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■義経黄金伝説■第58回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第9章 1198年(建久9年) 鎌倉 ■7 1198年(建久9年)鎌倉/大江広元屋敷 「ふう、危ういところであった、文覚が鬼一を処分してくれたとしては」 広元は呟く。が、広元は疑心に捕らわれる。 いかん、もし、、、 「よいか、至急に牢を見て参れ」と雑色に命ずる。 「義行殿、おられませぬ」 雑色が顔色を変えて報告した。 「何と…、そうか、あの禅師めが」 広元は、禅師の控え部屋にいく。 「禅師、お主、義行を逃がしたな」 声高かに叫ぶ広本に対して 禅師は、ゆっくりとお茶をたしなんでいる。 ふくいくたるお茶の香りが禅師のいる部屋にたちこめている。 「広元様、どうかお許しください。あの者、最初からこの世には存在せぬもの です」 「禅師、お前、静と連絡をとっていたのか。静はまだ生きていると聞く。あ の義行を静の元に走らせたのか」 広元は、ある事にはたと気づく。苦笑しながら言う。 「そうか、禅師、お主、西行に惚れておったのか。それを見抜けなんだのは 、俺が不覚。西行が黄金である義行を逃しよったか。くくっ、まあ、良い。 いずれは、静のところに向かうであろう」 広元は憎々しげな表情で、禅師を見つめる。禅師は、まさか広元が静の居場 所を知っているとは、思っている。恐るべき情報能力を持つ男だった。広元 は付け加えた。 「よいか、禅師。もし何かことがあれば、お主もろとも滅ぼす。無論、京都 大原にいる静もじゃ」 脅しの言葉であった。が、禅師も負けてはいない。 「が、広元様。お前様もこのままでは済みませぬぞ」 「何だと」 「頼朝様の暗殺を知っておられたこと、鎌倉腰越にて書状に認めてございま す」 「何という書状を…、嘘じゃ」 「が、政子様は信じますまい。いや、本当のことをご存じでも、その書状を 利用し、京都から来た男であるあなたを鎌倉政権の座から引きずり落とすでし ょう」 「むむっ、お前。この俺を裏切りおるか」 広元は憤怒の形相で、禅師ににじり寄った。 「ふふっ、これでも禅師は、この源平の争いの仲を生き残ってきた者でござい ます。裏の手、裏の手を考えておらねば、生き残ってはこられませぬ。そこは 私、禅師の方が広元様より、一枚も二枚も上手ということでございましょう」 広元を見返す禅師のまなじりには力がこもっていた。おまけに義行は、禅師 の孫なのだ。今の今まで生きながらえて、この官僚あがりの田舎貴族と対峙 して、勝てなければどうしよう。経験の量が違うのだった。 「うむっ…」 広元も押し黙ってしまう。ここは禅師を怒らせぬ方がよいかもしれぬ。所 詮は女だ。変に怒らせて、今までの広元の苦労を水泡に帰すこともあるまい。 「大江様、大江様はこの鎌倉殿の政庁を作り。歴史書に御名前が載りましょう。が しかし、大江広元様ではなく、中原広元様にかも知れませんね」 「禅師、お前何を企むか」 「いや、お隠しめされるな。先年なくらられし西行様も、同じことをされました」 「‥‥」 「西行様も、佐藤家の本筋ではございませんでした。佐藤家は源平の戦い、屋島の 戦で、滅んでおります。それゆえ、西行様も佐藤家御本流として、後の歴史にのこ られるでしょう。これは広元様も同じことをされる機会でございましょう」 「禅師、お前は、、」 「いや、皆まで申されますな。 大江様の御母君様は、大江家の出。母方さまの御本流をのってるおつもりではござ いませんでしたか。中原の名前を隠し、大江の本流の方々をすべて死においやり、 大江広元の名前は、歴史にのこりましょうぞ。さすれば、名高き学者、大江匡房の 曾孫としてはづかしき事無く明法博士の御名前を朝廷からいただけましょう。これ でも禅師には、つてがございます」 大江はしばしの間、頭を垂れていた。が、ゆっくりと顔を禅師に向ける。 「、、で、禅師、そのお方とは、、」 禅師は、広元もまた、京都のためにからめとった。 「わかった禅師。このこと不問にしよう」 「では、義行様のことはいかが記録されます」 「事件とはかかわりあいのない雑色だということにしよう」 「それを聞いて安心いたしました それでは、京都からこられる僧のことよろしくお願いいたします」 京都から栄西、法然をはじめ、新しい教条をてに、鎌倉武士のために 僧侶が送られてくるのだ、その手配方を、大江広元に頼もうというのだ。 昔、平家の、赤かむろの束ね者でもあった、磯の禅師は、深く頭をさげた。 (続く)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.31
■義経黄金伝説■第57回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第9章 1198年(建久9年) 鎌倉 ■6 1199年(建久10年)鎌倉 文覚は、対決の後、しばらくして、広元屋敷の元を訪れている。文覚の頭は朱に染 まっている。足取りもおぼつかぬ。鬼一の打撃の後がゆっくりと文覚の体をむしば んでいる。鬼一の八角棒には、やはり丹毒が塗られていた。 「大江殿、鬼一方眼はあやめた、これで、あやつかの王国、勢いがなくなろう」 文覚は、大江に満足げに言った。 「さようか。それは重畳。が、いかがなされた。その傷は」 「我のことなぞ、どうでもよい。よいか、広元、義行を逃がせ」 「源義行を…、何を言う。気が狂られたか」 「よいか、大江広元。私、文覚は、元は武士である。鬼一との約束は守らねばなら ぬ」 文覚は息も絶え絶えに言うのである。 「皆の者、出て参れ。文覚殿、乱心ぞ」 大江広元は、屋敷の郎党を呼び寄せる。 「くそっ、広元、貴様」 手負いの熊のように文覚は、広元の手の者と打ち合うが、多勢に無勢。おま けにひん死の状態の文覚は打ち取られる。 「残念、無念。清盛、西行、お前らが元へ行くぞ」 とらえられ、牢につれていかれる文覚がいまわの際に叫んだ。 ◎ 文覚は,今は亡き好敵手西行の最期を、思い起こしていた。 待賢門院璋子(けんれいもんいんたまこ)は、西行の手を強く握りしめている。 待賢門院璋子は後白河法皇の母君である。その臨終の席に西行が呼び寄せられ ていた。 「二人の皇子をお守り下され。西行殿。私の最後の願いでございます」 「わかりました、璋子様、この西行の命に変えても」 西行は宮廷愛の達人でもあった。この時期日本は宮廷愛の時期である。 待賢門院璋子の二人の子供とは、崇徳上皇と後白河上皇である。 璋子は鳥羽天皇の間に後白河法皇を生み、鳥羽上皇の祖父である白河法王の間 に崇徳上皇をうんだ。白河法皇は璋子にとり愛人であり、義理父であった。 いわゆる源平の争いは、璋子を中心にした兄弟けんかから起こった。 西行は璋子のために終生、2人の御子を守り事を誓ったのだ。西行は璋子の ために、京都朝廷のしくみを守りために、その生涯を捧げた。西行と文覚は、 若き頃、恋いにそまりし王家を守る2人の騎士であった。 それでは、文覚は、日本の何を守ったのか。自問している。 文覚は若き折り、崇徳上皇の騎士であった。上西院の北面の武士である。 が、文覚は保元の乱の折り逃げ出している。その折りの事を西行はよく知って いるのだ、言葉で攻めていたのだ。 西行はいまはのきはに、叫んでいた言葉を思い起こす。 「文覚殿よ、天下は源氏におちたと、、思うなよ」 「何じゃと」 「頼朝殿の義父、北条、平時政殿の手におちるかもしれんな」 西行の死に臨んでの予言であった。 いにしえ、坂東の新皇と自ら名乗った、平将門(まさかど)の乱平定に力があ ったのは、藤原秀郷と平員盛である。藤原秀郷の子孫は、奥州藤原氏、西行の 家などである。 平員盛の子孫が、伊勢平氏と北条氏であった。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.30
■義経黄金伝説■第56回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第9章 1198年(建久9年) 鎌倉 ■5 1199年(建久10年)鎌倉大倉山 都市鎌倉の背後にそびえる大倉山山腹にびょうと風がふいている。 鎌倉の周り北東西3方に山山がとりまき、南は海に開いている。鎌倉は自然 の要塞であった。大倉山山頂から頼朝が作りあがた要塞都市の姿がよく見え る。文覚はだれにも手出しできぬように、この決闘場を選んでいた。 伊豆からの春嵐がふきすさぶ山頂に鬼が二匹。 「鬼一、今度が最後の勝負ぞ。いずれにしろ、お主らが丹毒で、頼朝様、もっ ても一週間じゃ。お主らを倒しておかねばのう。この鎌倉幕府が持たぬわい」 鬼一も構えている。 「おおよ、その勝負、受けたぞ、文覚。俺も京都一条の鬼一法眼。あとくされ ない勝負じゃ。これで引き下がったとあっては、俺の名折れよ」 二人の体に、伊豆からくる少し早い春風が、吹き巻いている。 が人の気配のない大蔵山の山頂に、二人とも八角棒を手にして微動だにしな い。 「それに鬼一、安心せよ。儂は西行殿と9年前に約束しておる。勝っても負け ても、義行の命は安全よ」 「それを聞いて安心した。お主も闇法師の端くれであったか。約束は守るの か」 「当たり前よ。ましてや、西行殿の今際の際の言葉じゃ」 「いざや、まいる」 とどちらからともなく打ちかかっている。激しい打撃音が、大倉山全体に響 く。山に住む野生の動物たちが勢いで逃げ出してくる。 「よいか、鬼一。お前たち、山の民どもの住む所など、もうこの世には存在せ ぬ」激する文覚が声高に叫んでいた。 「頼朝ばらに、我々の王国など支配できるものか。いあや、支配させるもの か」鬼一が、鋭い文覚の八角棒の一檄を受けて叫ぶ。 鬼一の言う王国とは、京都大和王朝が成立しても、なお連綿と続いている、 前の王朝、葛城王朝の流れを汲む『山の民の王国』である。歴代の京都朝廷も 彼らの見えざる王国を認め、協力者としていたのだ。それを文覚は無くなると 言うのだ。 「よいか、頼朝殿が、征夷大将軍となり、十年前に奥州平泉王国を滅ぼした 今、我々武家の世の中よ。日本は頼朝殿によって統一された。支配するのは 鎌倉将軍。また山々、山山林のすみずみまで、鎌倉から守護、地頭をつかわし、 網の目のように日本全土に支配を巡らせる。お前たち、山伏を始め、山の民の 住む所なぞないわ。義経が逃げた場所などもうなくなる」 「くそっ、ゆうな。文覚、それであるからこそ、お主ら倒さねばならぬ。お主 は鎌倉を代表する攻撃勢力。我々自由民のためにな」 「無駄よ。京都朝廷を頼朝殿がおさえれば、『山の民の王国』など認めるもの か」 「清盛殿、西行殿、後白河法皇様。皆、我らが味方であったぞ」 「それも終わりぞ。義経も、もう日本には帰ってこれぬぞ」 文覚の言葉に鬼一はたじろく、(なぜそれを知っている) 「貴様、なぜ、それを」 「ふふっ、金に逃れるところを、儂が、のがしてやったのだ。鞍馬寺の宝、坂 上田村麿呂公の刀と引き換えにな」 「くそ、これが最後の一撃…」 鬼一は、渾身の力を込めて、文覚に打ちかかっていた。八角棒はぱしりと折 れ、鬼一の棒が、文覚の頭蓋を、天頂を打ちすえている。 一瞬、時の流れがとまる。二人の体は止まっている。風も一瞬凪いだ。 急にゆるやかな太陽の光が、雲間からふたりの体を照らした。 が、折れた八角棒の先を、文覚は鬼一の胸板を貫いている。 相打ちである。 血のにおいがただよっている。しかし鬼一の方が致命傷となる。足下に体液 の流れが、大地をすこしづつ赤黒く染めていく。 「くっつ文覚、どうやら、我々の時代は終わったのう」 苦しげに、鬼一は呻く。血が口からしたたり落ちてくる。 しばらくして文覚が告げる。 「鬼一、よい勝負じゃった。それに約束だけは守ってやろう」 「約束じゃと」 血みどろの鬼一の疑問の顔が、文覚に向いた。 「義行殿を逃がすことじゃ」 相対する文覚の顔と体も、すでに血にまみれている。 「有り難い、文覚殿。その事恩にきる。ぐう」 ひとこと発し、鬼一の体がゆっくりと大地に沈んでいく。 血の気が失せていく鬼一の体に、文覚は片手拝みをする。 「鬼一殿のお仲間の方々、後はお願い申す」 まわりの気配に対し、文覚は大音声でさけぶ。 折れた八角棒を杖として、頭から血を流しながら、文覚は鬼一の体を残し そこを去って行く。文覚は山道で立ち止まり、振り向く。目には血が流れ込ん でいる。 「鬼一殿、さらばじゃ」 文覚の姿が消えた後、山伏の群れ結縁衆、印字打ちの群が現れていた。 数人が鬼一方眼の遺骸を取り囲む。 「後を追うか」一人が叫ぶ。 「無駄じゃ、あのおとこには」 刃の鬼聖、文覚の名前は紀州にも響いている、文覚は日本各地の山伏の生地 で荒行をくり開けしていた。 「頭の最後の命令にしたがおう」 「それより、我々はな、、西行法師殿の伝説を、この世に広めねばなるまい それが、われら、後に残りしものが役目ぞ」 鬼一方眼の義理の弟、淡海が、強くいう、が、目じりが光っていた。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.29
■義経黄金伝説■第55回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com 第9章 1198年(建久9年) 鎌倉 ■4 1199年(建久10年)鎌倉 頼朝近辺を護衛する武士の一人が、鎌倉政庁にいる大江広元に告げた。 「頼朝様が、傷つき,かつぎこまれました」 「何、よし、落馬されてけがをおわれたとせよ。この事、他の者に他言無用と しろ」 「怪しげなる童…だと」 大江広元は、体をこわばらせた。 「大殿様の馬の側にうろついておりましたところ、捕まえてございます」 「よし、そやつの顔を見てみよう。私の前に引きだせい」 やがて、広元の前に、見目麗しい少年が引き出されていた。その少年の顔を 一目見た一瞬、汗が吹き出てきた。 広元は、その少年が誰であるかを、しっていた。 一三年前、1186年、鎌倉稲村が崎で、自分がすり替えて助けた童子。静 と義経の子供。 この少年が取り調べた際、自分の身元をしゃべり出すようなことがあれば、 類は自分にも及ぼう。この少年の処理、素早くせねばなるまい。広元の額には うっすら汗が浮かんでくる。 「この罪人、牢獄へ引き立てい」 広元は、その後、磯禅師を別室に密かに呼んでいる。 「お前の孫が、生きておったな」 雑色たちを所払いにし、開口一番に広元は言った。 「私の孫ですと。何をおっしゃいます」 禅師は慌て、そして顔色を変えている。 まさか頼朝の暗殺者が、あの静の子供だとは。禅師には思いもよらぬ展開だ った。 京都からもそのようなことは聞いていなかった。 「まさか、何かの間違いでございましょう」 広元は、この暗殺者が義経と静の子供であるとわかると、自らの立場が悪く なることに無論気がついていた。お互いの眼が合う。おおよそ、広元と禅尼の 利益は合致した。これは一つ、あの童を密かに殺してしまうか。 その考えている瞬時、巨大な動物が、奥座敷の戸板を打ち破り、二人の前に 現れていた。 「うわっつ」 二人は何が起こったか一瞬わからない。 「頼朝殿を殺したは、お主らか!。え、広元、禅師、お主らが企みよったか」 憤怒の様相の文覚であった。もはや、全身が、怒りの塊と化している。 「よいか、広元。覚えておけ。お主ら、貧乏貴族が支配する日本のために、頼 朝殿に俺が命を掛けた訳ではないわ。この日の本を、すばらしい仏教王国にす るため、民が住みやすい国にするために、この文覚は頼朝殿に掛けたのじゃ」 憤怒の不動明王像のように見える文覚。その文覚に対して、広元は真っ青に り、一言もしゃべりはしない。禅師も部屋の隅に蹲っている。 「広元、決して、義行殿を殺してはならぬぞ」 意外なことを文覚は言った。 「義行殿を囮に、鬼一法眼を、大倉山山頂に呼び寄せ、最後の勝負を挑む。 ただし手出し無用。儂と鬼一で勝負を決める」 (続く) (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/
2006.07.28
■義経黄金伝説■第54回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第9章 1199年(正治元年) 鎌倉 3 1199年(正治元年) 鎌倉 鎌倉の朝。1199年(正治元年)1月13日 鎌倉街道の地面に落ちた霜が太陽を受けて、湯気をあげている。気おもいで 気分のすぐれぬ頼朝は、単騎でゆっくりと動いて来る。大姫の死が、頼朝の こころを責めさいなんでいる。 鎌倉街道の要所、相模川の橋の完成式の帰りであった。この時のお共には、広 元は最初から参加していない。頼朝は馬に乗り、見知らぬ道を通っていた。ふ と、回りを見ると、いつもはいるはずの郎党共の姿が見えない。おまけに辺り にはうっすらと霧が出てきたようである。 「これは面妖な…、ここはどこじゃ…」 きづくと霧の真ん中に頼朝が一人。 頼朝は、ひとりごちた。道の向こうに人影がぼんやりと見えている。 「おお、あそこに人がおる。道を尋ねよう」 頼朝はそちらに馬を進めた。 すでに鬼一法眼の術中に嵌まっていることに、頼朝は気付いていない。鬼一 得意のの幻術である。 この時、頼朝の郎党の方は、大殿の行方を捜し回っている。が、みつから ぬ。二股道の一方を頼朝が通ったあと、鬼一の手の者が偽装したのだ。頼朝 は、郎党から切り話されて霧ふかき見知らぬ森の中にいる。護衛から全く切り 離され、一人きりなのである。頼朝を乗せた馬は、一歩一歩と、その人影に近 づいて行く。 どうやら、若い女性のようだ。旅装で網代笠を被っている。頼朝は馬上から 尋ねた。女の体つきに、へんに見覚えがあった。 「これ、そこなる女、ここはどこじゃ。そして、鎌倉までの道を教えてはくれ ぬか」 女はくぐもった小声で答える。 「頼朝殿、鎌倉へお帰りのつもりか。もう鎌倉はござらぬぞ。お前様は帰ると ころがないのじゃ」頼朝は奇異に感じた。 「何を言う、貴様、妖怪か」 叫ぶが早いか、頼朝は、女の網代笠を馬の鞭で跳ね飛ばした。瞬間の霧の中 から、ごおーっという音が起こっている。おお、これは…、幻影か。頼朝の目 の前に炎上する都市の姿が見えていた。霧の仲にくっきりとその映像が見える のだ。頼朝は、平泉のことを思い出しているのかと一瞬思う。う、これは、な んとした事じゃ。 が、よく見ると、そこは鎌倉なのだ。 「何ということじゃ。儂の鎌倉が燃えている。どういう訳じゃ」 自分が手塩にかけた愛しき町が燃え上がっている。鎌倉という町は、頼朝にと っていわば、自分の記念碑である。 「き、貴様」女の顔を見る。 「うわっ、お前は大姫」 四年前に奈良でなくなったはずの愛娘、大姫の姿がそこにあった。大姫は頼 朝の方へ両手を伸ばした。顔はて暗がりではっきりとは見えないのだ。 「さあ、父上、私と一緒に極楽浄土へ参りましょう」 大姫が指さす方は、燃え上がる鎌倉である。 「あの中へじゃと」 その炎上の中にいる人々の姿がはっきりと見えていた。平氏、奥州・藤原氏 の武者、そして源氏の武者、おまけに義経の姿もある。今までの頼朝の人生で 手にかけてきた人物たちである。 「さあ、父上の親しい皆様が、ほれ、あのようにあちらから呼んでおいでじ ゃ。さあ、父上、はよう」 頼朝はゆっくりと馬から降りて、ふらふらとそちらの方へ歩んでいる。 突然、石つぶてが、頼朝の体といわず頭といわず降り注いできた。 「ぐっ」 頼朝は、頭に直撃を受け倒れ、気を失う。淡海の部下が数名、投弾帯や投弾 丈をもちいて、ねらいたがわず、頼朝に命中させていた。投弾帯は、投石ひも ともいわれ石弾をはさむ一本のひもで、石弾をはさみ下手投げでなげる。時速 八〇キロの速度はでた。 頼朝はしばらくして気付いた。が、目の前はまだ霧の森の中である。 「い、今までのことは夢であったか」頼朝は叫んでいる。 人影がある。大姫の姿があった。 「お、大姫。助け起こしてくれい」 今は亡き大姫の名前を呼ぶ。しかし、大姫は反応しない。 「儂が悪かった。許してくれい。お前の幸せを考えず、志水冠者殿を殺してし まったのは、俺の不覚じゃ。許せい」 志水冠者は、頼朝が殺した大姫のいいなづけ、木曽義仲の息子である。 大姫の姿がするすると、頼朝のところへ近づいて来る。 「本当に、そうお思いですか」顔をよせてきた。 「そうじゃ」頼朝は、大姫の顔を仰ぎ見た。 いった瞬間、大姫の服が弾き飛ばされている。 そこには、うって変わって、りりしい若い武者が立っている。 「お、お前は何者じゃ」 大地をころびながら頼朝が叫んでいた。 「源義経が遺子、義行にございます」 頼朝は、驚き、その人物の顔をしかと観察する。 「まてまて、お前は義経が子か」 「そうでございます」 義行は、頼朝に対して刀を構えている。しかし目には不思議に憎しみはない のだ。頼朝に対する哀れみが見える。 この男は…、本来ならばおじになる。が、我が父を葬った男。鬼一から話を 聞き日々の憎しみを増幅させ、この計画を練ったのだ。しかし、実際に、頼朝 と対峙してみる、と、悪辣なる敵のイメージとあまりにもかけはなれている。 頼朝には一種独特の凄みがありながら、その体から悲しみを感じるのだ。愛娘 を死なした絶望が見える。頼朝の人生は多くの人々の亡骸から気づかれてい る。悲しい人生かも知れぬ。おのの存在、源氏の長者として大きくみせなけれ ばならなかった。