全612件 (612件中 1-50件目)
日記を書いていて登録ボタンを押したら、メンテ時間に突入していたらしく書いた文章が全て抹消されてしまいました。まぁ日頃ここに来てないから定期メンテの時間を把握してなかった僕にも非があるんですが、久々に会心の出来だった文章を呑まれて以来ちょっとしたスランプ状態に陥っているので、今現在楽天Dに対する心象がすこぶる悪いです。そのとき書いた日記は、人同士の不和性についてのもの。以下、覚えてるところを概要のみ記述。親兄弟、ふたご同士でも完璧にわかり合えないものをどうして人は完全にわかり合おうとするのだろう?そして、どうして「わかり合ってる状態」が「仲がいい」で、「わかり合えない状態」は「仲がよくない」「わるい」だと思うのだろう?人同士「わかり合うことは素晴らしいことです」って、道徳の教科書やいろんな人達が言葉では言ってるけど、その言葉を傘に着て「だから、わかり合おうとすることはいいことなんだ!」なんて概念を、自分で思い込むだけならまだしも、人に押し付けるのは何か間違っている。わかり合ってる状態はあなたにとっては心地いいかも知れないけれど、彼や彼女はあなたがわかり合うために彼らの領域に踏み込んで来ることを、嫌っているかもしれない。わかり合おうとするために傷付け合ったり苦しめ合ったりして、得られた答えが「彼や彼女とは決定的に歩めない」なんてものだとしたら、それは「わかり合えない」という事実をしっかり認識した上で、互いに近づけるギリギリの距離に立とうとするよりも不毛で残酷な結果にしかならないんじゃないのか。わかり合えることやそのために努力することはとても美しいことだけど、「そうあるべきだ」を押し通そうとするのは何か間違っている。「わかり合える」という言葉一つを持って人と向き合うのは、結局それは、相手を見ていないことと同じこと。見ているようで見ていない。そのくせ、半端な思い込みが邪魔してその事実にも気付けない。「わかり合えない」という事実や「これ以上踏み込めない」という現実を正しく認識することで、より理想的な関係を築ける、ということもあるんじゃないだろうか。協調や対話は融和とは違うものだけど、多くの場合における協調とか対話とか言う言葉は、ある一方の人間の「最善」をもう片方に押し付けるためにしか機能していない。その果てに待っているものは、お互いを恨んだり憎んだりする感情によって互いを攻撃し、どちらかがどちらかに屈服するまで続く争いの世界でしかない。そして、そんなものを「わかり合う」と言うなら、やっぱりこの世界に本当の意味での「わかり合う」なんて状態は存在しないのだ、ということを、僕達は覚えておかなくてはならないのだ。これがもっとキレ良く、しかも少ない文章量で書かれていました。とりあえず何ともガックリ。
2005年03月14日
知人が鬱認定ということで。まぁ実際のところ、精神科という響きがイヤで医者にかかってないというだけで、鬱病な人って意外に多いんじゃないかなって思ってます。僕なんて始終躁鬱繰り返してるようなテンションですし。さて、今日はそんなテンションについてのお話。年がら年中元気な人、なんてのはいません。居たとしたら、それは人前でそう装っているだけか、もしくは本当の意味で異常な状態にある人です。生きていれば辛いこともあるし悲しいこともあるし、でもそれを表に出すか出さないかという違いがあって、人は明るくしていたり暗くしていたりするわけです。大事なことは、なんておおげさな言い方は好みませんが、それでもそういう状態のときには、自分がそういう状態にあることをきちんと認識することがまず第一かな、と思います。そして必要以上に無理をさせないこと。体の弱っている人に肉体労働をさせたら危険な状態になるのと同じことですから。でも、肉体と違って精神は「休める」ということが非常に難しい、厄介な代物でもあります。精神を休めるには睡眠が一番、と良く言いますが、実のところは睡眠状態を導くまでが大変だったりもするので、普段の生活からリラックスできる素材を見つけておくことも必要なのかも知れません。テンションが高い時もあれば低い時もある。それだけのことだと思います。絶好調がそうそう長く続かないのと同じように、精神の状態も常に良好とは限りません。心が発信したシグナルをきちんと受け止めることって、これからの社会では大事なことになっていくんだろうなぁと、現代を生きる僕は思うわけです。
2005年01月23日
すっかり日記のパスワードを忘れて、危うく投稿ができなくなるところでした。やっぱり定期的に触っておかないとダメだなぁ。そんな今日この頃、新潟では大きな地震がありました。まだ情報がはっきりしていない部分が多いものの、死傷者も多数出ており被害も決して少なくないようです。被災された方々の心中をお察しすると共に、お見舞いを申し上げさせていただきます。さて、今日はフリーター生活についてのお話。フリーターと一口に言っても人によって色んな考え方や方向性がある、なんてことは今さら申し上げる必要もないことなので省略しますが、現在の僕は分類としてはモラトリアム型に近いと思っています。今ひとつ自分のやりたいことが見えてこない、ということでもありますが、自分の持っている特性や適性をもう一つ見出すことができていない、という思いがあるというのもその一因です。ところで、フリーター生活は基本的に親の庇護の下であれば確かに圧迫感を感じることはなく、また定期的に働いていれば仕事上で使えない体になってしまうというような事は無い、と僕は思います。時間の使い方がうまい人なら資格取得や技能習熟の期間と割り切って、この間に己を磨き上げることができるのではないでしょうか。しかし、と思うわけです。一方で何の目標もなく、とりあえず流されるままにフリーターになった場合はどうか、と。何かに縛られることのない生活や人生と言うものは一見すると途方もなく自由であるように思われますが、それは裏を返せば日々の生活や人生に自分自身が責任を持たなくてはいけない、ということです。早く言えばダレます。自分でもびっくりするくらいの勢いで。別に「目標を持って、毎日をいきいきと過ごしましょう」なんて定型的なことを言うつもりは毛頭ありません。でも、無目的な日々を送る毎日を続けた時、そのことに気付いて凹んでしまうのはやっぱり自分自身だと思うのです。それはフリーターであっても、きちんと仕事に就いている人であってもね。フリーターという身分はその点では仕事に自分をかけられる要素が少ないので、一旦落ちてしまうとドツボにはまりやすい。そしてそれは、流されるままフリーターになってしまった場合にはより顕著であると思います。簡単に人生の目標とか自分が情熱を燃やせるものが見つかればいいんでしょうけれど、話はそれほど単純なわけでもありませんからね。ただ、試しに自分が今のまま10年後、20年後を迎えたと仮定したシミュレーションを立ててみた時、その結果に他ならぬあなた自身が満足できるかどうかということはとても大事なことだと思うのです。どんなにくたびれてても、生涯独身でも、人生負け組と呼ばれていてもいいじゃないか。でもそれはいわゆる「負け犬の遠吠え」ではありたくないなあと、フリーターである僕自身はそのように思ったりする今日この頃なわけです。
2004年10月25日
コチラでは久々の更新になります。本当は7月末にでも更新するつもりだったんですが、随分と期間が空いてしまいました。って、今でもここ観てる人っているんでしょうかね。僕の中ではもうほぼ完全に、過去ログ置き場としてしか機能してないわけですけども。(そもそも自分ですらチェック入れることないし)さて、今日は飲み会に行った際の先輩のお言葉から。その先輩は今では東京で社長秘書(!)をしているそうなのですが、先輩からのお言葉として「10年先の自分がどうありたいのか、そこに向かって今の自分をどうしていけるかってことを考えることが大事」とのご意見を賜ったわけです。「夢」と表現すれば非常に大掛かりな感じもしますが、でもまぁ確かに10年という単位は今の僕にとってそれほど遠い先の話というわけではないように思います。高校を卒業してから、あっという間でもう4年も経ってるわけですしね。10年後の自分がどうありたいか。どうなんでしょう。今のところ結婚願望というようなものはありませんし、天職と思えるようなお仕事というのもありませんし、趣味と呼べるものは幾つかあってもそれを極めのレベルまで持っていこうという発想があるかどうかも疑わしいですし。要するにはまぁ、どこを取っても中途半端ってことなんですが。10年後の自分の姿をイメージする。まぁ今現在のままで行ったら、それは目も当てられない状況になるってことは改めて考えるまでもなく容易に想像の付くことです。しかしだからと言って具体的な道筋も定まらない、しかししかし、惰性で生きるor仕事に埋没するような人生も送りたくない。自分の中の何を満たし、どれを選んで行くかがコレから先の課題になっていくのだと思います。そろそろ、無限の可能性や希望というものを語れない年頃になってきました。だからこそ、見据えるべきものをきちんと持ってかからねば、と思う今日この頃であります。
2004年08月17日
夢を持ってがんばってる奴を人はあざ笑う。でも夢を持たないで自堕落に生きてる奴を人は見下す。前者は「何一生懸命アツくなっちゃってんの?」ってことだし、後者は「人生負け組の遠吠えだな」ってことなんだろう。だから、夢を持ってる奴は、他人の言ってることなんて気にしないでしゃにむにがんばりゃいいと思う。だから、夢を持たない奴は、他人の罵声は無視して忠告は汲み取り、足掻くだけ足掻ききって夢を探し出せばいいと思う。どっちにしたって人は何かしら言ったりけなしたりするんだろうと思ってりゃ、恐れることなんて何も無い。あとは自分の人生をどれだけ満たせるか、そこが肝。まぁそう信じてないと人生まともに生きてく気力も無くしそうだから、せめて前を向こうとする自分だけはきちんと維持してようかと思うよ。
2004年05月30日
