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僕に1匹だけ天敵がいる、シーズーのロン君である。僕を見ると何時も吠えてくる、僕も負けずに吠えるためすごく仲が悪いように思われてるの。ロンは1年半20歳シーズーである。ロンが僕の天敵になったのは、最初に散歩で会った時僕を見るなりすごく吠え出したの、だから僕も売られた喧嘩はと思って吠え返したの。シーズー犬は本来由緒正しき出身の犬種です。祖先は中国の王室で、数百年にわたって飼育されていたペキニーズとラサ・アプソとの交配によって誕生し品種として大切に育てられた。門外不出のため長い間世間に知られることは無かったが1930年代になってから初めてイギリスに渡りその後1958年にはアメリカでも人気が高まり広く知られるようになったのである。けなげな性格をしてるハズなのに、僕にだけは吠えまくるの、ロンは僕のパパにすごく懐いているのパパもロンが大好きです、ロンのママも僕をすごく可愛がってくれますだから僕とロンがどうして天敵なのか、パパは不思議がっています、ロンのママもロンどうしたの、リュウに吠えて、と諌めますが僕にだけは吠えてくるの、キット僕が色々な女の子と仲良くしているのを見て焼餅を焼いてるのかも知れないね~。だけどロンは賢いワン公でママの云うことはきちんと聴くの、他のワン公には吠えたりはしない。町には後3匹のシーズーがいる、僕の友達のチャピー君は吠えたりはしないが2匹のシーズーは通るだけでよく吠える。今度チャピー君会ったら、どうして吠えるか聴いてみようと思う。だって僕はロンと友達になりたいもん~。
2006.02.28
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僕はダックスフンドのメールちゃんと散歩で何度かあつた、すごく気立てが優しくまた人懐こく明るくて、活発な子。おとなしくて甘えん坊のメールちゃんである。メールちゃんのパパと僕のパパは友人なので散歩で会うと立ち話が長い。その間僕とメールちゃんは色々な話が出来る。今年3月26日で2年23歳になると云う。僕が少しお兄ちゃんである、メールちゃんは僕とお話をする時は少しはにかみながら話をする。僕はそういうメールちゃんが好きである。メールちゃんも僕とは良く話をする、僕に何か話したいようである。聞きだそうとしたがパパの長話が終わりリュウ行こうといわれたので聞く事が出来無かった。僕は散歩の帰り道は必ずメールちゃんの家の前を通ることにしてる、すると必ずお家の中からメールちゃんの声が聞こえてくる、キット僕の足音で解るらしい。僕を暫らくメールちゃんの玄関前でメールちゃんのいつも通る階段で臭いをかいでいる。パパがリュウ何してる早く帰るよといわれリードを強く引かれる。全く無粋なパパである。パパは僕がメールチャンに好意を持っている事は知らないみたい・・・。夕方の散歩でメールちゃんに会った、パパと散歩でなくママと散歩している。僕がメールちゃんにパパはどうしたの、と聞くと体の具合が悪く入院しているとの事であるだからママとの散歩である。パパがメールちゃんのママにパパの話を聞いているとき僕は思い切って、僕に云いたいことを聞いてみた。メールちゃんは悲しい顔つきになりポツリポッリと僕に話してくれた。パパが入院したので毎日ママはお見舞いに行かなければいけないの、だから私の散歩やら面倒を見てくれる人が居ないの。だからパパの娘さんが私を引き取ることになったの3月2日には娘さんが来て私を名古屋に連れて帰るの・・話しているメールちゃんは本当に泣き出しそうな顔になった。せっかくリュウ君とお友達になれたのにね~・・・僕はなんともいえない心境で在った。メールちゃんにどう励ましたらいいのか言葉が見つからない・・・。暫らく2匹は沈黙が続いた。こんな思いになったのは僕は始めてである「そうだ冬のソナタでチュンさんも云っていた、初めてだって」僕はメールちゃんと名を呼んだ、振り向いたメールちゃんにチューをした、始めてである。3月3日はひな祭りだがメールちゃんとは別れの日であるもう2度と会うことは無い。僕はメールちゃんにチュンさんが言った事を別れの言葉として伝えた「メールちゃんこれから先道に迷ったらポラリスを探すといいよ、ポラリスは何時も北を指してるからね」メールちゃんとは僅かな出会いだったが僕には忘れ得ぬ思い出として心に刻んでおこうと思った。
2006.02.27
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僕が散歩する時はお家の庭から何時も僕の来るのを待っている。散歩が一緒のときは良く2匹で遊ぶことが多い、キキ(ヨークシャーテリア MIX 5年36歳)君は同じMIXなのですごく気が合う互いに自分の立場をわきまえているせいか、他のワン公との争いも無い。犬種が違っていてもオスとメスでは争いは無いがオス同志だとすごく吠えあい、喧嘩となる。僕は時々シーズ犬に吠えられる、時には喧嘩にもなるその時は何時も僕は逃げ回る。パパが僕にリュウは本当に弱いワン公だねと、逃げ回る僕を見て嘆く。僕は喧嘩は嫌いである、だから喧嘩をしないキキ君とはすごく仲がいいのである。僕より大きいMIX犬には相手が歯向かってくると僕は応戦する、時にはつかみ合いになることもあるだけど僕は噛み付くことはしない、パパから何時も「リュウ舐め舐めしなさい咬んではいけないよ」と云われているので咬むことは無い。僕より大きいワン公に応戦するのを見て、パパはリュウは強いのやら弱いのやら解らないといっている。僕は決して強くは無いが、向かってくるワン公には立向う姿勢をとる、これは何時もパパを守る姿勢である。キキも僕と同じで、パパを守るためには立向うであろうと思う。僕たち町のワン公にも気のあうワン公とそうでないワン公もいる。僕は気の合わないワン公はあまりいないが1匹だけいるこのワン公は苦手である。パパはリュウどうして吠えるのか?と吠えるたびに云うがお互いに気が合わず顔を合わせると吠えまくる。ワン公は吠えるだけで事が収まるが、人間世界では犯罪へとエスカレートするケースが多い。僕はじっくり話し合って仲良くなりたいと願っている。それは我が町のワン公は皆仲良しでありたいからである。時間がかかっても必ず仲良しワン公の町を築く決意である。
2006.02.26