いままで、源氏のだれもが、望み得なかった高見に頼朝はい るのだ。が、この悲しみの原因は何のか。そして、義行を哀れみの情で見てい るのだ。驚いたことに頼朝は、涙を流しているではないか。 義行は思わずたじろぐ。 「義行殿、不憫よのう、お主は、我が父、義経が、北へ逃れ、蝦夷の王、 いや、山丹の王になっておるをお主は知らぬのか。私頼朝が、ある人物との約束で 許したのじゃ。」 (何をいまさら、血舞いよい事を) その言葉の一瞬、源義行は、頭に血が上り、 (この後に及んで、私をたぶらかそうとするのか。やはり叔父上は、見かけで はなく、本当に悪人なのかも知れぬ) 義行は、迷うが、怒りをあらわに再び切りかかる。 同時に、木陰から数個の石が雨あられと降り注ぐ。再び狙い過たず、頼朝 の体に命中していた。額からは、うっすらと血が滲んでいる。頼朝が再び地に 伏す。 「蝦夷じゃと、ええい世迷いごとを、、叔父上、 父の敵、覚悟…」 義行が、大声で呼ばわり、大地に倒れている頼朝に走りより、刀で刺そうと した。 突然、じろりと頼朝が、うつむいていた顔を持ち上げ、義行にまなざしを向 ける。 不思議な鋭い眼差しであった。空虚(うつろ)。深き絶望が、その眼の中に 見えるのだ。 「ううっ…」 義行は、振りあげた刀を、叔父の体に振り下ろすことができない。 「うっつ、くそ」 義行は、叫び声をあげ、いたたまれなくなり、急に後を振り向き、霧の深い 森の外に走り出した。 義行の体がおこりのように、体がぶるっと震えた。 (なぜじゃ、なぜ俺は、この父の敵の叔父上を打てぬのか。それに父が、、 義経が蝦夷、山丹の王だと、聞いていない。鬼一はそれを知っていたのか) 疑問が渦を巻く。 「くそっ」 義行は、途中で思わず路傍に、武士の魂、刀を投げだすように捨てた、一目さ んで逃げ出している。 倒れている頼朝の側に、霧の中からのそりと僧服の大男が現れていた。 「頼朝様、ごぶじか」 「おお、文覚、助けに来てくれたか」 「鬼一、ひさしぶりじゃのう。お主の計画、俺が止めてやるわ」 霧の中に向かって文覚がしゃべっている。 森の中の霧が、ゆっくりと薄らいできた。 霧の中から、同じような格好をした鬼一が、背後に人数を侍らしながら現れて いる。 「くそっ、文覚め。よいところで、邪魔をしおって。じゃが、いい機会じゃ。 西行殿の敵、ここで討たせてもらうぞ」 鬼一も言葉を返す。 「ふふう、逆に返り討ちにしてくれるわ」 「まて、まて」 二人は構えようとしたが、騒ぎを聞き付けて、ようやく頼朝の郎党が、刀を 構えて走ってくる。 「勝負は後でだ、文覚」鬼一は走り去る。 「わかりもうした」文覚は、逃げていく鬼一の集団にむかい叫ぶ。 「頼朝殿、しっかりされよ」 文覚は、頼朝の体を揺さぶり抱き起こした。気を取り戻す。 「傷は浅手でございますぞ」 「文覚、今儂は、義経の子供にあつたぞ」 「おきを確かに」 文覚は、あたりに転がっている頼朝を倒した石を調べてみる。石の表面がわ ずかに濡れている。何かの染料か。文覚は石の先を木の枝で少し触り、その匂 いを嗅いでみる。 「くそ、鬼一め、丹毒を塗っておる。いずれは吉次か、手下の鋳物師から、手 に入れよったか」 「はよう、おおとのを、屋敷に」 文覚はあわてた、 (この時期に頼朝殿をうしなうとは、鎌倉の痛手となる。まし てやこの文覚がそだてた頼朝殿を、日本の統一を手にした頼朝殿を、、この手 配は、京都の手のものか。ゆるさじ。) (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.27
■義経黄金伝説■第53回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第9章 1199年(正治2年) 鎌倉 2 1199年(正治2年) 鎌倉 「広元様、この鎌倉の政権を取りたくはございませぬか」 磯禅師が告げた。鎌倉広元の屋敷である。幕府成立後七年がすぎている、静の 舞からも十三年がすぎている。大江広元が京都から鎌倉に来て十六年が過ぎ去 っている。 「何を言うか。この鎌倉には、頼朝様が、征夷大将軍に任務じられてとしてお られる」 「が、広元様、この鎌倉幕府の仕組みを考えられたのは、他ならぬ眼の前にお られる広元様ではございませぬか」 広元は世の仕組みを作る、言わばフレームワークを行っていた。また法律と いう国の根本を考えだし、関東の武士たちに一定の秩序を与えたのは、頼朝で はなく、すべてこの広元の「さいづち頭」から出ていた。つまり、広元が鎌倉 幕府の全システムを考え出していたのである。 「広元様は、元はと言えば京都の公家でございましょう。京都にも知り合いが 多くございましょう」 「無論じゃ」 「で、お知り合いの方々を、この鎌倉の要所要所につけなされい」 「禅師、、、お主は、この鎌倉を、京都化しようというのか」 「その通りでございます。これは法皇様も、関白様も認めておられること」 「……」 広元は、頭の中に新しき血を巡らせていた。 「よろしゅうございますか。源氏の血を将軍職からなくし、京都の公家、いや 天皇の血を入れるのです。無論、政事をなさるのは、関東の武士の方がよいと 思われます」 「具体的には誰だ」 「北条氏でございます」 「政子様のててご時政、兄上とか…」 「そういうことでございます。そうしなければ、この関東の武者どもが黙って おきますまい。まず広元様、北条氏の方々の力を蓄えさせることに力を注がれ ませ」 「ということは、北条以外の有力なる武将をすべて葬れと…」 「大江様ほどのお方なら、中国、唐の歴史をご存じでしょう」 大江は、禅師の言葉に疑問がうかぶ、こうしゃべらしているのは、京都のだれ なのだ。いや、京都の貴族全体かもしれぬ。広元の体に寒気が走った。 「無論じゃ、が磯禅師、お前はそのような知識をいずこで」 「禅師は、京都の闇の組織に通じております。この闇の組織は公家様の知識を 集めたもの、そのくらいお分かりにならない広元様ではございますまい」 「で、唐の歴史とは。そうか、そういうことか」 広元は、京都にうごめく古来から連綿とつづく恐ろしさを見たような気がし た。 「さようでございましょう。王朝が変われば国の統一のために手助けした者、 武将、ことごとく新しい王のために葬り去られましょう」 「が、禅師、俺は武将ではないぞ」 「それゆえ、策略を巡りやすいとの考えもありましょうぞ。中国が三国のと き、諸葛孔明の例もございましょう」 広元は、考える。いかに禅師といえど、この考えは 「禅師、その考え、まさか、後白河法皇様の…」 「いえ、滅相もございませぬ。これは京の公家の方々の総意とお考えください ませ。よろしゅうございますか、広元様。頼朝様の動きを逐一お教えくだされ ませ。そして、もし機会があれば…」 「お主たちが、大殿を殺すという訳か」 「さようでございます。さすれば広元殿、鎌倉幕府にてもっと大きな位置を占 められましょう」 「それが俺にとって、よいかどうか」 「よろしゅうございますか。頼朝様亡くなれば幕府は、烏合の衆。広元様が操 ることもたやすうございましょう」 「所詮、北条政子殿も、親父殿も伊豆の田舎者という訳か」 禅師は、にんまりとうなずいた。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.26
――――――― ■義経黄金伝説■第52回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第9章 1199年(正治2年) 鎌倉 1 1199年(正治2年) 京都・鞍馬山 鞍馬山は、京都市中よりも春の訪れが少しばかり遅い。僧正谷で武術修行に うちこむ二人の姿がつた。老人と十二才くらいの童である。鬼一法眼が手をと めて、義行に話しかけてた。 「和子は、このじいを何と思うておられる」 「どうした、じいは。いつものじいではないのう」 幼い義行にとって、鬼一は年をとった父親のようであった。不思議そうな顔を して、義行は、鬼一の方を見る。 「よいか、よく聞いてくだされ。わしも、もう長くは生きられぬ。そのため真 実を申し上げる。和子は源義経殿が和子にござます」鬼一法眼は、深々と頭を 下げる。びっくりする源義行だった。 「この私が、あの義経が子供だと」 義経が奥州平泉で襲撃されて十年がすぎている。義行は、義経がことを、日々 の勉学に聞き及んではいた。 「この俺があなた様のために、亡くなられた西行法師殿より預かっているもの がござる。それをお渡ししよう。また和子の存在を知っている者が、京に一人 おられた」 「おられたと。その方も…」 「そうじゃ、七年前にお隠れなられた後白河法皇じゃ。その方の指令がまだ生 きておる。頼朝をあやめられよと」 「頼朝をあやめると…」 「じゃが、よーく聞いてくだされ。源頼朝殿、殺すも自在じゃ。なぜなら、こ の鬼一法眼、全国に散らばる山伏の組織を握っております。和子を鎌倉に行か せるは自在。が、西行殿、そして義経殿が義行に望んでおったことは、和子が 平和な一生を終えられることです。また平和な郷を作られることです。この書 状には奥州藤原氏よりの沙金のありか書いてございます。これをどう使われる かは、和子が自由でございます」 「鬼一法眼、私はどうすれば…」 突然、突き付けられた事実に、義行はたじろいでいる。 「どうするかは自分でお決めなされ。自分の生涯は自分で決めるのです。義経 殿が滅びたは、自分の一生、自分で決められぬほど、源氏の血の繋がりが強か った。和子はそうではござらぬ。つまりは、和子は世に存在しない方じゃ。自 由にお考えなされい」 「……」 「が、義行さま、西行殿のまことの黄金は、あなたさまじゃ…。それほど大事 に思われておったのじゃ…」 「……」 「じい、決めた。私は父上の仇を討つ」義行は、そう鬼一法眼に告げた。 「そのお考え、お変えになりませぬな」 鬼一の眼は、義行の眼を見据えた。義行の眼には、常とは違う恐ろしい別の 者が潜んでいる。 「武士に二言はない」恐れず義行は答える。 「わかりました。が、義行様、先に進めば、二度とこの鞍馬山に帰ることはあ いなりませぬぞ」 「何…この鞍馬には二度と」 「さようでございます。もし、頼朝様を殺すとならば、義行様はこの日本に住 むことできますまい。なぜならば、鎌倉が組織、すでに全日本に張り巡らされ ております。その探索から逃れることなど、絶対不可能」 「……」義行は急に黙り込んでしまった。 (西行殿、許されよ。俺はお主との約束を破る。許してくだされい。俺は、 義行様が不憫なのじゃ)鬼一はひとりごちた。 「なれど、義行様、安心なされませ。義行様をただ一人行かるじいではござい ません。私の知り合いに、手助けを頼みましょう」 鬼一法眼の屋敷は、京都では一条堀河にあった。義経は、陰陽師でもある鬼 一法眼から、兵書「六闘」を授かっていた。 平安時代中期、藤原道長の霊的ボディガードとして有名だったのは、当時最 高の陰陽師安倍晴明であったが、彼の子孫は土御門家として存続する。この土 御門家に連なる一人が鬼一法眼であった。 鬼一法眼は、自分の屋敷から白河に向かい、あばら家を潜る。 「おお、これは鬼一法眼殿、生きておられたか。伝え聞くところによれば、 貴公、奥州に行かれ行方不明と聞いていたが」 のっそり出てきた優男は、京都で名高い印地打ちの大将、淡海である。 「淡海殿、お願いがござる」 鬼一法眼が頭を下げている。突然の事に、淡海はめんくらう。 「これは、これは何を大仰なことを申される。法眼殿は義理の兄ではござらぬ か」 「いや、ここは兄としてではなく、印地打ちの大将にお願いしている客と思っ ていただきたい」 「俺の、印地打ちの刀を借りたい、、と、、申されるのか」 「実は、儂の人生の締めくくりとして、ある人物をあやめていただきたい。と いっても、儂は、手助けをお願いするのみだが」 「…、したが相手はだれぞ」 「鎌倉の頼朝」 「むっ…」淡海は唸ったまま、眼を白黒させている。 白河は、別所と呼ばれる。別所とは、別の人が住むところ。昔、大和朝廷が 日本を統一したときに、戦った敵方捕虜をそこへ押し込んだのであった。別所 は、大原、八瀬など、すべて天皇の命を受けて働く、別働隊の趣があった。し かし、また、武者などの勢力から、声を掛けられれば働くという、傭兵的な要 素を持っているのである。 淡海たちは、石つぶての冠者、つまりプロフェッショナルの戦士であった。 石つぶては、当時の合戦に使われている正式な武器だ。 「が、鬼一殿。相手が相手だけに、義兄さまの幻術も使ってもらわねば、難し いのではないか」 「さよう、頼朝を郎党から一人引き離さねばのう」 「どのような塩梅か」 「気にするな。我が知識の糸は、鎌倉にも張り巡らしてござる。それも頼朝に かなり近いところだ」 「おお、力が入っておるのう」 「よいか、義弟殿。この度の戦さは、儂の最後の戦さじゃ。また、あの西行殿 の弔い合戦でもある。頼朝を仕留めれば、奥州の沙金の行方を追うこと、諦め るだろう」 「それでは、一石二鳥という訳でござるな」 「そういうことだ。済まぬが、おの手の方々を、すぐさま東海道を鎌倉に下ら せてくださらぬか」 「おお、わかり申した。色々な職業、生業に、姿を変え、鎌倉へ向かわしまし ょうぞ。京都の鎌倉幕府探題の動き、激しいゆえにな。動きをけどられぬよう にな」 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.25
■義経黄金伝説■第51回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com 第8章 一一九〇年(建久元年) 河内国弘川寺 花の下にて我死なむ ■4 建久六年(一一九五)三月 奈良東大寺 その夜、奈良興福寺大乗院宿泊所にいる大姫のもとを、尼姿の静が密かに訪 れてきた。 「どうしたのじゃ、静。その尼の姿は、和子はどうしたのじゃ」 静は出家し、大原寂光院のそばにいおりをいとなんでいる。すべては西行の 手配りであった。 「和子は、私の手元にはおりません。今でも鎌倉でございます」 静には、わざと子供の行方を聞かされてはいない。 「何、鎌倉じゃと。母上は約束を守らなかったのか」 「いえ、政子様は、こうおっしゃったのです。子供の命は助けると申した。 が、その子供をお前に預けるとは、言ってはおらぬ」 「では、和子は…」 「生きております。が、義経様に対する備えとして」 「人質として、が、義経様は亡くなったのでは」 「いえ、まだ、みちのくに生きているという噂、風の便りに聞きました。 頼朝様は、その噂が恐いのでございます」 大姫はしばらく口を噤んでいる。 「いいがなされました。大姫様」 「静、お前に会えるのも、これが最後かも知れぬ」 「何を心細いことをおおせですか。まさか…」 「その、まさかですよ。静、私にはお前のように心から強くはない。父上、母 上の顔を立てなければならぬ」 「お逃げなされ、大姫様」 「私は、もう生きる希望を失っています」 「…」 「ずっと昔、あの志水冠者殿が、父上の手にかかってからというもの、私は死 者なのです」 木曽義仲の息子であり、大姫の夫志水冠者は、頼朝の手で殺されていた。 1184年元暦元年4月の事でありもう十一年の歳月がすぎていた。 十一年の間、大姫はその姿を心にひきづって生きている。 「そこまで、もう長くは、私は生きていますまい。静、どうか私の来世を祈っ ておくれ」 「大姫様」 二人の女性は、鎌倉の昔と同じように、両手を握りあわせ、各々の運命の苛 酷さを嘆きあうのであった。 「政子様、どうぞ内へ入られませ。あのお方がお待ちでございます」 磯禅師は、京都のとある屋敷へと、政子をいざなっていた。 「この方が丹後局様、皇室内のこと、すべて取り仕切られております」 無表情というよりも、顔に表情を表さぬ蝋人形のような美女が座っている。 流石の政子も思わずたじろぐ。底知れぬ京都の、連綿と続く力を背後に思わせ た。 丹後局は、白拍子あがりだが、後白河法王の寵愛を受け、京と朝廷に隠然たる 勢力をいまでももっている。いわば後白河法王の遺志の後継者である。 「これは、はじめてお目見えいたします。私が北条政子、頼朝が妻にございま す」 政子は、深々と頭を下げた。目の前にいる女に頭を下げたのではない。あく までも京都という底力に対してだ。そう、政子は思った。 「磯禅師より聞いております。大姫様の入内のこと、すでに手筈は調っており ます」 「え、本当でござりますか」 「が、政子殿。大姫様入内の前に、こちら側よりお願いしたき儀がございま す」 「何でございましょう。私ごときができることでございましょうか」 「無論、お出来になる。頼朝様にお力をお貸しいただきたいことがござい ます」丹後局は少し間を置いた。焦らしているのである。次の言葉が、政子に は待ち遠しく思えた。 「それは、一体…」 思わず、政子の方から口を切っている。 「いえいえ、簡単なことでございます。征夷大将軍の妻たる平政子殿にとって はな」 再び丹後局は黙り込む。京都の朝廷で手練手管を酷使している丹後局で ある。丹後局は磯の禅師と同じ丹波、宮津の出身だった。交渉力においては、 まだ新興勢力である北条政子の及ぶところではない。 「摂政、九条兼実殿を、罷免していただきたい」 「何をおっしゃいます、兼実殿を…」 九条兼実は、頼朝派の政治家だったのである。 政子がいない間、興福寺大乗院前の猿沢の池で、頼朝と大姫は、舟遊びを楽 しもうとしていた。猿沢池の両側に興福寺、反対側に元興寺、両方の五重の塔 が威厳を誇っている。 興福寺は藤原氏の氏寺。眼光時は、蘇我氏の氏寺である。奈良猿沢の池を中心 に奈良平城京ができた折りの政治状態が反映されている。今また新しい新興勢 力である鎌倉源氏が、この奈良故京に乗り込んで自らの政治勢力を固持してい る。 かがり火が、こうこうと照らされ、興福寺五重の塔が照り映えている。 この船遊びは、気鬱の大姫のために頼朝が考えたのだ。が、池の舟のうえで、 「よろしゅうございますか、父上。大姫はもう、この世の人間ではございませ ぬ」 湖の周りには、奈良以来の雅楽が演奏されている。空気はぴんと貼りつめ、篝 火の届かぬ空間のその闇は深い。 「大姫、狂うたか」 頼朝は、我が娘を別の目で見ている。篝火に照りはれる大姫の顔は尋常では ない。 「狂っているのは、父上の方です。私は、私です。お父上の持ち物ではござい ませぬ」 「むむっ、口答えしよって」 「私は、いえ私の心は、志水冠者様が、父上によって殺された時から、死んで おります」 大姫は舟の上から、体を乗り出している。 「いとおしき志水冠者様、いまあなたの元に、この大姫は参り増すぞ」 「大姫、何をする」 「いえ、父上。お止めくださるな。父上が静の子供を死なしたようにするので ございます」 言い終わると、大姫の体は、波の中に飲み込まれていた。 「ああ、大姫」 頼朝のかいなは、空をつかむ。 重りをつけた大姫の体は、猿沢池底の闇に深く巻き込まれている。 頼朝の両手は届かなかった。大姫の心にとどかなかったのと同じように。 「さあ、お言いなされ、母上。何を大姫様におっしゃったのですか」静は母親 磯の禅師を非難している。 「この子は、何を急に、言い出すのじゃ。大姫様が、いかがいたした」 「母上、私は、幼き頃より、母上の身働きを存じております。それゆえ、この 度、大姫様が入水自害をされた…」 「何、大姫様が入水自害…」 禅師は驚いた表情をする。呆れ果てたように、静は告げる。 「それほど、大姫様が憎うございますか」 「何を申す。これは頼朝殿を滅ぼさんがためぞ。お前、義経殿を殺させた、頼 朝殿が憎くはないのか」 禅師は厳しい表情をし、声をあらげている。 「そ、それは、義経様を…、殺させた頼朝殿は憎うございます。が、大姫様を なぜに殺された」 「愛姫じゃからのう。それに京と天皇家に入内せしこと防がねばなりません」 「それは、京都の方からの指令でございますか」 禅師は答えぬ。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.24