考えたり悩んだりすることと想像や妄想を膨らませたりすることはいい意味でも悪い意味でも違う。同じ頭を使うという作業においても、あれこれ思案することと固定された情報を頭の中で再生することとは根本的に違うのだ。つまり、あれこれ考えて頭を捻ってみても、それを実際に行動に移そうとしなければそれはただの妄想であり、実際にそうなるかどうかもわからないのに諦めたり投げ出したりするのは努力の放棄なのだ。……と声高に叫んでみたいけれど、僕自身も妄想にはまってなかなか行動に移すことができないタイプの人間。それを打ち破って行動できるってことは実はとても大切なことなんだよね。あ、犯罪以外のことについて、と加筆しておきますが。
2004年04月01日
自分に自信の無い、おどおどした人間を見ていると 「おいお前そんな卑屈にならなくていいだろう、もっと堂々と行け」 と思うときがあるけれど、その逆で自信満々の人間を見ていても腹立たしく思うときがある。お前何様?というか、あんたの価値観はそんなに絶対的かよ?という感じで。人間はそれぞれに良さがあるんだ、と誰が言ったか知らないけれど、それを伸ばすような努力をしなければ自分を好きになることができないと思う。逆に言えば、人間ちょっとナルシストなくらいが丁度いいのだ。自分のことを好きになれなければもっと自分を磨こうという努力を行うこともないし、自分のことが心底嫌いな人間は自分を磨こうという発想を持つことが出来ない。その一方で、自信過剰なのも同類だ。彼らは自分たちが一番に優れていると思っているので、基本的に自分たちの汚い姿勢というものについて感知していない。そのくせ他人の汚い姿勢にはどんどん突っ込みをいれる。かと思えば、自分の嫌な部分を見てしまったときには即座に言い訳を用意して平然とスルーしてしまう。この両者に共通する部分は、自己の良いところを確認して伸ばす姿勢がないことと自己の悪いところを確認して是正する姿勢が無いこと、つまり「自己対峙」ができていないというところにある。良くも悪くも人のことしか見ていないので、自分に対しての評価を正しく下すことが出来ない。だから自分を不必要に低く評価してみたり、高く評価してみたりするのだ。他人を批判することも確かに大事なことだと思う。でも、それと同じくらい自己を批判することも大事なことだ。そうすることによってその人のいい部分が特化され、悪い部分が修正され、そうして成長が促されていく。それが無ければ無意味に卑屈であるか、無意味に傲慢な人間が出来上がるのみである。自己対峙。難しいことだけれど、しなければならないこと。
2004年01月24日
ある日ここがバシュっと消えちゃってログ全部消滅されたら困るんで、たまには更新しておこうとか思ったり。自分の心の中の不安定さとか、あれこれいろんな物事があるんですけど、そういうのには大抵何かしらの要因があったりする。けど、それを自分が頑張れないことの言い訳にしちゃいけないんだね。至極当たり前の理屈なんだけど、そういうことを悟ったりした。がんばれない奴は、ただ、がんばれないだけなんだ。そう思ったら、やっぱり今の自分もこのままじゃいけないと思うようになってきた。今一番興味のある、自動車関係の仕事を探してみたい。とまでは決まっても、それじゃ自動車学校の教習官がいいのか、自動車整備士がいいのか、エンジニアがいいのか、なんて具体的な話になると途端に意気消沈する有様。うーん、ダメだね俺。そうこう考えているうちにもう年末。次回の更新は来年1月末くらいになるような気がしております。それでは皆様、よい年の瀬を。
2003年11月28日
2ヶ月と言う猶予期間も割とあっという間だったような気がしますねぇ。とりあえず、今日で楽天日記で更新するのは終了ということに相成ります。大塚プロジェクトで2ヶ月ちょっと、Lycosで約1年8ヶ月、そして楽天で2ヶ月続けてきた「Colors」も今日をもって閉幕です。すごくたくさんの人と出会うことができたし、交流を持たせてもらったりもしました。今回楽天での日記を辞めるにあたって、たくさんの人から引き留めの言葉をいただきました。正直、かなりびっくりしました。引き留められまでするとは思っていませんでしたし。けれど同時に、すごく嬉しかったです。ありがとう。でも、その交流を維持するためだけに日記を続けると言うのは、これは本末転倒だと思うのです。文章を書く。それを誰かが読む。いいなと思った人がメールを送ってみる。嬉しかったからメールを返信する。そういうところから交流って生まれたのだと思うのです。その舞台が楽天であるかとか、別のレンタルダイアリーであるかとか、それぞれのホームであるかとか、そういうことは関係ない。僕はそう思っていますし、実際ネット上で皆さんが巡回しているサイトというのは大きなカテゴリの中に納まるものではあっても、狭義的なコミュニティとして形成される枠内には留まらないことが多いのではないかと思います。楽天で日記を書かない奴の日記なんか読む価値無い。そう思う方であればそれは仕方ありません。どこで日記を書こうが、日記は日記だ。そう思っていただける方に、「HOME」ものくろーむの方へお越しいただければ何より幸いと思います。僕が日記を書き続けた2年1ヶ月の間で思ったのは、文字の便利さと不便さです。文字は記号の羅列ですから、時に他人に対して真意を伝えにくい時やもどかしい時というのがどうしてもあります。文字だけの表現に限界を感じたことも少なくありません。けれど、それは『表現』という世界で言うところの”制約”と置き換えれば、如何にその制約を遵守しつつ奇想天外な方法で表現をしていこうか、という発想を生み出す原動力にもなるのです。制約そのもののタガをあえて外してみたり、全く及びもつかないところから様々なアイディアを捻り出してみたり。そうやって、「文字」という限られた世界の中で自分の心情や信条、また他者への思いといったものを表現していくことは、これはこれでけっこう良いことなんだよなぁと思ってみたり。それでは皆様、「此処ではない何処か」で、又お会いしましょう。(^∀^)ノシ~~ See You Again !!※補記※楽天の掲示板、メール機能などのチェックは、10月31日をもって終了いたします。なので、おそらく掲示板に書き込んだりしてもレスはつきません。ご注意下さい。
2003年10月31日
本日10月30日。31日を持ちまして正式に更新停止するわけですが、以前も申しましたとおりログは残しておきますし日記書き行為を辞めるわけでは無いので、これからも僕の日記を読みたい!という素晴らしい方がいらっしゃいましたらば、是非とも僕のホーム「monochrome」の方に来ていただきたいなぁ、と思います。さて、アピールばっかりしていても何なので、久々にちょっと胸を打つお話を。もうこれは2年以上前、僕が日記を書き始めるより前のお話なのですが。高校生くらいの女の子が駅のベンチでくっちゃべっていました。そこへ、けっこうなお歳のおばあちゃんが歩いてきました。おばあちゃんは重そうな荷物を持っていて明らかにへばっていましたが、座ろうにも目の前のベンチは塞がっていて空いてません。他のベンチといったら少し、いやかなり離れたところにあり、おばあちゃんもそこまで歩いていく気力は無いようでした。さすがに誰か何か言わなきゃ、と思って、女子高生のいるベンチの方に行こうとしたとき、「おばあちゃん大丈夫?ここ、座りません?」女子高生の一人がおばあちゃんに気付き、自ら席を譲りに行きました。はじめはおばあちゃんも遠慮していたものの、説得に促されてベンチに腰を下ろしました。女子高生は今度は立ってくっちゃべっていましたが、心なしか双方の顔が少しだけ明るくてさわやかだったように見えました。そして僕は女子高生に萌え(ヤメナサイ)
2003年10月30日
楽天について不満は無い、と、去り際に言えば嘘になります。とりあえず毎日のように送られてくる半分スパム的なメールと、掲示板の書き込みとかを勝手に省略してくれる機能はいただけません。日記のデザインそのものはスタイルシートなどでも変更できるようですが、何ていうかそれ以前の問題かなって気もしています。便利は便利なんですけどね、うん。レンタル日記。管理の手間がかからないし、更新は文章さえ書けばすぐに済むし。楽なんですけど、楽天の場合は楽に対するわずらわしさの比重がちょっと多い気がしています。他にも声を大にして言えない部分での機能面に関する不満もあるんですけどね。まあそういうわけで、サービスが満足に値するものではなくなってしまったからというのが理由ですね。でも日記自体を辞めるわけではないですし、再三ここで申し上げたようにサイト運営という形でこれからもネットとは関わっていきます。また、Lycos-楽天を通じて知り合った方との交流も引き続き継続させていただきたいと思っておりますので。楽天は言わばアクティブな日記ではなく、ログ倉庫として活用するという形を取るだけのお話です。
2003年10月24日
この2ヶ月ほどここを使ってきましたが(と言っても最近は更新してなかったけど)、やっぱりどうも使い勝手が悪い感じです。残り半月程度で改善が認められるという様子もありませんので、今のうちに誘導を試みたいと思います。現在、日記のような形での更新は主に僕のホームである「monochrome」にて行われておりますが、今までここを見続けてるんだけど全然更新されて無いぞという方やもしこれからも僕の日記を読みたいと仰ってくださる方がいるのでしたら、そちらへのシフトをお薦めします。前言通りログはこちらに残す予定ですが、おそらくここの更新はあと何回もやらないと思いますので。よろしくお願いいたします。
2003年10月15日
