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2020.02.15
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2020.02.15
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2020.02.15
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2019.08.11
源義経黄金伝説■第3回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所第1章 一一八六年 鎌倉八幡宮 1 文治二年(1186)四月八日のことである。 鎌倉八幡宮の境内、音曲が響いてくる。「京一番の舞い手じゃそうじゃ」そこに向かう雑色ぞうしきが仲間と声高に話していた。相方がこれも声高に答えた。「おまけに義経が愛妾とな」「それが御台所様のたっての願いで、八幡宮で舞うことを頼朝様がお許しになられたのそうじゃ」「大姫様にもお見せになるというな」「おう、ここじゃが。この混み様はどうじゃ」鎌倉の御家人たちもまた、この静の白拍子の舞を見ようと、八幡宮に集まって来ている。大姫は頼朝と御台所・北条政子の娘であり、木曽義仲の子供である許婚を頼朝の命令で切り殺されたところでもあり、気鬱になっていた。去年文治元年(1185)三月平家は壇ノ浦で滅亡している。その立役者が義経。その愛妾が話題の人、静。平家を滅ぼした源氏の大祝賀会である。その舞台にある女が登場するのを、人々はいまか今かと待ち兼ねて、ざわついている。 季は春。舞台に、観客席に桜の花びらがヒラヒラと散ってきて風情を催させる。その時、どよめきが起こった。 人々の好奇心が一点に集中し、先刻までのどよめきが、嘘のように静まっている。舞台のうえにあでやかな人形があらわれた。 舞殿まいどのの上、ひとりの男装の白拍子が舞おうとしている。 頼朝から追われている源義経の愛妾静その人であった。この時、この境内の目はすべて静に注目している。 衣装は立烏帽子に水干と白い袴をつけ、腰には太刀より小振りな鞘巻をはいている。 静は、あのやさしげな義経の眼を思っている。きっと母親の常盤様そっくりなのだろう。思考が途切れる。騒がしさ。ひといきれ。 静の母親の磯禅師は今、側にはしり寄って執拗に繰り返す。「和子を救いたくば、よいか、静、頼朝様の前での舞は、お前の恭順の意を表すものにするのです。くれぐれもこの母が、どれほどの願いを方々にしたか思ってくだされ。わかってくだされ。よいな、静」涙ながら叫んでいる。 が、静にも誇りはあった。 母の磯禅師は白拍子の創始者だった。その二代目が静。義経からの寵愛を一身に集めた女性が静である。京一番といわれた踊り手。それが、たとえ、義経が頼朝に追われようと…。 静は母の思わぬところで、別の生き物の心を持った。要塞都市、鎌倉の若宮大路。路の両側に普請された塀と溝。何と殺風景なと静は思った。その先に春めいた陽炎たつ由比ガ浜が見えている。その相模の海から逃れたかった。 かわいそうな一人ぼっちの義経様。私がいなければ、、そう、私がここで戦おう。これは女の戦い。知らぬうちにそっと自分の下腹をなででいる。義経様、お守り下させ。これは私の鎌倉に対する一人の戦い。別の生き物のように、ふっきれたように、静かの体は舞台へ浮かんだ。 しかし,今、舞台真正面にいる源頼朝の心は別の所にある。 頼朝は、2つの独立を画策していた。ひとつは、京都からの独立、いまひとつは、階級からの独立である。武士は貴族の下にいつまでもいる必要がない。とくに、東国では、この独立の意識が強いのだ。西国からきた貴族になぜ、金をわたさなければいけなにのか。だれが一番苦労しているのか。その不満の上に鎌倉は成り立っている。しかし、義経は、、あの弟は、、義経は人生において、常に逃亡者である。自分の居場所がない。世の中には彼に与える場所がない。義経は、頼朝が作ろうとしている「組織」には属することが不可能な「個人」であった。その時代の世界に彼を受け入れてくれる所がどこにもない。 頼朝はまた平泉を思う。頼朝に宿る源氏の地が奥州の地を渇望している。源氏は奥州でいかほどの血をながしたのか。頼朝は片腹にいる大江広元おおえひろもとをみる。土師氏はじしの末裔。学問を生業とする大江一族。頼朝は京から顧問になる男を呼び寄せる折、あるこだわりを持った。なぜなら、彼の曾父は大江匡房まさふさ。博学の士。八幡太郎義家に兵法を伝授し、奥州での勝利を確約したといわれている。頼朝はその故事に掛けている。奥州との戦いのために学問の神、大江家が必要だったのだ。さらに別の人物頼朝は眺める。文覚もんがくは十年前、後白河法王の密命を受けてきた荒法師で、が今は頼朝の精神的な支えとなっている。皮肉な運命だった。法王はそこまで、頼朝が大きくなるとは考えてなかった。 その想いの中を歩む心に、声が響いて、頼朝はふと我にかえる。「しずや、しずしずのおだまき繰り返し、昔を今になすよすがなる。吉野山みねの白雪踏み分けて、入りにし人の跡ぞ恋しき」 ひらひらと舞台の上に舞い落ちる桜吹雪の中、静は妖精のようだった。人間ではない、何か別の生き物…。 思わず、頼朝をはじめ、居並ぶ鎌倉武士の目が、静に引き寄せられていた。感嘆の息を吐くのもためらわれるほど、 それは…、人と神の境を歩んでいる妖精の姿であった。●続く●2014版作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2019.01.03
源義経黄金伝説■第2回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所明治元年(1868年)よりさかのぼる事、690年前1180年(治承4年)四国白峰。老僧が荒れ果てた神社の鳥居の前に佇んでいる。鳥居から見える四国瀬戸の荒海はひゅひゅうと音を立てて荒れすさんでいる。「ようやく参りましたぞ、崇徳上皇様、しかし、この荒れよう、いかにかならぬものか。上皇様、上皇様、どうかお姿をお見せくださいませ。西行が、佐藤義清が参りましたぞ」西行は大声で叫んでいる。ここは四国の山中である。が、社殿は静まり返っている。その静けさが、何とも恐ろしい。「いかがなされました。何かご不満がおありになられるのか」「ふ……」どこからともなく、うめき声が、あたりの静寂を破る。突然、風が強くなってくる。空が急激に曇り始め、やがてポツリと西行の頬を雨脚が濡らした。「遅いわ、西行よ。朕を、何年待たせるのじゃ。さような奴輩が多いがゆえ、京都に災いの種を、いろいろ蒔いてやったわ。四つの宮、後白河もいやいや腰をあげたであろう。俺が恐ろしいはずじゃ。う、悔しや。もっとあやつ、、、、後白河法皇を苦しめてやるぞ」その声は恨みに満ち満ちている。「崇徳上皇様、お待ちくだされい。民には、何の咎もございませぬ。どうか、他の人々に災いを与えるのはお止めくだされい」「ふふう、何を言う。日本の民が苦しめば、あやつも苦しむ。もっともっと苦しめばよい。俺の恨みはいかでも晴れぬは」「お聞きください、崇徳上皇様。では上皇様のための都を新たに作るという策は、いかがでございますか」声が急に途切れる。「何、西行よ、お前、何かたくらんでおるのか。いやいや、お主は策士じゃ。何かよからぬことをたくらんでいるに違いない」意を決して、西行が顔をあげた。「崇徳上皇様、奥州でございます」「何、あの国奥州に」「そうでございます。この国の第二の都を。それならば中国にも前例がございましょう」「何、平泉を、第二の京に。そして朕を祭ると、、そういうことか、西行」「さようでございます」西行は、顔を紅潮させていた。「西行、たばかるでないぞ。わかったぞ。朕は、少しばかり様子をみる事としょう。がしかし、再度謀れば、未来永劫、朕はこの国に、祟るぞ」風雨は、急に止み、天に太陽が姿を現す。汗がしたたり落ちている西行の顔は、まぶたが閉ざされている。体が瘧のようにぶるぶると震えている。腰は、地に落ちている。「これでよろしゅうございますか、兄君、崇徳上皇様に告げましたぞ。後白河法皇様。はてさて、しかしながら、恐ろしい約束事を…。この私が西行が、佐藤義清が、いかにしてか、平泉を第二の京にしなければなりませぬなあ…」ひとりごちている西行は、心中穏やかではない。西行は四国白峰にある崇徳上皇の塚にいる。崇徳上皇は保元の乱で破れ、弟、後白河上皇に流されたのだ。(続く)2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2019.01.02
源義経黄金伝説■第1回2018版改稿作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。祭神は崇徳上皇すとくじょうこう。日本の大魔王といわれている。幼き帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。「さあ。御君おんきみ、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬよ うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。代々、外祖父、中山忠能が家、藤原本家に伝わりし、西行法師さいぎょうほうし殿との約束をお伝え下さいませ」この日、1日驟雨である。中山忠能卿のさし出される傘の中。御歳15歳の新帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。「崇徳上皇殿下、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年かかってしまいました。今にいたり、源頼朝、大江広元の子孫たる二家、薩摩島津。長州毛利両家をもって、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。そして、陰都かげみやこでございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、代わ りに江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の守神といた します。が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもっ て新しき王朝の皇居といたす事をおゆるしくださいまし」御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が 讃岐(さぬきー香川県)から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとがている 。「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を起こそうとしております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらげます」幼き帝は、再び深々と、頭を垂れた。崇徳上皇は、保元の乱ほうげんのらんの首謀者の一人である、後白河に敗れ、讃岐に流され、そのちでなくなり、白峰山しらみねさんに葬られた。讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門うらきもんであり、平泉は、京都から見て鬼門にあたる丑寅の方角である。突然、空から、驟雨の中雷光が、崇徳上皇の独白が落ちてきて響き渡る。「西行法師よ、長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。がしかし、その陰都もいつまでも、安穏とするかや。所詮は、東の幕府、所詮は、荒夷どもが都ぞ。朕が情念は、いつしかその都に吹くだすやもしれぬぞ。見ておれ」その時 雷光が風景すべてを白濁させ、消えた。残光が響き渡る。「不吉なり。。」思わず誰かがつぶやく。この日、元号が明治と改元された。(続)20180731版改稿作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2019.01.01
光陽社さんの本年度アート年賀状発売!:2019年-亥年(いのししどし)https://www.koyosha-inc.co.jp/nenga_2019/index.html光陽社さんのアート年賀状はクリエイターさんには有名です。●山田企画事務所は、毎年作家さんの発見に協力しています。本年度の山田企画事務所の協力クリエイターさんで年賀状に採用された作家は、●鈴木純子先生 http://www.yamada-kikaku.com/suzuki-junko.html●岩崎ナギ先生 http://www.yamada-kikaku.com/artists/45-iwasaki-nagi.html●大石容子先生 http://www.yamada-kikaku.com/ooishi-youko.htmlの3人です。ごらんになってアート年賀状購入の程よろしくお願いいたします。お申込締切日 平成30年12月20日(木)午後4時ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2018.10.31
