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片手の不自由な野口英世(ノーベル賞・細菌学者)が、幼年時代に「どぜう」を家計の足しにするべく毎朝のように小川で捕って、街で売っていた、という逸話を子供の頃読んだ覚えがある。
この話は、実話ではないようだが、当時の東北での貧しい暮らしぶりを良く表していると思う。
小生の育った土佐の高南台地は、鮎の棲む清流の長曲大河・四万十川の上流にあたり、長曽我部氏の命で開墾が進んだ田圃を護るために上流の小さな支流には無数の堰があり、澱んだ支流には、鯉(ひげがある)、鮒(ひげがない)、鮠、鰻、鯰(形はグロテスクだが味は淡泊で美味)などがたくさん棲み、釣り、各種のしかけ(延縄、編み込んだ筒状竹籠など)で捕獲するのが、こども時代の楽しみであった。
堰から灌漑用水路が田に延びており、産卵期には鯉、鮒などが水田に水が引き込まれると同時に遡上して、魚卵を生み付ける。
しばらくすると、田圃や、小川は小魚で溢れかえる。
それを、竹ひごで編んだ大きな網で捕まえるのが楽しかった。
大きな魚は食べられるが、小魚はただ捕まえ、金魚鉢などで飼ったものだった。
しかし、たくさん取れすぎると、お金持ちの立派な池にこっそりと「放流」したものだから、高級魚が酸欠で死ぬという、ハプニングを起こしたものだ。
小生は、「学校の先生の子供」(両親や祖父も先生だったし、父は勲四等瑞宝章を授かったほどの教育者であり、まわりの人は小生を模範生のように期待していた様な気がする)であったが、両親が構わないのをいいことに、勉強を一切せず、身体の弱い割には山野を愛犬と駆け回り、川や小川を荒らしまわった、いわゆる「一人悪餓鬼」であった。
脳幹梗塞を理由にするまでもなく、文章の内容が面白くもなく、構成が無茶苦茶なのは、まったく勉強をしなかったためである(蛇足も蛇足でもうしわけない)。
「どぜう」はいくらでもいた。
田圃の畦道で、「どん」と足音を立てると、水が濁る、何も見えない。
また、「どん」と踏むと、濁りの中から、サッと細長く、口髭のある筒状の生物が身体をくねらせて顕れ、またサッと泥に潜る。
これが、「どぜう」であり、小生の田舎では、泥の中にもいる「鰻」、「鯰」までは食べても、「どぜう」は食べたことがない。
小さくて骨ばかりのようで、泥の中にいるから臭くて食えない代物とおもっていた。
むしろ、どうせたべるなら、きれいな湧き水の近くに棲む「田螺」の方が、味は磯の「鮑」に似て美味しいと思うくらいである。
上京して、両国で「どぜう鍋」(まるごと)や柳川鍋(ひらき)を友人から薦められたことがあり、食べる時には目をつぶったものだった。
しかし、食べてみると、骨は少しあったが、泥臭くなく、一緒に食べる玉子がおいしく感じさせてくれた。
土佐湾の「どろめ」のほうが小生にはもっともっとおいしいとおもうが。
WEBで「どぜう」を調べると、「土生」が原語のようで、「ドジョウ」(どぢょう)は4文字なので「縁起」が悪く、「看板」に不向きなそうな。
「どぜう」は雑食性で、田圃の中の「ユカリカ」の幼虫など、何でも食べ、田圃の掃除屋として、有益な小魚である。
野田内閣が「どぜう内閣」と公言しているが、「どぜう」は生命力旺盛な小魚で、「汚濁した永田町」(小生は永田町を知らないが報道はきまってそのように形容する)の「土壌」にあっても、危険が迫るとサッと隠れて、水が澄めば現れ、悪の幼虫を雑食し、「永田町土壌」の浄化・再生を行う、有益な「どぜう」の精鋭集団であってもらいたい。
金魚のように、お金のある人が開発飼育した観賞用・愛玩用高級魚を立祭る集団であっては困る。
野田内閣が、濁って澱んだ政界から、悪をついばみ、良いものも、悪いものも、すべてを吸収して浄化する「どぜう」の浄化能力でもって、根気強く、したたかな政策運営をするのを期待したい。
固定化したマニュフェストを守るだけのパフォーマンスではなく、「こくみん、みんなが笑って暮らせる世の中」をつくる、地道でフレッキシブルな改革姿勢を見せてもらいたい。
外国人報道陣が理解できない、「どぜう」を標榜することが、水の中で「サッと」隠れる姿とあいまって、呆けには面白いと感じるのだ。
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