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僕が始めて公園デビュウしたときから、僕の面倒を見てくれたのがカール兄ちゃんである。(ウエルシュ・コーギーペンブローク)僕が生まれて6ヶ月9歳の時カール兄ちゃんは5年36歳であった。やんちゃな僕を良く遊んでくれた。今ではすっかり人気が定着したコーギー。元気で友好的な牧畜犬であり、牧場で牛の足元を走り回って、群れをコントロールする牧畜犬である。日本では最近人気が出たが歴史は古く約900年前にさかのぼる。ヘンリー2世(1133~1189)に愛され、現在の王室でも愛され続けています。牧畜犬出身だけあって、判断力に優れていて賢くトレーニングの飲み込みも早く性格は無邪気で好奇心旺盛だけど悪戯は少なく子供とも楽しく遊べるワン公である。僕はカール3兄弟とはすごく仲良しですが、初めはカール兄ちゃんだけが僕と遊んでくれた。プリン(5年36歳 オス柴MIX)はすごく賢くカール大兄を中心に3匹のまとめ役である。生まれて間もない頃道に捨てられていたのをカールのママが拾って育てたのである。ママの云う事は良く聞きすごく、賢いワン公である。毛がふさふさしておりコリーの血が混ざっているようにも見える。一番やんちゃなワン公がメロンである、メロンもプリンと同じ位のとき捨てられていた、プリンを拾ったばかりであるが溝に落ちて啼いているメロンを可哀想に思い、拾って育てることにしたのである。だから今では何時も朝晩3匹のワン公を連れての散歩である。メロンは散歩の時歩きたくなかったらすぐに寝転んでしまうママがいくら叱っても、起きようとはしない。仕方が無いのでママが良く抱いて散歩してる姿を目にする事がよくある。またすごく臆病であり、雷や花火にはすごくおびえる。車の音にもすごく怖がり、何時もママに手を焼かせるワン公である。雨の日も大雪の降る日でも必ずママは3匹を連れて散歩する外でないと3匹ともウンチをしないからである。その天僕のパパは雨降りと雪が降っている時は散歩はしないパパが散歩には連れて行かないからである、ウンチは散歩にいかないときは庭ですることにしている。だからパパは楽であると思う、それぞれ性格の違う3匹を連れての散歩は大変である。僕と散歩が会った時はパパは僕とカールをリールを持ってくれる。もしメロンやプリンがママに拾われ無かったら、こうして僕たちは仲良く散歩は出来なかったと思う。本当にいい人にメロンやプリンはめぐりあったものである。捨てられているのはすべてMIX犬である、僕はワン公にも福運のあるワン公とそうでないワン公がいることを思い知らされた。
2006.02.25
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今日は少し時間が取れたので、僕の親友のチョコpiやチクワちゃんにメッセージを送ります。これはチクワちゃんのママから習いましたが、失敗ばかりパパがあれこれ知りもしないのに横槍入れたり僕は、なかなか出来上がらないのでいらいらしながら、何度も挑戦しました。パパの口に色々云わないようにバンソコ貼り、やっと完成しました。チクワちゃんのママさん有り難う。写真をクリックしてくださいね。
2006.02.24
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ルーシーはゴンと愛夫婦の間に生まれた、可愛いワン公である。ゴンは精力絶倫で今までに多くの子孫を残している。多い時は年2回愛ちゃんは妊娠した。平成16年7月5日がルーシーの誕生日元気な女の子として生まれたのである。(生まれて14日目)このとき5匹の子供が産まれたがすべての子供はすぐに貰われて親から離れて行ったのである。ルーシーは(アメリカン・コッカ・スパニエル メス)で勿論血統書付きである、生まれた時から他の兄弟より何時も多くお乳を飲んでいた。ルーシーのパパやママは僕を預かってくれた人ですごく犬好きである。特にパパはルーシーを見て早くお家においでと心待ちにしていた。(生まれて3週間目)その頃のルーシーはすごく仕草が可愛くて僕は良く遊んであげた。何時も僕の後について廻っていた。ルーシーは僕の親友のラッキーの妹である、だからどこかラッキーに似ている。1620年ごろイギリスからアメリカへ渡った移民とともにアメリカにやってきた。イングリッシュ・コッカ・スパニエルの中から、顔の丸い犬同士の勾配によってアメリカン・コッカ・スパニエルが誕生した。明るく陽気で、優しい性格です。人間と一緒にいるのが大好きで美しいシルクの毛は見ごたえがある、ルーシーの写真を撮ると言うとルーシーのママが美容室に行く前だから・・と言葉を濁したが美容室に行く前の写真をと思い撮影した。トレーニングの飲み込みが早く、賢い犬種であるがすごく甘えんぼ、僕にすぐ甘えて飛び掛ってくる僕は小さい時のルーシーとは良く遊んだが今のルーシーは(1年半 20歳)苦手である。すごく甘えて、おてんば娘年頃ではあるがあまり色気は感じられない。だけど所詮女の子日が経つに連れて可愛いお嬢さんになることと思う。僕はラッキーとルーシーと3匹でタイの王宮でも将来行きたいと思っている。勿論ルーシーが淑やかな、お嬢さんになってからの事だけど・・・・
2006.02.23
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僕はラッキー(アメリカン・コッカー・スパニエルオス2年23歳)とは小さい時からのお友達、パパがワン公を欲しがっている、事を知り、愛ちゃんに子供が出来たらパパにあげるといわれていた。僕のパパは座敷では飼えないのでとお断りした。外でも飼えるとの事でしたが、パパとしてはアメリカン・コッカー・スパニエルは座敷犬と思っているみたいである。そして僕がパパのところに貰われてきたのである。パパがお断りしたからラッキーは今のママのところに貰われたのである。だからパパとしてはラッキーもすごく可愛いワン公である。僕はラッキーに話す時は目を見て話すように云った。目と目を合わせることは好意の意思表示であり相手に関心があることを意味している。好意を示すことは大事だが「惚れた弱みのワン公になるなと注意した。惚れた側のワン公は相手との関係を失いたくないためにそのワン公の言いなりにならざるを得ないハメに陥ってします。関心の度合いがあまりにもアンバランスなカップルは長続きがしないからである。それからな~ラッキーもし、お見合いして好きなワン公だったら好意を持ってもらうためにはとにかくそのワン公の傍にいてぴったりマークする事だよ~。何かのきっかけでチャンスもあり好感を与えることも可能になるからね。見合いの相手が美人でなくても構わないよパパが僕に学生時代すごく美人な女子学生がいただが最近同窓会で会ってみると美人であった女子学生よりも学生時代は目に止まらなかった女性の方がすごく美人になっていた。美人は3日見ると飽きるが、ブスは3日見ると慣れるという俗言もある。見た目は悪くとも慣れることにより相手が美人であろうがブスであろうが一向にお構いなしと云う気分になる。暫らくしてその心根の優しさが解ってくると、すごく興味が湧いてくるものである。だからラッキー見かけで判断してはいけないよ僕に最初のお見合いが失敗したことで父親のゴンさんがすごく息子のことを心配して是非この話を伝えてくれと頼まれたのである僕は息子を思う親心を強く感じたそしてゴンさんから聞いた話をすべて息子のラッキーに伝えた。後はラッキーがどう理解していくかである。「親思う、心に勝る親心、今日のおとづれ、なんと聞くらん」ラッキーの成功をいのりつつ。