この日記のトップページにあたる「ホーム」の部分に、僕のサイトである「ものくろーむ」へのリンク及びいくつかの関連リンクを設けました。とりあえず行き来がしやすいように、ということなのですが、そういえば「ものくろ」の方の紹介文変えてなかったなぁ……。ボチボチ改変していこうか。あと、最近カラオケに行くようになって俄然カラオケにのめり込んでしまいました。一人で熱唱しているのとは違い、マイクを通したりハーモニーが入ったりするのってすごい爽快感です。加えて、みんなで盛り上がる感じとかもいいですねぇ。また近いうちカラオケ行こうと思っています。目指せ90点台後半。んで、カラオケ行きまくってたら個人財政が破綻の危機を迎えております。これだから国の財政状況が悪いと(なすりつけ)
2003年10月04日
なんだか訪問してくださる方や日記にリンクを張っていただいてる方がけっこう多くて、感謝感激なRolimでございます。世間はもう10月の風が吹き荒れ、年末なんて言葉が現実味を帯びてきた今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、当日記及びサイトが移行するにあたり、連絡用として使用していたマイぷれすの「Colors-β.test-」を消去いたしました。跡地も完全に消えているので、もしリンクなされていた方がおりましたらお手数ですがリンクの削除をお願いいたします。あと、最近ハマっているのが、自作ストーリーの設定作りです。ちょっとSFを交えつつあれこれ思索を巡らせているのですが、そのせいか内容がとんでもないことになっています。EPRパラドックスだのなんたら光子論だの飛び交いまくりです。使っている側でさえ満足に事象を理解していないというのに、そんなもんをドカドカと設定に盛り込むあたり無謀の極みという感じがしないでもないですが。あなたのマイフェイバリットは、どんなものでしょうか。
2003年10月02日
というわけで、だいぶ久しぶりの日記更新になります。こちらを日記という目的で使うのはおそらく数回もないんじゃないかな……?とりあえず今日は過去ログ復活記念ということで。奇しくも10月1日というのは、僕の本サイトが公開された日の翌日、すなわち初めての日記ログが記された日なのです。や、だから何だって話なんですけど、ともかくそういう事情で日記を書くということについてはいろいろキリのいい日になるんではないかな、と。今年も残すところあと4分の1なわけで、少なくとも僕にとってはいろいろあった9ヶ月余りでした。特に、4月くらいから7月まではいろいろあり過ぎて、3ヶ月間の体感がスッポリ抜け落ちているような感覚です。僕の中ではまだ7月半ばか8月くらいって感じで、未だ10月に突入したという感じがしないんですねえ。ところで、以前に明言した「楽天離脱」のお話ですが……今のところ、その方針は変わっていません。が、たぶん過去ログを残した状態で適当にログを維持させる方向になろうかと思います。とりあえずは10月末日までは楽天で日記を書きますので、暖かく見守っていただけると嬉しいです。あ、ちなみに、ホームその他の更新が追いついてませんが、本人は活かさず殺さず……ってな感じに暮らしておりますので、そのうちボチボチ更新頻度が増えてくると思います。秋の夜長にすることもなかりければ、って感じに。今までも同じようなことをさんざっぱら書いておいて実行できてないわけですが、今度こそきちんとやりたいなあと。ええ。あとカラオケに行ってきました。実はカラオケに行く機会はほとんどなくて、半分虚勢を張っていましたが。自分の好きな曲、歌ってみたかった曲などを熱唱できてとても楽しかったです。機会があればまた行きたいなあと思いつつ。最近は友達に借りた森山直太朗とかお気に入りです。ではっ。
2003年10月01日
ちょっとここのところ凹むことが多くて参っています。精神的に鬱傾向というかネガティブメンタルというか、そんな事情でちょっと以前のような元気が出てきません。しばらく沈没しているかも。ちゅどーん。
2003年09月11日
Lycosの方で20000HITを達成することができ、肩の荷が降りたというか何というか。でもできればあと数日は20000HITの実感に浸りたかったなぁとか、複雑な気持ちでいます。ちなみに、現在サイトの作業状況報告用に「まいぷれす」というところを使っているのですが、雰囲気がLycosに似ていてなかなかいい感じです。弱点としては、厳密には日記ではなく「記事」であるという点、その特性上1日1件しか投稿することが出来ないという点でしょうか。まぁそのあたりの特徴は「はてなダイアリー」にも似たようなものがあるのですが、使い慣れたせいかはてなの方がシンプルで利用しやすいような気もします。スタイルシートに関する知識さえあればかなり自由度の高いページアレンジもできますし、アンテナの機能を併用してリンク付き日記の形を取ることもできますし。意外とお勧めですはてなダイアリー。楽天は……いまだに使い慣れません。というか、もっとシンプルなインタフェースにして欲しいなぁ。肝心の日記表示部分も、上やら横やらになんだか不要なものがゴチャゴチャあって見づらい感じです。もっと日記を見せることに特化したページにならないかなぁ。これじゃ単に、楽天メンバーの個人ページ内にあるダイアリー機能くらいの感じで、ダイアリー機能が単独で立っていないというか何というか、そんな感じがします。まあ改善を求めてもどうしようもないのでしょうけれど。
2003年09月06日
まいったことに、ログが10月1日でないと反映されないとのことで。まぁそれは僕の管理不行き届きが原因なのですが、せめて移行くらい自動的に済ませて欲しかった、と愚痴を言ってもはじまらないんでしょうね。Lycos「Colors」をご存知だった方はリンクジャンプでこちらに飛んできて下さったと思うのですが、そういう事情ですのでリンク先が変更になっております。よろしければリンクの張り直しをお願いいたします。といっても、ここで更新はあんまりしないと思いますけれど。あと、連絡用・近況報告用として以下のコンテンツを開放しております。是非ご利用下さいませ。ではでは。Colors-β.test-http://www.mypress.jp/v2_writers/rocklimit/story/?story_id=86584 ものくろライトhttp://d.hatena.ne.jp/rolim/ ものくろ掲示板http://bbs5.cgiboy.com/p/66/00647/
2003年09月03日
ギリギリ微妙と思われていた、移行前の20000HITが最終日の今日達成されました。ご愛読いただいた皆様、本当にありがとうございます。Lycos最後の更新は、「Dream.」と題しまして簡潔なものにしたいと思います。遥か遠く見据えた夢手を伸ばしては追いかけて時に躓き 時に膝をつきある者は夢見ることを止めある者は違う夢を見据えそうして、形にならない何かを今でもずっと追い続けている走って走って その先にある何かを掴めた者も居る 掴めなかった者も居る僕が追いかけた その先にこの手の中には 何が残るのだろうそれを見つけるために今日も夢旅人は走り続けるホーム「モノクローム」の新URLはhttp://rolim.at.infoseek.co.jp/になるはずなのですが、実際どうなるかはまだ良く判らないというのが本音です。仮に移行されたとしても、当分はリンクの再設定などの作業に負われることになるかと思います。関係各所の方、できましたらリンクの張り直しをお願いいたします。それと工事期間中の連絡用として、β開通させた日記のURLを表記しておきます。何か連絡等ある場合はそちらでご報告したいと考えておりますので、これからもRolimをよろしくお願いします。連絡用:Colors-β.test-http://www.mypress.jp/v2_writers/rocklimit/story/?story_id=86584Lycosさん、1年8ヶ月ありがとう。多くの思い出とたくさんの友達をくれたLycosを、忘れません。お疲れ様でした。そして皆様、しばしのお別れです。また何処かでお会いしましょう。それでは……。</Lycos>
2003年08月31日
「おジャ魔女どれみ」にてメインキャラの一人、妹尾あいこがハーモニカで奏でる曲が「埴生の宿」という曲なのですが、僕的に美しいメロディラインがとても好きな楽曲の一つでもあります。劇中、この「埴生の宿」は実に印象的なシーンで奏でられます。父娘の深い愛情、別れた母を思う気持ち、砕けてしまった家族の絆、あいこの心情、父親の心情、母親の心情。メロディを聴いてみると、何とも郷愁を誘うどこか温かみのある曲です。ハーモニカでなくとも口笛や歌などでもとても綺麗に歌うことが出来る曲で、僕はよく車の中などでこの曲を口ずさんだりしています。皆さんにも、流行りの曲とかではない「あなたの曲」というべきものがあると思います。そんな曲に巡り合える事はとても素敵なことだし、そんな曲を演奏する機会に恵まれるということはとても幸せなことなんだよなぁと、そう思ったりした初秋の夜のこと。次回はいよいよラスト更新ですよー。
2003年08月30日
えぇと、前回書いた一家が小岩井農場に行くところを書こうと思っていたのですが、時間が空き過ぎた上にもうLycosの終焉が近いということで、たいへん残念なのですがColors上で続きを書くのを断念いたします。折を見て考えをまとめたものを「ものくろ」の方にアップしようと思っておりますが、申し訳ないです。あと、なかなか報告できないでいたのですが、入院中のお袋が抑鬱状態に入りました。以前のような攻撃性は見られないということで、段階的に外泊という形で家に帰ってきては経過を観察している状態です。たぶん次に更新するのは31日になると思うのですが……。その時の更新は少し意欲的に取り組みたいなと思っております。ではでは。
2003年08月29日
