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源義経黄金伝説■第43回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★■6 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま)下野の国足利の荘に季節風が吹き荒れ、御矢山から、突風となり、吹き降ろしてきた。 動けずにいる西行の足元に,何かがころころと、転がって来た。西行は、それを足でとらまえ、蹴り出す。 その物体は、砂金に気をとれている太郎左の顔に激突する。馬から落ちる太郎左。次いで次郎左の顔にも。「西行、貴様」起き上がったが、怒りが二人の顔を朱に染めている。「私が、京の蹴鞠の一番手であるとしらなんだか」 佐藤家は、京都の芸能蹴鞠の使い手が多い。西行の祖父は特に有名であった。 「くそうう、西行、食らえ、我ら黒田悪党が腕のさえを見よ」 太郎左と、次郎左が、二人が心合わせ、左右に同時に動く。 兄弟の体を合わせ、ねらい違わず相手を倒しす二人の技「双剣の構え」である。体の動きの同調は、さすがは兄弟である。寸分の狂いもない。二人が一人のように、羅卒天のように四本の腕が動いている。「我らが、双剣の構え破れるかのう」 二人は西行に走りより、向かいあい、左右同時に刀を振り下ろす。 一瞬、たじろぐ西行。 が、急に大男があらわれた。太郎左、次郎左の両腕を諸手で後ろからつかむ。 「うぐつ」「貴様、何者」 言う間もなく、二人の体は宙に浮いている。 地面にたたきつけられた体の上に、その太い樹の幹とも見える両足が鳩尾を踏み根でいる。 さらに、鳥海の背面から逆落としをかけている。 て、見る間もなく盗賊三人をなぎ倒している。突然吹いた「からっ風」のように現れている。残りの黒田悪党のの手下たち十名程は、逃げ去っていた。 祭壇中央の広場には太郎左、次郎左、鳥海の三人が倒れている。「弁慶殿、手助け有り難うござる」西行が、その愚風の男にお礼を言った。「おお、ちょうどよい塩梅でござった」「儂も、年には勝てませんな」西行は頭をかいている。「義経様が、安全な場所まで、後をつけよと申されたのが、ちょうど、よろしゅうござった」弁慶であった。弁慶が、土産にとして京都から贈り物、蹴鞠数個を、西行に向けて送りだしていた。「白河の関をこえ、ここまでついてきた価値があったというもの。頼朝殿との戦いではさすがに姿を見せる事はできませなんだが、」 静が弁慶に抱きついている。「おお、弁慶殿、よう、生きていらっしゃったか…」「おお静殿、よくご無事でここまで。吉野で別れて。もういくたりになりますか。ここではひどい目にあわれましたのう」「弁慶殿、義経様の和子様、殺されました」涙ながらに静は言う。「何!」弁慶は以外な言葉に驚く。「義経殿が輪子が、頼朝によって、」大粒の涙が、大地にしたたる、「義経殿に如何につたえれば、、良いのか」「う」静も同じように顔をしづませていた。「かわいそうな方々だ。時代が悪いのかもしれんのう」西行は、黒田悪党三人の遺骸に対して拝んでいる。「すまぬ。天下静謐、明日の日本のためだ、堪忍されよ」続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.13
源義経黄金伝説■第42回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま) 十蔵が恐ろしい表情で、「お前たち、俺の正体知ったからには、よけい生かしておく訳にはいかん。それに俺の方もお前たちの顔に見覚えがある」と挑発に乗らず冷たく言い放つ。十蔵の心は、すでに東大寺の伽藍消亡の折り、死んでいるのだ。「……」三人は顔を見合わせる慌てていた。「お前たちは…」西行は、あることにきずき、手を打つ。「そうか。東大寺焼失の折り、その奈良で、押し込み盗みを働いておった盗賊の片割れだな」「ふふう、気付かれたからには、仕方があるまい。我々は、確かにその折りの風盗よ。あの折り、一働きして、確かに財をなしたわい」「のう、鳥海、こやつの顔を見てみい。お前も覚えがあろうが」 顔を見合わせる、十蔵と鳥海。 二人とも汗がどうっと噴き出た。まさかの驚きである。「お主は…」鳥海が慌てていた。「兄弟子よ。お前様には会いとうはなかった」鳥海が十蔵にいう。「かような所で…。そんな身分に落ちたか、鳥海」十蔵は蔑みの目でみる。「人のことを言えたものか。十蔵、お前様も東大寺の闇法師、闇の殺し人に成り下がっておろうが」「よいか、鳥海。よく聞け。俺は進んでこの役引き受けたのだ。なぜならば、東大寺攻防の折り、たくさんの仲間を、俺のせいで死なしてしもうたからのう。ましてや、東大寺、大仏が焼け落ちるのを見たとき、俺の心の根は変わったのじゃ。俺の心の間に浮かんだのは闇だ。復讐だ。残念ながら、仏法は俺の救いにはならなんだ。よいか、俺は死に場所を探しておる。目の前にある障害はすべて、握り潰してくれる」「十蔵、わるう思われるな。俺はあの大仏が炎上する時、考え方が変わったのだ。いや、生き方かもしれん」「何を思うたのだ。お主の最後の言葉聞いてやろうか」「この貴族の世が終わる。これからの世は武士の世だ。それゆえ、兄弟子よ、聖武帝の東大寺ごときに義理を果たすのを止めろ」「何を申す。東大寺、いや東大寺大仏、あってこその日の本ぞ」「東大寺など、我々、貧乏人から金をふんだくるだけの存在だ。貴族でもない我々を助けてくれることなぞありもうさんぞ」「鳥海、そのたわごと、さあ、地獄で言え」東大寺闇法師、十蔵が叫ぶ。「おもしろいわ。この闇法師。いあや、十蔵!たっぷりいたぶってくれようぞ」「お主がその心なら、私も仕事がやりやすい。こ砂金の荷駄を挟んで勝負じゃ」「よいか、お主たち。この沙金は、日本全体を平泉のような平和郷を、この世に作るための資金だ。たやすく渡す訳にはいかぬぞ。考えを改めぬか、ぬしら」西行がさけんだ。が、寂しそうな顔をしている。絶望しているのだ。このような奴らが世に多すぎる。日本は何を失ったのか。「何をぬかすか、このくそ坊主。