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誰しも、子供の頃夢中で聞いた曲があることでしょう。時折、その曲をふと思い出したりして、昔に思いを馳せたりします。。。そんな訳で、僕が子供の頃好きだった「懐かしの子供向け音楽」を勝手にランキングしてみました。若い方は、分からないモノが多いだろうなぁ~。10位 ほえろマンモス君この曲、なんとなくサビの部分がお気に入りだったんだよね。あとはマンモスが塔をよじ登るところが何となくキュートだったの。9位 まっ暗もりの歌ちょっぴり怖いところが何となく印象に残ってる。特にフクロウが眼を光らせるシーン。曲は落ち着いた感じで、耳に残りやすい感じ。 8位 いっぽんでもにんじんこれは名曲でしょう!コミカルな歌詞とマンガは、とても印象に残りますな。今でも歌えます。でも、当時「シチメンチョウってなんだ?」と思ってました。7位 パタパタママ母親に寝かしつけられるときのテーマ曲でした。うちの母ちゃんもセッカチでもじゃもじゃパーマだったので、マンガの印象がだいぶ重なっています。6位 おふろのかぞえうたイェイイェイ、イェイイェイ、ワワワワ。声が変に変わっていくところをよく真似てました。5位 まるさんかくしかくこれも母親に寝かしつけられるときの定番ソング。子供心ながら「△星は住みにくそうだな」と思ったなぁ。4位 ラジャ・マハラジャーこの曲、最初は相当怖かったし、嫌いだった。オリエンティックな間奏部分など気持ち悪かったわ。でも、段々と癖になってきて、口ずさんだりしちゃってたのね。3位 ホネホネロック歌詞が何気に「人食い酋長」→「ジャングル酋長」に変わってたりして、時代背景に思いを馳せたりします。このノリノリ感、今でも通じますな。ちなみに、うちの長女の寝かしつけソングがこれ。2位 メトロポリタン美術館この曲も最初とても怖いと思ってたの。嫌いだったし。でも、何となくふわふわした声で耳には残るんだよねー。名曲と言えるのではなかろうかと思います。1位 赤鬼と青鬼のタンゴ意味がよく分からない歌詞だけど、インパクトはぴか一。途中のウサギちゃんたちもとても可愛いし、バイオリン出したりしてとてもコミカル。途中での変調もステキ!「およげたいやきくん」「はたらくくるま」「北風寒太郎」は、惜しいところまで行きましたが、残念ながらランク外でした。数十年前の曲だけど、久しぶりに聴くととても新鮮に感じますよね。皆さんも、たまーに、ユーチューブなどで検索してみては?
2011.02.23
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13年程前だろうか、その店は突然として姿を消した。老夫婦が経営していた、仙台一高そばの「遠藤商店」という駄菓子屋である。街の小さな駄菓子屋が潰れていくのは、当たり前。「その出来事」がなかったら、ちょっと寂しい思いがする程度で、たいして気にも留めなかったかもしれない。そして、時の流れとともに遠い記憶の彼方へ忘れ去られていただろう。「その出来事」のことを想像すると、僕は今も心の片隅に刺々しい痛みを感じる。そして、生きているならば、どうしても貴方にもう一度会ってお話をしたい。足が悪く、そして、余命幾ばくもなかったかもしれない貴方が、僕に会う為に必死で私の家を探し回っていたのだから。そして、僕はそんな貴方に会うことができなかったのだから。※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ バブルが崩壊して間もない、1990年代前半。ちょうど高校生だった僕。子供のころから「ふがし」に目がない僕にとって、その駄菓子屋の存在は大変ありがたかった。その店こそ「遠藤商店」である。店主は、当時75歳弱の老夫婦。僕のじいちゃんより少し若かったと記憶している。遠藤商店は平屋のおんぼろで、10畳程度の広さで大変狭かった。店の奥は、老夫婦の居住スペース。そこも店の中と同じように、とても狭かった。近所の子供たち(通称:連坊ガキ)を相手に細々とやっているような店だ。「昭和の駄菓子屋」。そんな風情。僕は初め、友達に誘われてこの店を訪れたが、そのうちに一人でも入り浸るようになる。昼休みのおやつに、大好物のふがしを購入するついでに、老店主と仲良く会話するのが楽しみの一つだった。