「源義経黄金伝説」とは■日本版三国志の物語。時代は,源平の争いから、鎌倉幕府が成立しょうとしていた時期。京都の陰陽師・鬼一方眼に、友人、西行法師は源義経の養育を依頼。その背景には、後白河法王、藤原秀衡が。 東アジアのフロンテイアである日本は、国家を成立。その象徴として黄金大仏を作り、国家の勢力をシンボル化。平安京に奠都した大和は、日本を統一していくが、国家象徴としての黄金大仏は、武家革命勢力による内乱のため、消失。その大仏再建を図らんため独立国家、奥州を併合、黄金を収奪しょうとする鎌倉武家革命政権。瀬戸内海荘園群を経済地盤とする、後白河法王を頂点とする貴族制西国王朝と新興勢力である東国騎馬武士団を率いる源頼朝。古代よりエミシの血を受け継ぐ奥州に黄金・仏教王国を構える藤原秀衡。「義経黄金伝説」は、一二世紀日本の三つの都市(京都、鎌倉、平泉)と三人の騎士の物語。この小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n1703dc/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー源義経黄金伝説■第1回2018版改稿作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。祭神は崇徳上皇すとくじょうこう。日本の大魔王といわれている。幼き帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。「さあ。御君おんきみ、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬよ うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。代々、外祖父、中山忠能が家、藤原本家に伝わりし、西行法師さいぎょうほうし殿との約束をお伝え下さいませ」この日、1日驟雨である。中山忠能卿のさし出される傘の中。御歳15歳の新帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。「崇徳上皇殿下、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年かかってしまいました。今にいたり、源頼朝、大江広元の子孫たる二家、薩摩島津。長州毛利両家をもって、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。そして、陰都かげみやこでございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、代わ りに江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の守神といた します。が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもっ て新しき王朝の皇居といたす事をおゆるしくださいまし」御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が 讃岐(さぬきー香川県)から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとがている 。「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を起こそうとしております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらげます」幼き帝は、再び深々と、頭を垂れた。崇徳上皇は、保元の乱ほうげんのらんの首謀者の一人である、後白河に敗れ、讃岐に流され、そのちでなくなり、白峰山しらみねさんに葬られた。讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門うらきもんであり、平泉は、京都から見て鬼門にあたる丑寅の方角である。突然、空から、驟雨の中雷光が、崇徳上皇の独白が落ちてきて響き渡る。「西行法師よ、長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。がしかし、その陰都もいつまでも、安穏とするかや。所詮は、東の幕府、所詮は、荒夷どもが都ぞ。朕が情念は、いつしかその都に吹くだすやもしれぬぞ。見ておれ」その時 雷光が風景すべてを白濁させ、消えた。残光が響き渡る。「不吉なり。。」思わず誰かがつぶやく。この日、元号が明治と改元された。(続)20180731版改稿作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2018.07.31
1975年ー昭和50年ーの思い出の中に僕、日待明ーひまちあきらーはいる。田舎バスで神立山のある故郷、頭屋村へ香月和子の手がかりを求めて帰ろうとしていた。「染み入れ、我が涙、巌にーなみだ石の伝説」第2回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所第2回 僕は、いま 1975年ー昭和50年ーの思い出の中にいる。 正直にいうと実は、「なみだ石」を一つ持っているのだ。 東京へでてからの僕は人づきあいの悪い人間だった。特異な風貌、まるで禁欲的な僧侶にみえた。なみはずれた長身、それにどことなく体から発する毅然たる態度。 こんな僕でも恋はする。 その彼女、香月和子こうつきかずこに出会ったのは、去年1974年の十二月。仕事の関係で知り合った。 彼女の眼をみた僕ははっととする。同じ種類の入間だ。 僕は彼女に必死で話しかけ、最後には彼女が同じ頭屋村の出だとわかった。幼ない頃、村を出た僕が知らないはずだった。彼女と知り合い、それ以後私は彼女にひかれていた。ずっと昔から彼女を愛しているように思えた。それからの僕の行動は、あらゆることを投げすて、彼女に会うこと、それがわびしかった生活をなぐさめる生きる力。 けれども、彼女にはどこか近づきがたいところがあった。外見は20才くらいにみえるのだが。僕と話をすると、僕がたちうちできほいほどの知識をもっていた。まるで何百年もいきているように感じられた。「あなたと同じようが寂しい眼をしている人々、この世の中そう地球といってもいいわ、でやさし過ぎて生きてはいけない人々をさがし、そんな人達を幸福にみちびいてあげるのが私なの」 ある時、彼女は私の眼をじっとのぞきこみながらいった。「でも残念ながら、あなたは私達の仲間にはなれない」「仲間だって」「そう仲間よ。一緒に長い旅にてる仲間」「旅?」「私達、旅立つ日が近づいている」 彼女はさびしそく言う。「二度と、、、「会えなくなる」「そんな」「悲しい?。そう、、これをあげる」 彼女が僕にわたしてくれたのは、ちっぽけな石。「これは何」 僕は立ちあがった彼女を見上げながらたずねた。「なみだ石」 彼女は去っていった。「なみだ石」 僕はつぶやく。きらきら光るそのなみだ石をじっとながめる。彼女のあとは追いかけなかった。 なみだ石、聞いたことがある。その時はっきり思いだせなかった。そうだ、ときずいた僕はさっそく下宿にとんでかえる。もう一度、なみだ岩伝説の事を読みかえす。 そして、決心した。涙岩をみよう。ふるさとへ帰ろう、、と。そうそう,僕、日待明の道ずれについて話すのをわすれていた。知り合いといっても最近知り合ったばかり。彼。名前は滝光一郎という。いわゆるフリーターだと本人は言っている。知り合いになった理由は、ほんの偶然で「なみだ石」をみせてしまったからなのだ。滝はとてもおもしろい奴だったが、こと、なみだ石のことではしっこく聞き、とうとう一緒に「涙岩」を見るために、頭屋村までついてくることになった。僕は滝を連れてきたくなかった。他の地域の人間には見せたくないのだ。が、滝は、不思議にあまりに執拗に食い下がった。何があるのだ。唯一の知り合いなので、無下にことわることができない。「おい、日待よ、明よ。「カンタチ」駅、この駅じゃないのか」 色んなことを考えているうちに、やっとお目当ての駅にたどりついた。 駅の出札口で、駅員(といっても契約社員か)が、私達に話をしかけてきた。 「あんたら、東京の方からきなすったかね」「ええ、そうですけれど」 僕が、答えた。「いやな。感でいうたんだが、近頃、このーカ月の間に、このカンタチ駅で降りる人がたくさんふえてね。それであんたら神立山カンタチヤマの方へやっぱりいくかね」「ええ、、、やっぱりの口ですな」そらなという表情で滝は答え、僕の顔を見てニヤリと笑った。「へえ、仲間がいっぱいか。涙岩のことが知られているのか。雑誌でも紹介されたかな、さては」 僕は、僕でやはり、こない方がよかったかなあ、それにこの滝も、、と後悔しはじめる。「いや、そんなことはないはずだよ。涙岩が、どんな新聞、雑誌にも記事になたったことがない。滝、君の方がよくしってるだろう」「そうだな。神立山の方で他に何か祭事があるのか。まあ、いいや。あ、どうやらあそこがパス停らしいぞ。レンターカーはない?なにのだな。人口がないから、、商売にならんから、、か」 滝は、しゃべっている間、しきりにズボンの内ポケットの中に手をつっこんでいじりまわしている。「滝、何を、そういらいらいじくりまわしている」「いや何も」 こんどは、ジャケットの内ポケットに手をつっこんでいる。「日待よ。これは俺の個人的な性癖ってやつだ。あまりつっくっ子無と友達なくすぞ。って俺しかいないか友達は、なあ明クンよ」探し物か?僕はいぶかしく思った。内をそわそわ。つまりは、僕の存在より、カンタチヤマへの手がかりとして僕に近づいてきた。という疑念が僕におこる。とはゆえ、バスは、十人ほどの近くの村人達をのせて走りだす。 僕は彼女に頭屋村で会えそうな気がしてきた。彼女に会いたい。一目でいい。あの人は頭屋材出身だといっていた。駅員が神立山の方へ行く人がふえたと言っていた。ひよっとしてその中に彼女がはいっていないだろうか。いや絶対に帰っているに違いないと僕は思った。僕の、自分でいうのも何だが、このロマンスというか、純真さが後で大惨事を起こすとは。思っちゃいなかった。そして僕の人生も変えてしまうとは。それは、この田舎バスから始まったのだ。 バスは、そう考えにふけっている僕を乗せ、神立山へむかって坂を下りたり峠を上たり、森林を抜け走る。あちこちに点在した人家がたまにみえる。しかしめづかしく、でこぼこ道だ。あまり乗りごこちはよくない。「日待、何かへんな気分だな。僕の方をみているようだ」と、滝は、僕、日待明ひまちあきらの名前を気安く呼ぶ。「気にするなよ。僕らのかっこが目立つからだろう・・」「しかしだな。テレピというものがあるだろう。こいつら、テレビで東京の人間を見たことがないか」「滝、いいわすれていたけれど、神立山の方は日本でめずらしく電気がとおっていない。だからもちろん、テレビもみずらい。新聞・郵便物は1週間にまとめてだ」 「へえーー、まるで日本の秘境か、まだ日本にあったか、、だな」 滝がしゃぺった。 「あんたらも、神立山の方へいくだか」後の座席から、急に声がしてびっくりした。後ろには、市外地の途中のバス停で降りたらしく、もう4人しかいない。 滝がふりかえって答えた。「ええ、そうですけれど」 僕も後を見る。後の方の座席に80才くらいの男の老人がちょこんと腰掛けて、僕たちの方をにらんでいる。「僕は、頭屋村トウヤムラの出なんです。頭屋村へかえるんです」 僕が答えた。「へえ,、そうかいね。,頭屋村のもん近頃、ようバスにのっとるで。また危ない」「また頭屋村で人がようけいてなくなるやろらだろう・・」「あんた、そのこというたらいかんがね」老人の隣にいる老婆が、きつい調子でたしなめた。「そうやったな。あのこと、を、しゃべったら、それも他の村のものがいうたら、タタリがあるのやなあ。クワバラ、タワバラやは」「おじいさん、ひょっとしたら涙岩伝説のことと違う」滝がしゃぺった。老人達は、しわい顔をしてだまりこむ。パスの中は、異様なふんいきだった。やがて、老婆が訟もいきったようすでいった。「そっちのにいちゃは、頭屋村の人だけど、いま、あのことをいったにんちゃは。村の人と違うようだね。そのことは、口にせん方が身のためだ」「これや、これ」今度は、老人の方が老婆をたしなめた。いっているのが聞こえてくる。「ちえっ、しったことかいな」 滝が後を見ずに悪態をつく。 その老人達は、次のパス停で降りていった。残りの2人も山の中に点在するバス停で逃げるよう降りていった。 奥深い山の中を走るパスの中には僕たち二人だけ。 年の若いニキピづらの運転手が、バスを止め、座席から振り返り話しかけてきた。迷惑そうに、たづねる。 「あんたら、キクけどさ。本当に頭屋村までいくの?」(続く)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2018.07.31
封印惑星(ハーモナイザーシリーズ02)第1回●全12回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所山田企画事務所 1それは、小さな石だった。石は隕石となり、「大球」と呼ばれる星に落下した。大球は、「小球」と呼ばれる衛星と絆で結びついている。大球には、「新機類」と呼ばれる生物が生息していた。「ルウ502」は、天空を走る光の矢を見ていた。ユニーコーンつまり、一角獣の外形をした新機類ルウ502にとって、隕石は見慣れた現象であり、注意をあまり払っていない。 警戒すべきは、ルウ502の足元、つまり鉄表下であると、教えられていた。その教示は[小球]にある「生命球」から与えられていた。 念のためだ。そう思ってルウ502は、隕石の堕ちた場所を求め、走った。やがてその場所に辿りつく。落下地点の鉄表には、何の損傷も見られなかった。大いなる昔、ルウ502達が誕生する前から、この星、大球に張りめぐらされた鉄表は、時の流れをあざわらうかのごとく、傷ひとつ付いてはいない。「ハーモナイザー」と呼ばれる大球の創造者に対して畏敬の念がルウ502の心に浮かんだ。ハーモナイザーは、ルウ502にとっても想像を絶する存在で必った。ともかくも、鉄表には何の変化もない。よかった。彼は安堵し走りさった。もし、ルウ502が辛抱強い観察者であったなら、微妙な地下の変化をとらえていたかもしれない。その変化を感じて、小球の生命球に通報していたならぱ、あるいは、この星の歴史が変わったかもしれない。事実、隕石は鉄表下に存在するあるもののつぼを直撃していた。隕石が鉄表に激突した時の微振動は、ある種の反応を、地下に呼びおこししていたのだ。。 鉄表の下、奥深い所に、闇に包まれた空洞がある。はるかなる昔からここに閉じ込められた者のうらみがこもっている。 隕石の与えた微振動に、「機械共生体」が反応し、生きかえりつつあった。 突然、一点に光がともる。 その光が、またたく間に、空洞内にある機械類を巡り、すべての機械群の息を吹きかえらせた。最初の機械意識が蘇った。『誰だ、俺は』 闇の奥から疑問の声があがる。機械は自らの存在の意味をさぐろうとする。やがて、機械意識は自らの名前を思い出した。『そうだ。思い出したぞ。俺はイメージコーダーだ」イメージコーダーは次の作用として、体を勣かすことにした。腕=マニュピュレーターだった。マニュピュレーターを振り廻している内に、自分の前に集積された物体にづく。 「何だ、これは」次の疑問だ。目の前にある「植物繊維群」の呼称を記憶の中から呼びかこしていた。「情報ユニットだったな、たしか」 これは何をするものなのだ。 マニュピュレーターで、それをつかみ、観察する。「ああ、そうだ。こいつはこう使うんだ」やがて、イメージコーダーはそれを自分の体一部位に組み人れた。 マニュピュレーターが、偶然に選びとった三ユニットは次の通りである。ユニットコードナンバー 16589ユニットタイトル 北の詩人ユニットコードナンバー 836250ユニットタイトル 幽霊列車ゴーストトレインユニットコードナンバー 386574ユニットタイドル ユニコーンの旅イメージコーダーの温度が上がり、彼は自分の役割を果たし始める。 役割すなわち、情報ユニットのイメージを実体化させる事。イメージコーダーの空間に、情報ユニット内に内包された情報の三次元数字が打ちだされる。それが線を形づくり、フレーム=モデルが作りあげられる。色彩が決定され、ゆっくりモデル表面がペイントされながら作成される。 やがて、生き物が実体化していた。徐々に、機械群の共生体「天球てんきゅう」に意識が蘇りつつあった。(続く)●封印惑星(ハーモナイザーシリーズ02)第1回●(1987年作品)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所山田企画事務所
