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東寺のあと訪れたのは・・・西寺跡です。当時の都のメインストリート・朱雀大路を挟んで東寺と対峙していたのが西寺でした。netの地図が有りました。平安時代の京都の中心は今よりずっと西だったのが分かります。西の方は湿地が多かったので余り開発されず東へ東へ開けたと聞いています。・・・で、まず行ったのが・・・東寺から徒歩10分余の西寺跡です。広い敷地に小山の様です。折しも、歴史探訪グループの様な団体がいましたがそのグループが去ると無人、観光と縁のない世界です。次に向かったのが羅城門です。こちらの方は児童公園の中に、形だけ石碑が立ってるだけの更に貧弱な史跡です。・・・と言う事で、東寺のついでに二つの史跡を回って来ました。
2024.11.07
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天気は良し!! 東京への出張帰り ? の疲れも無かったので、貰った招待状を持って東寺の秋季特別公開に行って来ました。天気の良さはこの通り・・・東門より入ります。門の横の交番はさすがこんな造りでした。引き違い戸がアルミサッシだったのはちょっと興ざめですが、これは仕方無い事。紅葉と五重塔柳と五重塔名物・不二桜と五重塔です。何しろ内部や仏さんは撮影禁止なので・・・・これは金堂です。そして御影堂。金堂、講堂、宝物館で それはそれは沢山の仏像を拝観したのですが当然撮影禁止。その後、観智院へ向かいますと・・・アオサギが・・・アオサギは智積院にも良くいるのですが、真言宗の信徒と見えて東寺にも・・・(笑)これが観智院です。このお寺さんは初めての拝観でした。立派な写経の部屋や・・・庭は撮影出来たのですが・・・素晴らしい襖絵が沢山あったのに撮影禁止で残念!!このこじんまりした庭は・・・成る程 四面正面の庭でした。このあと、東寺へ来てブログに書くならばあそこも書かないと・・・と向かったのですが、明日に続きます。
2024.11.06
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今日は雨の中、岡崎の京都市美術館の、高校同窓生が出展されている絵画展に行って来ました。地下鉄東山駅から歩いて・・・疎水を渡ろうとして東を見ると・・・南禅寺方面の東山に雲がかかって幻想的な景色を醸しだしていました。この岡崎の市立美術館は・・・・ネーミングライツ制度の導入で京セラから50億円の支援を得て、今正式には・・・京都市京セラ美術館 と言います。私は大規模改修工事が完成したのちは前は通っても、中に入ったことがが無かったのです。絵画を見せて貰ったあと、館内を見学、ここからも雲がたなびく東山のこんな景色もられました。絵画展では入口で高校同窓の女性方とお会いして、暫し談笑、計5人の記念写真にも入れて貰いました。帰りは白川に沿って京阪電車・祇園四条駅まで歩きました。途中、前にも書いたと思いますがこの豪邸の塀の上の竹製防護柵には・・・・何といういう手の込んだ構造物と感心するばかり。(ピンボケになっていますが塀の下には犬矢来も見えています)白川を下がると私の好きな阿闍梨橋の光景です。しっとり雨に濡れた柳と相まって素晴らしい光景でした。ずっと前にブログに書いたと思いますがも、千日回峰を終えた阿闍梨さまがこの阿闍梨橋を渡られる場に遭遇したことがありました。橋のたもとに沢山の人が地面に座っているので何があるのか訊いてみると、阿闍梨様に頭を撫でたもらう為と聞いて、私も右へ倣えで頭を撫でて貰ったことがありました。
2024.11.02
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ブロともさんから、「藤袴にアサギマダラが来てますよ」と教えて貰いました。そうかそんな季節だったのかと、早速下御霊神社や革堂(こうどう) 周辺で行われる「藤袴祭」を調べると・・・なんと10/11~14の開催でもう済んでいたのです。一時は諦めたのですが、祭は終わっているけど藤袴やアサギマダラは見られないかと今日(10/21) 行って来ました。京阪電車の神宮丸太町駅で下車、丸太町通りを鴨川を渡り、御所のある寺町通で左折すると直ぐ下御霊神社です。入口から境内まで鉢植えの藤袴が並んでいるのですが・・・これなんか奇麗な方で既に盛りを過ぎた花が多く、境内を探し回ったのですが・・・こんな蝶が藤袴に止まっていましたが目指す? アサギマダラはいませでしたここに居なければ・・・・と直ぐ下(しも) の西国19番札所の革堂(こうどう)へ・・・・革堂の方が藤袴の鉢は多かったのですが・・・ここでも盛りを過ぎて茶色系に変色した藤袴も多く・・・こんな蝶はいましたが、ここでもアサギマダラを見ることが出来ませんでした。今年のアサギマダラは諦めて寺町通りを下がって行くと・・・蕎麦屋さんの店先にも・・・綺麗な町家の格子にも時代祭のポスターが・・・そうか、明日は時代祭だったのです。帰って、中学同窓の女性に下御霊神社、革堂へアサキマダラを見に行ったけど見られなかった・・・とラインすると・・・何んと、藤袴祭初日の10/11に同窓生の女性数人で見に行かれたのでした。その時は元気のないアサギマダラが居たと写真を送って下さいました。これです。・・・・と言う事で今年は現物のアサギマダラは見ることは出来ませんでしたが、この写真やブロともさんのブログで沢山のアサギマダラを見させて貰いました。来年はもっと早く行かないと・・・・!!
2024.10.21
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最初に・・・昨日書きましたゴルフ場の名前を書いていませんでした。「奈良高原カントリークラブ」でした。さて、本論ですが、前に書きましたこの本を読んでいると・・・淀君が秀頼を産んだ「淀城」は現在石垣が残っているいわゆる淀城でなく別の場所にあった、現存する淀城と区別する為「淀古城址」言われているという記述が有ったのです。そんなこと知らずに毎日の様に京阪電車の窓から見ている「淀城」で淀君が秀頼を産んだと思っていたのに・・・です。これは「淀古城址」を探索しなければ・・・と京阪電車を淀駅で途中下車して行って来ました。行った順は逆なのですが、話を進め易いようにあとで行った淀城のことから・・・京阪電車の高架から間近に見えるのがこの石垣です。丁度特急電車が走り過ぎましたが、いつもこの電車から見ている身近な淀城なのです。今は四面陸ですが、当時はこんな水の中に有ったとは・・・この石垣を残している現存の淀城は江戸時代に築城されたものだったのです。・・・で、冒頭に書きました淀君が住んでいた時の「淀城址」に向かいました。京阪電車の駅から直ぐの納所(のうそ) の交差点からこの様に古い町並みが残る千本通りを北上・・・(駅から10分ほど)目指す妙教寺が有りました。思ったより小さいお寺でした。この辺りがいわゆる「淀古城」のあった辺りとか。この立札を読んで、更に近づくと・・・ところが・・・・ギャフン!!! 中に入れないので門から中を覗くと・・・鐘楼の右に立っている石柱、何か彫ってあるのですが、肉銀では見えません。カメラの望遠をいっぱいまでアップしますと・・・淀古城址、戊辰役砲弾貫通跡云々と書かれています。この辺りに秀吉の時代に淀君が住むお城があり、明治維新の戊辰戦争の時は幕府軍と明治新政府軍が戦った激戦地です。砲弾貫通跡と言うのはこのお寺にその時砲弾が貫通した箇所が残っているのでしょう。よく似た話で、同時期の鳥羽伏見の戦いの時の刀傷や弾痕が京阪電車伏見桃山駅近くの料亭魚三楼の格子に残っています。話が逸れましたが・・・門の外から覗いただけで諦めて、キビスを返すと・・・正面が桂川の堤防です。上って見ると・・・振りかえると遠く真正面が今、行って来た妙教寺桂川の向こうには先日歩いたポンポン山の山並みです(どれがポンポン山か分かりません)こんな標識も有って淀城と言うのは新も旧も攻められ難い河川に囲まれた低地にあったことが分かります。・・・・と言う事で毎日の様に見ている淀城は淀君が住んでいた淀城ではなかったと言う事を初めて知るウオーキングでした。
