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2011.01.05
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カテゴリ: カテゴリ未分類





老夫婦が経営していた、仙台一高そばの「遠藤商店」という駄菓子屋である。




街の小さな駄菓子屋が潰れていくのは、当たり前。

「その出来事」がなかったら、ちょっと寂しい思いがする程度で、

たいして気にも留めなかったかもしれない。

そして、時の流れとともに遠い記憶の彼方へ忘れ去られていただろう。



「その出来事」のことを想像すると、僕は今も心の片隅に刺々しい痛みを感じる。

そして、生きているならば、どうしても貴方にもう一度会ってお話をしたい。



足が悪く、そして、余命幾ばくもなかったかもしれない貴方が、





そして、僕はそんな貴方に会うことができなかったのだから。





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 





バブルが崩壊して間もない、1990年代前半。



ちょうど高校生だった僕。


子供のころから「ふがし」に目がない僕にとって、

その駄菓子屋の存在は大変ありがたかった。


その店こそ「遠藤商店」である。




店主は、当時75歳弱の老夫婦。

僕のじいちゃんより少し若かったと記憶している。


遠藤商店は平屋のおんぼろで、10畳程度の広さで大変狭かった。

店の奥は、老夫婦の居住スペース。そこも店の中と同じように、とても狭かった。





「昭和の駄菓子屋」。そんな風情。




僕は初め、友達に誘われてこの店を訪れたが、

そのうちに一人でも入り浸るようになる。


昼休みのおやつに、大好物のふがしを購入するついでに、

老店主と仲良く会話するのが楽しみの一つだった。







戦時中の話、野球をやっていた話、僕の弟も野球やってる話、

僕の実家の話、家族の話、駄菓子屋の経営がいかに難しいか。

老夫婦の子供が中田のあたりに住んでいること。

その他、いろんなこと。



残念なことに、何を話したか、今ではほとんど思い出せない。

今、思い出すのはおじいちゃんの笑顔だけである。




そんなこんなで仲良くなった僕に、おじいちゃんは僕が購入するお菓子以上の

おまけ(駄菓子の山である)を付けてくれるようになった。


悪いので断っていたが、それでも「もってがい!」と無理やり押し付けてくる。


仕方なく受け取ることとしたが、僕が次に来る時には、実家で取れたトウモロコシや

野菜を持っていた。とても喜んでくれた。


そんなやり取りが、何回か続いた気がする。




そして、1995年に高校を卒業。

卒業式にもこの店に挨拶に行ったかもしれない。



でも、この頃には、お店におばあちゃんしかいなかった。

おじいちゃんは、体調を悪くして入院していたようなのだ。

おばあちゃんに聞いたら、「足が悪くて・・・」という話をしていた記憶がある。





高校を卒業してからは、残念ながら、この店に入った記憶がない。



まず、勉強にアルバイトに恋愛にと忙しく、この店のことを振り返る余裕がなかった。



そして、ふと立ち寄ったことも2回ほどあったが、残念なことに店がしまっていたのだ。

当時は、たまたま店が休みなんだろう程度に思っていたはずだ。


もしかすると、この時、既に閉店してしまっていたのかもしれない。




遠藤商店が閉店したことが「確実に」分かったのは、1998年頃だったと思う。


店が無くなって、更地になってしまっていたのだ。

それを見た時、大切な場所が無くなってしまい、とても悲しかったのを覚えている。




だが、その悲しみも僕はすぐに忘れ去る。


就職活動、卒業論文の作成、爺ちゃんのガン発病、そんなものが

悲しみや感傷やその記憶すら吹き飛ばしてしまった。


「忙しさ」は濁流のように、遠藤商店という言葉すら、もう遠くまで追いやっていた。




2000年4月、就職で東京に出た私にとって、遠藤商店は既に過去のことであった。

私の目の前には、大きな未来が開けていた。


大きな輝きに満ちた未来。

そんな若者に過去のことを振り返る余裕はなかった。



街の小さな駄菓子屋が潰れていくのは時代の流れ。

潰れてしまって寂しいな。



そんな程度の気持ちになっていたかもしれない。





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 





2000年の秋ぐらいだったと思う。


私の5歳下の妹からの、突然の連絡だった。



「お兄ちゃん、駄菓子屋やってたというおじいさんが、お兄ちゃんを探してたよ!

 たぶん、お兄ちゃんのことだと思うんだ・・・。何だろう、あれ・・・。」



月並みな言葉で恐縮だが、ハンマーで背後から殴られた感覚を覚えた。

遠くに流れ去っていた記憶が、一気に湧き上がるのを感じた。




妹の話はこうだ。



ある日、妹は大学へ行くために実家に一番近いバス停で、バスを待っていたらしい。



そこへ、自転車を引いた「おじいさん」が来たという。

そして、妹にこう言ったそうだ。



「自分は一高の傍で駄菓子屋をやっていた」


「店によく来てくれた子を探している。会いたいと思って自転車で来た」


「仙台一高に通っていた子は、この辺にはいないか。弟がいて野球部の子」




妹は、自分の兄のことかもしれない、とは思ったそうだ。

しかし、実家の場所、自分の兄だということを、きちんと彼に話せなかったらしい。



なぜなら運悪く、彼女が待っていたバスがやって来てしまったから。



バスに乗ったものの、気になった妹が僕に連絡をよこしたのだ。




この連絡を耳にし、僕から妹へ遠藤商店に関する一連の経緯を伝えた。

その経緯を聞き、妹はとても悔しがったことは言うまでもあるまい。




手術と入院を何度もしていたおじいちゃん。

80歳くらいになっているおじいちゃん。

おばあちゃんの話から、足も余り良くないのに。


そんなおじいちゃんが、田んぼしかない辺鄙な田舎へ、10キロ以上はある道のりを、

わざわざ自転車に乗って探しに来た。



「すでに東京に出てしまった僕を探しに」。





もしかすると、また探しに来るかもしれない。


そんな淡い期待を持ったりもした。父や母にも経緯を話し、おじいちゃんを

見かけたら厚くもてなすようにという話もした。


しかし、その後、おじいちゃんは近所に現れることはなかった。





おじいちゃんは、一体僕に何を伝えたかったのだろう。


何故、病弱な老体を鞭打ってまで会いに来たのだろう。


今では、全く分からない。





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 





妹がおじいさんと会ってから、10年が経った。


私の記憶もかなり曖昧となり、まさに擦れきった紙のようになってしまった。




遠藤商店を知っている人がいた場合には、必ず聞くことにしている。

「おじいさんとおばあさんの行方はご存知ですか?」と、

しかし、この10年間、この答えにYESと言った一人も人物はいなかった。




おじいさんは、今でも元気でいらっしゃるのだろうか。


元気でいてほしい。


元気な彼に直接会って、彼に話しかけたい。




あの時、何を言うために、僕を探しに来てくれたのか、と。



そして、ありがとう、と。










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Last updated  2011.01.06 01:27:19
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