二人揃って三途の川、渡してくれようほどに」 「そう申すなら、いたしかたあるまい。殺傷は望むところではないが、儂には武士のおりの約束があるでな」 西行は、密かにつみおいていた先祖代々の佐藤家の愛刀、朝日丸を取り出し、悪党の攻撃にたいして防戦しょうとする。長く使ってはいないのだ。 黒田悪党、太郎左たちは、西行たちの強さに思わずたじろいでいた。こんなはずではない。「いささか、こやつら、手ごわいぞ」次郎左が言う。「されば。あの手を、使うか、兄者」太郎左は、祭りに使われた廃屋に走りいき、ひとつから静を連れて出て来た。生かしておいたのだ。「おい西行、この女をこうすれば、我らを容易には打てまい」次郎左は、静の首筋に刀を当てている。「ああ、西行様」静が我が身を呪うように嘆く。「う、静殿。生きておられたか。ありがたし」さすがの西行も、とまどい手がだせない。「どうじゃ、我らがたっぷり弄んでやったわ」次郎左がにやりとする。「もう生きてはおれんというのを、何とか生かしておいやったぞ」「よいか、この静とその沙金との交換と最初の案はいかがか」「どうだ西行返事をしろ」次郎座がわめく。「…」しかたなく、西行と十蔵は、剣と棒を、地面にゆっくりと降ろす。「ふうふう、その用に早くすれば、よいものを、」 広場の炎の外に富めておいた荷物駄を積む馬に、太郎左たち一群が連れていこうとする。 「おう、お宝じゃ」 静の体から、次郎左の注意が一瞬離れた。祭りの階段丘の方より、新たな声が西行に聞こえた。 「西行殿、お助けに参った」ささやく声だった。「おお、そのお声は…」「しっ、奴らに聞こえましょう」「さらば、もうひといくさ始めよう」その声の主は言った。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.12
源義経黄金伝説■第41回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★西行の荷駄一行は、約束違わず正午、その御矢山にある広場の中に入って来ていた。打ち捨てられた仮小屋が並んでいる。「お主たちは、離れていて下さい」 荷駄人夫どもを、その場から逃した。西行と、残りは十蔵一人。仮小屋が並ぶ窪地の真ん中で、西行は叫んでいる。「西行だ、お約束のもの、お持ちしたぞ。静殿を返していただこう」 七十才と思われぬ大声で、西行は叫んでいる。が、人の現れる気配をない。「西行、待ち兼ねたぞ」ようやく、山頂の方向から声が帰って来た。と同時に数束の弓の群が、雨霰と飛んできて、目の前の大地に突き刺さっている。無論、矢の群は、西行と十蔵を狙っていた。「名乗りもあげず、我々を射殺すつもりか」「卑怯なり」二人はその場をはね飛ぶ。 が、二人は、矢の攻撃に捕まらぬ程、敏速に動いている。西行の手に荷駄に隠してあった愛刀、朝日丸が握られている。同じように十蔵の手にも杓丈が。 窪地の入り口から、続いて、火が、大きな火の群がなだれ込んで来た。それは藁を積んだ荷車である。が走り込んでくる。そこへむかい、さらに火矢が打ち込まれた。仮小屋も、周囲の屋も燃え上がり、炎をあげる藁が、西行たちの背後を塞いでいる。袋の鼠である。「どうだ、西行。これで、もう逃れることはできぬぞ」 西行一行の前に、立ち塞がる、騎馬にのった商人風の一団が、総勢十四人現れている。「西行殿、お荷物をお預かりしたい」 真ん中の、屈強な頭目らしい僧服の人間が威嚇した。「静殿をお返しいただきたい。ところでお主はどちらさまだ…」一団の首領が答える。「たぶんご存じあるまい。我々は伊賀の国、東大寺黒田荘に住む太郎左、次郎左そして鳥海」「それにな、静はあやめ、遺骸はこの山中に捨てた」次郎左が憎憎しげにはき捨てる。西行には、しづかな怒りの炎が燃えた。義経殿への、、約束が。「して、このやつがれの荷物を希望とは」「隠しても無駄だぞ。その後ろの荷駄に用がある。この破戒僧、鳥海が、すべてのからくりを知っておる。のう鳥海」 壮丁の鳥海が前にでてくる。「西行。貴様が東大寺勧進僧重源より依頼を受け、この陸奥まで来たこと、京の噂。ましてや藤原秀衡は、京の公家殿の依頼を無下に断りはすまい。すなわち、その西行一行の荷駄、まさしく秀衡公の沙金に相違あるまい」「それを、少しばかり分けてほしいという訳だ…」商人姿の太郎佐がにやりとする。「ふふ、西行、すべてとは申しますまい。半分でもいいのだ」弟の次郎座がこずるそうに言う。「ならぬ。この沙金はもはや秀衡殿のものでも、西行のものでもない」 西行は、声高に答えた。この悪党どもをこわがってはいない。「では、だれのものと…」「東大寺のものじゃ。いや日本国のためのものだ」「くはくはは、片腹痛し。よいか西行、貴様はその年だ。ましてや、世は義経を巡って藤原秀衡の平泉と、鎌倉とは不穏な動きがある。その途上のこの平泉と関東の国境、足利の山中で、西行法師が、行方不明になっても、調べる方策などありはせぬわ…」「やい、この歌詠みの坊主。早く荷物を渡せ」太郎左はいらいらしている。「そうじゃ。さすれば命だけは助けてやるわ」「太郎左、次郎左、それに鳥海とやら、この俺をただの歌詠みの坊主と思うたのか」西行は自信たっぷりに言う。「何」「わしの藤原秀郷流剣の腕を、少しは見せねばなるまい」「き、きさまは一体、」三人は西行の勢いと自信に驚いている。「昔は北面の武士、佐藤清衡。お主らはしるまいが、先祖は俵藤太ぞ。平将門を打ち破りし名門。ましてや、儂の鞍馬での兄弟弟子は鬼一法眼、その名前はいくら田舎侍とて聞いていよう」「西行様、その前に、このような奴輩。私におまかせあれ」十蔵が、西行の前に棒をかまえて立ち塞がっている。「ぬっ、貴様はどこかで見た顔じゃと思うたら」馬頭を、十蔵に回している「お前。東大寺僧兵の指揮をしておったじゃろう。のう次郎左、この男の顔に見覚えはないか」太郎左が十蔵の姿を弟に言う。「そうだ。兄者、こやつは確かに指揮をしておった。お前たち、悪僧(僧兵)どもが弱いから、平家ごとき柔侍に東大寺の伽藍を焼かれてしまうのだわ。くはは」三人は、十蔵をあざ笑った。作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所続く2010改訂Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.11