■義経黄金伝説■第50回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第8章 一一九〇年(建久元年) 河内国弘川寺 花の下にて我死なむ ■3 建久六年(一一九五)三月 奈良東大寺 法王崩御3年後。 すでに頼朝は兼実の手引きにより征夷大将軍の地位を得ていた。 後白河法皇御万歳(ごばんさい)三ヶ月後、一一九二年七月十二日。 征夷大将軍の位を得て、鎌倉幕府が誕生した。日本始めての武家政権である。 東大寺落慶供養は、源頼朝、政子の列席のもと、 建久六年(一一九五)三月十二日に行われる事になった。 また、このときが、大姫の京都貴族へのお披露目の時である。 重源をリーダーとする勧進聖たちは、立派にその役目を果たし、聖武天皇以来 の大仏と大仏殿が再び人々の目の前に姿を表していた。以降、大仏様という建 築様式で呼ばれることになる壮麗な南大門の中には、京都仏師に対する南都仏 師運慶、快慶の仁王像が力強い時代の到来を告げることになる。 鎌倉幕府の時代、武士の時代の始まりである。 貴族の牛車引きたちが、武者たまりでしゃべっていた。 「あれが東国武士か。恐ろしげなものよな」 「我々とは、人が違う。主も思うだろう」 「そうじゃ。あの大雨の中で揺るぎもせず、目をしばたかす、武者鎧をつけ て、身じろぎもせず立っておるのじゃ」 「頼朝という者を守るためにのう」 「やはり、人ではない。動物に近いものじゃ」 「あやつらに、荘園が取り上げられて行くのか。悲しいのう。悪鬼のような、 仕業じゃ」 「いや、あやつら板東武者の力を借りて、貴族は荘園を守るしか仕方があるま いて」 東大寺正門から両側の道に、ずらっと頼朝が武者が立ち並んでいる。南大 門、その他の門前にも、東国武士の恐ろしげな顔をした者共が並んでいた。 折 あしく、春嵐が奈良近辺を襲っていた。読経の中、空は暗雲に包まれて、若草 山から、風雨が吹き荒れている。 居並ぶ京と貴族達は、これからの自分たちの行く末が、暗示されているよう な気がしたのだ。 東大寺全体、奈良のすべてがまるで嵐の中、頼朝を長とする、源氏の軍勢に占 領されているように見える。 貴族たちの牛車は、脇に寄せ集めて、その他大勢の背景であり、時代の主役の 乗り物ではない。 この時、北条政子は、夫、頼朝にせっついていた。 「はよう、大姫、入内できるようお取り計らいくださいませ。あなたは、もう 征夷大将軍なのでございますよ。それくらいの実力は、おありになりますでし ょう」 「わかっておる。すでに九条家を使い、かなりの沙金を貴族の方々に、ばら蒔 いておるのじゃ」 にえきらぬ頼朝の態度に、政子はいらついている。 (もし、頼朝殿の手づるがだめであるならば、そうじゃ、磯禅師の手づるを 頼もう。あの磯禅師の方が、このような宮廷工作には長けておるはず) 供養の途中、重源は、傍らにいる栄西に語りかけていた。 「良くご覧になるがよい。あれが頼朝殿」 「では、あの小太りの田舎臭い女が、北条政子殿か」 「さようじゃ。話によると、頼朝殿は尻に敷かれているという」 「が、栄西殿は、せいぜい取り入ることじゃ。お主の茶による武者の支配を お望みならばな」 後に栄西は、尼将軍北条政子の発願により、鎌倉に寿福寺を開くことにな る。 「それで、重源殿。奥州藤原氏の沙金は、いかがなされました」 重源は、栄西にすべてを語るわけにはいかぬ。 「それよ、栄西殿。西行殿は、はっきり申されぬうちに、亡くなってしまっ た」 「もしや、頼朝が沙金を…。」 「うむ、頼朝殿奥州征伐のおり、かなりの砂金を手に入れたと聞く。この砂金を つかい、今の地位を得たという話じゃ」 「もしや、西行殿が義経殿の命の安全を図るために、砂金を使うという、、、」 「そうじゃ、その可能性はある。西行が、あの沙金を義経殿の命と引き換えに したということは考えられるのう」 西行の入寂後、なぜ、重源は、東大寺の大仏殿裏山を切り崩したのか。 あるいは、あの裏山に奥州藤原氏の黄金が、と栄西は考えた。 では、頼朝よりの寄進とされる黄金は、ひよっとして、西行が運び込みし、 秘密の黄金かもしれぬ。では、その黄金を、頼朝からの寄進とすることで 西行が頼朝が得たものとは何か?少し、目の前にいる、食えぬ性格の重源殿 に鎌をかけてみようと、栄西は思った。 「西行殿は、なぜそのように義経殿に肩入れをなさったのか」 重源は、その栄西の質問にしばし黙り、考えているようだった。 やがて、意を決して 「よろしかろう。栄西殿ならばこそ、申そう。西行はある方から、義経殿の 身の上を預けられたのじゃ」 「ある方じゃと、それは一体」 「よーく、考えてみられよ。西行殿の関係をな」 栄西はよくよく考えて、頷いている。 「そうか。相国、平清盛殿か」 が、得心した振りをして栄西は、 重源の晦渋さを再認識した。この腹の裏を もたねば、これからの京都や鎌倉を相手に、勝負ができぬわけか、、 西行がなくなり、五年がたつ。 平清盛が、1181年治承5年、五十四歳でなくなり十四年の月日が流れている。 地位を手にいれた家族が幸せかどうか。 東大寺落慶供養の式次第の後、 大姫と頼朝、政子は、奈良の宿所となった興福 寺大乗院の寝殿で争っていた。 「どうした、大姫。顔色がすぐれぬが」 「そうですよ。これも皆、お前を入内させんがため、父上も私も努力している のですよ」 「私は、私は…」 大姫は小さきか弱き声で自分を主張しようとした。 「どうしたのじゃ、思うこと言うてみなさい」 「いまでも志水冠者様を愛しているのでございます。皇家のどなたの寵愛も、 受ける気はございません」 「何ということを言うのか」 「お謝りなさい、大姫」 「いやです。私は私です。私は父上や母上の、政治の道具ではないのです」 「何を言うのじゃ。俺はお前の行く末を思えばこそ」 「嘘です。父上は、私のことなど、お考えではない」 「バカモノめ」 勢いあまって、頼朝は、大姫に平手を食らす。 「まあまあ、落ち着いてくだされ。大殿様、仮にもここは晴れの席。まして大 殿様は、いまや征夷大将軍でございますぞ」 その場は落ち着かせ。政子は、鎌倉をたつ前にあることを思いついていた。 静を大姫に合わせることである。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.23
――――――― ■義経黄金伝説■第49回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第 章 一一九〇年 (建久元年) 花の下にて我死なむ ■2 建久元年(一一九〇)三月 京都 後白河法皇の前に、歌の名人、藤原定家(ふじわらていか)が呼ばれている。 「西行の名前を残して起きたいのじゃ。」 「西行様の、麻呂も賛成でございます、で、いかかな処理をいたしましょう や」、 「 よいか、お主が編纂をしておる歌集に、西行の歌を数多く入れるのじゃ 歌 聖人としたい。それが、西行に対する朕のせめての償いないとなろう。 わが国 の「しきしま道」の戦士としての。西行の名を高めよな」 法皇の頭の中には、色々な今までの西行に対する指令がうづまいていた。 「まあ、よい、奥州藤原に対する絆の一つが消えたが、すでに平泉が 源頼朝の ものとなっては、、後は、頼朝にたいする、いや、板東に武家にたいする 仕組 みをどうすすかじゃ」 西行をうしなった後を、誰でうめようか。と後白河は考えている。 が、法王は、弟、崇徳の霊にも対応をせねばならなかった。 西行が企み、それは、平泉を陰都として、崇徳を祭り、北の都の祭りとし、頼 朝に対応される事であったが、頼朝が、西行と法王の企みすべてを打ち砕いて いた。奥州平泉は先年1189年文治5年に頼朝の手におちている。 おう、身震いがした、 崇徳が悪霊か、、 法王は遠く讃岐の方を見た。 後白河と崇徳とは、兄弟と記録されているが、崇徳は本来の兄ではない、、 ■2 建久元年(一一九〇)三月 京都 文覚が、自分が勧進を行った京都神護寺(じんごじ)にて打ち沈んでいる。 お師匠様、いかがなされました」 夢身、今は明恵(みょうえ)と名前を改めている。 「おう夢見か、ワシはな。この手で 西行をあやめてのじゃ。それがのう、頭にこびりつく。また。 ワシに、あやつは、大きな仕掛けを残していくよったのじゃ。 いわば、ワシをあやつらの仲間に抱きいれるような、、」 「師匠様が、西行様のたくらみの手助けをなさる」 「そうじゃ」 文覚にとっては、めずらしく煩悶していりのだ。それゆえ、弟子の 夢見、明恵の、その文覚言葉を聴いての動揺も気づいではいない。 夢見は、数ヶ月前の事を思い起こしていた。 ■ 仏教王国、平泉陥落後のち数ヶ月後、西行が、京都神護持をおとづれていた。 「夢見どの、いや今は明恵殿とお呼びしなくてはなりませんか。文覚殿は おられるか」 「師匠様は、今留守でございますか。何かお伝えすべき事がございましたら、 私にお伝え下させませ」 「あ、いや、夢見殿がおわれれば十分じゃ」 夢見は、西行を部屋に入れている。 急に、西行が、夢見に対して頭を下げていた。 「夢見殿、この後の事、お願いいたすぞ」 「え、何か、」 「この日の本のことじゃ、たくすべきは、おぬししかあるまい」 西行は、夢身を顔をしっかりと見て、断言した。 「また、大仰な、私は文覚の弟子でございます。そのような事は お師匠様に、お伝え下さい」 「あいや、夢見どのおぬしではないとな。文覚殿では無理なのじゃ」 夢見は、無言になり、顔を赤らめた。神護寺は、京都の山中にあり、ふき あげる風が寒々とする。山並みが遠く丹後半島まで続いている。遠くで獣 の鳴き声が響く。 「この国は今変わろうとしておる。が、和の命も、もうつきよう」 しみじみと言った。 「この国を仏教王国にしていただきたい。神と仏が一緒になったな。 わしが重源殿とはかり、東大寺の200人の僧を伊勢参拝させたのだ。 この源平の戦いの後、どれだけの血がながれていたか。夢見殿のお父上もまた 戦でなくなれれていよう」 「それは、いささか、私の手におもうございます」 「いあや、鎌倉の武家の方々にナ、仏教を思い至らしていただきたい」 「それは、お師匠様が」 「いあや、わしと文覚殿の時代ももう、おわろうて。武士の方々を仏教に 結縁させていただきたい。そいて、この世の中すべてうまく回る仕組みを 作っていただきたい」 「仕組みとは」 「たとえば、貴族の方々は、遠く桓武帝がおつくりになった立法 を守り、行っていきた。これから新しく規範が必要なのじゃ」 基準を意つくり、武家、庶民が豊かにくさせる世の中にしていただきたい」 いや、これは、西行の戯言と思っていただきたいが、源氏の後には 北条殿が、この世の中を動かすであろう」 「北条様は、しかし、源氏の家臣ではございませんか。また、鎌倉には大江広元様がおれれましょう」 西行は冷笑した。 「ふつ、大江殿がどこまで、お考えかわからぬぞ。果たして、世の動きを作りは 頼朝殿か、大江殿か」 西行は、ふっと考えている。この諧謔さが、師匠の文覚の気にいらぬのだ。 「よいか、夢見殿、和が話したことは、文覚のみは内緒ぞ」 二人秘密になるのじゃ。 北条殿を助け、その世の仕組みと基準理(ことわり)を作られるのじゃ 「それは東大寺の重源様、栄西様のお仕事では、、」 「あの方々には、他のやり方がある。夢身殿には夢見殿の考え方と生き方が ござろうて」 西行のと明恵の会話は続いた。このことは、文覚は知らない。 ■ ■3 建久三年(一一九二)3月京都 西行が入寂してすでに3年たっている。京都の 町の人々がうわさしている。 「北条殿は人がよい」 「あのててごは坂東の男でもよい男じゃ」 京では、そう評判が立っていた。この北条とは、政子の父、北条時政であ る。京都の監視に来ているのである。 「田舎者じゃが、分を知っておる」といいつつも、京の公家たちは、北条を同 じ人間とは思っていなかった。一段下の人間であるが扱いやすい奴と思ってい たのだ。武士は人間ではない。そういう認識が公家たちの共有意識であった。 犬、猫、動物の扱いやすいもの。それが北条であった。 源氏や平家は、公家の血が混じっており、まで人間として認めていたが、北 条は関東という田舎、いや外国の土から生まれた生物であった。 「あの北条が、鎌倉を支配すれば、我々も扱いやすいかもしれんのう」 ある時、法皇は、九条兼実にこう言った。 ■4 建久三年(一一九二)3月13日京都 後白河法皇の御殿に九条兼実が現れる。後白河法皇の最愛の愛人、高階栄子からの至急の呼び出しがあったのだ。彼女が丹後局(たんごのつぼね)である。 法皇の部屋には、病人独特のにおい が立ちこめ、香りがたかれていて、九条兼実は、むせかえりそうになった、 兼実は、すでに死のにおいをかいでいる。 病床にある後白河は、力なくやっと左手をあげ、「兼実、ちこうまいれ」と 弱々しげに言った。 「ははつ、法皇様。何かおっしゃりたきことがござりますやら」 「そばに行かれよ」後宮の女帝、高階栄子が、兼実をせかす。 「朕の遺言じゃ聞いてくだされ。よいか、それぞれの貴族の家、古式ののっとり、 各家々の特異技を家伝とされよ」 「それが、板東の奴輩に対抗する手でござますか」 藤原兼実も藤原氏の氏の長者になっているのだ。 「朕が遺言、よくよく聞いてくださるか兼実殿」 後白河法皇が、言った。 高階栄子が、兼平をせかす。 「それそれ、兼実殿、よいか、よーくおおききいれくだされや。殿下のお言葉じゃ」。 「よいか、兼実殿。京都に残るすべての貴族方々に告げられよ。各自、その連枝を以て、家伝とされ、それを子孫についでゆかれよ。またそれを以て、朕が、皇家を護るらしめよ。その連枝(れんし)をもって我が王朝を助けよ。まもれ よ」」 「坂東の族どもには、それしかないとおっしゃりますか」 「幸い、西行がはり巡ぐらせし「しきしま道」は、朕らが皇家の護りとなろうぞ。和歌により、、言葉にて我国土は護られようぞ。言葉の守りぞ。外つ国には、断じて我が項土ふめぬわ」 言葉によるバリアが張られていると、後白河法皇はいうのだ。 「これによりわが国は神と仏による鎮御国家となった」 「まずは藤原定家が先陣かと考えます」 法皇は、急に目をつぶり、静かになる、 「母上、兄上。いまおそばにまいらせましょう。目宮殿、萎宮殿もな」 法皇は、4つの宮であり、自分の兄弟の名前を呼んだ。 「家を、それぞれの家を、古式由来の技で守るのじゃ。いにしえよりの我々貴族の技こそ我ら貴族を守る。朕の遺言じゃ、、」 「兼実殿」 「はっつ」 「お、お主とは最後まで分かり合える事はなかったな」 「、、」 「が、頼んだぞ。わが王朝と貴族の連枝を守るのじゃ。、、それが藤原の、、」 「よいか、兼実殿のお役目ぞ」丹後局がかたわらで繰り返す。 法皇の様態が変化した。 「弁慶に謝ってほしいのじゃ。お、お前から伝えてくれぬか、、」 「弁慶ですか、、」 兼実は言いよどむ。熱病にとらわれているのか、法皇は、すでに弁慶がこの世 の人ではないことを忘れている。4年前1189年文治5年4月30日に衣川 でなくなっている。 「兼実殿、殿下のお言葉にあわせるのじゃ」 「朕は、この父は、悪人であった。お前を闇法師として使ってのう、許してく れ。お前の一生を犠牲にしてしまってのう」 法皇は、弁慶が目の前にいるようにしゃべっているのである。兼実が弁慶に見 えるようだ。兼実は、法王のいいがままにしている。 弁慶は法皇の子供だった。 「朕はな、この京都を守りたかったのじゃ。あの鎌倉が武者どもに、板東の蛮人 どもに政権は渡せぬぞ。血なまぐさき奴輩。京都を源頼朝や藤原秀衡に渡してなるものか」 しばらくは沈黙が続く。 「そうじゃ、西行は、西行はどこじゃ。崇徳上皇の霊が俺を呼んでおる。 早く、早く、崇徳の霊を追い払ってくれ。のう、西行。そうじゃ、平泉にの霊 御殿をつくる話しはいかがすすんでおる。藤原秀衡は喜んでおるか…」 兼実は、西行になったつもりで、告げた。 「西行はここにおわしますぞ。どうぞ、法皇様。経文を、経文をお唱えくだされませ」 「何、経文をか。よしわかったぞ。それに西行、もし朕が亡くなれば、よい か。あの法勝寺殿の跡に葬ってくれ。くそっ、木曾義仲め」 法勝寺殿は、現在の三十三間堂あたりにあった法皇の御殿であり、義仲の襲 撃によって焼き払われていた。八角九重の塔は、八十二mの高さを誇り遠くか ら望見できた院政と京との象徴でったが、今はそれもない。 「法皇、安んじなされませ。ほれ、経文をお読みくだされ…」 「おお、そうじゃ」 後白河は、経文を六度唱えた、静かに。院政最期の巨人は崩御された。 「法皇様…」丹後局以下侍女たちが嘆き悲しむ。 が、藤原(九条)兼実は、法皇の亡きがらを前に、これで頼朝殿に征夷大将軍の位を与えるこ とができると思った。 兼実は鎌倉殿、頼朝びいきの男であった。 建久三年(一一九二)3月13日、後白河法皇、崩御。66歳であった。 西行は崇徳上皇の霊をしずめることで、後白河法皇の信任を得ていた。西行 は、平泉に第二の御所をつくることと引き換えに崇徳上皇の白峰神宮をつくる ことを約束していたのである。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.22
■義経黄金伝説■第48回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第8章 1190年(建久元年) 河内国弘川寺 花の下にて我死なむ ■2 1190年(建久元年) 葛城弘川寺 荒法師、文覚が、次々と繰り出す八角棒を擦り抜け、文覚の体が浮いた瞬間を 西行の拳がついているのだ。 文覚が八角棒で次々と颶風を起こし、西行の体を狙うが、西行は風のように 擦り抜けている。回りで見ている文覚の部下たちも、二人の動きの早さに驚 いている。七十才の老人同志の争いとは見えぬ。 ここ、河内葛城の山を背景に、桜吹雪の降るなかで、二匹の鬼が舞い踊ってい る。一瞬、その時がとまり、桜の花びらが、どうと上に吹きあげられる。 一瞬、文覚の一撃が、西行の胸に深々ととらえた。突き刺さっている。常の西 行ならば、避けられないものではない。西行の体は地に付している。文覚は西 行をだきおこす。 「これで、気が済まれたか、文覚殿」 西行はいきたえだえに言う。 「なぜじゃ、西行。なぜ、わざとおれにやられた」 「ふふう、お主に対する義理立てかな。ふふう」 ふと、西行のある歌が文覚の頭を掠めた。『願わくば花のしたにて春しなむ その如月の望月のころ…』 「くそっ、西行、いやな奴じゃな、お主は。最期まで格好をつけよって、自ら の死に自らの歌を合わせよったか」 「そうだ、しきしま道のものならば、、文覚殿、我々の時代も終わりぞ」 「清盛殿、死してすでに七年か」 文覚、西行、清盛は、同じ北面の武士の同僚であった。 「文覚殿、最後に頼みがござる」 「頼みじゃと、さては貴様、俺にその約束を守らせるために、わざと…」 「義経殿の遺子、義行殿に会うことがあれば、助けてやってくれぬか」 「義行をな、あいわかった」 文覚は顔を朱に染めている。 「ありがたい。俺はよき友を持った」 西行よ、安んじて璋子(たまこ)様の元へ行かれよ」 「おお、文覚殿、その事覚えていたくだされたか」 「しらいでか」 西行は、一瞬思い出している。 ● 「西行殿、よく来てくだされた。この璋子の最期の願を聞いてくだされ」 「璋子様、最期とは何を気弱な事を」 待賢門院璋子(けんれいもんいんたまこ)が病床に横たわっている。 この時代の人々は、この世のものならず美しい姫君を、竹取物語に ちなんで「かぐや姫」と呼んだ。白河法皇にとってのかぐや姫は璋子だった。 そして西行の悲恋の対象である。 「西行殿、自分の事はよくわかります。我が入寂せし後、気がかりな事ございます 。その後の事を西行殿におまかせしたいのじゃ」 「お教えくだされ」西行は、やつれぐあいに、感がきわまり声がかすれる。 「璋子様。」 「我皇子たちのことじゃ」 「、、、、」 「影でささえてくだされや。璋子の最期の願じゃ」 璋子は、西行の手をしっかりとつかんでいる。が弱弱しいのが、西行にはわかる。 思わず、頬をつたわるものがあった。 「わかりました。璋子様、我命つくるまで、お守りいたしましょう」 宮廷恋愛の果て、待賢門院璋子のため、西行は、2人の皇子を守ろうとした。 2人の皇子とは、19歳の折りの皇子、後の崇徳法皇と、27歳の折の皇子、後の 御白河法皇である。待賢門院璋子は、鳥羽天皇の中宮であった。この親子兄弟 対立相克劇が、保元平治の乱の遠因となる。 ● 最期に、西行は、目を開け、文覚を見た。そして、懐から、書状を出す。 「文覚殿、頼朝殿への書状じゃ。またワシの最期、奈良の重源殿に伝え下され」 西行は目を閉じた。 「く、」 文覚は膝を屈した。しばらくは動かない。やがて、面をあげすっくと 立ち上がった。 「皆、この寺を去るのじゃ」 「文覚殿、せめて仲間の死体を片付けさせてはくれぬか」 「ならぬ、鬼一らが手の者、こちらへ向かっていよう。すぐさま、ここ弘川寺 を立つのだ」 「それは、無体じゃ」 「無体じゃと。俺は今、友達を自らの手で殺し、嘆き悲しんでおる。味方だと て、容赦はせぬ」 「文覚殿、我々を相手にされるというか」 「おお、お主らが、望むならばな」 「文覚殿、お主は頼朝殿のために働いていたのではないのか。それならば、最 後に西行から黄金のありかを聞くべきだったのではないか。先刻の西行の最後 の一言、その書状、何か意味があるのでは…」 文覚は、きりりと眦を聖たちの方に向ける。 「ふふう、そうじゃな。お主ら、義経殿が遺児のことを聞いてしまったな。や はり、ここで始末をつけねばなるまいのう」 文覚は、残りの聖たちの方に、ゆっくりと八角棒を向けた。 半刻後、鬼一法眼の率いる山伏の一団、結縁衆が、弘川寺の周りに集まってい た。 「血の匂いがいたします」偵察の一人が言う。 「遅うございましたか」山伏たちは、西行の草庵をあうちこち調べる。 「襲い手たち、すべて死に耐えてこざる」 数人の体や首に、桜の枝が、ふかぶかと突き刺さっている。 桜の枝が朱に染 まり生々しい。 「ふふ。さすがは西行殿。殺し方も風流じゃ」 結縁衆のひとりがつぶやいた。 「せめて西行様がこと、我らの間で語り継ぎましょうぞ」 「おう、そうじゃ。それが我ら山伏の努めかもしれん」 「それが、供養でございましょう。西行様がこと、義経様がこと」 山伏たちは、草庵の後を片付け始めた。 鬼一はひとりごちた。 「さては、聖たちがしわざ、文覚殿か、重源殿か…」 建久元年(一一九〇)二月一六日、河内国弘川寺にて西行入滅。 ■西行の入寂後、すぐさま、東大寺の重源は、ある命令を発した。 再建中の大仏殿の裏山が、切り崩しである。その裏山に隠されていたものに ついては歴史は語っていない。西行と東大寺がどのような約束があったかは 不明である。 西行が、その最期に、文覚に託した手紙も不明である。が、頼朝はその書状 を見て青ざめた。 かくして、西行も歴史の中に、人々の記憶に伝説して生きる事となった。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.21