2024.10.20
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10/4に書きましたこの本ですが・・・詠めば読むほど目からウロコの内容が次々なのですが、その内のひとつを!!!枕草子を書いた清少納言が仕えたのは一条天皇の定子(ていし)皇后だったのですが、源氏物語を書いた紫式部が仕えたのは同じく一条天皇の彰子(しょうし)皇后 で有ったこと、そして定子皇后と彰子皇后はいとこで有ったことを知りました。 枕草子と源氏物語がそんな狭い世界で書かれていたとは夢にも思わなかったのでした。さて、ここからが本論なのですが・・・・その定子皇后の御陵がホン近くの今熊野観音の横にあって「鳥戸野陵」であると書いてあったのです。鳥戸野陵と言えば昔訳も分からず一度お参りはしたけど、それだけで、その前をしよっちゅう通りながら関心もなかった御陵だったのです。その読み方も「とりどの」と思っていたのですが、「とりべの」と言うのも初めて知ったのです。・・・・で早速その鳥戸野陵へ行って来ました。みなさんご存知の東山トレイルの泉涌寺を過ぎ、今熊野観音を過ぎて直ぐの山側です。(この写真は通り過ぎて逆から撮っています)この石碑はいつもいつも見ながら通っていたのですが、階段を登ってお参りしたのは今までたった一回だけです。階段と石畳を歩くこと3分ほどで御陵です。確かに一条天皇皇后定子 の名前が・・・・・お参りを済ませて引き返そうとすると・・・何んとこんな景色が・・・そう言えば、ネタ本の「女人京都」にも御陵から京都タワーが見えると書いてあったのです。ついでながら、一条天皇陵の所在地を調べると、嵯峨の天龍寺内に、彰子皇后陵を調べると宇治にある事が分かりました。さて、紫式部のお墓は前に数回書きましたが堀川通り北大路下ルにあるのですが・・・清少納言のお墓を調べると、何と四国は徳島の鳴門にあるとか。定子亡き後数奇な運命を辿ったようです。
2024.10.13
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まず最初に・・・・昨日書きました柿の被害ですが・・・太陽光のせいでも、高温のせいでもなく・・・・犯人は・・・・これ、触ると臭いカメムシでした。画像はnetで借りました。きのうのブログに今年大量発生してるカメムシではないかとのコメントを頂いたので調べますと、柿の被害の状態が正にカメムシの被害そのでした。吸汁摂食と言うらしく要は果汁を吸うらしいです。ただ、凹んだ中の白くなっている被害の部分を取り除けば他は食べられると言う事なので少し安心しました。調べていくと全国的にカメ大量大量発生しているらしく、わが家では何十年も柿を収穫して来ましたがこんな被害初めてのことなのです。来年のことが心配です。カメムシは見ていないのですが観察してみます。さて、タイトルに戻りまして・・・・我が隠れ家の近くはお寺さんも多いですが、実は清水焼の本場で陶器屋さんが多いのです。この家は元々陶器屋さんだったのですが・・・・家の前に置いてあるりんご箱に目をやると・・・廃業されるのか、デットストックの処分なのか・・・こんなことが書かれた紙と沢山の湯のみが置いてあったのです。自由にお持ち帰り下さいと書いてある紙が実にくたびれているのいでかなりの日数置いてある雰囲気だったのです。多分陶器の本場のご近所の方は見向きもされないのでは・・・・。手に取って見ると薄くって軽くって実に待ち易い形なのです。・・・・で、遠慮なく自由に?? 頂いて来ました。「捨てる神あれば拾う神あり」 否、「捨てる人あれば拾う人あり ?」を地で行きました。赤い方は遠慮しました(笑)
2024.10.07
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9/22のブログにこの坂本龍馬住居跡のことを書きましたが・・・(前にも書いたことありますが)三十三間堂南門の直ぐ側の塩小路通りに面したひっそりとした街にこの石碑が有ります。案内板にこの様に書かれています 。(一部を拡大して赤線で表示)これが案内板の全体です。 もし関心もって頂ければ読んで下さい。あと、中岡慎太郎と共に暗殺された河原町四条上る西側近江家跡にも暗殺場所を示す石碑がありますし、霊山護國神社内にお墓が、そして円山公園の東の端にこんな大きな銅像も有ります。この画像はネットで借りました。
2024.10.01
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何回も書いてきました三十三間堂前の赤十字社の建物跡このホテル計画ですが・・・昨年5/28にはこんな記事を書いていました。この後、建物全体が工事用の白い壁で囲われていたのですが、ちょっと前いよいよ取り壊し工事が始まり、今度はビル全体がシートで覆われて全く進捗状況が分からなかったのです。ところが・・・既に潰した上の方からシートが外されて取り壊し中の中が見えて来て、今日はこんなの状態まで進んでいました。独立したホテルと思っていましたが、隣のハイアットリージェンシーホテルの別館に成るらしいのですが場所柄今までより低く、今までは方形のコンクリート剥き出しの建物でしたが、新しいホテルは屋根のある和風の建物になるのは間違いないです。これも何回も書いていますが京都女子大の校舎建て替えもこの様に屋根がある低い建物に変わって・・・今までは方形の高い建物で見えなかった清水山が「いらか越しに」見える様になったのですから、低く、和風化される建て替えは大賛成です。普通建て替えと言えば、高くなって景観を壊すことが多いと思いますが、さすが景観保護が徹底される風致地区指定効果だと思います。・・・・と言う事でまだ先のことですが冒頭のホテルの外観が出来て来るのが楽しみです。
2024.09.26
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昨日丸善へ行くために京阪電車三条駅で地上に上がったのですが、そうだ今までに高山彦九郎について書いたことが無かったはずと川端通りを渡って取材??? して来ました。高山彦九郎についてはここに詳しく書かれています。この石碑の左後方に櫓の様なものが写っています。ここからではアングルが悪いので・・・・・鴨川を渡ってから撮り直しました。元有済小学校の文化遺産・太鼓望楼です。詳しくはここをそして裏通りを丸善向かい高瀬川を渡ろうとすると・・・・何??? 龍馬通り???龍馬通りと言えば伏見の寺田屋の近くなのですが・・・こんな所にも!!! そう名づけられた訳は下の写真で分かるのですが いつから名付けられたかは???です。暗殺されそうになった寺田屋の近くに龍馬通り、元住んでいたというここも龍馬通りなら、中岡慎太郎と共に暗殺された近江屋のある河原町通りも差し詰め 龍馬通り??
2024.09.22
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京都博物館の案内板が変わりました、次の催しは「浄土宗・法然」です。真言宗の空海、浄土真宗の親鸞は何かと身近な存在ですが、法然は?? と言うと私にとってはちょっと距離? のある存在です。そんなことを思いながら、少し歩を進めて三十三間堂の土塀の前を通り、天台宗の最澄は更に距離が有るか・・・なんて思いながら今度聴きに行く予定している大文字についての文化講座の案内ポスターを何気見ると・・・あれ??!! 22日だったはずなのに・・・・????良く見ると日にちの29が押しピンでとめてあるのです。元はこの様に22日だったのに29日と変更されて・・・よくもまあ、何気なく見たもの!! 私の手帳の予定表は22日。これを見なければ22日に行っていたところでした。それにしても横にでも変更したことぐらい書くきでは!! と思ったのでした。この分だと日程変更を知らずに22日行く人があるのでは??