源義経黄金伝説■第40回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)■5 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 足利の荘、御矢山は、1日前の御矢山祭りの喧噪がうそのようにしずまりかえっている。何人かの鎌倉の物見が、姿を見せずにいるようだが、西行と十蔵は、御矢山祭に参加していたご家人衆が、領地に急いで帰るのを、のんびりと見て、時間を過ごしていた。すでに、西行は、伝説の人になってはいる、領地に帰る武士どもが尊敬のまなざしでとうりすぎる、「西行様、これからは私の出番もお作りくださせ」「ふふ、十蔵殿、ワシははしゃぎすぎたかな」「おひとりだけ、目立っておられましたぞ」「困ったことに」「何でございましょう」「試合で体がほぐれた、今度は刀のさばきをみせたいものだ」「いいかげんにされませ。私が重源様からおこられます」「そうだのう、たまには、十蔵殿の見せ場もつくらなければのう」「ふふ」黒田悪党たちは、1つ手前の宿場で、待っている。御矢山祭り騒動があった事は、街道を行く商人や武士の郎党たちの話から感じていた。「何やら、西行が鎌倉殿を相手の大立ち回りをしたようぞ。いかがか、鳥海殿」悪党首魁の太郎左が、そばにいる破戒僧、鳥海にたづねた。「ふふつ、太郎左殿、お気の小さい事を。聞くには及ぶまい。たかが流鏑馬。古式からの儀式。我らは、源平の戦を生きのびし歴戦の強者」「そうだぞ、兄者、所詮は、京都後白河法王に気に入られし歌詠みの坊主。まして、大江様からは何の指示もない」「それよ、次郎左、そこが怪しいぞ」「何を、兄じゃ、それは、約定とうり砂金を奪い取れという事であろうさ」と次郎座が笑い飛ばした。それを受け、他の者どもも「ふふつ、70歳の歌詠坊主、左手一本でひねりつぶすわ」「鎌倉殿も、我々の襲撃を見て見ぬ振りをするという約束ではなかったか」「幸い、ここまでは、京の検非違使の手は回ってはいまい」と、濁酒をはむ悪党は、あくまでも威勢のより集団であった 御矢山には、今、人はいない。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.10
源義経黄金伝説■第39回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★頼朝は、競技場傍に設けられた仮屋敷に戻り、体を打ち振るわせ、怒りをあらわにしている。大江広元と、文覚の二人を前に怒鳴っている。「よいか、本日は自重しょう。が、奥州平泉を攻め滅ばした後はかならづや、西行とその結縁衆を滅ぼすのだ。また、あの西行の敷島道を完成させてはならぬ、我々武士の武威と、仏教にて、この日本は支配されるべきだ」「ははつ、かならずや」二人は唱和した。「奥州平泉を滅ぼすは、我が大江家の悲願でもあります」「大殿様、ワシは、その頼朝殿の考えに惚れたのです」文覚が言葉を続ける。「奥州仏教王国を滅ばしさん、その黄金を手に入れて、今度はこの鎌倉を仏教王国にいたしましょう。そうだ、我が鎌倉にも大仏を建設いたしたしましょうぞ」大江広元が言葉を継いだ。「結縁衆のやつばらには、我々が恥をかかされておりまする。たとえ、比叡山、高野山がどういおうと、奴らを、山の中においこみましょうぞ。この街道筋や、湊泊まりに、居る場所がないようにいたしましょう、その支配体制を頼朝殿のお力でなしとげましょうぞ」摂津、川西多田から鉱山貴族となり、金属資源の使い方を知り尽くした軍事貴族、源氏は、当時最大の黄金郷、奥州平泉を攻め滅ばさねばならなくなった。それが昔年の、源氏の氏長者(うじちょうじゃ)、頼朝の使命だったのである。別の仮小屋にて、北条家の面々が集まっている。「婿殿は、、、我々板東政権にとって、いらぬ時がくるかもしれぬのう、政子殿、その事、政子殿考えておられよ。幸い、ワシは2人の子供に恵まれておるが、我らが源氏の方々を頭にいただいて、いくが当然だが、その氏の長者がやくにたたぬ時もありえよう」北条時政が周りを見渡し言った。政子は、顔を青ざめながら、ゆっくりと首肯した。その頃、頼朝は大江広元だけと話をしている。「広元、私は、お主の使われせた、手先の者どもの事は相知らぬぞ。おまえに任せるが、失敗した折りは、すべて、お主が責任をとれ。お主がどう動こうと私は知らぬこと。また、鎌倉の郎党の者もこの仕事に使うのはやめるのだ」矢継ぎ早に、頼朝は命する。「まさに、ここ、御矢山で、西行が盗賊に会うのは、ご神前で誓った私が恥をかく。また、この事は、文覚にしれるではないぞ」。しばらくして大江広元が、北条政子に呼ばれていた。「ここは、ふたりだけの相談でございます。大江広元殿、いかが考えられる、いや、これからの攻め手の事でございます」大江広元は、頭を振り絞る。ここは、政子殿、いや北条家に自分の知略を見せておかねばなるまい。「あるいは手として、義経殿の命と、奥州黄金の支配権とを天秤にかける方法もございましょうが」「それは、坂東の方々、世の方々が納得すまい」「武士は武士。ころはそれ、後白河法皇の勅宣という事もございましょう。まして、藤原秀衡様が亡き後ならば、義経殿の支配に、奥州の武士の方々がつき従うとお思いですか。それはありますまい」「それはなぜですか」「奥州は、源氏の流した血で汚れておりますぞ。その象徴である源氏の義経殿を、中心にすえるは、奥州武士の面々がいかにも納得いたしますまい。まして、義経殿の戦い方は、山丹(さんたん)の手法でございます。我が国の武士の手法ではございません。奥州武士が納得いたしません。ここは、京都を利用いたしましょう」「そは如何なる方法にてか。大江殿」「我が探索によれば、決して、奥州平泉の藤原家の兄弟仲は良くはございません。鎌倉殿に、日本支配権を奪うまでは、利用できるものはすべてお使いになられた方がよろしゅうございましょう。京都、奥州、さらには、あの西行殿の手下どもも」と告げて、大江広元は、政子の顔をじっくり見た。