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これは何の変哲もないネクタイ姿の画像ですが、これから説明するお話には下の写真に見られるような船の船体中央のマークがおおいに関係してきます。 船体中央に描かれた喫水線マーク(Primsoll Mark)の話です。このマークは、下記の写真で黒と赤の境界線やや右の標識のことです。 船舶には、これ以上貨物を積むと復原性が悪くなり、航海する上で危険な状態になるという限界がありますが、それを誰の目にも分かるように表示したのが満載喫水線標識です。船が安全な航海をするために、水面から上にどれだけ船体を出しておかなければならないか、貨物の積める限度を船の外からも容易にわかるようにしたマークです。 その喫水線マークでデザインしたネクタイが上の写真です。紺と赤の2種類を紹介しましたが、念のために紺のもので拡大してみました。
2011年08月17日
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ある建物の出入り口の軒下です。人がしょっちゅう出入りしているのですが、上のほうにこんなものが…。 むかし梅雨のころになると、町の商店の軒下などに、つばめが巣をつくっていたのをよく見ました。ヒナがかすかに顔を覗かせています。 そこへ親鳥が巣へ戻ってきて、ヒナに餌を与えると、あっという間に飛び去っていきました。一日中、そのくりかえしです。 ぼくが子どものころも、つばめはこんな風だったろうかと少し感心しながら、その建物をあとにしました。
2011年07月24日
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日曜日に来島海峡大橋を、自転車歩行者道で走ってきました。橋へ入るまでは、自転車と歩行者専用のループがあり、あまり急な坂ではなくゆったりと楽に登ってゆけます。橋の車道の脇に自転車歩行者専用の道がありました。 大橋に入るとすぐ、眼下には雄大な風景がひらけていました。 真下には渦潮が流れていました。 自転車専用の料金所です。 今治側から橋へ乗り、隣の大島までの片道960キロのコースは、往復1時間の旅でした。
2011年07月18日
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来島海峡は、潮の流れが速く瀬戸内海随一の難所といわれています。ぼくは今月に入ってから、愛媛県今治市の造船所に船の検査官として赴任しています。来島海峡の渦潮を見たくなって、よく晴れた日の夕方、近くの展望台に登ってみました。 最初に紹介したのは、来島海峡大橋です。広島県尾道市と愛媛県今治市の間の各島は、それぞれ橋で結ばれており、その様子はまさに壮大です。左手に来島が見えていました。 夕暮れの波間では、漁船がまだ操業中です。 展望台には、平山画伯の来島方面を描いた作品のレプリカが飾ってありました。 来島海峡大橋へは、徒歩でも自転車でもいかれるので、日曜日に出かけたときの様子を次回のブログで紹介します。
2011年07月17日
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親戚のかたの案内で、町に入りました。 町は壊滅状態で、大手スーパーや、病院、消防署の建物が残っているだけでした。 陸にうちあげられた船を撤去し運ぶトレーラーがゆっくり走っていました。被災跡のがれきの片づけなどは、少しずつ進んでいるという印象です。 地元のかたの話では、立派な防波堤があることと、ここまでは津波はこないだろうとかんがえ、避難が遅れたことも被害を大きくしたようです。海水をかぶった山の杉の木は、枯れ始めていました。 宿泊先の親類宅へ戻ると、やはり静かな山並みが広がっていました。 翌朝、地区公民館に牛をのせたトラックがとまっていました。村で牛の競り(せり)があったそうです。被災地の早い時期の復興を願ってやみません。
2011年05月30日
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3月11日に発生した東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県本吉郡南三陸町は、ぼくの親父の故郷ですが、先日南三陸町を訪れました。父の住む千葉県八街市をふたりで車で出発したのは、5月22日の朝。 東北道のサービスエリアで休憩しながら、現地へ到着したのは、同日の夕刻。 父の生まれた山間部の村は、まるで何事もなかったかのように穏やかな田園風景が広がっていました。 その夜は父の妹の家へ泊めてもらい、翌朝、近所を歩くと、地区公民館の広場には避難本部があり、自衛隊の応援部隊のキャンプがおかれていました。 近くの小学校の体育館は、避難所になっています。 先祖の墓参りをしたのですが、墓石が崩れ地震の影響が大きく残っていました。
2011年05月29日
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しばらくぶりに故郷の横須賀の街を歩いてみました。 通りのブロンズ像は、いかにもジャズの町を思わせます。 米軍基地の前の、ドブ板通りへはいりました。 横須賀ゆかりの方たちの手形を刻んだ彫り物が、路上に埋め込まれています。右は、原信夫。 いまでは懐かしい方たちの手形が並んでいました。 プレートが陽に光って見にくいですが、渡辺真知子もいまではもう懐かしい顔ぶれになりましたね。 幼少期を横須賀で過ごした山口百恵の手形は、とうとう見つかりませんでした。 ドブ板通りを抜けて、大通りを海側へ渡ると、横須賀の軍港が目の前に開けていました。
2011年03月24日
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インド人のムラリ氏は造船のエンジニアで、夫妻で日本に滞在しています。ムラリ夫妻とは、ぼくが名古屋、熊本の造船所に船舶塗装検査官として駐在していたときからの知り合いで、現在ホテル住まいですが、ある日昼食に招かれました。 インドの食べ物はスパイスが効いていて、辛いというイメージがあります。しかし実際に口にしたときは、そんなに辛いとは感じないのですが、後になって辛さが体中にじんわり回ってくるように感じます。インド料理は、やはり激辛です。 日本人用にスプーンを用意してくれましたが、インドでは、料理はすべて大きな皿に盛りつけ、いわゆるワンプレートにして、手で食べるようです。左側にあるふっくらとしたパンのような食べ物は、プリーといい、小麦粉を平らにしたものを油で揚げ風船のように膨らませます。中は空です。プリーは、揚げたてがとても美味しく、平たくつぶして片手に広げ、その上にのせたスパイスの効いた具をまるめて、食べます。これはなかなか美味です。ムラリ夫人は、プリーを何枚も揚げてくれました。 これは夫妻が正月の休みに、インドに帰った時にみやげに買ってきてくれた、Burfiというインドのお菓子です。何やら日本の和菓子に似ていますが、味もそっくりで日本茶とよく合っています。Burfiは、英和辞書には、「牛乳と砂糖でつくるインドの菓子」となっていました。