2024.09.15
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当地・枚方の京阪電車・枚方市駅の駅周辺の大規模な再開発事業の一環で元は駅裏の遊休地にこの高層ビル2棟が建ちました。何しろ駅周辺には高層ビルが一棟も無かった駅なのです。商業スペースは「枚方実モール」と名付けられ、事務所、マンション、ホテルとの複合ビルです。詳しくはここを。右のビル、最上階にカンデオホテルの名前も・・・このビルがオープンしたのが 9/6なので・・・・早速探索を兼ねて、9/7に書きましたこの本を探しに行って来ました。枚方モールは予想通り? 若者を狙った店ばかり。予想通り本屋は無く・・・予定通り? 向かいのこのビルの 蔦屋 (TSUTAYA ) に行ったのですが・・・(蔦屋は枚方発祥です)大きな店なのに目的の本は店員に端末で調べて貰っても入荷していないとのこと。やはり京都の本は京都でないと無いようです。アマゾンや楽天にはジャンジャン出ているのですが・・・。
2024.09.09
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知られているようで余り知らていない(と思う) 耳塚ですが・・・・今日ま8の付く日、豊国神社の何でも市の日でした。前回は夏の掛け軸探しに行って空振りに終わったことを書きました。もう夏も終わるので夏のモノを狙うというより、もし安くて良いものが有れば・・・と京阪電車七条駅から豊国神社に向かいました。正面に豊国神社が見える手前、右側にあるのが・・・「耳塚」なのですが、ふと、良く前を通りながら今までブログに書いたことあったかなぁ??? でした。豊臣秀吉の歴史的史跡なのですが、国際的に問題がある?? 史跡なので書くのを憚っていたのだと思います。なので今回もこの史跡詳しいことは別に譲るとして・・・ 詳しくはここを耳塚で検索した貰えば他にも沢山出て来ます。今日は角度を変えて、周りを囲む石の柵に彫られた名前のことなのですが・・・中村雁次郎に・・・片岡仁左衛門市川羽左衛門市川猿之助中村扇雀に林長三郎 林長二郎と言えば長谷川一夫の元の芸名ですが「長三郎」は知らなかったので検索しますと、長谷川一夫の義理のお父さんで、林成年、長谷川季子のおじいさんでした。この秀吉の遺跡の耳塚は確か明治時代に整備された筈なのですが、何故当時の歌舞伎の俳優ばかりが寄進しているのか? これは私も知りません。さて、目指した豊国さんの「なんでも市」なのですが・・・この暑さのせいか、出店数が極端に少なく・・・掛け軸を置いている店は一軒もありませんでしたが、相変わらず外人さんが目立ちました。この白髪の女性も・・・右端の女性も・・・・・・と言う事で今日も空振りに終わりましたが、それもまた良し でした。
2024.09.08
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今日は老若男女、否、老老男女各2名でのカニパーティでした。会場のマンションに向かって歩いていて、ふと枳殻邸(きこくてい) のカラタチ(枳殻) や如何に?? と、ほんの少し寄り道して来ました。正式には渉成園と言うらしい ? のですが、私にはここは枳殻邸なのです。三十三間堂にカラタチの生垣が有った時は身近に見られたので、わざわざ見に行かなくても良かったのですが・・・・余りにトゲが危険だからだと思うのですが、他の木iに植え替えられ今は見られなくなったことは前に書きました。行ってみると、今年は実に豊作? でいっぱい生っているのです。こんなに沢山生っているのは初めて見た気がします。冒頭に書きました余りに危険なトゲです。鉄条網より遥かに危険です。タイトルに思わせぶりなことを書きましたのは・・・童謡の「カラタチの花」の歌詞に春の白い花と秋の金色に色づいた(金の玉)、そしてトゲは出て来ますが写真の様な青い実は全く触れられないので書いてみました。「からたちの花」 歌詞
2024.09.06
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京の夏の旅で今年取り上げられた大雲院に行って報告しますと予告しながら・・・8/13のブログで書きました様に内部も眺望も撮影禁止で詳しく報告出来ず忸怩たる思いをしていたのですが・・・・観られた方もおられると思いますがBSでその内部も眺望も放送されました。そこでそのテレビ画面を撮りました。遅くなり、しかもテレビの画面では有りますが報告させて頂きます。拝観料を払ってまず通されたのが周りにこんな絵がある本堂でした。ここで説明を受けました。ご本尊の阿弥陀如来像です。この絵の中の・・・釈迦如来像は・・・・何とも言えないも今まで見た事のないお釈迦様でした。同じく普賢菩薩も文殊菩薩も・・・・何か違和感を感じざるを得ませんでした。そして祇園閣ですが…入り口を入りますと・・・・、展望できる最高層まで、階段横の壁も天井も全面壁画なのです。バチあたりでは有りますが、何かお寺へ来たと言う気がしませんでした。そして最上階へ・・・市内を見渡す眺望はまず東の大谷祖廟方向南東方向南方向 八坂の五重の塔が見えます。北方向 真ん中に見えるのは長楽館だと思います。そして遠く比叡山も・・・ ・・・・と言うのが、拝観料も払いながら報告出来なかった大雲院でございました(笑)
2024.08.24
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8/8の豊国神社の なんでも市に行くのに七條通りからはいつも通る道幅の広い大和大路を通らず1本西の大黒町通りを上がりました。道幅の狭い古い町並みが残る街です。ひと昔前には酒屋さんの小屋根に良く上がっていたこの木製の看板、最近は余り見かけなくなりましたここでは健在でした。看板が減ったと言うより酒屋さん自体が減って来たとも言えますが・・・そして窓の銅製(?)ハイプは町家そのものの名残り。この景色は碁盤の目の中の街では今でもどこでも見られる風景です。そしてこのお店ですが・・・何屋さんかはぶら下がっているモノで分かりますが・・・・看板を見てもなかなか分からないのでは???「京都じゅず」即ち珠数屋さんです。ところで、「じゅず」は珠数とも数珠とも書きますが・・・・大勢は数珠の様ですが、私は漢字の読みからして 珠数を使っていますが皆さんはどちらを書かれていますか??仁丹の住所表示板の中で特に珍しいこの表示板を見つけました。前にも三十三間堂の西側、大和大路に面した家で見つけたことを書きましたが2枚目発見です。何が珍しいかと言いますと、この表示板が取り付けてある町は、下京区ではなく間違いなく東山区なのです。下京区から分区して東山区が誕生したのは昭和4年です。その東山区が誕生する前のモノですから約100年の間風雨にさらされて来たモノです。琺瑯って凄いです。それと同時に京都人の古いモノを大事にする気風は今では間違った区の表示に勝る事の証明でもあります。観光客がこの辺りを間違って下京区と思っても・・・「知りませんそんなこと、昔(95年前までは) は下京区だったのです! !」 と言う声が聞こえてきそうです。
2024.08.11
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8の付く日は豊国神社の「なんでも市」の日です。この季節の良い掛け軸が欲しいと思っていたので、安くて良いものが有れば・・・・と今日は足を延ばして豊国神社へ寄ることにしました。京阪電車七條駅から耳塚の前を通り・・・・・豊国神社に近づきますと、石段下に2台の人力車が・・・近付きますと・・・客は外国人!!何と何と、車夫は英語で長々と観光案内をしているのです。7片言の簡単なモノでなく、詳しくしゃべっているのが客の反応で良く分かりました。観光地の知識と語学力・・・・大したものと横で聴いていて、こちらはしゃべれないのでカメラとゼスチャーで写真を撮りたいと言うと快くOK!!外人さんは気持ちがいいです。私に英会話の能力が有れば・・・・と思うばかりでした。説明のあとは人力車の向きを変えて豊国神社の鳥居と石段をバックに車夫がスマホで記念写真・・・そして次は何処へ???正面通りを西に向かったので三十三間堂ではないし・・・・枳殻邸かな?? それとも東本願寺かな??・・・・で、石段を上がると・・・この暑さのせいもあるのが出店も客も少なかったのです。ここでも外国人ばかり・・・この人も・・・この二人も・・・・・・・順番に見て行くと・・・掛け軸を置いているのは1店だけでした。10本程を巻いて置いているので、「この季節に良い絵のもの有りますか??」と訊くと、「何があるのか分からいのです」そこで店主(女性) と私の二人で順番に巻き戻して見て行ったのですが、この季節のものは勿論、季節に関係ないとしても良いものが無かったので「ごめんね」と言うと、「いえいえこれからはせめて巻いたままで何の絵か分かるようにしますわ」・・・と言う事で何も買わずに退散しました。話は変わりますが、今日の京都新聞の記事です。よく訪れてブログに書いていた陶器市ですが、こんなに長く行われていなかったとは・・・・。
2024.08.08
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今日は朝から町家保全のことで京都市役所へ・・・その帰りに河原町三条の景色が一変しつつあるところを撮って来ました。河原町三条と言えば・・・東郷青児の大壁画がある朝日会館が子供の頃からのランドマークでした。その朝日会館が取り壊しされているのです。それが手前です。その隣(向こう側) は元々ロイヤルホテルだったのですが、これも立て直されてヒルトンホテルに。まだ営業は始まっていなくて9月オープンで、客室が300余の大きなホテルです。聞くところでは阪急電車が河原町まで延伸される前、大宮駅がターミナルだったころからの大宮駅ビルも建て替えらているとか・・・古いランドマークは次々と消えて行きます。そう言えば前に書きましたが木屋町四条のペコちゃんの不二家の建物も今はドラッグストアのマツモトキヨシです。