2006.02.22
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今日久しぶりに親友のラッキーに会ったラッキーに会うと必ず公園に行く、今日もお決まりのコースである。「ラッキーフランス・イタリア旅行以来だね会うのは」「リュウなんだいフランス・イタリア旅行とは?」「夢を見てるのと違うかい!」「ご免、ご免ラッキーとチョコpiの3匹で旅行してた夢を見たんだよ」「リュウ、今まで会わなかったから云うことが出来なかったが、ママの紹介で又見合いすることになったよ」「ママの知り合いのお嬢さんなの、年は俺と同じ23歳」「ラッキー大丈夫かいまた振られるのと違うかな~」「俺はバツ一だから自身は無いよ」僕が持ってないからラッキーの父親であるゴンさんから聞いた話をラッキーに話した。ゴンさんが教える口説きのテクニックを僕はラッキーに教えた。「ラッキーお前なら見合いのお嬢さんを口説くにはどれが一番か当ててみな」A 最初に相手を誉め、次にけなす。B 徹底的に相手をけなす。C 最初は相手をけなし、次に誉める。D 徹底的に相手を誉める「ラッキーどれだか言ってみな」「リュウ俺は何時もD番だよ」「だからお前は今一なんだよ!」最も相手から好まれるのはCだよ!誉められるいう報酬の効果は、一度けなされて自尊心が低下している時の方が大きいらしい微妙な雌犬心をくすぐるためには「けなしてから誉めろ」これが鉄則と言うわけだ。だから誉めてばかりでは、雌犬心はくすぐられはしないのさぜんざいでもすごく美味しいのは砂糖の後に少し塩を入れるだろう、その効果だよ。Aは相手から最も嫌われるからラッキー間違っては駄目だよ。それからラッキー見合いの後デートの場所はカンカン照りの太陽の下では駄目だよ、多少薄暗い場所がいいからな暗いところでは自分自身をさらけ出すことへの抑制が取り払われるために、急速に親密感が高まってくるスナックやバーの店内が薄暗くなっているのはこうした心理に応えるためだよ・・ラッキーわかるかい。「難しいな~俺には荷が重いよ~」「なに云っているんだ!また振られたいのか~ラッキー」「解ったよ、なんとやってみるよ」僕は半信半疑のラッキーでわあるが何とか、今回は結婚まで見届けたかった。
2006.02.22
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我が町にも沢山のダックスフンドのいるその中でもカニンヘン・ダックスフンドは珍しい。今日はすごく天気がいい、散歩の時、久ぶりにティアラちゃん(カニンヘン・ダックスフンド メス1年17歳)に合った。めったに会うことはない、たいがいママに抱かれての散歩である。今日は珍しくお姉ちゃんとの散歩僕はダックスフンドのワン公は好きである、だけどどうしたことか周りはメスのダックスフンドばかりである。ティアラちゃんのことを僕達は伯爵令嬢と呼んでいる理由は毛並みが違うことと、あまり散歩で見かけないお家で大事に育てられているからである。すごくおとなしいティアラちゃん、僕にはすごく懐いている。現在の日本では、この犬種を知らない人はいないここ数年は人気ナンバーワンである。毛質にスムース・ロング・ワイアーの3タイプがあり毛質の違いにより性格もさまざまである。スムースは人なつっこく明るくて活発ロングはおとなしくて甘えん坊。ワイアーはやんちゃで、好奇心旺盛ないたずら子どのタイプもそれぞれ長所があり奥も深くそれが人気の秘密の一つになっている。ダックスフンドの歴史は狩猟犬として始まり、地面に穴に入り込むアナグマと云いう動物の狩をする犬種としてスタンダード・ダックスフンドが誕生した穴に入るためにも足が短い方が都合が良かったのである狩る動物の体の大きさに合わせて小型化されそのうちの一つがミニチュア・ダックスフンドである主にウサギやテンのどの狩りに活躍した。さらに小さいテンやねずみを狩るためにより小さいカニンヘン・ダックスフンドが誕生したのである。僕とティアラちゃんはすごく気が合うけどラッキー(アメリカン・コッカー・スパニエル)が来るとママの影に隠れてしまう。ラッキーはすごくいいワン公だけど陽気な性格がティアラちゃんには合わないみたいである。昨年ラッキーはお見合いをしたが相手のお嬢さんに振られてしまった。ワン公にも相性があるようである。パパは僕がメスのワン公に近づくことにすごく警戒をする、そしてリードをすごく短くする。動物病院の先生から去勢手術をしてはと何度も云われたみたいであるが、僕が別にメス犬に対してもなんとも無いのでパパは躊躇している。それに僕を生まれたままのワン公にしておきたいのかも知れない。パパの弟のジョジーさんに相談をしたみたようであるジョジーさんの2匹のワン公も去勢手術はしないままで別に異常は無いとの事。それを聞いてパパは安心したみたいである。今日は伯爵令嬢ティアラちゃんに合う事出来たので僕はルンルン気分である、だって僕は男の子だもん~。
2006.02.21
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今日午後からぜろなおさんが、パトカーが来たことで心配して来てくれました。僕はブログの知識が無いので色々とお願いしました。ぜろなおさんの花のスライドショーがすごく印象に残っていたので、スライドショーの造り方を教えてもらいました。習いましたが。解ったことは僕では出来ないことが解りました。僕のスライドショーを見てくださいね。ここです。
2006.02.20
