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2008年07月20日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
まなざし。
自分のまなざしについて考えたことがあるだろうか。
考えるのはいつも他者のまなざし。
自分のまなざしが及ぼすものについて、あまり考えない。
人間は元来自己中心的な生き物だ。
しかしみんなが手前勝手にやっていては社会は維持できない。
人は単独で生きていけるほど強い動物ではない。
集団で、身を寄せ合って敵から身を守らなければならない。
そこで人は、社会を形成する。

とっても大ざっぱだけど、人は独りで生きていけないことをまず押さえておく。
社会を安定させるために人が編み出したさまざまのソフト。
地域とか、コミュニティと呼ばれるものもその一つだ。
地域の自治の歴史も、勉強するとなかなかおもしろい。
今みたいに何でもお上に頼るのが自治ではなかった、そもそもはね。
橋だって道路だって自分たちで作っちゃっていた。
うちの前の道路もコンクリートで舗装して車の通る道にしたのは、地域の人々。
それに加わらなかった人が、今も車の立ち入りを禁止されているが。
協力しなかった人に対しては、とても厳しい。
未だにその人は一輪車で畑に収穫に来る。
それはともかく。

私たちの住む地域では、まだそれが生きているからよく分かる。
監視しあう目。
うっとうしい。うるさい。めんどくさい。
なぜ、いちいち、そんなに監視の目で見られなくちゃいけないの?
そう、ここでまなざしが出てくる。

都会では消えてしまった、都会人自ら消し去ったもの。
例えば犯罪の、例えば自殺の、例えば…。
先日草むしりをしていると、妙な臭いがする。
ん? くんくん。
鼻をぴくつかせながらあたりを窺う。
と、隣のYちゃんがやってきた。
「臭うね」「うん、臭う」
二人と、「そんなの気にしなくていい」というもう一人と、三人で近所をぐるっと見回る。
「前ね、ここのおばあさんが料理中にうたた寝して…」
ガス漏れ事件があったとのこと。
ぐるり一周してもどると、前のHさんが台所から顔をのぞかせた。
ははあん、ここだったか。
私たちは臭いの消えたことを確認しあって別れた。
Yちゃんがささやく。
「病気の人がおるから、あの硫化水素かもしれんからね」
このところ多発した硫化水素自殺の可能性を示唆した。
いや、すごい。その通りだな。
危険も迷惑も近隣に及ぶ事件には、このあたりの人は特に敏感だ。
といったあんばいで、さまざまなトラブルの抑止力となって、まなざしは今もここでは有効なのである。

まなざしは、監視するばかりではない。
もう一方のまなざしも、今の時代が失っているもの。
なぜかくも勝ち負けにこだわる人が増えたのか。
勝っている人はいい。
負けている(状況にある)人が問題だ。
負けていると世間が見る人々。
そううまなざしを常に向けられている人々。
私は負け組でも勝ち組でもない、と言える人は問題ない。
社会の多数が向けるまなざしに、屈している人々。
彼らには、監視するまなざしの前に必要なまなざしがある。
例えば多重債務に苦しむ人たち、例えば依存症に苦しむ人たち。
どちらも、「意志が弱い」といった切り捨て方をされがちだ。
自己責任という言葉も重くのしかかる。
自分が悪いんだ、この苦しみは自業自得だ。因果応報。
社会から白い目で見られている人たちの中に、そんな人たちが多くいる。
白い目。冷たいまなざし。
内在化したまなざしは自らを突き刺す。
内在化したまなざしとは、母のまなざし。たいがいね。
勝ち負けに固執した母のまなざし。
あるいは、神のまなざし。
一神教の神。
正しい者を神は助ける。
おまえは正しくないから、地獄におちろ。
そんな神のまなざしを、内在化して、人は苦しむ。
「正しいも正しくないもない、あなたはちっとも悪くない」
このメッセージを包んだまなざしが、必要である。
まずは、ね。
苦しんでいる人たちの苦しみの最たるものが、自責の念だから。
免責こそが優先されるべき(という理論でもあるのでしょうか)。
免責によって、針が「死」へと大きく振れていたものが、「生」の方へ動き始める。
死へ死へと誘われていく人たちを、生へと連れ戻すのである。
もちろん人は必ず死ぬのだけれども。
だからと言って、結論を急ぐことはない。
あなたは悪くない、あなたも私たちの仲間じゃない。
こんなまなざしを届けるのである。
このまなざしの背後には、今の社会へのアンチテーゼともなる人間観がある。
だから、人は救われる。
今の社会の矛盾の表現として、自分の状況がある、と考えたとき、自己責任の重圧から解き放たれる。
再生へのみちのりが始まる。

最近の事件には、この経緯をたどれば防げたのではと思えるものが多い。
例えば秋葉原の事件。
彼が事件を起こすことによって手に入れたものは何か。
おそらくは、まなざし、である。
彼がほしかったものも、それである。
自分を見てくれる、関心をもってくれるまなざし。
見捨てられた子ども、出来損ないの烙印を押された子どもは、無視される。
彼は携帯サイトで無視されたと言って、キレた。
まなざしがほしい、と言って。

かつては社会に縦横に行き交っていたまなざし。
自己責任だなんだと、個人への負担を強いる社会のまなざしではなく。
今、多くの多重債務者の生活再生に力を注いでいる人たちがいる。
その中に私の友人がいる。
NHKテレビの取り上げ方は、まったく別の視点だったけれど、彼女たちの仕事が成功しているのは、紛れもなくこの「優しいまなざし」のゆえだと、今朝思った。
で、ここに書き付けた。
彼女たちの活動の背景にある人間観、これこそが、人々を救っているものだ。
お前はだめだではなく、ちっとも悪くないよと言われたら、再び生きよう、と思うではないか。
彼らの再生事業に焦げ付きが発生していないのは、そういうことだと思う。






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最終更新日  2008年07月20日 09時40分45秒
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