「まして、義経殿は、平家を滅ぼした戦の上手でございますぞ。義経殿の和子がまだ生きておわす事を知るは、政子殿と、この大江広元のみでございます」政子はひやりとして、少しばかり話題を変えた。「この日本に昔からおられる方々を、支配しやすくいたしましょう。住む場所をきめすのです」「良き考えです。また、板東には、京都から新しい仏教を移住させ、武者殿のこころのささえになる教えを使いましょうぞ。我々が許す、信じやすい形の仏教を広め、鎌倉を佛都にするのです」「頼朝殿が征夷大将軍の位におつきになり、この国をおさめる事になっても、この国の民をお忘れなきようにお願いいたします。この国は武士だけによって動いているかわけではございません。京都の貴族、我我、武士。文覚殿のような法師殿が支配するわけでもない」「さようです。国を富ましましょう。そして、相国平清盛殿が押し広げた中国宋との貿易、また平泉がもつ山丹の貿易も、てにいれましょうぞ。さすれば、あのような、民草は恐れる必要はございますまい。土地の支配権を、貴族や仏教からとりあげ、土地は、我々、板東の者ためにいかしましょう。それこそが、我ら坂東の武者が生き残る道でございます」大江広元は、源家から北条家に乗り換えていた。御矢山神社にある荷駄隊の馬留め場まで戻った西行は、十蔵の顔を発見した。早々と、結縁衆や武士の郎党は、この神社境内から姿を消しつつある。田舎にある神社の静寂が、すでに戻りつつある。西行は、十蔵に頭をさげながら、つぶやいた。「ふふ、また、おかげで生き残ってしもうたか」「お役目ご苦労でした」「さてさて、十蔵どの、今度はな、静どのを助ける番か」と、西行は戦人(いくさびと)である事を告げる。東大寺闇法師、十蔵はにやりとうなづいた。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.09
源義経黄金伝説■第38回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★ 下野(しもつけ)国足利荘御矢山(みさやま)武神を祭る御矢山神社の山々が揺れ動いているのだ。やがて円形競技場の周りに、人の波が現れている。結縁衆が、競技所のまわりと取り囲んでいる。「よいか、頼朝様、我が手には、結縁衆がついておる。ご存じのとうり、京都王朝が成立する以前の日本全国におかれた方々だ。その方々との縁も、この西行はもっておる。いかがかな。ここは、この西行を、京都へすんなりと行かしていただけぬか」西行が、流鏑馬の終わった競技場の中心で、頼朝に向かい叫んでいた。「西行め、この仏敵め」土段上にいる文覚が、叫んでいた。西行が答える。「文覚殿、よいか、平泉は仏教王朝ぞ、その仏教平和王国を、この頼朝殿はつぶそうとして追われる。その考えを吹き込みしは、広元殿か、あるいは、おぬし文覚殿か」再び、競技場、土壇の武士の動きが激しくなった。家人、郎党を呼び寄せ、戦支度を始めているのだ。一部は馬の止まりに走り初めている。この騒ぎに再び、あの声が朗と響いた。「今は神聖なる祭りの時、場所でございます。双方とも武器をしまいなさいませ。ここでの戦さは不要、無用でございます。我々坂東武者は、日本の政治(まつりごと)を正さんがため、挙兵し、平家を滅ばしました。我々、これから日本の政を正しくおこさんが者たちが、商売や芸事を生業とする民と戦うが、意味あることか、お考えなされませ。我々、坂東が武者は、すべての民のため、正当なる政治を行わんがため、打ち働かましょう。今周りを取り囲みし方々も聞かれませ。我らは、まっとうなる政治を打ち立てましょうぞ。周りにおられる方々も、安んじて生活できる、たつきを与えましょう」北条政子であった。それを受け、流鏑馬道で、西行に向け、弓をひいていた頼朝が弓を手からはずし、大声で叫んだ。「よいか、皆のかたがた、聞いてくだされ。本年の御矢山御祭りは、この西行殿と頼朝の流鏑馬射合をもって終わりといたす。皆には元鎮守府将軍藤原秀郷流の武芸を見ていただいた。これをもって領地への土産話とされよ」あたりは、承服できない武士たちがいる。再び、頼朝が告げた。「よいか、領地に引き上げられよ。今ここで刃傷沙汰に及ぶは我が鎌倉に、弓を引いたとみなす」少しつつ、競技場から人の波が引いていく。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.08
源義経黄金伝説■第37回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★「そこまでとされよ」大江広元が叫んでいた。これ以上の醜態を、ご家人どもの前では見せられぬ。「皆の方々、おわかりであろう。西行殿、秀郷流武芸は、ここ板東で発生し、京都にいっても不滅である。その西行殿の腕を頼朝様は、しめされたのじゃ。無論、どちらも相手を射殺す事はないのじゃ」が、道に落ち足る頼朝は、たちあがり、そばに落ちている弓矢をそれぞれ拾い上げた、矢をつがえ、馬上の西行に向けた。西行もしかたなく3の矢を頼朝に。静かに、精密に北条家からなる近衛の弓兵隊が頼朝の動きに合わせ、会場の各所から、西行1人に向けて、その鏃を向かわせた。頼朝の弓が、西行をねらっている、そして、西行もゆっくりと、的を頼朝にしぼった。西行は思った。(よいのか、頼朝殿、私をまた、藤原秀郷にしたいか)藤原秀郷は、平将門の額を打ち抜いている。それをもって、平将門の乱(935年から940年)は終わり、最初の板東独立国はついえたのだ。そして 藤原秀郷は、鎮守府将軍となり、武家の尊敬をあつめた。秀郷はそのとき、64歳だった。場は沈まりかえっている。誰一人動こうとはしない。「おまち下され」全員がその声の主を見た。頼朝の妻、北条政子だった。土壇上部から、叫んでいた。「皆も弓をさげられよ」そばには、娘大姫がうつろなる表情で、たくましき母親の様子をかいま見ている。「西行殿を、頼朝殿以外の射手が、射るは卑怯でございましょう。武門の名折れ。我が夫、頼朝殿の武門の名前をあげるときです。頼朝殿に恥をかかせてはなりません。みなさま、さ、弓をおさげれませ」「そうだ、皆、弓をさげよ」傍の舅の北条時政が、和した。