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僕が動物センターからパパのところに来たのは生まれて40日目である。両親のもとを離れて、パパと暮らすことになった、まだ1歳である、夜になると両親が恋しくてクンクン啼いた。小さな箱の中に僕は入れられていた。泣く僕をパパのベットの傍に置き、パパの寝息と呼吸の音で僕は両親の傍にいるような感じがして寝ることが出来ただから僕はパパのベットの傍で寝ることになった。それでも3日間はやはり寝る前に、クンクンと啼いた餌に牛乳を混ぜて1日5回食事をした、僕の部屋はお婆ちゃんが住んでいた部屋で僕はパパと毎日オモチャで遊んだ。4ヶ月6歳になってからパパとかくでんぼをして良く遊んだ。パパがお仕事の時はルーシーちゃんのところに預けられた。ルーシーちゃんのママとパパが僕を吾が子のように可愛がってくれた。広縁を僕の部屋にしてくれて、自由に遊びまわった勿論その時はまだルーシーちゃんはいません。夕方になると仕事を終えたパパが迎えに来てくれる。毎週月・水・金はルーシーちゃんのママとパパが僕のお父さんお母さんでした。そのお隣に後々までも僕を子供として色々とワン公として教えてくたのがボスさんでした。(ゴールデン・レトリーバー・オス5年36歳)ボスさんは温厚な平和主義者で、子供も大好き。僕が外を散歩するようになってからは、何時もボスさんのお家に行き遊んでもらった。5ヶ月目に2回目のワクチンの注射をしてからは僕は外で暮らすようになり、ルーシーちゃんのところには預ける事は無かった。ルーシーちゃんのパパが僕が来なくなったのでワン公が欲しくなり、ちょうどその頃ゴンと愛ちゃんとの間に子供が生まれたので貰うことになった、それが今のルーシーちゃんである。僕が7ヶ月目11歳になると、ボスさんは僕と相撲をしてくれて僕を転がしては、僕に力をつけてくれた。今でも僕はボスさんには飛び掛っていく、するとボスさんは赤子をひねるように僕を転がす、このときは僕は本当のお父さんと遊んでいるようである。今でもルーシーちゃんのお家とボスさんのお家は自然に足が向く。僕がこうして大きくなったのも、ルーシーチャンのママやパパの御蔭であり、ボスさんの御蔭でもあるこのご恩は決して終生忘れる事は無いと思う。世の中で生きてくうえでは、色々な人の助けを借りて生きている。パパは僕に恩返しはリュウが立派なワン公になることだ風雪にも耐え苦難の山も悠々と乗り越えてリュウ自身が光となれ・・・。
2006.02.20
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僕がパパの所に来て10ヶ月目(14歳)の時隣近所の人から、リュウチャン吠えてね、そしていい番犬になってね~。リュウチャンは少しも吠えないもんね~と、よく言われた。だって、ご近所の人はみないい人ばかりで、吠えることなどないもんね~と僕は思った。或る時お隣の奥さんが夜の10時ごろ裏の縁側に忘れ物をしたので、取りに来た、僕は夜遅く庭口から入ってきたので不審者と思い吠えた。初めて僕に吠えられた奥さんはビックリして、リュウチャン私よ!と僕に声を掛けた。僕はお隣の奥さんとわかり吠えるのを止めた。それがご近所で評判となり、リュウチャンが吠えてくれた立派な番犬が出来たと、両隣の奥さんから喜ばれた。それ以後向こう3軒両隣が僕の守備範囲となった。僕は決して無駄吠えはしないので、リュウチャンが吠える時は必ず何かがあると、隣近所の人たちは信じている。誰か来ると僕はワンワンと吠えてお家の人に知らせるだから人が訪ねてきた事がピンポンとなる前に解る。見慣れない人や僕が不審に思う人は吠え続けるするとパパが必ず外に出て確認するのそしてパパの知ってる人だとリュウもういいよといわれ僕は吠えるのを止める。昨日の夜10時ごろ、不審犬が垣根に近づいてきた僕は威嚇するために吠えた、すると不審犬は吠え返してきた互いに暫らくの間吠えつづけた、立ち去る気配は無い。そのうち、僕があまり吠えるので1軒隣のサリー君が僕に加勢して吠え出した。あまり吠えるのが異常なためパパが懐中電灯を持って外に出てきた、1匹のMIX犬が僕と吠えあっているのを見て、そのワン公を追い払おうとしたがそのワン公はパパに向かって攻撃をする姿勢になった。パパは僕を裏に呼んで吠えあっているワン公から離した。懐中電灯で良く解らないが友達のワン公でマリア(MIX・7年44歳)でリュウの所に夜、遊びに来たと思いつないでもらうために外に出た。外に出てみるとパトカー2台が止まっており警官が4人近所の家の周りを調べていた。警官が来たからか不審なワン公はいなかった。パパは何かあったのですか?と警官に尋ねると、今110番通報があり駆けつけたとのことである。リュウが20分近く吠えているので、キットご近所の人が不審者が徘徊しているかもしれないと思い110番通報したのである。何もないと吠えないリュウであるだけに、何か起こったと思われたのに違いない。パパは僕とサリー君が吠えたのを警官に説明した警官は不審者は犬ですか・・と云って苦笑いをしていた、一応110番通報があったので、本当に不審者がいないか付近をパトロールしてみますといって2台のパトカーは立ち去った。友人のマリアちゃんはきちんと繋がれていた。不審犬は何処の犬か解らないままである。日ごろ無駄吠えしない僕が吠えるとご近所の人は何かあったと思ってしまう、そとに出れば確認できるが今は物騒な世の中になっている、うかつに外に出て不審者に被害を受けることもあり110番通報したと思った。僕が吠えてパトカー2台が来たのは始めての経験無駄吠えしないのはいいのか悪いのか僕は迷っている。朝見回ったが昨晩の不審なワン公は見あたらなかった。
2006.02.19
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リボンちゃんが1歳の誕生日が過ぎてヨチヨチ歩き出した僕を見てリボンちゃんはすごく喜ぶの。そのリボンちゃんが遊びに来るというので、朝から雛人形の飾り付けで、僕は大忙しである。雛人形は時代とともに変わっている。日本では昔から季節の変わり目に体を清め厄を祓う習慣があり現在も端午(5月5日)や七夕(7月7日)を初めとする5節句はもとは中国から渡って来た習慣である。古代中国では3月の最初の「巳」の日に水で体を清め宴会を催し厄を祓う祭りがあった。その「上巳の節句」が日本に伝わり日本古来からあった人形に厄を移す風習などが混ざり合い、平安時代に祈祷師を呼んで祈りをささげ人形を撫でて厄を移し供物を備えて水に流すといった祭りが毎年行なわれた。室町時代に「上巳」の節句の厄祓い行事は3月3日に定まってきた。戦乱の世が落ち着いた江戸時代になって、宮中行事として雛祭りが取り入れられ、その後幕府の大奥でも取り入れられた。そのうち上流階級のものであったひいな遊びは庶民に親しまれ、女の子の初節句を人形を奉ってお祝いするという形が定着した。庶民の間でも3月3日が近くなるとあちこちにひな市が並び、流行を競い合い大変なにぎわいを見せていた。僕は雛飾りを手伝いながら色々な人がいるのだと思った3人官女はお姫さんのお付の女官で楽器を奏で、歌を詠み家庭教師もこなすキャリアウーマン。良く見ると一人だけ眉がない、眉を剃り、お歯黒を付けるのは既婚の女性の習慣であり、この女官はさしずめ年かさの官女長、後の2人は若い女性である。5人囃子は単なる楽団ではなく、元服前の貴族の師弟で元服後には宮中でそれなりの身分が約束される元服前なので髪型はお殿様と違い少年の髪型である。右大臣、左大臣は別名随身と呼ばれお殿様のお付の男性であるお殿様と一緒に行動し、時には恋の橋渡しもする。向かって右が左大臣ででお爺ちゃん、向かって左が右大臣若者である。一番下お3人仕丁(じちょう)、宮中の雑用係で身分が低い怒った顔、泣いた顔、笑った顔、3人とも違った顔をしてる。男雛は向かって左、女雛は向かって右になっているこれは昭和以降の並び方で、昭和天皇が即位の時洋装の天皇陛下が皇后陛下の右側つまり向かって左側に立たれたときの並び順に合わせたものであり現在は全国的に主流になっている。僕はこうしたストーリーを思い浮かべながら段飾りをしていると色々な想像が膨らんですごく楽しかった。これもリボンちゃんのお陰である。リボンちゃん早くおいでね。