お米ちゃんが8月15日付けの記事で書いた文章の中に、次のようなくだりがあります。引用失礼。>>おこめは、そういう事を考え出すと、『戦争の悲劇を二度と繰り返さない』というような願い事をテレビで言う人たちの言葉が、なんだか、実際に、具体的にはどういう意味なのか、ですとか、色々と考え込んでしまいます。気持ちはわかりますし、埋葬された多くの方々、埋葬すらされなかった圧倒的多数の方々の御前で、戦争の悲劇は二度と繰り返していけない、と考えるのは当然なのですけども、でも、それって何か『二度と繰り返さない為に何なのか』がすっぽりと抜け落ちている言葉のように思えるんです。というのは、僕も同じように考えている疑問でした、というと二番煎じみたいに聴こえて嫌なのですが、そういう思いがあったのです。戦争はしちゃいけないこと、というのは誰だってわかっています。こんな悲劇を二度と繰り返してはならない、とは、たぶん多くの人が考えていることでしょう。でも、だから何?そのために何ができるの?どうすれば戦争は起きずに済むの?もっと言えば、どうすれば戦争の惨禍に巻き込まれずに済むの?という、クエスチョンに対する回答というのは全く皆無なように思うのです。日本は58年前の戦争に負け、「アメリカによって造られた」平和を得ました。「これで日本は平和になった」「もう戦争はないんだ」と多くの人が思ったことでしょう。戦後教育で育った年代の人たちや、実際にその教育を受けて育った我々は尚更のことと思います。つまり我々にとって平和とはすでにデフォルトの存在価値であり、恐らくほとんど大勢が明日自分たちが戦争に巻き込まれるかもしれないなどと本気で危惧していることはありません。日本は世界的に見れば平和な国です。ですが、これが本当の意味での平和であると考えてしまうのは少し短慮なのではないかと思います。日本が平和である一方ではアメリカという国が諸外国に睨みを効かせ、さらに一方ではそのアメリカが放った凶弾に傷つき倒れ血を流し死んで行く人たちがいるのです。そうして形作られたモノを「平和」と呼ぶのであれば、それは紛れも無い平和なのでしょう。しかし、それは逆に誰かの平和を守るためには常に別の誰かの平和を犠牲にしなければならないという構図を生んでしまうことでもあるのです。その別の誰かが平和を得るために取った剣で誰かの平和が切り刻まれ、切り刻まれた平和を直すためにまた誰かの平和が失われ……それが真実の平和へと結びつくものなのかどうか、それは誰の知りえるところでもないのかも知れませんが。話を戻して、「戦争を二度と起こしてはならない」とか「かつての戦争はたいへんに残酷なものであった」と反省をすることは大事なことだと思います。しかし、「反省したから、また戦争してもいいよね」というのは反省したと言えるのでしょうか。我々「平和」な国に生きる人々ができることは、戦争を起こさないために何が必要なのか、どういうことをしなければならないのか、それを個人・団体・国家のどのレベルで行っていくべきなのかということを一人一人が考え、その方向性を打ち出して行く必要があるのではないかと思うのです。……なんて偉そうなことを書きましたが、だったら僕にそんなビジョンが見えているかといえばそうではありません。戦争についても平和についても、あるいは国家や政府といったものについてもまだまだ勉強不足の身で、正直扱うテーマが大きいことは承知しているつもりです。しかし、終戦記念日という折に触れて、各々そういうことを考える時間が少しくらいはあってもいいんじゃないのかなぁと思ったりもしたのでした。黙祷で戦没者の霊は慰められるかも知れません。しかし、黙祷だけでは新たな戦没者を生むことは止められないと、僕はそう思います。
2003年08月21日
彼らは13時間の車の旅を経て、愛知は一宮というところからはるばる秋田にやってきました。上の女の子はミキといい、下の男の子はカズキといいます。最初僕と目を合わせたとき、彼らは緊張していたのかモジモジとしていました。子供は威圧的な大人を怖がるものです。反対に、親和的な大人には懐いてくるものです。僕は友好的に、笑顔を振りまいて彼らにアプローチを試みました。僕「やぁ、秋田はどうだい?」カズキ「うっせんだよヒゲ。」……ヒゲはたしかに伸びてたけどね。まぁそんなやり取りがあったかなかったか、ともかく彼らは裏の畑にスイカをもぎに出かけたのでした。ミキの方はいかにも都会育ちのお嬢様といった感じで、とにかくそこら中にいる虫が怖い様子。畑にスイカを取りに行ったときも、草の中から何か小さな虫が跳ねるたびにミキ「いやぁ~~虫きもちわるい~~」といった具合です。反対に、弟のカズキの方は元気溢れるやんちゃ坊主。虫もヘビも怖がらずに畑の中に入っていくと、カズキ「このトウモロコシ食べれるん?」と、自慢げに取ったトウモロコシを掲げます。彼らの父親が、「ここに自然を体験させたくって連れてきた」という言葉の意味が、僕には何となく判ります。この田舎は当然ながらゲームもないしおもちゃもない、自分をかまってくれるのはこの広大な自然と周囲に居る人間達だけ。自分たちが行動する上で、何か指標となるようなものやわかりやすい目標が何もないのです。つまり、自分たちがどうやって時間を過ごしどのような遊びをするのかは、自分たちで考えて生み出していかなくてはいけません。次第に打ち解けてきた彼らと話をしてみると、ミキの方はバレエを習っている本当の意味での箱入り娘、カズキはサッカーをやってるわんぱく小僧だけどポケモン大好きという小学生の典型のような男の子でした。共通して言えることは、2人ともどこか庶民感覚からずれているというか、どこか天然めいた部分があるということです。そもそもが、彼らの父親からして風格の漂ってる人なんですよね。社長の孫として育てられた影響かな、などと思ったりもしましたが。その日は御墓参りが目的ということで、5時くらいに家を出て裏手の方にあるお墓に行ってきました。ちなみにこのミキとカズキ、僕との関係を辿るとひいおじいさんが一緒ということになります。つまりじいちゃん同士が兄弟、父親同士がいとこと、サザエさん一家におけるタラちゃんとイクラちゃんのような関係になるわけですね。どっちがタラオでどっちがイクラだとか聞くな。ほぼ2日間に渡って車で移動を続けてきたということで、彼らもだいぶ疲労していた様子。その晩は布団に入ると3人ともぐっすりと眠ってしまいました。その翌日、いよいよ待望の小岩井農場&温泉郷巡りツアーへと出かけることになるのですが……。(続く)
2003年08月18日
牛乳を飲もうと思ってビンの蓋を開けてぐいっとあおったら、何だか牛乳がモッタリしていることに気付きました。慌てて口の中に入った分を吐き出し、台所で牛乳のビンを逆さまにしてみたところ、ヨーグルト状のモタモタしたものが排水溝に向かって流れていきました。宅配の牛乳をこの真夏に数日も外に出しっぱなしにしておくと、ヨーグルトになってしまうんだネ☆ さあ、この夏宿題に困ってるみんなも一度試してみよう(>∇<〃)b←誰か優しく殴ってください
2003年08月17日
というわけで、父方の実家から帰ってまいりました。そのことについては後日まとめますが、まぁ簡単に説明すると愛知の一宮というところにいる遠縁の親戚の家族がこちらに遊びに来たわけです。んで僕はその接待をしに行ったという、去年の5月くらいにも書いたようなことをしているわけです。だって歳の低い子供が2人来たんだもん。一番歳が近いの僕だけだったんだもん。さて、話は変わりまして、雪深いこちらの地方では成人式をこの時期にやる自治体が結構多いわけです。そういう事情からこのお盆いっぱいくらいはあちこちで飲んだくれた若者やはしゃぎまくってるお嬢様方など、あちこちで賑わっている様子でした。僕自身がつい昨年成人式を迎えたばかりとは思えないほど、彼らの若々しいエネルギーがはじけている感じでした。成人式ということで、そのあとは同級会で飲みに行き、数年ぶりに会った同級生のイケメン君と意気投合し、そのままホテルで朝を迎えてしまったり、こうしてみんな大人になってゆk(削除)
2003年08月16日
右を向いても左を向いても知らない人が沢山いるそうだ、あの人に聞いてみようすいませんこの道をどう行けば駅に行けるのですか?通りがかりの人はうっすらと笑いながら答えるこの道をまっすぐ南に行けばいいよと言われたとおりまっすぐ南に進んでみるでも そこに駅は無いどこまで歩いてみても ないそこで通りがかった人に聞く駅はどちらの方角ですかとその人はとても気の毒そうな顔をして駅はずっと北にあるあなたはどうして こんな何もない町外れまで歩いてきたのか とそれでも歩く道がどこかに繋がっている限りどんなに傷ついても歩き続ける
2003年08月12日
ていうわけで明日がバンドの演奏会です。最初は人が集まらなくて、この調子でどうなるかと思っていたのですが、団長(便宜上)が他のバンドに助っ人を呼んでいたようで、しかもこの人たちがかなり上手い。ジャズとかバラード系の曲を中心に演奏して活動しているらしいんだけれど、せいぜい高校レベルの演奏しかしたことのない僕には強烈な刺激でした。練習も、すでに楽器や楽曲に慣れた人たちが集まっているので、初見の曲でも一回通しただけで形にまとまっていく。こういうのはちょっとした快感です。もっとも、僕は足を引っ張らないように必死に楽譜をさらっていくので精一杯だったのですけど。この分だと明日は楽しい演奏会になりそうな予感。でも、最初から今回限りのつもりで参加させていただいたという感じなので、演奏会に参加するのは今回だけだと思います。自分がやりたい音楽・やれる音楽というものを実現できる環境は他にもあると思いますし、それはこのバンドではスタイルの関係上どうしてもできないことなので。今まで知らなかった新しい分野に触れる機会は貴重だったと思っていますし、そういう分野に触れることで自分の中の音楽がまた一つ広がったという実感はありますけどね。ともあれ、まずは明日の演奏会で最高の演奏をすることを心がけるのみです。というわけで、今夜はそろそろ寝ることにします。お休みなさい……。
2003年08月10日
「特命係長 只野仁」の劇中の台詞より。「だってあの人、死んでも恋愛対象にならないタイプだから」「あーそれわかります。切ない恋してるとき、重宝するんですよね絶対安牌の男。特に相手が振り向いてくれないときとか」都会って怖いですねぇ。(つД`)・゜・