義経黄金伝説■第47回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第8章 1190年(建久元年) 河内国弘川寺 花の下にて我死なむ ■1 1190年(建久元年) 河内国葛城弘川寺 葛城の弘川寺に西行はいる。 背後には葛城山脈が河内から紀州に南北に広がり 河内と奈良古京の道をふさいでいる。 庵の文机に向かい、外の風景を見ていた西行は、いにしえの友を思い起こして いた。平泉を陰都にする企ては、昨年の源頼朝の奥州成敗により、ついえて いた。おもむろにつぶやく。 「我が目的も、頼朝殿の手によって潰えたわ。まあ、よい。義経殿、またその 和子善行も生きておられれば、あの沙金がきっと役に立つだろう」 西行は、崇徳上皇のため、平泉を陰都にしょうとした。また、奥州を仏教の平 和郷であり、歌道「しきしま道」の表現の場所にしょうとした。それが、鎌倉殿、 源頼朝の手で費えたのである。 西行はぼんやりと裏山の方、葛城山を見つめている。季は春。ゆえに桜が満 開である。 「平泉の束稲山の桜も散ったか。俺の生涯という桜ものう……」 桜の花びらが散り、山全体が桃色にかすみのように包まれている。 「よい季節になったものじゃ」 西行はひとりごちながら、表へ出た。何かの気配にきずいた西行は、あたり をすかしみる。「ふふつ、おいでか?」と一人ごちる。 そして、枝ぶりのよい 桜の枝をボきボキと折り、はなむけのように、枝を土に指し始めた。ひとわた り枝を折り、草かげの方に向かって、話しかけた。 「準備は調いましたぞ。そこにおられる方々、出てこられよ。私が、西行じ ゃ。何の用かな」 音もなく、十人の聖たちが、草庵の前に立ち並んでいた。 「西行殿、どうぞ、我らに、秀衡殿が黄金のありか、お教えいただきたい」 「が、聖殿、残念じゃが俺らの道中、悪党どもに襲われ、黄金は、すべて奪い 去られてしもうた」 「ふつ、それは聞けませぬなあ。それに西行殿は、もう一つお宝をお持ちのは ず」 「もう一つの宝とな。それは」西行の顔色が青ざめた。 「そうじゃな、秀衡殿が死の間際に書き残された書状。その中には奥州が隠し 金山の在りかすべて記していよう」 「よく、おわかりじゃな。が、その在りかの書状のありかを、お前様がたにお 教えする訳にはいかぬよ」 「じゃが、我らはそういう訳にもいかん」 「私も、今は亡き友、奥州藤原秀衡殿との約束がござる。お身たちに、その 行方を知らす訳にはいかぬでな」 「西行、抜かせ」 聖の一人が急に切りかかって来た。 西行は、風のように避けた。唐突にその聖がどうと地面をはう。その聖の背に は大きな桜の枝が1本、体を、突き抜けている。西行、修練の早業であった。 「まて、西行殿を手にかけることあいならぬ」片腕の男が、前に出て来てい る。 「さすがは、西行殿。いや、昔の北面の武士、佐藤義清殿。お見事でござる」 西行は何かにきづく。 「その声は、はて、聞き覚えがある」 西行は、その聖の顔をのぞきこむ。 「さよう、私のこの左腕も御坊のことを覚えてござる」 「ふ、お前は太郎左か。あのおり、命を落としたと思うたが…」 いささか、西行は驚いた。足利の庄御矢山の事件のおりの、伊賀黒田庄悪 党の男である 「危ういところを、頼朝様の手の者に助けられたのじゃ。さあ、西行殿、ここ まで言えば、我々が何用できたか、わからぬはずはありますまい」 「ふ、いずれにしても、頼朝殿は、東大寺へ黄金を差し出さねばのう。征夷大 将軍の箔が付かぬという訳か。いずれ、大江広元殿が入れ知恵か」 西行はあざ笑うように言い放った。 「西行殿、そのようなことは、我らが知るところではない。はよう、黄金の場 所を」 「次郎左よ、黄金の書状などないわ」 「何を申される。確か、我々が荷駄の後を」 「ふふう、まんまと我らが手に乗ったか。黄金は義経殿とともに、いまはかの 国にな」 「義経殿とともに。では、あの風聞は誠であったか。さらばしかたがない。西 行殿、お命ちょうだいする。これは弟、次郎左への手向けでもある」 「おお、よろしかろう。この西行にとって舞台がよかろう。頃は春。桜の花び ら、よう舞いおるわ。のう、太郎左殿、人の命もはかないものよ。この桜の花 びらのようにな」 急に春風が、葛城の山から吹きおち、荒れる。 つられて桜の花片が、青い背景をうけて桃色に舞踊る。 「ぬかせ」 太郎左は、満身の力を込めて、右手で薙刀を振り下ろしていた。 が、目の前には、西行の姿がない。 「ふふ、いかに俺が七十の齢といえど、あなどるではないぞ。昔より鍛えてお る」 恐るべき跳躍力である。飛び上がって剣先を避けたのだ。 「皆のものかかれ、西行の息の根を止めよ」 弘川寺を、恐ろしい殺戮の桜吹雪が襲った。桜の花びらには血痕が。舞い降 りる。 西行庵の地の上に、揺れ落ちる桜花びらは、徐々に血に染まり、朱色と桃色 がいりまじり妖艶な美しさを見せている。 「まてまて、やはり、お主たちには歯が立たぬのう」 大男が聖たちの後ろから前へ出てくる。西行は、その荒法師の顔を見る。お 互いににやりと笑う。 「やはりのう、黒幕はお主、文覚殿か」 「のう、西行殿。古い馴染みだ、最後の頼みだ。儂に黄金の行方、お教えくだ さらぬか」 西行はそれに答えず、 「文覚殿、お主は頼朝殿のために働いていよう。なぜだ」 「まずはわしが、質問に答えてくれや。さすれば」 「お前は確か後白河法皇の命を受け、頼朝様の決起を促したはず。本来なら ば、後白河法皇様の闇法師のはず、それが何ゆえに」 西行は不思議に思っていた。 文覚は、後白河法皇の命で頼朝の決起を促したのだ。 「俺はなあ、西行。頼朝様に惚れたのじゃ。それに東国武士の心行きにな。あ の方々は新しき国を作ろうとなっておる。少なくとも京都の貴族共が、民より 搾取する国ではないはずじゃ。逆にお主に聞く。なぜ西行よ、秀衡殿のことを そんなにまで、お主こそ、後白河法皇様のために、崇徳上皇のためにも、奥州 平泉を第二の京都にするために、働いていたのではなかったのか。それに、ふ ん、しきしま道のためにも、、」 「ワシはなあ、文覚殿。奥州、東北の人々がお主と同じように好きになったの じゃ。お主も知ってのとおり、平泉王国の方々は元々の日本人じゃ。京都王朝 の支配の及ばぬところで、生きてきた方々じゃ。もし、京都と平泉という言わ ば二つの京都で、この国を支配すれば、もう少し国の人々が豊かに暮らせると 思うたのだよ」 文覚は納得した。 「ふふ、貴様とおれ。いや坊主二人が、同じように惚れた男と国のために戦う のか」 文覚はにやりと笑う。 「それも面白いではないか、文覚殿。武士はのう、おのが信じるもののために 死ぬるのだ」 西行もすがすがしく笑う。 「それでは、最後の試合、参るか」文覚は八角棒を構えた。西行は両手を構え ている。 八角棒は、かし棒のさきを鉄板で包み、表面に鉄びょうが打たれている。 「西行、宋の国の秘術か」 「そうよ、面白い戦いになるかのう」 (続く) 義経黄金伝説■第47回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.20
義経黄金伝説■第46回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第6章 1189年(文治五年) 平泉 ■7 1189年文治5年京都 京都の後白河法皇御殿にも平泉落城の知らせが届く。 「頼朝、ついに平泉へ入りました」関白,藤原(九条)兼実が後白河法皇に悲 しげに報告した。 「そうか、しかたがないのう。平泉を第二の京都にする計画潰えたか。残念じ ゃのう」 「せっかく夢を西行に託しましたが、無駄に終わりました」 「が、兼実、まだ方法はあろう」後白河は、また、にやりとする。 「と、おっしゃいますと…」 不思議そうに、兼実は問い返す。 (いやはや、この殿には…、裏には裏が、天下一の策謀家よのう。平泉を第二 の京都にできなかったは残念だが、次なる方策は) 「鎌倉を第二の京都にすることじゃ。源氏の血が絶えさえすれば、京に願いを することは必定。まずは頼朝を籠絡させよう。さらに頼朝が言うことを聞かぬ 場合は…」後白河の目は野望に潤んでいる。 「いかがなさいます」 「義経が子、生きていると聞くが、誠か」 「は、どうやら、西行が手筈整えましたような」 「その子を使い、頼朝を握り潰せ。また、北条の方が操りやすいやもしれぬ。 兼実、よいか鬼一法眼に、朕が意を伝えるのじゃ」 笑いながら、後白河は部屋に引き込んだ。兼実は後に残って呟く。 「恐ろしいお方じゃ」 兼実は背筋がぞくっとしている。 ■1189年文治5年 伊勢 西行も伊勢にある草庵で、平泉壊滅の知らせをききながら京都六波羅での ある男との会話を回想していた。 いまから二十九年前、永暦元年(一一六〇) 西行は、北面の武士当時、同僚であった平清盛を訪れている。 清盛と話す西行から、座敷の遠くに幼児と母親が見えていた。 「おひさしゅうござる。西行法師殿の巷の噂、ご高名聞いておる。これがあの 北面の武士、当時の佐藤殿とはのう」 清盛は、西行に色々な歌を代作してもらったことを思い出して、恥じらい、 頭を掻いていた。 「いやいや、北面の武士と言えば、あの文覚殿も」 「いやはや、困ったものよのう、あの男にも」 「今は、確か」 「そうじゃ、後白河法皇にけちをつけ、伊豆に流されておる。のう、西行殿。 古き馴染みの貴公じゃから、こと相談じゃ。この幼児、どう思う」 「おお、なかなか賢そうな顔をしておられますなあ。清盛殿がお子か」 「いや、違う。常盤の子供じゃ、名は牛若と言う」 「おう、源義朝がお子か」 西行は驚いている。政敵の子供ではないか。それをこのように慈しんでいる とは。清盛とは拘らぬ男よのう。それとも性格が桁外れなのか。自分の理解を 超えていること確かなのだ。 「そうじゃ、牛若の後世、よろしくお願い願えまいか。西行殿も確か仏門に入 られてあちらこちらの寺に顔もきこうが。それに将来は北の仏教王国で、僧侶 としての命をまっとうさせてくれまいか」 「北の…」 西行は、少しばかり青ざめる。 「言わずともよい。貴公が奥州の藤原氏とは、浅からぬ縁あるを知らぬものは ない」 にやりとしながら、清盛は言う。西行は恐れた。西行が秀衡とかなり深い関係 があり、京都の情報を流していることを知れば、いくら清盛といえども黙って いるはずはない。西行は冷や汗をかいている。 「……」 「それゆえ、行く行くは、平泉へお送りいただけまいか。おそらくは、秀衡殿 にとって、荷ではないはず」しゃあしゃあと清盛は言う。西行の思いなど気に していないように。 「清盛殿、源氏が子を、散り散りに……」 「俺も人の子よ。母上からの注文が多少のう」 相国平清盛は頭を掻いていた。母上、つまり池禅尼である。清盛も母には頭 があがらぬ。この時が西行と義経のえにしの始まりとなった。 (続く) 義経黄金伝説■第46回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.19
義経黄金伝説■第45回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第6章 1189年(文治五年) 平泉 ■7 1189年文治5年 平泉王国 平泉王国の焼け跡を馬で見回る二人の姿があった。源頼朝と大江広元であ る。 文治五年(一一九六)八月二二日、頼朝の奥州成敗で、実質上日本統一がな ったといえる。大和朝廷の成立後も奥州は異国であり、異国であり続けた。 二人は、中尊寺のところに来ていた。この寺跡は焼け残っている。見上げる 頼朝は、感動していた。 「おお、広元、この平泉王国の富、さすがというべきか」 「ははっ、聞きしに勝る都城でございます」 西行がいった通りだと頼朝は考えていた。平泉は仏教王国だった。 なにしろ、頼朝は、伊豆に流されて以来、毎日毎日読経ばかりだったのであ る。心根に仏教教典が染み付いている。空で経文がいくらでもいえるのだ。 奥州藤原氏に対するやっかみの心が、頼朝に擡げてきた。 (こやつら奥州藤原氏にだけは、負けたくない。私が日本の統一者だからだ。 私が日本一の武者の大将なのだ。それならば、私の町鎌倉にもこのような寺が 必要だ。 「このような寺を鎌倉に作るのじゃ。鎌倉が、都や平泉に劣ることあれば、わ れらが坂東武者、源氏の恥じぞ。この平泉におる職人共をすべて鎌倉に連れ帰 り、寺を建てるのじゃ」 「心得ました。この平泉にある寺の縁起、すべて書き出し、我が手に提出致し ますよう命じてございます」 頼朝の願いどおり『鎌倉には、平泉の寺院を模倣した寺が建てられた』が、 それは平泉には及ばない。所詮は、平泉の寺院のコピーでしかないのだ。コピ ーは本物をこえることはできない。 やがて、頼朝は、目下気になっていることを聞いた。 「泰衡が弟、忠衡、発見できぬか」 「いまだ発見できませぬ」広元は残念そうに答えた。 「ええい、忠衡がおらねば、黄金の秘密一切わからぬとは」 古代東北の地、中でも気仙地方は、世界でも最大級の豊かな金鉱を有して いた。今出山金山、氷上山の玉山金山、雪沢金山、馬越金山、世田米の蛭子館 金山などである』 頼朝はいらついている。 (この国を攻めたは、実は奥州黄金を手に入れることぞ。この国の王には黄金 が必要なのだ、あの京都を凋落するのは黄金が一番なのだ) 「国衡も見つからぬのか」 「いまだに姿が見えませぬ」 「ええい、国衡もいないとならば、奥州の金を手に入れたことにはならぬ。さ れば何のための奥州征伐ぞ」 怒りの目で、頼朝はあちこちを見回している。その時、何かがキラリと光り 頼朝の目をいた。 「あれは…」 頼朝が、小高い台地にある焼け跡に目を移した。あきらかに何ヵ月か前の焼 け跡である。 二人は高館の跡まで馬を走らす。 「この場所が、義経殿が最期を遂げた場所でございます」 広元が冷静に告げていた。 「義経が死に場所か……よし、少しばかり見て行くとするか」 その頼朝の目には、涙がにじんでいる。頼朝は馬を、その台地に乗り上げ、 ゆっくりと馬から降りた。その場所から崖が北上川へと急に落ち込んでいて、 東稲山も間近に見える。頼朝はその風景を見ながら思った。 「目の前のあの山が東稲山でございます。西行殿が愛でた桜山です」 (義経、なぜ私の言うことを聞かなんだ。俺は武士の世を作ろうとしたの だ。それを後白河法皇などという京都の天狗に操られよって…。我が兄の心 根、わからなんだか。やはり母親の血は争えぬか) 頼朝は母常盤の血を引いていた、やさしい、さびしげな義経の顔を思い浮かべ ていた。 (あのばか者めが…) 太陽の光を受けて、頼朝の眼をいる輝きが焼け跡にある。 (これは…) 頼朝は、その土を触ってみた。何かが土仲から姿を現す。 それは、猛火にも拘わらず、溶け掛けた銀作りの猫の像だった。見覚えがあ った。 「大殿様、その像は…」 広元が不審な顔をしている頼朝に尋ねた。頼朝は3年前の、鎌倉での西行法 師の顔と話を思い起こしていた。 「西行め、こんなところに…、やはり」 頼朝は悔しげに呟いている。 「では、その猫の像は、あのおり西行にお渡しなされたものではございます か」 「そうだ」 「やはり、西行は後白河法皇様のために…」 「いや、違うだろう。西行は義経を愛していたのであろう。まるで自分の子供 のようにな…」 頼朝は遠くを思いやるようにぽつり述べた。広元はその答えに首をかしげて いた。 思い出したように頼朝が告げた。 「平泉中尊寺の寺領を安堵せよ」頼朝は急に広元に命令を下していた。 頼朝は信心深い性格だった。三二歳で伊豆で旗を揚げるまで、行っていたこ とと言えば、源氏の祖先を祭り、お経を唱えることだけだった。 まさに、日々、お経しか許されていなかった。毎日十時間の勤行は、頼朝の 心に清冷な一瞬を与えていた。神、仏が見えたと思う一瞬があるのだった。こ の一瞬、頼朝は思索家と思えるものになっていた。 頼朝は、自らの行っている幕府作りが日本の歴史上、大きな転換点になると は考えてもいる。 板東の新王、ついに平将門以上の存在になった。 源氏の長者が、何世紀にもわたって成敗できなかった奥州も我が手にした。 彼の考えていたのは、武家が住みやすい世の中を作ることのみであった。 (続く) 義経黄金伝説■第45回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.18
義経黄金伝説■第44回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第6章 1189年(文治五年) 平泉 ■5 1189年文治5年7月 鎌倉 「さあて、源氏の古式にならい、旗をあげる時じゃ、広元、準備おこたりない か」源頼朝が言った。 大江広元は大江国房の孫である、平泉に攻めいるは源氏が「前九年の役」から の野望であった。 「源氏の血を奥州に広めねばならん」。 「大殿(頼朝)様、日本のすべての国に動員をかけませ。頼朝様の見方かどう か判断できましょうぞ」 「ということは、源平の争いのおり、我が源氏の軍に刃向かいものどもにも、 動員をかけるわけか」 「さようでございます。今天下は大殿さまに傾きつつあります。誰が見方か、 敵か、この動員に参加するかどうかで見事にわかりましょうぞ。これにより、 大殿様の天下草創が周知徹底できましょうぞ。すなわち、源氏が武家の王であ ることが見事証明できましょう」 「わかった。みなまでいうな。広元、その力をもって平泉を征服しょうぞ」 ■ 東国は将門(まさかど)の乱の後、1028年(長元1年)平らの忠常 (ただつね)が反乱を起こした。追討使は源頼信。多田の満仲の子供である。 源頼義(よりよし)は前九年の役(1051年から1063年)、後三年の役 (1083年-1087年)を通じて関東平家を郎党とする事に成功した。 源頼義(よりよし)は、板東の精兵を、奥州の乱の鎮圧に動員した。その契機 は平直方(なおかた)の娘婿となったからである。忠常(ただつね)の乱のお り、平直方(なおかた)は追討使となり、源頼義(よりよし)の騎射の見事さ に感心し、娘を嫁がした。 平直方(なおかた)は鎌倉に別荘を持っており、源頼義は義理父からこの屋敷 を譲り受ける。鎌倉は関東平氏のの勢力範囲であったが、源氏は関東地方に人 の支配権を得た。源頼義の子供であり平直方(なおかた)の外孫である義家 (よしいえ)は、前9年の役、後3年の役でその武名を天下にとどろかせた。 源義家よりの4代目が、源頼朝、源義経の兄弟である。後三年の役は1087年に 終わり、その100年後、頼朝の私戦、奥州大乱は、1189年7月に鎌倉の出発を 持って始まる。 頼朝は、新しい日本歴史を作ろうとしていた。日本の統一である。 ■6 1189年(文治5年)9月 平泉王国 (なぜ私が攻められるのじゃ)。 奥州王である藤原泰衡は悲しくなった。 (約束を守ったではないか。ちゃんと頼朝が言うとおり、義経を殺し、その首 を差し出したでしないか。義経を差し出せば、奥州は安堵するという約束をし たではないか。くそっ、西の人間など、やはり信頼できぬ。この戦どうしたも のか。助かる手段はないものか。そうじゃ、ともかくも頼朝に平謝りに謝ろ う。そうしなければ、親父殿、祖父殿に申し訳が立たぬ。この身、どうしても 奥州仏教王国守らぬばのう。 そうだ、まだ西行がおる。あやつを捕まえ、頼朝に申し開きもうそう。そう だ、それがよい) 奥州の平泉王国第4代国王、藤原泰衡は思った。 が、一瞬後、その命が吹き引き飛んでいた。郎党、河田次郎の裏切りであっ た。奥州黄金郷は、ここに滅んだ。 1189年(文治5年)9月3日の事である。 (続く) 義経黄金伝説■第44回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.17