2006.02.18
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1ヶ月ぶりにチワワのチャラ君(チワワオス3歳)にあつた。世界最小犬種と知られている。テレビ・コマーシャルで一大ブームを起こし、小さい体と愛くるしい仕草に愛着を感じるのは当然である。チワワの祖先は、9世紀ごろメキシコ周辺に住んでいた部族が聖なる犬として大切にしていたテチチ犬だと考えられる。19世紀中ごろアメリカで小型化に改造され一気に人気者になった。チャラ君もすごく優しく素直なワン公です1ヶ月前チャラ君がママに抱かれて散歩してたチャラ君どうしたのと聞いても答える元気が無いチャラ君のママに聞くと1週間前に足が脱臼したとのことである。散歩が好きで走り回ったのが原因かもとママは話していた。チャラは痛さを堪え啼く事も無く、ぶるぶると体を震わせ耐えていた。僕はすごく痛そうに見えただがチャラはママに心配かけまいとしてか、目には涙をためながらも啼くことなくじいっと耐えている。僕がチャラ君に何もしてあげられないことが悔しかった。チャラ君のママが云うには今、週に2回病院に行って治療してるとの事。良くなったかと思うと、元気に飛び廻る、すると又すぐに脱臼すると云う。その繰り返しが続いていると云っていた。そして1ヵ月後に元気なチャラ君に会うことが出来たのである。すっかり元気なチャラ君になっていた。僕はブログでチョコピーのお友達のチワワっ子さんのブログを見ておそらくチャラ君もママの知らない間にどこからか落ちて脱臼したのではないかと思っただからチャラ君とママにその話をしてあげた。この話はチワワっ子さんの「チャミー」ちゃんの話である。僕が生後7ヶ月頃ソファから下りた時、キャンと言ってびっこひいていて、病院につれて行った覚えが(5月の連休でレントゲンは撮らなかった)その時脱臼だったんだ!薬をもらい2,3日で治ったからそのままに。あれから5年近く経っているのでもう治らないけど可哀相なことしました。僕はこのブログを見てチャラ君とママに良くなったからと云って安心することなく一度レントゲン検査や精密検査を是非可愛いチャラ君の将来のためにもしてあげてくださいとお願いした。ワン公はすごく我慢強いそれがかえって手遅れになる事が多い。ママがワン公の信号を受け止めてやれば解ることも、見逃すケースが多いいと思う。僕は胃腸が弱いだから痛み出すとすぐに啼いてパパに知らす。パパは何をさておいても僕をすぐ病院に連れて行くだから今のところ手遅れは無い。チャラ君も今後我慢せずにママに知らせる事を約束して僕は我が家に向かった。
2006.02.17
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僕が何時も散歩する道筋にシェパードのタンゴ兄妹がいる、兄の シェパートタンゴ(オス 12年64歳)と妹のリリイ(メス 12年64歳)である。最近お家の前を通ってもタンゴ兄妹を見ない、かなり年を取って、いるので心配である。シェパードが誕生したのは19世紀の終わりごろである。シェパードという英語には「羊飼い」という意味があるように、本来は牧羊犬で、ドイツ陸軍で改良され優れた運動能力と高い知性を備えたシェパードは人間の仕事のパートナーとして世界的に活躍している。活躍の場は警察や軍隊などでこの犬種の知能の高さを発揮している。適切な状況判断が出来る優秀な犬種ではあるが初心者にはとても扱える犬種ではない。タンゴ兄妹は生まれて間も無くこの町に貰われてきた親戚の人から譲り受けたのである。このお家は親子5人暮らしであり、タンゴ兄妹の面倒は母親と娘が見ていた。生まれて半年目に訓練士に預けられ数ヶ月間訓練を受けた後朝晩の散歩は母親と娘が受け持った。そのうち娘達が結婚して家を出ることになり、母親がタンゴ兄妹の面倒を見ることになる。6年前に娘が両親の近くに家を建てタンゴ兄妹を引き取った。それからはタンゴ兄妹は新築のお家に住むことになった。広い庭もあり庭の中を自由に暮らしていた。だが最近急に庭の鉢を壊したり、植木を駄目にしたり何か落ち着かない様子である。すごくストレスが溜まっているように娘さんが思われたので、母親の所に預け、朝晩の散歩と餌だけは届けるようにした。母親の所に預けられたタンゴ兄妹はすっかり落ち着いていた。狭い場所ではあるがすごく明るい顔になっている。1ヵ月後又娘さんのお家に連れて帰ると、すごく落ち着かず餌もあまり食べないようになった。だから今ではタンゴ兄妹は娘さんの母の所にいる狭きながらも楽しい吾が屋かも知れない。12年64歳の老犬である、死期を感じて生まれ育ったところに帰りたかったかも知れないと僕は思った。「三つ子の魂100までも」と言われている何歳になろうとも母親の所に帰りたい気持ちはワン公も同じである。知覧飛行場で特攻隊として飛び立った若き人たちその最後の手紙の中に母親に当てた手紙多かった。「お母さん行ってきます!何時までもお元気で!さようなら」と・・・散歩の後娘さんの家の方角に行こうとしたらタンゴとリリイの兄妹は動こうとはしなかった。今のタンゴ兄妹の一番の幸せは生まれ育った母の家で安らかに眠ることかも知れないと僕は思った。名犬タンゴ兄妹のこれからの長寿と健康を祈りつつ僕はタンゴの家を後にした。
2006.02.16