2018.07.17
「染み入れ、我が涙、巌にーなみだ石の伝説」第1回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 僕達2人は、乗りごこちの悪いローカル線に乗っている。列車は。僕の故郷に向かっていた。故郷といってもあまり記憶はない。親戚もいない。僕は都会の中で一人、孤独で何年も住んでいた。あるきっかけで故郷へ帰ろうと思った。 奈良県、和歌山県、三重県の3県の県境にあるふるさと。ふるさとといっても本当に伺のとりえもない山間の小さな村だ。それこそ、一日に三本あるかないかの鉄道、駅からパスに、パスの終点から山道、そま道を歩み、やっと、その土地、頭屋村とうやむらへたどりつくことができる。 帰ったところで、誰も僕を喜んでむかえてくれるわけではない。 僕、日待明ひまちめいは頭屋封へ、何年もの町中の生活で得た悲しみ、体の中にたまりすぎた汚れを、洗いおとすために帰る。苦しみは僕の体をむしばんでいるのだ。なみだ岩に、行き着き、そこで涙を流すことで、僕は幸せになれるだろう。いや少なくとも、過去の傷を、いくぱくかいやすことができるだろう、と僕は考えていた。僕の生まれた頭屋村は、「神立山」と呼ばれる深山の中にある。奥深い、あまり人も、森林伐採でしか入れない「神立山」の森の中に「なみだ岩」と呼ばれる岩がある。「なみだ岩」のまわりは、不思議と草が刈りとられたような芝の多い草原になっている。その草原を深い森がかこんでいる。「なみだ岩」はわかりにくい場所にあり、頭屋村出身でない者はたどりつくことができがタイ。涙岩は高さおよそ15mくらい。頂上はとんがっていて、底に向かって広がっている。土の中に岩の半分ほどが、うまっている感じだ。全体は緑がかった乳白色で、表面は人が毎日みがいていると錯覚するほど光り輝いている。遠くから見ると、涙のしずくが空からかちてきて、地球につきささったようなのだ。、、、と詳しく知っているようだが、僕は父が亡くなったあと、すぐ頭屋村を出て、遠い親戚をたより、東京にでていった。5才の頃の話だったから、なみだ岩についてくわしく覚えているわけではないのだ。この「なみだ岩」にのぼり、その上で涙を流し、「なみだ岩」に、涙がしみこんでいくなら、その人は幸せになるという伝説がある。この「なみだ岩」伝説を知ったのは、ふとしたきっかけだった。親戚から東京に送られてき、父の形見を整理していた時、父の日記を見つける。古ぼけたページを,めくっているうちに、こんな記述にであったのだ。「涙岩は 何百年かに一度、必ず崩壊する。そして、その跡には、指でつまめるほどの小さなかけらが残る。人はこれを原石と呼ぶがたま、そのあとに残ることがある。なみだ石のほとんどは夜空に舞いあがっていく。そしてなみだ岩はきれいになくなっていて、あとには大き々穴があいている。まわりの草原も焼けただれている。この話は、先祖代々に渡り、頭屋村に住んでいる者のみに語りつがれている。」と、、、 僕は子供の頃見たことのある「なみだ岩」を、もう一度、はっきりとこの眼にしたい。涙を流したいと思う。あれほど美しい原岩がこわれぱ、どれほどの「なみだ石」ができるのだろう。涙岩の美しくくずれる瞬間、それをながめたい。 さいわい、「なみだ岩」についてはあまり知られていない。もし旅行維誌がとりあげれば、一たちまち大勢の人でうめられてしまうだろう。 しかし、神立山は観光ルートからはなれた辺境で、訪れる人はほどんどない。「なみだ岩」は、ごくわずかの人しか知られていない。たとえ、「なみだ岩」のことを土地以外の人が知っでも、「なみだ岩」で悲しみをとりのぞいてもらい、本当に幸福になりたいと思う人にしか「なみだ岩」の場所を教えてはならないのだ。僕の行動は、あらゆることを投げすて、その「涙岩」に行きつけたい。と思った時から始まっていた。(続く)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2018.07.15
6月27日より7月8日まで伊丹市立図書館にてメカムシ工房の白石卓也の「73歳の子供の展覧会」が、開催されます。入場無料です。https://youtu.be/90GjfYIHBlQ
2018.06.26
知り合いのフォボンピクチャーズ(西宮映像)の山本監督より。映画「MOVIES Mr.フキョー VS 映画たち」上映お知らせです。http://n-film.net http://n-film.net/movie.html6月16日(土)に●「OSシネマズ 神戸ハーバーランド」映画館「MOVIES Mr.フキョー VS 映画たち」が上映。●「OSシネマズ 神戸ハーバーランド」(※6月16日(土)●「スクリーン10」にて18時20分より上映)https://www.jollios.net/cgi-bin/pc/site/det.cgi?tsc=21120下記が上映の詳細。1月の宝塚上映から、再編集したバージョン。https://kobe-movie.doorkeeper.jp/events/75639●上映後にクリエイターの紹介コーナーがあり。事前チェックがありますが、映画製作をされている方は予告編を流して頂けます。若いクリエイターを応援し、クリエイターの交流の場にしたいということですので、映画製作者以外でもクリエイターさんであれば、短い時間ですがPRして頂きたいとのことです!●CG製作、パルクール、特殊メイク、イベント開催などクリエイターさんであれば大丈夫です。●今後、神戸国際映画祭を行うためのプレイベントです。●映画館の場所が神戸ポートタワーの近くにある●「umie(ウミエ)」●というショッピングモール内。「神戸ハーバーランドumie」http://umie.jp/
2018.06.08
CM話題の岐阜大仏です。CM話題の正法寺外観(岐阜大仏)です。
2017.12.18
コンテンツ東京 2017■第6回クリエイターEXPO■会場●東京ビッグサイト6月28日(水)~6月30日(金)コンテンツ東京 2017■第6回クリエイターEXPO個人クリエイターとして■山田博一は第6回クリエイターEXPO映像・アニメ・CG ゾーンブース番号 C1-64出展させていただきます●http://www.yamada-kikaku.com/ 去年の東京ビッグサイトの様子(本年は場所が違います。ご注意ください)https://youtu.be/M4Q_Mrmjejwhttps://youtu.be/AcisxFE8j-8■会場●東京ビッグサイト2017年6月28日(水)~6月30日(金)<3日間>10:00~18:00(最終日のみ17:00終了)■クリエイターEXPO展示会URL: http://www.creator-expo.jp/ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■出展対象■・作家・ライター・漫画家・絵本作家・イラストレーター・グラフィックデザイナー・ブックデザイナー・写真家・書道家・映像・アニメーション・CG クリエイター・ゲーム クリエイター・作編曲家・サウンド クリエイター など、個人のクリエイター 700人ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■来場対象■去年実績 4万人・出版社・新聞社・通信社・編集制作プロダクション・広告会社・印刷会社・テレビ局・映画会社・映像制作プロダクション・アニメ関連会社・ゲーム・アミューズメント会社・音楽・レコード会社・ライセンス エージェント・一般企業の 広報宣伝 販促部門 商品企画 開発部門 などーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー文章、マンガ、イラスト、写真、映像、アニメ、ゲーム、音楽などを創作する個人が出展し、自分自身を売込むという世界的にもユニークな商談展。 会場にはメディアや一般企業の宣伝・商品企画担当者などが来場、制作依頼や企画の相談などの商談が行われ。 実際に、出展した作品がゲームや絵本、商品パッケージ等に採用され、「ビッグチャンスをつかめる場」として注目を集めている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●主催●リード エグジビション ジャパン株式会社 コンテンツ東京●構成展示会●コンテンツ東京 2017●第5回 コンテンツ配信・管理ソリューション展●第6回 クリエイターEXPO●第5回 映像・CG制作展●第7回 キャラクター&ブランド ライセンス展<通称:ライセンシング ジャパン>●第3回 コンテンツ マーケティング EXPO●第3回 先端コンテンツ テクノロジー展●第1回 グラフィックデザイン EXPOーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2017.06.23
源義経黄金伝説■第11回(第10回欠番)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所あの女、手に入れたい。頼朝は思った。たとえ、義経の思いものであったとしても…。 文治二年(1186)四月八日。 鎌倉八幡宮の境内。目の前には、京一番の舞い手義経が愛妾が舞をまっている。義経の女の趣味は良い。誉めてやりたいぐらいだった。頼朝は今でも心のうちは、京都人である。京都の女が好きなのであった。この田舎臭い鎌倉近辺の女どもには、あきあきしている。が、そのあたりには、異常に感の鋭い政子のために、今までにも、散々な目にあっている。いままた、頼朝はちらりと…、横目で政子の方を向く。視線がばったりあう。いかぬ。政子はその頼朝の心を見抜いているかのようだった。が、政子は、そんな頼朝の思いを知らぬげに、静の舞に見ほれている。よかった。感づかれなかったかと、頼朝は安心した。 政子の思いは別のところにあったのである。北条家・平政子は、この板東を統べる漢の妻になれたという自負もあり、肌色もよろしく、つやつやしている。新しい坂東独立国が、京都の貴族にもかなわぬ国が、我が夫、頼朝の手でなったのである。 義経のことは、気にならなかった。静という、コマを手に入れているのだから。それに静の体には。「ふふう」と、思わず政子は笑った。 大殿もそのことはご存じあるまい。せいぜい、京都から来た白拍子風情に、うつつを抜かされるがよい。私ども、関東武士。平家の北条家が、この日本を支配する手筈ですからね。あなた、大殿ではない。誇りが、政子の体と心を、一回り大きく見せている。頼朝はある種の恐れを、我が妻である政子に感じている。やがて,後に政子は、日本で始めて、女性として京都王朝と戦いの火蓋を切るのだが、その胆力は、かいま見えているのだ。 この政子と頼朝に共通している悩みと言えば、それは…愛娘大姫のことであった。舞台の上の静の元気さ、華麗さを見るたびに、比較して打ちし抱かれたようになっている大姫の心の内を思い悩む二人であった。 その問題は二人の、この鎌倉幕府成立の内にたなびく暗雲である。 大姫はうつむきかげんに静の舞いを見ている。舞台を見て嗚咽が会場のあちこちに広がっている。見事である。それが、武士達にとっての正直な感想であろう。いわば敵に囲まれながら、どうどうと義経への恋歌を歌うとは、歌姫・白拍子・女の戦士としては、静は、十分に この戦場 敵地鎌倉で勝利をおさめようとしていた。続く2016改訂
2017.06.11
2017.05.11
義経黄金伝説■第13回★作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」 桟敷の中央にいる源頼朝が、急に立ち上がった。「あの白拍子めが。この期に及んで、ましてやわが鎌倉が舞台で、この頼朝が面前で、義経への恋歌を歌うとは、どういう心根だ。この頼朝を嘲笑しているとしか思われぬ」 頼朝は毒づいた。それは一つには、政子に対するある種の照れを含んでいる。「よいではございませぬか。あの静の腹のありようお気付きにありませぬか」 政子はとりなそうとした。薄笑いが浮かんでいることに、頼朝は気付かぬ。「なに、まさか義経が子を…」「さようでございます。あの舞いは恋歌ではなく、大殿さまに、我が子を守ってほしいというなぞかけでございます」「政子、おまえはなぜそれを……」 疑惑が、頼朝の心の中にじっくりと広がって行く。今、このおりに頼朝に、自分の腹の内を探らせめる訳にはいかぬ。あのたくらみが、私の命綱なのだから。政子は俯きながら黙っている。「……」「まあよい。広元をここへ」 頼朝の部下、門注所別当・大江広元が頼朝のもとにやってくる。「よいか、広元。静をお前の観察下に置け。和子が生まれ、もし男の子なら殺めよ」[では、大殿。もし、女の子ならば、生かして置いてよろしゅうございますな」「……それは、お前に任せる」 広元はちらりと政子の方を見ていた。 頼朝は広元と政子の、静をかばう態度に不審なものを感じている 政子は静を一眼見たときから、気に入っていた。その美貌からではなく、義経という愛人のために頑として情報を、源氏に渡さなかった。その見事さは、一層、政子を静を好ましく感じた。また、京の政争の中に送り込まれるべく、その許婚を殺されたばかりの、政子と頼朝の子供、大姫をも味方に取り込んでいた。義経の行方を探索する人間は、何とか手掛かりを取ろうと静の尋問を続けた。が、それは徒労に終わった。尋問した武者たちも、顔には出さなかったが、この若い白拍子静の勇気を心の中では褒めたたえていた。 観客の中で、静の動静を悩む者が、もう一人。静の母親 磯禅師いそのぜんしが、固唾を呑んでその舞いを見ていた。裏切られた。そういう思いが心に広がっている。愛娘と思っていたが、「あの静は、この母、禅師が苦労を無にするつもりか……」やはり、血の繋がりが深いものは…。この動乱の時期に女として生き残って来た者の思いが、頭の内を目まぐるしく動かしている。その思いは、しばらくの前のことに繋がる。静の母禅師は、政子の方を見やった。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2017.04.13
