めいてい君のブログ

めいてい君のブログ

PR

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

めいてい君 @ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

Category

寄稿(宇治見、マドレーヌ、トキめき橋氏ほか)

(64)

自由が丘氏寄稿文

(189)

Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など

(326)

政治・経済(国内統計etc.)

(711)

世界、国際比較(国際統計etc.)

(226)

生活全般

(128)

基本事情(各国)

(114)

アジア州

(256)

ヨーロッパ州

(291)

北米地区

(202)

中南米地区

(112)

オセアニア州

(104)

中東地区

(51)

アフリカ州

(126)

宇宙の不思議・開発etc.

(71)

気候変動など

(7)

津波・自然災害

(30)

自然の脅威、驚異etc.

(47)

資源・エネルギー(陸・海洋etc.)

(49)

発電・原発事故・放射能事故

(74)

金融(事件含む)

(128)

PC・家電

(229)

スポーツ・余暇・車

(264)

栄養・健康

(143)

病気・伝染病など

(190)

事故・災害

(102)

福祉・厚生・年金問題

(59)

公害

(15)

流通(商品)・廃棄関連

(17)

新技術

(30)

友人・知人・地縁等

(40)

土佐の高知

(63)

(49)

お墓・葬儀・戸籍

(24)

ガーデニング&DIY

(14)

TV番組

(15)

海外旅行

(6)

国防/テロなど

(41)

財政・税・電子証明など

(28)

自治体、地元、遺産など

(37)

店舗

(6)

公衆道徳/法律など

(26)

裁判/調停

(7)

宗教

(21)

ブログ

(31)

テンプレート(表形式etc.)

(3)

DVD収録など

(6)

ホームページ、ウエブ会議など

(48)

祝い事など

(13)

会社時代

(22)

学生時代

(7)

物語り

(43)

経済学研究

(26)

思考紀行

(73)

作業中マーク(終了次第削除)

(0)

洞察力

(1)
Sep 13, 2011
XML
カテゴリ: 会社時代
母は、音楽の教師をしていた。
中学時代の音楽の先生は、母のことをよく知っていたらしく、小生の声が美声でないにもかかわらず、良い点を付けてくれた。
また、高校時代に、母の知人に全国クラシック・ギター・コンクールで優勝した人がいて尋ねてくれたこともあった。
そのころ、RADIO放送ではスチール・ギターの音が心地よく流れていた。
バッキー白片などのハワイアン全盛期である。
小生は、音響版のない、小型の電気ギター(レスポール・ギターという)を親父に買って貰い、横に置いて、「短く重い丸い棒」を動かして、スチール・ギターのまねごとをしていた。
和音も正確でなく、雑音が沢山はいるが、音痴の小生には、異国の香りを自分なりに感じたものだ。
高校の学芸会に余興で出るほどの、強心臓であったのは自分でも驚く。
なぜか、小生にはみんながやさしく接してくれた時代である。

資金は「バイト」でそれぞれが工面した。
件のギター先生の「友人の友人」が、バッキー白片のバンドにいたことがあるというので、顧問に来ていただいた。
小生は、手取り足取りで、「丸い棒」の動かし方を習った。
レパートリーは数曲だが、その数曲だけは編曲が素晴らしくて、いちおう聞くに耐えたと思う。
大学での「初演奏のみ」は学園祭のクラスの模擬喫茶店だったと思う。
他のクラスはプロもどきもいて、上手だったが、小生達は若気の至りでまったく気にしなかった。
会社に入っても、また、その先生に顧問に来てもらい、短い期間だが若者達で「ハワイアン・バンド」を組んだ。
そうそう、忘れてはならないのは、早稲田の有名バンドで鳴らしたウクレレ・ボーカリストの2年先輩や、BASEが得意な同期もいたことだ。
彼達のお陰で素人ながら、引き締まったバンド演奏が組めたのである。
エレベーターで楽器を運んでいる姿を、学生時代から知り合いのお偉方に見られたが、驚いただけで、咎められはしなかった。
出演は、会社の運動会だけである。

小生の手の動きは、高校時代から巧くなく、左手は意図しない弦を跨って押さえてしまうし、右手はトレモロがちぐはぐな雑音を奏でてしまうのだが、ハワイアン・バンドでの「スチール」は音量が大きく、多少のミスも素人には判りづらい、のが「ミソ」であった。
下手な空手の練習で、ますます、微妙な指の動きができなくなり苦戦したが、この時ばかりは楽しかった。
素晴らしい若い美の女神達がいたからなのだが。
女性達と音楽の勉強と言っては、本物の「バッキー」や「大橋節夫」を聴きながら、ジャズ喫茶・銀座ACBなどで駄弁り、他方では、包容力のある先輩達と神田の飲み屋「六文銭」の二階などで囲炉裏を囲み「審査の方法論やあるべき姿」を「真面目に」議論したものだった。

そのような「若かりし頃」が、小生にもあったことを述べたかっただけである。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Oct 31, 2013 03:58:12 PM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: