東方見雲録

東方見雲録

2025.02.11
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カテゴリ: 土木
2003.02.11の日記  ​ こちら

気になる見出し:地下水マネジメント 内閣府





引用サイト: こちら


ちょっとおさらい:利根川東遷



引用サイト:国交省   こちら

古利根川と元荒川の合流域  利根川東遷・荒川西遷 

引用サイト: こちら


引用サイト: こちら
◆◆小合溜井◆◆

宝永の洪水(1704)で亀有溜井の猿ヶ俣の堰が破壊されたこともあり,1729年(享保14)に,猿ヶ俣に小合溜井の堰(締切堤)が設けられ,中川と江戸川が分離された。新宿の堰もなくなり,川幅も広げられた中川・旧中川が古利根川本流の地位を取り戻した。

◆◆綾瀬川のバイパス,葛西用水,上下之割用水◆◆



◆◆中川,江戸川の誕生◆◆

このころには,古利根川(下流だけ)の別名として中川,利根川の別名として江戸川と呼ばれていた。今の利根川は,赤堀川の開削(1654)のあとに完成していたが,水量はまだ江戸川の方が多かったので江戸時代終りまで利根川と呼ばれていたらしい。

ちょっとおさらい:八潮市道路陥没現場

引用サイト: こちら



引用サイト:埼玉県   こちら



引用サイト: こちら


ちょっとおさらい:先人に学ぶ「水の流し方」

石垣は、崩れにくく高く積み上げるために様々な工夫が施されていました。重要なのは内部で、特に裏込め石の厚さが重要な役割を果たしていました
引用サイト:日本城郭協会   こちら


引用サイト:地球守   こちら


「信玄は、甲府盆地の水害を除却せんが為め、釜無川に始めて霞堤を築造し、又水制として優秀なる聖牛、棚牛、尺木牛、胴木牛、尺木垣などの工法を創設し、尚林制を厳にして水源の涵養を図れり」
引用サイト: こちら


現在の羽村取水堰は多摩川河口から上流約54キロメートルに位置し、川をせき止める投渡堰、固定堰、魚類が行き来する魚道及びせき止めた水を取り入れる第1水門から構成されている
こちら


青山士(前列左)のパナマ運河工事は測量のポール持ちから始まったが、2年後には最も難しい水門設計を任された=土木学会附属土木図書館提供
青山は「人類のために尽くす」ことが土木技術者の本懐であり使命、責任だということを体現して見せました。青山の人生のモットーは、“I wish to leave this world better than I was born.”(私がこの世を去るときには、生まれてきた時よりも良くして残したい)であったといいます。

関連日記:2023.01.30の日記 三郷 水害   こちら
関連日記:2024.07.28の日記 防災と祭   こちら
関連日記:2024.03.03の日記 郷土教育 伝承   こちら
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Last updated  2025.02.11 05:46:43コメント(0) | コメントを書く


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