老父のつぶやき

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2020年07月24日
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カテゴリ: 視・紙・誌面から
ALSというのはだんだんと全身の筋肉が運動機能を失っていく病気だ。次男の自閉という障害のこともあり、肢体不自由児者と対面する機会もあったが、知的障害とは別の観点で難病だなあと思わせられたものである。一言で言ってしまうと、「明日は必ず今日より悪い」ことが確実なのである。知的障害は「明日は今日より良いかもしれない」と言う根拠はないが希望みたいなものがある。

しかしこの病気はそうではない。また周囲の世話の負担も大きい。移動するのはベッドごと。車いすの範疇ではない。それに付属する機械があるから、移動となると中型のバンかなにかということになる。体温の調節も難しいので保温・冷却のためのものも必要らしい。先頃、令和新選組の身体障害の議員が誕生したが、あの人達はまだ軽症な方だろうと思う。

仮に自分がそういう病気に罹患したら「死んだ方がマシ」と考えるだろう。知的障害のこどもに脳をわけてやる訳にいかないかと考えるのと同じだと思う。「こどもを殺して自分も死ぬ」と言うことをほんの一瞬でも考えない人はいるまい。障害を持って生きるということはそういうことを考えざるを得ないのが日本の国である。

SNSというのはこう言う場合、障害者の家族の絆になることもあれば今回のような影の部分に発展することもある。医師は病気を治すのが仕事だが、同時に「生かさない」術も心得ているはずだ。私のかかりつけの医者は「人間、病気や事故で死ぬか、寿命で死ぬかのどっちかです。医者というのは寿命で死ぬ確率を上げているだけに過ぎない」と公言する。

安楽死がみとめられていないので今回の事件も有罪になるのだろうと思うが、問題は自分の生死を自分で決めるのを本人の権利と考える人がどれだけいるのかということだろう。コロナの重症患者でも、「延命治療を望まない」人にしてあげられることは情けないほど無い、と言う医者の言葉があった。本人の意志で他の人のためにベッドを明け渡す、と言った人の言葉に従ったら、それは医療放棄になるのだろうか。

今回の事件はいのちの自主的な選別という大きな問題を投げ掛けるもののように思う。





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最終更新日  2020年07月24日 16時39分02秒
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