2024.07.16
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昨6/11はビール愛好家? 老若男女、否老々男女8人でビールの宴でした。京阪電車の祇園四条駅で地上に上がり鴨川を渡っていますとこんな景色が・・・床が並ぶ右岸に沿って登って行く舟 が・・・法被を着て笠を被って・・・川の中央に向かって進行方向を変え・・・真ん中で止まりました。釣りでもするのか?? こんな光景初めて見ました。木屋町まで行って前にオハグロトンボを見たここ(四条通り)へ行ったのですが空振りでした。帰りは昨日記事に書いた水無月を買いに木屋町を五条まで歩いたのですが・・・高瀬川も四条より上(かみ) と下(しも)では趣きがころっとと変わります。これは・・・川へ下りる階段です。下りるのにはバランス感覚と足の筋肉が要るのでしょうね。ここは木製の手摺であれば・・・こんな障害物? 洪水の心配のない人工の運河ならではの景色です。五条に近づきますと更に木が茂って。また趣きが変わりました。五条通りより下(しも) になるとも今度は庶民の街の様相に変わりますが、ここで高瀬川別れました。
2024.06.12
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妙法院の向かいに超高級ホテルのシックスセンシスホテルが4月に開業したことは書きました。そして200mも離れていない三十三間堂の真向いの日本赤十字社のビルの跡地にホテル計画が公示されたことも書いてきましたが・・・昨日、前を通りますと、いよいよビルの解体工事が始まっていました。先ずは内装の解体かららしいのでまだ外からは見えません。仮設の塀に掲示されている色々の案内の中の・・・右下の小さい掲示が目に入りました。なんと、と言うか、風致地区であるので当然と言うか木を伐採することも許可を取っているのです。確かに2枚目も写真に写っているのは綺麗な枝垂れ桜で有りましたし、見たところ数本の木が生えてはいるのですが、敷地がそう広くないので植木の数もそう多くはありません。裏側に見えているこの竹や生垣は隣のハイアットホテルの敷地なので関係ありません。いずれにしろ高さ制限や外観を和風するなど風致地区ならではの厳しい規制に加えて、民間の敷地の木を切る事まで許可制になっていました。完成時には当然植栽を施すことが条件になっているのでしょう。ところで新しく建つこのホテル名・・・・何と言うのか、知って忘れたか、元々知らないのか? 4階建て53室、最高の立地・・・多分高級ホテルなのでしょう。追伸 当件調べましたら・・・隣接のハイアットホテルの「ハイアットリージェンシー京都の離れ」となるらしいです。
2024.05.28
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昨日、旧友と会うため大阪ミナミへ出ました。久しぶりの大阪を探索しようと早めに家を出て、御堂筋を淀屋橋からナンバまで、地下鉄の3駅を歩きました。淀屋橋で地上に上がりナンバへ向かってほんの少し歩くと・・・元興銀が有ったビル、元は興銀ビルと言ったのですが、合併でみずほ銀行となったのでビルの名前もみずほビルになったかと思いなずら近づくと・・・なんと、ビルの名前は興銀ビルのままでした。このビルには現役の時大口のお得意さんがテナントとして入っていたので週1~2回通っていたことがあったので思い入れのあるビルだったのです。その向かいには三和銀行の低層ビルが有ったのですが、ここは三菱UFG銀行の高層ビルに変身していました。少し歩進めると・・・こんな所に東急ホテルが!!!何ビルの後に建ったのかと思い、下を見ると、何と南御堂の字が・・・裏を見ると確かに南御堂の建物が見えました。前まで行くと・・・・何と南御堂の御堂筋に面した敷地に旧ビルに替わって下駄ばきの様なホテルが建っていたのです。更に進むと・・・今流行りのテスラのショウルームが・・・御堂筋に面した一等地です。心斎橋駅近くまで行くと、豊田ビルには美濃吉の看板が・・・何十年もまだあり続けているのを見て何かホッとしました(関係ないことですが)その1階は昔スルガ銀行だったのですが今はロレックスの店になっています。その前に行列が・・・並んでいるのは多分外国人ばかりなのでしょう。そして通りを挟んだビルに更に長い行列が・・・前まで進むと・・・私は知らないこんなブランドの店でした。円安、免税で高級品を買い漁る外国人の話は良く聞きますが、そのことを裏付ける光景を目の当たりにしました。そして心斎橋まで行くと御堂筋の車道の一部を歩道にする工事が行われていました。ナンバ駅前のローターリーが既に歩行者天国になっているので、南から北へ向かって順次工事されているのでしょう。この緑地帯の左の車道が歩道になるのでは?? と思いました。少し歩いただけでこんなに変わる大阪の街・・・の話でした。
2024.05.23
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登山用品を買いにヨドバシカメラのビルの石井スポーツへ行ったのですが、久しぶりに駅ピアノを聴きに京都駅へ足を延ばしました。今日は駅ビル西側の伊勢丹からこのスカイウオークを通って・・・ビルの東側へこの市内を見渡せるスカイウオークですが、伊勢丹から行って10階だと言うのを初めて知りました。エスカレーターで降りて行くとピアノの音が・・・そして赤い絨毯の上に置いたピアノが見えて来ました。エスカレータを下りて左へ・・・曲名は分かりませんが、プロかなと思う程の中年男性の素晴らしい演奏・・・もう少し弾きたかったようですが、次の弾き手にバトンタッチ!!!この辺の譲り合い、見ていて気持ちが良いものです。次は若い女性、身体全体を使ってジャズの素晴らしい演奏・・・演奏が済むと聴衆も大きな拍手!!! 私も・・・拍手するのも良い気持ち!! 会釈し貰って更に良い気持ち・・・ここの駅ピアノは場所が良いので最高です。
2024.05.17
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昨4/30に又々京都市役所へ。市役所へは京阪電車・三条駅から徒歩5~6分の距離です。まず三条駅の構内で目についたポスターがこれです。そして地上に上がると・・・三条大橋、欄干が新しくなって間が無いので凄く奇麗です。多分ヒノキなのでしよう。 禊 (みそそぎ) 川にはすでに「川床」が並んでいました。床開きは今日5/1からです。netで床の組み立て報道の写真を借りました。こんな風に毎年クレーンで組み立て、シーズンが終わると撤去されます。鴨川を渡り振り返ると・・・36峰が「山笑う」でした。右端が展望台のある将軍塚の筈です。アップしますと笑う様子が更に・・・・。手前の模様のある柵は車道と歩道の間に立っているモノでこうして見ると邪魔なのですが・・・と言いたいところです(これは冗談です)
2024.05.01
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今日は3/10のブログに書きましたこの講座を聴きに行って来ました。内容に入る前に・・・何回も書いて来ました妙法院の真向いに建設中だった「シックスセンシズ京都ホテル」の前を通りますと・・・もう完全に外の囲いはなく・・・中の照明もこんな状態で、開業したのか、それにしてはひっそりしているなあと思いましたので・・・ネットで調べると・・・まだ開業まで一ヶ月ありました。ところで、工事関係の機材は何も無いのでもう外装工事は完了と思うのですが・・・・・・とするとホテル名が何処にも書いていないのです。どうするのでしょうね?? 小さい表札程度のものをぶら下げるのか ? 超高級ホテルなので名前を書かないのか気になるところです。さて講座の会場はこのホテルの真向いです。案内に従って2階へ上がりますと、前述のホテルが真正面です。前に建っていたホテル東山閣の建物はもっと高くて、コンクリートのビルだったのですが、新しいホテルの建物は既に完全に風景の中に溶け込んで違和感が全くありません。まるで借景の建物の様でこれは凄いと感心して暫し見とれていました。・・・と、ここまでで書きましだ、本論の講座の事は明日に書かせて頂きます。その代わりのこんな光景も・・・あの礼儀正しい、いつも庭の掃除や草むしりをしていた修行僧がいよいよ明日卒業されるとか。
2024.03.24
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久しぶりに五花街のひとつ、宮川町を歩きました。過日、北野天満宮の観梅に行った時、花街の上七軒が先斗町と同じように無電柱化されて、実にすっきりした街並みになっているのを見たので、ひょっとして宮川町も無電柱化が行われてかなと関心を持ってのことでした。。歩いてみると・・・何故か殆どすべての電柱に大きなトランスが載っており、一時の先斗町までは行きませんが電線が縦横無尽に張り巡らされたままでした。五花街の内、祇園甲部と先斗町そして上七軒は無電柱化がなされているのにここ宮川町はまだ電柱がニョキニョキ立ち、電線が蜘蛛の巣状態のままでした。確か、祇園東は巽橋の辺りは無電柱かされていたと思いますので宮川町の遅れが気になるところです。ところで、折から京おどりが近づき、各お茶屋さんの軒先にはポスターが貼ってあるのですが・・・五花街の内、ここ宮川町だけは「をどり」で無く「おどり」なのです。因みに祇園甲部は「都をどり」 祇園東は「祇園をどり」 先斗町は「鴨川をどり」 上七軒は「北野をどり」とみんな「を」なのにここ宮川町だけが「京おどり」なのです。何故なのでしようね?? ご存知の方おられましたら教えて貰いたいです。そんな思いをしながら歩いていますと、なんとその違いを示す様に何故か祇園甲部の「都をどり」のポスターが宮川町に並べて貼ってありました。