2003年08月09日
2日前のことになるのですが、精神病で入院したお袋と面会してきました。まぁ細かい説明は省きますが、状況は何ら変わっていませんでした。自分をこのような状況に追い込んだ親父を恨んでいると……。保護室に閉じ込められて、飯や飲料物には毒が入っていると思って便器の水を飲んで過ごしたと。僕の人生だけが心配だと。伯父夫婦には、一生そこに居ろと言われたと。自分は何も精神を患ってなどいないのだから、面会に来てくれと。被害妄想、支離滅裂、入院の自覚なし、という状況では、これはまだ当分かかりそうだと言わざるを得ません。これからは腰を据えた、長期的な目線で見ていかなければならないと思っています。最初からすぐ治るような病とは思っていませんでしたが、予想を大幅に超える期間がかかりそうですし、また退院できる状態になったとしてもそれが即社会復帰に繋がるかどうかは果てしなく疑問ですし。こういう病気は、看護する家族の側も多分に疲労するそうです。共倒れになっては元も子もないので、まずはこちらが気を緩めて、かつ冷静な視点で事を見ていかなければと思っています。自分にも、お袋の遺伝子があるんですよね。いずれ僕もこういう病気を発症し、周囲から狂人扱いされるのでしょうか。僕自身、精神病自体は特異な病気だとは思っていませんが、自分の精神がああやって崩壊して行くのを自分自身で止められないのは、僕には耐え切れないかも知れませんね。8月5日時点で病状の変化なし、入院初期の興奮状態は治まった模様。家族の総意として、また医療上の観点から、継続入院の必要性ありと判断。面会自由。電話も許可。父に対しては、様子見の段階。退院時期は未定。加療期間も不明。
2003年08月07日
Lycosさんとこでお世話になることはや1年と9ヶ月。統合に伴い「Lycos」という媒体は無くなってしまうわけで…本当に「さよなら」なんですね。最初、ここに来たばかりの僕は<DIV>のタグを使ってテキストの位置を指定することを知らず、大塚さん方式の<center>タグでしかセンタリングできないと思い込んでおり、Lycosさんに苦情を出したりしていたものです。通常なら、そこで「こういうタグがあるのだから、そちらを使ってください。私どもでは対応いたしかねます」と突っぱねられても文句は言えないのですが、僕の声に対応してくれたのか他にも沢山同じ意見を持つ人たちがいたからなのか、<center>のタグを導入していただくことになったのでした。後でタグの勉強をしてから、それがどんなに無茶な(無知な)要求であったかを知りました。その後も、ログインが正常にいかないであるとか表示が乱れるであるとか、ほとんど僕自身のPCや設定上の問題に対して疑問をぶつけると、Lycosのスタッフの方は邪険にもせず懇切丁寧に指導して下さったりしたものです。ネットをやるようになってからいくつかのサービスと関わりを持たせていただきましたが、Lycosさんほど丁寧に対応して下さったケースはまず皆無と言っていいでしょう。最初はLycosの派手な日記デザインに拒絶反応を示していましたが、そういう対応の丁寧さや後々追加されたレイアウト変更の自由性、機能の充実などから、次第に住めば都とここを愛用するようになっていきました。統合に当たり、例え形だけとは言えどもそういうLycosが消えてしまうような思いは、残念だったり、寂しかったり、いろいろ複雑ですね。ともあれ、今はお疲れ様でしたということと統合後もがんばって下さいということしか言えません。お世話になった数々の思い出は、ネットに携わる限り忘れません。ありがとう、そしてさようならLycos。という日記を移行の3週間以上前に書いているのは、たぶん直前になると感情が高まってわけわかんないことを書くからなのですが。ともあれ、移行までの間は今まで通りよろしくお願いいたします。
2003年08月06日
自分がこれでいいと思えることって、なかなか多くないですよね。それを追い求めることは完璧主義と言えるのか、無いものねだりなのか、判りません。もちろん、求めなければ手に入らないなんてことはわかりきっているのです。そういうことではなく、ただ単純に求めるものがあるのかどうかということだけ。あってもなくても追い求め続ける姿勢には変わりないのですけど、あると信じられれば無いと諦めるよりもずっと強くそれを追っていけるような気がするのです。なんだか恣意的な日記になっていますねぇ。もっとも、そういうスタンスで書かれているのがこの日記なわけですけれども。あと1ヶ月足らずで移行ということで、だいぶメランコリーな気持ちになっているのでした。
2003年08月05日
8月第一弾の日記から、最近観たテレビ番組のレビューをしようという不毛な試み。というかね、梅雨が明けないと思ってダラダラやってたらいつの間にか真夏日更新な日々が毎日のように続いているという気象条件は絶対におかしいよ、うん。いつの間にか裏の杉でセミが鳴いてるし。ようするに暑さに負けてだらけてます。ダラダラ。■どうでしょうリターンズ 原付西日本の旅 第5夜とうとう高崎だるまが姫だるまと結婚。にっこり微笑んだだるまの不気味さ加減がなおよし。相変わらず高いんだか低いんだか良く判らないテンションの中で番組が進んでいくわけなのですが、甘い物対決はもはや魔神の独壇場ですねぇ。原付で西日本を縦断、という企画は以前にも東日本版でやったことがあったのですが(高崎だるまはその時のもの)、向こうは東京を出発して日本海ルートを直進し、最後にフェリーを使って札幌に到着しているわけで、今回の場合は京都を出発し山陰ルートから下関へ、関門海峡を徒歩で横断し九州を縦断して佐多岬へ、という超長距離ルートなワケで、たぶん実線距離でも東日本編の軽く倍くらいは行ってるんじゃないかと思います。さらにテレビの企画という観点から、カブの制限速度30km/hを大幅に超えた速度での運転・スケジュールは組めないわけで…一日どうがんばっても270km前後しか進めないワケで、しかもその間カブを運転しっ放しなワケで。そういう意味での過酷さはどうしてもつきまといますよね。まぁヨーロッパリベンジのギンミーよりは精神的には楽でしょうけど。ともあれ、秋田では来週あたりで西日本編最終回になりそうです。というか、秋田が道外で一番最初に放送開始したと思うんですが、いつの間にか他の県に抜かれてないか…?という微かな疑問が。北海道以外の地域で西日本編より放送が進んでいるという地域がありましたら、僕までお知らせください。■明日のナージャ 第26話物語の最大の伏線。ナージャを助けた星の瞳のナイトも、それから街で出会った青年も、全てフランシスではなかった。フランシスと黒薔薇の関係は?ナージャは一体、誰を好きだったのか?想いを込めて唇を交わした相手は、夢まぼろしだったのか……それとも、想いを込めたその相手こそが、真に彼女の心を惹く人物だったのか……。物語も折り返し地点ということで、これからはフランシスと黒薔薇、両者に惹かれていくナージャの姿を見ることができるのではないかと思います。しかしラストに登場したフランシスの隣に居た女性は、あれはフランシスの婚約者とかでしょうか?だとしたら、フランシスもかなり罪な男ですねぇ。いずれ黒薔薇がフランシスで無かった事がこれでハッキリしましたし、たぶん双子だったが何かの理由でフランシスはその存在を知らなかったとか、そういう設定なのでしょう。境遇としては、貴族の血を引きながらその素性を隠されて孤児院に預けられたナージャと似ているものがあるように予感します。最終回でナージャが選ぶ人は、己が信念を生きる富と名声の貴族か、それとも己が正義を生きる悲しみの義賊なのか。興味深いですね。暑いと頭の中がぼうっとします。とりあえず扇風機とエアコンを併用して、この暑さから逃避しよう。ということを公言すると電力会社とかから「首都圏じゃ電気不足なんですよ!」と声高に叫ばれてしまいそうなので、扇風機だけにしときます。海行きたい。
2003年08月03日
どうにもここ数日胃の調子が悪いです。↓というわけで、コンビニにパックおかゆを買いに行きました。↓レジに居る店員さんの女の子が意外とかわいい娘でした。↓結局おかゆ買わずにコーヒーとたばこ買っちゃいました。こんなんだから胃の調子がなかなか治らないんだと悟った7月末の昼下がり。
2003年07月31日
ども、Rolimです。暑い日が続いてますが皆さまお元気でしょうか。さて、Lycosメンバーならすでにご存知のことと思いますが、このたびLycosはInfoseekと統合し、日記サービスを楽天の方に引き継ぐことになりました。さて、日記のほうはどんなもんだろう?と思った僕は、さっそく楽天の方に仮IDを一つ作り日記を書いてみました。結果は想像を遥かに超えた使い勝手の悪さで、デザインの変更なども思うようにいかない状況であり、正直がっくり来ました。そこで、大変残念ですが、9月1日の移行に伴ってしばらく「Colors」の更新を停止いたします。理由はいくつかあるのですが、最たる理由としてやはりダイアリーの機能面の不安が大きすぎることが挙げられます。楽天のダイアリーサービスに対する不満、と言った方が近いでしょう。日記の扱いは「無期限更新停止」となります。日記ログは一旦楽天へ移行させ、しばらく様子を見た後に再開するか閉鎖するかを改めて考えようと思っています。とは言え、それも無期限であれば更新停止する意味はありません。そこで、2ヶ月間は様子見の期間に充てたいと考えています。2ヶ月間の間に何度か日記を書いてみて僕自身が楽天のサービスに納得できるようであればまた日記を続けたいと思いますし、2ヶ月間このままの状態が続くのであれば、その時は日記を閉鎖しようと思います。思えば大塚さんのところで日記を書き始めたのが2年前の9月13日ですから、移行の頃にはちょうど2年になるわけですね。僕も自分のサイトを持ち、表現の場を拡げることができ、この2年間は本当にいい経験をしたと思っています。そういう意味でも、今回の移行に伴う決断は一つの節目というかターニングポイントになるんじゃないかと思っています。とりあえずは8月31日までは通常通りLycosダイアリーにて更新を続けさせていただこうと思います。それ以後の事に関しては、現段階では上記のように考えているとしか言う事ができません。移行までに考えが変わるかも知れませんし、もしかしたら別のダイアリーサービスに移るということもありえます。たぶん、後者は万に一つも無いけれど。というわけで、まず8月31日で通常更新を終了して9月1日から更新停止(不定期更新)期間に入り、10月31日現在の状態を判断して継続か閉鎖かを決めたいと思っています。自分勝手な判断ということは重々承知していますが、やはり現行の楽天の日記機能は納得できるものではありません。ご理解を得られればと思っております。このような決断を発表することにはなりましたが、日記を含めサイト活動は前にもましてがんばって行きたいと思っています。どうかRolimと「モノクローム」を、これからもよろしくお願いいたします。