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今日散歩から帰ったら、久しぶりにゴンと愛の夫婦が訪ねてきた、僕のお家に訪ねてきたのはこれで2度目である。ゴン(アメリカン・コッカ・スパニエル オス4年32歳)愛(アメリカン・コッカ・スパニエル メス4年32歳)夫婦の間に子供は20数匹もいる、勿論4年間で生まれた数である。ゴンはすごく精力があり、愛ちゃんの体を心配したママが今年避妊手術をしたのである、今日は避妊手術後初めて夫婦でやってきた。ワン公は自分で子供を生み産後の子供を綺麗に舐めて洗ってやる。一度のお産で5~6匹は生まれる。人間は自分で子供を生む人もいる、だが結末は悲劇に終わっている。臍のおが付いたまま子供はゴミ箱に捨てられている事件もある。ワン公以下の人間が最近多くなっている。ゴンと愛の夫婦はすごく仲がいい、何処に行くにも2人連れ。ゴンはすごく優しいワン公であり、愛はすごく人懐こい犬にも相性があり、僕はゴン夫婦は大好きである。僕が愛チャンに近づき、親愛の情で愛ちゃんに顔を舐め舐めするとゴンが来て僕を押しのける。愛ちゃんに他のワン公が近づこうものならゴンは吠えて相手を威嚇する。恋女房を守るためにゴンは戦っている。愛は誰でも付いていくだからゴンは何時も愛ちゃんから目を放せないでいる。飼い主の夫婦もワン公に似ている、此処のパパはすごく人がいい、だけど奥方がパパの知っている人とはいえ男性の車に乗ることを禁じている。だから奥方に2人乗りでオープンカーのベンツを買ってやっている。美しき日々で室長が乗っている車である愛するあまり嫉妬深くなっているのかも・・だけどパパは結構派手に遊んでいる。人間の男性は勝手がいいな~と僕は思った。ワン公にも相性がある、好きなタイプと嫌いなタイプははっきりしている。散歩しているとそれが良く解る好きなワン公が来ると僕は近づいてで行く、だけど嫌いなワン公だと、無視していく。ワン公はこれでいいが人間は厄介であるいい人、悪い人の判断基準は第一印象で決まる。好きなタイプはいい人であり、嫌いなタイプは悪い人になる。だから此処から悲劇が始まり最近では離婚も多いい。人の性格は見たくれでは解らない、だけど好き嫌いがすべてを優先する。パパが僕に話してくれたことがある、パパが結婚のお世話をしたとき、女性の好みを聞いてみた真面目な男性より、少し不良ぽい男性に魅力を感じるようである。結婚は縁である、赤い糸で結ばれた人同士が結ばれる。ワン公は一度結婚すると離婚は無い。昔の人が「雀100までわしゃ99までともに白髪の生えるまで」と云っていたが今の人間世界では通用しない、何組の人がそうなるであろうか疑問であるこの例えは今ではワン公に言われたことと僕は思う家庭内離婚や家庭内別居、会話の無い家庭、時代の変化とともに様変わりしている。僕はゴンと愛夫婦を見ながら「雀100までわしゃ99までともに白髪の生えるまで」この言葉はゴン夫婦に云われた言葉だと思った。何時までもお幸せに リュウより
2006.02.15
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僕が散歩してると良くラッキー君に会う(MIX犬9歳オス)そして大概ラッキー君から吠えられる。ラッキー君は朝晩、足の不自由なパパと散歩である。決して急ぐことなく、又よそに行くこともなく車椅子のパパの傍を歩いている。少し上りに差し掛かるとパパの車椅子を引っ張っているワン公には色々な環境の下で生活しているのだと思った。僕はラッキー君にどうして僕に吠えるのかと聞いてみたラッキー君は「リュウご免ね、実は前にパパと散歩してる時大きな犬に咬まれたのだから大きな犬には吠える癖がついたの」僕は足の不自由なパパを守らなければいけないのそれに又僕を噛み付きに来たら、パパは車椅子から落ちそうになるの・・だから僕より大きいワン公には近寄らないように吠えているの。リュウ君だけ吠えないでいると、他のワン公も寄って来るからね~。リュウ君僕の気持ちを解ってね~僕はラッキー君の話を聞いて、これからはラッキー君を守ってあげようと思った。どの犬を見てもやたらに吠えるワン公もいるそれにはいくつかの理由があると思う、一つは恐怖心から吠える犬俗いいう弱いワン公それからワン公の種類によっては吠える犬もいるそして飼い主の躾と環境である。飼い主が何時もスキンシップを取り散歩もし、ストレスのなおワン公は決して吠えることはない。今の世は、すぐ他人のせいにする、子供が悪いのは先生のせい、学校のせい、政治が悪いなどと云うだけど一番子供と長い時間接しているのは両親である子は親の背を見て育つと言われている。出来の悪いのは子供よりも親自身ではなかろうかだれかれ無く吠えるワン公の飼い主は叱ろうとはしないだからワン公は誰でも吠えることはいいことだと思っているに違いない。犬に似てくる飼い主は、そのワン公の姿の中に家庭環境を見ることが出来る。僕の親友のチョコpiにしてもラッキーにしても決して無駄吠えはしない、それは何時もスキンシップが取られているからである。ワン公も人間の言葉はわかる飼い主の態度や声の調子で、その言葉を理解することが出来のである。僕は車椅子のパパを守って散歩するラッキー君に改めて尊敬をした。どのワン公も主人のためになることをする時が一番幸せな時かも知れないと思った。
2006.02.14
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今日は久方ぶりの上天気である。日向ぼっこは本当に気持ちいい、僕はパパに夢での話をしてあげた。パパは僕の話を真剣に聞いてくれた。今年は夏目漱石が小説「坊ちゃん」を発表して100年になる。彼・夏目金之助(漱石)が「漱石」を始めて名乗ったのは親友・正岡子規の詩文集に寄せた評でのこと。自分で使おうと考えていたペンネームを子規が譲ったのである子規は短歌と俳句の創作に情熱を傾け、新風を起こした革命児。二人は大学時代に知己となった。「坊ちゃん」の舞台は子規の故郷・松山だが、漱石が英語教師として同地に赴任中の一時期、二人は下宿で同居この頃の交流が漱石の文学的世界を広げたと言われる子規は漱石の異才ぶりを称え、漱石も終世”自分は子規の弟子”と語ったと云う。尊敬し合い、育まれた友情、子規亡き後、漱石が書き上げた「吾輩は猫である」をこの親友に捧げた。漱石のそれからの作品は友の死後、友情が残った一人の元で大きく花が開いたと思われる。まさに友情の文学史でもある。友情それは一体なんであろうか?辞書に「友人間の情愛」とある。パパの大先輩から云われたことを僕に話してくれた永遠の「友情の都」を築き上げ友情を結び、称えあいともに成長する、この麗しい絆こそが友とともに歩み行く人生行路であると。夢の中ではあったが、僕とチョコpiそれにラッキーこの3匹の侍が、親友として新しい歴史を築いて生きたいと思った。この度チョコpiが自分史「さわやかだもん。チョコピー日記」の第2弾を発表した。友として親友として心からお祝い申し上げたい。「吾輩はチョコピーである」キット漱石が生きていたならばこのように題名を付けてくれることであろう。
2006.02.13
