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先日、NHKおはよう日本で取り上げられた「産後クライシス」。その前半部分、マドレボニータのカップルクラスについて先日レポートしましたが、後半のアイナロハのパパニティ教室(父親学級)について今回はご紹介したいと思います。←前の記事はこちら「産後クライシス!? マドレボニータのカップル講座(1)」「産後クライシス!? マドレボニータのカップル講座(2)」◇◇◇◇◇埼玉県所沢市の産院松田母子クリニックで開催しているパパニティクラス(父親学級)。講師は所沢市を中心に産前産後の家事代行「ままのわ」を手がけるアイナロハ代表の渡辺大地さん。渡辺さんもご自身が産後クライシスに直面した経験から講座を考案したそうです。講座では、女性は産後1か月間家事・育児をまったくできない状態であること、1か月間は内臓(子宮)から出血していること、そういう情報をまずパートナーである男性側に提供します。「産後」って出産を経験した女性だけの秘められ事として語られてきて、男性はもちろん、出産前の女性に取っても未知の領域。自分の臓器(例えば胃)から1か月も出血している!そういう風に自分の身に置き換えて考える機会はなかなかありません。その上で、どのように妻を支えたらよいのか、具体的に妻の目の前で書き出してもらいます。また、妻が落ち込んでいるとき、どのように接したらよいのか考えてワーク。最後に夫から妻への宣言。ある夫から妻への「よく話をして(一緒に)解決していきましょう」というコミットメントに妻の目から涙が。特集の冒頭にもありましたが、妻の愛情はいったん落ち込むとなかなか回復しないということが統計から分かってきているそう。産後の女性は、自分の体と環境が劇的に変化します。物理的な手助けも必要ですが、それ以上に精神的な支えを必要としています。まずは妻とよく相談をする。よく話し合う。妻の体に何が起きていて、妻がどう感じているのか理解しようとする姿勢それが大事なのでしょうね。◇◇◇◇◇番組放送後、父親学級を受けた男性がアイロンがけをしようと思う、妻にDVDを見てもらいリラックスさせようと思う、と発言しているのはレベルが低すぎるという意見もあったようです(まぁ、実際共働きで家庭を回すようになった立場とすれば、なんていう次元なんだと感じてしまいますが)。でもね、よく考えてみてください。産前にパートナーである妻の「産後」を想像する機会って、男性にはほとんどないのではないでしょうか。自治体の両親学級ぐらい? でもそれも、胎児の重さをお腹にぶらさげるジャケットを身に着けて妊婦体験して、沐浴研修して、保健師さんや助産師さんに「妻は大変です!妻を思いやりましょう!」って言われて終わりなのではないでしょうか。妊娠中はお腹が重くて大変そうだけど、出産したらスッキリして、身も軽くなって、もとの元気な妻に元通り!って男性も(もしかしたら女性も!)思っているのでは。臓器(子宮)から1か月も血が流れてる産後がどういう状態なのか、妻の体を理解する、考える機会はなかなかありません。なぜ昔から、産後21日も床上げせず、横になっているのがよし、とされたのか。その理由は秘められてきたから、男性は妻の体で何が起きてるのか考える機会すら与えられてないのが現状です。母子手帳に、産院でもらった入院のてびきに、「産後は安静にしましょう」って書いてあるでしょ?そんなの真面目に熟読する男性ってあまりいないはず。産後は妻と妻の実家に任せておけばいい、産後1か月して帰ってきたら、妊娠前の元気な妻だよね!ぐらいにしか思っていないかも。産後の妻は弱っていて殺気だっていて、しばらくは妊娠前の妻ではありません。別人です!!動物もお産後は興奮しています。人間だって動物です。そう、ホルモンのバランスが劇的に変わるのです。そんな、女性のほとんどは知っている(であろう)情報を、産前に夫であるパートナーが共有してくれていたら、育児のスタートは変わってくるはず!