『福島の歴史物語」

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2007.10.13
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 『吾妻鏡』四月八日の項より、次の文を抜粋する。

  二品並びに御台所鶴岡宮に御参り。次いでを以て静女を廻廊に召し出さる。これ舞曲
  を施せしむべきに依ってなり。(中略)左衛門尉祐経鼓たり。(中略)
  静先ず歌を吟じ出して云く、
    よしの山 みねのしら雪 ふみ分て いりにし人の あとそ恋しき
  次いで別物曲を歌うの後、また和歌を吟じて云く、
      しつやしつ しつのをたまき くり返し むかしをいまに なすよしもかな
  誠にこれ社壇の壮観、梁塵殆ど動くべし。上下皆興感を催す。二品仰せて云く、八幡
  宮の宝前に於いて芸を施すの時、尤も関東万歳を祝うべきの処、聞こし食す所を憚ら
  ず、反逆の義経を慕い、別曲を歌うこと奇怪と。(後略)  (注)傍点筆者。

 これに怒った頼朝は、重臣列座の中でこう言った。
「今ここで静の腹を裂いて赤子を取り出し、殺してしまえ! 」
 たしかに残酷な言葉ではあったが、頼朝自身若い時流人の身であり、恋人であった河津祐親の娘の八重との間に生まれていた千鶴丸を殺されていたことから、同じ要求をしたものと思われる。さすがに「今ここで」というのは無理があるという事になったが、後に出産した時に男子であれば即殺す、という事に決定してしまったのである。ちなみに静の子は男の子であったため、生まれると同時に川に投げ込まれた。それはまた、千鶴丸が殺されたのと同じ方法であった。
 義経は平泉へ逃れた。そして文治五(一一八九)年七月十九日、頼朝軍は義経を追って鎌倉を出立し、七月二十九日、白河関の関明神で戦勝を祈願して奥州に入った。八月七日、頼朝軍は阿津賀志山(伊達郡国見町)で平泉勢を破り、九月には平泉の攻撃をはじめた。このとき付き従った者の中に、工藤祐経の外にその一族の者と思われる次の人たちの名が『吾妻鏡』に記載されている。

  土肥次郎實平 土肥彌太郎遠平 工藤庄司景光 工藤小次郎行光 工藤三郎助光
  狩野五郎親光 曾我太郎祐信 宇佐美三郎祐茂 工藤左衛門尉祐綱 工藤三郎祐光

 九月八日、頼朝は平泉戦勝の知らせを持たせた安達新三郎清経を、使者として上洛させた。ちなみにこの安達新三郎は、以前に母の磯禅師とともに静を預かっている。九月十六日、頼朝は静に暇を出した。
 いずれにしても、工藤祐経は頼朝とは強い絆で結ばれることになり、頼朝=祐経体制と評させるまでになった。ところがその体制を打ち壊すことが本当の目的であったと言われた事件が、建久四(一一九三)年に発生した。曾我兄弟の敵討ちである。
 そのとき源頼朝はその武力を見せつけるため工藤祐経を総奉行として富士の裾野で大巻狩を催していた。巻狩とは狩りのことであるが、むしろ軍事訓練の意味合いが強かった。その最後の狩場として、頼朝は白糸の滝付近に陣を構え、祐経の陣は音止の滝の東方に構えていた。その夜の寝静まったところを襲ったのが曾我十郎・五郎の兄弟である。間違えて殺された河津祐泰の妻の満江が曾我太郎と再婚したために河津から曾我に姓が変わっていた兄弟は闇に紛れて襲い、ついに敵討ちを成し遂げたのである。兄弟は駆けつけた祐経の部下たちと渡り合ったが兄の十郎は朝比奈四郎に斬り殺され、弟の五郎は事情釈明のため頼朝の御前目指して走り寄ろうとしたが大友能直に制せられ、小舎人五郎丸に捕らえられたのである。
 翌日、五郎は斬首されたが、そのとき首切り役人はわざと刃を潰した刀を使ったため、五郎の首を斬るのではなく引きちぎる結果となった。その塗炭の苦しみは、目をそむけんばかりの異常なものであったと言われている。そのためにか、後に首切り役人は、五郎の亡霊に大いに悩まされることとなったとも伝えられている。






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最終更新日  2007.11.15 17:14:33
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