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ピサの斜塔を見て色々記念写真を撮る事が出来たチョコピーはママへのお土産が出来たと大喜びである。僕もパパにピサの斜塔の写真を見せて、パパの思い違いを晴らしてあげようと思った。フィレンツェに戻りいよいよ永遠の都ローマである。チョコピーが此処まで来たのだからローマに行く前にトリノ五輪を見ようと云ったが、僕とラッキーは寒いところは駄目である。チョコピーは何時も零下4~5度でも平気でママと散歩してる、僕やラッキーはまだこんな寒さは経験がない。何とかチョコピーをなだめて、ローマに行くことにした。フィレンツェからユーロスターイタリア・1等に乗り2時間かけてローマである。列車の中で女子モーグル・コーク720で上村愛子選手が5位であることが伝わった。チョコピーが僕が応援に行っていたら、キットメタルがとれていたのにと、悔しがった。僕とラッキーはチョコピーにトリノ行かずにご免ねとお詫びした。ラッキーは「ローマの休日」を訪ねて見たいと言い出したチョコピーはトレヴィの泉に行きたいと言う。僕はスペイン広場に行って見たかった。列車はローマに向かって走っている、その時列車はすごくゆれた、僕は頭をシートに打ち付けた、その時パパの声がした。確かにパパの声「リュウ」「リュウ」と呼んでいる。頭の痛さをこらえて顔を上げると、其処にパパが立っている。何事かと思ってあたりを見ると、一緒にいるはずのチョコピーやラッキーは見当たらない。意識を取り戻してよくよく見ると、住み慣れた庭にいる。「リュウ何時まで寝ているの、もう夕方で散歩の時間でしょうが・・」その時初めて僕は親友のチョコピーとラッキーの3匹でフランス・イタリアに行った夢を見ていることに気がついた。朝早く犬小屋から出てトイレに行きそのまま寝込んでしまったのである。あ~あ又同じ日々を過ごすのかと思うとちょっぴり嫌になっちゃった。ローマ編はブログ上部の★ → 11/5までの『町のワン公』です。を参照ください「ローマの休日」でほんの一部ですがローマの写真を掲載しています。
2006.02.12
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斜塔で有名なピサは、中世にはヴェネツィアやジェノヴァに並ぶ海運都市として栄えた街。大聖堂、鐘塔、洗礼堂が建つドゥオモ広場は”奇跡の広場”と呼ばれ、ガリレオ・ガリレイが物理学上の大発見をした場所として名高い。世界遺産に指定されているドゥオモ広場に建つ高さ約55mの大理石で出来た斜塔。1173年に建設が始まったが、地盤沈下のため工事が中断。その後、塔の中心軸をずらすなどして完成修復後は人数制限はあるが入場は可能である。チョコピーとラッキーはローマ人の人とチャッカリ記念撮影に治まった。ラッキーがピサの斜塔に入場したいと云ったが入場するには事前に申込みが必要のため、断念せざるを得なかった。ドゥオモはピサの絶頂期を象徴する大聖堂であり1063年のパレルオモ沖海戦を記念して建てられた。ロマネスク様式、イスラム様式、ビザンチン様式などミックスした建築である。僕はパパから以前ピサの斜塔は世界七不思議の一つであの倒れ掛かった塔は誰も解明できない不思議な塔であると聞かされていた。パパもおそらく小学校の頃先生から聞いた事を僕に教えたに違いない。何処にも行った事のないパパだから仕方が無いが来てみて、パパのいい加減さが良く解った。何のことはない、唯地盤沈下で傾いているに過ぎないのである。帰ったらパパに教えてあげようと思った。3匹の侍達はアルノ川河口に栄えたかっての海運都市ピサを偲んだ。
2006.02.11
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ヴェッキオ橋はアルノ川に架かるフィレンツエ最古の橋である。1345年建造の橋であり、16世紀までは橋の上に庶民的な商店が連なっていたが、現在は金銀細工を扱う店が並ぶ。詩人のダンテはこの橋からの景色をこよなく愛したという。橋の上に商店が連なり、その上にヴェッキオ宮とピッテイ宮を結ぶヴァザーリの回廊が通る。3匹の侍達はフィレンツエの観光を満喫した。チョコピーとラッキーはママに見たこと聞いたことすべてを話してあげると言っていた。僕も何処にも行った事のないパパに話してあげようと思った。アルノ川を渡り3匹の侍達はピッティ宮殿の庭園を抜けて坂道を歩いて夕闇迫るミケランジェロ広場にやってきた。昼間見る市街地と街が紫色に染まる景色はすごく見ごたえのあるものである。チョコピーはママの好きな色は紫色とチョコレート色である。この景色をママに見せたいと言った。僕のパパは紺系である。スーツは紺色のものが多い。ラッキーのママはどちらかと云うと、ピンク系、やはり趣味はそれぞれ違うようである。今日でフィレンツエ最後の日である、すごく名残惜しい気持ちで一杯である。素晴らしい紫色に染まる景色を見ながら3匹の侍はドックフードとチョコピーが持ってきた鶏肉を食べた。お互いに病気もせず元気に旅することが出来たことは最高の喜びであった。フィレンツエの夜空に向かって3匹の侍は雄雄しく雄たけびを上げた、明日への飛躍を期して・・・・
2006.02.10
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ウフィッツィとはイタリア語で「オフィス」の意がありもともとはメディチ家も事務局。トスカーナ大公国の行政局があったことから名づけられた。16世紀半ば、コジモ1世の命によりリヴァザーリが設計その後コジモ1世の息子フランチェスコ1世が芸術品散策のためにと上階をギャラリーとして改造メディチ家初期のコレクションが、今日の美術館の起源となった。それに商人や銀行家たちの美術品も加わり、1765年には公式に開館。現在では4800点あまりの作品が所蔵され、内2000点を展示。ルネッサンス期の名作が集められ、年間百万人の人が訪れる世界でも重要な美術館となっている。「ヴィーナスの誕生」ポッティチェッリ作海から生まれたヴィーナスと解釈され前世紀に題名が付けられたが、実際は島にたどりつく別の女神のエピソードが描かれている。風の神ゼフュロスとアウラが起こす風により、貝は打ち寄せられ、春の神ホーラが岸で出迎えている。サンドロ・ポッティチェッリは1444年フィレンツェに生まれフィリッポ・リッピに師事。繊細な線で描く女性表現により、独自の様式を確立したメディチ家の庇護を受け、その頃は華やかな色彩を用いていたが、晩年宗教改革派サヴォナローラに傾倒。美術館では、時代による彼の作風の変遷を見ることが出来る。「ウルビーノのヴィーナス」ティツィアーノ作1538年~1539年にウルビーノの公爵から発注された作品。若い新婦が愛を象徴するバラの花束を持ち、官能的に横たわる姿が描かれている。足元の子犬は忠誠のシンボル。この絵は新婦に”お手本”を示すものであったといわれている。ティツィアーノ・ヴェチェッリオは1487年頃ヴェネツィア北方の小さな村で生まれる。鮮やかな色彩で描くヴェネツィア派の巨匠で、ルーベンスやレンブラント、印象派に至るまで後世に影響を残している。ヴィーナスを見たラッキーがあそこにママがいると叫んだ。ママと離れているために、女性を見るとすべてがママに見えるに違いない。ラッキーやチョコピーは何時もママと一緒であるだから、離れてみるとすごくママが恋しくなっているのかも知れない。僕はパパに育てられた、だからラッキーやチョコピーのようにママを思い出すことはあまり無い。だけど2匹を見ていると羨ましいと思うことがある。僕にはパパがいるんだもーんと自分を慰めている。