老人とは色々な話をした。戦時中の話、野球をやっていた話、僕の弟も野球やってる話、僕の実家の話、家族の話、駄菓子屋の経営がいかに難しいか。老夫婦の子供が中田のあたりに住んでいること。その他、いろんなこと。残念なことに、何を話したか、今ではほとんど思い出せない。今、思い出すのはおじいちゃんの笑顔だけである。そんなこんなで仲良くなった僕に、おじいちゃんは僕が購入するお菓子以上のおまけ(駄菓子の山である)を付けてくれるようになった。悪いので断っていたが、それでも「もってがい!」と無理やり押し付けてくる。仕方なく受け取ることとしたが、僕が次に来る時には、実家で取れたトウモロコシや野菜を持っていた。とても喜んでくれた。そんなやり取りが、何回か続いた気がする。そして、1995年に高校を卒業。卒業式にもこの店に挨拶に行ったかもしれない。でも、この頃には、お店におばあちゃんしかいなかった。おじいちゃんは、体調を悪くして入院していたようなのだ。おばあちゃんに聞いたら、「足が悪くて・・・」という話をしていた記憶がある。高校を卒業してからは、残念ながら、この店に入った記憶がない。まず、勉強にアルバイトに恋愛にと忙しく、この店のことを振り返る余裕がなかった。そして、ふと立ち寄ったことも2回ほどあったが、残念なことに店がしまっていたのだ。当時は、たまたま店が休みなんだろう程度に思っていたはずだ。もしかすると、この時、既に閉店してしまっていたのかもしれない。遠藤商店が閉店したことが「確実に」分かったのは、1998年頃だったと思う。店が無くなって、更地になってしまっていたのだ。それを見た時、大切な場所が無くなってしまい、とても悲しかったのを覚えている。だが、その悲しみも僕はすぐに忘れ去る。就職活動、卒業論文の作成、爺ちゃんのガン発病、そんなものが悲しみや感傷やその記憶すら吹き飛ばしてしまった。「忙しさ」は濁流のように、遠藤商店という言葉すら、もう遠くまで追いやっていた。2000年4月、就職で東京に出た私にとって、遠藤商店は既に過去のことであった。私の目の前には、大きな未来が開けていた。大きな輝きに満ちた未来。そんな若者に過去のことを振り返る余裕はなかった。 街の小さな駄菓子屋が潰れていくのは時代の流れ。潰れてしまって寂しいな。そんな程度の気持ちになっていたかもしれない。※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 2000年の秋ぐらいだったと思う。私の5歳下の妹からの、突然の連絡だった。「お兄ちゃん、駄菓子屋やってたというおじいさんが、お兄ちゃんを探してたよ! たぶん、お兄ちゃんのことだと思うんだ・・・。何だろう、あれ・・・。」月並みな言葉で恐縮だが、ハンマーで背後から殴られた感覚を覚えた。遠くに流れ去っていた記憶が、一気に湧き上がるのを感じた。妹の話はこうだ。ある日、妹は大学へ行くために実家に一番近いバス停で、バスを待っていたらしい。そこへ、自転車を引いた「おじいさん」が来たという。そして、妹にこう言ったそうだ。「自分は一高の傍で駄菓子屋をやっていた」「店によく来てくれた子を探している。会いたいと思って自転車で来た」「仙台一高に通っていた子は、この辺にはいないか。弟がいて野球部の子」妹は、自分の兄のことかもしれない、とは思ったそうだ。しかし、実家の場所、自分の兄だということを、きちんと彼に話せなかったらしい。なぜなら運悪く、彼女が待っていたバスがやって来てしまったから。バスに乗ったものの、気になった妹が僕に連絡をよこしたのだ。この連絡を耳にし、僕から妹へ遠藤商店に関する一連の経緯を伝えた。その経緯を聞き、妹はとても悔しがったことは言うまでもあるまい。手術と入院を何度もしていたおじいちゃん。80歳くらいになっているおじいちゃん。おばあちゃんの話から、足も余り良くないのに。そんなおじいちゃんが、田んぼしかない辺鄙な田舎へ、10キロ以上はある道のりを、わざわざ自転車に乗って探しに来た。「すでに東京に出てしまった僕を探しに」。もしかすると、また探しに来るかもしれない。そんな淡い期待を持ったりもした。父や母にも経緯を話し、おじいちゃんを見かけたら厚くもてなすようにという話もした。しかし、その後、おじいちゃんは近所に現れることはなかった。おじいちゃんは、一体僕に何を伝えたかったのだろう。