義経黄金伝説■第43回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第6章 1189年(文治五年) 平泉 ■4 1189年(文治五年) 十三湊(とさみなと) 津軽平野を横切る岩木川の河口に十三湖と呼ばれる海水湖がある。現在は狭 い水戸口で日本海と結ばれているが、昔は広大な潟湖であった。 義経と吉次が目指していた十三湊(とさみなと)がここである。 藤原秀衡、その弟秀栄の勢力圏である.この十三湊を中心に蝦夷地、 中国大陸との貿易を行い、繁栄していた。この湊から貿易された蝦夷や、黒龍 江など、異民族の産品は、京都に送られ、公家たちを喜ばせていた。 夷船、京船など各国の船が商売を求めてこの港をおとづれている。その船ど まりに、吉次の船は停泊している。船を外海用の船にさし変えて出かける。食 糧、水を積み込むためである。 「吉次よ…」と義経は吉次に呼びかけていた。牛若の頃を思い出している。 「そうだ、あの源空はどうしていよう。今の私の姿を見たらどういうだろう」 源空はすでに法然として宗教活動にとりくんでいる。後白河法皇も帰依してい るのだ。 (無駄な殺生はおやめなされと今でもいうかな。だがすでに私の手はもう汚れ ている、平家の若武者の屍をいくたり気づいてきたことか。日本全国に死体の 山を気づいていた。兄じゃのために、その私が兄者のために、この日本を追わ れるのだ) 今はもう若き頃、思い出だ。 「京都の鞍馬山、よう冷えたな」 「はっ、殿。京と鞍馬山よりも奥州平泉の方が寒いのではありませぬか」 吉次は、義経の質問の意味をうまく理解できずに答えていた。 「いや、吉次。人の心じゃ。京の人の心は冷たすぎる。あの都市の地形による ものなのか」 「が、殿、これからゆかれる蝦夷はもっと寒うございますぞ。雪も深うござい ます」 「そこに住む人の心が暖かければよいが…」少しばかり義経は考えていた。 「ところで吉次。静は健やかだろううか」 「心配なされますな。後ろ盾には西行様がついておられます」 「が、西行様もお年じゃ」 「ようございますか、義経様。義経様が今日あるは、西行様の深慮遠謀のお 陰。すべて考えられる手は打っておられます」 義経は、目の前に広がる寒々とした日本海の海面を見つめ、寂しそうにして 言った。 「そうであろうな、無論。が、吉次殿、お前はなんで私を逃がす手助けをし た。なぜ心変わりした」 「吉次は商人。利で動きますぞ」吉次は僅かに笑ったようだった。 「利か。私と一緒にいて、お主に何の利益がでるか」 「ふふう、それはこれからの義経様の動き次第。よろしいか、義経様。十三湊 の先は宋国そして、あの金でございます。また新しい国が誕生するとの噂も聞 いております。その時に義経様に助けていただきましょう。藤原秀衡様の祖 父、清衡様は、昔から黒龍河を逆上っておられます。その河の沿岸には、商品 が数多くございましょう」 「それに吉次、俺は蝦夷の地図を持っておるからのう」 「そう、それでございます。それは言わば宝の地図。いろんな商材がありまし ょう」 吉次は遠くを思いやるような眼をした。 「もう一度、夢を追ってみるか」吉次は思った。 (奥州藤原秀衡様のお陰で一財をなした。が、その秀衡様も今はない。これ からの日の本は、源頼朝殿の世の中になる。が、そのうち外国で一儲けも二儲 けもしてみよう。商人吉次の心には、もう日本の事は映っていないかもしれな い。 出雲、備前、播州、大坂渡辺、京都平泉第、多賀城、平泉、、。 あちこちを移り住み、商売をした。平の清盛と共に奥州の金をつかい、福原で 宋の商人と貿易もした。日本全国に吉次事の手配の者が散らばり商売を行って いる、主人であるこの儂がいなくても、商人の砦としての吉次王国は揺るぎも しまい。儂の後輩が跡を継いでくれよう。日本全国に儂のような商人が増え、 日本の商売が繁栄し、日本が繁栄するだ)吉次はそれを、望んだ。 (日本が平和であればよい、すでに頼朝殿により、日本は統一されるだろう) もの思う吉次、義経二人の前に、唐船が、突然現れて、義経らの船腹に急激 に力任せにあたっていた。 衝撃が走る。 「む、この唐船は、、何用」 「何奴?」 船から竿がのび義経の船へ。その船へ飛び乗ってきた僧衣の聖たちが、突 然、義経を圧し囲んでいた。 「義経様、お命ちょうだいいたす」聖たちが叫んだ。 「待て、お主ら、誰の手の者じゃ」 「我らか。我らは文覚様が手の者じゃ」 「何!文覚」 「今はもう頼朝様が世の中。義経様のこの世での役割、もう終わられたぞ。消 えていただきたい」 「まてまて、お主ら、文覚殿にお伝えあれ。この義経は兄上と張り合う、その ような望などない。もう私、義経は日の本にはおらぬ。遠い国へ行くのじゃ。 日の本のことなど預かりしらぬこと」 「それが俺らは合点が行かぬ。いつ帰って来られるかわからぬ。それは頼朝様 が世を危うくする」 聖たちは、八角棒を構え、殺意をあらわにしている。義経はしかたなく刀を 引き抜いている。坂上田村麿呂将軍の刀である。飛びかかる男を二人切り放った。 船上で、殺戮が始まろうとした。 「まて、皆、やめよ」戦船の長らしい男が、船からわたって来て、義経に対峙 していた。 「義経様と存じ上げます、我らも無駄な殺生はしたくはございません。文覚様 からの伝言をお聞きいただきたい」 「何、文覚殿の…、申してみよ」 「もし、坂上田村麿呂将軍の太刀をお返しくださるならば、我々手を引くよう に言われております。我らが目的はその太刀でございます」 「なに、この大刀を…」 「さようでございます。その太刀は征夷大将軍の太刀、大殿様にとっては征夷 大将軍という位、大切なものでございます。また皇家にあっては、その太刀が 外国に渡ること、誠に困難をを生ぜしめます、なぜなら皇家にとって、その刀 は蝦夷征服をして統一を果たした日本国を意味する大事な刀でございます」 吉次が言った。 「義経殿、よいではないか。お返しなされい。そんな太刀など、どうでも良い ではございませぬか」 「何を言う、吉次。お前も知っておろう。この太刀、我が十六歳のおり、鞍馬 から盗みだし、ずっと暮らしを共にしてきた刀じゃ。そう、やすやすと…」 船長が、続けて言う。 「では、こういたしましょうか。約束をもうひとつ。もし、その太刀をお返し くださるならば、決して義経様が和子、義行(よしゆき)様を襲いはしないと お約束いたしましょう」 「我が和子をか。くそ、文覚め」 「が、殿、このあたりが取引の決め所かと」吉次が告げる。 「この商売人めが。むっ」 しばらく、義経は考える。 「よい、わかった。この太刀、お返しいたそう。が、必ず、我が和子、義行が こと、安全をはかってくれ」 義経の太刀は、頭らしい男の手に渡った。 やがて船と船とを繋いでた桁が外されている。 「では、義経殿。よき航海を、いや失礼いたしました。これから先の事。我々 の預かり知らぬことでした。我々は義経殿には合ってはおりませぬ。ただ、 海から行方知らずの太刀を、拾いあがただけの事」 両船は、少しずつ、離れて行く。 「が、義行のこと、必ず約束を…」義経は船にむかい叫んだ。 「わかり申した。文覚様にそう告げます」 「大丈夫でしょうか」 吉次が疑問を投げる。 「まあ、西行殿、鬼一殿、生きておわす間はな、大丈夫であろうよ」 義経は、遠くをみながら言った。 (続く) 飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.16
義経黄金伝説■第42回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com 第6章 1189年(文治五年) 平泉 ■3.文治五年(1189)鎌倉 文治五年(一一八九)六月一三日。 「九郎義経殿の首、届きましてございます」広元が頼朝に告げていた。 「何、義経の…」 「いかがいたしましょう。御館様直々に」 「いや、止めておこう。顔を見知りおく梶原景時と、和田義盛に行かせるのじ ゃ」 (これが義経が首か)塩漬けにされた首が、漆箱から出された。梶原景時は 思った。 (何とこやつは不思議な奴よ。数々の新しい戦い方を考えつきながら、言う こと、話すこと、考えることは、まるで童子のような奴であった) 義経の首は、塩漬けにされていた。奇麗に彫金された漆の箱から取り出され る。 (されど、泰衡も可哀想な奴よ。自らの首を絞めよったわ。頼朝様が自分の 弟をこのような目に合わした奥州藤原氏を許す訳がない。なんと政治的見解の ない男よのう。所詮は奥州の田舎者。祖父、父よりはずーっと人間が下がりお る)梶原は思った。 (頼朝様の怖さを知らぬ。あの方は自分の思いどおりに動かぬ者、あるいは頼 朝様の思いを読み取れぬ者を非常に嫌われるのだ。が、それに義経に対する兄 弟愛を泰衡は気づかなんだか。 義経を捕縛して、頼朝殿に差し出せば何とかなったかもしれんな。いや 、まてよ、やはりだめか。 頼朝様が欲しいのは、奥州は金の打出の小槌よ。頼朝様が言えば言うだ けの金が送り込まれて来るわ。)これからの戦略を梶原は思った。 頼朝は忙しげにあちこち歩き回っていた。頼朝は自分で命令しておきなが ら、義経の首は見たくなかった。 「どうであった」不安げに頼朝は、広元に尋ねた。 「梶原曰く確かに義経様の首であったということです」 「むう、泰衡め。我が弟を殺しおったか。早速、奥州を打つ。我が弟が敵じ ゃ」 頼朝は、急に怒り出した。 その怒りの激しさに、広元は驚いている。 (なぜだ。ご自分が命令なさったくせに。この殿は、京の女子のようなところ があるな) 「院宣はどうなさいます」 「そのようなもの、必要ない。この頼朝の弟を殺したは許しがたい。奥州藤原 氏め、余が総指揮をとって攻め滅ぼそうぞ」 頼朝は甲高い声で、上ずって、まるでヒステリー状態のように命令してい た。 「御意。いよいよ日本は、頼朝様のもとに」 「広元よ。日本よりも、俺は義経を殺した泰衡めが憎いのじゃ。父秀衡があれ ほどかわいがっておった義経を、自分が王国支配したいがゆえに、殺してしま いおった泰衡めがのう」 「はあ…」広元は急に気が抜ける気がする。 (一体、何を考えておられるのじゃ。が、まあよい。今は奥州藤原氏を滅ぼせ ばよいのじゃ) 広元と頼朝は、しばし無言でみつめあう。 頼朝は、急に昔にした義経との会話を思い起こした。 「兄上、父上は兄上に似ておられますか」 頼朝は、急に義経にこう聞かれたのだ。 「なんだ、こいつは…」 義経は真剣な眼差しで頼朝をじっと見つめている。 「こやつは子供か」 と頼朝は思った。 義経、は父のことを覚えていないのだ。一二歳の時まで父親と一緒に戦い、 無念にも負けた頼朝とは違う。父親の愛情を受けたこともなく、父の記憶もま ったくないのだろう。義経の心のどこかに、父を思う気持ちが常にあるのだ。 と、人間観察にかけては優れている頼朝は思った。 (このような純粋な心を持っている奴は、かえって危ない。思い込んだらそ れこそ命懸けだ)と、頼朝は義経の心の純粋さを羨み、そして義経を憎んだ。 一方、大江広元は、鎌倉へ来いという書状を受け取った日のことを思い起こし ていた。貧乏貴族である大江広元は、昇殿を許されていない。つまり、帝にお 会いすることなど、かなわぬのだ。 しかしながら、幼少のころから蓄積された学問が、広元の自意識を肥大させ ていた。 (私は大江の家のものだ。自分ほどの者が、なぜ重用されぬのか。藤原の阿呆 どもが、 どんどん出世し、なぜこの俺が、このような貧乏ぐらしをしなければならぬの か) 鬱屈した意識が、一層勉学に打ち込ませていた。 そんなある日、源頼朝の元にいる知人から、ぜひとも鎌倉へという手紙を受 け取のだ。 新たな天地、板東の鎌倉!。 新世界。 広元は迷った。鎌倉などは町ではない。この当時、日本で都市といえたのは 京都、そしてかろうじて南都奈良。そして奥州藤原の平泉。それ以外は泥臭い 田舎である。教養人など、一人もいないのだ。 広元は文化の香りが好きだっ た。知的な会話を欲していたのだ。その知識人のいない鎌倉へなど。しかし、 義経の存在が、広元の意を決しさせた。 それは暑い日だった。 その日、木曽将軍を滅ぼした義経の軍勢は、都大路を行軍していた。京の民 は、「ほう、あれが義経か」と物見高く、都大路に並び、一目有名な義経を見 ようとざわめいていた。義経は武巧一の武者であり、そしていわばアイドルス ターだったのだ。 広元は興味にかられ、庶民の間に入って、義経の軍勢を眺めていた。 「うっつ」広元は、衝撃を受け、急に道ばたに倒れていた。 何かが広元の額に当たり、一瞬気を失い、倒れたのだ。 やがて、気がつくと、額が割れじっとりと血がにじんでいる。 「くそっ、一体」 「だいじょうぶかい、お公家さま」 見知らぬ庶民が、不安げに広元に声をかけている。 「一体、私はどうしたのだ」 思わず、ひとりごちていた。 「お前さん、気付かなかったのかい。義経さまの馬が撥ねた石が、お前さ んの頭に当たったのさ」 額に手をあてる、じっとりと血がにじんでいる。 「何…、今、義経は…」 怒りの勢いに、その庶民の男はのけぞり指さす。 「ほら、あそこさ」 広元は勢いこんで人込みをかき分け、義経の顔を覚えておこうとした。 「おのれ、義経、覚えておけ」 (相手は凱旋将軍。何も覚えてはいまい。俺は単なる路傍の石。が、今に見て おれ) 何かが広元の中ではじけていた。 (俺は、俺の知識で新しい国を作ってやる) 急にそんな思いが、広元の心を一杯にした。思いもかけぬ考えだった。そんな ことを、今の今まで考えてもみなかった。 この日、しかし、民衆の羨望の目を浴びながら、にこやかに、すこやかに、 何の苦労も知らぬげに、都大路をゆったりと後白河法皇の元へ向かう義経に、 広元はどす黒い怒りを覚えた。 (続く) 飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.15
義経黄金伝説■第41回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第6章 1189年(文治五年) 平泉 ■2 1189年(文治五年) 平泉 平泉ちかく北上川の川縁にいる西行が、吉次の方に向って言った。 吉次は小船を用意している。 「さて、吉次殿。義経殿の逃げ先、よろしくお願いいたします」 「わかりました。すべておまかせを。して静殿は、いかがいたします」 「吉次殿、この手配りは、静殿には話していない。供を付けて京都に帰って いただくか」 「わたしもそのほうがよいと考えます……」 吉次も首肯した。静は気を失って倒れている、 遠くやけくすぶる高殿、義経屋敷跡の煙が巻きあがっている…。 二日後、北上川の船上に、ゆったりとすわっている義経がいた。 吉次が姿を見せる。気付いた義経が話しかける。 「のう、吉次殿、十五年前もお主の船で、だったな」 「さようでございますなあ。なつかしい限りでござます」 吉次は、遠くを見透かすような目をする。 「あの折りは、ものもわからぬまま、お主に連れられ、摂津大浦(尼崎)から 多賀城まで一航海じゃった。が、あの頃の俺は、意気に燃えておった」 「何をおっしゃいます、義経様。これから、まだまだでございます。これから の行き先、蝦夷には、新天地が待っていましょうぞ」 義経にとって平泉は新世界であったが、まだ、その先の新世界へ行こうという のだ。 「吉次殿、お前もあの頃に比べると、偉くおなりだな」 「あの仕事で、私に運が開けました。お陰様であの縁で、藤原秀衡様にかわい がっていただき、このような身代が築けました」 「ああ、そうか、すべては西行法師殿のお陰だなあ」 「さようです。西行様のお陰でございます」 「残念ながら、私は西行殿の役には立てなんだ」 義経はすこし寂しそうな顔をした。 「西行様の思いとは…」 「あの平泉を、第二の京都、陰都とするとする事じゃ。そして崇徳上皇をお祭 りする事だ。平泉王国を、北のそなえとして仏教王国として、平和郷を作るこ とだった。その将軍が私だ。また、主上を、平泉お招きするという案だ。この 企みは、後白河法皇も気に入っておられたのだ」 「仏教の平和郷ですか。もう、それもこの日本にはございますまい。すべては 鎌倉殿の思いのままになりましょう」 「藤原泰衡殿が、兄上頼朝殿と何とかうまくやってくれればよいが」 「それは、やはり、むつかしゅうございましょう」 吉次は冷たく突き放した。 北上川の水面も寒々と、月光をあびて澄み渡っている。 ■1189年文治5年・京都 「なに、義経、自刀したとな」 後白河法皇がうめいた。 「今、多賀城国府より知らせが入りました」 藤原(九条)兼実が答えた。 「しかたがないのう。後は頼朝が動き注意せねばなあ。ところで、義経が家 来、皆、討ち死にいたしたか」 後白河が、兼実に不安げに尋ねた。 後白河の顔色を見て、藤原兼実が意地悪く尋ねる。 「院がお気になさっているのは、弁慶の事でございましょう」 兼実は、うれしげに返事を待っていた 。 「そうじゃ、あやつは朕が手先。が、途中で義経に寝返ってしまいよった。せ っかく熊野の山で見つけた、朕がための闇法師だったのだが」 「さようでございましたな。院が熊野へ参拝なさったのも、もう三十回になり ましょうかや」 「そうなのだ。弁慶は十度目の熊野参拝の折り、朕が、眼につけたのだ」 後白河はそのおりを思い返すように言った。 この時期、蟻の熊野詣といわれるくらいに、熊野詣は流行っていた。我も我 もと、皇族や貴族が和歌山の熊野に詣でるのである。京都から淀川をくだり、 渡辺津から泉州をぬけて… 熊野は旧き日本の時から、1つの王国勢力であり無視できぬ。それゆえ、特別 の配慮が行われている。熊野三社は伊勢神宮と 同格とされている。大和朝廷統一以前の勢力がいまでも残滓として残ってい る。山伏もこの地域を勢力範囲とした。 当時の海の交通には熊野の海商が、海の侍が大きな役割を果たしている。 熊野三社の供御人(くごにんー神社に属する人間)が、遠く奥州まで船を運ん でにぎわっている。 熊野、伊勢の回船や船人をいかに把握するかが、この時期の日本の支配者には 是非とも必要であった、山伏もまた、この時期の日本にひとつの勢力である、 が、頼朝と広元は、日本全国に守護地頭という制度をつくり、板東のご家人を 送り込む事により統一しょうとした。 十度目かの後白河法皇の熊野巡幸。その折りに山法師が後白河法皇の宿所に 願を願っていた。 「殿下、弁慶とか申す山法師、ぜひともお目にかかりたいと申しております」 「どんな奴じゃ」 「いや、それは化け物のような…」 「化け物のようじゃと、おもしろい」 「朕が会ってみようかのう」 「お止めください。危のうございます」 が、その返事の前に、向こうで騒ぎが興り、何かが法皇の前に飛び出して来 ていた。雑色を振り切り、弁慶が雑色たちの人垣を跳躍して来たのである。恐 るべき膂力であった。 「私が、その化け物の弁慶でございます」 悪びれずに、その大男は言う。後 白河は思わずたじろいでいたが、 「くはは、お主が弁慶か。ふふふ、おもしろい奴よのう」 が、一瞬、後白河は、弁慶の顔に何かを見たようだった。 「いかがなされました、法皇様」 「いや、何でもないのじゃ。汗が目に入ってのう」後白河は顔をつるりとなで た。 「それでは、私の考え、お聞きください」 護衛の武士が追いついて来た。 「恐れ多いぞ、何者ぞ。主上の前なるぞ。いかがいたした」 「よいよい、しゃべらせてやれ」 「よろしゅうございますか。法皇様、この世の中は、断じて間違ごうてござい ます」 「何をぬかす」 「よいよい、しゃべらせてやれ」」 「平家がごとき世の中を支配するとは、必ず法皇様、天を御所に取り戻してく ださいませ。これらは我らが願いにございます」 「我らじゃと、我らとは誰じゃ」 「我々、山法師でございます」 「ほほう、気にいったぞ。お主の心根、面構え、名は何と申す」 「はっ、武蔵坊弁慶と申します」 「弁慶とやら、朕の闇法師を申し付けるぞ」 ちらりと後白河は笑ったように見えた。が、弁慶は 「ありがたき幸せ」 と深々と頭を下げているので、その表情が見えない。 「して、お主の母、ご鶴女殿は息災か」 「法皇さま、わたしの母親の名前をなぜご存じか…」 「うむ、昔あったことがな、あるのじゃ」 (続く) 飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.14
