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母は戦争中にお金持ちだった父を亡くし、
その後大きな工場も火事で無くしてしまったのだそうだ。
まだその頃小学校に行くか行かない位の年だったそうだが、
田舎で食べ物には比較的恵まれていたとはいえ、
家族総出で働いて、母が家事をしなくてはならず、
小学校の教育さえまともに受けられなかったそうだ。
なので、その分子供に期待する教育ママゴンになってしまったのでした。
自分は頭が悪いのではなく、単に学校に通えなかっただけなのだ
と言う事を、子供で証明したかったんじゃないかと、
子供ながらにそんな気がしていたのでした。
ともかく押し付けがましい母で、私はずっと母が苦手でした。
楽になったなと感じたのは、大学で実家を離れた時。
生き返る気がしました~-♪(ノ^^)ノ*:・゚☆。.:゚★゚・:*:.。.:*:・゚☆
その後は割りと仲良し母子で来たと思う。
大人になってから、母は良い人と思ったのは、
近くの一人暮らしの、
ものスゴイ評判の悪いゴウツクばばぁ、(と呼ばれたおばあさん)
が自分の畑で取れたものを売りに来る時、必ず買ってあげていたこと。
時に「売れ残りなのに、全然負けないんだから」と言いながらも、
向こうが売りたいものを、望むままに購入していた。
そのおばあさんは定年まで学校の先生をしていたので、
年金も一杯もらって、土地も沢山持っているという話だったけど、
でも育てた養女にも見捨てられ
(その子も随分辛い思いをしたと聞く。
耐えられずに家を出たのだそうだ)
心細かろうと、
駅に行くと聞けば、気持ち良く車で送り迎えもする両親だった。
そういうところ、とっても尊敬できると思ってました。
おばあさんったら余りにもわがままなので、子供ながらにムッとして、
もう相手にしないほうが良いんじゃない!?と言ってしまう事も
あったのですが、両親は「ま、いいよ」と流してました。
今考えてもエライです。
ちょっとの事で人が少しでも幸せになるなら、お安いものだと
それを楽しく受け止めていたのかな、なんて思います。
そのおばあさんが亡くなったと聞いた時は、
意外や、私もとても寂しいと感じました。
人とのつながりは、好き嫌いではなく、そういうものなのかもしれません。
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