老父のつぶやき

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2025年10月24日
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カテゴリ: 視・紙・誌面から
正直あまり好きな言葉ではないが,親の収入や資産のあり方でこどもの将来があらかた決まってしまうのをこう言うらしい。私が生まれたのは朝鮮戦争の時で世間は好景気に湧いていたと言う。戦後の混乱が少し落ちついた頃だろう。

父は軍隊が内地勤務,しかも隣の姫路だったので歩いて帰ってきたらしい。ドラマにあるようなくたびれ果てた状態ではなかった。農地改革で小作から抜け出し,小さいながら田圃を得て農業をやりながら商売に手を出した。現在であれば中卒の学歴だったが,経理の知識を身に付けていたので、稲作の年に一度の収入よりも日銭の方を選んだらしい。幸い商売も軌道に乗ったが,大手スーパーの進出で結果的には店を閉じる事になった。東京オリンピック・私が中学校の頃の事だ。

当時は建設ラッシュの頃だった。建設の一部を受託するような仕事で何とかしのいでいたが,サービス業で古い友人の世話があり,また会社を始めた・・というような経歴で,「お前は大学行くなら私立は無理だぞ」と何度もいわれた。幸い地方の国立大学に合格し,進学したのだが授業料が月額1000円の時代である。時は学園紛争真っ盛り。
まあ何とか卒業し,比較的大手の食品会社に就職,結婚して子供も産まれた。あっという間に大きくなり,地元の公立大学に進学。この時の授業料は年間50万ほどだったと思うが,まあ何とか捻出した。現在機械メーカーで働いている。孫1号は中学生。

考えてみると,わが家のガチャはまあ比較的当たりだったのかも知れない。高等教育を受けたから偉いとかいうのではないが,一応の学歴もつく。親に教育の熱意と資金があればこその事だが,進学の時にたまたま資金の状況が悪いと,そこから外れる事になる。

私の知っている,芸術系の国立大学に進学した子は借り入れた奨学金が卒業時に300万円にもなっていたと言っていた。この頃の学生生活はアルバイトが前提みたいにいわれているが,授業料はわれわれの頃の500倍にもなっている訳で,生活は苦しいはずだ。もう少し若者を育てる政策をとって行かないと,「日本に生まれたばっかりに」と考えるひとが増えて聞くのではないか。

日本に生まれて良かった,と思える人材がまず必要なように感じる。新内閣が動き出したが,今年ノーベル賞が2名も出たのは初めてだと思う。ご本人はかなり変人と伺うが,変人の研究が出来る国がこれからの伸びをになうのではないか。お一人は「研究費の増額」を直訴した。





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最終更新日  2025年10月24日 23時22分07秒
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