源義経黄金伝説■第12回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所大江広元おおえひろもとは、これから奥州平泉を攻めようとする頼朝にとっては勝利を確約する、いわば勝利の女神であった。なぜなら、大江広元の曾祖父は、奥州攻略を成功させた八幡太郎はちまんたろうの知恵袋だった。占いの専門職。占いはこの時期の総合科学である。しかし、今、その広元は恐怖を感じて、青ざめていた。このままでは、会場の武士を味方にしてしまう。大殿はいかに、頼朝をかいま見る。政治顧問である,荒法師の異名をとる文覚もんがくでさえ、静の舞に内心は心動かされていた。文覚は若い頃、北面の武士の折、色恋沙汰で殺傷事件を起こしている。感情の高ぶりをおさられないのである。この感情の濃さが、いい具合に発露すると、それが、寺社の勧進かんじんとなった。また、頼朝に対する挙兵を教示し、いわば、頼朝の教師である。頼朝とは幼き頃、朝廷で顔を見知り置いている。その後、文覚は数々の荒行をこなし今は、江ノ島で、藤原秀郷の呪殺を、頼朝から依頼され、とり込んでいる。先年、後白河法皇から許可を受け、京都から、頼朝の父、義朝の骨を発見し、クビからぶら下げ、東海道を下るという鎌倉幕府成立の知らしめる行いしながら帰ってきたばかりである。この寺は、勝長寿院・大御堂という。骨の髄から、頼朝は、平泉を恐れている。16万の軍旗が、義経という天才に率いられて鎌倉を背後から、また海から襲ってくる事。おそらく、この日本で、義経は最高の軍事指揮官であろう。それは頼朝も、いらなぶ、坂東武者もわかっている。傍らに控える大江広元も、文覚も理解しているだろう。この勝利はまさに義経のおかげである。そのため、そのおもいものである静かが、ここで、頼朝に対して恭順のいを著わすべきであった。が政子が、、意図と違う事を、わずかながら、意思の疎通がうまくいかぬ。また、最大の交渉者、西行さいぎょう法師が、この鎌倉を目指していると文覚から、聞いている。西行は、京都王朝で、始めて伊勢神宮と、東大寺の手を握らせた男。後白河法王の意図で動く男。文覚とは、北面の武士の折の同輩。そして義経とも、平泉とも、近しい。この坂東でも、西行の本家、佐藤家の威光は輝いている。東北の伝説の勇者、平将門たいらのまさかどを強弓で射抜いた、俵の藤太の子孫。それが西行。加えて、当代一の詩人・この文学的功名は、京都貴族の中においても光り輝いている。いわば京王朝の切札。また、平泉にとっても最強の交渉の1枚。まして、民衆の指示を受けつつある東大寺再建指導者、重源ちょうげんの友人。そして、その後ろには結縁衆けちえんしゅう。恐らくは東大寺を始めとする京宗教集団の力も。意図は何か。西行は1万の武装集団よりも怖い。頼朝はそう思った。源氏は鉱山経営と関連が深い。祖先・源満仲は、攝津多田の庄(現・兵庫県川西市)の鉱山経営の利益を得ている。能勢・川辺・豊島三郡における鉱脈を支配し、最盛期2000を越える抗を穿っていた。鉱山の警備隊として武士団を養い、鉱山経営のうまみを知った源氏は、その後、京都大江山鉱山の利権も手にした。その利権を手に京にいき貴族を籠絡する。いわば鉱山貴族である。いわゆる大江山鬼退治の伝説である。源氏は一族の血の記憶として,鉱山経営のうまみをしっている。そして、今、目指すは奥州金山である。源氏の護り神、八幡神は、産銅・産鉄神である。最終目標は奥州。また、そのためにもこの東国の独立運動はまもらねばならぬ。東国王朝は、源氏の悲願である。奥州平泉王朝を打ち倒す事もまた源氏の悲願。それぞれの思いの中、やっと頼朝は、言葉を発した。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2017.04.12
源義経黄金伝説■第11回(第10回欠番)作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所あの女、手に入れたい。頼朝は思った。たとえ、義経の思いものであったとしても…。 文治二年(1186)四月八日。 鎌倉八幡宮の境内。目の前には、京一番の舞い手義経が愛妾が舞をまっている。義経の女の趣味は良い。誉めてやりたいぐらいだった。頼朝は今でも心のうちは、京都人である。京都の女が好きなのであった。この田舎臭い鎌倉近辺の女どもには、あきあきしている。が、そのあたりには、異常に感の鋭い政子のために、今までにも、散々な目にあっている。いままた、頼朝はちらりと…、横目で政子の方を向く。視線がばったりあう。いかぬ。政子はその頼朝の心を見抜いているかのようだった。が、政子は、そんな頼朝の思いを知らぬげに、静の舞に見ほれている。よかった。感づかれなかったかと、頼朝は安心した。 政子の思いは別のところにあったのである。北条家・平政子は、この板東を統べる漢の妻になれたという自負もあり、肌色もよろしく、つやつやしている。新しい坂東独立国が、京都の貴族にもかなわぬ国が、我が夫、頼朝の手でなったのである。 義経のことは、気にならなかった。静という、コマを手に入れているのだから。それに静の体には。「ふふう」と、思わず政子は笑った。 大殿もそのことはご存じあるまい。せいぜい、京都から来た白拍子風情に、うつつを抜かされるがよい。私ども、関東武士。平家の北条家が、この日本を支配する手筈ですからね。あなた、大殿ではない。誇りが、政子の体と心を、一回り大きく見せている。頼朝はある種の恐れを、我が妻である政子に感じている。やがて,後に政子は、日本で始めて、女性として京都王朝と戦いの火蓋を切るのだが、その胆力は、かいま見えているのだ。 この政子と頼朝に共通している悩みと言えば、それは…愛娘大姫のことであった。舞台の上の静の元気さ、華麗さを見るたびに、比較して打ちし抱かれたようになっている大姫の心の内を思い悩む二人であった。 その問題は二人の、この鎌倉幕府成立の内にたなびく暗雲である。 大姫はうつむきかげんに静の舞いを見ている。舞台を見て嗚咽が会場のあちこちに広がっている。見事である。それが、武士達にとっての正直な感想であろう。いわば敵に囲まれながら、どうどうと義経への恋歌を歌うとは、歌姫・白拍子・女の戦士としては、静は、十分に この戦場 敵地鎌倉で勝利をおさめようとしていた。続く2016改訂
2017.04.11
源義経黄金伝説■第9回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 平泉に、東西の軍書を読んでいる牛若はいた。 その顔は真っ黒にやけ、元気そうに見える。基本的体力は、鞍馬山にて鍛えられ、この奥州の地でその体力がぐんぐんと伸びていた。また馬も、この地の馬にすぐ慣れ、新しい馬術を学んでいる。「牛若殿、ご勉強、精が出ますな」 奥州平泉の帝王、秀衡であった。「これは秀衡様」 牛若は姿勢を正し、挨拶をした。「いやいや、そう堅苦しくせずともよい。よろしいですか、牛若様。我が郎党ども、感嘆の声をあげておりますのじゃ」 にこやかに秀衡は言う。本当にうれしそうなのだ。「いや、一体」 牛若には、この秀衡が、なぜ機嫌がいいのか、わからぬのだ。「腕がよい。教えがいがあると、申しますのじゃ。教える者は、京の軟弱な子供かと考えていたようでございますよ。はは」「これはしたり。こう見えても私は、源氏の氏長者の息子でございます。そうはずかしい仕業を見せる訳には行かぬのです」 若い牛若は、本気で怒っているのである。彼には、大きなプライドがある。たとえ、母親が白拍子であろうと、父親は歴とした源義朝。由緒正しいのである。逆に言えば、牛若の売り所はそれしかないのである。その一点に牛若はかけていた。「それで、元気のよい牛若様。一つ留学をなさって見る気になりませぬか」「留学ですと。私は僧になるつもりはありませぬぞ」意外な 言葉に、牛若は怪訝な顔をする。「いや、別に僧になり、仏教を勉強していただこうという訳ではありません。我が平泉には僧は足りておりまする」「では、何のために」一瞬、秀衡は牛若の顔をのぞき込んでいる。「武術でございます」ゆっくりと秀衡は告げた。「武術ですと。、、」牛若も詰まった。「それは面白い。中国の武術、実際に見て見たかった」「いや、牛若殿。中国、宋へ渡る訳ではないのです」「我々、平泉王国は、近くは蝦夷、遠くは黒竜江まで、貿易をしておることはご存じでしょう」「まさか、その黒竜江を越えて」「さようです。丁度便船を、津軽十三湊とさみなとから出す予定があるのです。従者を付けましょう」十三湊は奥州平泉の支配下にあり、外国との貿易でにぎわっていた。「従者、それは」「吉次です」「吉次。あの者が、なぜ」「吉次は、京都、平泉第にいた隠密の一人ですが、もともとあの男は播州(ばんしゅう・兵庫県姫路のあたり)の鋳物師の息子。冶金については、一通りの技術を持っているのでございます。吉次には、かの地の新しい技術を持ってこよと」 牛若は、少しばかり考えにひたっている。 この機会、かなり面白いかもしれぬ。牛若は本で読み、体得した技を使って見たくて仕方がなかった。秀衡の部下相手の模擬戦には、少しばかり飽いて来ていたのだ。実戦を経験したかったのである。「宋を北方から狙っている、女真族の一団があります。すでにこちらの手配は済んでおります。後は牛若様の決断次第。よろしいですか。私はあなたを実の息子のように、いや息子以上に思っております。これは何も西行殿に頼まれた訳ではない」「わかりました。外国へ行かせていただきます」「おお、さすがは牛若様じゃ」■■7一一七八年 中国沿海州・女真族の国に義経はいる。「日本のこわっぱ、このようなことができるか」義経の前を一陣の風がまった。いや、風でなかった、人馬一体となった戦士が、的を次々に射抜ているのだ。神業であった。歓迎の印として女真族の若者が見事な射術を見せているのだ。 平泉をでて2ヶ月の時間を経て、牛若は中国、女真族の国にたどり着いている。彼らは裸馬に乗り、あぶみ、両手を離し、後ろ向きに弓矢を打つのである。おまけに、その矢は、すべて中心に打ち込んでいる。日本の流鏑馬の巧者でもあそこまでは打てまい。義経は感心している。また、自分を送り出した秀衡の頭のさえにも。秀衡は牛若をこの地に派遣し武術を学ばせ、牛若を平泉の武将とし西国王朝の備えにしょうとしているのだ。「弁慶、どうじゃ、あの若者は」 義経は傍らにいる弁慶に尋ねた。弁慶は付き従ってきた。元々弁慶は紀州熊野水軍の流れをひく。この国の水軍の武術に興味があるのだ。「恐るべき術にございます。日本の武者では、あのような真似はできますまい。若、やはり世界はひろうございます。我々の預かり知らぬ術を持つ人間が多うこざいます」先年まで、京都の鞍馬という山にいて、自分の存在の不遇を嘆いたおとこが蛮地、奥州平泉にあり、そこから先、日本の毛外のち、にいるのだ、新しい運命!、それをあの僧形の男が与えてくれたのだ。あの男は何故に。牛若の心に疑問が浮かんだ。 この女真族の国で、牛若は戦術を学んだ。それが財産となる。続く2014改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2017.04.09
源義経黄金伝説■第7回★作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所言うが早いか、弁慶は、背中から引き抜いた薙刀を一閃していた。普通の人間ならば、真っ二つである。が、弁慶の薙刀には、手ごたえがない。目の前にあるはずの、血まみれの体も残ってはいない。「はて、面妖な」「ふふっ、ここだ、ここだ」 弁慶の後ろから声が聞こえて来る。すばやく、背後を見返すと、橋げたのうえにふわりと牛若が乗っている。まるで、重さがない鳥のように、それは乗っているのだ。「貴様は、飛ぶ鳥か」「ふふう、そうかも知れぬぞ」不敵な笑みが、牛若の顔から漏れている。「鞍馬山の鳥かもな」 その声音は、完全に人を食っている。牛若は、自分の力を他人に見せるのが、うれしく、楽しいのだ。「お前は、平氏のまわし者か」毅然と、牛若が言う。「何を言う。平氏など、物の数ではない」そう答えるが早いか、弁慶は橋を蹴って、欄干のうえに薙刀を数振りする。その刀の動きは、常人の目には捕らえられぬ。とはいえ、明かりなどない夜中である。誰もそれには気付かぬ。ただ、野犬が、恐るべき力の争いに驚き、鳴き声をあげている。「どうした、弁慶。この私を捕まえることができぬか」にやりと笑う牛若の顔に、弁慶は、憎しみを倍加させる。 西行と鬼一法眼は橋の影からのぞいている。「どうだ、遮那王様の動き」「よかろう。あのように成長しておられるならば、奥州の秀衡殿の手元にお送りしても、十分役にたつだろう」。「秀衡殿もお喜びであろう」二人笑い会う。「西行殿、後はお任せるぞ」「何をこしゃくな」が、弁慶の額には、うっすらと汗が浮かんでいた。「弁慶、止めるのじゃ」突然異形の老人が、弁慶の前に姿を現し、争いを止めようとした。強い、この男は、弁慶はこの男を見て毛穴がひゅつと閉じるの感じた。「なぜだ、鬼一殿。この若造を殺せというたは、お主ではないのか」弁慶はこの老人にくってかかる。「もうよいのだ。お主もこの若者の力がわかったであろう」「そうであればこそ、なおさら許せぬ。俺の力を見せねば、気が済まぬ」「そうだ、鬼一。止めてくださるな。この大男に負けたと言わせるまでは、私も気が済まぬ」欄干の上にいる牛若が、答える。「こやつ、いわしておけば」背中より大槌を引き抜いて、弁慶は打ってかかる。ズーンと大きな音が響き、バラバラと橋げたが川中に崩れ落ちる。「おお、何をする。橋を壊すつもりか」「橋が壊れるが早いか、お主が死ぬのが早いか」 騒ぎを聞き付けた検非違使たちが六波羅の方から駆けつけてくる。「いかぬ」弁慶はそれにきを取られる。「ぐぅ」思わず弁慶が叫び、気を失う。牛若の高下駄が蹴りを弁慶の天頂に加えていた。「やれやれ」鬼一は橋のしたに用意してあった小舟に弁慶の体を隠し、鴨川を下った。「牛若殿、もう少しお手柔らかにお願いいたすぞ」「戦いの舞台を移そう」「こわっぱ、どこに逃げる。怖じけづいたか」息を吹き返し、苦しい息の下から弁慶が叫ぶ。「何を言う。お主がそう暴れるから、そら平家の郎党が現れたではないか」平家の屋敷に点々と灯が灯り、その灯が五条の橋を目がけてくる。かなりの人数のようだ。牛若が跳躍する。「おのれ、何処へ」弁慶は上を眺め、叫んだ。「頭の悪い坊主。この京都で晴れ舞台と言えばわかろうが…」声は天から響いた。「くっ、あそこか。わ、わかったぞ。約束を違えるなよ。半刻後じゃ、よいな」遠方で見ていた、西行と鬼一法眼はお互いに顔を見合わせていた。「いかん、あやつら、まさか…」「そうじゃ、あの寺だな」二人は疾風となり、東山を目指している。四人が目指すは、坂上田村麻呂公の寺、清水寺である。牛若は、弁慶の前で、清水寺の舞台で、ひらりひらりと舞っている。「ふっ、弁慶、どうだい。貴公もこの欄干の上で、京都の町を見てゆかぬか。よう見えるぞ。特に平家屋敷がな。おっと、貴公の体では、ちと無理かもな」「くそっ、口のへらぬこわっぱだ。そのようなこと、俺にもできるわ」「弁慶、止めておけ。お主の重さ、この清水寺の舞台を沈ませるぞ」「牛若殿、もう止めておきなされ。このお方もお疲れなのだ。お主の武勇、充分私も見せてもろうたぞ」いつも間にかその場所に源空も現れている。「争い事は、武士たちにお 任せなるのだ」源空の頭の中には、子供のころの自らの家の惨劇が埋まっている。 源空、後の世にいう法然は、この後、京都市中で僧坊を営み、後白河法皇、九条兼実らの知遇を得ることになる。 後に鎌倉仏教と呼ばれることになる、新しい日本仏教は、この源平争乱という武者革命と時を同じくしつつ起こった「宗教改革」だったのである。この時の源空には、まだその片鱗は見えない。続く2016改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2017.04.07