2024.03.07
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コロナを罹患して長期にわたり休んだので間延びがしてしまいましたが北野天満宮観梅ウオークの続きです。千本釈迦堂を出て今注目の紫式部のお墓を目指したのですが、途中少し道を換え「釘抜き地蔵」に寄りました。当寺院は当ブログに数回取り上げて来ましたが、ここも「絵」になるお寺さんなので案内したかったのです。この寺院も千本釈迦堂と同様に正式な名前は憶えていません。要は「釘抜き地蔵」なのです。調べて分かりました正式には「石像寺(しゃくぞうじ) でした(笑)何しろ病や心の苦しみの象徴である「釘」を抜いて救済して下さるご利益が有るものですかから境内至る所に釘と釘抜きの絵馬? が並んでいるのが壮観です。この後、少し歩いて通ったのが「赤穂46士」の遺髪塔跡です。この寺院、今は山科に移ったらしいのですが遺髪塔の跡だけがこのように整備されています。47士の髪でなく、46士の髪と言うのは・・・うち一人寺坂吉右衛門が討ち入り後切腹していないからです。調べて見ると、元々足軽の身の吉右衛門は頼み込んで無理やり仇討ちに参加させてもらったが、身分が低いため切腹させてもらえなかったとか、内蔵助がこのことを赤穂へ伝える為に彼を走らせたとか、または切腹が嫌で逃げたとか諸説ある様です。討ち入りしたのは47士、切腹したのは46士・・・切腹しないと遺髪はありません。なのでここではこの様に46士になっているのも至極当然で有ります。そしてほんのすぐ近くにあるのが紫式部の細やかなお墓です。しかも何故か、東山区の六道さんの井戸から地獄の閻魔さんの所へ行ったり来たりしていたと言う小野篁(おののたかむら) のお墓と並んでいるのです。右が小野篁のお墓で、左が紫式部のお墓です。今まで行った時に人と遇う事も無かったのですが、さすが、大河ドラマ効果!! この日には先客? のグループが有りました。と、ここまで書いていたのですが・・・2/27の京都新聞にこんな記事が載っていました。とても読める写真ではありませんので・・・・・一部拡大します・・・・・なるほど雲林院と言うお寺の跡地だったのか!!・・・・と言う事で街中のこんなところに、何故ポツンと紫式部と小野篁のお墓が並んであるのか?? と言う長年の疑問を解明? することが出来ました。飛び飛びになって長くかかりましたが、北野天満宮ウオークの記事終わります。
2024.02.28
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何回も取り上げてきた京都女子大の校舎建て替え工事ですが、いよいよ輪郭が現れて来ました。元の潰された旧校舎は四角で高い箱型だったのですが、形を現した校舎は屋根がある低いものです。(確か3階建てで半地下で地下があります)この新しい校舎を離れて見ると・・・屋根の向こうに清水山が姿を現しました。この方向からは見えなかった清水山が見える様になったのです。・・・で、昔は見えていた山!! 正に「山還る」です。それからこれも何回も取り上げてきた妙法院の向かいのホテル建設ですが・・・南の方から見ますと・・・ここも昔は東山閣と言うかなり高い角型のビルが道路に面して建っていたのですが・・・このホテルの建物も低層化され、且つ写真の様に屋根式になったので空の見え方が随分広くなりました。・・・で、「広がった空」と言う事に・・・。それから高級ホテルであることも何回も書いて来ましたが、新聞にこの様に載っていました。1室2人で15万円から・・・と言うのは超高級とまでは行かないのかも??
2024.02.06
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今日の節分会は1/31のブログに書きました近場のこの法住寺に行って来ました。着いたのが、2時過ぎだったと思いますが、既に白い煙が見えました。境内に入ると大変な人の数、護摩焚きの近くへ行くのも一苦労でした。奥には豆まきの鬼が待機? していました。奥に進むと護摩焚きの真っ最中・・・柄杓で水を掛けて白い煙を出します。並べてある凄い数の護摩木を火の中へ投げ込みます・・・こちらの机の分を投げ込むのが済むと・・・次は反対側の机のモノも・・・沢山の山伏の般若心経の声と、ほら貝で音響的にも凄く盛り上がります。このあと舞妓さんの豆まきも有ったはずなのですが、この場を後にしました。その様子は2014年のブログに少し触れていますので見て下さい。ここです。法住寺の豆まきを見ずして帰ったのは・・・我が家ですることになっていたからです(笑)いわしを食べて、豆まきををして・・・いわしの頭を玄関に刺して鬼祓いをして・・・我が家の節分は簡単に終わりました。
2024.02.03
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昨日の続きです。愛宕(おたぎ) 念仏寺は昨日載せましたこの門をくぐり・・・・拝観料(400円) を払い、すぐのこの階段を上がります。振り返るとこんな感じです。境内は平らな土地は勿論の事、山肌など至る所に羅漢さんが居られます。このお地蔵さんと言った方が良い様な羅漢さんは1200体あるとか。荒れたお寺を復興する為に、全て一般の人が彫ったもの。依って顔がみんなユニークです。6~7年に訪れたとき、この顔は良いと写真に撮って帰り、パネルにして我が家の玄関に飾っているお地蔵さんがこれなのですが・・・記憶力が衰えた身ながら・・・ちょっと探しただけで、久しぶりの対面出来ました。前から2列目の・・・このお地蔵??さんです。6~7年の間に随分髪の毛、否、苔がむしていました。今回発見したno1の良い顔のお地蔵さんはこれでした。本堂でお参りして、嵐山に向かって引き返しますと、やはり道は閑散としていました。二尊院はパスして・・・落柿舎は門前だけの案内をして・・・嵐山に近づきますと・・・凄い人の数、殆どが外国人、しかもここは若い人が多いような気がしました。渡月橋へ向かう道もこんな感じでした。今年の干支に縁のある天龍寺もパスして・・・渡月橋まで来ますと・・・愛宕(あたご)山は薄っすら雪化粧をしていました。渡月橋を渡って阪急電車の嵐山駅に向かいも振り返りますと・・・そして、ホンの2、3分で駅に到着。本日の歩きは、昨日も載せましたが・・・これだけでした。
2024.01.28
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今日は嵯峨野を歩きたいと言う友達を案内して嵯峨野を歩いて来ました。歩いたのは下図の様に、JR嵯峨嵐山駅をスタートして赤△印の直指庵、そして黄色△印の寂庵、そして青枠で囲った愛宕(おたぎ)念仏寺でした。距離と所要時間は次の通りでした。まず最初の直指庵は前にも書きましたが、女性に人気で紅葉の頃は凄く人が多いところです。ここに置いてある想い出草と言うノートに参拝者がそれぞれの思いを綴っているのを読むのが面白いので、紅葉が無い今なら人も少ないのでゆっくり読めると思って案内したのですが・・・なんと、門が閉ざされて白い貼り紙が・・・いやはや、参りました。まさかこんなことになっていようとは!!!仕方なく引き返し・・・・次の目的地の寂聴さんの寂庵へ・・・寂聴さんが亡くなって出版された寂聴さんを取り上げた「J」(ジェイ) と言う本を読んだのですが、その本は今回一緒に行った友達から借りて読んだものだったのです。なのでその本の舞台の寂庵へ案内したのでした。勿論閉ざされて中に入れないのは承知の上の事でした。そして、次は喧騒を覚悟して愛宕(おたぎ) 念仏寺へ向かったのですが・・・・歩いている人が本当に疎らで、時々すれ違う人も全員と言って良いくらい外国人なのです。人気の化野念仏寺への入口付近でも・・・更に先へ進んでも・・・シーズンオフとは言え土曜日なのに・・・人の代わりにこんなお地蔵さんが居ましたが・・・(笑)車は通るけど人がほとんどいない道を歩いて、愛宕念仏寺に到着しました。長くなるので今日はここまでとして続きは明日にとさせてもらいます。嵯峨野の奥では極端に人が少なかったのですが、この後嵐山方面へ向かうと俄然人が増えだし、竹藪の道から渡月橋辺りは・・・外国人観光客でごった返していた事だけ先に報告しておきます。
2024.01.27
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今日は超々久しぶりに難波へ出かけました。長年勤務した心斎橋まではリタイヤ後も行くことがありますが、難波や道頓堀には絶えて久しく足入れたことが無かったのです。(和歌山方面へ行く時難波は通るのですが、地下鉄から南海電車に乗り継ぐだけで地上の繁華街へ出ることはないのです)そんなことで完全にお上りさんであり、探検に行くようなものでした、まず高島屋前はタクシー乗り場があり車がジャンジャン走っていた場所が広い歩行者天国になり・・・実にスッキリ!!! 左(向かい) の建物は・・・かなり前から丸井のビルになっていますが、私のイメージはここには南街劇場が無いと・・・・。新歌舞伎座も下は昔のデザインを踏襲していますが高層ビルに・・・その歌舞伎座も今は上六へ移転したのでこの建物の下部の部分は何になっているのか???ご存知の方おられたら教えて下さい。御堂筋を道頓堀の方へ向かいますと・・・この金龍ラーメンの看板は昔からありましたが、タコの看板は初めてみました。道頓堀のグリコの看板は時空を超えたランドマークなので何も言うこと無いですが・・・東を見ますと・・・まるで北(梅田) の観覧車を真似たように街中に観覧車が・・・その向かいのビルの屋上にはこんな人形が・・・何をもっているのでしょうね。そして、このカニは昔からありましたが、近くにあったエビが目に入らなかったので、私の見落としか、無くなったのか分かりません。そ向かいにはカールおじさんも・・・更にその向かいには・・・通天閣のビリケンさんがこんなところにまで・・・ビリケンさんの横にあるものは何かと思いましたら・・・何と串カツでした。そして、これも何かと思いましたら、多分タコ焼きなのでしょう(笑)一時は無くなりかけた「食い倒れ太郎」も健在でなにかホッと・・・。そんなことで新旧色々の大阪ならではの看板に度肝を抜かれて来ました。それと・・・大阪も外国人で満ち溢れていることを再認識した超々久しぶりの「ミナミ」歩きでした。