アイナロハさんは、先日設立1周年を迎えたばかり。所沢市以外でも狭山市や千葉県松戸市で父親学級の輪を広げるため日夜活動しています!産後の夫婦の溝を埋めるのは、心の溝を放置しない夫婦の絶え間ない努力が肝心。パパニティの輪が全国に広がっていくことを応援しています!◇◇◇◇◇●株式会社アイナロハ http://www.ainaloha.com/無料で「男の産後手帳」を配布しています!産前産後の家事サポート事業「ままのわ」産後を夫婦で乗り切るための父親学級「パパニティ・プロジェクト」もっと活動を広げるために!産後手帳基金への寄付を募っています。●平日欠かさず更新中!赤裸々な日記に子育て中の父親母親の共感多数!がんばるイクメン?渡辺大地さんのブログ「男ができる産後の準備」
2012年12月10日
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「隣る人」とは、子どもの存在を丸ごと受け止める大人の存在を称して、児童養護施設「光の子どもの家」の理事長菅原哲男氏が作った造語です。映画『隣る人』はその「光の子どもの家」の生活に8年にわたって密着し、その日常を淡々と丁寧に描いたドキュメンタリー作品。◇◇◇◇◇予備知識は、ほとんど入れないで見ました。説明や字幕は一切なく、養護施設の日常と、子どもたちに直接携わる保育士のごくわずかなインタビューだけでまとめられた作品。バラエティー番組のテロップの多用に慣れた私たちには、説明なしの映像と音声でつづられたこの作品、冒頭は登場人物の関係を理解するのに少し苦労するかもしれません。それでも、養護施設で暮らす子どもたちの世界に引き込まれ、見終わった後には保育士の温もりが心の中心にじんわり残る作品です。あらすじのない物語の中心になるのは保育士の「マリコさん」とマリコさんが担当のムッちゃんこと「ムツミ」と「マリナ」の2人の女の子。2人は母親がわりのマリコさんを取り合いながら、ケンカし、ときに傷つけあいながら姉妹のように共に暮らします。マリコさんの温もりに包まれながら。児童養護施設で暮らす子は、理由はそれぞれ異なるものの、親と死別したり、親や家族が何らかの事情を抱えていて、肉親の元で育つことができない「家庭がない」子どもたち。 1人1人が胸のどこかに晴らすことのできない暗い闇を抱えています。施設の保育士たちは、基本的な最小単位の「家庭」が壊れてしまっている子どもたちの基盤を、少しでも建て直そうと腐心します。保育者が子どもたちに心を砕く姿が、淡々と描かれていきます。施設の子どもたちそれぞれを、自分の本当の子どもか、もしくはそれ以上の存在であるかのように接する姿。事情で子どもの担当を変わらなければならないとき、その子の行く末を案じ、もし行き先がなかったら「私が本当の親になってもいいかな」とつぶやく姿。血のつながりはないけれど、そこにある絆は本当の親子以上のもの。マリコさんがお休みの日は、寂しくて、悲しくて、ムツミとマリナはマリコさんへの手紙を書いて気持ちを紛らわそうとします。そして、マリコさんの布団に顔を埋め「いい匂い」とうっとりするのです。◇◇◇◇◇してはならない言葉遣いに、親のように厳しく叱る姿。泣いている子どもたちの心に寄り添い、抱き締めて慰める姿。眠る前のひととき、一緒に布団に寝転がり本を読む声。そして、朝目覚めて食卓に下りると聞こてくる、野菜を切るまな板の音、湯気を立てている鍋の音、そして「おはよう」の声。同じように繰り返される変わらない日常。いつもと同じ保育士の声、温もり、匂い、そして温かい料理。子どもたちの日々が、毎日変わらないリズムの中で紡がれ、その五感が保育士との関わりの中で満たされていること、それがどんなに大切で、どんなに子どもたちに安心感を与えるのか――施設の日常を切り取った映像から、観ている私たちは痛いほど感じることができます。子育ては綺麗事だけではありません。施設の子どもたちも、私たちの子どもたちと同じように憎たらしい面もたくさん見せます。