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1つは押尾学被告 もう一つは村木厚子被告。検察の両極端を見る思いがする2つの裁判だ。片やタレントが薬物を使って自らの罪を逃れようとし、証人が次から次へと被告が罪人であることを証明していく見事な検察の陳述。そしてもう一つは関係したとされる政治家のアリバイを見事に証明されてしまったシナリオ書きの杜撰な捜査ぶりである。
特捜部と言うのはエリートの集団だろうと思っていたが、そんなことはないんだ。シナリオを書いて調書を作り上げ、それに署名しろと強要する。捜査の透明化が叫ばれる中、多分一番反対しているのが検察だろう。今までの手法がとれないからではないか。しかしそのことは昔からいわれる「警察とやくざなんて似たようなもの」の裏返しのような気がする。権力は腐敗する、を地でいっていないか?
そしてもう一つはマスコミの取り扱い。あのうるさい取材攻めに自分がおかれたらどうするんだろう?嵐どころじゃない。そして結果的にそれが間違った冤罪であっても、反省も謝罪も聞いたことがない。売れりゃいいのか?社会の木鐸などとうぬぼれぬ方がいい。今やマスコミの報じないことを民衆が知る条件がどんどん整備されている。
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