源義経黄金伝説■第6回 京都・鞍馬堂宇で鬼一法眼が、西行を待っていた。「おお、ここだ、西行殿」「おお鬼一法眼殿、息災であられるか」「西行殿も、歌名ますます上がられる。うれしい限りだ。それにあの遮那王、教えがいがある。よい弟子を送り込んでくれたものだ」「牛若、いや遮那王はそれほどまでに」「そうじゃ、仏法など、とんと興味がないわ。俺が教える武法のみ。さすがは源氏の頭領、源義朝殿が和子だな」「いや、やはり清盛殿の願いどおりにはならぬか」「それでは、やはり奥州、藤原秀衡殿の手にお渡しするか」「そうじゃのう。がその前に、武術の腕どれくらいのできあがりかを確かめてみるかな」「よい考えだ。さすがは武名高い北面の武士であられた西行殿。して、相手は」「近ごろ京で評判の、あの法師はどうだ」西行は手を打って、「弁慶か、よかろう」五条を中心とした平清盛、六波羅ろくはら政権は、170屋の大きな屋策をほこり、5200余の家々をしたがえている。六条河原と京の葬送地、鳥辺野とりべのの間を埋め尽くしている。この北域には、山門武装の資源つまり弓矢を生産する弓矢町を抱合している。弓矢町はつまり武器工廠である。また、300名からなる「赤かむろ」なる幼年探索第養育所も含んでいる。幼き密偵の養成所である。この年、「太郎焼亡たろうしょうぼう」と呼ばれる大火事がおこっていて、西の京はまだ焼け跡が広がっている。京の人間は乱世の始まりを感じ始めていた。その京都・五条にある松原橋たもとに のっそりと、その大男の悪僧は立ち塞がっている。大男にして、筋肉質で敏捷な動きをしている。「お主が牛若殿か」 月の光が鴨川の川面に映えている。牛若が押し入ろうとしていた平家の公達の家屋敷あたりからは、光とさざめきが漏れている。庶民が住んでいる辺りはもうすでに闇の中に沈んでいる。東山の辺りも、夜空に飲み込まれていて、遠く比叡の山からのわずかな光が、星のひとつのように霞んでいた。「私が牛若とすれば、どうするつもりかな」 ゆっくりと、牛若は答える。「そうなればー」 急に大きな弁慶が、牛若の顔を隠していた布を捲る。「ふふっ、なかなかよい顔をしている。我が稚児にするにちょうどよい…のう」 少しばかり、沈黙が二人の間に流れ、視線が素早く交わった。「しかしな、やはり、命をもらわねばならぬな」続く2016年改稿
2017.04.06
源義経黄金伝説■第5回★作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所十五年後。永暦元年(一一六〇)今年57歳になった法師が、山道を登っている。 京都、鞍馬山僧正ヶ谷である。山肌に木の根が血管のようにごつごつと現れている。 激しく武者修行をする牛若の前に、法師が一人現れていた。かぶりもので牛若うしわかには顔が見えない。「牛若殿、元気であらせられるか」「はっ、あなた様は」「名乗るほどの者ではない。いずれ私の正体わかりもうそう。いわば、牛若殿の未来にかけておるものだ。いかがかな、牛若殿、武術の方は上達いたしましたか」その問に不審な顔で牛若は答えた。「はっ、師匠の鬼一法眼おにいちほうがん様の指導よろしきを得て、ますます励んでおります」「そうよのう、ここ鞍馬山の坂道で鍛えられれば、体力もつきもうそう。が、牛若殿、くれぐれも自重されよ。牛若殿の身は、御身一人だけのものではないのだ。お気をつけられよ」 そう言い残し、法師は去って行った。練習に励む牛若の前に、牛若の師匠、鬼一法眼が現れる。京都、いや日本で有名な幻術師である。「お師匠様、見たこともない法師が、私を激励されましたが…」不思議そうな表情で述べた。 鬼一法眼はかすかにほほ笑んで「ふふう、牛若、あちこちにお前の守護神がおるようだのう」「あの方は、私の守護神ですか」「どうやら、そのようだのう」 牛若は、首をひねる。その姿を見て、鬼一法眼は笑っていた。今、牛若は毎日、下界の京都までかけ降りては、自分の武術を試し、鞍馬にかけ戻っている。「牛若殿、またそのような乱暴狼藉を働かれて…」非難するような様子で、その若い僧は言う。 その源空げんくうという名の僧は、京都王朝の大学・学術都市である比叡山の僧坊に属しているのだが、ある時牛若と出会い、友達となったのだった。ゆっくりとお互いの身の上を話し合った。 源空は、じっとりと顔が濡れるほどに、牛若の身の上を案じてくれた。「何と、お可哀想な身の上なのだ…」 その若者らしい激情に、牛若もまた自身の身の上話に、ほほに涙をぬらすのだ。「牛若殿、仏に身を任せるのじゃ。そうすれば、おのが身、仏によって救われるであろう」いつも出会うたびに、言うのだった。が、牛若は仏を信じぬ。 牛若は自分の体は、戦の化身だと信じている。なぜならば、父は源氏の氏長者うじのちょうじゃだったのだ。武者中の武者の血が流れているのだ。それがこのような京都の外界、辺境に置かれようとも、いつかはこの世に出たい。源氏の若武者として、名を馳せたい。そういう願いが、牛若の心を一杯にしている。そうするべきだという自身が、みづからの中から沸き起こるのだ。 若い血は、あの急勾配の鞍馬山を、毎日行き来することによってにじり立ち、若い体は強力な膂力を手に入れつつあった。そして、その若い力を、この無慈悲なる、牛若自身の力を理解しない世の中へ出て試したいと、希っていた。これは、世に対する復讐なのか 源空は、やさしくにこやかな表情でゆっくりと分かりやすく牛若に語る。「およしなされ、牛若殿。、、、おのが身は、、、平相国そうこく、平の清盛様から助けられた命でございますぞ。、、、そのようなお考え、恐ろしいことは、お止めなされ」 と非難し止めるのであった。なぜに源空は、私の心がわかるのか、、と 牛若は思った。(続く)★2016改訂★作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2017.04.05
源義経黄金伝説■第4回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所第1章永暦元年(一一六〇)今年42歳となった西行は、北面の武士当時、同僚であった平清盛を訪れている。京都六波羅かいわいは、まるで平家の城塞都市である。平家親戚一同が甍を並べ、藤原氏をはじめとしての貴族を睥睨している。平家にとって武力は力であった。 清盛と話す西行から、奥座敷の方に、幼児と母親がかすかに見える。(なにか、面白い話か、あるいは、わたしを陥れる奸計か。くえぬからのう、清盛は、、)こう考えていた折り、大きな陰が現れている。今、飛び鳥を落とす勢いの男が、仁王がごとく立っている。「おひさしゅうござる。西行法師殿、巷の噂、ご高名聞いておる。これがあの北面の武士、当時の佐藤殿とはのう」 今42歳同年の清盛は、若い頃、詩上手の西行に色々な恋歌を代作してもらったことを思い出して、恥じらい、頭を掻いている。「いやいや、北面の武士と言えば、あの文覚殿も」文覚も同じ頃、北面の武士である。「いやはや、困ったものよのう、あの男にも」「今は、確か」「そうじゃ、あの性格。、、よせばいいものを、後白河法皇にけちをつけ、伊豆に流されておる」文覚は摂津渡辺党の武士である。「あの若妻をなで切りにしてからは、一層人となりが代わりよったな」話を切り出してきた。背後から若い女御が、和子を清盛の腕にさしだしている。「のう、西行殿。古き馴染みの貴公じゃから、こと相談じゃ。この幼子、どう思う」「おお、なかなか賢そうな顔たちをしておられますなあ。清盛殿がお子か」「いや、違う。この常盤ときわの子供だ、名は牛若と言う」「おう、源義朝がお子か」 西行は驚いている。(政敵の子供ではないか。それをこのように慈しんでいるとは。清盛とは拘らぬ男よな。それとも性格が桁外れなのか)西行の理解を超えていることは確かなのだ。「そうじゃ、牛若の後世こうせい、よろしくお願い願えまいか。西行殿も確か仏門に入られて、あちらこちらの寺にも顔がきこうが。それに将来は北の仏教王国で、僧侶としての命をまっとうさせてくれまいか」「北の…」 西行は、少しばかり青ざめる。「言わずともよい。貴公が奥州の藤原氏とは、浅からぬ縁あるを知らぬものはない」にやりとしながら、清盛は言う。西行は恐れた。西行が奥州の秀衡とかなり昵懇な関係があり、京都の情報を流していることを知れば、いくら清盛といえども黙っているはずはない。西行は冷や汗をかいている。「……」「それゆえ、行く行くは、平泉へお送りいただけまいか。おそらくは、藤原秀衡殿にとって、荷ではないはず」しゃあしゃあと清盛は言う。西行の思いなど気にしていないようだ。「清盛殿、源氏が子を、散り散りに……」「西行殿、俺も人の子よ。母上からの注文が多少のう」 相国平清盛は、頭を掻いていた。母上、つまり池禅尼いけのぜんにである。清盛も母には頭があがらぬ。池禅尼が、牛若があまりにかわゆく死んだ孫に似ているため助けをこうたらしい。が、相国平清盛は、北面の武士の同僚だった折りから、食えぬ男、また何やら他の企みがあるかもしれぬが、この話、西行にとっていい話かもしれない。あとあと、牛若の事は交渉材料として使えるかもしれぬ。ここは、乗せられみるか。あるいは、平泉にとっても好材料かもしれぬ。ここは清盛の話を聞いておくか。この時が、西行と源義経のえにしの始まりとなった。平清盛はゼニの大将だった。平家の経済基盤のひとつは日宋貿易である。奥州の金を輸出し、宋の銭を輸入した。宋の銭の流入は日本の新しい経済基盤をつくろうとしていた。むろん、ここには平泉第の吉次がからんでいるのはいうまでもない。無論、西行もまた。新しい経済機構が発達しょうとしていいる。新しい職業もまた始まろうとしている。日本の社会が揺れ動いているのだ。続く2014改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2017.04.04
源義経黄金伝説■第3回第1章 一一八六年 鎌倉八幡宮 1 文治二年(1186)四月八日のことである。 鎌倉八幡宮の境内、音曲が響いてくる。「京一番の舞い手じゃそうじゃ」そこに向かう雑色ぞうしきが仲間と声高に話していた。相方がこれも声高に答えた。「おまけに義経が愛妾とな」「それが御台所様のたっての願いで、八幡宮で舞うことを頼朝様がお許しになられたのそうじゃ」「大姫様にもお見せになるというな」「おう、ここじゃが。この混み様はどうじゃ」鎌倉の御家人たちもまた、この静の白拍子の舞を見ようと、八幡宮に集まって来ている。大姫は頼朝と御台所・北条政子の娘であり、木曽義仲の子供である許婚を頼朝の命令で切り殺されたところでもあり、気鬱になっていた。去年文治元年(1185)三月平家は壇ノ浦で滅亡している。その立役者が義経。その愛妾が話題の人、静。平家を滅ぼした源氏の大祝賀会である。その舞台にある女が登場するのを、人々はいまか今かと待ち兼ねて、ざわついている。 季は春。舞台に、観客席に桜の花びらがヒラヒラと散ってきて風情を催させる。その時、どよめきが起こった。 人々の好奇心が一点に集中し、先刻までのどよめきが、嘘のように静まっている。舞台のうえにあでやかな人形があらわれた。 舞殿まいどのの上、ひとりの男装の白拍子が舞おうとしている。 頼朝から追われている源義経の愛妾静その人であった。この時、この境内の目はすべて静に注目している。 衣装は立烏帽子に水干と白い袴をつけ、腰には太刀より小振りな鞘巻をはいている。 静は、あのやさしげな義経の眼を思っている。きっと母親の常盤様そっくりなのだろう。思考が途切れる。騒がしさ。ひといきれ。 静の母親の磯禅師は今、側にはしり寄って執拗に繰り返す。「和子を救いたくば、よいか、静、頼朝様の前での舞は、お前の恭順の意を表すものにするのです。くれぐれもこの母が、どれほどの願いを方々にしたか思ってくだされ。わかってくだされ。よいな、静」涙ながら叫んでいる。 が、静にも誇りはあった。 母の磯禅師は白拍子の創始者だった。その二代目が静。義経からの寵愛を一身に集めた女性が静である。京一番といわれた踊り手。それが、たとえ、義経が頼朝に追われようと…。 静は母の思わぬところで、別の生き物の心を持った。要塞都市、鎌倉の若宮大路。路の両側に普請された塀と溝。何と殺風景なと静は思った。その先に春めいた陽炎たつ由比ガ浜が見えている。その相模の海から逃れたかった。 かわいそうな一人ぼっちの義経様。私がいなければ、、そう、私がここで戦おう。これは女の戦い。知らぬうちにそっと自分の下腹をなででいる。義経様、お守り下させ。これは私の鎌倉に対する一人の戦い。別の生き物のように、ふっきれたように、静かの体は舞台へ浮かんだ。 しかし,今、舞台真正面にいる源頼朝の心は別の所にある。 頼朝は、2つの独立を画策していた。ひとつは、京都からの独立、いまひとつは、階級からの独立である。武士は貴族の下にいつまでもいる必要がない。とくに、東国では、この独立の意識が強いのだ。西国からきた貴族になぜ、金をわたさなければいけなにのか。だれが一番苦労しているのか。その不満の上に鎌倉は成り立っている。しかし、義経は、、あの弟は、、義経は人生において、常に逃亡者である。自分の居場所がない。世の中には彼に与える場所がない。義経は、頼朝が作ろうとしている「組織」には属することが不可能な「個人」であった。その時代の世界に彼を受け入れてくれる所がどこにもない。 頼朝はまた平泉を思う。頼朝に宿る源氏の地が奥州の地を渇望している。源氏は奥州でいかほどの血をながしたのか。頼朝は片腹にいる大江広元おおえひろもとをみる。土師氏はじしの末裔。学問を生業とする大江一族。頼朝は京から顧問になる男を呼び寄せる折、あるこだわりを持った。なぜなら、彼の曾父は大江匡房まさふさ。博学の士。八幡太郎義家に兵法を伝授し、奥州での勝利を確約したといわれている。頼朝はその故事に掛けている。奥州との戦いのために学問の神、大江家が必要だったのだ。さらに別の人物頼朝は眺める。文覚もんがくは十年前、後白河法王の密命を受けてきた荒法師で、が今は頼朝の精神的な支えとなっている。皮肉な運命だった。法王はそこまで、頼朝が大きくなるとは考えてなかった。 その想いの中を歩む心に、声が響いて、頼朝はふと我にかえる。「しずや、しずしずのおだまき繰り返し、昔を今になすよすがなる。吉野山みねの白雪踏み分けて、入りにし人の跡ぞ恋しき」 ひらひらと舞台の上に舞い落ちる桜吹雪の中、静は妖精のようだった。人間ではない、何か別の生き物…。 思わず、頼朝をはじめ、居並ぶ鎌倉武士の目が、静に引き寄せられていた。感嘆の息を吐くのもためらわれるほど、 それは…、人と神の境を歩んでいる妖精の姿であった。●続く●2014版