それでもキラキラ輝く純真さや思いやり、保育士への愛情、それを持っていてほんのひとかけらでもかいま見せてくれるから、憎いと感じたことはリセットされて帳消しになってしまう。それは、保育士たちが子どもたちと真心で向き合い、真剣に関わっているからこそ生まれる無償の愛なのだと感じます。物語の途中、母親と祖母がいるムツミの元へ、母親が一緒に暮らしたいと訪れ、関係を再構築しようとします。しかし、結局は歩み寄った先で母親に拒絶され、関係は修復不能になり、ムツミは施設に舞い戻ることとなります。「どんな、ムッちゃんも好き」そう言ってムツミを包んでくれるマリコさん。ずっと一緒だよ。絶対に死なない。大好きだよ。私たちはずっとずっと隣りにいる。その保育士たちの気持ちが、子どもたちにもしっかり伝わります。とても悲しい出来事があっても、乗り越えていけるのは、変わらず自分の隣りに居続けてくれる「隣る人」の存在があるから。物語の最後のムツミの笑顔に、ムツミの「隣る人」であるマリコさんの愛を感じることができます。◇◇◇◇◇子どもたちは大人と違う時間軸を生きています。大人である私たちは、日々に追われ寿命に急かされ、いかに効率的に無駄なく毎日を生きようと必死ですが、子どもたちの目の前にはときには残酷だと感じるほどの無限の時間があります。大人がもったいないと感じるその5分は、子どもにとっては全く違う時間で、逆に私がいかに子どもの心の成長にとって「もったいない」ことをしているのか痛感しました。子どもが育つのに、時間の効率は全く関係ないのです。子どもが親を求めているときに、耳を傾け、手を休めて、目を見て、心で向き合うことが、どんなに大切なことなのか。作品で映し出される保育士の姿から、はたと気づかされるのです。子は親を、育つ環境を、選べません。自分が自分の子どもに取って本当に「隣る人」になれているのか、トゲが胸にチクチクと刺さる映画でした。子育てにつまづいたとき、心の底でわだかまっているその痛みが防波堤となって感情を包んでくれる作品だと思います。◇◇◇◇◇この映画を観る機会を得たのは、神崎町で行われた自主上映会。主催した実行委員の方と別の機会に知り合ったご縁からでした。映画の前後に、長年保育士として子どもたちに携わって来た司会者からお話がありました。その司会者の方が「母親が独りで子育てをしないで」と語りかけたことが印象的でした。核家族が当たり前の現代。子育ては母と子の家庭の密室の中に閉じ込められがちです。頼りとなる父親は会社で長時間労働、親戚のいる地元は遠い。数十年前は当たり前の風景だった隣近所で調味料を貸し借りしたり、「ちょっと銀行に行く間だけウチの子見てて」という親同士の付き合いもありません。大家族で親以外の大人の手があり、地域も子育てを支えていた――そういった人と人の付き合いが希薄になっています。もともと多くの大人たちや他の子どもたちの中で育っていた子ども。今は多くの母親が子育てを一手に引き受けようとして、疲弊しています。専業主婦家庭なら尚更でしょう。虐待、育児放棄、無理心中、そんなニュースで見かける悲しい事件の数々。それを、母親のせいや両親だけのせいにするのは荷が重すぎます。私も子どもを持つまでは、「育てられないなら産まなければいいのに」「子どもがかわいそう」「母親失格」「私はそんな親にはならない」そう思っていました。しかし、差しのべてくれる手が極端に少ない現代で、子育てしている私たち親なら一度は思ったことがあるのではないでしょうか?「一歩間違えば自分がそうなったかも知れない」と。この作品は、子育て世代だけではなく、子育て世代を包むその上の世代にも訴えかけるものがあると思います。物語の中で、映し出されたムツミの母親。ムツミの母親はムツミを手元に置きたいと願いましたが、叶いませんでした。しかし、母親を責めるだけでは問題は解決しないのです。誰もがムツミの母親になるかも知れない。その母親を支えてくれるのは、夫であり、家族であり、親戚であり、友人であり、隣人であり、地域である。