板東武者は、武威を好む。武家の棟梁とと仰ぐ頼朝が、その武威を見せねばならない。と北条家はいうのだ。弓手隊は、下がり弓を下ろした。頼朝の妻、北条政子は続ける。「そもそも、西行殿はお客人。まして板東武者の端源、藤原秀郷殿の腕目を、武人のみなさまにお見せするために、ここに来ていただきました。頼朝殿はその座興に的になられたのでございます。いかに頼朝殿が武芸の達人といえど、秀郷流にはかないませぬ。これは我々坂東武者が一体となれりて、奥州をせめんがための座興ぞ。我々が油断せず、平泉を攻めるがため」政子は言葉を継いだ。「先の。保元の乱以来、親子、兄弟合い争うは、この世の常です。我々が仲間割れせず、平家を南海にしずめ、先には白川の関を越え、奥州をうつは間近でございましょう。義経殿は、我が夫、頼朝殿や、ここにおられる坂東の皆様方へのご恩を忘れ、平泉に逃げ込み、我々をねらうと聞き及びます。坂東をまた、いずれかの支配の地におきたいか。あるいは我らがみづからの主人となるか。これは我々の宿願でございましょう。我々、板東が勝つか、平泉が勝利するかは、それは皆様のお力や、お働きによりましょう。我々坂東の者も、また奥州の砂金をもって、京に行き、後白河法皇様に閲覧に拝し、南都の大仏殿も再建しようではございませんか。さすれば、京の貴族たちも、我々、板東武士の意向に、はむかう事は不可能でございましょう」政子の傍に控えている、父親北条時政は、弁達の我が娘に向け、うっすうら笑いをこらえている。競技場にいる源頼朝が、矢を下ろして、政子の言葉に続けた。いかんせん、熱くなりすぎたぞ。今は。政子に助けられたか。ここが潮時。如何に納得させるかだ。「西行殿と、奥州の砂金を京都に送り返すは、我々鎌倉の誠意と実力をみせんがためぞ。板東の武家の方々、、そして、源氏、我が北条家の方々、坂東名家の方々、心して聞かれませよ。この日本を、これから、動かすは、我々坂東武士ぞ」西行が、頼朝の演説を途中で止めた「でものう、頼朝様、この周りの様子、そしてあの音を聞かれよ」やっと、か。十蔵殿、時間がかっかったな。地鳴りが、競技場にすこしづつ響いてきている。「なに、これはいったい」業腹の武士たちも、あたりの異音にきづき、騒ぎ出す。御矢山の山奥から、、その近在の山腹からも、人々の気配と異音が津波のように押し寄せてくるのだ。目指すは、どうやらこの御矢山競技場。御矢山神社参道や周囲にいた、道道の輩も、自らの仕事場所を打ち捨てて、競技場周りに集まりつつうあった。この人間達を北条家の護衛兵が押しとどめようとするが、多勢に無勢である。「京には貴族があらえる、板東には武士、しかしながら、いにしえより、大和地方で今の京の王朝が、成立する前に、民がいた。この日本の各地、国々に、京の意向、お主ら武士にも承伏できぬ民草がおられる。この方々との縁も、この西行はもっておる。その方々が、この西行を助けようとされておる。さあて、如何なさるぞ、頼朝殿」続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.07
源義経黄金伝説■第36回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★意志として、鎮守府将軍、藤原秀郷の後裔、西行の血が、頼朝を破れと命令していた。御家人衆の興奮の中、大江広元は、まわりの武家とは異なり、おそれをいだく。もし、頼朝殿があの西行に負ける事があれば、源氏が、この板東の、また、奥州においても、武門の誉れでないことを意味する。武門の王ではないのだ、とすれば、大江広元が頼るべきは、いったい、誰を。大江広元は密かに、北条家の面々の方をゆっくりと、盗み見た。文覚は、せっかくの板東王国が滅ぶ事があれば、奥州平泉が、日本を支配する事になれば、京都の寺の勧進を誰をたよるのか。仏教王国である奥州平泉に頼む事になるのか。いやはや、とすれば、また、後白河法皇に依頼せざると。あいや、滅相もない。ここは頼朝殿に一勝負挑んでいただけなければ、ここでの武家のメンツはたつまい。それぞれの想いをよそに、準備はとどこおりなく整う。盛装となった2人は、流鏑馬道の両端にいる。「頼朝殿、ワシがこの勝負に勝てば、砂金の安全を。この西行を京都に帰らせ、黄金を、後白河法王に渡す。これで頼朝殿の名前をあがりましょう。まして、頼朝殿は仏教三昧の方と聞き及びます」伊豆に流された後の、頼朝は、たしかに朝から晩まで、仏教を唱和してきた。「くどい、西行どの、はじめにご家人の面前にて、その事告げておろうが、この鎌倉の勢力及び範囲であれば安心あれかし」「いあざ、いざ」「そうれ、それ」両者は、駆け抜けた。1射は、鏑矢の羽音が西行の耳をそぎ、頬には擦過傷の血がうっすらとにじむ。「はずしたか」頼朝がくやむ。馬の首をめぐらし、再び対戦に入る。「いざや、2射を目にもの見せん」西行は、顔をそらさなければ、つきたっていたかもしれぬ。お互いに矢をいるは1本、1射のみ、走り貫けるに、次の矢をつがえる間はない。ましてや、背面から射るは、作法にもとる。2射目、、頼朝の矢は、西行の正面法衣をつき抜けていたが。体は触れてはいない。が、逆に西行2射目は、頼朝の防衣をつき抜けようとした。が防具が、そのエネルギーを別の方向に逃げさせ、馬の鞍から弾き飛ばしていた。思わず、頼朝は馬から背面にころがる。時が止まったように、観客のざわめきが、静寂に変わった。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.06