2011年03月08日
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半年ぶりに地元の横浜へ戻ってきたので、久しぶりにジャズのライブ演奏を聴きにでかけました。夜の8時ころに着いたのは、日吉のアイルランドパブです。 中ではジャズバンドが生演奏をやっていました。 ぼくはピザと、大好物のギネスビールを注文して、一番前の席でライブ演奏に耳を傾けていました。缶入りのギネスビールは、家でよく飲むのですが、生の1パイントは、喉ごしが最高です。 店内の様子もいかにもパブ風で、アイルランドやイギリスのパブも、こういう雰囲気なのかなと思わせます。 店を出たのは、ライブ演奏が終わるころです。外から見る店内の様子は、まだ賑やかでしたが、金曜日の夜の街を家路につきました。
2011年03月06日
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長崎県平戸市へいってきました。平戸大橋を通り、平戸島へ入りました。 町を一望する小高い山の上に平戸城が建っていますが、なかなか立派なお城です。 平戸は、1600(慶長5)年に、嵐で豊後(今の大分)に漂着した、オランダの商船に乗り込んでいた航海長のウィリアム・アダムス(後の三浦按針)というイギリス人が、晩年住んでいた港町です。1980年に公開された「Shogun」という映画で、リチャード・チェンバレンが三浦按針を演じていました。町の一角に、三浦按針の銅像が立っていました。 ぼくの生まれ育った神奈川県横須賀市の西逸見町にも、按針塚という山があり、その頂上に墓碑があります。しかし、三浦按針が亡くなったのは平戸なので、墓地は平戸にあり、按針ゆかりの地横須賀市西逸見町のものは、記念の墓標と考えられます。 平戸港を見下ろす崎方公園という高台にある、三浦按針の墓を訪れました。 お墓へは、按針坂という石畳のスロープを上ってゆくのですが、途中で町を見下ろすと、昔ながらの瓦屋根の家々が並んでいました。かつて、三浦按針もこの辺りに住んでいたのかもしれません。 その後、大きな寺院が建ち並ぶ道へ移動しました。お寺がいくつも並んで、風情があります。 途中ゆるやかな階段になった坂道を上りきると、ザビエル記念聖堂の立派な建物にたどり着きました。 鎖国の最中でも、中国やオランダとの貿易はおこなわれていたのでしょう。立派なお寺や教会が、隣り合わせに建っている様子は、当時の活発な人の往来と、貿易で栄えたこの町の活気を感じました。
2011年01月23日
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年末年始の休みに、横浜市の自宅へ帰省しました。大晦日に神奈川県横須賀市の生家に泊まったので、翌朝の初日の出を見ようと、近くの安針塚という小高い山へ登りました。この山は標高133メートルとそれほど高くはないのですが、頂上からは横須賀の軍港、房総半島、丹沢、富士山などが見渡せ、周囲はなかなかの絶景です。元日の朝、6時ちょっと過ぎに生家を出て山へ向かい、頂上へは10分ほどで着きました。日の出まで30分くらい時間があったので、顔見知りの人と新年のあいさつをしたり、遠く房総が見える日の出前の横須賀の軍港の風景を写真におさめたりしていました。 6時50分、東の方向が明るくなってくると、太陽が少しずつ上がってきました。 太陽は上がり始めると、アッという間に上昇していきます。頂上に集まった約150名の人たちの中から歓声が上がり、中には拝む人、手をたたく人さまざまです。 少しして、町内の役員の方のあいさつ、万歳三唱などがあり、その後町内の人たちが振舞ってくれたお神酒をいただきました。今年一年、健康で充実した年になるよう祈りながら山を降りました。
2011年01月01日
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先日、東京・品川のある会場でおこなった居合演武の尺八伴奏の模様です。居合には尺八の音色がよく合うのですが、特別決まった曲やメロディーはなく、居合の実演者の動きに合わせた即興演奏です。 以下は「居合演武と尺八伴奏」の動画です。 ↓http://www.youtube.com/watch?v=lLROt_MEvlE
2010年11月28日
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雄大な自然に触れたくなって、天気のいいある日曜日の午後、阿蘇の大観峰へでかけました。10月の初めの阿蘇の山は、風にゆれるススキの穂が、金色に輝いて秋を感じさせます。大観峰に着いたのは午後4時ころでしたが、日差しがとても明るく、眼下に阿蘇市の町並みが遠く広がっていました。 いろんな色の田畑が光って見え、のどかで美しい田園風景です。 大観峰をあとにしたのは、山に太陽が沈むころでした。
2010年10月17日
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その日の夕方、仕事の帰りにちょっと回り道をしてドライブしたのですが、途中、珍しい建物があったので、紹介します。10月に入ったばかりの夕方といっても、さすがに九州の日差しは明るく、辺りの田園風景は、とても明るく映っています。 山側のほうにTree Houseを見つけました。山小屋というより、まるで木の上の隠れ家みたいです。 野鳥が群れをつくって辺りを飛んでいました。 近くの農道を少し歩いて、帰りました。
2010年10月03日
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ぼくは現在、仕事で九州に滞在しています。熊本のある造船所に、船舶塗装の検査員として赴任しているのですが、仕事中に珍しい虫に出会ったので、ブログに公開します。その日、大型船の建造過程で以下のようなブロックを検査していたら、背中の模様がまるで人の顔のような虫を見つけました。 ぼくが生まれた神奈川県では、見たことのない種類だったので珍しく感じ、シャッターを切りました。じっと見つめられているように感じます。 敵が寄りつかないように、相手を威嚇でもしているのでしょうか?でも、これがもし逆の位置になっていたとしたら、やや迫力に欠けると思いました。以下、画像を逆さにしてみましたが・・・。 地元在住の仕事仲間に尋ねてみましたが、この虫の正体は不明でした。
2010年09月19日
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ぼくの趣味は尺八です。 先日(7月30日・金曜日の夜)、邦楽クインテット・プラスツーというバンドの一員として、横浜・馬車道のKing's Barというライブハウスで、箏・尺八ライブ演奏をおこないました。 その時、動画に撮った一曲をYou Tubeにアップしましたので、興味のある方はその夜の演奏を覗いてみてください。
2010年08月15日