2003年07月29日
Lycosからの移行に伴って、こちらの日記をテスト中。本日は晴天なり。本日は曇天なり。本日は雨天なり。隣の竹やぶに竹立て掛けた。
2003年07月28日
FFのように家庭用ゲームがオンライン化されるケースがぽつぽつ出始め、またそれ以外のネットゲーでも人気作が増えている昨今、数年前に比べるとネットゲーの認知度もだいぶ上がったんではないかなと思うRolimです。んで今日はネットゲームにできそうな家庭用ゲームってなんだろ?ということで。みんGOLのようにすでにオンライン化されたものもあると思うので、そういうタイトルがありましたら指摘お願いします。・アーマードコア オンライン一応ネットを使ったプレイができるアーマードコアですが、それをもっと大きな規模でオンライン化するというもの。一つのミッションを複数のレイブンで受け持ったり、そのミッションを邪魔する側のレイブンに回ったり…と、なかなか面白そうな気がします。特定の会社(ゲーム中で言うところのナーヴスコンコードのような)に所属していると依頼メールが届いたり自分からミッションを探せたりとか、そういうシステムがあると面白いかな~とは思います。問題は会社体力かな。・DDRオンラインネットを使って自宅でもプレイ…というのは結構思いつきがちだと思うけれど、難点としてプレイ環境の差がありますね。専用コントローラーを使ったプレイだけとは限らず、通常コントローラーを使った上にボタン配置をガチガチに個人好みにチューニングするケースもあるでしょうし。・KOFオンライン「ポトリス」のように各人が対戦部屋に入り、使用するキャラを選択してバトルセッションに突入、戦うというもの。自分の攻撃が敵にも味方にも当たるため、場合によっては味方同士の乱闘なんて展開もありえます。ただ格闘ゲームだと上記のプレイ環境と同質の問題が発生し(例えば通信速度やメモリによる処理能力の差など)、スピーディな格闘ゲームでは難しいものがありますね。・ドラクエオンライン早い話が見た目のかわいいウルティマじゃないのか?いろんな意味で世界観が認知されすぎているだけに、それをどうやってオンライン向けにしていくかさえクリアできれば非常に質の高いMMOになるのではないかと予想。問題は「FF11」と管理体制を同一にしなければならない企業努力のほうにあるかと。個人的には日本の家庭用RPGの大家として、ドラクエはオンライン化せずがんばって欲しいところ。・ポケモンオンライン意外とおすすめできるかも。フィールド上のポケモンを捕まえて育て、NPCのいるジム戦をこなしてバッチを集めたりプレイヤーと直接対決して経験を積んで行く。その他、各種ミニイベントやコンテストをこなしていくなど、システム上ではオンライン化において全く不備がないと言えるのがポケモン世界。バトルに入る際に別サーバーに用意された「部屋」に移動して行うのか、それともそのままフィールド上でバトルするのかなどの問題が解決されれば、比較的早い段階でのオンライン化も夢ではないかも。まあこれはあくまで考えただけの話で実際にどれがどうなるかなんてことまではわかりゃしないのですが、ポケモンのように他プレイヤーとのコミュニケーションが取りやすいゲームはオンライン化しても割と抵抗ないんではないかな、とも思います。他プレイヤーとバトルするのも意外とスムーズにいきますし、PKとか何とかとか生臭い雰囲気もだいぶ減りますしね。いろいろ考えて遊んでいるわけなのですが、この中の何例かが実際にオンライン化されたら、それはそれでおもしろいものがあるなぁとも思う今日この頃。
2003年07月27日
昨日はその後、後輩たちを連れて打ち上げに行き、すでに卒業した成人組と2次会に行ったりなんだりして盛り上がりました。電車がなくなった後輩一名を家に泊め、たった今車で駅まで送ってきたところです。久々に楽しい酒が飲めました。その後、自宅の鍵をインキーしている事実に気付いて凹んでたのですが。(鍵は魔法の針金でチョチョイっとやりました…)
2003年07月26日
今日は、母校の吹奏楽部のコンクールを観に行きました。コンクールには他の演奏会やコンサートにない独特の緊張感があります。長い時間をかけてこしらえた一つの音楽を出展し、それを自分たち以外の人間にわかりやすい形で評価してもらうわけなのですから。進学校のように、コンクールが終わると三年は引退して受験対策に入るというような学校の場合は尚更というものです。失敗できないというプレッシャーがあり、より良い演奏をしようという意気込みがあり、ステージに居る50人からの演奏者と一体になれる瞬間があり、そういう時に「音楽をやっていて、良かった」と思えるものです。ちなみに母校は銀賞でした。8校出場から4校が県大会に抜けられるという枠で、演奏のレベルもそこそこ均衡していたので惜しかったといえば惜しかったのですが、相対評価で判定が出るのがコンクールのシビアさでもありますからね。いろんな意味で彼らの夏が終わり、これから冬に向けて厳しい現実と直面する時期に入っていくわけですが、音楽を楽しんだこの期間の苦しさや辛さ、悩んだこととか試行錯誤したこと、その中で努力を続けることができたことをバネにして乗り越えて行って欲しい、というのは老婆心というものでしょうかね。大学のサークル、社会人バンド、家庭での趣味、音楽に携わるには無数のスタンスがあります。将来的にそのどれを選び、自分と音楽との関係がどのようなものになったとしても、音楽を好きで居続けてくれるなら嬉しいなあと思います。かつて同じ道を歩んだ先達として。
2003年07月25日

早朝からこんな検索してる自分を、本気でどうにかしてやりたいと思った20歳の夏。ゲーム中のアブナイひと時。
2003年07月24日
すっかり昼夜逆転してしまった僕は、今日も午前9時に床に就こうとしていたわけで、気持ちよく寝ていたところ、友人が「車を置かせてくれ」と来た訳で。お袋の病院から電話がかかってきて起こされたわけで。別の友人から遊ばないかメールが5件来た訳で。お昼過ぎになると隣の家で喧嘩が始まったりしてるわけで。父 さ ん僕 は 何 時 に な っ た ら眠 れ る の で し ょ う ・・・
2003年07月23日
□田沢湖ドライブ以前にも書いたことだけど、夜中の田沢湖畔なんてめったにソロドライブしたらあかん。あそこには何か形而上的なものが蔓延っている。どうしても行きたいならせめて友達連れで(3人くらいで)、一応護身用のお札つきで行くことをお勧めする。まかり間違っても、鬱蒼と生い茂る林の奥に目をやったりしたらあかんよ。何かぶらさがってるかも知れんから。□久しぶりにイラストを描いている。遊び用ではなくて、ちょっとした依頼製作みたいな感じで。とりあえず顔のラフだけちょいちょいと描いてみたけれど、やっぱり綺麗にまとまんないなあ。でも昔よりは注意する点とかがわかってきて、そこそこ見れる感じになってきたので、まぁよしとしようか。もう何回か練習してから本番にかかろうか。□コーヒージョージアのテイスティ。如何にも安物の缶コーヒーって味なのだが、僕はこの味わいが結構好きだったりする。無性に煙草をふかしたくなったときは、テイスティを持ってジッポのオイルライターを取り出し、親父のランサーを走らせながら煙草に火を付けてみたりなんかする。街灯の黄色い灯りと煙草の火のコントラストがまたいい。とは言っても僕は本格的な煙草吸いではないので、普通にドライブしてても楽しかったりするのだけど。というわけで、今日は少し懐かしげに一日の日記の中でいくつかのテーマに分けて書くという手法を取ってみました。1年位前の僕の日記ではこれが主流だったのだけど、最近はあんまりやらなくなりましたね。というのは、最近は特にテーマを一つのことに絞り文字数を調整し、ちょうど原稿用紙2枚前後程度に収まるくらいの文章量を意識しながら書いていたということが要因として挙げられます。長ったらしく書かれた日記を読むよりは、一つのことにテーマを絞ってサクっと1分くらいで読めた方が読後感もいいですしね。まぁ日記一つ取ってみても、手法はいろいろあるんだよなってことを今さらのように再確認しただけでして、ええ。
2003年07月18日