義経黄金伝説■第40回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第6章 1189年(文治五年) 平泉 ■1 1189年(文治五年) 平泉 文治五年(1189)4月30日』 「もはや、これまでじゃ。義経殿を高館を襲え」 奥州、藤原泰衡は、目の前に揃う武者に命令を下していた。激情で目の前が 真っ赤になっているのだ。 奥州藤原の武者たち500騎乗は「おう」と鬨の声を上げる。 藤原秀衡がなくなりまだ、2年とたたない。泰衡は平泉で兄弟や部下の粛正を つくかえしている。自分の命令を聞かない部下や弟を亡き者にしていた。 その滅亡へ、自ら進んでいるのだ。 武者は、義経がいる高館を目指して駆け寄ってくる。高館の物見がきずく。 高館に火矢が打ち込まれる。 泰衡の軍勢は、半刻後、高館を取り囲んでいた。逃れる道はない。高館へ のすべての道は兵で塞がれている。 「高館が、燃え上がっております」 燃え上がる高館近く、北上川の対岸で、西行と静が二人していた。 「くそ、まにあわかたか。静殿、残念じゃ、」 「静殿、義経殿にあのこと伝えてられよ。聞こえるかも知れぬ」 西行は静を促した。 西行は。高館にいる義経に伝えよう叫んでいる。 「殿、和子は生きておわす」 遠くから、静は義経に呼びかける。聞こえているのかいないのか義経の姿は望 見できない。 「殿、わ、和子は…頼朝様のご慈悲で生きておわす。和子の命、お守りくださ ると約定いただきました。これは政子様も、ご承知になられております」 義経の姿が見えたような気がした。、静の姿にゆっくりうなずき、炎の中に入 って行った。 火の手が高館すべてにまわっている。 外から呆然と見上げる西行と静。 「さあ、もうよかろうぞ」 「義経さま……」 静は、高殿の方へ声を限りに叫んでいる。 高館の中、 「もはや、これまでか」義経はうめいている。 「義経様、どうぞ、ご準備のほうを」 東大寺闇法師、十蔵が、義経そっくりの顔で言う。十蔵は西行の命令で、こ の地にいるのだ。 「十蔵、私だけが助かる訳にはいかん。私を信じてついてきてくれた郎党たち も、助けてくれ」 「義経様、それは無理というもの」 義経の回りには弁慶始め郎党たちが、取り囲んでいる。皆、覚悟を決めてい るのだ。 「どうぞ義経様、お逃げくだされ。我々はここで討ち死にし申す」 弁慶が涙ながらに言う。 「そうです。それが日の本のため」他の郎党も続けた。 「どうか頼朝殿に無念をはらされよ」 「弁慶、自分だけいい子になるなよ」 「よろしいですか。義経様は我々の宝。いえ、この日本の黄金じゃ、どうか生 き延びてくだされ」 「武者は戦場で死ぬものでございます。我々、義経様のために死ぬこと、恐れ ませぬ。むしろ誇りに思います」 「我々は、平氏との、幾たりかの、戦いを、楽しませていただきました」 「武勇こそ武士の誇り] 「義経様…」 「俺は良き友を持った」 義経のほおを、滂沱の涙がしたたりおちている。義経は、その涙を拭おうとも しない。 「友ですと。我々郎党をそのように…」 義経の郎党、全員が義経をとりかこみ泣いている。皆、胸に込み上げて来る ものがあるのだ。 弁慶は思った。これは愛かもしれんな。衆道ではない。仏門で、衆道は当た り前だが、俺の義経様への思いは、やはり愛だろう。そうでなければ、もとも と俺は後白河上皇様の闇法師じゃ。鎌倉殿の情報を取り入れがために、義経様 に近づいたのじゃ。 弁慶は不思議に思った。そして時折、後白河法皇の憂鬱げな顔を思い出 していた。弁慶を見る法皇のまなざしには何かがあった。家族愛、不思議な感 覚であった。弁慶は、また、一個の後白河法皇の闇法師、いわば法皇の捨てゴ マだった、その男に対し法皇のまなざしは何かを告げようとしていた。法皇は 、今でもまだ、白拍子を呼んで、今様を口ずさんでおられるのだろうか。弁慶 は遠く、京都にいる法皇を思った。 「泣いている暇など、ありません。早くお逃げくだされい」 東大寺闇法師、十蔵が冷水を浴びせる。 「何じゃと、人間の感情がわからぬ奴じゃのう、お主は」 弁慶が涙で目を一杯にしながら、十蔵にけちをつける。 「弁慶殿、俺らが東大寺闇法師の命は、目的のために捨てるのが定法。今がそ の時。一刻も猶予はならんのじゃ」 「十蔵殿…」 義経が十蔵の肩に手を乗せた。 「済まぬ。私がごときのためにのう。命を捨ててくれるのか」 「何をおっしゃいます。奴輩は、炎の中で死ぬが本望。先に東大寺での戦で、 多くの部下を殺しておりまする。また目的に死ぬこと、東大寺の闇法師として 恐れはいたしませぬ」 「すまぬ。許せ。皆、さらばじゃ」 義経は、地下につくられた坑道から消える。十蔵が支度し、施工した坑道で あった。 「東大寺勧進職、重源殿の絵図、役に立ったな」 弁慶がひとりごちた。 やがて平泉、北上川を見下ろす北政庁北西の小高い丘にある高館に、藤原泰 衡の軍勢がわれさきになだれこんできた。 「お主ら、ここから先は地獄ぞ。わしが閻魔大王ぞ」 その弁慶めがけ、数十本の矢が打ち込まれていた。 弁慶は一瞬、たじろぐが、再びからだを動かし 「ぐっ、これは、これは、泰衡殿の武者もなかなかのもの、けつして平家にひ けはとらねのう」 弁慶は。泰衡の兵に打ちかかっていく。 「こやつは化け物か」 泰衡の兵共がその生命力に驚いている。 西行と静は、まだ対岸にいた。静は、うなだれている。 「静殿、さあ、今上の別れじゃ。一節、薄墨の笛を吹いてくださらぬか」 「西行様、酷なことをおっしゃいます。それに果たして、義経様に聞こえるか どうか」 「何をいわれる。ここが静殿の見せ場ぞ。静殿の義経殿への愛の証し、ここで 遂げられよ。義経殿の旅に趣向をなされ。それが、静殿のお持ちの薄墨 の笛じゃ」 西行は文学者であった。この殺戮の場においても、文学者的な演出を試みて いる。それが、静には奇妙に思われる。この方は何をお思いか。 「薄墨の笛」これは代々源氏の長者に受け継がれる、鋭い音色の出る笛、竜 笛である。昔から、中国では竜の声として言われているのである。 静は、この笛を、吉野で義経と別れた時にもらっている。太郎左たちに襲わ れたときも肌身離さず持ち歩いていたのである。 「よいか、静殿、最後の別れじゃ。一節吹かれよ」 西行は、静に命令している。 「西行様は、酷なことをおっしゃる」 「静の愛の表現を、この場でされよ…、義経殿とは、もう二度とはこの世の中 で会えぬのだ。別れを惜しまれよ」 静は、涙ながら笛を手にした。 高館の火の手は、一層燃え上がっている。 炎を背景に、笛を吹く静の姿は、妖艶であった。静の目の色は、今や狂人の それである。悲しい音色が、いくさ場の中で、旋律を響かせている。 『十蔵殿、頼んだぞ。このあいだに義経殿は、お逃げくだされい』 西行は心の中で叫んでいた。静かにすら義経が逃げる事は教えていない。 「ああ、義経様」演奏の途中で、静は崩れ落ちる。 西行は、静を抱き起こし姿を消そうとした。 藤原泰衡の軍勢が、北上川対岸にいる、西行と静に気づき、こちらにむかって きたからである。 東大寺闇法師、十蔵は高殿の炎の中、僧兵の雄叫びを聞いたような気がした。 (ここが死に場所。平泉、高館。そして義経殿の身代わり。 何とよい死に場所を、仏は与えてくれたものか。東大寺の大仏を焼いてしもう た、部下の僧を助けられなかった責任は、これで少しは心がやすんじられよ う) 悪僧(僧兵)の頃に、心は戻っていた。紅蓮の炎を見ながら、十蔵は思った。 心は、その時に舞い戻っている。 奈良猿沢の池のまわりに、僧兵の首のない死体がごろごろ転がり、地面を流れ た血糊が、地を、どす赤黒く染めあげている。 東大寺、興福寺の伽藍の燃え上がる紅蓮の炎は、火の粉を散らせる。死体を くすぶらせる煙が舞っている。えもいわれぬ臭みが、辺りを覆っていた。空は 昼というのに、炎のため浅黒く染まって見える。 あちこちの地面に差し込まれた棒杭の先には、平家の郎党に仕置きされた僧 兵の首がずらりと無念の形相を露にしていた。 ここが死に場所、熱さが十蔵の意識をおそう。 紅蓮の炎が重蔵の体をなめ尽くした。 東大寺闇法師、十蔵の体は、義経として滅びた。 (続く) 飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.13
義経黄金伝説■第39回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com 第5章 1187年 押し寄せる戦雲 ■6 1187年文治3年 平泉 奥州平泉、高館屋敷で寝ている義経の枕元に、異形の者が現れていた。 義経は、気付いて起き上がり、とっさに刀を構えていた。 「何者じゃ」 「さすがでございますな。義経様、お静かに願います。私は東大寺闇法師、十 蔵にございます。ここに西行様からの書状を携えてございます」 十蔵は書状を差し出している。 「なに、西行殿の…。おう。お主は十蔵どのじゃな」 義経は、先日にあった十蔵の事を思い出し、書状をあらためる。 「西行様に、秀衡様からの密書届いております」 「秀衡様の密書、何ゆえに西行殿の手に」 「秀衡様のお子様たちのことを考えてのことでございましょう。西行様と京の 後白河法皇様。すでにご相談なさっておいでです」 「して、何と」 「義経様、この平泉で死んでいただきましょう」 十蔵は冷たく言い放った。 「何を申す」 義経は驚いている。 「よろしゅうございますか。鎌倉に、静様の和子様、生きておられます」 加えて、驚くべきことを、十蔵はさりげなく言う。 「なに……、それは誠か。して男の子か」 義経の驚きは、喜びに変わっている。 「はい、さようにございます。今は大江広元様が手の者が、育てております。 また、この事は、頼朝様はご存じではありません」 「大江殿が…。つまり、兄者が平泉を攻める時の人質という訳か」 義経は考え込む。 「いえ、頼朝殿の策は、泰衡様に義経様を打たせるおつもり…」 「む、何と、兄者はなんと汚い策をお使いになるのか。それで、我が子はどう いう策に使われるのだ」 「おそらくは、義経様を平泉の武士たちと団結し、頼朝殿に当たらせないがた め…」 「さすれば、私はどう動けばよいのじゃ…」義経は悩む。もうあの源平の戦で はないのだ。この平泉の義経は別人のごとくなのだ。 「私が、義経様の身代わりになって、この地にて果てさせていただきます。義 経様は平泉からお逃げ下され」 十蔵は冷静に答える。義経が驚く番だった。 「何だと、私には縁のないお前が…代わりに討たれるだと、、」 「さようでございます。西行さまの命令でございます。十蔵のこの命、東大寺 のもの。すでに闇法師となった段階ですてて降ります。 義経様はご存知あるま いが、私は源平の争いですべてを失っております。魂の抜け殻でございます。 よろしゅうございますか、義経様。このときに乗じ、蝦夷へ落ち伸びてくださ い。吉次殿が手の者が、お助けするでございましょう」 「重蔵殿、、」 義経は言葉がでてこない。何ゆえにこの男は、私のために、、そして、吉次殿。 「吉次殿が、私を助け出すといわれるか……」 ようやく、言葉を発した。何かの感動が、義経の心をとらえている。 (続く) 飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.12
義経黄金伝説■第38回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第5章 1187年 押し寄せる戦雲 ■5 1187年文治3年 京都 「磯禅尼殿、失礼いたす」 西行がつづいて、京都五条に住む磯禅尼(いそのぜんに)を訪ねていた。 「おお、これは西行様ではございませぬか。おひさしゅうございます」 「禅尼、和子をどうなされた」 「和子ですと、急になにをいわれます、どなたの和子でございますか」 「お隠しあるな、静殿と義経殿の和子じゃ」 「静ですと、そのような者、私の子供ではありません。何を申されますので す。それに義経様の和子様、男の子ゆえに、すでに稲村ヶ崎で海中に投げ入れ られてございます」白々と泣く真似をしている。 「禅尼殿、そなた、鎌倉の大江殿とは取引せなんだか」 西行は眼光鋭く、厳しく追及する。禅尼は思わず袖で顔を覆い隠す。 「何を恐れ多い、鎌倉の政庁長官と取引ですと」 が、じんわりと冷汗滲んでいる。 「禅尼殿、すべてわかっておるのじゃ。もうお隠しあるな。私も和子を悪いよ うにはせぬ。せめて、静殿のお手に返してくれぬか」 西行は急にやさしく言う。西行は昔の禅尼の晴れ姿を思い起こしふうと笑っ た。 「といいましても、静の行方、ようとしてしれませぬ」 「静殿は、私と一緒ら平泉に向う。今は義経様と一緒のはずじゃ」 「義経さまのところ、が、すでに、何人かの暗殺者が、義経殿が屋敷に」 「心配するな、東大寺の闇法師を、義経殿が元に遣わしてある。さて、禅尼 殿、私と一緒に来ていただこうか」 「いずこへ」 「いわずとしれたこと、鎌倉の、大江広元殿の所じゃ。和子を取り戻しにの う」 ■ 1187年文治3年 京都 「はてさてどうしたものか」 この時期最大の歌人、藤原定家は悩んでいるのである。 藤原定家は特大寺家の親戚であり、西行は若かかりし頃、この家特大寺家の家 人であった。 紀州田仲庄の荘園は特大時家の預かり所であえる。 「そうやは、慈円さんとこに相談にまいりましょうか」 藤原定家はひとりごちた。 慈円(じえん)は関白藤原兼実の弟でもあり、いわゆる文学サロンの仲間であ った。慈円は今、西行から頼まれている伊勢神宮あての歌集を清書している。 歌集は奥州に出かける前に仕上げていたが、この清書書きを慈円にたのんでい た。 西行の「しきしま道」は、一歩、完成に近づいていた。 ■ 1187年文治3年 鎌倉 「これはこれは、西行殿。鎌倉に庵など持つお考えを改められたか。これから は鎌倉が日本の中心ぞ」 数日後、鎌倉の大江屋敷に西行はいる。 この時期、宿敵の文覚は鎌倉にいない。弟子の夢見も同じ行動をとっている。 「いやいや、私ももう年でございます。ただ広元殿だからこそ、お願いしたい 儀がございます」 西行のへりくだった様子に、広元は、かえって不信の念を抱いた。 「はてさて、この私に一体何をせよと」 「義経殿の和子、お渡しいただきたい」 「何を仰せられる。血迷われたか。静が生んだ和子は、すでに稲村ヵ崎に打ち 捨てられた」 その答えに西行は、にやりとして、 「広元殿、このこと頼朝殿にもお隠しか。が、私の耳には入っており申す。よ ろしいか、広元殿。私の後には山伏が聞き耳、知識糸を、日本全国に張り巡ら されてござる。広元殿のこの子細、頼朝殿の耳に入れば、今は鎌倉政庁の長官 といえども、どうなるかわかりませんぞ。富士の裾野のこと、お忘れではござ りますまい。頼朝殿の勘気に触れれば、その人物に用なくば、すぐ打ち捨てら れましょう。このこと、唐の歴史に詳しい広元殿なら、おわかりのことでござ いましょう」 西行の恐ろしさが広元の体の中に広がって行く。 (ここは西行におれて、味方に加えるは一策か) 広元は、真っ青になり、おこりのようにぶるぶる震えた。広元は書状をしたた めた。 「ええい、西行殿、和子を早々に連れていけ。預け先は、この書状に記してあ る」 「ありがとうございます」 西行に笑みが浮かんでいる。 「が、よいか西行殿。この和子、決して世の中に出すではないぞ。頼朝殿の元 に、すでにこの日本は統一されたのじゃ」 投げ捨てるように言う、大江広元。 西行に逆に凄んでいるのだが、いかんせん迫力が違った。 ■ 1187年文治3年 多賀城 多賀城国府にある吉次屋敷では、京都から到着した西行と吉次が言い争って いた。 「吉次殿、恩をお忘れか」 顔を真っ赤にして、西行が喋っている。 「恩ですと、何をおっしゃいます」 「いや、お主が金商人として有名になれたのは、誰のお陰じゃと聞いておる」 畳み掛けるように、西行は喚いた。が、吉次の答えは冷たいのだ。 「それは、私には備前のたたら師の息子として育ち、その関係から姫路へ、岡 山へそして、回船鋳物師の船に乗り、この多賀城にたどり着き、商売を始めた からでございます」 「吉次殿、再度申し上げる。お主が、藤原秀衡様にお目もじできたのは、誰の お陰じゃと聞いておる。また、平相国清盛に照会され、宋のあきうどと取引で きたわ誰のおかげじゃ」 西行の目には、怒りが込み上げてきている。 「それは西行様のお陰でございます」 「そうじゃろう。私が、京でお主を助けたこと、忘れたのではあるまいな。ま してや、書状を持って、秀衡様に会いに行ったのを忘れたのではあるまい」 「……」 吉次は、具合の悪いことを思い出し、黙っている。 「一時期、京都の平泉第(平泉の大使館)の頭目となれたのは、誰のお陰だと 思っている。それが時代が変わりましただと。私は昔の金売り吉次ではござい ませんだと。お前は備前あたりの鋳物師で終わったとしても、詮無いことだっ たのだぞ。私がお前の出雲で覚えた、そのたたらの技術を知っていたからこ そ、秀衡殿に推挙したのじゃ」 西行の怒りは頂点に達している。二人は、お互いを無言で見つめあってい る。とうとう吉次がおれた。 「わかりました、西行様。それで、この私に何を」 「よいか、平泉の義経殿を助けるのじゃ」 西行の息が荒い。 「えっ、義経様を……」驚きの表情が、吉次の顔に広がって行く。 (続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.11
義経黄金伝説■第37回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第5章 1187年 押し寄せる戦雲 ■4 1187年文治3年 京都 文治三年(一一八七) いまは、京都の嵯峨に住まう西行の草庵に、一人の 商人姿の男が訪れていた。西行の草庵はあちこちにある。 「十蔵、まかりこしてございます」 「おお、これは、十蔵殿。ひさかたぶりだ」 十蔵は、挨拶もそこそこに、用向きを聞いた。 いわば十蔵は、死に急いでいるのである。 西行からのこの度の連絡を受けたおり、いよいよ俺の死ぬときが来たかと、 体が武者ぶるいしていた。無論、西行に呼ばれたことは、東大寺や重源には告 げてはいない。奥州藤原秀衡がなくなった事は聞いていて,世の中が再び騒然 となって来ていている。 「で、西行様、何かご依頼が」 「そうだな。……」 しばし、西行は、無言だった。やがて、 深深と、十蔵に頭をさげていた。 「すまぬ、十蔵殿、死んでいただけぬか。東大寺のためではなくこの西行の ため、いや日の本のためにな」 平然とうけとめ、十蔵はふっと笑う。 「いよいよ、お約束のときが、参りましたか」 「早急に、摂津大物が浦(尼崎)より旅立ってほしい。そして多賀城で吉次に 会い、それからは吉次の指示に従ってほしいのじゃ」 「西行様はいかがなさります」 「お前様の後を追う。他に片付けなければならぬことが多いのじゃ。先に立っ てくれ」 「わかり申した」 十蔵は、すばやく、西行の前から姿を消す。 「はてさて、重源殿が、どう動くかだが」 西行はひとりごちた。 ■ 1187年文治3年 平泉 平泉の高館に、泰衡の弟、忠衡が、内々で義経を訪れてきていた。 「のう、忠衡殿、私はこの平泉王国の将軍の座を、泰衡殿にお譲りしてもよい のだぞ」 平泉王国の内紛の様子を知る義経は、自ら身を引こうとしている。が、この 言葉を聞いて、忠衡は、激怒し、立ち上がっていた。 「何をおっしゃいます、義経殿。そのことは我が父秀衡が、我々子供を死の床 に呼び、遺言したもの。それをいまさら…、なさけのうございます」 最後には泣き出している。その忠衡の方に手を掛け、慰めるように義経は言 う。 「私はよいのじゃ。私の存在で、この平泉平和郷が潰れることになっては困りま しょう」 「それが鎌倉殿の、狙いではございませんか」 「この勝負、最初に動いた方が負けという訳でございますな」 「さようでございます。よろしゅうございますか。今、天下の大権を握れるの は、頼朝殿か義経殿か、どちらかでございます。断じて、我が兄泰衡ではあり ません」 思案顔の義経と、見まもる藤原忠衡だった。 ■ 1187年文治3年 京都 「静殿、今から恐ろしき事を申し上げる。お気を確かにされよ」 西行は静をたずねている。京都大原にある庵である。 静はあの事件ののち平泉から帰り、尼になり京都郊外にある大原の寺に住まっ ている。長くは、平泉にいなかった。というのは義経が新しく妻をもとめてい る。新妻は、藤原氏の外戚である。それゆえ、静は身を引き、京都に傷心で戻 っていた。 「西行様、そんなに思い詰めた表情で、一体何をおっしゃるつもりでございま すか」 「義経様の和子様、生きておられる」 しばらくは、静の体がふるえていた。顔もこわばっている。 「西行様、おたわむれを、冗談はお止めください。私は、鎌倉にて我が子が殺 められるところを目にしております。この目に焼き付いております」 「が、その殺された和子は偽物じゃ」 「まさか、そのようなことが」 「よいか。静殿の母君、磯禅尼殿、しきりに下工作をなさっておった。その結 果じゃ、後ろで糸を引くは大江広元殿。その企みじゃ」 「それでは、今、和子は」 「それは、おそらくは、鎌倉の、大江広元殿が知っているはずじゃ」 ■ 1187年 京都藤原兼実屋敷 「お、重源殿。よう参られました。ちょうどよい機会ですな。拙宅に法然殿が 参られておられますぞ」 「おうおう、それはよき機会でございますわな」 関白藤原兼実の自宅だった。 重源は雑職(ぞうしき)に、表で待つように告げる。重源は猫車(1輪車)を 自からの移動に利用している。重源には雑職がいつも2人ついている。 この車で、日本全国を勧進して回っている。勧進集団50名を引きつれて日本全 国を勧進して回っている。 東大寺勧進職は、最初、法然に白羽の矢があたったのだが、法然は、重源に譲 ったのだ。 藤原兼実は、法然に帰依し、兼実から噂をきいた後白河法皇も法然に寄進して いる。 「兼実様、もうしあげにくき事ながら、、」 重源は、時の関白藤原兼実にふかぶかと頭をさげていた。 兼実に不安がよぎる。 「いかがなされた。重源殿、表をあげてくれませや。そんな他人定規な、な。 麻呂と重源殿の間ではございませんか。大仏再建の事、麻呂も、法皇様もあな たさまにお礼を申しあげたきくらいです。よう、よう、あそこまで大仏を再建 してくださりました。で、まさか、何か大仏再建の事で、、」 重源は、しばし、頭を下げたままである。 「さようです。できれば、関白殿、拙僧は勧進職を辞退したいのです」 重源は、その精悍な顔をあげ、関白藤原兼実に言った。 「何をいわはるのですか。今この折りに殺生ですわ。無責任とでもいいましょ うか。重源様の力を、信じたればこそ、お願いしたのやありませんか。それに 民も大仏再建に熱意をいもって協力しているのや、ございませんか」 この大仏再建で庶民の仏教信仰が普及してきたのは事実である。その民衆の仏 教に対する熱狂のうねりを、重源もひしひしと感じている。 兼実は思い当たった。金がたりんという事か。 「ははあ、金(きん)ですか。でも平泉なり、鎌倉なりから届いたの違います か、、まさか、金がおもうている程届かなかったからとか。図星ですか。でも 西行殿に奥州の秀衡殿に説得していただいたのではないですか」 「いいにくき事ながら、充分ではありません」 「ははあ、西行殿の話と、、秀衡殿、頼朝殿の届いた砂金と違うとでも、、」 「西行どの何かたくらみを、、」 「その話は聞かなかった事にいたしましょうか。で、今しばらく奥州の事態を お待ち下されや」 「それは、平泉が滅びる、、というお考えか」 重源がたづねた。 「いや、はや、北の仏教王国平泉は、我々、京都の人間としては、滅んでほし くはありませんわあな。何しろ、仏都やさかい。しかし、頼朝殿は、義経殿の 事があり、まあ、早くいえば、奥州が欲しいのでございましょうな」 「源氏の血ですな」 「我々、京都の人間としても、早く天下落居(世の中がおちつくこと)してほ しいのですわな」 「平泉の仏教王国が滅んでも、日本が平和になればいいと」 「さようです。あの国は蝦夷の末裔。頼朝殿が征偉大将軍として、あの者とも を滅ぼしくれれば、日本の平和がおとづれましょう」 「今までの世とは、異なる平和でございますな」 「庶民が平和を求めている事は、勧進されながらおわかりでございましょう」 重源は考えている。 (やはり、京都は平泉をすて、鎌倉をとったか。平泉の黄金が、鎌倉の手に期 すか。やはり、我々の鎌倉侵攻は早めればなるまい。栄西殿が宋からかえって くる前に体制がきまりそうじゃ。法然殿とも話あわずばなるまい。大仏再建の 趨勢は、はや、鎌倉殿の手に握られたか) (続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.10