源義経黄金伝説■第35回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★競技場は、頼朝、西行の2人流鏑馬対戦のため準備がはじめられている。観客の叫び、興奮は、もはや尋常ではない。伝説ともなるべき試合が、今繰り広げられようとしているのだ。夫々が、1町離れて、対面にたち、馬上から狩俣の矢をつがえて突進する。木製弓は、強靱だが弾力がない。弓がしならないために、深く引き絞る事ができない。そして飛距離がでない。お互い馬上であらえば、なおさら引きしばれない。相手の至近距離で構える理由はこれである。流鏑馬は、左横の的を射る。弓は左手に持ち、左横の目標を撃つ。的が正面にあるうちにねらいをさだめ、流鏑馬では走路(さぐり)から、わずか3尺5寸(約100センチメートルで)で鏃がふれんがばかりに射る。矢でねらうは、「最中」つまり体の腹部である。頼朝にとって、西行は、京都王朝のシンボルだった。板東王国をつくるべき今、自分、頼朝に将軍位を渡さないのも、いわば、ご家人衆からもれば、京都におわす後白河法皇の考えであるとし、西行の行動の後ろに、後白河法皇が見え隠れする。西行が、この不穏なる時期に、奥州平泉に行ったのは、京都王朝と奥州平泉の協同作戦の話に相違あるまい。そしてその作戦中心人物は、義経に相違あるまい。西行の後ろに義経の陰を見るのだ、西行は義経にとって、いわば育ての親代わり。西行は、この板東の最初の独立国、平将門の王国の夢破りし藤原秀郷の子孫、それゆえ、京都王朝の意志を感じるのだ、ともかくも、西行は、これから頼朝が打ち倒すべき敵の象徴であった。いくら年齢の差があろうと、負けるわけにはいかぬ。まだ、完全に、頼朝は板東地方を把握している訳ではない。平家という宿敵が南海に沈んだとしても、鎌倉が堅固なる国家にはなっていない。武家の象徴であるべき頼朝は、ここで、京都王国と武家の象徴である、西行を、後家人衆前で、倒す意味がある。逆に対手である西行は、考えている。さてはて、十蔵どの、ご準備の方はよろしいかな。山並みのいずかにいるはずの十蔵に、願いを送っている。西行の動きは、天下静謐が、目的なのだ。そして、あの麗しき方への、人生をかけた約束をはらさねばならない。崇徳上皇様との約束も、また、日本を敷島道でもって霊的に保護する企てもなしてはいない。まだまだ、人生においての宿願が、西行の胸にはあるのだ。義経が、この鎌倉を打ち破る可能性もあるのだ。この砂金が、重源に届き、京都後白河法皇法王が手助けの方策をとるならば、、、この源頼朝ひきいる板東王国も盤石ではない。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.05
源義経黄金伝説■第34回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★■2 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま) 頼朝は、皆より1段高い御矢山競技場土壇上から、西行の流鏑馬を、見て満足しょうとした。今、七十歳にならんとする西行は、昔のこと、北面の武士である事を思い起こそうとしていた。この老躯に、果たして役目が務まるか。しかし、わづかながらでも、体の反応が残っているだろう。それにかけるしかあるまい。まだ、我が生涯の目的のため、負けるわけにはいくまい。当時の馬の大きさは、前脚のひずめから肩の一番高い部分までを体高とした、日本の在来馬は、四尺(約121センチメートル)を通例とする。軍馬の場合は少し大きく四尺三寸(約130センチメートル)が標準である。西洋のサラブレットの体高が160~170センチメートルなので、西洋高のポニーの大きさに相当する。中国の軍馬の条件は130約121センチメートル以上であり、秦始皇帝の兵馬俑にある馬俑の平均体高は、121センチメートルであり、アジア地方草原馬の標準といえた。当時の木製弓は、弦を外した上体では反りがなく、直線で樋のある腹側に弦をそのまま掛けている。木の性質から弓はしならず、世界級大きなものとなり、平均で7尺2寸(約210センチメートル)となり、馬の体高より大きい。弦は、麻の繊維を錬り、その上に補強のため漆を塗る、あるいは、糸で巻き閉めてから漆を塗る。矢は、鏃(やじり)矢羽、ヤガラからなる。矢の長さは、握り拳ひとつを1束とし、十二束(約83センチメートル)が標準であった。ヤガラは本体部分で篠竹をつかう。鏃は、武士の流鏑馬には、鏑矢が使われている。西行は、見事に、流鏑馬を行い、的を打ち据えていた。2度3度、流鏑馬の走路(さぐり)を走り終え、的をすべて当てていた。賞賛の叫びが、下野の国足利の荘・御矢山競技場にこだましていた。この時期は、弓矢道が戦いの常道である。戦いの主役は刀剣ではない。頼朝は考えている。この西行の藤原秀郷流の武門の技を、まして、70歳にもなる男の見事さを、この坂東御家人の前で、見せるのは、頼朝は、歓声の中を、急に立ち上がった。扇子を振り上げている。「見事じゃ、見事じゃ、西行殿、さすがは、俵の藤太。藤原秀郷どのの御子孫じゃ」藤原秀郷は、弓矢の達人として、東国の御家人からの崇拝の的である。昔語りに「近江、三上山の大百足を退治し、竜神から小俵、反物、鍋、武器をもらったという」伝説が、この時代の人々に埋め込まれている。「西行殿どうですか、射組の試合はいかがか」流鏑馬で、2人が合いむかい、お互いの相手を的に打ち合おうというのである。観客から驚きの声があがって、騒がしかった。「対戦する相手は、そうよのう、、」頼朝は、しばし考え、口を開いた。「そうだ、私がつとめよう」一層の興奮が、周りの武士たちを驚かせ、感動させる。頼朝は弓の上手として、子供の頃から有名であった。「百発百中の芸を振るいて、合い戦うる事数度に及ぶ、射殺すところの者これ多し」と当時の文献にある。この坂東で、先輩にあたる京都の北面の武士と射る合いをする事も無駄ではあるまい。と頼朝は思う。「頼朝様、それは、、」頼朝の傍らにいた、大江広元と、文覚が、同時に叫んでいた。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.04
