老父のつぶやき

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2008年08月16日
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テーマ: ニュース(95927)
カテゴリ: 視・紙・誌面から

終戦記念日に靖国に参拝する人は多かろう。私の親族には戦死した人がいないので、あまり自分の問題として捉えられないのだが、天皇のための国内外の 戦争でなくなった人を祀る、と言う大前提があるようだ。戦犯の合祀についても、これは当時の宮司の判断もあったのだろうが、天皇のために死んだ、と言うの も事実だろうが、この人たちの行動がなければ多くの若者が死ななくてすんだ、と言うのもまた真実だろう。

「英霊」と言う名の戦死者の美化の 元に、若者を戦場に送ったわけだ。「お国のために死んでこい」「命を捧げます」と言う教育で育ち、「死んだら靖国に帰る」「ここに来れば息子に会える」と も教育されたわけだ。いかに占領軍といえど、その元凶たる靖国を潰したら暴動が起きる、と判断したのだろう。まさに国策神社は、宗教法人として再出発した のだ。

しかし、ここには宗教なのか?と言う疑問が素朴に残る。戦死者だけを特別に入信させるような宗教があるだろうか? 自分の内なるもののよりどころを求めて入信する、と言うのが本来的な姿と思うが、ここからして疑問。私はお寺のつきあいとして、一応浄土真宗の末席を汚し ているが、親鸞の教えに共感するところも、反発するところもある。が、まあ時代背景も違う事だし、と考えている。

「英霊」というのも私は人 は死んだらそこで無に帰する、と考えているから戦死者の遺族に対する美辞麗句と考えている。靖国の遊就館の資料を見ると、若者たちの遺書が展示されてい る。しかし、これが本人たちの生の言葉だろうか、と言う疑問を禁じえない。検閲を受けた事は想像に難くなく、 「演出された」ものである可能性もあるという事だ。

お国のために死んだ、と言う考え方、国に殺された、と言う考え方のどちらに立つかで靖国の評価は真っ二つに割れる。「死んでなお家に帰さない」「ここに生きている」これも考え方だが、当時の国家の性格から考えて、遺族を納得させやすいのは後者だろう。

どちらにしても、「もう戦争はしない」 とすべきだと思うが、靖国には、その香りがうすい。これからも戦争を知らない世代が増え続ける。日本遺族会はどう動くのだろう。国家の争うレベルは少しも変わっていないように思う。






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最終更新日  2008年08月16日 07時48分58秒 コメントを書く
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