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昨日はオール8の日で(08/08/08)これに縁起を担いだかどうか知らないが、北京オリンピックが開かれた。やっぱり比較してしまうのが東京大会だ。鐘の音のような電子楽器から始まって、入場行進、聖火点火、鳩が舞い、上空に自衛隊機の描く五輪マーク、素朴な思い出が残っているが、どんどんド派手になっていく演出と、開始時間を放映権を持つスポンサーの国に合わせるという傾向にはちょっと閉口している。
だいたい30度を超える暑さの時期に開催する、深夜に開会式が及ぶ、どれをとっても選手には負担だ。もっと涼しい時期を選んでやればいいし、花火なぞ使うなら夜しか仕方がないけれど、かくも深夜まで、はどうかと思ってしまう。 オリンピックの商業主義はサラマンチ前会長の遺物だと思うが、これからも環境にも人にも負荷をかけながらやるのだろうか。
オリンピックを国家高揚の手段としてはじめて位置づけたのはヒットラーと聞いている。 心理的にはその頃の再現な様な気がしてしまうのだ。「国家は金なり」まあ、一部真実ではあると思うが、「合唱のオリンピック」と言われる世界大会が去年京都で行われたけれど、ここまで金は使わなかったはず。神戸でその出演者のコンサートを聞けたのはラッキーだった。
世界的にも「運動部優先」なのかなあ。(文化部系の愚痴か?)
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