何故、病弱な老体を鞭打ってまで会いに来たのだろう。今では、全く分からない。※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 妹がおじいさんと会ってから、10年が経った。私の記憶もかなり曖昧となり、まさに擦れきった紙のようになってしまった。遠藤商店を知っている人がいた場合には、必ず聞くことにしている。「おじいさんとおばあさんの行方はご存知ですか?」と、しかし、この10年間、この答えにYESと言った一人も人物はいなかった。おじいさんは、今でも元気でいらっしゃるのだろうか。元気でいてほしい。元気な彼に直接会って、彼に話しかけたい。あの時、何を言うために、僕を探しに来てくれたのか、と。そして、ありがとう、と。
2011.01.05
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実家は仙台の六郷というかなりの田舎にある。田舎と言えば、欠かせないのが「田んぼ」。家の周りにはものすごい数の田んぼがあるんだよ。もう、人より田んぼが多いくらい。田んぼが多いので、当たり前だけど、水路も沢山あるの。水路には、たくさん生き物がいて。鯉・フナ・ゲンゴロウとかさ。その中でもよく遊んだのは、やっぱり「ザリガニ」。やったことない人がいるかも知れないが、ザリガニ釣るのは結構スリルあるんだよ。モバゲーの釣りゲームなんて目じゃないね。スルメを掴んだザリガニを如何に釣り上げるか。ワクワクしたね。それで、そのザリガニ君なんだが、結構、死体を見かけるんだ。甲殻類は、「脱皮」するんだけど、失敗して死んでる。脱ぎ損ねた殻と一緒になって死んでるのね。身体に脱ぎ損ねた殻が絡まって動けなくなったの。子供心ながら、そいつらを見かけた時は、「せっかく大きくなろうとしたのに残念だね」って、とても可哀そうな気持ちになったよ。ザリガニを始めとした甲殻類は、成長するごとに自らの殻を脱ぎ捨てる。大きくなるごとに今まで自分を守った殻を捨てるのね。そして、もっと大きくなる。これって、人類にも言えることじゃないのかな。今までまとった「殻」を脱ぎ捨てて、より一層成長する機会が多数あるよね。例えば、進学した時、就職した時、異動した時、転職した時。いや、人と交わるとき、つまり、結婚した時や子供が生まれた時、親と同居する時なんかも自らの殻を捨てる時かもしれないね。また、考える癖、主義、常識、習慣、立場、地位、職業、会社、なんてのも「殻」に入ってくるだろうしね。人間も甲殻類と一緒で、まとった殻は、一定期間たったら、捨てなきゃ成長しないんだと、僕は思うんだよ。外せないものもあるけど、はずそうとしてみる努力も必要だと思う。裸の自分になって、新しい殻をまとってみることは大切だと思う。でも、殻を捨てるのってホント辛いし難しい、のね。だって、今まで自分を守ってきたガードだもの。捨てたら、裸に近い感覚になるんだから。裸で街歩けないのと同じだね。寒いし痛いし、何より攻撃されたら守れないから、とても怖い感じ。殻が無くなっちゃうと、とにかく不安で、恐怖ばかり抱くと思うんだ。でも、捨てなきゃ、大きくなれないんだよね。思いきって、勇気を持って、捨てなきゃいけない時もあるんだと思うんだよ。そうじゃないと、子供の時に見たザリガニのように、自分の殻にまみれて、死んでしまうんだ。殻を大事そうに抱いて、静かに死んでいく。人間だから、ザリガニみたいに本当に死ぬわけじゃない。でも、もうそれ以上成長もせず、濁りきった殻を抱きかかえて、表向き満足しているように小さい身体でずっと暮らすんだ。そんな人、沢山いるじゃない。街に溢れてるよ。俺はそうはなりたくない。俺はそうはなりたくない。そうはなりたくないんだよ。
2010.12.10