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いよいよ出航です。レーダーに映る画面から判断すると、これからの航海は安全に違いありません。 前にも紹介しましたが、写真手前の機関長(チーフエンジニア)とラジオオフィサーです。どちらもスーダン人、もう出航だというのに、余裕の表情ですね。 さて、岸壁につながれた船は、出航を待つばかりです。 いよいよ出航です。 船は何かから解き放たれたかのように、岸壁を離れてゆきました。 これでこのシリーズ「造船の巻」は終了となります。長い間このブログを見守っていただき、たいへんありがとうございました。
2010年06月12日
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出航間際なのに、少々寄り道をしてしまいました。当日は朝のCutting Ceremony (支綱切断)の後、会場を移動し、昼少し前から船の引き渡し式パーティーがおこなわれました。 船主の代表者のあいさつの後は、昼食会です。 会場の一角には、朝Cutting Ceremony (支綱切断)で使われた斧とハンマーが置かれていました。船主はこれを持って帰国します。 一方、造船所の岸壁の船の中では、出航準備に余念がありません。ここは最上階の操舵室内です。
2010年06月05日
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今回紹介している船ではやらなかったのですが、船の建造記念にTree Planting Ceremony (植樹祭) をおこなうことがよくあります。造船所の1区画に建造記念の植樹をおこなうセレモニーです。 この船はギリシャ船だったので、船主の代表者や親族が来日して、引き渡し式をおこなった際に、植樹をおこないました。 ギリシャの船主はよくオリーブを植えるのですが、今回はザクロの木です。 これは植樹祭に使われたスコップです。 セレモニーの何日か後に脇を通りかかったら、枝が風に揺れていました。
2010年05月22日
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セレモニーの出席者たちは、新造船を見学するために乗船していきました。オフィサーや乗組員たちがデッキで出迎えています。 見学ツアーはまず、最上階のWheel House (操舵室) からです。 VIPがキャプテンの部屋でくつろいでいます。 見学者がデッキ上でにこやかに談笑しています。 見学ツアーも終わりでしょうか、みんな帰り道のようです。 船を降りるときは、キャプテンとチーフオフィサーが見送ってくれました。
2010年05月15日
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船の出航の時間が迫っているのですが、その前に解説しておきたいものがあり、番外編として紹介します。まず、Cutting Ceremony (支綱切断) の様子です。造船所のある部屋の隅にこの儀式をおこなうための練習台がありました。 紐を台座に通し、そこに斧をセットし、その斧の上をハンマーでたたきます。ある程度のコツがあるようなので、本番の前に練習しておきます。本番では、紐はピンと張られテンションがかかっているので、うまく切断されるようですが、カットする人が船主の夫人や娘さんなどの場合は切れないこともあり、その時は関係者が別の方法で、紐を離すそうです。 当日の朝おこなわれた船の引き渡しの調印式です。 岸壁の船の船体には、シャンパンのボトルがセットされています。上の方にあるのは、くす玉です。 船主の代表者が、儀式用の台の上でハンマーを振り下ろしました。 紐はうまく切断され、シャンパンが割れて、すぐ後にくす玉も割れました。 しかし、くす玉の中から出て垂れ下がった飾りでシャンパンの様子がよくわからなかったので、同日に姉妹船でおこなわれた同じようなセレモニーの中で紹介します。台に固定され、上に立っていたシャンパンボトルは、紐が切れて解放されると倒れて下のフレームに当たり、ボトルが砕けるようになっています。そして左のくす玉が割れます。 くす玉から押し出された無数の風船が、青空に舞い上がってゆきました。この様は、あたかもいままで無理に閉じ込められていたものが、色とりどりの風船となって紺碧の空に解放されていったと感じました。
2010年05月03日
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船の出航当日になりました。朝から好天に恵まれた冬の一日でした。Cutting Ceremony (支綱切断)という儀式の会場です。 船主の代表者がテーブルの上で、斧を振り下ろすと、船に直結しているロープが切れて手元から離れ、ロープの先に結ばれているシャンパンが船体に当たって割れるという仕掛けです。船主の代表者は実際にロープを切るわけではなく、斧を軽く振り下ろすと、ロープは離れてゆくようになっています。 シャンパンが割れると同時に、くす玉も割れて、中の風船も一斉に飛んでゆきます。色とりどりの無数の風船は、あっという間に上空に舞い上がっていきました。 全員が場所を移動し、今度は実際の船上でおこなったセレモニーです。 ブラスバンドの演奏もあり、雰囲気のある良いセレモニーでした。 乗船したセレモニーの参加者は、船を見学しました。船主の代表者とキャプテンが操舵室の前で記念撮影したところです。真ん中の人物が、斧で支綱切断をおこなったUAEの代表者です。ここまでが当日の午前中の出来事で、この後パーティー会場へ移動するのですが、その様子は次回にお伝えします。
2010年04月25日
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船はSea Trial(海上公試)から戻ってきて、再び造船所の岸壁に接岸しました。 出航に備えて、操舵室のレーダーのチェック点検です。 エンジンルームではコントロールルームで、スーダン人のチーフエンジニアとラジオオフィサーが機器類の点検をしています。 クルーのSmoking Roomを覗いてみました。ゆったりと、くつろげそうですね。 デッキの塗装も、きれいに仕上げが終わっています。右上の「H」のマークは、この辺りがヘリコプターの発着所になります。あと2週間もしたら、出航です。
2010年04月18日
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明日船は、Sea Trial (海上公試) に出航します。Wheel House (操舵室)の中のレーダーを再確認し、オーケーです。もちろんエンジンルーム内部の機械類も、すべてオーケーです。 居住スペースの各部屋へは、布団や毛布が運び込まれ、Sea Trial の準備が整っています。 その朝、船は神奈川の造船所の岸壁を、2泊3日のSea Trialに出航しました。東京湾を出ると、相模湾をクルーズする予定です。このトライアル航海中に、機器類、エンジン、速度など、船の運航に関する全項目をチェックします。 乗船したのは、船の監督官・検査官・キャプテン・チーフエンジニア・チーフオフィサー、そして関連のエンジニアたち、それに造船所の担当者たちです。 機械類のすべてのテストを含む海上公試が順調に終了した後の、帰りの船旅でしょうか。なお、上から撮った船の写真は、航空写真によるものでした。
