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徳川の埋蔵金
ところで規模の大きな埋蔵金伝説に、徳川の埋蔵金があります。大政奉還で徳川幕府が政権を朝庭に返上した翌・慶応四年(1868年)三月、新政府軍は東海道を下り、まさに江戸を総攻撃しようとしていました。その緊迫した情勢の中で、新政府軍の西郷隆盛と幕府の勝海舟との交渉によって『江戸城明け渡し』が決定されて江戸の町は戦火を免れ、徳川慶喜の江戸退去をもって城は新政府軍に接収されました。江戸城に入った新政府軍は、蔵の扉を次々と開けて鉄砲など武器弾薬を押収したのですが、肝心の幕府の御用金の入っているはずの蔵はもぬけの殻、どこを探しても御用金は見つかりませんでした。財政難に喘いでいた新政府は、その資金源として、幕府の御用金を当てにしていたのです。御用金は金360万両、今の金額で約200兆円と見積もられていました。幕府が隠したと判断した新政府軍は、蔵番の役人25人を厳しく尋問したものの誰も白状しなかったため、彼らは全員処罰され、御用金探しが始められました。その探索の手は、大政奉還当時、勘定奉行であったが、今の群馬県高崎市にあった権田村に隠棲していた小栗忠順に及んだのです。
安政五年(1858年)、幕府が開国したのち小栗はフランスと手を結び、横須賀製鉄所、のちの横須賀造船所、そして現在はアメリカ軍横須賀基地になっていますが、これを建設した人物です。勝海舟、榎本武揚、大鳥圭介らと並ぶ開明的な幕臣で、新政府側が最も警戒した人物と言われています。小栗が捕らえられて斬首される直前、小栗は母と身重の妻と養女を、以前から面識のあった旧会津藩家老の横山主税を頼って会津に脱出させました。一行は身をやつし、新潟を経て会津に着いたとされています。彼女らは、松平容保の計らいで旧会津藩野戦病院に収容され、無事に赤ん坊を出産しました。そして、翌・明治二年の春まで、彼女らは会津に留まり、東京へ出たのですが住む家がなく、三井財閥中興の祖である三野村利左衛門に庇護されたと言われます。三野村は、小栗家の奉公人だったのです。
小栗が幕府勘定奉行であったことから、「小栗が幕府の軍資金360万両を持って逃げた」という噂が噂を呼び、更には「利根川をさかのぼって来た舟から何かを降ろし、赤城山中に運び込むのを見た」と言う者まであらわれ、加えて小栗が、江戸開城に伴う幕府側の処分者の中で唯一斬首とされていたことも重なり、「幕府の御用金が赤城山に隠されていることは事実である」と信じた人々が赤城山の各所で発掘を試みたのですが、その中でも発掘に情熱を傾けた家に、赤城山の水野家がありました。親子3代に渡って私財を投げ打って徳川埋蔵金発掘作業にあたってきたのです。この水野家の初代・智義が埋蔵金発掘に目覚めたのは、明治十六年、今から120年前。一世紀以上も前の話です。それはかつて、幕府の武士だった男から、一通の手紙を受け取ったことから始まったそうです。そこに記されていた内容こそ、幕府再興のために隠された軍資金・金360万両の手がかりだったのです。元々、武家の生まれで、幕末は薩長と死闘を繰り広げた智義。その命を賭して奉公した幕府が、最後まで守り抜きたかった宝のありかを記した情報が、図らずとも、彼のもとに舞い込んできたのです。そして明治二十三年には、黄金の徳川家康像を発見し、その後も、近所にある寺の縁の下で、埋蔵金の在りかを記したとされる銅板を入手するなど、手がかりになりそうな遺物はいくつか発見されたのですが、肝心の金貨は一枚も見つかっていません。
時はさらに流れて、1990年代の初頭。徳川埋蔵金発掘は、テレビ番組のプロジェクトによって、再び脚光を浴びることとなりました。企画が組まれたのは、大橋巨泉が MC TBS のエンターテイメント番組『ギミア・ぶれいく』。火曜・ゴールデンタイムの2時間番組でした。コピーライターの糸井重里を中心に発掘チームが結成され、バブル期のテレビ局ならではの莫大な資金をもって実施されたのです。作業開始にあたって番組は「水野家」という祖父・父・子の三代に渡って埋蔵金の発掘に挑戦する一族と手を組みました。
この番組での発掘調査は7度にも及び、視聴率20%を超える人気番組となりました。ご覧になった方も、多いのではないでしょうか。それには自称超能力者の助けを借りるなどし、すでに赤城山で。3代100年以上に渡って埋蔵金を探し続けていた水野家の敷地内にある『源次郎の井戸』を埋蔵場所と推定し、作業に取り掛かったスタッフは最大90名。7台もの重機を駆使し、総額3億5000万円の費用が投じられたと言われます。番組では「正体不明の空洞が!」とか、「幕末のものと思われる重要な証拠が次々と!」など、ちょっとした発見でも過度に煽り、その動向に視聴者は興奮。終わりには発掘のために、最大60メートルの深さまで穴を掘ったり、水野家の一部を取り壊したりもしました。しかし、どんなに手を尽くしても埋蔵金は出てきません。結局、人気を博した徳川埋蔵金プロジェクトでしたが、大きな成果を挙げられないまま終了してしまいました。一説に、徳川御用金の隠されていると言われる赤城山はダミーであって、実際に埋められたのは別の場所ではないか、と囁かれています。番組は手を引きましたが、今でも水野家は発掘作業を続けているそうです。果たして、夢の200兆円は本当にあるのでしょうか。