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僕は非常に忘れっぽい。原因は明らかなのだが、一つの行動を取っている最中に、もう一つの行動に移行する際、前者の行動を無意識全自動で行っているからだと思う。もう少し、注意深く自分の行動を見つめられれば良いと思うのだが。。。この無意識全自動の時間に、物をどこかに置いたままにしておいたりして、無くしてしまうことが非常に多いのだ。とにかく探し物をしない日が無いほど忘れっぽいので、試行錯誤を繰り返した結果、探し物を見つけるコツのようなものが、段々と身についてきた。今日は、僕が良く行っている探し物探索の方法について書いてみたい。僕と同様に探し物に大変苦慮なされている方の一助となればと思っている。--------------------------------------------------- ■◇ 探し物を見つけるためのコツ 4カ条 ◇■---------------------------------------------------【コツ1】可能性のある場所を書き出すこと。 意外と焦ってやたらめったら手当たり次第に探している事が多い。 何度も何度も同じ場所を探してしまうと、時間と手間が大変無駄に なってしまうと感じた。 ここは一度冷静になって、可能性のある場所のリストを作るべきだ。 リストはその物を無くす前の最後に使ったところから、無くしたことに気づく までの 自分の行動を慎重に一つ一つ思い出して作成する。 日常生活の中で無くしてしまったものに関しては、置いておいたと記憶する 場所を中心にリストアップを行う。 可能性のある場所は全てリストアップした方が良い。 場合によっては、リストアップの作業中にふと思い出して、すぐに発見に至る というケースもあると思う。【コツ2】記憶をあまり信用せず、先入観を取り除いてリストに追加する コツ1でリストアップしたものに、更に付け加えを行う必要がある。 実は、「記憶は自分が信用しているほど当てにならない」ものなのだ。 過去の記憶は。その後大きくゆがめられていることが多い。 いや、そもそも記憶はバイアスにより多少なりともゆがめられるものなのだ。 まずは、コツ1でリストアップした場所は一切忘れよう。 そして、一呼吸して気持ちを落ち着けて、今一度リストに追加を行う。 自分の記憶に頼らず、先入観を取り除いてもう一度考えてみよう。 例)無くした物はそもそも本当にバインダーに入っていたのか? 赤いクリップで閉じたと思ったけれど、本当は黄色いクリップでは 無かったのか? 置いたと思っている場所に本当に置いたのか? 等々【コツ3】深呼吸&リラックス。そして、物を見つける自己イメージ作る。 さて、リストアップが終わったら、深呼吸して眼をつぶり、心を落ち着かせ よう。 探し物で一番の敵は「焦り」と「恐怖」。 この二つは、あなたから「冷静さ」「機転さ」を取り除き、悪い方向に持って とんでもない大敵である。本格的に探す前に、この二つを取り除く必要が あるのだ。 深呼吸して落ち着いたら、物が見つかるという自己暗示をかけよう。 その物をイメージして、自分が見つけた姿を想像してみるのである。 成功する姿をイメージすることは、心理学的にも有用であると科学的 裏付けがあることなのだ。 ちなみに、僕はこの自己暗示で、忘れ物の場所を思い出した事もある。【コツ4】リストアップした場所を丹念につぶしていく コツ3まで来たら、リストアップした場所を丹念に探していこう。 これは、会社の営業マンが、取引先となりそうな企業をリストアップして つぶす作業にとても似ている。 先ほど作ったリストの場所を丹念に当たった後で、無かった場所には、 バツ印を付けて、二度と探さないように注意する。 この方法でその場所を丹念に一つ一つ当たっていけば、たぶん、自己原因に より無くした物は、大半が見つかってくると思う。 (但し、第三者の悪意により盗られたりしたものや第三者に絡んで運ばれて 締まったものは、ここでも見つからないだろう。この段階まで来て見つか らない場合、第三者の可能性も考えてみた方が良いと思う)以上が、僕の探し物の見つけるためのコツである。昨日も大切なカギを無くしてしまったのだが、今日落ち着いて探して見つけることができた。コツ2の記憶違いの段階で見つけることができた。置いたと思いこんでいた場所とは、全く別の場所に置いていたのだ。これを無くしたら、会社で始末書を書かなければならなかったので、大変ホッとしている。先ほども書いたが、探し物に苦慮なされている方がいらっしゃったら、是非これらの方法を一度試してほしい。あなたの大切なものが、すぐに見つかることを祈っております。えーっと、あとは・・・、ここまで偉そうに話していたので、大変申し上げにくいのですが、僕に、そもそも「物を無くさないコツ」を誰か教えてくださいっ!!
