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サンデー毎日が図書館にある。総選挙が行われたらどうなるか、の予想で、「自民惨敗、民主躍進、としている。私も今ならそうだろうな、と思う。ぺらぺらとめくっていると、「中高一貫校の偏差値」何の事かと思ったら、小学校の成績らしい。で、なにかにとコメントをつけているのが能開とやらいう塾の先生らしい。要は、能開と言う塾の全国チェーンがあって、そこの試験の受験者が統計のサンプルらしい。で、自分の偏差値ならどこに行けるか、くらいの資料である。
偏差値という言葉を初めて聞いたのは旺文社模試だったから、まあそれが小学校までおりているという事だ。さすがに灘中学なんかはかなり高い。私の母校は・・・と見ると、偏差値50だった。要するに中の中なら入れて、そこそこの大学に進学しているという「お買い得」らしい。
ただ、受験対策だけが学校かというと、そうではなかろう。仲間といたずらもし、先生に叱られ、揉まれながら大きくなっていくわけだ。偏差値による切り分けみたいなものがどれだけ意味があるか、はなはだ疑問だ。近隣の最高進学校の生徒の通学態度の悪さは私も知っているし、ひいき目もあるかも知れないが遥か下の後輩たちの方が好ましく思う事もある。 まあ、商売の看板として、有名大学への進学数は大事だろうが、現代の大学生が幼児性を抱えているのもまた事実である。
あれもこれもと望むのは無理なご時世かも知れないが、私の母校ではその昔、父の日に参観日を設け、生徒を帰したあと、何と屋上でビヤガーデンをやったそうだ。父親たちがみんなで一杯やったわけだ。今だったらぼろくそに書かれるだろうが、このくらいの事を企画する校長がいても良いように思う。そういえば私もクリスマスの慰問の打ち合わせでワインを頂いた事がある。高校生によくもまあ、とも思うが、おおらかな時代でもあったのだろう。
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