源義経黄金伝説■第33回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★頼朝は、皆より1段高い御矢山競技場土壇上から、西行の流鏑馬を、見て満足しょうとした。今、七十歳にならんとする西行は、昔のこと、北面の武士である事を思い起こそうとしていた。この老躯に、果たして役目が務まるか。しかし、わづかながらでも、体の反応が残っているだろう。それにかけるしかあるまい。まだ、我が生涯の目的のため、負けるわけにはいくまい。当時の馬の大きさは、前脚のひずめから肩の一番高い部分までを体高とした、日本の在来馬は、四尺(約121センチメートル)を通例とする。軍馬の場合は少し大きく四尺三寸(約130センチメートル)が標準である。西洋のサラブレットの体高が160~170センチメートルなので、西洋高のポニーの大きさに相当する。中国の軍馬の条件は130約121センチメートル以上であり、秦始皇帝の兵馬俑にある馬俑の平均体高は、121センチメートルであり、アジア地方草原馬の標準といえた。当時の木製弓は、弦を外した上体では反りがなく、直線で樋のある腹側に弦をそのまま掛けている。木の性質から弓はしならず、世界級大きなものとなり、平均で7尺2寸(約210センチメートル)となり、馬の体高より大きい。弦は、麻の繊維を錬り、その上に補強のため漆を塗る、あるいは、糸で巻き閉めてから漆を塗る。矢は、鏃(やじり)矢羽、ヤガラからなる。矢の長さは、握り拳ひとつを1束とし、十二束(約83センチメートル)が標準であった。ヤガラは本体部分で篠竹をつかう。鏃は、武士の流鏑馬には、鏑矢が使われている。西行は、見事に、流鏑馬を行い、的を打ち据えていた。2度3度、流鏑馬の走路(さぐり)を走り終え、的をすべて当てていた。賞賛の叫びが、下野の国足利の荘・御矢山競技場にこだましていた。この時期は、弓矢道が戦いの常道である。戦いの主役は刀剣ではない。頼朝は考えている。この西行の藤原秀郷流の武門の技を、まして、70歳にもなる男の見事さを、この坂東御家人の前で、見せるのは、頼朝は、歓声の中を、急に立ち上がった。扇子を振り上げている。「見事だ、見事だ、西行殿、さすがは、俵の藤太。藤原秀郷どのの御子孫」藤原秀郷は、弓矢の達人として、東国の御家人からの崇拝の的である。昔語りに「近江、三上山の大百足を退治し、竜神から小俵、反物、鍋、武器をもらったという」伝説が、この時代の人々に埋め込まれている。「西行殿いかがかな、射組の試合はいかがか」流鏑馬で、2人が合いむかい、お互いの相手を的に打ち合おうというのである。観客から驚きの声があがって、騒がしかった。「対戦する相手は、そうよのう、、」頼朝は、しばし考え、口を開いた。「そうだ、私がつとめよう」一層の興奮が、周りの武士たちを驚かせ、感動させる。頼朝は弓の上手として、子供の頃から有名であった。「百発百中の芸を振るいて、合い戦うる事数度に及ぶ、射殺すところの者これ多し」と当時の文献にある。この坂東で、先輩にあたる京都の北面の武士と射る合いをする事も無駄ではあるまい。と頼朝は思う。「頼朝殿、それは、、」頼朝の傍らにいた、大江広元と、文覚が、同時に叫んでいた。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.03
源義経黄金伝説■第32回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★「西行殿、こちらへ、」西行は、頼朝の家人にいうがまま、競技場に向かっていた。東大寺闇法師、十蔵は、この競技場にたどり着く前に姿を消していた。競技場の飾り手照られた門をくぐり、その道は、観客関にあたる土壇をつききっている、西行は、競技場の真ん中に立たされていた。観客の目が西行に注がれ、500名はいると思われる観客の目の圧力が押し寄せてきた。急な演目の変更に、観客はどよめいていたが、やがて、それは一瞬の静寂を呼んだ。西行は、くらくらと、緊張し、少しよろめいた。やがて、中央土壇にいる人物がゆっくりと立ち上がり西行にかたりかけた。源頼朝である。最初に、西行を扇子で指し示す。「高き所より、失礼いたします。今は私がこの祭事の主催者なのでのう。聞いて下さい。御家人衆の方々。ここにおられるは、西行法師どの、元の名は、佐藤 義清(のりきよ) 殿。鎮守府将軍、藤原秀郷(ひでさと) 殿、御子孫ぞ。私の願いにて、ここ御祭りに来ていただいた」驚きの声があがる。平将門を討った藤原秀郷 は、この坂東地方でが、武士の鏡である。「そしてまた、西行殿は、奥州藤原氏との御親戚だ」。再び感動の声があがる。「さらには、今、奥州藤原氏より、奈良大仏塗金用の砂金を運んでおられる」三度、声が、ご家人からあがり、競技場に響きわたって。源頼朝は、この御家人の歓声を受けてほんのり顔を赤らめていった。「西行どの、ご安心めされよ。我々、鎌倉勢は、その砂金を奪おうとはいたしませんぞ。このご家人衆の前で、西行殿と砂金の事をかたるは、道中の安全をはかるため。この頼朝が、西行殿の安全をはかると言った以上、約定は守らなければなりますまい」頼朝は、さらに告げた。「さらに、西行殿の弟、佐藤 仲清どのの所領、紀伊国田仲荘のご安堵をはかりましょうぞ。佐藤 仲清どのは高野山との争いをおこしておられる。以前は、平清盛殿から、安堵いただいたそうだが、今は、平家ではなく、我が源氏にまかせらるが常道。おわかりか。そうだ、西行殿は北面の武士であられたときは相国、平清盛殿と、また、文覚殿とご同輩と聞き及ぶ」歓声は続いた。佐藤 仲清の所領、紀伊国田仲荘、その土地の所有安堵に関して、鎌倉の源頼朝が握っている事を、知らしめている。この御家人衆の前で、西行の氏素性を、検めるは、頼朝に、目的があったのだ。「西行どの、先の月、鎌倉にて、古式よりの弓馬の道を教えていただきました。それゆえ、我が源氏の平家への、戦勝を祝うこの祭りにて、その秀郷流の兵馬の道を見せていただけぬか。この板東の武家にな、元々、佐藤家ご出自は、板東下野と聞き及びます」きっと、西行は、土壇段桟敷上の頼朝を見上げる。「頼朝殿、黄金輸送を鎌倉殿が責任をもっていただけるというわけか」西行はしばらく黙った。「あの砂金は、大仏を完成させて、天下静謐(てんかせいひつ)を願うために使うもの。きっと武士の約束を果たしていただけるか」頼朝は、いらなぶ板東御家人もの前で、西行をにぎりつぶすつもりだ。平将門を倒した、京都の武家、藤原秀郷の9代目子孫、その子孫、西行を、鎌倉殿である、私、頼朝の前にひざまつかせるのだ。また、奥州藤原氏の黄金の荷駄隊を見せる事により、これから握りつぶすべき、奥州藤原黄金王国が、黄金郷である事を示しそうとしていた。