2024.01.24
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昨1/14は友達を案内して、この楊枝のお加持と通し矢に行って来ました。無料で1001体の千手観音像を拝観出来て、無料で楊枝のお加持を受けられて、通し矢の出場者の綺麗な着物姿を見られるのですから・・・。三十三間堂に到着しますと・・・いつもは出場者の晴れ姿で溢れる境内の北西辺りが余り人がいないのです。朝早い(10時少し前) からかな?? と思って先に1001体の仏さまの拝観と楊枝のお加持を受けるためにここから堂内へ・・・堂内は撮影禁止ですので下の写真はポスターですが、この様に高僧から頭に楊の枝で無病息災にご利益のある「法水」をかけて貰いました。掛けて貰ったのは偶々かも知れませんが、この写真の高僧でした。1001体の仏様に圧倒されて堂外へ出て・・・こんな景色を見ながら・・・正面へ行きますと・・・参加者の着物姿が増えて来ました。そうそう、通し矢なるモノが若い女性だけのモノと誤解しているいる人が居られることが分かったので・・・男性もいることの報告の為こんな写真も撮って来ました。思えば、テレビでも、新聞でも、(そして今までの私のブログででも) 晴れ着姿が絵になる若い女性ばかり取り上げて来ましたのでそんな誤解も仕方なかったかも知れません。これは帰りに七條大橋で撮った写真ですが・・・晴れ着の女性ほど目立たない装束であり、確かに数も少ないのですが、男性も参加していることを報告しておきます。お堂の正面を通り、南の方を見ると、凄い数の出場者が居るのです。受付もあって・・・・・・・ここで分かったのです。今年から受付と出場者が待機する場所が変わって・・・境内の南東隅の南門を入った辺りになっていたのでした。前には弓を撃つことが少し覗き見出来たのですが、今年のこの場所の変更でどうなったのか、出場者でも無いので、人垣をかき分け奥へ進むことが憚られたのでした。楊枝のお加持と通し矢について詳しくはここを。ついでながら前にも書きましたが・・・・次の無料公開は3月3日も春桃会 (もものほうえ) です。
2024.01.15
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何度も取り上げて来た妙法院真向いのホテル建設現場ですが・・・完成間際になって更に「ここまでやるの??!!」と言う仕上がりを見て来ました。まずはホテル計画はこの様になっています。何回も載せてきましたこの建物全体ですが・・・前にも書きました二つあるこの門の・・・屋根の構造もさることながら・・・木製の門扉に丸い金具まで付いているのです。アップしますと・・・この丸い金具を何と言うのか知らないのですが、まるでお城の門です。ここまでの拘り・・・超高級ホテル間違いなしです。一泊幾らになるのか興味津々です。それから外構のこの塀ですが、線入りです。お寺ではその線の数で、皇室との関係など格式を表していますがホテルでは単なるデザインなのでしょう。いずれにしても近所でもあり益々関心度が上がるホテルです。上述の丸い金具について調べますと下記の通りでした。この金具は乳鋲 (ちびょう) と言い・・・「門扉などに装飾を兼ねてつけられた、いぼ状の笠のついた金具」と書かれていましたが「乳鋲」と言うなら何の説明も要らないと思いました(笑)
2023.12.20
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昨日の続き哲学の道からスタートです。春の桜、新緑、紅葉も終わり殺風景な哲学の道は至る所で南天で色付けされていました。かなり長い哲学の道、人は疎らでムードが良かったです。次は哲学の道から少し外れて、私のお薦め「法然院」へ茅葺の門をくぐると・・・盛砂の白砂壇(びゃくさだん)が迎えてくれます。白砂壇についてはnetでこの様に書かれています。「白砂壇は水を表しており、2つの間を通ると身を清めることができることを意味しています。砂壇上に施されている紋様は季節ごとに変わります」庭園から振り返ると竹の囲いと赤い花と白砂壇と緑の苔と・・・庭からの眺めは・・・正面は今から向かう真如堂のある吉田山、後方に愛宕山です。さて、帰ろうとするとこの景色・・・絵になる光景です。そしても程なく銀閣寺。ここも人は少なくしっとりとしてしていました。少し歩いて、吉田山に登り出し、振り返ると・・・この前、茂庵から真如堂へ向かった時、見ていたこの場所で弁当タイムを。殆ど人も通らない都会の中のオアシスと言うところです。そのあと、今年二度目の真如堂へ・・・紅葉は影も形もなく、人も疎ら、静かな「観光地」です。紅葉の真如堂はここを前回と同じ山を抜けて金戒光明寺へ・・・赤い矢印が・・・これ・・・前回にはアフロ地蔵なんて失礼なこと書きましたが「語りだす奈良」の本を読んで正式には五劫思惟阿弥陀如来(ごこうしゆいあみだにょらい) と言うのを教えて貰ったばかり。アフロの訳が分かったので、改めて良くお参りさせて貰いました。五劫思惟阿弥陀如来の名前の由来はここをその近くにあつたこの仏さんは五劫の長さの思惟はされていないようで髪の毛が短いです(笑)・・・と言う事でここから京阪神宮丸太町まで歩いてこの日のウオーキングを終わりました。
2023.12.18
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今日は友人3人でウオーキングの日でした。何処を歩くか?? 久しぶりに哲学の道を歩きたいと言う希望があったので、哲学の道を含む、一筆書きで観光地の再発見ウオークで下図のルートを歩きました。青丸がスタート地点の地下鉄む・蹴上駅。赤丸がゴールの京阪電車・神宮丸太町駅です。食事も含む所要時間と歩いた距離は下記の通りでした。今から書きます場所は、皆さん良くご存知の観光地です。真新しいことも無いので過去に行かれた思い出と結びつけて見て下さい。さて、スタートは地下鉄・蹴上(けあげ) 駅でした。地上に上がり、インクラインの「ねじりマンポ」のトンネルをくぐり・・・ねじりマンポについて詳しくはここを何有荘等の豪邸街を通り・・・・何有荘について詳しくはここを。東照宮、金地院の前を通り・・・南禅寺へ紅葉の季節も終わり、人はそう多くなく・・・水路閣まで足を延ばし・・・哲学の道へ・・・今日は寒くて天気が良かったので愛宕山がこの様にクッキリ見えました。比叡山も見る方向により全く形が変わりますが、愛宕山も市内から見える尖った山と互い平らな山にコブがある様に見えます。今日歩いたコースでは殆ど外国人を見ない様に思えました。そして紅葉の季節も終わっているので観光客も少なく、特に哲学の道は疎らな人でした。このあと法然院、銀閣寺へ向かって哲学の道を行くのですが、明日に続きます。
2023.12.17
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昨日のブログに24日に撮ったこの写真を載せて「間もなく、まねきの上がったことがテレビや新聞のニュースで報道されることでしょう」・・・と書いたばかりですが・・・早速、今日27日の京都新聞にこの様に報道されていました。ついでながらこんな記事も・・・繁華街のど真ん中、木屋町に面した立誠小学校跡がホテルが・・・京都では廃校になった学校が色々の用途に使われています。清水寺近くの清水小学校跡もその素晴らしい校舎を活用してホテルに変身していますが、この立誠小学校もまた・・・・。
2023.11.27
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久しぶり?、酷い腰痛を発症しました。 別に何も重たいモノを持ったり、長時間変な姿勢でいた訳でもないのに・・・整形外科でレントゲンを撮っても骨には問題なく、ギックリ腰の様で立ち居振る舞いすべてに酷い苦痛で、家の中での歩行に登山用のストックを使っていましたが・・・痛み止めの薬とコルセットで随分ましになりましたが、変な姿勢でしか歩けません。そんなことで更新を休んでいましたので3日程前の話なのですが・・・・・三十三間堂のトイレを利用しようと入口に立つとトイレマークが京都らしく和風絵を描いたタイル製なのですが・・・あれ!! 鶴ではなく、松竹梅 ! ! ! 前に博物館西の大仏前交番横のトイレで初めて見たタイル製のものは確か鶴の絵だった筈・・・と、わざわざ引き返して見に行きますと・・・・私の記憶通り・・・鶴でした。こんなタイル製マークが2種類あるとは!!! ひょっとするともっと種類があるのかも???・・・とnetを駆使して調べました。結果は単なるトイレマークなのに、あるある・・・・色々ある事は分かったのですが・・・ただ上に載せたようなタイル製のものは探し当てることが出来ませんでした。ひょっとすると、京都独特のものかも知れません。ところで11/11のブログで外国人観光客に占領? された博物館前のバス停の様子の写真を載せましたが、又同じような光景が繰り広げられていました。向かいの三十三間堂前のバス停でも・・・。前にも書きましたがコロナ前は団体の観光客は中国人などアジア系の観光客に限られていましたが、今はこの様に白色系の団体観光客が凄く目立ちます。これも円安効果なのでしようか??