2010年04月11日
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神奈川県横須賀市の三笠公園に保存されている戦艦三笠です。 海岸にコンクリートで固められ、そのまま記念館になっています。 海に浮かんでいる船ではありませんが、今でもその雄姿は見事なものです。 当時の国旗が海風にたなびいていました。 三笠は、全長122m、幅23m、記念館の入口にあった説明書きでは、こうなっています。「三笠は1904年(明治37年)2月に始まった日露戦争において、東郷大将が率いる連合艦隊の旗艦として、終始敵の集中砲火の中で奮戦し、同年8月10日の黄海海戦では露国東洋艦隊に大打撃を与え、ついに1905年(明治38年)5月27日の日本海海戦では、遠来のバルチック艦隊を全滅させる偉功をたてた日本海軍の代表的な軍艦であります。この偉業を成し遂げた日本民族の誇りと自信を新たにするとともに、その栄光を永く後世に伝えるために、そのシンボルとして、三笠は……」以下、説明は省略しますが、ちなみに入場料は、一般500円、高校生300円、中学生以下無料となっていました。たまたまサクラの季節だったので、県立塚山公園(ぼくたちは子どもの頃から安針塚と呼んでいましたが)を訪れました。この公園は、標高133mの山の上にあり、横須賀港が一望でき、また横浜や遠く房総半島も見渡せます。港には、米軍か自衛隊のものか、船が停泊していました。この船の近くに、さきほどの「三笠」が置かれている三笠公園があるはずです。 山のサクラは満開で、花見のスポットでは横須賀の米軍基地の関係者と思われる人たちが花見を楽しんでいました。 花見は日本人だけのものというイメージしかありませんでしたが、最近は違うんですね。
2010年04月04日
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Wheel House (操舵室)の中で、造船所の担当者と船のオフィサーが機械の調整をおこなっているところです。 エンジンルーム内部の機械類も、最終調整はほとんど終わりました。 左下の写真に写っているメインエンジンの調整もオーケーが出ました。メインエンジンは巨大な機械ですが、右の写真は、もっと下側から見たメインエンジンの一部です。 Wheel House (操舵室)の窓から眺めた風景がこれです。 Wheel House (操舵室)は、Accommodation (居住スペース)の最上階に位置しています。
2010年03月27日
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「造船の巻」のシリーズも16回まできましたが、今日部屋で物を整理していたら、こんな写真が見つかりましたので、番外編として紹介します。 詳細は下記です。1994年9月29日に発生した台風29号で、当時三重県津市のNKK津製作所の岸壁に係留されていた15万トンの大型貨物船(全長260メートル)2隻のロープが切れ、岸壁から流されてしまいました。2隻は嵐の中を漂流し結局、津市の御殿場海岸へ漂着しました。新造船でエンジンは動かず、乗組員も乗船していないため船のコントロールはできず、造船所としてはなす術がなかったのでしょう。 これらの写真は10月1日に撮影されたものですが、その日は土曜日だったこともあり、津署の調べでは、2~3万人の見物人が海岸へ訪れたそうです。その後、船は撤去されましたが、2隻を海岸から離礁させる作業に、数億円かかったとされています。大型貨物船が砂浜に座礁したという物珍しさもあって、見物人が殺到したのだと思われますが、そういえば当時、海岸に屋台が出たり、近所の店屋が急に忙しくなった様子を紹介したテレビのニュースを見たことを思い出しました。ともあれ、この2隻の新造船が砂浜にまっすぐ立っているということは、船底がフラット(平ら)な構造であることが判りますね。
2010年03月20日
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Accommodation (居住スペース)内部の廊下を歩いてゆくと、ある部屋の入口に、こんなプレートがありました。 スポーツジムです。部屋の中には、卓球台がありました。まだ中央のネットが張られていませんが、新品なのでとてもきれいな台です。 再びキャプテンの執務室を紹介します。左側です。右側はSecond Engineerの部屋ですが、デスクの脇にベッドルームがあります。キャプテンのプライベートルームは別室としてついています。 Accommodation (居住スペース)の脇に設置された、救命ボートです。 救命ボートは35人乗りで、Accommodation (居住スペース)の両脇についています。
2010年03月14日
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乗組員が生活する設備も少しずつ整ってきました。これは、Pantry (配膳室)です。ちょっと見えにくいですが、奥にCrew's Mess Room (乗組員用食堂)があります。 Pantryを隔ててその片側にあるOfficer's Mess Room (航海士用食堂)がこれです。キャプテン、オフィサー、エンジニアなどが利用します。 これは船の冷蔵庫で、入口が3つあり、保存のための冷蔵温度が違うため肉用、魚用、野菜用に分かれています。 冷蔵庫の内部はこんな様子です。さすがに大きいですね。 そして洗濯室です。洗濯室もオフィサー用とクルー用に分かれています。 あと3週間ほどで出航ですが、今の時点で船に赴任してきたのは、キャプテン、チーフエンジニア、チーフオフィサー、ラジオオフィサーくらいで、一般の乗組員は出航の2,3日前に到着することになっています。
2010年03月09日
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今回はエンジンルームを中心にご紹介します。エンジンルーム内部のコントロールルームです。船のチーフエンジニア(機関長)が赴任してきました。彼はスーダン人、ユーモアのあるなかなかの好人物です。 エンジンルームはかなり仕上がってきました。左は作業者が天井を塗装しているところ、右の写真はメインエンジンの一部です。 船のボイラーで、2機搭載されています。巨大です。 プロペラシャフトで、この先は海中に没しているプロペラにつながっています。 ちなみに船の人員の構成ですが、キャプテン(船長)とチーフオフィサー(一等航海士)はパキスタンから、チーフエンジニアはスーダンから、また船の交信等を担当するラジオオフィサーもスーダンから、そして船員はフィリピンからと国際色豊かです。
2010年03月06日
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進水式が終わった後、船は岸壁に係留されています。これから全体に塗装の最終段階に入り、居住区やデッキを仕上げてゆきます。 エンジンルームの内部もだいぶ出来あがってきました。ファンネルへ続くイクゾーストパイプは、機関員を高温から守るため断熱材が巻かれています。 これは船を動かすメインエンジンで、エンジンルームのほぼ真ん中に設置されています。 一方、乗組員の各部屋もだいぶ出来あがってきました。これは船長の部屋です。部屋の隅に日本人形が飾ってあるのは、いかにも日本の造船所で造った船だな、と感じさせますね。