2010.11.13
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「わらしべ長者」というお話を知っているだろうか。観音様のお告げを受けた男。彼が転んで手にした1本の藁から始まり、行く先々で良いものと(結果的に)交換することで、最後はお嫁さんをもらい長者にもなってしまった、というお話である。彼のたどった交換は、以下の通りだ。転ぶ → 藁 → 藁+虻 → 蜜柑 → 反物 → 馬 → お嫁+金持ち指数関数的な勢いで、長者への階段を駆け上がっている事がわかる。この「わらしべ長者」を子供と一緒に何気なく見ていたわけであるが(まんが日本昔ばなし by Youtube)、私はこの物語に成功の秘訣が隠されていると感じた。<わらしべ長者にみる成功の秘訣>1.信念を持つべし 男は、観音様のお告げを馬鹿にせず、ずっと最後まで守った。 最後まで貫き通すような信念があれば物事を成就できるのでは?2.挫折でも何かを掴むべし 一番最初に転んだ(=挫折した)が、めげずに藁を掴んだ。 そして、長者へのスターダム(?)を一気に駆け上がった。3.小さなことでも馬鹿にするなかれ 「たかだか藁1本」と思って捨ててしまってはいけないということだ。 「小さなこと」を馬鹿にしてはならない。一事が万事!4.人のために尽くすべし 人のために惜しげもなく自分のものを差し出すことで、より大きな 何かを掴むこととなる。時として、昔話や童話というものは大変勉強になる。ハッとさせられる事も多いね。今一度、童心に帰り、昔よく見た昔話を堪能してみてはいかがだろうか。▼【ご参考】まんが日本昔ばなし「わらしべ長者」http://www.youtube.com/watch?v=3_wmfsn4XSM
2010.11.02
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「奇跡」。辞書で引くと、以下のように出てくる。きせき【奇跡】常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象当たり前だが、我々は「めったに奇跡など起こらない」と思っている。例えば、チリの炭鉱での救出劇。30人が2カ月に渡り地下に閉じ込められ、そして、彼らは無事に助けられた。事故自体めったやたらに起きるものではないし、また、中にいた方たちの極限状態における精神力・団結力も素晴らしかった。外にいた方たちの努力も奇跡の一つであろう。この事故のような例は、確かに我々の定義している「奇跡」に近いと言えるだろう。常識では起こり得ないような物事、だからだ。少し話題を変えよう。私の「父と母の出会った経緯」についてお話をしたい。父の生家(父は婿養子)と私の実家は近所であり、お互いに面識はあったものの、たいして仲が良いものでもなかったらしい。幼小時代でもあり、6歳の年齢の差は断崖絶壁のように大きかったのだろう。父は中学を出た後、当時よく言われていた「金の卵」として、すぐさま東京へ出、そして一生懸命働いた。6人兄弟だったこともあり、家計も苦しく、3人目だった父は、自ら働きに出ることとしたとのことだ。父が東京に出てから、10数年後。父の父(つまり私の祖父)が病気となり、東京にいた父が仙台に呼び戻されることになる。いつ亡くなるかというほどまでだったため、情が厚い父は東京での勤めを辞め、改めて仙台に住むこととした。当時、母は20歳をちょっと越えたくらいの美しい女性へと成長していた。(当時の写真をみると、二重のくっきりしたとても美人な女性であった。還暦の今、どちらかといえば「ガチャピン」に似ているが…)母には、当時気になる異性がいた。その人は、たまたま「父と同じ姓」だった。戻ってきた父は、家が近所であったこともあり、たまたまそんな母を見かけたらしい。そして父は母を一目で気に入った。その後、悩んだ末、電話することとなる。意を決して、父は電話でデートに誘ったわけであるが、ここで面白い誤解が生じていた。先ほど述べた母の気になる異性は、たまたま父の旧姓と同じ名字だった。母は気になる人と勘違いして、デートの現場に向かうこととなったわけだ。母はびっくりしただろう。近所にいるだけで、あまり面識のない父がその場にいたのだから。