義経黄金伝説■第36回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com 第5章 1187年 押し寄せる戦雲 ■3 1187年文治3年 鎌倉 秀衡死亡の知らせは、早馬で鎌倉にも伝わっている。 「どうやら、秀衡殿、お亡くなりになった様子でございます」 大江広元が頼朝に告げた。 「そうか、とうとう亡くなったか」 広元には、頼朝が何やら寂しげに見えた。好敵手を失った寂寥感かも知れ なかった。大江広元にとっては、千載一遇のチャンスに思える。 その時期を逃しては、平泉王国を滅ぼすことはできまい。気が抜けたように なっている頼朝を、勢いづけなければと思った。 「いよいよ、奥州攻めも近うございますな」 「いや、まだ先になさねばならぬことがある」 「それは…」 「わからぬか、広元。義経は平泉王国の大将軍となっておる。平泉が義経の 元、一致団結をしておれば、我々も恐ろしいわ。あやつの戦ぶり記憶していよ う。戦ぶりでは、残念ながら、この日本一の武者よ」 「それに十七万騎の奥州の馬があれば、恐ろしゅうございますなあ」 よくよく考えれば、まだ平泉王国は、強固なのだ。 「そこで、考えよ。どうすれば、よいかをな」 「内部をもっと分裂させますか」 広元のお得意の策諜を使わねばならない。 「そうじゃ。義経さえ、差し出せば、奥州の地を安堵しようとな。そういう書 状をしたためを使者に持たし奥州の泰衡のもとに出そう。 のう広元、奥州藤原秀衡は平清盛よりも恐ろしかったわ。俺の誘いに全く乗ら ぬ」 広元の目には、頼朝の体がやや震えているように見えた。気のせいだろう か。それに…、広元は気に掛かることを告げた。 「例の黄金の件は、いかがいたしましょう。まだ、わが鎌倉の手元に…」 「そのこと、うちやっておけ。秀衡さえ亡くなれば、奥州すべての黄金は、我 が鎌倉のものとなる。大事の前の小事じゃ」 「東大寺が、文句をいいますまいか」 京都のことなどをもう気にせずばなるまいと、広元は考える。それに関して は、頼朝の方が一枚上手だった。 「何の届かなかったことにすればよいであろう。そうじゃ、黄金を、この頼朝 からの贈り物としよう。鎌倉幕府の将軍として、京都へ、また南都奈良に赴か ねばならぬからのう」 「それは、また京朝廷への大姫様のお披露目ともなりましょう」 そのことも広元にとっては、忘れてはならなぬことだった。頼朝がどうであ れ、京都とのパイプは繋いでおかねばならぬ。強固にしておかねばならなかっ た。この鎌倉幕府を完全に支配し、京都に向かせればならん。 「そういうことじゃ。きらびやかに飾り、坂東の田舎者と思われている我々 が、美しく着飾った姿形を、京都の貴族どもや民に見せてやろうではないか」 「さようでございますなあ」 それには、広元も同じだ。うだつのあがらない京都の貧乏貴族の俺が、新しい 治世者の一人として、都大路を従者を多数連れ、行列として練り歩けるのだ。 今度は、私が、京都の皆を羨ませる番だ。広元は、自らもきづかずに、昔の 傷あとをなでていた。 その額の傷は、往時の義経の凱旋行列を思い起こさせていた。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.09
義経黄金伝説■第35回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com第5章 1187年 押し寄せる戦雲 ■2 1187年文治3年一〇月 平泉 文治三年(一一八七年)一〇月二九日。秀衡は死の床にあり、枕元に泰衡、 忠衡、国衡他の兄弟たちを呼んでいた。 「よいか、心して聞いてほしい」 秀衡の苦しい息のの下から話し、息子たちは首肯した。 「跡目は泰衡に譲る。よいか泰衡、平泉王国を守れ」 思いがけない言葉であった。泰衡は答えようがない。 「……」 しかし、次の言葉が泰衡の心の中に、裏切りの心を植えた。 「源義経殿を頼りにせよ」 泰衡はすぐ反応している。 「それはどういう意味でございますか、父上」 病床にいる父親に対して、怒りをあらわにしている。秀衡の言葉は、余計に 泰衡を煽るのだった。そのいたらなさが、今度は秀衡の心を憂鬱にさせる。こ の泰衡が、平泉黄金王国を滅ぼすのか。なぜにこの父の想いがわからぬのか。 秀衡は言葉を続けた。 「義経殿を大将軍とし、その下知に従がうのじゃ」 「……」 泰衡は、さらに急に不機嫌になった。 「よいか、泰衡は不満であろうが、この俺が亡くなったという情報が入れば、 鎌倉殿は必ず動く。鎌倉殿は、義経殿の誅殺が目的ではない。この平泉の黄金 が目的なのじゃ。鎌倉、そして源氏、板東の武士どもはこの地の黄金をねらっ ている。絶好の機会なのじゃ。よく聞け。泰衡。それゆえ、義経殿を差し出し ても、頼朝殿はこの平泉を攻めてこよう。 心せよ、泰衡、忠衡、国衡、みな兄弟心合わせ、義経殿をもり立て、頼朝に対 して戦うのだ。藤原の百年が平和、後の世まで続けるのだ。 平泉黄金王国のこれからはお主らがになう。この仏教平和郷を決して板東の者 ども、さらには京都の王朝に渡してはならん。この奥州の地を守りぬくのじゃ 。決して、頼朝殿の甘言、受け入れるではない。義経殿を差し出すのではない 。よいな…。これが俺の遺言だ」 劇抗した秀衡の声が急に途絶える。最後の気力でしゃべったのだ。 「父上……」 息絶えている秀衡に、息子たちはをかきいだいている。 しばらくして 「どうする兄じゃ」次男の忠衡が、たずねた。 「父上の遺言のことか」 「いや、そうではござらぬ。義経殿のことじゃ」 「お前はどちらの味方じゃ、忠衡」 意に反して、答えはしばらく返って来なかった。 「無論、兄者じゃ」 こやつは本当に私の味方なのか。安衡は考える。 「それならば俺が下知に従え」 「が、義経殿は、、」 「よいか忠衡、我らが秀衡が子ぞ。由緒正しい子ぞ。それが義経ごときに従え ると思うのか」怒りながら、出て行く泰衡である。 かわって、急の知らせを聞いた、青い顔の義経が走りこんで来た。 末期には義経はわざと呼ばれていない。が、 泰衡は走り過ぎる義経を無視していた。 「葬儀の準備だ」 秀衡の体は、中尊寺中見壇下に置かれ、この平泉の守り神となる運命である。 義経は、秀衡の遺体をかきいだき、泣いている。 「秀衡様、十六の時より、親以上の恩を受けさせていただきました。この恩生 きておられるうちにお返ししたかった」 義経は本当に涙を流し、嘆き悲しんでいる。片腕をもぎ取られた思いがして いるのだった。 義経は父なるものに憧れていた。物心付いた時には、父は亡くなっていた。 平清盛、そして藤原秀衡、源頼朝、後白河法皇、西行。すべて父なる人をイメ ージして対してきた。そして、最大のピンチのおり、最大の父なるものに死な れたのである。 義経は、惚けたようになっていた。源平合戦で、あれほどの戦術家だった武 将の姿は、どこにもなかった。心が砕け散ったようだった。いまや、日の本に は義経にとって、どこも安住の地はないのだ。 「なぜじゃ、親父殿」泰衡は思った。 なぜ、実の子の俺を可愛がってはくれぬのじゃ。奥州は我らが血の元で支配 しているのじゃ。四代にわたって、京都の人間と戦こうたではないか。義経は いくら優れた武将とはいえど、実の子ではない。他人ぞ。おまけに京都の人間 じゃ。源氏の人間じゃ。いかに奥州を源氏が攻めたか。頼朝と仲が悪いように 見せて、何を企むのか分からぬではないか。奴らが欲しいのは、この奥州ぞ。 それを西の人間の義経を信じるとは、どういうことじ ゃ。おまけに弟どもも俺に従おうとはせぬ。国衡など、義経を兄のように尊敬 しておる。 なぜ俺を、京都へ連れて行ってくださらぬのか。親父殿、祖父殿、大祖父 殿、皆、京都へ行ったではないか。なぜ俺だけのけ者にするのじゃ。 京都に対する恨みと、義経に対する怒りがすこしずつ泰衡の心を、人格を変 えつつあった。それは、とりもなおさず、奥州の危機であった。 戦雲はすぐそこまで押し寄せている。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com(
2006.07.08
義経黄金伝説■第34回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com 第5章 1187年 押し寄せる戦雲 ■8-3 1187年文治3年 京都 それから一年、文治三年、七月、京都。 後白河法皇と関白、藤原兼実が話していた。鎌倉と、平泉に対する政略である。 「兼実、どうすべきか。鎌倉の頼朝、しきりに義経捕縛の院宣を寄越せと申し てきておる。頼朝はこの院宣を平泉に送り、王国の内部崩壊を起こすつもりじ ゃ。そしてその責任は朕、後白河におっかぶせるつもりじゃ。平泉の義経と秀 衡は恨みを俺に向けよう。が、どうじゃここは頼朝がこと聞くべきか」 「さようでございますなあ、法皇様。ここは頼朝殿を立て、義経殿捕縛の『院 宣』を出していただきましょう。そして、同時に、東大寺用途沙金を早く献納 せよとの教条書を出しましょうぞ」 「先に西行殿に、法皇様が申し付けたことも、確認いたしましょうほどに。 こちら側も、秀衡と、義経に一押し必要でしょう」 「それは名案かもしれぬな」 ■8-5 1187年文治三年 平泉 すでに、西行法師は、伊勢にもどり、しばらく時間がたった。 平泉にある義経高館(たかだて)を夜、郎党が訪ねていた。 「義経様、お館様(秀衡)がお呼びでございます」 「こんなに遅くにか」 「はい、何かお二人でお話ししたいご様子でございます」 秀衡屋敷内で義経が秀衡に話しかける。秀衡は病床にある。 「秀衡様、お元気であられますか」 義経が挨拶をする。 「おお、義経殿か、よう来てくだされた。この秀衡があの世に召される前に、 義経殿にお渡ししておきたいものがあってのう。近うよってくだされ」 秀衡は、自分の死期を感じている。 「これはこれは、何をお気の弱い事をおっしゃいます。秀衡様あっての義経 でございます。さてはて、一体この私に、何をくださると言われますのでしょ うか」 「さて、これをごろうじろ」 一片の絵図が、病床の秀衡から義経の手に渡される。 「こ、これは、御館(秀衡)様」 「見ておわかりのとおり、蝦夷の絵図じゃ。この絵図、祖父の代より伝わって おる。いわば藤原家の秘宝じゃ」 蝦夷の一部はすでに平泉王国の勢力圏にふくまれている。 「これをいかにせよと」 少しばかり、は眼をつぶり、息をつぐ。 「よいか、義経殿。はずかしながら、、、よいか。我が息子たちが、義経殿を 襲うやもしれん。そのときは、この絵図を手にして逃げ延びてくだされ」 「が、しかし…。それは奥州藤原氏、平泉に対する裏切りではありますまい か」 「この老人の言うことは、聞くものじゃ。老人といえば、西行殿を知っておろ う。あの西行殿が、きっと義経殿を助けてくれるはずじゃ」 「西行様が…」 「西行殿とは、北面の武士、佐藤義清の頃より、我々平泉、奥州藤原とはすく なからぬ縁であろう。それにのう、義経殿。残念ながら、後白河法皇様が、と うとう貴公追捕の、院宣を出された」 「何でございますと。あの法皇様が、私を追捕する院宣を、、、」 義経の顔色が変わっている。裏切られたか、この想いが義経をおそう。 「義経殿、安心せられい。この平泉に、秀衡あるかぎり、そのような命令聞き はせぬ。兼実様も非公式に、法皇様の意向を伝えに参ったのじゃ。あくまで、 その院宣は、頼朝を怒られないためのもの。それに義経殿、いよいよ我が軍 勢、整えまする」 「秀衡殿、本当に、我が兄者と、いよいよ、ことを構えるおつもりか」 「安心せられよ。我が軍団は鎌倉に引けはとりません。義経殿を中心に、奥州 平泉十七万騎、轡を並べれば」 「いよいよ、奥州と鎌倉が戦いか……」 おのが運命を呪う。義経に安住の地はあるのか。その想いが体をおもくする。 この秀衡様にいままでの恩をいかに返せばいいのか。 義経は病床の秀衡をじっと見守っていた。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com
2006.07.07
義経黄金伝説■第33回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま) ■9 1186年文治2年 鎌倉 鎌倉には、西行襲撃失敗の報告が早馬で届いている。 「西行を追った我が手の者、かえって参りませぬ。どうやら、返り討ちにあっ たようでございます」 大江広元は、策の失敗を頼朝に告げた。次郎左達は大江の支配下に動いてい た。 「むむう、役に立たぬやつらじゃ。して、西行は。そして沙金は」 頼朝は、顔を朱に染めて尋ねる。 「どうやら、西行は、いまだ平泉から動かぬ模様です。沙金については、行方 しれずとのうわさ」 「待てよ広元、我が手配の者ども失敗したといいうたな」 「左様です」 「では、砂金の行方は、おかしいではないか」 「あるいは、他の賊がが奪いにきたか、あるいは秀衡に対して西行が嘘をつ おいているか」 その時は、雑色が入って来る。 「藤原秀衡様の沙金が、鎌倉に届きました」 「して、その荷駄隊に、西行なる法師おったか」 広元は尋ねた。 「いえ、多賀城の商人吉次の荷駄隊と聞き及びます」 「吉次の……」 「西行の沙金いかがいたしたか」 「いずこかに。今日の荷駄は、恐らく平泉の別動隊。秀衡もやるものです。一 杯食いました」 「ならば、西行の荷駄隊は目くらましか」 「いつくかの荷駄隊を送り出した可能性もございます」 二人は策につまり 急に黙る。 「のう広元、一体、後白河法皇はどのような話を、西行に伝えたのか」 頼朝が別の考えをしめいしゃ。 「あるいは秀衡殿と、義経殿が手を結び、この鎌倉を攻めよとか」 「が、秀衡殿、動くかどうか」 「今、あの平泉は義経殿が戻ったことにより、秀衡の和子たちが命令にしたが いますまい。秀衡の子供のうち、特に泰衡は、腑抜け。とても秀衡の後を継げ る器ではないと聞いております。泰衡を一押しするのです。義経を渡さねば、 鎌倉の軍勢が平泉を攻めると」 広元は一番恐るべき、そして考えられる策を述べる。 「その一押しも、この鎌倉ではなく、京の法皇から出させた方が面白いかもし れぬ」 「まこと、さようでございます。平泉王国、内部から崩壊させるのが得策」 広元は、頼朝の案に賛意を示した。 「広元。わざわざ義経を見逃し、平泉に入れたのも正解かも知れぬのう」 意外な言葉であった。頼朝は、わざと、義経を逃がし、どうしても奥州へ逃 げて行かざるを得ないようにしたというのだ。 「まこと、これは頼朝様にとって、義経殿、秀衡殿、大天狗殿(後白河法皇) の三者を一度に追い詰めて行くのに好都合でございましたな」 この時期に、三者を纏めて滅ぼそうという案だった。 「では、もう一手打つか」 「はて、その手は、平泉の内紛を起こすための……」 「そうだ。泰衡の舅殿、藤原基成殿を動かすのよ」 「おお、それはよい手でございます」広元、手を打った。 「秀衡殿亡き後、基成殿は泰衡殿の政治顧問、義経殿のことよく思っておりま すまい」 ■ 1186年文治2年 京都 京都では、後白河法王と関白の九条兼実が策を練っている。 「さあ、どうじゃ、兼実。お前なら、どちらを取るかじゃ。秀衡か、頼朝か」 かすれ声で、後白河は言った。 「法皇様、そのお声いかがなされました」 「いや、また、ちと今様うたいすぎてのう。声が嗄れたわ」 今様好きのの法王は、こんな折りでも今様はかかさぬ。生活の一部である。 「秀衡、頼朝の事、法皇様のことでございますから。両天秤をかけた上、各々 方策を取っておいででしょう。どちらにころんでも安全なように」 疑い深く兼実は答える。貴族の長らしい安全策をのべる。 後白河は、ふうと溜め息をついたようだった。 「よう、わかったのう」 「それはそれは、麿はいつもお側にお仕えしている身でございます。そのくら いのこと読めずにいかがいたしましょう」 「ともかく、兼実、朕は、あの武士どもが嫌いじゃ。なにか策を考えよ」 心の底から、後白河法皇は武士を嫌っているのである。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/
2006.07.06
義経黄金伝説■第32回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま) ■8 一一八六年文治2年 平泉 西行たち一行は、平泉に戻り、秀衡を訪ねている。 西行の姿は乱れている。 「これは、どうなされた西行殿,まるで乞食(こつじき)かと間違う程の有様」 「申し訳ござりません。やはり、国境の足利の庄にて盗賊がおりました。砂金 は荷駄とも奪い去られております。その野党もどうやら頼朝が手の者らしい」 秀衡は、疑い深く西行の顔を覗いている。 「西行ともある方が、おまけに弁慶殿もお供してその様か。して、その盗賊ど もはいかかがいたしたか」 「荷駄ともに逃げおりました」 秀衡は静かに西行の顔を見ている。やがてポツリと言った。 「いやはや沙金よりも、西行様の命の方が大切じゃ。平泉の沙金はまだつき ることはございますゆえ。しかし、西行殿、ご自慢の藤原秀郷流剣の腕はどう なされた」 「いやいや、俺も年じゃ、自分の身を守るので精一杯でござった」 「そのものたちの風体は」 「はっきりとは覚えておりません」 「まあ、良い。探索方をだしましょう」 「が、あのあたりはすでに鎌倉殿の勢力範囲でございましょう」 「秀衡殿。身を割ってのお願いじゃ」 西行は秀衡に頭をさげている。 「無体なお願いとが存じ上げる」 「はてさて何を、私と西行殿の間で」 「うむ、では申し上げる、再度、東大寺への砂金、今一度お願いを申し上げ る…」 秀衡はすこし考えている。 「ふむ、西行殿の願いであらば、よろしかろう」 しばらくして、すべて理解しているように秀衡は言った。 奥州藤原秀衡も、当然ながら、西行一行の荷駄隊の跡を、密かに物見の者に つけさせている。 黒田悪党は、、この平泉に入った瞬間から、不穏なる者供として後をつけて いた。 秀衡も、西行が言葉とうりに動くとは考えていない。 西行の真意を推し量っているのだ。 百年の平和郷をつづかせなばならない、それが北国の帝王秀衡の宿命であり つねに、中尊寺金色堂壇にあるにある初代、二代目の眼を感じている「この日 本成立以来の奥州のいくさ人の考え方」の規範は、「京都人を信じるな」 であった。 たとえ、同族、であろうと、西行は京都人であり、東北人ではない。 完全に信ずる事は永久にないのだ。 ■一一八六年文治2年 奈良東大寺 1ヶ月後、西行と十蔵は、何事もなかったように、奈良東大寺にある総勧 進職、重源(ちょうげん)の前に立っていた。 海上の道を進み、荷駄隊が黄金を届けていた。吉次の配下が行った。 秀衡は安全な海上の道をすすめたのだ。 大物浦(兵庫県尼崎)についた黄金は淀川、山崎、奈良山の川道を通じて東 大寺に届けられている。 重源は西行を労い、感謝をあらわしている。 重源は、西行が伊勢草庵に返った後、十蔵を別室に呼んでいる。 「何か変わったことはなかったか、十蔵どの」 「はい、先ほどの西行様のご報告の通りです」 「ふう」 重源は、じっと十蔵の顔をのぞき込む。 「十蔵殿、お主、ひとあたりしたな」 重源は、西行という人間に影響されたと言っているのだ。 「ひとあたりですと、何を言われます、重源上人様」 「私は、のう、結縁衆の方々の報せも、聞いておりますぞ」 重源は言葉を止めて、目の前にある茶碗をゆるゆるなぜている。 「よいか、十蔵殿、お主の体は、すでにお主のものではないのじゃ。よ いか、お主の体と心は、闇法師になった瞬間から、東大寺がものですぞ。 それを忘れていだいては困りますのう」 「は…」 重蔵は青ざめている。小刻みに体にふるえがきた。 「ふふ」 重源は、ねずみをいたぶる猫のつもりか、十蔵の顔を覗き込んだ。 「まあ、よろしかろう。お疲れでございましょうな。さぞかし。ふふ、 ではお下がりなさい。西行殿の動きは、これからも逐一報告くだされ よ。よろしいですかな。十蔵殿よ、ふふ」 「わ、わかりもうした」 ほうほうの体で、十蔵はあわてて重源の前から消えた。 内心の動揺は、重源に見透かされている。 「あれでよろしいのですかな、はたして、、」 勧進を手助けする若き僧、栄西が障子のうしろから茶碗を手に、重源の前 にあらわれている。重源はゆっくりと、それに答えず茶を飲む。 「ふふう、相変わらずうまい茶じゃな。のう、栄西殿、良薬、良薬、いあや、 人が人にあてられるという事は、ご存じかな」 「重源様、はて、面妖な。人にあてられる事ですと。一体、それは」 「十蔵がことですよ。あやつ、西行殿という劇薬にあてられたかもしれません な」 「西行殿が劇薬。ははっ、重源様は、面白いことを言われる。西行殿を、我々 が結社に取り入れておいた方が、よかったですか」 重源は少し考えていた。 「ふむ、いや、少し、それは遅すぎたかもしれませんのう、西行殿は、みづか らの結社をおもちじゃわ。ふふ」 重源はにこりと微笑んでいる。 「いずれ、私が鎌倉にて、我らが結社の分派を、作り上げましょう」 栄西が上機嫌で、決意を新たにした。 「ほほ、それはよき考え。私も、宋の陳和景を鎌倉へいかしましょうぞ。それ に運慶殿、快慶殿らも、この東大寺が仕事が終われば、鎌倉まで取りよこしま す」 「ふふう、板東の要塞都市、鎌倉を我らが支配する。面白く楽しい、身震いい たしますな」 「いずれ、西行殿は、奥州平泉をそのようにしようとしていたらしいが、西行 殿は少しあの平泉王国、いあや、奥州藤原家に入れ込み過ぎましたな。やは り、西行殿はのう、桜の花が、、好きじゃからのう。ふふ、、」 「西行殿は、やはり、散り際の見事さをお考えでございますな」 「さようよのう、西行殿は、所詮は、残念ながら、北面の武士あがりですのう 。我々のように、武士上がりでも、比叡の山や宋に留学にいき、選ばれた学僧 になった者ではありませんからのう」 「それも道理でございますな。それでは、重源様、私はまた宋へ行って参りま すぞ」 「おお、今度お帰りになる時は、大仏殿は完成していましょう」 「それに、」 栄西は少し考えて、 「重源様。頼朝殿からも、金を出させねば仕方ありますまい」 「そうですな。頼朝殿も、我々の前で、砂金を差し出すという大見えを、切っ てもらわくてはなりませんからのう」 重源、元の名は紀重定(きしげさげ)紀家は、古代貴族大伴家の血をひく技術 の家。家の歴史が違うのである。東大寺の二人の勧進僧は、お茶釜を前にゆっ くりとほほえみを絶やさず、前にある湯気のたち込めるお茶を飲み干している。 (続く) 義経黄金伝説■第31回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/ 義経黄金伝説
