いつも陽気にズブロッカ
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13年程前だろうか、その店は突然として姿を消した。老夫婦が経営していた、仙台一高そばの「遠藤商店」という駄菓子屋である。街の小さな駄菓子屋が潰れていくのは、当たり前。「その出来事」がなかったら、ちょっと寂しい思いがする程度で、たいして気にも留めなかったかもしれない。そして、時の流れとともに遠い記憶の彼方へ忘れ去られていただろう。「その出来事」のことを想像すると、僕は今も心の片隅に刺々しい痛みを感じる。そして、生きているならば、どうしても貴方にもう一度会ってお話をしたい。足が悪く、そして、余命幾ばくもなかったかもしれない貴方が、僕に会う為に必死で私の家を探し回っていたのだから。そして、僕はそんな貴方に会うことができなかったのだから。※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ バブルが崩壊して間もない、1990年代前半。ちょうど高校生だった僕。子供のころから「ふがし」に目がない僕にとって、その駄菓子屋の存在は大変ありがたかった。その店こそ「遠藤商店」である。店主は、当時75歳弱の老夫婦。僕のじいちゃんより少し若かったと記憶している。遠藤商店は平屋のおんぼろで、10畳程度の広さで大変狭かった。店の奥は、老夫婦の居住スペース。そこも店の中と同じように、とても狭かった。近所の子供たち(通称:連坊ガキ)を相手に細々とやっているような店だ。「昭和の駄菓子屋」。そんな風情。僕は初め、友達に誘われてこの店を訪れたが、そのうちに一人でも入り浸るようになる。昼休みのおやつに、大好物のふがしを購入するついでに、老店主と仲良く会話するのが楽しみの一つだった。老人とは色々な話をした。戦時中の話、野球をやっていた話、僕の弟も野球やってる話、僕の実家の話、家族の話、駄菓子屋の経営がいかに難しいか。老夫婦の子供が中田のあたりに住んでいること。その他、いろんなこと。残念なことに、何を話したか、今ではほとんど思い出せない。今、思い出すのはおじいちゃんの笑顔だけである。そんなこんなで仲良くなった僕に、おじいちゃんは僕が購入するお菓子以上のおまけ(駄菓子の山である)を付けてくれるようになった。悪いので断っていたが、それでも「もってがい!」と無理やり押し付けてくる。仕方なく受け取ることとしたが、僕が次に来る時には、実家で取れたトウモロコシや野菜を持っていた。とても喜んでくれた。そんなやり取りが、何回か続いた気がする。そして、1995年に高校を卒業。卒業式にもこの店に挨拶に行ったかもしれない。でも、この頃には、お店におばあちゃんしかいなかった。おじいちゃんは、体調を悪くして入院していたようなのだ。おばあちゃんに聞いたら、「足が悪くて・・・」という話をしていた記憶がある。高校を卒業してからは、残念ながら、この店に入った記憶がない。まず、勉強にアルバイトに恋愛にと忙しく、この店のことを振り返る余裕がなかった。そして、ふと立ち寄ったことも2回ほどあったが、残念なことに店がしまっていたのだ。当時は、たまたま店が休みなんだろう程度に思っていたはずだ。もしかすると、この時、既に閉店してしまっていたのかもしれない。遠藤商店が閉店したことが「確実に」分かったのは、1998年頃だったと思う。店が無くなって、更地になってしまっていたのだ。それを見た時、大切な場所が無くなってしまい、とても悲しかったのを覚えている。だが、その悲しみも僕はすぐに忘れ去る。就職活動、卒業論文の作成、爺ちゃんのガン発病、そんなものが悲しみや感傷やその記憶すら吹き飛ばしてしまった。「忙しさ」は濁流のように、遠藤商店という言葉すら、もう遠くまで追いやっていた。2000年4月、就職で東京に出た私にとって、遠藤商店は既に過去のことであった。私の目の前には、大きな未来が開けていた。大きな輝きに満ちた未来。そんな若者に過去のことを振り返る余裕はなかった。 街の小さな駄菓子屋が潰れていくのは時代の流れ。潰れてしまって寂しいな。そんな程度の気持ちになっていたかもしれない。※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 2000年の秋ぐらいだったと思う。私の5歳下の妹からの、突然の連絡だった。「お兄ちゃん、駄菓子屋やってたというおじいさんが、お兄ちゃんを探してたよ! たぶん、お兄ちゃんのことだと思うんだ・・・。何だろう、あれ・・・。」月並みな言葉で恐縮だが、ハンマーで背後から殴られた感覚を覚えた。遠くに流れ去っていた記憶が、一気に湧き上がるのを感じた。妹の話はこうだ。ある日、妹は大学へ行くために実家に一番近いバス停で、バスを待っていたらしい。そこへ、自転車を引いた「おじいさん」が来たという。そして、妹にこう言ったそうだ。「自分は一高の傍で駄菓子屋をやっていた」「店によく来てくれた子を探している。会いたいと思って自転車で来た」「仙台一高に通っていた子は、この辺にはいないか。弟がいて野球部の子」妹は、自分の兄のことかもしれない、とは思ったそうだ。しかし、実家の場所、自分の兄だということを、きちんと彼に話せなかったらしい。なぜなら運悪く、彼女が待っていたバスがやって来てしまったから。バスに乗ったものの、気になった妹が僕に連絡をよこしたのだ。この連絡を耳にし、僕から妹へ遠藤商店に関する一連の経緯を伝えた。その経緯を聞き、妹はとても悔しがったことは言うまでもあるまい。手術と入院を何度もしていたおじいちゃん。80歳くらいになっているおじいちゃん。おばあちゃんの話から、足も余り良くないのに。そんなおじいちゃんが、田んぼしかない辺鄙な田舎へ、10キロ以上はある道のりを、わざわざ自転車に乗って探しに来た。「すでに東京に出てしまった僕を探しに」。もしかすると、また探しに来るかもしれない。そんな淡い期待を持ったりもした。父や母にも経緯を話し、おじいちゃんを見かけたら厚くもてなすようにという話もした。しかし、その後、おじいちゃんは近所に現れることはなかった。おじいちゃんは、一体僕に何を伝えたかったのだろう。何故、病弱な老体を鞭打ってまで会いに来たのだろう。今では、全く分からない。※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 妹がおじいさんと会ってから、10年が経った。私の記憶もかなり曖昧となり、まさに擦れきった紙のようになってしまった。遠藤商店を知っている人がいた場合には、必ず聞くことにしている。「おじいさんとおばあさんの行方はご存知ですか?」と、しかし、この10年間、この答えにYESと言った一人も人物はいなかった。おじいさんは、今でも元気でいらっしゃるのだろうか。元気でいてほしい。元気な彼に直接会って、彼に話しかけたい。あの時、何を言うために、僕を探しに来てくれたのか、と。そして、ありがとう、と。
2011.01.05
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