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気持ちを開放して、心配しすぎず、ケセラセラでいこうって思っているのに、
それを繰り返し口にしないと、無駄に心配しすぎてしまう傾向が強い。
大した効果があるとは思えないのに、無駄に心配する癖を持てあます。
わかっているんだけどね。
例の洪水問題、あれからも全く進展が無い。
これから夏になれば台風被害がどれだけになるのか、想像できない。
今日は会社から帰ったとたん、同じ分譲地に同時期に家を建てた奥さんが来て洪水被害について少し話をしたのだが・・・話せば話すほどお互いもどかしく、どうも会話がかみ合わない。
これは昔からで、彼女とは経歴が似通っている割に全く理解しあえないのである。
今日も彼女が何を言いたいのかさっぱりわからなかった。
同じ分譲地でも、我が家だけが他の家よりわずかに、多分20センチかそこら土地が高くて、
田んぼが減るにつれ他の家が川の洪水で被害を受けるようになっても、我が家だけが無傷だった。
それが長年気に障っていたという事なのか?よくわからないけど、彼女は
「今までうちの方に溢れていたおかげで、りぃー子さんちは免れていたんだから」
と言う。
だから?
今度はうちの番ってこと?
彼女の方に溢れないような工事を市にさせて、平和を勝ち取った彼女。
だから今度はうちが被害にあっても当然だって意味かしら・・・
彼女の事は考えない方が良いのだと思う。
話は変わる。
私は昔から気功に興味があり、近所の公民館で行われていた医師と看護婦さんの気功の会に入会するためには太極拳ができないとダメと言われて、5年ほど太極拳を習った。でもその間に気功の会は無くなり、その後太極拳も私が通える時間帯の教室が無くなってしまって。
そんな時、レイキと出会ったのだった。
私は気功を知りたいと思ってきたけれど、実際はレイキを探していたのかもしれない。その辺の違いってよくわからないよね。今もわからないままだが・・・
レイキは一般的には2日間のアチューンメントを受けて数十万円を支払う事が多いらしいのだが、私は普通の習い事の月謝程度の費用で受けることができた。
すぐには何も変わった感じがしなかったけれど、何より次第に気持ちが楽になってきたのだった。
それまでは自分さえ良ければそれで良いと思って生きていたと思う。
他人を蹴落とそうとか、人の不幸は蜜の味とか思うに至るまで切羽詰る事が無かっただけで、
実際はとても心が貧しくて、視野が狭く、人が許せず嫌いだったんだと思う。
自分が信頼できる、好きな人はほんの一握りで、それ以外はくだらない人、みたいな感覚だったのかもしれない。
でも、レイキを習ってからは、自分と他人との境界があいまいになって、
と言ってもまだまだ相変わらず運転中などはイライラしたりカッとなったりしがちだけども、
それ以外は他人が気にならなくなって、自分も人も、これでいいんだなと思うように変わってきた。
あったかいというと、ありきたり過ぎな言葉だけど、人も自分も生暖かい存在で、それがいいのかもしれないなと。
暖かさの源は、自分の中ではなくて。
それは世界や宇宙や太陽のつながりの中心から溢れ出てきて、
レイキっていうのは、その暖かさを自分を通じて噴出させる方法なのかもしれないと思う。
なんて、私はまだ3回位しかレッスンを受けていないのでど素人。でも・・・やっぱり変化が有難くて、そのおかげで元気になってきた。
今回も、必要な事は自分で動かなくてはならないけれど、でも気持ちの面ではレイキの力を借りて乗り越えたいと思う。
今はまだ苦しくて、どうしたらいいのか迷っている最中だけれど、ただ暖かさと光が自分を通して輝けたらいい。
自分は輝かなくて良い所が、レイキの良いところで、
自分は光や暖かさの媒体になればいい、というイメージなのだと思う。
光は元々あるのだが、媒体が多くなれば、世の中はもっと暖かくなるというわけだ。(多分?)
具体的な事を細かく言って願うほうが良いとも聞くけれど、私は面倒くさがりなので
いつも余り細かいことは考えない。ただ、なんとなく全てが収まると良いと思う。
あるべきところに、収まるようにと願う。
つまりは、余り突き詰めて悩んでもいいことは無いだろうと。
要望を出したり、かけあったり、動き続けるけれども、
気持ちをもっていかれてはいけないのだろうと思う。
ちっちゃなことで復活 2025.06.21
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