2017.04.03
源義経黄金伝説■第2回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所明治元年(1868年)よりさかのぼる事、690年前1180年(治承4年)四国白峰。老僧が荒れ果てた神社の鳥居の前に佇んでいる。鳥居から見える四国瀬戸の荒海はひゅひゅうと音を立てて荒れすさんでいる。「ようやく参りましたぞ、崇徳上皇様、しかし、この荒れよう、いかにかならぬものか。上皇様、上皇様、どうかお姿をお見せくださいませ。西行が、佐藤義清が参りましたぞ」西行は大声で叫んでいる。ここは四国の山中である。が、社殿は静まり返っている。その静けさが、何とも恐ろしい。「いかがなされました。何かご不満がおありになられるのか」「ふ……」どこからともなく、うめき声が、あたりの静寂を破る。突然、風が強くなってくる。空が急激に曇り始め、やがてポツリと西行の頬を雨脚が濡らした。「遅いわ、西行よ。朕を、何年待たせるのじゃ。さような奴輩が多いがゆえ、京都に災いの種を、いろいろ蒔いてやったわ。四つの宮、後白河もいやいや腰をあげたであろう。俺が恐ろしいはずじゃ。う、悔しや。もっとあやつ、、、、後白河法皇を苦しめてやるぞ」その声は恨みに満ち満ちている。「崇徳上皇様、お待ちくだされい。民には、何の咎もございませぬ。どうか、他の人々に災いを与えるのはお止めくだされい」「ふふう、何を言う。日本の民が苦しめば、あやつも苦しむ。もっともっと苦しめばよい。俺の恨みはいかでも晴れぬは」「お聞きください、崇徳上皇様。では上皇様のための都を新たに作るという策は、いかがでございますか」声が急に途切れる。「何、西行よ、お前、何かたくらんでおるのか。いやいや、お主は策士じゃ。何かよからぬことをたくらんでいるに違いない」意を決して、西行が顔をあげた。「崇徳上皇様、奥州でございます」「何、あの国奥州に」「そうでございます。この国の第二の都を。それならば中国にも前例がございましょう」「何、平泉を、第二の京に。そして朕を祭ると、、そういうことか、西行」「さようでございます」西行は、顔を紅潮させていた。「西行、たばかるでないぞ。わかったぞ。朕は、少しばかり様子をみる事としょう。がしかし、再度謀れば、未来永劫、朕はこの国に、祟るぞ」風雨は、急に止み、天に太陽が姿を現す。汗がしたたり落ちている西行の顔は、まぶたが閉ざされている。体が瘧のようにぶるぶると震えている。腰は、地に落ちている。「これでよろしゅうございますか、兄君、崇徳上皇様に告げましたぞ。後白河法皇様。はてさて、しかしながら、恐ろしい約束事を…。この私が西行が、佐藤義清が、いかにしてか、平泉を第二の京にしなければなりませぬなあ…」ひとりごちている西行は、心中穏やかではない。西行は四国白峰にある崇徳上皇の塚にいる。崇徳上皇は保元の乱で破れ、弟、後白河上皇に流されたのだ。(続く)2010改訂
2017.04.02
「源義経黄金伝説」とは■日本版三国志の物語。■時代は,源平の争いから、鎌倉幕府が成立しょうとしていた時期。■京都の陰陽師・鬼一方眼に、友人、西行法師は源義経の養育を依頼。その背景には、後白河法王、藤原秀衡が。■東アジアのフロンテイアである日本は、国家を成立。その象徴として黄金大仏を作り、国家の勢力をシンボル化。平安京に奠都した大和ヤマトは、日本を統一していくが、国家象徴としての黄金大仏は、武家革命勢力による内乱のため、消失。■その大仏再建を図らんため独立国家、奥州を併合、黄金を収奪しょうとする鎌倉武家革命政権。瀬戸内海荘園群を経済地盤とする、後白河法王を頂点とする貴族制西国王朝と新興勢力である東国騎馬武士団を率いる源頼朝。■古代よりエミシの血を受け継ぐ奥州に黄金・仏教王国を構える藤原秀衡。■「義経黄金伝説」は、一二世紀日本の三つの都市(京都、鎌倉、平泉)と三人の騎士の物語。--------------------------------------------------------------------------------------------------源義経黄金伝説■第1回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。祭神は崇徳上皇すとくじょうこう。日本の大魔王といわれている。幼き帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。「さあ。御君おんきみ、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬよ うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。代々、我が家、藤原本家に伝わりし、西行法師さいぎょうほうし殿との約束をお伝え下さいませ」幼き帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。「崇徳上皇殿下、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年かかってしまいました。今にいたり、源頼朝、大江広元の子孫たる二家、薩摩島津。長州毛利両家をもって、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。そして、陰都かげみやこでございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、代わ りに江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の守神といた します。が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもっ て新しき王朝の皇居といたす事をおゆるしくだされ」御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が 讃岐(さぬきー香川県)から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとがている 。「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を起こそうとしております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらげます」幼き帝は、再び深々と、頭を垂れた。崇徳上皇は、保元の乱ほうげんのらんの首謀者の一人である、後白河に敗れ、讃岐に流され、そのちでなくなり、白峰山しらみねさんに葬られた。讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門うらきもんであり、平泉は、京都から見て鬼門にあたる丑寅の方角である。空から、崇徳上皇の独白が落ちてきて響き渡る。「西行法師よ、長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。がしかし、その陰都もいつまでも、安穏とするかや。所詮は、東の幕府、所詮は、荒夷どもが街じゃ。朕が情念は、いつしか吹くだすやもしれぬぞ。見ておれ」この日、元号が明治と改元された。(続)2014版改稿作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
2017.04.01
光陽社さんのアート年賀状 2017年酉年(とりどし)光陽社さんのアート年賀状2017年-酉年(とりどし)の一部デザイン協力をさせていただきました。http://www.koyosha-inc.co.jp/nenga_2017/
2016.12.05
山田企画事務所のホームページをスマートフォン対応にしました。http://www.yamada-kikaku.comエム・アイ・プランニング株式会社(略称:MIP)http://mi-p.jp/で作っていただきました。
2016.03.28
源義経黄金伝説■第1回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。祭神は崇徳上皇(すとくじょうこう)。日本の大魔王といわれている。幼き帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。「さあ。御君(おんきみ)、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬよ うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。代々、我が家、藤原本家に伝わりし、西行法師(さいぎょうほうし)殿との約束をお伝え下さいませ」幼き帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。「崇徳上皇殿下、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年かかってしまいました。今にいたり、源頼朝、大江広元の子孫たる二家、薩摩島津。長州毛利両家をもって、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。そして、陰都(かげみやこ)でございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、代わ りに江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の守神といた します。が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもっ て新しき王朝の皇居といたす事をおゆるしくだされ」御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が 讃岐(さぬきー香川県)から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとがている 。「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を起こそうとしております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらげます」幼き帝は、再び深々と、頭を垂れた。崇徳上皇は、保元の乱(ほうげんのらん)の首謀者の一人である、後白河に敗れ、讃岐に流され、そのちでなくなり、白峰山(しらみねさん)に葬られた。讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門(うらきもん)であり、平泉は、京都から見て鬼門にあたる丑寅の方角である。空から、崇徳上皇の独白が落ちてきて響き渡る。「西行法師よ、長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。がしかし、その陰都もいつまでも、安穏とするかや。所詮は、東の幕府、所詮は、荒夷どもが街じゃ。朕が情念は、いつしか吹くだすやもしれぬぞ。見ておれ」この日、元号が明治と改元された。(続)2016版改稿ジャンル: 小説
2016.02.18
光陽社さんのアート年賀状2016年-申年(さるどし)の一部デザイン協力をさせていただきました。山田企画事務所は、ビジネス・マンガ制作事務所です。光陽社さんのアート年賀状2016年-申年(さるどし)の一部デザイン協力をさせていただきました。http://www.koyosha-inc.co.jp/nenga_2016/作家の作品は、以下を御覧ください。mangakadata.net年賀状の協力作家の作品見本です。年賀状番号1671 1672 suzuki 鈴木純子http://suzuki-junko.com/ 鈴木純子鈴木純子mangakadata.net年賀状番号1656 1668 oishi 大石容子http://mangakadata.net/oishi/index.html# 大石容子大石容子mangakadata.net年賀状番号1639 1685 1686 kitagaki北垣 絵美 http://mangakadata.net/kitagaki/index.html# 北垣 絵美北垣 絵美mangakadata.net年賀状番号1666 1667 shougaki 正垣有紀http://mangakadata.net/shogaki/index.html# 正垣有紀正垣有紀mangakadata.net年賀状番号1654 1673 1674 morinaga 森永先生山田企画事務所は、ビジネス・マンガ制作事務所です。http://www.yamada-kikaku.com/ ▲『マンガ家になる塾』ナレッジサーブ『マンガ家になる塾』ナレッジサーブ ■ユーチューブ■youtube.com●how to draw manga● ●http://www.youtube.com/user/yamadakikaku2009 -------------------------------------------------------
2015.12.02
マンガ家になる塾http://www.knowledge.ne.jp/lec1379.html●マンガ業界がかなり厳しい業界であると認識して受講下さい。●マンガ原稿をすぐ拝見!●編集部へ持ち込みの原稿を添削指導!1か月分の会費です。ただしマンガ家先生のスケジュール調整があり。基本の課題は、かならづしも1回の授業からの課題でなくても構いません。山田企画事務所のHPにテキストは入れています。http://www.yamada-kikaku.com/lesson.html ●1回だけの受講、飛び飛びの受講も可能。参加者の紙原稿(漫画データ)への赤ペン添削●参加の方の個人に合わせ課題も。
2015.11.25
Windows!Free! Animation Editor 9VA-win http://9vae.comhttps://youtu.be/Kl7IeVhxwIIWindows!Free! Animation Editor 9VA-win http://9vae.com How to make movie and upload to YouTube ? Windows ! アニメ作成フリーソフト 動画変換! YouTube に ! Windows!Free! Animation Editor 9VA-win http://9vae.com How to make movie and upload to YouTube ? Windows ! アニメ作成フリーソフト 動画変換! YouTube に !