武威(ぶい)の行為である。頼朝は、平家を滅ぼしたその勢いをもって、奥州独立国を制服しょうとする。その象徴の儀式として、西行と、奥州荷駄隊、この板東の後家人に祭りで見せたのだ。奥州は、何度も、源氏の征服への挑戦を退けている。かたわらにいる大江広元も、その証明。彼の祖祖父大江匡房(まさふさ)も、奥州へ攻め入る戦略案を考えている大学者である。前九年の役(1051年から1062年)、後三年の役(1083年から1087年)であった、頼朝の4代前、源氏のス-パースターである八幡太郎義家がその有名人であった。が、今現在、最大の難敵は、、、義経である。奥州黄金と義経が結びついた時、それを恐れる。うちそろい、鎌倉に攻め入る悪夢をみるのだ、そのためには、西行をはじめ、奥州の守りのひとつ、ひとつ、を切り崩しておく必要があった。まづは、西行、そして砂金である。「わかり申した。約定をきちりと守らしていただく」内心は冷や汗が流れているが頼朝はそれを見せるわけにはいかぬ。むろん、傍らの大江広元もまた。「西行殿、ささ、こちらへ、」西行の前に馬と武具が準備されえていた。「どれでもお好きな馬と弓をお選び下さい」西行は、かって北面の武士の頃を思い出し打ている。そして出家して後、30年にわたる高野山の荒行も。高野の山々千尋の谷、いまだにひやりとする。重源殿(ちょうげん)にお助けいただいた。さらに、文覚(もんがく)にも、荒行中にあっている、重源殿は、奈良東大寺で、西行、いや黄金の帰りをまっている。今、文覚は、この桟敷の頼朝の隣にすわっている。「佐藤家の名前を汚すわけには、いくまい」この頃の家名は、絶対的価値である。そして、頼朝が、西行を藤原秀郷の九代目を呼ばわった事は、ある種の確認であり、西行の隠れた望みであった。藤原秀郷の正当なる後継者であると、ご家人どもが認めてのである。この家名以外にも、西行が貫徹しなければならない約束がある。それは、慈円(じえんー藤原兼実の弟)や、藤原定家と行っている「しきしま道」の完成である。これが完成すれば、言葉によっても、日本は、京都王朝は、守られるであろう。歌集の完成をみなければならぬ、それまでは、西行は生き述べなければならないのだ。そして、それは、京都の今はなきあの麗しい方への、生涯をかけた西行の約束の貫徹である。走馬燈のように、西行の頭の中に、京都の思い出が蘇る、、しかし、今は、前には、的が準備されている。1町は続く流鏑馬道がのびていて、観客の武家の人間がかたずを飲み、西行の秀郷流の腕前を見ようとする。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.02
源義経黄金伝説■第31回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま) 下野(しもつけ)国足利荘は、奥州平泉から続く奥大道が坂東にはいる陸奥の国との国境にある。頼朝が平泉を攻めるなら前線基地となるところである。この場所で、頼朝の命にしたがう坂東の武者たちがあつまり、神事として武威を見せる祭りは坂東武者への示威を狙っている。足利荘は、北東部に小高い丘陵地が綱なり、遠く奥州山脈に繋がっている。その丘のひとつが御矢山(みさやま)であり、武神を祭る御矢神社が、近在の武士の信仰を集めていた。その山懐の一角が、御祭りを行う、御矢神社競技所が設けられていた。この御矢神社御祭りでは、頼朝の命により、近在の所領を持つ地頭、御家人に輪番で、頭役を命じていた。御祭り御矢神社競技所には中央に広場があり、石の祠を中心に、長径390メートル、短径260メートルの競技場状に作られていて、その周りを、間隔10メートルの土壇が10段北部斜面に向かって伸び上がっている。土壇は、御家人各家の桟敷である。その並び方によって、鎌倉に対する忠誠心と権力構造がわかるようになっている。むろん中央には、源頼朝家族、そして舅の北条時政を中心とする北条家がとりかこむ。天皇家勅使御桟敷があり、坂東の主な名家が、千葉氏、和田氏、佐々木氏、梶原氏、足利氏、小山氏等が取り囲んでいる。御神事が行われた後、武技である、弓戯、相撲が夫々に郎党の参加により行われている。有名な神事ゆえ、日本全国から、この祭りを目指して商人たちが集まっていた。参道には、商人が日本各地の珍しい産品を広げ口上を述べている。白拍子、道化師、放下師、曲芸師などが、歌を歌い、話芸を行い、面白おかしい娯楽を、一般庶民にも与えている。日本の軍旗である長旗(流れ旗)が、各家の家紋や、信仰対象である八幡菩薩の文字などをあしらい、空風にはためいている。競技場に参加する華やかな装束の騎射武者があたりを駆け抜けている。通例祭りは五日間ぶっ通しで行われ、白拍子の舞、猿楽、田楽などが行われた後、武芸競技が行われるのである。 「小笠懸」「相撲(すまい)」「草鹿」「武射」「競馬(くらべうま)」などが、主な種目であった。このため五千人くらいの人々が、集まる。山の中の儀式なので、宿泊のための仮小屋が、あちこちの丘上に立てられている。屋根は尾花で葺かれている。競技場の周りには、弓矢をしつらえた北条家騎馬騎士が警護している。西行の荷駄隊は、頼朝との約束とうり、この御矢神社御祭りにたどりついている。黒田の悪党との取引は、矢文とうり、この祭り跡で行われる。黄金荷駄隊は、この祭りに集まる武家たちとは異彩を放っている。鎌倉の御家人は、平家を先年滅ぼした勢いのある時期の鎌倉殿の祭りとはいえ、源頼朝は、まだ征夷大将軍の位を、京都の後白河法皇からいただいていない。その源頼朝に、完全に承服はしていないのだ。それゆえ、何かの一大事に備えて各家の騎射武者を武装させて、待たせている。御祭り会場は、一種異様な緊張状態であった。競技場からは、御家人たちの観戦のどよめきが聞こえてきた。その絶え間ない歓声が、声が津波のように繰り返し、近在の山々にこだましている。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2010.03.01
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