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斎藤ひとりさんの100回聴きシリーズを、昨年からずーっと聴いています。
一ヶ月の間に同じCDを繰り返し100回聞くのです。
終わるたびに新しいCDにすすめるということで、日本から毎回送ってくれる友人Fさんがいなければ、続けられていません。 感謝感謝です! (Fさんありがとう~~~!!!!
)
毎回その時の海にタイムリーなトピックと出会え、ひとりさん特有の言い回しや言葉遊びに笑ったり膝を打ったりしています。
今回は、指導する人と指導される人について。
指導する人に関するいろいろなハウツー本は出ているけれど、指導される側についてのハウツー本はないって、ひとりさんが言います。
本当にそうね~。
指導される側の姿勢がなってなければ、指導する側は後陣の育成がままならないですよね。
指導することが仕事になって久しく、いつの間にか、「自分が指導されるなんて!」と思いがちになってしまうこともあると思います。
言いづらいことや苦言を呈してくれる人がいるということは、本当にありがたい事なんですね。
言われるうちが花・・・というやつですね。
今回のCDで特に深く細胞にしみたのは、こんなフレーズ。
『指導される側の力がなさすぎる』
『指導する力があったとしても指導される力がなければ、あなたはそこまでの力しかない』
『指導力以前に指導される力がないのかもわからない』
『お互いくだらない指導をしあわなくて済むようになる』
『 傷付き合いながら学ぶ必要はない。 互いに教え教えられることをありがとうございます!とやりあえるようになったらいい 』
『(モノや知識に関して)ないものはわけあってあるものは出し合って行けばいい』
『知ってる人がちょこっと教え、知らない人はありがとうという。 円滑に向上できる』
『傷つけあうより助けあう。 そしてどんどんカミ(神・上)に近づいていく』
そうだよね~。
最近あった出来事でまさにそのままを感じたことがあり、相手の誤解から生じたこととはいえ、相手も自分も正直に素直に自分たちの感情を吐露しあい過ちを指摘しあい、双方でうまく指導し合えた・・・というようなことがあったので、上記のフレーズが理解の井戸の深みをさらに広げてくれました。
そう、傷つけあいながら学ぶ必要は、もうないんですよね。
以前、お友達の集まりで「自分たちの子供たちは怒られてもてんで堪えていない」、「怒られるということに関して自分たちの世代とは異なる反応がある」「全然通じるところがない」というようなお話を耳にして、その会話が海には新鮮であり不思議であったんだけれども、そこにもつながるなぁと感じたのでした。
昔の世代(海も含め)は、怒られたり説教をされたりというのは萎縮したり傷ついたり腹を立てたり・・・ということに直結しがちなことだったんでしょうね。
うまく叱られた経験が乏しいのだろうとも思います。
でも、きっとこれからの世界では、世代の新旧にかかわらず、お互いに指導される力が備わった状態になっていくことで、ずいぶんと変わっていくんだろうなぁ・・・と。
親子でも友人でも仕事の人間関係でも、ありがとう!という感謝と愛があれば、説教も苦言も、互いを高めるための共同作業でしかなくなるのでしょう。
ハラショー! (←何故にロシア語!?
)
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