2010年02月21日
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船底と外板の塗装は完了しました。チェーンも巻き上げられています。後はドック内に注水するのを待つばかりです。 ドック内が注水されました。 船の建造過程で様々な検査に携わった、専門の検査官、工務監督、造船所の担当者たちが、進水後の船の前に並んで記念撮影をおこなったところです。 これで進水は終わりました。あとはドックのゲートを開け、船を出すばかりです。では次回からは、操舵室やエンジンルーム内部の様子、居住スペースの内装などをご紹介する予定です。
2010年02月07日
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船体の黒の仕上げの上に、船名が描かれました。船の名前は、"AL BUHAIRA"で、これはUAE(アラブ首長国連邦)の都市名です。船主はUAEです。真船底(Flat Bottom)の様子です。ヨットやモーターボートと違い、大型船の船底は、船首(おもて)と船尾(とも)の一部を除いて真っ平です。アンカーです。鎖といっしょに搭載を待つばかりです。一方、エンジンルームの中です。大型船のエンジンルーム内部は、なかなか複雑な構造になっています。機械が搭載され、これから調整されます。
2010年02月03日
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船体のブロックは、すべて搭載が終わり、船の形を整えてきました。後は溶接作業を完了させ、仕上げの塗装をおこなうばかりです。 ハウス(居住区)の搭載も終わりました。 仕上げ塗装は、急ピッチで進んでいます。外板の最終的な仕上げ色は、上部(Topsides)が黒、下部(Vertical Bottom)がライトレッドです。 船の後部(船尾)にプロペラを取り付けました。検査官が取り付け後のプロペラの検査をおこなっています。 プロペラの検査が終わると、この足場は解体されます。
2010年01月28日
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ブロックの搭載は、着々と進んでいます。ここまでくると、もう先が見えてきました。エンジンルームの煙突の構造物です。エンジンケーシングと呼ばれるこの構造物は他の工場で作られ、船で運ばれてきました。そして大型のクレーン船でドックに運び込まれます。 同時に船の乗組員の居住スペースも、他の工場で作られ、ドック内に運ばれ、搭載を待っています。船長や乗組員の居住スペースは、居住区と呼ばれ、操舵室、乗組員の各部屋、食堂、食料の貯蔵室、洗濯室などに分かれています。この居住スペースが搭載されると、いかにも「船だなあ」という印象を与えます。
2010年01月24日
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ブロックとブロックのつなぎ目です。ここを溶接してブロック同士をつなぎ合わせてゆきます。この辺りは、溶接が終わったところです。溶接作業の様子はこんな風です。 この段階では、全工程の約半分が終わった状態です。
2010年01月19日
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各ブロックを順番に積み上げてゆく作業です。ドックの中に並べられた、盤木と呼ばれる台で、建造する船を支えます。盤木は、下部はコンクリート、上部は樫や米松などの木製です。 ブロックを大型クレーンでドック内の所定の位置に搭載し、船の下部構造から順番にブロックを積み上げてゆきます。 これから、各ブロックをつなげてゆく作業がありますが、約2カ月後には進水です。
2010年01月16日
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仕上がりのイメージを確認するために、完成後の船の写真が以下です。では、実際の工程です。前回のページで説明した切断後の鉄板を組み立て、船の各パートをブロック毎に作っていきます。各ブロックは錆や油などの汚れを落とし、工場内で塗装後外に運びます。次回はブロックを積み上げてゆく作業に入っていきます
2010年01月10日
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1枚の鉄板から、建造に必要な材料を切り抜いてゆく作業です。NC切断機という機械で、部材ごとに細かく切断してゆきます。切断機のコントロール機能に、設計データを入れて機械をスタート。そしてデータに組み込まれた寸法通りにプラズマ照射で各材料を切断してゆきます。これらの作業は自動で進められます。機械でできないところは、作業者が手作業で切断します。切断の終わった後の、鉄板です。 こうして着々と船の建造工程が進められてゆきます。
2010年01月07日
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船の部材の加工に必要な、木製の型枠です。この型枠で船の曲がりの部分を整えます。前回でも紹介しましたが、型枠にそってプレスをおこない、さらに細かいところは、作業者がガスバーナーで高熱を加え、精密に曲げてゆきます。元々平らな鉄板に高熱を加えて、設計図通りに曲がりをつけてゆくこの作業は、この業界では、鐃鉄(ぎょうてつ)と呼ばれています。この作業ができるようになるのに、最低5年はかかるといわれています。
2010年01月05日
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新年あけましておめでとうございますでは、「造船の巻」のその2です。 まず、船の部材を加工する工場の写真を紹介します。ここで船の建造過程のうち、基礎となる部材を製作してゆきます。鉄板をプレスし形を整えます。プレスし終わった鉄板です。次回は工程の詳細な部分に入ってゆきます。
2010年01月03日
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日本は、ほとんどの資源やエネルギーを、また大多数の食料を海外からの輸入に頼っています。 例えば、資源・エネルギーでいえば、石炭は100%、原油は99.6%、そして木材は、その80%を外国から輸入しています。一方、食料では、大豆が95%、小麦は87%、果実61%が輸入されており、魚介類や肉類も半分近くは輸入に頼っているのです。また綿花は、100%が海外から来ています。 そもそも世界中で輸送されている貨物量は、海上・航空合わせて、年間約72億トンになるそうですが、そのうち約1割は、日本が取り扱っている貨物となっています。それら貨物の輸送方法ですが、日本が輸出入している貨物量の99%は、海上輸送によるものです。いわば、島国・日本に住むわたし達の暮らしと産業は、海外との間を行き来する貨物船によって支えられているといえましょう。 これほどわたし達の生活と密着している船は、どんな風に造られているのでしょうか?多分、ヨットやモーターボートなどの小型船は、見たことがあっても、大型船の建造過程を実際に目にされた方は、ごくわずかだと思います。 そこでわたしは現在、船舶塗装検査の仕事に従事していることもあり、大型船の建造工程を写真資料を使いながら、このブログで公開しようと思いたちました。 添付写真は、某造船所で今年建造、浸水したばかりの10万総重量トンのタンカーです。サイズは、全長218メートル、幅42メートル、高さ21.5メートルです。来年はしばらくの間、この船の建造過程を解説してみたいと考えています。 これからもよろしくお願いいたします。