2023.11.16
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昨日は完工間近なホテルの実に立派な門の事を書きましたが・・・・その足で女坂を登っていますと、そこにも新しい門が出現していました。これが新しく出来た門です。これでも正門です。但し仮設の門ですが・・・(笑)前にも書きましたが現在先行して校舎建て替え中の大学の横で始まった中・高等学校の校舎建て替え工事の為に作られた門です。ゲートの中を覗きますと・・・手前の運動場仮設校舎を建ててから奥に聳える? 既存の校舎を潰すのでしょう。さて、ここからが本論ですが・・・既存の校舎が4階建てなのに対し、新しく建つ校舎は3階建てです。( 昨日書きました建設中のホテルも元は5階建のホテルを潰して4階建てになります )しかも、新しく掲示された新しい校舎のパースがこれなのです。昨日書きましたホテルも鉄筋コンクリート造り丸出しだった建物から和風建築に代わりますか゛、ここでもこんな和風様式が採用されるので、高さが低くなるだけでなく随分景色に溶けこんだ景観を作りだしてくれるのでしよう。但し完工が赤線で示した2028年とは随分先の事ではありますが・・・。因みに既に何回も書いていますが、大学の既に竣工済の校舎はこんな感じですので・・・少し色など違いますが・・・新しく建設される中・高等学校はこの大学の校舎と統一されたデザインが採用されたようです。
2023.11.10
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昨日の稲荷山制覇?の余談ですが!稲荷山から東山トレイルを歩きトレイルを外れる分岐点(下の地図の赤丸印)で、ひと7休みしていると・・・・見るからに買い物帰りと思えるレジ袋など持った知らないご婦人が気さくに話しかけて来たのです。多分リュックを背負って疲れた顔した3人の老人を元気付けようと思ってくれたのだと思うのですが!どこから来たのかとの問に対し、「3人共今はよそ者ですが全員元はこの辺りの住人だったのです」との話したことから・・・「3人とも(近くの)〇〇中学卒です」と言うと、そのご婦人も「私も○○中学卒です」と話が弾み、「私の時は1学年15クラスあった」と言われるので・・・・「私らの時は12クラスでした。15クラスもあったと言う事は奥さんは団塊の世代ですね」と訊ねると「ハイ昭和22年生まれです」「そうですか、私らは昭和○○年なんです」と言うと・・・「それなら私の主人と一緒です」「えっ!!! なら、ご主人と同学年、知っているかも?? お名前何とおっしゃります?」と訊ねると・・・「△△です」とおっしゃるのです。その姓を聞いて3人が3人とも、「え~」と声を発しました。ちょっと変わった名前なので直ぐ分かったのです。そのご主人は双子なので。我々は姓で呼ばず「〇ーやん」「△∇ーやん」と呼んでいた小学校も中学も、高校も同窓の正真正銘の同窓生だったのです。その同級生の奥さんと分かったご婦人から3人の名前を訊かれたので各々名乗って、「ご主人によろしく伝えて下さい。ご主人はどうされていますか??」と言うと「多分家で昼寝しているでしょ!!」・・・・と言うような会話をして別れたのでした。当ブログを見て貰っている、小、中、高のどこかで私と同窓生の方はこのご婦人が誰の奥さんだったのか、多分推測が付くと思います。キーワードは双子、〇ーやんと言う通称です。〇〇さん又の名は〇ーやんが元気であると言う事が分かりましたょ。
2023.11.06
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今日三十三間堂の横を通りますと・・・いつもの仏教文化講座の案内が目に入りました。今回は・・・コロナ長らく中止されていたものが再開されてまだ数回かと思いますが、今回のテーマは「文化財を護る仕事」ー紙の文化財を中心にーそう言えば暫く参加していないこの講座。紙中心と書かれていなかった行く気にもなったのですが・・・上の写真はポスターの前面のガラスに向かいの博物館のレンガ塀が写っているのですが、その塀の向こうの方にパイプで足場の様なもので囲われていたのです。近付いて・・・良く見ると・・・足場ではなくレンガの破損か剥離か、それとも塀全体に亀裂が入ったのか?要はこの部分の補修をしているようなのです。白い発泡スチロールで押さえているようなのです。なぜ、前段に「文化財を護る」講座の事を書いて、ここでこの石塀の補修の事を書いたかと言いますと・・・組まれたパイプの横に写っている金属板にはこの様に書かれているからです。実はこのレンガの塀は「重要文化財」なのです。よって、このパイプを組んで行われている工事も正しく「文化財を護る」崇高な工事と言う事になります。講座の様に「紙」ではなくレンガの文化財を護る仕事も有れば・・・前に書きました妙法院のこの仕事は「木材」の文化財を護る仕事です。紙、レンガ、木材、金属などの文化財に加えて、土の文化財即ち埋蔵文化財を護ったり調査する仕事も幅広く行われているので、京都は「文化財を護る」仕事が多いとこです。
2023.11.03
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今日、歩き疲れてちょっと休憩に・・・と、都会の中の静寂・妙法院の無料休憩室へ行こうとすると、何故かいつも開いている門が閉まっているのです。少し北の入口へ回って中に入ってみると・・・大きな材木と立札が・・・なんと400年間建物を支えて来た「梁」だとか。確かに400年間で老化したことを証明するような外観です。この工事は前にも書きましたが6年余にわたる長い工期の改修工事なのですが・・・400年前のモノを新しくする工事とは!!!!この前が無人の無料休憩所だったのですが・・・・改修工事の関連でか、まだ閉鎖されていたのです。・・・で、折角ですので紅葉はどうかなと静かで、まず人のいない庭に入りますと・・・・庭中まだほゞ緑の世界でした。ただ、この方向の上の部分が紅葉していることに気付いて・・・外に回りますと・・・・南向き、太陽の当たる部分だけこの様に少し紅葉が始まっていました。女坂を挟んで向かいの智積院はもう少し紅葉が進んでいるのですが、太陽光線が当たる当たらないで紅葉のスピードが違う事を証明していました。
2023.10.23
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昨日の続きです。昨日のブログの最後に思わせぶりに・・・「とんでも無い光景が繰り広げられていました」なんて書きましたが、それはタイトルの様に凄いオーバーリズムの光景でした。鞍馬山から貴船に下り、橋を渡りますと・・・まず、目に入ったのがこの行列です。蕎麦屋に並んでいるのです。気楽には行けない川床(かわどこ)で食べる料理は高いし、時間もかかるので気軽に食べられるこう言う店がはやるのは分かりますが・・・・こんなことで驚いたのはまだまだ序の口でした。直ぐ近くの貴船神社への石段を登り・・門まで到達すると・・・行列が門の外まで・・・本殿にお参りするのも、名物の水で字が浮かびあがるおみくじを買うのも、この行列に並ばないといけないのです。とてもではないですが、こんな行列で待ってまでお参りする気にはなれませんでした。ここの詳しい描写は前に書きました様に今年の3/25のブログを見て下さい。・・・・と言う事で、本殿は諦め、奥宮にお参りすることにしました。この門をくぐって・・・/この500m先と言う案内を見た、同行の二人の友達は・・・・ここで待っているというので、奥宮へは私一人でお参りすることに・・・細い道に沿って流れる川には、ずっと川床が続きます。何しろ離合もし難い細い道へ沢山のマイカーが押し寄せるのですから大変な渋滞の中を車すれすれに歩かないといけません。この様に歩道が別にあるところは良いのですが・・程なく、奥宮に到達です。奥宮まで来る人は少なく、こんな状態でした。1奥宮にお参りしたあとは元来た道を戻ります。(この道の左が車道です)二人の友達が待ってる本殿前まで帰りますと・・・行列は少し短くなっていましたがまだこんな状態でした。このあと前回来た時は貴船口までバスに乗ったのですが、バスは臨時便が出ているようですが、バス停の行列は長かったので、貴船口まで歩くことにしました。約20分ほど歩いて叡電の貴船口まで行き、ホームへ出ますとここも又凄い人。結局出町柳まで立って行くことになりました。(前回は貴船口からバスで宝ヶ池の国際会議場まで行き、地下鉄で京都駅まで出たのですが、今回は全員が京阪電車沿線のため出町柳へ出ました)・・・と言う事で無事予定通りの行動は出来たのですが、稲荷山の様に交通至便な所ならいざ知らず、わざわざ「京の奥座敷」まで行ってこんなに人混みに揉まれるとは・・・・想定外の事でした。これから中国の団体客が来るようになったらどうなるのでしようね???