去年の12月から取り組んでいるダイエット(後半はほぼ無意識)が功を奏したのか、ようやく体重が58kg台まで削れてきました。高校時代の体重57kgまであと少し。理想は55kgですが、ある程度筋肉もつけないとバランスが取れないので、ひとまずはこの水準を上下することになるだろうと思います。この半年間で体重14kg減とは、まぁまぁよくやれた方かな、と。さて、痩せたのはいいのですが、それによる弊害が出始めています。それはフローリングの床、じゅうたんの上などでの雑魚寝、はたまた就寝時の枕や柔らかい布団の上でさえも体勢がまずい状態にあると骨が直接ぶつかって痛いわけなのです。これが意外に辛い。今までは脂肪という天然の鎧によって守られていた僕の骨格が、この度重なる減量においてついに厳しい大自然と立ち向かうことになったのです。ちと大げさが過ぎましたが、まぁそんなわけで骨が床に押し付けられてギリギリと痛みを伴うのがなかなか悩みどころです。さらに、痩せたせいなのか少し寒がりになりました。25℃ある気温ですら肌寒いと感じてしまいます。まぁ昔もそうだったのですが、今は体力落ちてる分余計にそういうのを感じますね。早く暑い夏が到来して欲しいです。ていうか、これで痩せた原因が何かの病気のせいだったら素で泣けそうです。微妙な倦怠感が拭えないのも何か関係あるのかしら。一度精密検査受けてみようかな…。
2003年07月16日
僕、思ったんです。なぜこの世から禁煙失敗者が後を絶たず、そして愛煙家が得意気に煙草を吹かすのか、と。それは多分、重度の愛煙家を指す「ヘビースモーカー」って言葉が影響しているのではないかと思うわけですね。(例文)「俺今日さー、2時間の会議中に煙草一箱開けちゃってさー。やばいペースだよね」「えーっ、そりゃお前、ヘビースモーカーだなぁ」「まぁねー。昔はもっと少なかったんだけどねぇ…」このように、ヘビースモーカーという言葉には格闘技のヘビー級やドラゴンボールのスーパーサイヤ人のように、どこかしら格好いい響きを伴っているわけです。ヘビーなほどに煙草を呑める大人のダンディズム…とでも言いましょうか。けれど、実際にそんな量の煙草を吹かしているのはダンディズムでも何でもなくてただの環境汚染です。周囲の人は煙草の煙にむせてゲフンゲフン、本人も肺をどす黒くさせて体を壊し、さらに吸殻がまだいぶっていて火事を起こしでもしたら…と、ヘビーには百害あって一理なしと考えます。そこで、ヘビースモーカーに代わる新しい呼称を考えました。今までよりイメージ悪く、それでいて端的に内容を表現し、煙草によって苦しみ嘆き咆哮する人々がこれ以上増えないようにする決定的な呼称を!(大げさ)その名も、無差別スモーカー。(例文)「俺今日さー、2時間の会議中に煙草一箱開けちゃってさー。やばいペースだよね」「えーっ、そりゃお前、無差別スモーカーだなぁ」「……あー、やっぱり?さすがにやばいよねこれ?(冷汗)」このように、「無差別」という言葉の響きが持つ残虐性と暴力性を前面に押し出すことで全国のヘビースモーキングを減退させ、愛煙家の方々もそうでない方々もお互いに気持ちよく煙草と付き合っていける環境を広めていきたいと考えています。煙草に愛を!って、こらソコ、僕の腕を灰皿代わりにしたらあぢいいいいいいい
2003年07月15日
Lycosダイアリーサービス移行とのことだそうで。前からLycosとinfoseekの統合については聞き及んでいましたが、流れ流れて…って感じですね。僕が日記を始めたのは、「大塚日記プロジェクト」という今は無きレンタルダイアリーサービスでした。日記書きのそれこそいろはから学び、舞台はLycosに移行。様々なサポートや読者の皆様からの励ましの言葉に支えられて、楽しく日記を書き続けることが出来ました。そしてinfoseekとの統合…。Lycosに移行するときにも同じ事を言いましたが、そのレンタルサービスが自分にとって使いやすいかどうかが僕にとっては重要な決め手なのです。もちろんダイアリーサービスがそのまま移行するということもありえるでしょうし、infoseekが用意する新しいダイアリーサービスにメンバーIDのみ移行という形を取るかも知れません。それはなってみないとわかりませんし、日記も使ってみなければわかりません。しかし、サポートの状況や日記の使い勝手が悪ければサービスを利用しない、「Colors」を続けないという基本概念は変わりありません。とりあえずは移行後の判断になりますが、幸いにしてLycosにお世話になっている間に自分のサイトを開設することもでき、「表現」のためのフィールドがぐっと広まった1年と8ヶ月だったと思っています。もし僕がレンタル日記サービスをやめることになってもサイトの方の日記は続ける予定ですし、もしかすると他所のダイアリーサービスを使って「Colors」を書くことになるかも知れません。その経過はここ「Colors」や「ものくろーむ」の方でしっかり報告することに致します。そして、新たにMy日記に登録してくださった方、ありがとうございます。これからも日々つらつらと何かを書いていく日記ですが、よろしかったらご愛読くださいませ。
2003年07月12日
今日はうちのお袋の誕生日です。今はこのような状態で一緒に居て祝うこともできないし、照れくさくて正面切っては言えないのだろうけれど。誕生日おめでとう、お袋。
2003年07月11日
というわけでここ数日間の僕の行動はと言えば、まるで糸がすっぱり切れ落ちてしまった操り人形のごとく、アホのようにボーッとブラウン管を眺めながら「グランツーリスモ」を遊ぶという怠惰な日々なわけですが、いいカンジに骨休めになっています。このまま人生まで骨休めしそうで怖い予感もしてますが。さて、「グランツーリスモ(以下GT)」とはプレステで発売されたレーシングゲームなのですが、このゲームは他のレースゲームとは一線を画す存在です。なぜならこのゲームは「リアルドライビングシミュレーター」と銘打たれているからです。通常、一般的なレーシングゲームと言うのは使用する車を決めてその車の性能…加速重視or最高速重視、グリップ力向上orドリフト仕様、など…を簡単に設定し、レースに出るものがほとんどです。しかしこのGTは、それらの設定を簡単に決めることが出来ません。それでは何をもって車の性能を決定するのか。以下に、GTで設定することが出来るパーツと性能を記すことにします。・サスペンション(スプリングレート、車高調整、ダンパー、キャンバー)・前後スタビライザー(ロール剛性)・ギアキット(ギア比調整)・空力特性・タイヤセット・ブレーキキット・ブレーキコントローラ(ブレーキバランス)・コンピューター・タービンキット・NA(自然吸気)チューニング・フライホイール・クラッチ・プロペラシャフト・マフラー&エアクリーナー・インタークーラーこの設定のどれをどういじれば加速力や最高速が変化したり、グリップ力が上下するか、はたまた車を思い通りに操作できるか、などなど様々な要素を考えながらチューニングしていく必要があるわけです。ボタン一つですぐに走り出せる他のレースゲームと違い、事前に何度もチューニングを重ねて綿密な調整をしておく必要があります。さらに、このゲームに出てくる車は大半が実在するメーカーの実在する車種なわけです。言ってみれば、自分で車を買いセットアップしてGTレースに出場する感覚とほとんど変わりありません。そういう細かな設定まで自分の手で行うことができる、それこそが「リアルドライビングシミュレーター」の由来なわけですね。…んで今は国内B級ライセンスを取るのに四苦八苦してます。早くみんなと一緒に走りたいです。グスン。
2003年07月09日
というわけで皆さんただいま。へろへろなRolimです。お袋が精神科に通院していたことは以前にもお話しましたが、ここ2週間ほど状態が極めて不安定になっていました。僕は伯父の家に行って母の状態を観ていましたが、良くしてくれる周囲に対して母の興奮・覚醒はますます進んでいくばかり。最終的には一種の暴力行動や罵声的な発言も見られ、隔離が必要だと判断した伯父一家と僕で父や病院に連絡を取り、入院の手続きを取ることとなりました。幸いにして病床が確保できたため、在住地から少し離れた精神科及び障害者のリハビリテーションを専門とする医療施設の閉鎖病棟に入院することになりました。病名は「非定型精神病」というそうです。若年層に良く見られる「統合失調症」などと肩を並べるとかいう話も聞きましたが、うろ覚えであまり知ったかぶりはしたくないのでこの程度で。入院直前のお袋は錯乱状態にあり、正気を失った瞳で誰に何を聞かれてもただただ「私は(かかりつけの)先生を全面的に信頼している」「もう、この子(=僕)に全て任せてあるので…」「この子の暴走運転だけが怖い」「私は精神的に異常は無いが、むしろこの子の方が精神的に失調している」といった内容の発言を延々と繰り返すだけになっていました。この状態では本人に入院の意志を問うことができず、しかし医者も家族も共に入院治療が必要であると認めたために「医療保護入院」という措置を取ることになりました。当然のことながら自分の身に何が起きたかも良くわかっていないお袋は、突然周囲の環境が変化したことで驚きと不安を抱いたのでしょう。医療チームに対して暴力を振るったと、担当の看護士から聞きました。注射で強制的に入眠させたとのことで、医療行為として納得して欲しいとのことでした。当面は外界との刺激を避けて閉鎖病棟に置かれ、家族との面会もしばらくはできないそうです。いずれにせよ、僕がお袋にできることは事務処理の代理執行と生活用品の取り揃えくらいになってしまいました。今回のことは、もちろん僕や周囲の人間の精神病についての知識が足らなかったことが原因の一つとしてあります。しかし最も恐ろしかったことは、お袋が自分の状態を「抑鬱状態」と信じて疑わず、次第に覚醒していく(ように感じる)自分の状態が「回復」であると思い込んでしまったことも原因の一つとしてあるようです。まぁ、お袋の状態を永らく「抑鬱状態」であると診断し続け、特に様子のおかしかったここ数週間でもそういった状態の変化に対して何も言わなかったかかりつけの医師にも多分に文句を言ってやりたいところはあるのですが。いずれお袋は専門機関に入院となりました。入院の期間は3~6ヶ月程度。再発の可能性もあり、根治は極めて難しいという情報も目にしています。脳障害の一種ではあるらしいのですが、人によってはきちんと治療できて社会復帰もできるとのことなので、今は病院のスタッフの方々だけが頼みの綱です。今回のことで、精神の病というのは想像以上に恐ろしいものなのだなあとつくづく痛感させられました。