2009年12月31日
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そのひ ようちえんから かえるとちゅうの そうげいバスの なかでした。マコちゃんの まわりのせきには なかよしの おともだちが すわっています。みんな おしゃべりをして たのしそうです。そのとき そうげいバスは まちの なかを はしっていましたが、 きゅうに くるまの うごきが おそくなりました。そのうち どうろが じゅうたいして くるまは まったく うごかなくなって しまいました。「この先の しんごうきが こしょうしたんだ」と そうげいバスの うんてんしゅが つきそいの せんせいに いいました。「そうですか こまりましたね」じゅうたいの れつの まえのほうの しんごうきが こしょうで うごかなくなって しまったのです。そこは じゅうじろで まちで いちばん にぎやかな ところです。そこの しんごうきが こしょうして しまったのです。じゅうじろの かくほうこうから あつまった くるまが いちどに ストップして しまい、どこも まったく うごかなくなって しまいました。くるまが あちこちで クラクションを ならしています。ほこうしゃも どうしていいか わからず、こまっています。さわぎで おまわりさんが やってきました。くるまを せいりしようと していますが、あまりにも たくさんの くるまが こうさてんに あつまって しまったため みうごきが とれなくなっています。「どうしよう マコちゃん」となりのせきに すわっていた チャコちゃんが しんぱいそうに そういいました。そのすぐうしろにいた ユカちゃんも おちつかない ようすで すわっています。いえへ つくじかんは だいぶ おそくなりそうです。(このままでは いけないわ)マコちゃんは きもちを おちつけて、そっと めを つぶりました。そして あの じゅもんを いいました。「うさちゃん だいすき にんじんちゃん」「いま なにか いった、 マコちゃん?」と チャコちゃんが ふしぎそうに たずねました。「いいの、きにしないでね」と マコちゃん。すると ふしぎ。じゅうじろの しんごうきの あかりが つきました。あかと きいろと あおの ランプが じゅんばんに つくように なったのです。くるまは すこしずつ うごき はじめました。ほこうしゃも あおになると あんしんして こうさてんを わたります。マコちゃんたちの のった バスも まえに すすみます。バスのなかは あかるい こえで あふれています。マコちゃんは うれしく なってきました。(そうだ。 たぶん にんじんうさちゃんは いつも どこかで わたしを みていてくれて いるんだわ)マコちゃんは とても しあわせな きもちに なりました。バスは じゅうじろの しんごうを ゆっくり とおりすぎて、そのまま まちのなかを すすんで ゆきました。
2009年12月21日
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きょうは ようちえんが ごぜんちゅうで おわったので、マコちゃんは はやくいえへ かえってきました。ひるごはんを たべたあと、おかあさんが まちへ ようじで でかけるのに、マコちゃんは いっしょに ついてゆきました。あさから とてもてんきのよい ひでした。やわらかい ごごのひざしが とおりをあるいてゆく ふたりを てらしています。もう はるも まぢかです。ふたりは そのまちで いちばんおおきな ぎんこうへ はいっていきました。じゅんばんをまって いすに すわっていたときです。カウンターの なかのようすが おかしくなりました。カウンターの おくの かかりのじょせいが あおじろい かおで ふるえています。「おれさまは ぎんこうごうとうだ。 かねを だせ」くろふくめんをした ぎんこうごうとうが カウンターから くろい けんじゅうを じょせいに つきつけて、「このぎんこうにある かねをぜんぶ ここに もってこい。 いうことを きかなければ これで みなごろしだ」といいながら カウンターの なかの こういんたちを おどしたのです。こんどは マコちゃんたち おきゃくを ふりかえって くろびかりする ピストルを むけました。(わー、こわい!)そこにいる ひとたちは みんな おそろしさのあまり いっぽも うごけません。マコちゃんと おかあさんも じぶんたちに むけられた ピストルを みただけで こわくなり ふるえてしまいました。(でも、こんなことでは いけない)マコちゃんは ゆうきを だそうと おもいました。(なんとか しなくちゃ...)ぎんこうの かかりのひとたちは おくのほうで おかねの よういをしています。マコちゃんは そっとめを つぶりました。そして ちいさなこえで じゅもんを いいます。「うさちゃん だいすき にんじんちゃん」「なに マコ、いま ひとりごと いった?」おかあさんが ふるえるこえで そういいました。「わっ!」ぎんこうごうとうが ひとこと さけぶと、そのてから ピストルが ゆかに おちていきました。「しずかにしろ!」そこへ けいかんが なんにんか はいってきました。みんなで とりかこみ、ぎんこうごうとうを つかまえました。ぎんこうごうとうは ぜんぜん ていこう できませんでした。ぎんこうのなかは ほっとした くうきに つつまれました。マコちゃんと おかあさんも ほっとした ようすで かおを みあわせました。ほかの ひとたちも えがおを みせています。ぎんこうの かかりの ひとたちも おちつきを とりもどした ようです。「それにしても へんな ぎんこうごうとうだなあ。 ピストルを ゆかに おとしちゃう なんて…」といいながら けいかんが ぎんこうごうとうに てじょうをかけて パトカーの ほうへ つれていきました。(にんじんうさちゃん ありがとう)マコちゃんは おもわず そうつぶやきました。
2009年12月06日