初デートは南町通りにあった「蕎麦屋」だったらしい。高度成長期の1970年代、もっと良さそうな場所があると思うのだが。。。父のセンスのなさがとてもイタイ感じがしてしまうけれども、母はそこに実直さや真面目さを感じ、好感を抱いたらしい。かくして、あれよあれよとお付き合いが深まり、父と母は結婚することとなる。父は大変真面目な性格だったため、幾度となくデートしたが、キスはおろか、手すらも母と繋ごうとしなかったらしい。結局初夜を迎えたのは、結婚旅行先の京都の旅館とのことだ(母談)。京都だった理由は、父が大の飛行機嫌いだったため、列車でも行ける場所を優先的に選んだとのこと。そして、その結婚旅行によって、私が誕生することとなる。さて、ここで私が誕生する確率を考えてみたい。・父が6人兄弟で東京に働きに出なかったら?・父が東京で一人身でなかったら?・祖父が病気せず、父が仙台に戻らなかったら?・帰仙した父が母を偶然見かけなかったら?・母が電話で勘違いしなかったら?・父が実直な性格じゃなかったら?・父が飛行機が嫌いじゃなかったら?・結婚旅行が京都じゃなかったら?もし、これらの問いに一つでも「NO」があった場合、私はこの世に誕生しなかったこととなる。これらの事象を鑑みると、確率的には途方もないほどの「天文学的確率」で私は誕生したと言えるだろう。(そもそも精子の受精を考えるだけでも1.5億分の1であるが・・・)これは、確率的にまさしく「奇跡」とは言えないだろうか?そして、さらにあえて言えば、先祖の数だけこの天文学的数字が繰り返されているわけで、それらをさらに掛け算して私は誕生しているということになる。宝くじなんか目じゃないね。奇跡だよ、奇跡。人が誕生することは奇跡なんだよ。序盤から引っ張りすぎて、だいぶ文章が長くなってしまったが、私が申し上げたいのは、「いわゆる奇跡というものは、特別なことではなく、常に日常に溢れているものではないか?」ということである。上記に記したとおり確率論的にいえば、「特定の恋人と人生で出会うこと」は奇跡といえるだろう。ましてや、「その人と結婚すること」はさらに奇跡。恋人までいかずとも、「同僚や友人と出会うこと」も奇跡。素敵なお店を見つけることも奇跡。気に入った音楽や映画と出会うことも奇跡。いやいや「道端での犬や猫とのすれ違い」すら奇跡になる。このような天文学的確率で人が何かに出会うならば、その出会いは「何らかのチカラに導かれて生じている」と感じないだろうか。(神とは行かないまでも)何かの命を受けて(それは何かわからないが)、我々はこの世に生を受けた。そして、それを全うするために、誰もが今を生きている。その一人一人が、一生懸命生き、そして互いに出会い、その結果、この世は複雑に形成されていく。こう考えると、ちょっとした日常の一つ一つの出来事も、薄汚れたツマラナイものだったもの、彩り豊かな大切なものへと変化していかないか。退屈でくたびれた人生も、実はそれは奇跡に鮮やかに彩られた素晴らしいものなのではなかろうか。そして、それらの中心に我々は存在しているのではないか。そう考えると、何となくやる気が出てきそうな感じがするね。
2010.10.30
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つい最近、実家の改築工事が終了した。特に変わったのが、お風呂場とトイレ。お風呂は、何だかよくわからんが、広く浅くという最新鋭(?)のものらしいし、トイレはウォッシュレットが完備されていることはもちろんのこと、とにかく強力に渦を巻いてウンコを連れ去ってしまうタイプが導入された。それらを「凄いべ~」と言いながら、自慢げに説明する親父に対し、「凄いね。ありがとう」とは返事しつつも、少し胸につかえるような、一抹の寂しさを感じてしまう自分もいた。何となく、自分の大切なものが一つ、無くなってしまったように感じていたからである。その昔、実家の風呂場は「薪風呂」だった。僕が大学に入る頃、ようやく普通のお風呂になったのだが、それまでは、ずっと「薪」でお風呂を沸かしていた。小学生の頃、薪をくべてお風呂を沸かすのが私の仕事だった。古びたストーブのような重い鉄の塊の中に薪を詰めこみ、下から新聞紙をうまく間に入れて、最後に火をつける。