りぃ-子’s SCRAP BOOK

りぃ-子’s SCRAP BOOK

2020.01.12
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知能が低いとか、できることが少ないとか。
殺したり関わったりするわけではないにしても、しょうがい者を差別する人はとても多い。
大概のことは普通にできるとはいえ、ちょっと遅い、いつまでやっても理解できない、雑。。。というようなことは多く、その程度の人でさえ、平均値よりかなり下だと思われれば、次第に差別されていく。

その時、周りは「もっとしっかりやれ」と言う。
しかし、本人から見れば自分は周りの人と同じく一生懸命やっているので、謙虚に反省することなど無く、むしろ反発してくることが多いんだなと、段々わかってきた。

「世の中の人は、なぜか一生懸命やってる自分の仕事成果を正当に見ず、差別してくる」と思うようになるようだ。

こう書くと、これこそ差別と思われるだろう・・・
でも、おそらく人間とはそういうものなのだ。

多分もっと高等生物に比較したら、人間の平均値はもちろん、かなり優れたと言われる人でさえ、


でも、それがなんだろう。
遠くの星の生物並みにいろいろできなくたって、その中で優劣を細かくつけながら、人類は生きている。


人間の中では「関わり」があり、一緒に仕事をしていると、しりぬぐいや、再度の確認やら・・・
周りで一緒に働く誰かの仕事に負担が加算されてしまう。
だから、一緒に働く人は段々馬鹿にし、邪魔にするようになってしまう。


でも、働ける人なら、本来差別されるような日常の不便は無いはずで、車の免許も持ってるし障害者ではない。

大して高等でもない人類の中の、細かい差別と障害という壁なんて、無い方が良いに決まってる。

でも、直接関わるとイライラしたり、一緒に働くと損をするとか感じたりしてしまう。

そんな事を、一度も感じたことがない人は本当に心が優れた人だと思う。
私はそんな人になりたいが、なかなか難しい。

でも、一緒に楽しく生きていくにはどうしたら良いか、と考えてはいる。


あっけらかんと楽しい話をして周りを笑わせてくれる人も多い。
誰かが寂しい思いをしている時、声をかけてくれる子もいるし、同時に、周りの思惑も感じず大きな声で誰かがイヤな思いをするようなことを喋って、周りを凍りつかせたりも・・・
「うーん、やっぱりあの子は・・・」とは思ってしまう。

でも、本人は、どうして一段下に見られるのか、今後も理解できず、
「自分は先輩なのになぜ不当な扱いを受けるのだろうか、不公平だ」と思うしか無いのだろう。

「わかってるよ!!何だ、自分は先輩だぞ。ちゃんとやってるじゃないか」と声を荒げてしまったり、怒ったりするようになって、扱いにくくなる場合もある。

差別心を持たない人になりたい。
一緒に楽しくこの世で暮らしていければいい。
でもその簡単な事がなかなかできないで、平均的なレベルでできないだけで悲しい思いをさせてしまう現実。
差別心無く他人をありのまま受け入れ、自然に楽しく支えあえる人を誰より素敵だと思う。


人間としてあまりデキの良くない私としては、ときにはむっとしたり、厄介な人だと心底ウンザリする日もありつつ(会社でトイレの不始末の片付けをしたりする時)、でも総合的に観て個人として結構好きだから、これまで通り一緒に暮らしていく普通を大事に思う。
なにより、悲しい思いをするのを観たくない。

でも、少しの葛藤や諦めは感じてしまい、そのことに後ろめたさを持ってしまうんだな。


私が思うに。
全員ではないけれど、多くの特別優れた人には差別意識が薄い。
なぜなら、彼らから見れば人類の大半が自分が簡単にできてしまうことができない劣った人たちであることが、生まれたときからの普通だからだ。
自分と同じことができない多くの人々の中で、又細分化してレベルを区別する意味がない。

人種差別と同じく、他人を差別することで少しでも自分の存在意味を確認したいのは、どこかで「スレスレ」という危機感を持つ人たちが主なのかもしれない。





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最終更新日  2020.01.12 10:38:54
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