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未来への架け橋
2013年10月、福島県知事を招いて、ホノルル福島県人会創立九十周年式典がアラモアナホテルで開かれた。そして年が変わって間もなく、ロイさんからメールが届いた。『九十周年式典に参加した有志・約四十人で、福島県知事へのお礼を兼ねて福島県を旅行したいので・・・』という協力要請であった。
—— さあ大変!
急遽私と、福島市に住みホノルル福島県人会会員でもある森口マリアンさんと、『いわきハワイ交流会』の鈴木常雄さんの3人とで連絡を取り合い、計画を立てはじめた。そして翌年の四月、ハワイから県人会のメンバー約40名が、十日間の日程で福島県へやって来たのである。
4月11日、彼らは県庁で佐藤知事と会見、次のような話を頂いた。「ハワイから三十人以上のグループで、しかも十日間も福島県に滞在されるのを歓迎します。放射線被害を受けた福島県ですが、あなたがたが来られたそのことだけで、農産物など食物についても安全だと世界に知らせることになります。福島県に対しての風評払拭に大きな力になるあなた方のふるさと訪問旅行に感謝します」
さらには、行く先々で、次の方々に歓迎して頂いた。
松本友作 前福島県副知事。南相馬市副市長。伊達市副市長。郡山市市長夫人。三春町長。いわき市副市長。
この十日に渡る旅行の間には、いくつかの行事があった。福島県知事を表敬訪問し、郡山の県農業センターで放射能の勉強をし、福島市の桜の聖母女子短大やいわき市の『いわき海星高校』を訪問して寄付をしてくれた。ちなみに桜の聖母女子短大は、太平洋戦争開始時に、敵性外国人とされたアメリカ人などを収容する施設とされた所であり、また県内唯一の水産高校である『いわき海星高校』は、漁業実習のため毎年訪れるホノルルで、福島県人会の温かい歓迎を受けている学校です。それにこの学校は、東日本大震災の大津波で、甚大な被害を受けていたのです。その他にも私たちは、来日前に依頼のあったメンバーのルーツ探しに奔走、依頼のあった次の四人全員を捜し当てることができた。そのうちの三人をそれらの親戚に会わせ、墓参りなどしていただけたが、残念ながら日本側の一人だけは都合が悪く、会わせることができなった。
Kenneth Akasaka 桑折町 赤坂恒雄
Dave Sharon Ansai 三春町 安斉芳夫
Mel Yvonne Watarai 三春町 (渡会)松井邦雄
Aurleen Kumasaka 二本松市 (熊坂)山本正一
今回のツアーには、帰布二世でホノルルでの取材にも応じてくれたヒロシ・ヨシダが、彼の息子のロナルドと一緒に参加していた。帰布後はじめての福島訪問であったと言う。彼らは、森口マリアンの父と弟である。
会津芦の牧温泉の和室に一泊したとき、私は彼らとロイさんと5人の相部屋となった。ヒロシさんはその旅行の間中、、ハワイで私の取材に応じていたにも関わらず、『帰米二世』であった時代の話を一切しなかった。私もまたそのことを口にしなかった。そして彼は何十年かぶりの帰郷であったにも関わらず、日本が、そして福島が変わったという話もしなかった。したのは、子どものころの話だけであった。それは故郷の川の話であり山の話であった。彼は私に同じ話を何度もするので、娘のマリアンが「それは先程、橋本さんに話したでしょう!」と言って止めさせようしたのですが、私はそれを手で遮った。私は彼の表情に、厳しさを感じたからである、その厳しさは、『帰布二世』として、そしてあの戦争を差別の中で耐え抜き、そして生き抜いた者のみが持つ、厳しさであったのかも知れない。この旅は、帰布二世の芯の強さ、そしてそれを受け継ぐ三世や四世たちの愛郷心の強さを改めて感じさせられる旅でもあった。
最近そのヒロシさんから、嬉しいメールが届いた。それには、ホノルルに住んでいる孫娘に赤ん坊が生まれて自分は曾祖父になったこと。彼が中心になって、福島旅行の際に三春デコ屋敷で習い覚えたあのユーモラスな『ひょっとこ踊り』をみんなで楽しんでいるということなどが書いてあった。戦後70年にして、ようやく彼は帰布二世としての心の葛藤から解放されたのであろうか。私は、そうであって欲しいと願っている。そして彼ら帰布二世に限らず、このように行動力のあるハワイの日系人を見て、日本に住む我々も、彼らが望む福島との絆を、大事に繋ぎ止めなければならないのではないかと考えている。
近年、三春国際交流協会・通称ライスレークの家の庭に、ハワイ移民の父と言われた勝沼富造の記念碑が建立された。三春町役場の左隣である。これはハワイの人たちとのつながりを大事にしようと考えた交流協会長の石川直子さんの発案によるものである。ただしこれには、伏線があった。明治時代、すでに富造の父・直親の記念碑が三春大神宮の境内に建立されており、大正になってからではあるが、富造の兄の重親の記念碑が、北野神社の境内に建てられていたのである。今回、富造の記念碑が建てられたことで、親と二人の息子の記念碑が同じ町に建てられたことに、強い縁(えにし)を感じている。
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