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つぎのばん にんじんうさちゃんが まどから マコちゃんの へやへ やってきました。きのうのことが あったので、マコちゃんは げんきのない ようすです。「マコちゃん、きみの いいたいことは ぜんぶ わかっているよ」マコちゃんの かおをみると にんじんうさちゃんは そういいました。「きみは まちがったことに じゅもんを つかったんだよ」マコちゃんは こたえられません。「こうえんで さいしょに あったとき、ぼくは いったろう? 『やたらに じゅもんを つかってはいけないよ!』 って」「ええ、おぼえているわ」マコちゃんは げんきなく へんじをしました。そして したをむいたまま かなしそうに なみだを ながしています。にんじんうさちゃんは マコちゃんの そのようすを みていたら かわいそうに なってきました。「でも だいじょうぶだよ マコちゃん。 きみが やくそくを やぶったのは いちどだけだからね。 もう しんぱい いらないよ。 あとは ぼくが なんとかしてあげるよ」と にんじんうさちゃんは やさしく こえをかけて あげました。「じゃあ ぼくはもう かえるよ。 きみの おかあさんが へやに はいってきたら またぼくは ぬいぐるみの まねを しなければ いけないからね。 あんなに くるしいことは もうごめんだよ」にんじんうさちゃんは そういいながら マコちゃんに かためをつぶって みせると ニコッとしました。「もう かえるの、にんじんうさちゃん。 ジュースも だしてあげなくて ごめんね」マコちゃんは もう えがおになっています。「いいんだ。 おかまいなく。 じゃあね」と にんじんうさちゃんは まどから でていきました。
2009年11月23日
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きょうは ようちえんが おわったあと マコちゃんのいえへ チャコちゃんと ユカちゃんが あそびに やってきました。三にんは マコちゃんのへやで キッチンセットで あそびはじめました。さいしょは たのしかったのですが、じかんがたってくると すこし たいくつになってきました。(そうだ!)マコちゃんは ふたりをちょっと おどろかせて やろうと おもいつきました。ベッドのよこに ならべてある たくさんの ぬいぐるみをみると、いたずらを してみたくなったのです。「いま、おもしろいことを みせてあげるわ。 あの、ぬいぐるみを みていてね。 たのしいことが おきるから」マコちゃんは、ゆかの キッチンセットを のぞきこんでいた チャコちゃんと ユカちゃんに そういいました。「え、なに? なにか おもしろいことって…」ふたりは さっそく ぬいぐるみのそばへ ちかよりました。マコちゃんは そっと めをとじて じゅもんを いいました。「うさちゃん だいすき にんじんちゃん」ちいさな こえです。「え、いま なにかいった?」と チャコちゃんたちが ききました。「ううん、なんにも」でも、ぬいぐるみには なにもおきません。マコちゃんは もういちど めをとじると、「うさちゃん だいすき にんじんちゃん!」こんどは まえより おおきなこえです。でも やっぱり なにもおきません。マコちゃんの かんがえでは くまや うさぎや ひつじや キリンたち たくさんのぬいぐるみが たのしそうに へやいっぱいに おどりだす はずだったのです。チャコちゃんと ユカちゃんは なんだか がっかりした ようすです。「マコちゃん どうして...」「おもしろいことって なに?」ふたりは そういいましたが、マコちゃんには なにも こたえられません。「もう そろそろ じかんだから かえらなくちゃ」「じゃあね」と チャコちゃんと ユカちゃんは、かえって いきました。ふたりを みおくったあと、マコちゃんは げんきなく へやにとじこもって しまいました。マコちゃんは そのよる ばんごはんにでた にんじんを たべられませんでした。
2009年11月17日
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よる マコちゃんが へやにいると まどをたたく おとがしました。カーテンをあけると そとには にんじんうさちゃんが います。くらがりのなかで にんじんうさちゃんは ニコニコしながら まどのそとの バルコニーにたっていました。マコちゃんは いそいでまどを あけてあげました。「にんじんうさちゃん ひさしぶりね」「やあ、げんき?」といいながら にんじんうさちゃんは まどから マコちゃんのへやへ はいってきました。(どうやって 二かいのまどまで あがってきたのかしら?)にんじんうさちゃんは くびにネクタイをした いつものスタイルです。「さあ、ここへすわって」マコちゃんは にんじんうさちゃんを ちいさないすへ すわらせてあげました。「あ、ちょっとまっててね」マコちゃんは へやをでで かいだんをおりてゆき だれもいない キッチンへはいりました。くらいへやのすみの れいぞうこのドアを そっとあけました。なかをのぞきこむと かんジュースが二ほん はいっています。(ふふっ…)マコちゃんは ニコッとして なかから 二ほんのかんジュースを とりだしました。おとうさんは おふろに はいっています。おかあさんは べつのへやで ようじをしているので だれもきがつきません。マコちゃんは こっそりジュースを もってあがってきました。「にんじんうさちゃんは あたしのだいじな おきゃくさんだから これを のんでね」マコちゃんは かんジュースを一ぽん にんじんうさちゃんに わたしました。「やあ、ありがとう。 ぼくはのどが カラカラだったんだよ」にんじんうさちゃんは ジュースを うまそうにのみました。「きみのまいにちは ずいぶん たのしそうだね」「うん、 さいきん じぶんでも しんじられないくらい ふしぎなことがあるの。 それも にんじんうさちゃんと しりあってからよ」「そう、よかったね」「きょうもひるま ふしぎなことが あってね...」そのとき へやのドアを ノックする おとがしました。「あ、はやくかくれて」マコちゃんは にんじんうさちゃんを ベッドのよこに ならべていた ぬいぐるみのなかに いれてあげました。ひつじや くまや キリンや こねこ...。マコちゃんが いままであつめた たくさんのぬいぐるみです。そして ジュースのかんを一ぽん ベッドのしたに かくしました。「マコ、あしたのじゅんびは もういいの? たしかチャコちゃんの たんじょうびかいが あるっていってたでしょ。 もっていくものは だいじょうぶ?」「だいじょうぶよ、おかあさん。 おてがみもかいたし」「あら...、こんなぬいぐるみ まえからあった?」おかあさんが ベッドのよこの ぬいぐるみが ならべてあるところに ちかづきながら、にんじんうさちゃんを じっとみつめています。「へんねえ、これ」「ほら おかあさん まえに かってくれたじゃない。 だいぶまえだから おぼえてないんだよ」「そうかしら...」おかあさんは まだふしぎそうです。みみと からだは うすい ピンクいろ。 かおと むねと しっぽと あしのさきが しろです。 おおきな まるいめは くろく、はなは ちゃいろ。 しかも くびにはネクタイなんか しているのですから おかあさんが へんにおもうのも とうぜんです。「それにしても、なまいきそうな うさぎね。 くびにネクタイなんかして」といいながら おかあさんは へやをでていきました。「あーあ、つかれた」といいながら にんじんうさちゃんが おきあがってきました。「うまくいったね」とマコちゃん。「でも 『なまいきそうな うさぎ ね』 は ひどいね。 ぼくは いきが つまりそうだったんだよ」にんじんうさちゃんの いきは まだくるしそうです。「おーい おかあさん。 れいぞうこのなかに かんジュースがないぞう」こんどは おとうさんのこえが したから きこえてきました。おとうさんは ふろからあがったばかりなので のどがかわいて いるようです。「きょう 二ほん いれといたはずよ」とおかあさん。「さっき マコがへやで 一ぽんのんでいたから まだ一ぽんあるはずよ」それをききながら マコちゃんと にんじんうさちゃんは かおをみあわせて いたずらっぽく わらっていました。