2015.11.02
----------------------------------------------------!山田企画事務所ピンタレストーすべてyoutube動画にリンクしてます!漫画の描き方 も掲載してます。 日本の美景写真集http://www.pinterest.com/yamadakikaku/ http://www.pinterest.com/yamadakikaku/ 御覧くださいyamadakikaku 山田企画・山田博一の写真帳を御覧ください・http://www.pinterest.com/yamadakikaku/ 御覧くださいhttp://www.pinterest.com/yamadakikaku/ 御覧ください------------------------------------------------------------
2015.09.17
20150826-01 Thank you! youtube"yamadakikaku2009"subscribers! over 9100 persons! https://www.youtube.com/user/yamadakikaku2009 世界の漫画の好きな方々や漫画家が、9100人登録していただいています。●アイデアラッシュなどにもご利用下さい。登録者の方々のチャンネルを、山田企画事務所のブログで紹介していきます。皆さんには、漫画家や、漫画の好きな方々ですので、漫画の描き方、プレゼンテーションのやり方が参考になります。(順不同です)Thank you youtube"yamadakikaku2009"subscribers.I will continue to introduce Your youtube channel in the weblog of Yamadakikaku.Everyone is, manga-ka, manga fan, how to draw manga, the way of presentation of manga drawing. Your youtube channels will be helpful for manga-fan.---------------------------------------------------Tania Cruzhttps://www.youtube.com/channel/UCYrFhY64VESVIeKYsM6TkLgАнна Новиковаhttps://www.youtube.com/channel/UCXIXU1uMEIXD2qZtTjBMEYANINI KChttps://www.youtube.com/user/kc8812946georgy alexander galileohttps://www.youtube.com/channel/UCL6N2kcqvLeU2As3CsPhszgBONBON BAMBINIhttps://www.youtube.com/channel/UCJUjRT6StlHExfKntaSgYWAbryan javier audelo beltranhttps://www.youtube.com/user/thekingdarkanime12Hieu Tranhttps://www.youtube.com/channel/UCgqQwPih2TRdLKiBfDt5KkASergio de lahozhttps://www.youtube.com/channel/UCpx71vptcPsvO-Nk77cHaFg
2015.08.26
Itami green space,by bicycle.伊丹緑地を自転車にて散策.猪名野神社から伊丹坂01Saigoku Road - Itami-zaka 西国街道・伊丹坂・伊丹伊丹 伝和泉式部の墓Tomb of the female poet IZUMISHIKIBU of the Heian Period、itami-city Itami green space,by bicycle.伊丹緑地を自転車にて散策.伊丹坂から国道171号。ITAMI,Midorigaoka Park,by bicycle.緑ヶ丘公園を自転車にて散策
2015.08.02
My youtube VIDEO List, http://www.pinterest.com/yamadakikaku/My youtube VIDEO List, entrance to How to draw manga etc、my pinterest http://www.pinterest.com/yamadakikaku/山田企画事務所のyoutube 動画LIST になっています。漫画の描き方や日本の美景の 動画の入り口の 写真集です。御覧ください。
2015.07.26
!山田企画事務所ピンタレストーすべてyoutube動画にリンクしてます!http://www.pinterest.com/yamadakikaku/ 御覧くださいyamadakikaku 山田企画・山田博一の写真帳を御覧ください・http://www.pinterest.com/yamadakikaku/ 御覧ください
2015.07.10
http://www.tv-osaka.co.jp/event/eventtool/名 称イベントツールウエストジャパン2015会 期2015年5月28日(木)~29日(金) 10:00~17:00会 場 大阪南港ATCホール(大阪市住之江区南港北2-1-10 ATC O's南B2F)主 催テレビ大阪 アジア太平洋トレードセンター後援経済産業省 近畿経済産業局、大阪府、大阪市、大阪商工会議所、(公財)大阪観光局、公益財団法人関西・大阪21世紀協会、一般社団法人日本イベントプロデュース協会関西本部、 NPO法人ジャパンイベントネットワーク、日本イベント業務管理士協会、一般社団法人日本イベント産業振興協会 (順不同)ーーーーーーーー入 場 料 無料 (招待制・事前登録制)目標来場者数5,000人ーーーーーーーーテレビ大阪では今年も、アジア太平洋トレードセンターとの共同開催による「イベントツールウエストジャパン2015」を5月28日(木)~29日(金)に大阪南港のATCホールにて開催します。本展は、イベントや販促関連のツールやコンテンツを所有する企業が出展。企業の販促、関・自治体・行政機関・各種イベント主催団体など、販促やイベント関連のツールをお探しのユーザーをお招きし、出展者とのビジネスマッチングの場としてご好評頂いております。4回目の開催となる今年は、多数の関連企業が出展し、ご来場の皆さまに質の高いプレゼンテーションを展開します。開催時にはぜひ本展へお越しくださいますようお願い申し上げます。ーーーーーーーーお問い合わせイベントツールウエストジャパン運営事務局(テレビ大阪 事業局内) 担当 :酒井・仲野〒540-8519 大阪市中央区大手前1-2-18TEL : 06-6947-1912FAX : 06-6947-1941E-mail : eventtool@tv-osaka.jpーーーーーーーー山田企画事務所・山田博一は、後援団体の日本イベント業務管理士協会/広報委員として告知しています。http://www.jedis.org/member/memberlist/517-940808.html日本イベント業務管理士協会http://www.jedis.org/ーーーーーーーー
2015.04.28
「マンガの描き方」教科書■How to draw manga tutorial by japanese■I am sorry here is no Lesson 1 data.ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」>> 文責 ラッキー植松http://www.yamada-kikaku.com/lesson.htmlHow to draw manga tutorial by japanese Lesson 2: Draw a picture Lesson 2>How to draw manga tutorial by japanese Lesson3: Draw characters Lesson 3How to draw manga tutorial by japanese Lesson4 Draw pictures –Draw charactersLesson 4How to draw manga tutorial by japanese Lesson 5: Draw backgrounds Lesson 5How to draw manga tutorial by japanese Lesson 6: The way to handle pictures Lesson 6How to draw manga tutorial by japaneseLesson 7: Create a story Lesson 7How to draw manga tutorial by japanese Lesson8: Create a story2 Lesson 8How to draw manga tutorial by japanese Lesson9: The basics of Komawari Lesson 9How to draw manga tutorial by japanese Lesson 10: Elements necessary for Komawari Lesson 10How to draw manga tutorial by japanese Lesson 11: How to create a dramatic effect when doing Komawar Lesson 11How to draw manga tutorial by japanese Lesson 12: How to become mangaka Lesson 12
2015.01.27
Thank you! youtube"yamadakikaku2009"subscribers! over 6800persons!https://www.youtube.com/user/yamadakikaku2009世界の漫画の好きな方々や漫画家が、6800人登録していただいています。登録者の方々のチャンネルを、山田企画事務所のブログで紹介していきます。皆さんには、漫画家や、漫画の好きな方々ですので、漫画の描き方、プレゼンテーションのやり方が参考になります。(順不同ですThank you youtube"yamadakikaku2009"subscribers.I will continue to introduce Your youtube channel in the weblog of Yamadakikaku.Everyone is, manga-ka, manga fan, how to draw manga, the way of presentation of manga drawing. Your youtube channels will be helpful for manga-fan.ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーhttps://www.youtube.com/user/kittycoolcrafter123https://www.youtube.com/channel/UC2cMT5JLJ4h3wPHk192Odvghttps://www.youtube.com/user/bfflpowerhttps://www.youtube.com/channel/UCH5ZTV37e6zhgs_6k9mSXnwhttps://www.youtube.com/channel/UCfdlQq3x4UTsHTls4jnpFVQhttps://www.youtube.com/channel/UCrVa0fckGW0N4mH7rFSMHnghttps://www.youtube.com/channel/UCa5uOOrmS_4eOiW_WP5-MIghttps://www.youtube.com/user/kelly113355
2015.01.15
"Mekamushi workshop" Mekamushi Recycle Art Craft Exhibition メカムシ・リサイクル・クラフト展示014
2014.10.27
源義経黄金伝説■第16回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★ 驟雨が、鎌倉を覆っている。頼朝の屋敷の門前に僧衣の男が一人たっている。騎馬が二騎、二人は、この僧を物乞いかと考え、追い払おうとしていた。「どけどけ、乞食僧。ここをどこと心得る。鎌倉公、頼朝公の御屋敷なるぞ。貴様がごとき乞食僧の訪れる場所ではない、早々に立ち去れい」語気荒々しく、馬で跳ねとばさんばかりの勢いだ。「拙僧、頼朝公に、お話の筋があって参上した。取り次いでくだされ」「何を申す。己らごときに会われる、主上ではないわ。どかぬと切って捨てるぞ」ちょうど、頼朝の屋敷を訪れようとしていた大江広元が、騒ぎを聞き付けて様子を見に来る。「いかがした。この騒ぎは何事だ」 広元が西行に気付く。「これは、はて、お珍しい。西行法師殿ではござらぬか」「おお、これは広元殿、お久しゅうございます。みどもを乞食僧と呼ばれ。何卒頼朝公にお引き合わせいただきたいのです」「何ですと。天下の歌詠み、西行殿とあれば、歌道に詳しい頼朝様、喜んでお会いくだされましょう」 広元が武者に向かい言う。「この方をどなたと心得るのだ。京に、いや、天下に名が響く有名な歌人の、西行殿じゃ。さっさと開門いたせ」 広元は西行の方を向かい、「重々、先程の失礼お詫び申しあげます。なにしろ草深き鎌倉ゆえ、西行殿のお名前など知らぬやつばらばかり」「私は、頼朝殿に東大寺大仏殿再建の勧進のことを、お頼み申したき次第です」「何、南都の…東大寺の…勧進で」広元の心の中に疑念が生じた。その波は広元の心の中で大きくなっていく。「さよう、拙僧、東大寺勧進重源上人より依頼され、この鎌倉に馳せ参じました。何卒お許しいただきたい」 頼朝と西行が対面し、横には大江広元が控えていた。「西行殿、どうでござろう。この鎌倉の地で庵を営まれましては」「いやいや、私は広元殿程の才もありません」「それは西行殿、私に対するざれ言でござりますか」「いえいえ、そうではございません」「西行殿、わざわざ、この頼朝が屋敷を訪れられましたのは、歌舞音曲の事を話してくださるためではありますまい」西行の文学的素養は、絢爛たるものがあった。母方はあの世界史上稀に見る王朝文学の花を開かせた一条帝の女房である。 西暦一千年の頃、一条天皇には「定子」「彰子」という女房がいたが、定子には「枕草子」を書いた清少納言が、また彰子には「源氏物語」を書いた紫式部などが仕えていて、お互いの文学的素養を誇っていた。「さすがは頼朝殿、よくおわかりじゃ。後白河法皇様からの書状をもっております。ご覧ください」 西行は、頼朝に書状をゆっくり渡す。 頼朝は、それを読み、「さて、この手紙にある義経が処置いかがいたしたものでしょうか。法皇様は手荒ことなきようにおっしゃっておられるが」「義経殿のこと、頼朝様とのご兄弟の争いとなれば、朝廷・公家にかかわりなきことですが、日々、戦に明け暮れること、これは常ではございません」「それはそれ。この戦や我が弟のことは私にまかされたい。義経は我が弟なればこそです。我が命令に逆らいし者です、許しがたいのです。……」 頼朝は暗い表情をした。しばらくして、表情が変わる。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所 ★you tube「マンガ家になる塾ー漫画の描き方 ★「マンガ家になる塾」★
2014.10.16
