challenge Of THE Psionics Fighters」を聴くにはここをクリック!ちゃーんちゃーんちゃちゃ~♪「Children Of The Light」はこちら。警告、ハルマゲドン接近。↑ノストラダムスをまだ信じていた頃の思い出さ。。。
2007.10.22
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フリートウッド・マックといったら、スティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガムが加入してからの、ポップ・バンドとしてのイメージが一般的だろう。'77年には「Rumours」という可もなく不可もないポップ・ロック・アルバムをメガヒットさせている(全米1位を31週間記録)というハクもあるししかし、フリートウッド・マックというバンドは、元々ピーター・グリーンを中心とした典型的なブルースロック・バンドで、60年代後半にはChicken Shack、Savoy Brownと共に"3大ブルースバンド"と呼ばれていた(そうだ)。キング・クリムゾンの1stと並ぶ"鼻の穴ジャケット"(上写真)が強烈なこのアルバム「English Rose(英吉利の薔薇」は、1969年発表。アメリカ仕様の編集盤であり、日本で初めてリリースされたフリートウッド・マックのアルバムである。ピーター・グリーン在籍時の代表作で、直球ど真ん中といった感じの、もろブルース・ロックなアルバムなのだが、エリック・クラプトンに続くジョン・メイオール門下生だったピーターのブルース・ギターは素晴らしいの一言。その後のピーターの不遇ぶり(墓堀り人夫もやったとか)を考えると、「エリック・クラプトンになれなかったよ」という歌が捧げられてもおかしくないくらいだ。また、サンタナで有名…というか、ほとんどサンタナの曲だと思われている「Black Magic Woman」もピーター・グリーンの作品で、このアルバムに収められているヴァージョンがれっきとしたオリジナルだ。ここで聴けるオリジナル・ヴァージョンは、ラテン的な味付けをしたサンタナのそれよりも、やや重苦しい雰囲気を醸し出しているが、呪術的とでも言えるこちらの演奏も充分魅力的である。もうひとつ、それと並ぶ本作の聴きものが、ラストに置かれたインスト・ナンバー「Albatross」である。"あほうどり"の意を持つこの曲は、69年1月に全英No.1を記録。作者は「Black Magic Woman」同様、ピーター・グリーンである。重く淡々としたリズム。簡素で地味だが、耳に残るギターのフレーズ。何ともいえないムーディ-な雰囲気を持つ曲で、聴いていると吸い込まれていきそうな妖しさが全体を支配している。レスポールを弾くピーター・グリーンはもちろん、当時十代だったダニー・カーワン、スライド・ギターの名手、ジェレミー・スペンサー、三人のギタリストによる一音一音に込められたフィーリングが素晴らしい。アンビエントにも通じるこの空気。渋い。シブすぎる。凡庸なブルース・ロックとは一線を画するナンバーであり、普段その手の音楽を聴かない人にオススメしたい名作である。この少し後に発表されるビートルズの曲「Sun King」(「Abbey Road」収録。作者はジョン・レノン)は、全体的な雰囲気が「Albatross」に実に良く似ているのが興味深い。ジョンが「Sun King」を作る際に「Albatross」に影響された事はまず間違いないだろう。また、同じ「Abbey Road」に収録のジョンの作品「I Want You」は、中盤のリズム・アレンジがフリートウッド・マック版の「Black Magic Woman」を思わせる。この2曲を聴くだけでも「English Rose(英吉利の薔薇」は、一聴の価値ありと断言したい。つーコトで「Albatross」を聴くにはここをクリック!
2007.11.23
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