2023.09.18
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昨日の続きです。さて。昨日載せました新聞記事による塗り替えられたおキツネさんは楼門の前に・・・ピカッと光った塗装がされていて、なかなか綺麗てした。こちらは鍵を・・・こちらは玉? をくわえてします。登って来た参道を振り返りますと・・・(遠くに見える鳥居の向こうがJR伏見稲荷駅です)そして、更に本殿の前まで進みますと・・・ちょっと写真が悪くって見難いですが、ここにも左右におキツネさんが・・・・先に見たおキツネさんとくわえているものが違い稲穂をくわえています。それとこちらの方は極彩色の前掛けをしているのと・・・反対側のおキツネさんは何もくわえていないようです。徹底的に違うのはこちらの2匹のおキツネさんの尾には火焔宝珠がくっ付いています。又先の塗装し直したキツネは光沢があるのに対して、こちらの方は艶消し塗装でした。新聞には塗装し直したのは2匹のおキツネさんと書いていましたのでこちらのおキツネさんは元の塗装のままなのでしょう。さて、千本鳥居に向かいますと・・・これ全部が全部外人さんと言って良い景色です。さて。千本鳥居の始まり・・・最初の内は左右の一方通行です。途中の祠も神秘的です。そして、頂上とトレイルが分かれる四辻へ。登っている女性も勿論外人さんです。この眺めを見ながら休憩!!!タイトルに書きまして、「喧騒」もここまで。ここからは頂上へ向かわず、京都一周トレイルを下り始めると、人影ままず見ません。程なく通った泉涌寺も・・・今熊野観音も・・・タイトルに書きました「静寂」の世界でした。程なく、一周トレイルの中で、一番道を間違いやす場所? の案内板が・・・昨日載せました、歩いた軌跡のゴール地点です。ここで軌跡をとることをオフにしてトレイルから外れて、我が隠れ家に向かいましたた。昨日載せた軌跡をもう一度貼り付けておきます。
2023.09.11
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9/7のブログに、38年ぶりに1ヶ月かけて修復・塗装のやり直しがなされた伏見稲荷大社のおキツネさんの新聞記事を載せました。野次馬根性の強い身としてこれは見に行かないと・・・と早速行って来ました。行くからには、トレーニングも兼ねてと稲荷山~泉涌寺~今熊野と京都一周トレイルを歩くことにしました。歩いたコースは京阪電車・伏見稲荷駅から、京都一周トレイルの今熊野分岐までまこのコースです。撮影しながら、休憩も含めて1時間19分の歩きでした。さて。伏見稲荷駅でトイレに入ると・・・さすがお稲荷さん駅!!!こんな装飾が・・・改札も・・・写真にも写っている様に、駅から伏見稲荷、そして山頂に近い四つ辻までまるで外国の様に外人さんばかり・・・飛び交うのは外国語ばかり・・・日本語を聞くとホッとするから不思議です。さて、この標識かスタート地点です。参道まで行きますと・・・何と何と・・・前には無かったコメダ珈琲とドラッグストアが隣同士に・・・。いつからオープンしたのか?? こんな街の変貌・・・ 時の流れを感じざる得ません。鳥居の風景ですが・・・・良く見て下さい。外人さんばかりです。駅から境内に入るまでの間だけでも度肝を抜かれたスタートでした。続きは明日に。
2023.09.10
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一昨日、東福寺の前を通ったとき、いつも見ている案内板ですが撮って来ました。観光地巡りに、こんなひとひねりしたことを加えるのも、どうかと思いました。毎週日曜日と書いてありますが、左上の紙ではそうでもないようです。見難いですが、9月は10日と24日です。私は参加したこと無いので、無責任にも正に「言うだけ」なのですが・・・・そして、昨日9/6の京都新聞にこんな記事が載っていました。東福寺と伏見稲荷・・・歩けば15分~20分も距離。こんなことを知っていたら一昨日足を延ばしていたのですが・・・見慣れたキツネの像ですが、どれだけ奇麗になったのか、これは視察?? に行かないといけません。
2023.09.07
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今日はまた格別に暑い中、京都駅近くまで出かけて来ました。京阪電車・七條駅で地上に上がるのはいつもの通りなのですが、久しぶりに西に向かい鴨川を渡りました。橋の上から(北に向かって)見下ろすと・・・中州の一番左に白い影が2つ。小さ過ぎて分かり難いですが・・・。アップしますと・・・鷺が2羽。エサを捕るモノ・・・毛(羽根)づくろいするモノ・・・透き通った奇麗な水と相まって涼しそうな光景なので、灼熱の橋の上に居ながら暫し、眺めていました。前置きが長くなりましたが、タイトルについての説明はいとも簡単なものですみません。橋を渡り終え、石製の橋についている橋の名前を彫った石ですが・・・今の子供ではとても読めない字体、「志ちでうおほはし」「はし」の「は」は次のように変体仮名で書かれています。
2023.08.21
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昨日の事なのですが、大仏前交番の前の電柱のこんなポスターが目に入りました。今まで聞いたことが無い?「豊国神社夏祭」と書かれていたのです。どんな祭りが行われているのか・・・豊国神社は直ぐそこなので覗きに行きました。日頃行われている8のつく日の「市」とは比べものにならない程のテント数と人の数。生演奏も行われていたのですが・・・沢山張られているテントは、殆どが食べ物、飲み物の店。しかも居るのが殆どが若者!!買ったものを食べたり、飲んだりはビールケースに座って・・・何が何だかさっぱり分からないままに、早々に退散。これではブログにも書けないと思っていたとろ・・・・今日の京都新聞に記事として載ったのです。なるほど、観光では賑わい過ぎるほどの東山区も、こと、居住となると、間違いなく人口減が続いているので移住促進と言う大義名分の催しだったのです。それはまるで、過疎地??? の町おこしと同じ!!!表の顔は観光地「東山区」も裏の顔では過疎地・・・と言う社会現象を暗示するような催しだったのでした。
2023.08.20
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昨日、矢田寺に向かう為、京阪電車三条駅で地上に上がり、鴨川を渡ろうとすると、雰囲気が何か明るいのです。良く見ると・・・黒く老朽化していた三条大橋の欄干が新調されて真っ白なのです。鴨川を渡り振り返りますと・・・調べますと、以下の記事が有りました。
2023.08.19
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暑さが続く中、先送りにしていた墓参りですが、台風が来るというので、慌てて行って来ました。いつもは七條駅で降りる京阪電車ですが、今日は祇園四条駅まで乗り、四条通を八坂神社へ向かって進みます。朝少し早かったので(8時05分頃) 四条通も八坂神社も、人は少なかったのですが、何故か東大路は車の渋滞が始まっていました。先日、西洋系外人の団体さんが多くなったと書きましたがここでも・・・。暑さと朝早かったので八坂神社もこの通り・・・・お札を売る沢山並んで巫女さんも手持ち無沙汰でした。本殿もこの通り・・・そして、円山公園方向に進んでいますと・・・・今まで見たことの無い光景・・・・即ち朝早くからの強い太陽光に、日傘をさす外人さんの姿も・・・円山公園の池の前の広場で、こんなに人が少ない光景は珍しいです。咲いている時や葉を落とした時の姿しか余り見ない枝垂れ桜ですが・・・元気よく青々と葉を茂らせています。・・・・が,花の季節に書いたことが有りますが、衰えた中心の枝垂れ桜の周りに小さい枝垂れ桜を植えて、丁度スカートをはいた様にしているのです。まるで一本の木に見えるから不思議です。この枝垂れ桜の前を右折して、大谷祖廟の参道に入りますと・・・ここはかなりの人影が・・・・墓参りは皆さん朝早いのです。ここを進んでお墓に向かいましたが、続きは明日に。
2023.08.13
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智恵子抄では「安達太良山の青い空がほんとの空」の言葉が知られていますが・・・国立博物館の前を通ってちょっと横を見ますと、何物にも邪魔されないこの広い空が・・・右後方に見えるクレーンは先日(8/7) 書きましたホテル東山閣の跡地に建設中のSix Sensesホテルのクレーンです。クレーンは見得ども、建物は見得ず。景観規制の4階建ての建物なればこそ、この建物と広い空は何物にも邪魔されず維持されたと言う事だと思います。ついでながらこんな空も・・・
2023.08.12
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