rainywoods2001

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2010.03.31
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物も  心も 実在しない。
というと仏教徒みたいだが、
物理学者がそう主張していたとなると痛快。

音速の単位に名前を残す、エルンスト・マッハの思想は
感覚一元論、感性的要素一元論、
などといわれる。精神物質二元論に対する表現だ。
ふつうの文系のひとの書いた入門的な哲学史にはあまり名前がでてこないけど
科学史には欠かせない人物で
その影響力は アインシュタインら科学者はもちろん、

、と幅広いそうである。
(木田元「マッハとニーチェ」「反哲学と哲学」などによる)
アフォーダンス理論、や構造構成主義もあげられるのでは
ないだろうか。


物と心、双方の実在を 形而上学的な余計なものと切り捨てる 
マッハにとってリアルなのは「感性的諸要素」のみ、
物も心も実在せず 「感性的諸要素」から構成される対象、
いわば 実在ではなく 仮説として存在する実在モデル
のような存在であるようだ。

外界があるから見え、見る者がいるから見える

感覚世界にはそれを成立させている原因があり
感覚世界の向う側に、こちら側の奥に。
ほんとうの実在があるという想像が
「この現実は嘘であり 現実の背後に本当にリアルな世界があるかもしれない」
この世界は 映画「マトリックス」みたいな包括的な懐疑の対象になる。

しかし マッハ的な考え方は 
感覚世界がもっともリアルという考えの復権させ
プラトニズムに対する解毒剤になると思う。

マッハの思想の源流は カントを読んだことであるそうだが
カントに残存していた決して人が知りえない現実の背後の
物自体の世界を 形而上学的な無用考えとしりぞけ
ヒューム、バークリィに 近い考えをつくりあげたそうだ。

バークリィの「存在とは知覚である」も
デカルトのプラトニズムにたいする痛快なパンチだった。
絶対的な確実性の保障を求める傾向には
同じくらい 感覚世界への強力な懐疑がつきまとう。
数学者、科学者でもあったデカルトに その両面は
見事にあらわれている。

懐疑の対象である世界を確実なものにするには
絶対確実な私が確実な数学的法則で世界を記述しつくせばいい。
世界の背後に真にある統一的な法則こそリアルである。
多くの科学者がとりつかれていた考えはそういうものであるらしい。

科学が成功するにつれ 一般人にも
この現実はみかけだけのもので その背後にある科学的世界像こそ
ほんとうの世界像であるというプラトニズムが浸透していく。
ニーチェやフッサールが 危機感を持っていたのは
そういう世界像なのであろう。

人が知覚しようがしまいが
客観世界は確かなものとして存在する、
という理由で マッハ的な思想系譜は軽んじられてきたのだろう。

知覚外の世界を信じているのは 
日常的にはなんの問題も無い。生存に必須の信仰だろう。
それは知覚の可能性を信じているということではないのか。
人類以前の地球なんて姿を想像できるのも
もしそれを知覚するものがいたらという想定なのだろう。

科学的世界像を検証しているのは 実は感覚である。
客観世界に対する想念はかわりうる。 
科学は 更新され修正されうる 仮説と
モデルを提供しているわけで それを 有効にしているのは
感覚の世界なのであった。

錯覚にたいする常識もおかしいところがある。
感覚そのものは 実はまちがえない 正誤の対象外だ。
感覚の解釈という想念が 間違うことがあるわけだろう。





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Last updated  2010.03.31 21:56:32
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