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阪神大震災の日だ。あの日から20年。ゴーと言う音で目を覚ましたが、動けなかった。経験したことのない長い揺れだった。テレビをつけると神戸だけが震度の表示がない。阪神高速が倒れ、バスがはみ出し、火の手が上がる。あの時代にスマホがあったらもっと生々しい映像が蓄積されたことだろう。
あの時代、ビデオカメラはまだ30万円近くしていたように思う。今や2万円台の目玉になっている。スマホはビデオカメラとコンピュータと通信機が一体になったようなもの。20年の間にはそんな変化もあった。
幸いと言うか、親族に犠牲もなく、会社の関係者に餅を送ったくらいであとは一般的な生活だった。忘れてはならない、と言うけれど忘れざるを得ない部分もある。東日本の震災では原発問題があぶり出されたけれど、何もせずに再稼働に走っている。こっちのほうがよほど間違ってるんじゃないか?
災害が起きると必ず出てくる「絆」と言う文字。人や動物をしっかりとつなぎ止めておく綱のことだそうだが、私の勝手な解釈は糸の半分。常によっておかないと無力である。再生産し続けなければならないと読める。都合のいい時だけ引っ張り出さないで欲しい言葉だ。
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