うまくいくと、やがて乾いた木の焼ける、心地良い香りがして、煙突を駆ける炎の音が「ゴー、ゴー」と周りに響きだす。この音が聞こえれば、もう安心。後は薪をドンドンくべればよい。なので、煙突から「ゴーゴー」という音を聴くと、「ふー、一仕事終えたぜ」という心地よい感覚を感じたものだ。もちろん、雨の日はなかなか火がつかない時もあったりして、当時7時から放送していた「ドラゴンボール」を見るために、焦りながら、一生懸命に火をつけたこともある。お会いしたくはない「お友達」も、沢山登場してくれた。特に、クモ君、毛虫君、げじげじ君、カマドウマ君には、よくお会いしたものだ。薪をどけた瞬間に、ワサワサと出てこられる恐怖感たるや、今でも忘れられないね。暖炉の置いてある場所は、半分屋外なうえ、とても温かい。彼らにとっても過ごしやすかったのだろう。まあ、そんなこんなで想い出のあったお風呂場は、今や存在せず、最新鋭のものに変わった。「時代は移ろいゆくもの」とよく言ったりするが、それに対して、「変わってほしい」という気持ちもあり、「変わらないでほしい」という気持ちもあり、矛盾するような甘酸っぱいような変な気持になったりすることがある。しかしながら、もちろん、そんな我々の気持ちとは全く関係も無く、無情に、そして可及的速やかに、ブルドーザーが森を押し倒していくような強引さをもって、「時代」は変わっていく。
2010.10.26
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蕎麦の中で一番美味いと思うのが、「鴨せいろ」である。 鴨の肉の旨みが染みた出汁。 鴨肉の引きしまった味わいと葱のほんのりとした甘さ。 ダシにつけた蕎麦が何とも香り良い。 それにしても、「鴨」と「葱」。 この組み合わせは誰が考え出したものだろうか。 まさに究極の組み合わせ。一体、誰が最初にそれを考えたのだろう。 不思議でならない。このような食における組み合わせは、 人間のあくなき探求心のなせる業であると考える。 好奇心。人間の好奇心が最高のタッグを生み出してきたのかな。 いろいろ考えつつ、大好きな鴨せいろを無心ですする。しかし、ふと「これを食べ終わったらまた仕事だ」、そう思ったら、途端に味気がなくなってしまったりする。 食事のときは、他の雑念を排し、好奇が旺盛な先人達に思いをはせながら、最高のタッグをゆっくりと味わいたいものである。
2010.10.23
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左耳の上の髪の毛をいじる。 それが私の癖である。 ふと気がつくと、髪の毛をいじっている自分に気づく。 決まって、深く物事を考えている時に、いじっているらしい。意識的に止めようと思うのだが、そうすると今度は、考えることに集中できず、段々とイライラしてくる。 まるで、「髪の毛をいじる癖」が、 「集中すること」へのスイッチのようだ。 ここまで来ると直そうとしても直らないので、 もう半分諦めてしまっている。一方で、自分ではなく、他人の癖というものは、 どうも気になってしまうものだ。 私は、最近まで近所のコンビニの店員の癖が、 気になってしょうがなかった。(最近、この店員は癖を改めたようだが。。。)その店員は20代の兄ちゃんだった。彼は、お釣りのコインを、何故か「レジに一度ぶつけて」から客に手渡していた。 店員A「ありがとうございましたー!(カツン♪)」 複数のコインを「整えている」、と最初は思った。 しかし、彼はお釣りがたとえ「1枚」であっても、レジに一々ぶつけていたのである。したがって、「コイン・レジ・カツン♪」は、彼の癖だ、という結論に至った。初めのうち、それが気になって気になって、仕様がなかった。 まあ、でも、毎日聞いていると、そのうち慣れてくるものだ。 そのうち、慣れてしまい、何とも思わなくなった・・・しかし、それもつかの間。 数カ月して、さらに驚愕することになった。 店員A「ありがとうございましたー!(カツン♪カツン♪)」 らくたろう「えっ!(ひやー! 二回になってる!)」 癖というものは、「進化」するものらしい。
2010.10.23
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