心の風邪という表現がありますが、文字通りです。大したことない症状だと侮っていると、とてつもない大病を患う可能性があるのですから。精神的に鬱だと感じたり、近頃不眠の気がある・神経が覚醒している感じがするなどの異変を感じたら、すぐにお近くの(比較的専門的な)精神病院で診察を受けることをお勧めします。恥ずかしがっていてはいけません。追い詰められて自分の命を絶ってしまったり、周りの人間関係を壊してしまってからでは遅いのです。そしてもう一つは、インターネットや医学書などには精神病による記述がさまざま為されているのですが、決して自己判断をしてはならないということです。今回のお袋の例はまさにそれで、お袋は自分が抑鬱状態でありハイになっている自分は多少覚醒しているだけで正常そのものだと思っていましたし、僕を含む周囲は周囲でそんなお袋の状態を少し攻撃的な「躁鬱状態」程度に思っていました。もっと早い段階から誰もがお袋の状態を疑い、専門の精神医療機関で診てもらっていれば…と思う気持ちは、少なくありません。いずれ、僕ができることはもうなんにもなくなってしまいました。今はいろんな意味で精神的にも肉体的にも疲れが残っているので、これを機会にと言うと少し聞こえが悪いですが、僕自身もゆっくり療養を取ろうと思っています。何より、現在の自分の状態もひょっとしたら抑鬱なのではないか…とか、いつかあの時のお袋のように自分もなるのだろうか…という軽い被害妄想が自分の中から拭い去れなくなっているのが、たまらなく嫌です。当分は睡眠時間をたっぷり摂り、心的負担になる行動を避けて生活して行こうと思っています。今回の件について、「Colors」及びサイト「ものくろーむ」ご利用ご愛読の皆様、さらにネット交流のある方々、リアルでの知人友人などに多大な迷惑をかけてしまいました。申し訳ありませんでした。いきなり以前のようなペースで更新再開というのはちょっと無理だなーと思っていますが、少しずつ慣らして以前の感覚を取り戻して行きたいと思っています。日々くだらないことを書いたりおちゃらけて楽しんでいるのが、僕にとっては何よりの精神安定剤なのですから。これからも、Rolimと「ものくろーむ」を宜しくお願いいたします。
2003年07月07日
ども、Rolimです。何とか死なない程度に生きてます。この数日間ネット世界にダイブできてませんでしたが、実を言うと僕はこの数日間家にすらいませんでした。理由は、親父に窃盗の容疑をかけられたためです。僕は「財布の中から家計費の8万円が消えている。お前、どこにやった」と親父に問いただされました。家の中には僕と父しかいません。財布の中にあったはずの8万円は今はどこにもない。父が僕を疑うのも仕方のないことだったのかも知れません。でも、僕は悔しかった。触ってもいない財布から触ってもいない8万円を抜き取ったと疑いをかけられ、僕は無実の汚名を着せられました。血を分けた肉親に。それが悔しくて、情けなくて、腹立たしかった。そのまま僕は必要最低限の荷物を持ち、家を出ました。自分は絶対にやっていない。きっと親父が酔った勢いでどこかにやってしまったんだ。僕はそう思っていました。自分は絶対にやっていない、その信念だけを胸に。流れ流れて幾たびの晩を過ごした次の夕方、親父から電話がかかってきました。「8万円は鞄の中から出てきた。悪かったな。俺も少しおかしくなっていた」もちろん、その言葉だけですべてが解決したわけではありません。もし僕が赤の他人だったなら、父は名誉毀損で逆に訴えられていたことでしょう。僕は汚名を返上し、こうして父の謝罪を受けたが、あらぬ嫌疑をかけられたときのあの言い知れようのない悔しさとみじめさがこの一言で解消されたとは思っていません。僕は親父を許さない、とは言わない。自分から謝ってきた父の誠意を評価はしたい。けれど、同時に物や金がなくなったことで最初に息子を疑った、僕を見る親父のあの眼だけは綺麗に忘れ去ることはできない。たぶん、これからも記憶の中に残り続けることでしょう。僕の心に宿る大きなしこりの一つとして。まるで嘘のような、ドラマのようなお話ですよね。自分でもこれが本当の話だなんて思えませんし、夢だと思えるなら思い込みたい。でも、目の前で繰り広げられた現実のお話です。寝袋一つ抱えて家を飛び出したあの日の僕の姿を、皆さんにも見せられるなら見せたい。今、この更新は従兄弟の家から行っています。他所様の家のネット環境を好き勝手に使ってるわけにはいかないので、次に更新する機会もネット世界にダイブするタイミングも確約はできません。けれど、なるべく早くにこの問題を解決して、「我が家」に戻ってくるつもりではいます。現段階では日記およびサイト閉鎖も引退も考えていません。もう少しだけ長引く問題になるかと思いますが、どうかもう少しだけ時間をください。よろしくお願い致します。2003年6月23日 Rolim
2003年06月23日
「ものくろーむ」のサイドコンテンツ閲覧者の皆様およびRO内関係者の皆様へ現在諸事情により、ネットゲームはおろか家に帰ってPCを繋ぐことすら不可能な状況に陥ってます。リアルが抜き差しならない状況になっていて、本来別々のカテゴリに属している問題が一気にここ数日で爆発しているのがその最たる原因です。少なくとも明日まではこの状況が続くことが予想されます。返信や反応が大幅に遅れ、日記の更新およびネットゲームのログインが困難な状態です。どうかお許しください。後日どれだけ詰られようとも甘受いたします。なかなか解決しない問題なども山積みで正直へばってますが、それでも僕は僕で何とかしていくしかないなと腹は括ってます。ついでにネット接続は僕の趣味というか今のとこ最大のライフワークなので、日記の閉鎖も引退も考えていないことだけはここに明記しておきます。どうかもう少しだけ僕に時間をください。よろしくお願いいたします。「ものくろーむ」管理運営者 Rolim
2003年06月19日
最近僕が凝ってることといえば、深夜のドライブです。日中は車も多くてゴミゴミしてますし、車内の温度もすぐ上がったり下がったりするので好きではありません。他の車の通りがありったけ少ない午前0時~2時くらいの時間帯を選んで愛車を駆るのがもっぱらの楽しみだったりします。んでたった今も田沢湖畔を攻めてきたばかりです。問題なのは、家から500mくらいのところにあるコンビニに出かけたつもりがどうして家から50km離れた田沢湖畔にいたのか全然理解できなかったことくらいですけど。んで、僕の家から田沢湖畔に入るにはいくつかのルートがあるわけですが、僕はその中で最短で行けるルートを選択しました。国道105号線を通り、途中で峠道に入ります。そこから田沢湖畔を半周し、国道341号線の方に出て生保内(おぼない)という地区を通って国道46号線を辿り、再び国道105号線に入って家路に就く、というルートです。往復2時間くらいの行程でしょうか。(参考リンク:Map Fan Web 秋田県地図)んで田沢湖に向かう途中にうっそうと繁る峠を越えていくわけなのですが、これがね、もう怖い怖い。他に車もいませんし、対向車もありません。もちろん街灯なんて気の利いたものも、あんな山奥にはあるはずもありません。ひたすらヘッドライトに映る闇の世界、そしてぼんやりと見える山の輪郭を目で辿りながら、何もない暗黒の道をひたすら進んでいくわけです。あまりに怖くて歌でも歌わないと気が狂いそうでした。さらに湖畔に到着するも、当然のことながら他に車は一台も通っていません。ただでさえビクビクしていた僕がふと横に目をやると、そこには真っ暗闇の中で神々しくライトアップされた黄金のたつこ像が。刹那、フルスロットル120km/hでその場を立ち去ってしまいました。田沢湖というのは駒ヶ岳という大きな山の麓に出来たカルデラ湖です。なので、基本的に周囲は林というか山に囲まれています。夜なので青く深い田沢湖は影も形も見えず、代わりに僕を出迎えてくれたのはどこまでも続く闇と今にも襲い掛かってきそうな木々の陰でした。本当に運転してて泣きそうでした。と、夜の恐怖感と必死に戦ったところで田沢湖畔に別れを告げ、一路341号線へ。ここで初めて対向車に会うことが出来ました。恐怖と必死に戦ってたのは僕だけじゃない!同志よ、共に頑張ろう!とサムズアップしながら対向車の車内に目をやったら、何だか人影が2つ見えました。女連れかよ。恐怖と必死に戦ってたのはやっぱり僕だけでした。そこからローソンの角を曲がって46号線へ。ここからは少し車の通りが多くなり、ようやく孤独感から解放されました。まぁその代わり、思いっきり後続車に煽られたんだけどネ☆世の中せちがらいなぁとか思いつつ走行してきました。帰りに46号線の通りでいとこの家の近くにあるローソンによってコーヒーとオムおにぎりを買ってきました。そんなこんなで2時間と10分のドライブが終了したわけなのですが、何ていうか田沢湖は一人で行く場所じゃないね。怖すぎるもの。せめてもう一人くらい連れて、デジカメかなんか持ってってリポートでもしながら走行できればもう少し楽しかったんだと思うのですが、一人だと会話もないし楽しみもないし、ただひたすら目の前に迫る暗黒とにらめっこしながら車を走らせなきゃいけないわけです。ホントもう勘弁してくれよと。ドライブ自体は道路が空いてて警察もいなかったので至極快適だったのですが、あの寂しさや孤独感と戦うのは並大抵ではありませんでした。次回行くときは絶対に誰か連れて行く。女性ならなお良し。むしろそのまま田沢湖畔で一泊しt(以下強制削除―おまけ―帰りに中仙町というところにあるジャスコに寄って来たんですが、何故か食品部門だけ24時間営業でやってました。そもそもあそこを24時間営業にする意味がわからないというか、そんなん近所のコンビニに任せとけよっていうか、頭のいい人たちのやることはよくわかりません。今度行くときは写真でも撮ってアップしたいなぁ。それではお休みなさい。
2003年06月17日
全612件 (612件中 1-50件目)


