『福島の歴史物語」

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2013.11.21
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     地方へ伸びる馬車会社

 明治五年、前述したように新橋=横浜間の蒸気鉄道が開通し、更に東京=高崎間、東京=八王子間、そして京都=大阪間に馬車会社が発足して、日本も長距離馬車輸送時代の幕を開けた。しかしこれは、この短い時期に、蒸気鉄道、馬車鉄道、そして馬車の三種が、完全に歴史を逆にして、日本へ輸入されてきたこととなり、そのために本来馬車から蒸気鉄道への過度的輸送期間であった馬車鉄道が、蒸気鉄道からかなり遅れて新橋に登場したのである。

 同年十月、陸羽馬車会社の設立願いが、高崎郵便馬車会社社長・河津稜威から駅逓寮あてに提出された。明治十二年、浅草・千里軒本社と宇都宮市馬喰町二丁目山城屋間を往復する東京=宇都宮間に陸羽道中運輸会社の出願が提出され、これも許可されている。この両会社がいつまで続いたかは不明であるが、明治十七年頃には東京=白河間を手塚五郎平、白河=福島間を常盤条太郎によって馬車の運行が行われていた。手塚五郎平による東京=白河間の馬車会社は、明治九年の創業といわれている。代々飛脚問屋であった手塚五郎平の手塚舎は、宇都宮の伝馬町に本店を置き、宇都宮=束京、宇都宮=白河の二路線で営業をしていた。

 この馬車は手塚舎の前から発着し、一台に旅客十人ほどと郵便物を乗せ、東京・浅草観音前までの片道に十二時間から十五時聞かかった。発車時間は午前五時、午後一時、午後七時の三回で、途中の小山・古河では馬を替えて運行した。しかし交代したとはいえ、一日に四時間から五時間も走るので、馬が手塚舎に到着するとバッタリ倒れるということもしばしばあったといわれている。このため手塚舎では、明治十四年に馬の慰霊碑を建て供養をしていた。宇都宮市泉町の延命院境内には、この時の「馬頭尊碑」と刻まれた石碑が、今も残されている。

 この手塚舎の所有車両数は、四台から五台で営業していた。しかしこの東京=白河間の馬車も、明治十八年の東京=宇都宮間の蒸気鉄道開通により、同年七月に廃止されてしまった。明治十三年の東京商人録によると、東京=宇都宮間一人の乗車賃は、一円九十六銭と記録されている。

 東北地方で馬車が走るようになったのは、明治十三年頃といわれている。この馬車屋は万里軒というもので、東京・浅草から青森までの間に毎日定期乗合馬車を走らせた。仙台に本社のあった万里軒は、早川組の配下・橋本忠次郎が始めたもので、明治十六年に開業した(佐々久著「橋本店九十年の歩み」所収)。「鉄道の本邦経済に及ぼせる影響」(大正十年鉄道省刊)には、日本鉄道建設以前の仙台=東京間の交通機関として、橋本組の乗合馬車があったと、述べられている。今残されている万里軒の広告によると

   馬車発着刻限
仙台本店  午前六時発
白石駅支店 正午十二時着
      午後一時発
福島支店  午後五時着

福島支店  午前六時発
白石駅支店 正午十二時着
      午後一時発
仙台支店  午後五時着

馬車馬継所
  仙台本店。増田駅。岩沼駅。槻木駅。金瀬駅。宮駅。
       白石駅昼休支店。齋川駅。
  貝田駅。 桑折(こおり)駅。福島支店。
    福島県福島町十二丁目
          万里軒支店。

とある。これを見ると、一日一往復の営業であったのは分かるが、ただ何故仙台=白石間で午前が六時間で午後は四時間、また白石=福島間で午前は四時間で午後六時間と差があるのが、不思議である。それにしても、今なら新幹線で三十分位の所が、十一時間も掛かったことになる。なお十二丁目という町名は、現在の福島市には見当たらない。

 また明治十四年に、宇都宮=白河、白河=福島間の馬車の広告が残されている。白河市本町旅店・内地屋近藤初太郎の盛運社の経営によるもので、二路線となっていた。だがなぜかこの広告の発行年月日と、運賃の所が空欄となったままである。以下にそのコピーを載せる。

 先キニ官許ヲ蒙リ白河卜宇都宮トノ間日々二両ノ馬車ヲ以往復候処今般更ニ又官許ヲ得テ白河卜福島ノ間一両馬車ノ往復ヲ開業仕候間四方ノ諸君深ク御愛顧ノ程伏テ奉希候
 但シ一両ノ馬車卜掲載仕候ハイヅレモ二頭立ノ馬車二付キ随分速走こ仕侯
    月  日
                        盛運社

     発着時限
白 河 午前六時発  大田原 午前十一時着
大田原 午後一時発  宇都宮 午後六時着
 又
宇都宮 午前八時発  大田原 午前十一時着
大田原 午後一時発  白河  午後六時着
  但シ乗車賃銭ノ儀ハ御一人ニ付定価一里二金 銭ノ割

     発着時限
白 河 午前六時発  郡 山 午前十一時着
郡 山 午後一時発  福 島 午後六時着
 又
福 島 午前六時発  郡 山 午前十二時着
郡 山 午後一時発  白 河 午後六時着

白 河 午後六時着
  但シ乗車賃銭ノ儀ハ御一人ニ付定価一里ニ金 銭ノ割
 明治  年  月  日
                   盛運社
磐城国西白河郡白河本町
       旅店 内池屋
           近藤初太郎
   宇都宮=白沢=阿久津=氏家=キ連川=作山=大田原=鍋掛=
   堀越=芦ノ=白坂=白河=矢吹=須賀川=郡山=本宮=二本松
   =松川=清水町=福島

 この広告は、西白河郡矢吹町の円谷重夫氏の所有であるが、展示されていた福島県立博物館では明治十四年と明示してあるので、これに準拠する。




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最終更新日  2013.11.21 09:26:12
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