2009年11月08日
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にちようびに なりました。とてもよい てんきです。マコちゃんは そのひ あさはやく めがさめてしまいました。きょうは マコちゃんの 五さいのたんじょうびなので おとうさんとおかあさんに プレゼントをかってもらう やくそくのひだったのです。さいきんは にんじんうさちゃんに あっていないので、ぼんやり にんじんうさちゃんのことを かんがえたり ぬいぐるみのせいりを したりしていたら あさのじかんが なんとなくすぎていきます。そのうち おとうさんとおかあさんも おきてきたようです。ちょうしょくご すこしのんびりして ひるちかくに でかけることにしました。えきから してつのでんしゃにのって デパートのある にぎやかなまちへ むかいました。にちようびなので まちにはかぞくづれが いっぱいあるいています。マコちゃんは おとうさんとおかあさんの まんなかで てをつないで そのまちでいちばん おおきなデパートへはいっていきました。いりぐちのしょうめんにある エスカレーターにのりました。あがっていくとちゅう しんしふくうりばや ふじんふくうりばが みえます。デパートのなかは とてもカラフルで どこもにぎやかです。(はやく 七かいのおもちゃうりばへ つかないかな)エスカレーターが七かいへつくと マコちゃんはおもちゃうりばへ かけていきます。「はしってはだめ あぶないでしょ」マコちゃんは ひとごみのなかを とおりぬけて おもちゃうりばのなかの キッチンセットのコーナーへ とんでいきました。「あっ! あった」マコちゃんがまえからほしかった キッチンセットが たなにかざってありました。いまつかっている おままごとセットより なかみのしゅるいがずっとおおくて ワクワクします。いろも きれい。「ちょっと たかいわね」おかあさんがいいました。でも、マコちゃんがそのセットのまえから うごかないのをみて おとうさんが ちかづいてきて、「このごろ いいこでいるから これかってあげようよ」マコちゃんは にこにこがおです。 そのあと デパートのいちばんうえのかいの レストランでしょくじをして、マコちゃんたちは かえりのでんしゃにのりました。でんしゃのなかは とてもこんでいて すわれません。つぎのえきで つえをついた おじいさんとおばあさんが のってきました。おじいさんとおばあさんは とてもつかれたようすで つりかわにつかまって やっとたっています。ふたりのまえのせきにすわっているのは まだわかいひとたちですが、しらんぷりです。(こまったなあ。そうだ、あのじゅもん...)マコちゃんは めをつぶりました。きもちを しゅうちゅうして、「うさちゃん だいすき にんじんちゃん」ちいさなこえでした。「なに、マコ いまなにかいった?」「ううん、なんにも」するとどうでしょう。さっきまで いねむりをしていた わかいおとこのひとが きゅうにたちあがり おばあさんに せきをゆずってあげました。そしてこんどは そのとなりの わかいおんなのひとが にこにこしてたちあがり おじいさんに せきをゆずったのです。でんしゃのなかは ほっとしたくうきに つつまれました。
2009年11月01日
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ふゆやすみがおわり、ようちえんが はじまりました。マコちゃんは おともだちと ようちえんの うんどうじょうに いました。おあそびの じかんでした。マコちゃんたちは ブランコにのりました。かわりばんこに なかよくあそびます。そこに いじめっこの ゴンタがやってきて、マコちゃんたちを むりやりどかすと ブランコにとびのりました。ゴンタは、みんなに あかんべをして とくいになって ブランコをこいでいます。マコちゃんは くやしくてたまりません。「うさちゃん だいすき にんじんちゃん」マコちゃんのくちから ひとりでに じゅもんがでてきました。「いま なにかいった? マコちゃん」と ユカちゃんが ふしぎそうなかおをして ききました。「ううん、べつに...」そのとき ゴンタののった ブランコは、きゅうにおおきく ゆれはじめました。まえとうしろ、こうごに いきおいよくゆれます。ゴンタは こわくなってきました。けれど、いきおいがついているので、じぶんでは とめることもおりることが できません。ブランコはこんどは すいしゃのように グルグルまわりはじめました。「だれか、たすけてえ!」ゴンタは いまにもなきだしそうなかおで ブランコにしがみついています。でも、スピードがついているので ブランコはぜんぜんとまりません。みんなは いつもゴンタにいじめられるので だれもたすけようとしません。さわぎにきがついて せんせいがやってきて、ブランコをとめようとしましたが、どうすることもできません。ゴンタはとうとう くうちゅうに ほうりだされました。ひめいをあげながら いっかいてんすると、あたまからすなばに すっぽりうまってしまいました。じぶんではぬけだせないので、てとあしをバタバタさせてもがいています。せんせいがあしをひっぱって、ゴンタをすなから だしてあげました。ゴンタは かおじゅう すなだらけにしてなきながら みんなにあやまりました。
2009年10月20日
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ばんごはんに なりました。テーブルには ごちそうが ならんでいます。めのまえのサラダには マコちゃんのだいきらいなにんじんが いっぱいはいっています。マコちゃんは じゅもんを つかってみます。「うさちゃん だいすき にんじんちゃん」ちいさなこえなので おとうさんとおかあさんには よくきこえません。「マコ、いまなにか いった?」「ううん、べつに...」ところがふしぎ...。マコちゃんの おはしは ひとりでに サラダに のびてゆきます。サラダのおさらは たちまち からっぽに なりました。「あら、マコ、きょうはいいこね。 にんじんを のこさずたべて」おかあさんに ほめられました。「よし、こんどの たんじょうびには とくべついいものを かってあげよう」おとうさんは やくそくしてくれました。「ワーイ!」マコちゃんは あたらしい キッチンセットが ほしかったのです。おたんじょうびのプレゼントは これできまりました。
2009年10月12日
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