家族という最小単位が、地域の温かい多くの手で包まれたとき、悲しい事件はもっと少なくなるはずだと感じることができます。この神崎町の自主上映会は、子育てを終えた世代の方も多く足を運んでいました。地域の方々の心にも温かいものが残ったはず。自主上映会を開催しようと奮闘した実行委員のお母さんたちと、それを支援してくれた自治体と地域の方々。本当に素晴らしい町だと思います。無料の託児環境も整えてくださり、子を持つ親である私も安心して子を託して映画を観ることができました。願わくば、神崎町のような町が増え、地域が母親を、子どものいる家族を、孤立させないように祈るばかりです。そして、働く父親が母親がもっと子育てに時間をかけられる世の中、そして多くの手が差し伸べられる社会になって欲しいと願います。私が今回この貴重な映画を観ることができたのは幸運でした。ぜひ多くの人に、一度ご覧になっていただきたい作品です。子育て世代だけでなく、様々な年代の方に観て欲しいと思う映画でした。映画『隣る人』予告編(Youtube)◇◇◇◇◇●映画『隣る人』ホームページ http://www.tonaru-hito.com/★2013/2/24(日) 岐阜県瑞穂市で自主上映会が行われます★「隣る人」自主上映会 in 岐阜●作品の特質上DVD化の予定はありませんが、誰でも自主上映会を行うことができます。映画『隣る人』の自主上映会を企画してみませんか?
2012年12月09日
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←前の記事はこちら「産後クライシス!? マドレボニータのカップル講座(1)」◇◇◇◇◇「産後クライシス」それはどんな夫婦にも訪れるかも知れない。だって、夫婦の役割が、形が、子どもの誕生で変わるのだから。どんなに幸せだった花嫁でも、絶望する母親になり得るのだ。その溝を埋めすに、放置した先に、いとも簡単に「離婚」の二文字は現れる。産後の夫婦の認識のズレを放置せず、お互いを思いやり、新しい自分たちの役割を、人生の変化とともにリバランスして行ける夫婦が、本当の夫婦になれるんじゃないかな。◇◇◇◇◇だから、意識的に会話をすることや夫婦だけの時間を作ることは重要。夫婦のギャップを放置してしまって、時間が経って溝が埋めづらいとき、会話の糸口がつかめないとき、マドレボニータのカップル講座のような「場」は、夫婦のズレをリセットするとてもよい機会になると思う。夫婦という閉ざされた関係を、他のカップルも一緒に参加している、少しだけ公の場を使って開くのだ。また他のカップルとワークをシェアすることで、自分たちの夫婦間のわだかまりを一旦脇に置いて、何が自分たちに起こっていて、何が自分たちの問題なのかを冷静に考えることができる。きちんとお互いに向き合うことができるのだ。マドレボニータのカップル講座、今は不定期開催だけど、まずは関東各県に、そして全国に広がるといいな。私も夫を引きずって行って(笑)参加したい!かんぽ生命さん、目の付け所がいいですよ。他の生命保険屋さん、学資保険や保障の見直し、かんぽさんに持ってかれちゃいますよ!? な~んて。生命保険会社だけでなく、いろんな企業が後援して、カップル講座の輪が広がるといいな~!番組の後半は、父親学級を提供しているアイナロハさんのレポートだったのですが、この感想はまた後日!(ごめんなさい、渡辺大地さん!)◇◇◇◇◇●NPO法人マドレボニータ http://www.madrebonita.com/「産後の女性のためのボディケア&フィットネス教室」(通称:産後クラス)や、妊娠中の女性のための「にんぷクラス」を全国順次展開中!★12/21(金)に吉祥寺で緊急チャリティ講座開催!★通常は☆男子禁制☆のボールエクササイズですが、今回は男性も参加できます!詳しくはこちら→「男子解禁☆チャリティーボールエクササイズ」バランスボールを体験してみたい男性も女性も集まれ~!