源義経黄金伝説■第15回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」奈良にある黒田荘(ショウ)(現三重県)は、東大寺の荘園である。先月の東大寺があげての伊勢神宮参詣もこの地で、重源を始め多数の僧が宿をとっている。いわば東大寺の情報中継基地である。 あばら家の中、どぶろくを飲んで横たわっている二人がいる。太郎佐。そこに弟の次郎佐が訪れていた。「兄者、兄者はおられぬか」「おお、ここだ、次郎左」「何じゃ、なぜそんな不景気な顔をいたしておるのだ」「これがよい顔をしておられるか。お主、何用だ。俺に金の無心なら、無用だぞ」「兄者、よい話だ。詳しい話は、ここにおる鳥海から聞け」 蓬髮で不精髭を生やした僧衣の男が汚らしい格好で入ってくる。着物など頓着していない様子だ。顔は赤銅色に焼けてはいるが、目は死んでいる。鳥海は興福寺の僧兵として、かなりの腕を振るった人間だ。園城寺、比叡山との僧兵たちとの争いでも、引けを取らなかった。が、東大寺炎上の折りから、腑抜けのようになっていた。一人生き延び、この太郎左、次郎左のところに転がり込んでいいのである。 鳥海は、話を始めた。「太郎佐殿は、先年、東大寺が焼き払われたこと、ご存じだろう」「おお、無論、聞いている」「東大寺の重源、奥州藤原氏への勧進を依頼した。さて、使者は西行法師」「たしか先月、重源と、、そうか、あのおいぼれ。確か数え七十ではないか」「供づれはいないと聞く。いかに西行とて、この我ら黒田悪党のことは知るまい」「ましてや、みちのく。旅先で、七十の坊主が死んだとて、不思議はあるまい」「お前、それでは、平泉からの東大寺勧進の沙金を…」太郎佐は言う。「そうよ、奪えというご命令なのだ。この話しはな、京都のやんごとなき方から聞いた。ほれ、このとおり、支度金も届いておる」「さらば、早速」「まて、まわりがおかしい」太郎左が皆を圧し止めた。動物のような感がこの男には働く。「ようすを見てみろ」次郎左が命令を聞き、破れ戸の隙間からまわりをみる。鳥海も他の方向を覗き見る。「くそっ、お主ら、付けられたのか。馬鹿者め」 まわりは、検非違使(けびいし)の侍や、刑部付きの放免(目明かし)らが、十重二十重に取り囲んでいる。検非違使の頭らしい若侍が、あばら家に向かって叫んでいた。「よいか、我々は検非違使じゃ。風盗共、そこにいるのはわかっておる。おとなしく、縛につけ。さもなくば討ち入る」「くくっ、何を抜かしおるか」太郎左、次郎左は、お互いをみやって笑った。戦いの興奮の血が体を回り始めているのだ。「来るなら来て見ろ。腰抜け検非違使め」大声で怒鳴った。「何、よし皆、かかれ」若い検非違使が刀を抜き言った。「ふふっ、きよるわ。きよるわ」「よいか、次郎左。ここは奥州の旅の置き土産。一つ派手にやろうか」「あい、わかった」 太郎左と次郎左は、小屋の後手に隠してあった馬に乗り、並んで頭の方へ駆けていく。侍は、急な突進にのぞける。「ぐわっ」 太郎左の右手、次郎左の左手に、握られていた太刀が交差した。 瞬間、検非違使の頭が血飛沫を上げ、青空に飛びあがっている。後の者共は蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。「ふふっ、少しばかり、馬をいただいておこう」 三人は逃げ去る侍たちの方へ目がけて駆けていく。 太郎左たちは、板東地方(関東)に入り、盗みを立ち働いていた。まず、第一の目的はよい馬を得ることである。 近畿地方の馬と、阪東や板東の馬とは、種類が違っていた。脚力、体長とも、板東の馬が勝っている。武者の家が焼けている。中には多くの死人。そこから阪東の馬に乗り飛び出してくる三人の姿がある。「さすが阪東の馬よのう。乗り心地や、走りごこちが違うなあ」 次郎佐は叫ぶ。「それはよいが、次郎左、屋敷に火を放ったか」 太郎佐が、その言葉を受ける。「おお、それは心得ておる。この牧の屋敷は、もうすぐ丸焼けだ」「行き掛けの駄賃とはよう言うな。屋敷の地下に埋めたあった金品もすべてこちらがものよ」 鳥海が言う。三人は走り去る続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」
2014.09.15
源義経黄金伝説■第14回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」おなじころ、奈良東大寺。焼け落ちた大仏の鋳造も終わり、これからは大仏殿の建築にとりかかろうとしている時である。 治承四年(1180)平重衡の手で東大寺をはじめ興福寺の伽藍が焼かれ大仏が焼けた折、京都の貴族はこの世の終わりと思ったものだが、、重源(ちょうげん)の一団、勧進聖の手で、東亜においての黄金国日本の象徴である東大寺大仏は、その姿を再びこの世に現している。 牛車が荷駄を載せ、大工、石工、彫師、諸業の人間が一時に奈良に集まり、人のうねりが起こっている。その活気に囲まれ東大寺の仮屋で、この勧進事業の中心人物が、もう一人の若い僧と湯釜からでる湯気を囲んで話し合っている。「どう動かれますでしょうか。西行さまは」、 若い僧が年老いた僧に尋ねる。「西行殿が、東大寺にために、どれほどの勧進をしてくださるかという問いですかな、、」何か言外に言いたげな風情である。「左様、、でございます」 若い僧は、この高名な僧の話し振りにヘキヘきする事もあるのだが、なんと言っても、当代「支度一番(したくいちばん)」の評判は彼の目から見ても揺ぎ無いところだ。このような難事業はやはりこの漢しかできまい。「お手前は、まだまだ、蒼いですね、、」「といいますと」少しばかりの怒りが、若い僧の口ぶりに含まれている。「西行殿は、あるお方の想いで動いておられます。人生の最後の花と咲かせるおつもりです」「では、平泉の黄金は、大仏の屠金はどうなります、、いあや、しかし、重源(ちょうげん)さまは、昔、西行さまの高野の勧進をお手伝いされたのでは、、」若い僧は、答えに困惑している。「蓮華乗院の事ですか。ふう。あれはあれ、これはこれです。我が東大寺の伊勢への参拝の件で恩は返してくれているのですよ。はてさて、物事はどう転ぶか、ですな」 高野山の蓮華乗院の勧進を、西行が行っていた。治承元年(1177)の事である。 西行の働きで、歴史始まって以来初めて、、仏教僧が、伊勢神宮に参拝している。重源(ちょうげん)の一団である。西行は、神祇信仰者であった。本年文治二年(1186)であった。「重源様は、西行様と高野山では長くお付き合いされたと聞き及びます」「そうです、西行殿が、高野山麓の天野別所に、妻と子も住まわせておったこともしっておりますよ。また、弟の佐藤仲清殿が佐藤家荘園の田仲庄の事で、高野山ともめておった事も、よく分っております」「さらに、」重源は少し、言葉をにごす。「相国殿(平清盛)との付きあいも、よく存じ上げていますよ」西行の実家、佐藤家の荘園、田仲庄は、紀州紀ノ川北岸にあり,粉河寺と根来寺の中ほどにある。「ああ、和田の泊(現在の神戸港)も重源様の支度でございましたな。そうか。それで、重蔵殿を、、」「そうですね。すべては、平泉に這いいてからですね」 二人は、若い僧、栄西(えいさい)が中国・宋から持ち帰栽培した茶をたしなんでいる。 独特の香ばしい馥郁たる香りが、二人をゆったりと包んでいる。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」
2014.09.14
源義経黄金伝説■第13回★作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」 観客席の中央にいる源頼朝が、急に立ち上がった。「あの白拍子めが。この期に及んで、ましてや鎌倉が舞台で、この頼朝が面前で義経への恋歌を歌うとは、どういう心根だ。この頼朝を嘲笑しているとしか思われぬ」 頼朝は毒づいた。それは一つには、政子に対するある種の照れを含んでいる。「よいではございませぬか。あの静の腹のありようお気付きにありませぬか」 政子はとりなそうとした。薄笑いが浮かんでいることに、頼朝は気付かぬ。「なに、まさか義経が子を…」「さようでございます。あの舞いは恋歌ではなく、大殿さまに、我が子を守ってほしいというなぞかけでございます」「政子、おまえはなぜそれを……」 疑惑が、頼朝の心の中にじっくりと広がって行く。今、このおりに頼朝に、自分の腹の内を探らせめる訳にはいかぬ。あのたくらみが、私の命綱なのだから。政子は俯きながら黙っている。「……」「まあよい。広元をここへ」 頼朝の部下、門注所別当・大江広元が頼朝のもとにやってくる。「よいか、広元。静をお前の観察下に置け。和子が生まれ、もし男の子なら殺めよ」[では、大殿。もし、女の子ならば、生かして置いてよろしゅうございますな」「……それは、お前に任せる」 広元はちらりと政子の方を見ていた。 頼朝は広元と政子の、静をかばう態度に不審なものを感じている 政子は静を一眼見たときから、気に入っていた。その美貌からではなく、義経という愛人のために頑として情報を、源氏に渡さなかった。その見事さは、一層、政子を静を好ましく感じた。また、京の政争の中に送り込まれるべく、その許婚を殺されたばかりの、政子と頼朝の子供、大姫をも味方に取り込んでいた。義経の行方を探索する人間は、何とか手掛かりを取ろうと静の尋問を続けた。が、それは徒労に終わった。尋問した武者たちも、顔には出さなかったが、この若い白拍子静の勇気を心の中では褒めたたえていた。 観客席の中で、静の動静を悩む者が、もう一人。静の母親磯禅師(いそのぜんし)が、固唾を呑んでその舞いを見ていた。裏切られた。そういう思いが心に広がっている。愛娘と思っていたが、「あの静は、この母、禅師が苦労を無にするつもりか……」やはり、血の繋がりが深いものは…。この動乱の時期に女として生き残って来た者の思いが、頭の内を目まぐるしく動かしている。その思いは、しばらくの前のことに繋がる。禅師は、政子の方を見やった。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」
2014.09.13
源義経黄金伝説■第12回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」大江広元(おおえひろもと)は、これから奥州平泉を攻めようとする頼朝にとっては勝利を確約する、いわば勝利の女神であった。なぜなら、大江広元の曾祖父は、奥州攻略を成功させた八幡太郎(はちまんたろう)の知恵袋だった。占いの専門職。占いはこの時期の総合科学である。しかし、今、その広元は恐怖を感じて、青ざめていた。このままでは、会場の武士を味方にしてしまう。大殿はいかに、頼朝をかいま見る。政治顧問である,荒法師の異名をとる文覚(もんがく)でさえ、静の舞に内心は心動かされていた。文覚は若い頃、北面の武士の折、色恋沙汰で殺傷事件を起こしている。感情の高ぶりをおさられないのである。この感情の濃さが、いい具合に発露すると、それが、寺社の勧進(かんじん)となった。また、頼朝に対する挙兵を教示し、いわば、頼朝の教師である。頼朝とは幼き頃、朝廷で顔を見知り置いている。その後、文覚は数々の荒行をこなし今は、江ノ島で、藤原秀郷の呪殺を、頼朝から依頼され、とり込んでいる。先年、後白河法皇から許可を受け、京都から、頼朝の父、義朝の骨を発見し、クビからぶら下げ、東海道を下るという鎌倉幕府成立の知らしめる行いしながら帰ってきたばかりである。この寺は、勝長寿院・大御堂という。骨の髄から、頼朝は、平泉を恐れている。16万の軍旗が、義経という天才に率いられて鎌倉を背後から、また海から襲ってくる事。おそらく、この日本で、義経は最高の軍事指揮官であろう。それは頼朝も、いらなぶ、坂東武者もわかっている。傍らに控える大江広元も、文覚も理解しているだろう。この勝利はまさに義経のおかげである。そのため、そのおもいものである静かが、ここで、頼朝に対して恭順のいを著わすべきであった。が政子が、、意図と違う事を、わずかながら、意思の疎通がうまくいかぬ。また、最大のネ交渉者、西行(さいぎょう)法師が、この鎌倉を目指していると文覚から、聞いている。西行は、京都王朝で、始めて伊勢神宮と、東大寺の手を握らせた男。後白河法王の意図で動く男。文覚とは、北面の武士の折の同輩。そして義経とも、平泉とも、近しい。この坂東でも、西行の本家、佐藤家の威光は輝いている。東北の伝説の勇者、平将門(たいらのまさかど)を強弓で射抜いた、俵の藤太の子孫。それが西行。加えて、当代一の詩人・この文学的功名は、京都貴族の中においても光り輝いている。いわば京王朝の切札。また、平泉にとっても最強の交渉の1枚。まして、民衆の指示を受けつつある東大寺再建指導者、重源(ちょうげん)の友人。そして、その後ろには結縁衆(けちえんしゅう)。恐らくは東大寺を始めとする京宗教集団の力も。意図は何か。西行は1万の武装集団よりも怖い。頼朝はそう思った。源氏は鉱山経営と関連が深い。祖先・源満仲は、攝津多田の庄(現・兵庫県川西市)の鉱山経営の利益を得ている。能勢・川辺・豊島三郡における鉱脈を支配し、最盛期2000を越える抗を穿っていた。鉱山の警備隊として武士団を養い、鉱山経営のうまみを知った源氏は、その後、京都大江山鉱山の利権も手にした。その利権を手に京にいき貴族を籠絡する。いわば鉱山貴族である。いわゆる大江山鬼退治の伝説である。源氏は一族の血の記憶として,鉱山経営のうまみをしっている。そして、今、目指すは奥州金山である。源氏の護り神、八幡神は、産銅・産鉄神である。最終目標は奥州。また、そのためにもこの東国の独立運動はまもらねばならぬ。東国王朝は、源氏の悲願である。奥州平泉王朝を打ち倒す事もまた源氏の悲願。それぞれの思いの中、やっと頼朝は、言葉を発した。続く2010改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」
2014.09.12
源義経黄金伝説■第11回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」あの女、手に入れたい。頼朝は思った。たとえ、義経の思いものであったとしても…。 義経の女の趣味は良い。誉めてやりたいぐらいだった。頼朝は今でも心のうちは、京都人である。京都の女が好きなのであった。この田舎臭い鎌倉近辺の女どもには、あきあきしている。が、そのあたりには、異常に感の鋭い政子のために、今までにも、散々な目にあっている。いままた、頼朝はちらりと…、横目で政子の方を向く。視線がばったりあう。いかぬ。政子はその頼朝の心を見抜いているかのようだった。が、政子は、そんな頼朝の思いを知らぬげに、静の舞に見ほれている。よかった。感づかれなかったかと、頼朝は安心した。 政子の思いは別のところにあったのである。北条家・平政子は、この板東を統べる漢の妻になれたという自負もあり、肌色もよろしく、つやつやしている。新しい坂東独立国が、京都の貴族にもかなわぬ国が、我が夫、頼朝の手でなったのである。 義経のことは、気にならなかった。静という、コマを手に入れているのだから。それに静の体には。「ふふう」と、思わず政子は笑った。 大殿もそのことはご存じあるまい。せいぜい、京都から来た白拍子風情に、うつつを抜かされるがよい。私ども、関東武士。平家の北条家が、この日本を支配する手筈ですからね。あなた、大殿ではない。誇りが、政子の体と心を、一回り大きく見せている。頼朝はある種の恐れを、我が妻である政子に感じている。やがて,後に政子は、日本で始めて、女性として京都王朝と戦いの火蓋を切るのだが、その胆力は、かいま見えているのだ。 この政子と頼朝に共通している悩みと言えば、それは…愛娘大姫のことであった。舞台の上の静の元気さ、華麗さを見るたびに、比較して打ちし抱かれたようになっている大姫の心の内を思い悩む二人であった。 その問題は二人の、この鎌倉幕府成立の内にたなびく暗雲である。 大姫はうつむきかげんに静の舞いを見ている。舞台を見て嗚咽が会場のあちこちに広がっている。見事である。それが、武士達にとっての正直な感想であろう。いわば敵に囲まれながら、どうどうと義経への恋歌を歌うとは、歌姫・白拍子・女の戦士としては、静は十分にこの戦場で勝利をおさめようとしていた。続く2014改訂Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」
2014.09.11
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