2006.07.05
義経黄金伝説■第31回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/ 義経黄金伝説 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま) ■7 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山 階段丘ちかくの草陰から、戦いの様子を見る武士たちがいる。 頼朝の探索第である。広元から, 後に残り西行たちの行方を見張り報告するように指令を受けていた。 『よいか。西行の遺骸より、必ず銀の猫をとりだせと。それが西行を殺した 証明となる』と。 一人がつぶやく。 「いかがいたそう」 「あやつらは、どうやら、京都あたりから西行をつけてきた悪党の群らしいの う。我らより先に手を出したか。あるいは大江広元さまの手ずるか」 「加えて、武蔵坊弁慶もおる」 「かえって好都合ではないか。西行らも、先の賊をやっつけて気も緩んでいよ う」 「それはそうじゃ、好機ぞ」 武者たちは、西行たちを倒そうと、飛びだそうとした。 その時、武者の背後に人影があらわれる。 「おぬしら、飛び出すのはぬ、わしを倒してからにせい」 僧服をまとった西行と同じ年くらいの老人である。驚く武者たち。 「主らのもくろみとうり、そう、うまくいかぬのが面白いところでのう」 「な、何奴、貴様は西行が手のものか」 「ほほう、坂東には俺の名、まだ通ってはおらぬか」 「貴様は何者じゃ」 「覚えておけ。といっても、お主らはすでに冥府への道を走っておるのでな」 「何を抜かす。この乞食坊主め」 「乞食坊主とはよく抜かしたわ。冥府への土産によく覚えておけ。俺は義経殿 が武道の師匠、鬼一法眼(おにいちほうがん)よ」 鬼一方眼は、杓丈をゆるりと探題たちに向けている。 京都の陰陽師、鬼一方眼は、結縁衆、道々の輩も引きいている、先日の競技場 へ結縁衆、道々の輩の大いなる示威行動を仕切っていたのは、当然、鬼一である。 「げっ…」 武士たちはたじろぐ。 「ふふつ、板東でも少しは名が通っておるか。うれしいのう」 鬼一にこりと笑う、それが武士たちにはかえって恐ろしげに見える。 「何、義経の師匠だと。それでは、師匠相手に鎌倉武士の力を見せる。相手 せねばならないな」 切りつける馬上の武者。が、鬼一法眼は攻撃をスルリと交わし、見る間に彼ら を倒した。まるで舞台の上で舞いの練習をするようにである。ただ、舞台と違 うのは血しぶきが、あたりに舞い降りている。 彼らの馬は逃げ去っていた。 「ふっ、たわいもない奴らじゃ。いずれも鎌倉殿が手のものか」 鬼一法眼は、倒れている武者たちの衣装を調べた。 そこへ西行たちが、この騒ぎを聞き付け、何事かと賭散じてきた。 競技場祭事中央の悪党の太郎佐たちの死体は、十蔵が、背後にいる結縁衆を呼 び寄せ片付けている。 「おおう、これは鬼一法眼殿か。後詰めありがとうござる。この者たちは、何 者か」 「どうやら、鎌倉殿が手の者らしい。どうも、まだ、奥州藤原の沙金を狙って おったらしいのう」 「頼朝殿も、まだまだ、やるものじゃ。あきらめきれぬか」 「で、これから、どうなさる」 「ちょうどよい、潮時かもしれぬ。のう、鬼一殿、俺は盗賊に襲われ、命から がら逃げ出したのだ」 「それでは、秀衡どのよりの沙金は……」 「盗まれて行方しれずじゃ」 「それでは、この沙金は行方しらずにせねばなりませんな」 鬼一は西行の言葉を受けた。 「鬼一殿、十蔵殿、お願いできるか。弁慶殿は、静殿を平泉の高殿までおつれ くだされい」 「さあ早く、この板東を一時離れ、再び奥州に逃げ帰るましょうぞ」 「ふふつ、逃げ帰るといたしましょうか」 皆が、この西行の言葉に和していた。 下野の国足利の荘・御矢山の突風は吹き止みそうにない。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/ 義経黄金伝説
2006.07.04
義経黄金伝説■第30回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま) ■6 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 下野の国足利の荘に季節風が吹き荒れ、御矢山から、突風となり、吹き降ろして きた。 動けずにいる西行の足元に,何かがころころと、転がって来た。西行は、それ を足でとらまえ、蹴り出す。 その物体は、砂金に気をとれている太郎左の顔に激突する。馬から落ちる太 郎左。次いで次郎左の顔にも。 「西行、貴様」 起き上がったが、怒りが二人の顔を朱に染めている。 「私が、京の蹴鞠の一番手であるとしらなんだか」 佐藤家は、京都の芸能蹴鞠の使い手が多い。西行の祖父は特に有名であっ た。 「くそうう、西行、食らえ、我ら黒田悪党が腕のさえを見よ」 太郎左と、次郎左が、二人が心合わせ、左右に同時に動く。 兄弟の体を合わせ、ねらい違わず相手を倒しす二人の技「双剣の構え」であ る。体の動きの同調は、さすがは兄弟である。 寸分の狂いもない。二人が一人のように、羅卒天のように四本の腕が動いてい る。 「我らが、双剣の構え破れるかのう」 二人は西行に走りより、向かいあい、左右同時に刀を振り下ろす。 一瞬、たじろぐ西行。 が、急に大男があらわれた。太郎左、次郎左の両腕を諸手で後ろからつか む。 「うぐつ」 「貴様、何者」 言う間もなく、二人の体は宙に浮いている。 地面にたたきつけられた体の上に、その太い樹の幹とも見える両足が鳩尾を 踏み根でいる。 さらに、鳥海の背面から逆落としをかけている。 て、見る間もなく盗賊三人をなぎ倒している。 突然吹いた「からっ風」のように現れている。 残りの黒田悪党のの手下たち十名程は、逃げ去っていた。 祭壇中央の広場には太郎左、次郎左、鳥海の三人が倒れている。 「弁慶殿、手助け有り難うござる」 西行が、その愚風の男にお礼を言った。 「おお、ちょうどよい塩梅でござった」 「儂も、年には勝てませんな」 西行は頭をかいている。 「義経様が、安全な場所まで、後をつけよと申されたのが、ちょうど、よろ しゅうござった」 弁慶であった。弁慶が、土産にとして京都から贈り物、蹴鞠数個を、西行に 向けて送りだしていた。 「白河の関をこえ、ここまでついてきた価値があったというもの。頼朝殿と の戦いではさすがに姿を見せる事はできませなんだが、」 静が弁慶に抱きついている。 「おお、弁慶殿、よう、生きていらっしゃったか…」 「おお静殿、よくご無事でここまで。吉野で別れて。もういくたりになります か。ここではひどい目にあわれましたのう」 「弁慶殿、義経様の和子様、殺されました」 涙ながらに静は言う。 「何!」弁慶は以外な言葉に驚く。 「義経殿が輪子が、頼朝によって、」 大粒の涙が、大地にしたたる、 「義経殿に如何につかえれば、、良いのか」 「う」 静も同じように顔をしづませていた。 「かわいそうな方々じゃ。時代が悪いのかもしれんのう」 西行は、黒田悪党三人の遺骸に対して片手拝みをしている。 「すまぬ。天下静謐、明日の日本のためじゃ、堪忍されよ」 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/
2006.07.03
■義経黄金伝説■第29回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま) ■5 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 十蔵が恐ろしい表情で、 「お前たち、俺の正体知ったからには、よけい生かしておく訳にはいかん。そ れに俺の方もお前たちの顔に見覚えがある」 と挑発に乗らず冷たく言い放つ。 十蔵の心は、すでに東大寺の伽藍消亡の折り、しんでいるのだ。 「……」 三人は顔を見合わせる慌てていた。 「お前たちは…」 西行は、あることにきずき手を打つ。 「そうじゃ。東大寺焼失の折り、その奈良で、押し込み盗みを働いておった盗 賊の片割れじゃな」 「ふふう、気付かれたからには、仕方があるまい。我々は、確かにその折りの 風盗よ。あの折り、一働きして、確かに財をなしたわい」 「のう、鳥海、こやつの顔を見てみい。お前も覚えがあろうが」 顔を見合わせる、十蔵と鳥海。 二人とも汗がどうっと噴き出た。まさかの驚きである。 「お主は…」鳥海が慌てていた。 「兄弟子よ。お前様には会いとうはなかった」鳥海が十蔵にいう。 「かような所で…。そんな身分に落ちたか、鳥海」十蔵は蔑みの目でみる。 「人のことを言えたものか。十蔵、お前様も東大寺の闇法師、闇の殺し人に成 り下がっておろうが」 「よいか、鳥海。よく聞け。俺は進んでこの役引き受けたのじゃ。なぜなら ば、東大寺攻防の折り、たくさんの仲間を、俺のせいで死なしてしもうたから のう。ましてや、東大寺、大仏が焼け落ちるのを見たとき、俺の心の根は変わ ったのじゃ。俺の心の間に浮かんだのは闇じゃ。復讐じゃ。残念ながら、仏法 は俺の救いにはならなんだ。よいか、俺は死に場所を探しておる。目の前にあ る障害はすべて、握り潰してくれる」 「十蔵、わるう思われるな。俺はあの大仏が炎上する時、考え方が変わったの じゃ。いや、生き方かもしれん」 「何を思うたのじゃ。お主の最後の言葉聞いてやろ 「この貴族の世が終わる。これからの世は武士の時代じゃ。それゆえ、兄弟子 よ、聖武帝の東大寺ごときに義理を果たすのを止めろ」 「何を申す。東大寺、いや東大寺大仏、あってこその日の本ぞ」 「東大寺など、我々、貧乏人から金をふんだくるだけの存在じゃ。貴族でもな い我々を助けてくれることなぞありもうさん」 「鳥海、そのたわごと、地獄で言え」 東大寺闇法師、十蔵が叫ぶ。 「おもしろいわ。この闇法師。いあや、十蔵!たっぷりいたぶってくれよう ぞ」 「お主がその心なら、私も仕事がやりやすい。こ砂金の荷駄を挟んで勝負じ ゃ」 「よいか、お主たち。この沙金は、日本全体を平泉のような平和郷を、この世 に作るための資金じゃ。たやすく渡す訳にはいかぬぞ。考えを改めぬか、ぬし ら」 西行がさけんだ。が、寂しそうな顔をしている。絶望しているのだ。このよう な奴らが世に多すぎる。日本は何を失ったのか。 「何をぬかすか、このくそ坊主。二人揃って三途の川、渡してくれようほど に」 「そう申すなら、いたしかたあるまい。殺傷は望むところではないが、儂に は武士のおりの約束があるでな」 西行は、密かにつみおいていた先祖代々の佐藤家の愛刀、朝日丸を取り出し、 悪党の攻撃にたいして防戦しょうとする。長く使ってはいないのだ。 黒田悪党、太郎左たちは、西行たちの強さに思わずたじろいでいた。こんな はずではない。 「いささか、こやつら、手ごわいぞ」次郎左が言う。 「されば。あの手を、使うか、兄者」 太郎左は、祭りに使われた廃屋に走りいき、ひとつから静を連れて出て来た。 生かしておいたのだ。 「おい西行、この女をこうすれば、我らを容易には打てまい」 次郎左は、静の首筋に刀を当てている。 「ああ、西行様」静が我が身を呪うように嘆く。 「う、静殿。生きておられたか。ありがたし」 さすがの西行も、とまどい手がだせない。 「どうじゃ、我らがたっぷり弄んでやったわ」次郎左がにやりとする。 「もう生きてはおれんというのを、何とか生かしておいやったぞ」 「よいか、この静とその沙金との交換と最初の案はいかがか」 「どうだ西行返事をしろ」次郎座がわめく。 「…」 しかたなく、西行と十蔵は、剣と棒を、地面にゆっくりと降ろす。 「ふうふう、その用に早くすれば、よいものを、」 広場の炎の外に富めておいた荷物駄を積む馬に、太郎左たち一群が連れてい こうとする。 「おう、お宝じゃ」 静の体から、次郎左の注意が一瞬離れた。 祭りの階段丘の方より、新たな声が西行に聞こえた。 「西行殿、お助けに参った」ささやく声だった。 「おお、その声は…」 「しっ、奴らに聞こえましょう」 「さらば、もうひといくさ始めよう その声の主は言った。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/
2006.07.02
■義経黄金伝説■第28回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/ 第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま) ■5 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 足利の荘、御矢山は、1日前の御矢山祭りの喧噪がうそのようにしずまり かえっている。 何人かの鎌倉の物見が、姿を見せずにいるようだが、 西行と十蔵は、御矢山祭に参加していたご家人衆が、領地に急いで帰るの を、のんびりと見て、時間を過ごしていた。 すでに、西行は、伝説の人になってはいる、とうりすぎる武士どもが尊敬 のまなざしでとうりすぎる、 「西行様、これからは私の出番もお作りくださせ」 「ふふ、十蔵殿、ワシははしゃぎすぎたかのう」 「おひとりだけ、目立っておられましたぞ」 「困ったことに」 「何でございましょう」 「試合で体がほぐれた、今度は刀のさばきをみせたいものじゃ」 「いいかげんにされませ。私が重源様からおこかれます」 「そうじゃのう、たまには、十蔵殿の見せ場もつくらなければのう」 「ふふ」 黒田悪党たちは、1つ手前の宿場で、待っている。御矢山祭り騒動があっ た事は、街道を行く商人や武士の郎党たちの話から感じていた。 「何やら、西行が鎌倉殿を相手の大立ち回りをしたようぞ。いかがかのう、 鳥海殿」 悪党首魁の太郎左が、そばにいる破戒僧、鳥海にたづねた。 「ふふつ、太郎左殿、お気の小さい事を。聞くには及ぶまい。たかが流鏑 馬。古式からの儀式。我らは、源平の戦を生きのびし歴戦の強者」 「そうじゃ、兄者、所詮は、京都後白河法王に気に入られし歌詠みの坊主。 まして、大江様からは何の指示もない」 「それよ、次郎左、そこが怪しいぞ」 「何を、兄じゃ、それは、約定とうり砂金を奪い取れという事であろうさ」 と次郎座が笑い飛ばした。 それを受け、他の者どもも 「ふふつ、70歳の歌詠坊主、左手一本でひねりつぶすわ」 「鎌倉殿も、我々の襲撃を見て見ぬ振りをするという約束ではなかったか」 「幸い、ここまでは検非違使の手は回ってはいまい」 と、濁酒をはむ悪党は、あくまでも威勢のより集団であった 御矢山には、今、人はいない。 西行の荷駄一行は、約束違わず正午、その御矢山にある広場の中に入って 来ていた。打ち捨てられた仮小屋が並んでいる。 「お主たちは、離れていて下され」 荷駄人夫どもを、その場から逃した。西行と、残りは十蔵一人。 仮小屋が並ぶ窪地の真ん中で、西行は叫んでいる。 「西行じゃ、お約束のもの、お持ちしたぞ。静殿を返していただこう」 七十才と思われぬ大声で、西行は叫んでいる。が、人の現れる気配をない。 「西行、待ち兼ねたぞ」 ようやく、山頂の方向から声が帰って来た。 と同時に数束の弓の群が、雨霰と飛んできて、目の前の大地に突き刺さって いる。無論、矢の群は、西行と十蔵を狙っていた。 「名乗りもあげず、我々を射殺すつもりか」 「卑怯なり」二人はその場をはね飛ぶ。 が、二人は、矢の攻撃に捕まらぬ程、敏速に動いている。西行の手に荷駄に 隠してあった愛刀、朝日丸が握られている。同じように十蔵の手にも杓丈が。 窪地の入り口から、続いて、火が、大きな火の群がなだれ込んで来た。それ は藁を積んだ荷車である。が走り込んでくる。そこへむかい、さらに火矢が打 ち込まれた。仮小屋も、周囲の屋も燃え上がり、炎をあげる藁が、西行たちの 背後を塞いでいる。袋の鼠である。 「どうじゃ、西行。これで、もう逃れることはできぬぞ」 西行一行の前に、立ち塞がる、騎馬にのった商人風の一団が、総勢十四人現 れている。 「西行殿、お荷物お預かりしたい」 真ん中の屈強な頭目らしい僧服の人間が威嚇した。 「静殿をお返しいただきたい。ところでお主はどちらさまじゃ…」 一団の首領が答える。 「たぶんご存じあるまい。我々は伊賀の国、東大寺黒田荘に住む太郎左、次郎 左そして鳥海」 「そして静はあやめ、遺骸はこの山中に捨てた」 次郎左が憎憎しげにはき捨てる。 西行にはしづかな怒りの炎が燃えた。義経殿への、、約束が。 「して、このやつがれの荷物を希望とは」 「隠しても無駄だぞ。その後ろの荷駄に用がある。この破戒僧、鳥海が、すべ てのからくりを知っておる。のう鳥海」 壮丁の鳥海が前にでてくる。 「西行。貴様が東大寺勧進僧重源より依頼を受け、この陸奥まで来たこと、京 の噂。ましてや藤原秀衡は、京の公家殿の依頼を無下に断りはすまい。すなわ ち、その西行一行の荷駄、まさしく秀衡公の沙金に相違あるまい」 「それを、少しばかり分けてほしいという訳だ…」 商人姿の太郎佐がにやりとする。 「ふふ、西行、すべてとは申しますまい。半分でもいいのじゃ」弟の次郎座が こずるそうに言う。 「ならぬ。この沙金はもはや秀衡殿のものでも、西行のものでもない」 西行は、声高に答えた。この悪党どもをこわがってはいない。 「では、だれのものと…」 「東大寺のものじゃ。いや日本国のためのものじゃ」 「くはくはは、片腹痛し。よいか西行、貴様はその年だ。ましてや、世は義経 を巡って藤原秀衡の平泉と、鎌倉とは不穏な動きがある。その途上のこの平泉 と関東の国境、足利の山中で、西行法師が、行方不明になっても、調べる方策 などありはせぬわ…」 「やい、この歌詠みの坊主。早く荷物を渡せ」太郎左はいらいらしている。 「そうじゃ。さすれば命だけは助けてやるわ」 「太郎左、次郎左、それに鳥海とやら、この俺をただの歌詠みの坊主と思うた のか」西行は自信たっぷりに言う。 「何」 「わしの藤原秀郷流剣の腕を、少しは見せねばなるまい」 「き、きさまは一体、」三人は西行の勢いと自信に驚いている。 「昔は北面の武士、佐藤清衡。お主らはしるまいが、先祖は俵藤太ぞ。平将門 を打ち破りし名門。ましてや、儂の鞍馬での兄弟弟子は鬼一法眼、その名前は いくら田舎侍とて聞いていよう」 「西行様、その前に、このような奴輩。私におまかせあれ」 十蔵が、西行の前に棒をかまえて立ち塞がっている。 「ぬっ、貴様はどこかで見た顔じゃと思うたら」 馬頭を、十蔵に回している 「お前。東大寺僧兵の指揮をしておったじゃろう。のう次郎左、この男の顔に 見覚えはないか」 太郎左が十蔵の姿を弟に言う。 「そうじゃ。兄者、こやつは確かに指揮をしておった。お前たち、悪僧(僧兵) どもが弱いから、平家ごとき柔侍に東大寺の伽藍を焼かれてしまうのじゃわ。 くはは」 三人は、十蔵をあざ笑った。 (続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.yamada-kikaku.com/
2006.07.01
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