2012年12月04日
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12/2(日)朝放送したNHKニュースおはよう日本で取り上げられた「産後クライシス」。「産後クライシス」って最近よく耳にするけど、クライシス=危機?産後の夫婦仲の危機ってこと?大げさじゃない?なーんて、思っていました。父親である小山径アナウンサーが、「うちは大丈夫だよ~」という雰囲気を冒頭かもし出していて、共演の江崎史恵アナウンサーに突っ込まれてました。(お2人の小芝居がうまい!)「産後クライシス」って言葉が一人歩きしてしまっているような感じがするけど、番組を視聴してみて、ようするに根本の原因は、女性が母親になるタイミングと、男性が父親になるタイミングの「タイムラグ」なのかな、と思いました。私たち夫婦は大丈夫!と思っているところに落とし穴は潜んでいるのかも。◇◇◇◇◇言い古されていることだけど、女性はお腹に子が宿ってから、10か月かけて母親としての覚悟を決めて行く。それに対して、男性はパートナーの妊娠中、父親としての役割が人生に追加されることに無自覚、もしくは課題を先送りしていて、子が誕生してから父親の役割にようやく向き合う人がほとんどなんじゃないかな。そして夫婦は、子どもが生まれたら今よりもっと幸せな家族に「自動的に」なるとぼんやり思ってる。実際はそれぞれ母親、父親としての役割が増えて、その役割に馴染むのには時間がかかるのに。そして子どもが増えて馴れない育児に追われ、子の誕生前のように夫婦二人で意識をすり合わせする時間なんて意識して作っていない。そして、親としての自覚が男性よりもできている女性側が、育児と家事と、社会から孤立した孤独を、パートナーである夫に言えずに一人抱え込んで、我慢する。「私は仕事をしていない(もしくは休んでいる)。だから育児と家事の大部分を引き受けるのは当たり前。不満や不安や体の不調は我慢しなくちゃ」と。そのとき父親である男性側は、こう思ってるんじゃないかな。生まれたばかりの子は反応も薄いし、泣いて、ミルク飲んで、とろとろと寝てるだけ。なんか、妻も馴れない育児で大変そうだし、赤ちゃんと2人で寝かせておいてあげよう。「俺の出番はまだ当分ないな」「子どもも生まれたんだし、仕事がんばって、残業もしていっぱい稼がなくちゃな」「カミさんは今仕事していないし、家のことと子どものことはしばらく任せて大丈夫だろう」「カミさんの実家が付いてるし、今は俺が口出ししちゃマズイだろう」と、決め込んでしまうんじゃないかな。産後、母親は体がツラいし、授乳リズムもつかめないし、孤独だし、ホルモンバランスの急激な変化で精神状態は不安定だし、本当は、今だからこそ、パートナーと気持ちを、大変さを共有したいのに。そして時間が過ぎて、いつか母親側が爆発するのだ。例えば、産後の興奮が覚めて、妻がまともな精神状態を取り戻し始めた頃に。ベビーバスでの沐浴が終わって、父親が子どもと一緒にお風呂に入り始めたり、「あー、うー」となんていう喃語が出始めて、父親が子をかわいいなと感じた頃に。「こいつ、俺に似てかわいいなー」「毎日お風呂に入れてあげて俺ってイクメン!」父親がそう思ったころに、ふと感情を言葉に出したときに、そんな、ふとしたきっかけで、そう何かの言葉の弾みで、「今さら父親ヅラ?」と母親が爆発するのだ。今まで、私はこんなに我慢してきたのに。ツラかったのに。孤独だったのに、と。そのギャップが、きっと「産後クライシス」。★続きます→
2012年12月04日
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