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今、海の周囲や世の中の流れが面白いです。
カナダにいると、たくさんの自然に囲まれてそれはもうゆったりと日常が運びます。
盛りだくさんに物事は展開し、感情は大きくうねったりもすれば、静謐にもなります。
クライアントさんの変化や、友人、家族たちの変化もこれまた面白く、自分自身のこともそうです。
多くの方たちが、それまでできないと思っていたことを始めたり、新たな何かを作り上げたり、表現を押しとどめなくなったり・・・と、それはもう素敵な変化のオンパレードです。
いろいろなところで、全く別の団体が、同じ目標を掲げて寄り合いを開いています。
海個人の変化といえば、え、こんなことセッション中にしちゃってダイジョブなの!? と、素の海がハラハラするようなことも、ガイドさんなのかどなたかが確信を持ってGO!を出します。
やってみると、それがクライアントさんにとってビンゴで、大量なリリースが起こります。
うへぇ~こういうのも、アリなんだ・・・![]()
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そしてクライアントさんたちの変化が早い!それぞれがどんどん自分に還ることを許し、楽しみ、力強くしなやかになっていきます。
う~ん、すごいなぁ、みんな!![]()
時代の波がそれを必要としているんだと思います。プルーフリントを思い出し、過去の記憶を思い出し、続けたり止めたり、出したり引っ込めたりの選択を、意識的にできるようになってきているのです。
意識、マインド。
そう、すべてはこれです。
感情にとらわれていた時代から、感情をうまく利用する時代へ。
それにともなって、意識が拡大し拡散し中心に戻ってくる私たち。
巷で言われているアセンションとか、海、実はよくわかりません。
言語が違う感じで、伝えようとする人たち、渇望(熱望?)する人たちのエネルギーはよくわかるけれど、「アセンション自体」は海の解釈のなかでは、言語化されない何かな様子。
宇宙を説明しようと試みる人達の言葉が、ひとつもピンと来ないのと似ている感じ。
それは、「わからない」んだけれど「しらない」ではなくて。
どちらかというと、わたしが「しっている」(かもしれない)モノから比べると、どの言葉も当てはまらず、どうしてそういうふうに表現されるのかがわからない、がより近いのかもしれないです。
見方の違い、表現のちがい、あり方の違い。
それぞれがそれぞれのペースで、「わたし」という枠組みからどんどん解放されていくとき、またその選択を意識的に行うとき、一人の決断が連鎖的に周囲に多大な影響を及ぼして、数年前では考えられないような変化や進化が即時的に起こるのでしょう。
確信したり揺らいだり、繰り返し繰り返し、自分の軸を確認して、私たちはその階段を登ります。
一歩一歩進むもよし、瞬間移動するもよし。
そして偏っていたバランスが、いい具合にこなれていきます。
最近海が観察していて面白いのが、「脱スピリチュアル」を宣言したり、体現したりする人たち。
それまでそちらの世界にどっぷりだったり、あこがれが強かったりした人たちが、各自の「あ!そうか!!」という気づきを得て、その土壌や環境から自身を一旦引きぬいて、新たなる植え替え作業をしています。
思い出すだけ思い出したから、もう大丈夫、という人もいますね。
どのような状態であれ、各自が根から吸い上げた養分、 受け止めた陽光から醸造された様々な情報はすでに細胞の核にまで染み渡っているので、『スピリチュアル』という枠組みに囚われた生き方をしなくて良くなるわけです。
3次元のもろもろが、スピリチュアルを知らなかった以前と、そこにひたっていた時と、そこを脱してからの多重構造になって膨らみをもち、新しくて悠久の自分としてまた3次元を生きて行く。 同時に多次元に存在して顕在していく。
生きることが思いもかけないほど軽やかに楽にスムーズになって、肉体人間の制限も、感情体の敏感さも、魂の広大さも、すべて同時に実感しながら、最高レベルからの導きで進行できるようになります。
「わたし」という枠と概念の窮屈さとしんどさを感じきったところで、初めてそれらを取り払う方向性が出てきて、その開放を実感して初めて、枠と概念をうまく、そして新たに利用出来るようになってくるんですね。
先日どなたかのブログで、『現代の多様性と貪欲さが、生きにくい側面を作り出している』というようなことを対談されている記事を読みました。 なんでも持っている人たちが、「モノ」では満足できず、それでいて規制の枠組みから自由になりきれない。
いろいろなことができるようになり、便利さや質の高さなどが得られるようになったからこそ、新たに出来上がった枠もありますね。
また、その枠に計らずも引っかかってしまって、抜け道がわからずもがく人たちもいるわけです。
数歩先に進んでいる人達が、そういう状態の人たちに手を貸したりもできる。
欲得ではなくて、人類と宇宙全体の進化のために、愛からの欲求としてそうする。
自分自身が程よくほぐれ花開いている状態であれば、そうしようと意識しなくても周囲がそのような波動にどんどん感染していく。
一つ一つを毎瞬毎瞬を脱ぎ捨てて、いつも「全体性との統一のわたし」でいることの心地良さが、意識の飛躍をさらに促して、今後の地球をより良い惑星に進化させていくのだと、そう思います。
アセンションについて 2011.10.24
流れに乗るということは 2011.10.17
ジェイドと笑いヨガ 2011.07.21