2006.02.09
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ルネッサンス最大と称される巨匠ミケランジェロが語る神々を超えた人間との遭遇。少年時代にその才能を認められ、メディチ家のロレンツォ・デ・メディチに引き取られた絵画や彫刻を学んだ。ロレンツォの没後、17歳の時にフイレンツェを離れ4年後にはローマに迎えられた。その後メディチ家の没落、復興が繰り返される中でミケランジェロもフイレンツェとローマを往復。ダヴィデ像やシスティーナ礼拝堂のフレスコ画などの傑作を生み、晩年にはサン・ピエトロ寺院の建設に取り組んだ。システィーナ礼拝堂の天井がにユリウス2世の命を受け生涯初のフレスコ画に着手。題材は「旧約聖書」の創世記から取られ、天地創造から人類再生にいたる遠大な物語が描き取られている。(1508~1512)画家でもあるガイドさんが3匹の侍に好きな画を選んで見てはと云われ、選んで見た。僕はアダムの創造を選んだ、人間誕生の瞬間である。チョコピーは最初の人類であるアダムの肋骨の一部からイブを誕生させる画。イブの創造ラッキーは蛇から与えられた禁断の木の実を食べたアダムとイブがエデンの園を追放される原罪・楽園追放をそれぞれ選んだ。ガイドさんはにんまり微笑んでいた。西の壁には最後の審判が描かれていた。祭壇上部の壁面を飾るフレスコ画、天井画を仕上げた23年後ミケランジェロが61歳で着手し、6年後の1541年に完成させた。製作依頼者は、クレメンス7世とパウルス3世。題材は「新約聖書」からとられ、人類の終末の瞬間が壮絶に描かれている。2人の巨匠ダ・ヴィンチとミケランジェロは、その才能を発揮しつつも、時代に翻弄されたところがあったのに比べると、ラファエロは素直にその才能を表現し昇華させた。イタリア中部のウルビーノに画家の子として生まれ父親に絵を学んだ。21歳でフイレンツェ移りミケランジェロやダ・ヴィンチから作風や技法の多くを学んで成長し抜きん出た才能を発揮した。伸び盛りのラファエロは、25歳の時教皇ユリウス2世にローマに招かれ、バチカンのお抱えの画家となった。聖体の論議 1509年ラファエロの間で最初に完成した作品中央上部にユリウス2世が描かれている。3匹の侍達はガイドさんの説明を聞きながら盛期ルネッサンス3人の巨匠の名をしっかりと心に刻んだ。中世ヨーロッパの暗い時代から人間主義の時代へと花開いた”ルネッサンス”14世紀、イタリアを中心に起こった”再生”の運動はメディチ家が庇護したこともあり特にフィレンツェで多くの芸術家を輩出したのである。
2006.02.08
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ルネッサンスの巨匠の名画が集結しているウフィッツィ美術館に行くことにした。僕とチョコピーはすごく絵画に興味があるがラッキーはミケランジェロの彫刻が見たいと言い出した。ラッキーの想いを入れてシニョリーア広場周辺から探索することにした。シニョリーア広場周辺は中世のころ市民達が集まった歴史ある広場。ヴェッキオ宮殿の前にはダヴィデ像広場に面する彫刻廊ロッジア・デッラ・シニョリーアには多数の彫像が並び屋外美術館のようである。シニョリーア広場前のダヴィデ像のレプリカがあるダヴィデ像はアカデミア美術館ありフィレンツェ共和国のシンボルとして市から注文を受け、3年がかりで完成した。華やかな時代を反映し、若々しさと力強さに満ちた作品。人間の自然な体の動きと決戦を前にした若者の緊張感と戦意が見事に表現された世界屈指の彫刻である。ロッジア・デッラ・シニョリーアの彫刻廊に多数の彫像が並び、ギリシャ神話をモチーフにした彫刻が多くあった。中でもラッキーが足をすくめたのは、蛇の化身邪悪の神の首を切り落とし高く掲げた、彫刻はすごく棲ざましい者であった。彫像を見ているとき、チョコピーの頭をナデナデしている日本人をフィレンツエで初めて会った。この人は日本の美大を卒業した後すぐに画家になるための勉強をかねてフィレンツェに来て20年になると云う。画家を目指してはいるが、芸術家としては生計が成り立たず今は絵を描きながら、フィレンツェのガイドをしていると云われた。僕達は美術の宝庫ウフィッツィへ行くことを話、ガイドをお願いした。快く引き受けてくれたので3匹の侍はチャンスの神様にあった心境である。僕はルネッサンス最大の巨匠ミケランジェロについて色々と教えて欲しいとお願いした。ダヴィデ像を初め絵画や彫刻そして寺院の建設とルネッサンス美術においては最大の人である。次に行くローマにも巨匠ミケランジェロの作品が数多く残されているからである。3匹の侍達はウフィッツィ美術館に心は向いていた。
2006.02.07
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クワトロチェント(1400年代)が残した偉大なる遺産、フィレンツェ。15世紀に始まったルネッサンスはここで花開き発展を遂げた。芸術家達の足跡が残る街を3匹の侍は歴史を紐解きながら歩いている。19世紀に完成したドウオモのファサード、装飾はアウグスト・コンテイである。フィレンツェほど、狭い範囲に高名な芸術家たちの作品、建物が集まっている都市は世界でも類を見ない。市民が治める自治都市だった街が、幾多の抗争を経てメディチ家に政権を委ねたのは15世紀。その後半の時の権力者、ロレンツォ・デ・メディチが言わば「美」の庇護者。ボッティチェッリ、ドナテッロら第一線で活躍する画家建築家達を各地から呼び寄せ、莫大な富を見方にこの地でルネッサンスの芸術を開花させたのである。我々3匹の侍はドウオモ観賞の好スポット、ジョットの鐘楼から街並みを見ることにした。上から眺めるフィレンツェの街は赤屋根が連なり麗しき花園でルネッサンスの美を体験する事が出来た。チョコピーは景色を見ながら、僕とママが寝てるベットのようだ、と話した。鐘楼はベットの頭の装飾でお布団は花柄模様、そして掛け布団は青と白の毛布なの・・・。この無銭旅行で気がついたことはチョコピーはどこに行っても二言目にはママの話が出る。キット、どこに行こうが、ママのことを何時も思っていることだと思う。チョコピーは良い景色を見ると、今度ママを連れてこようとか、これをママに食べさせてあげたいとか・・・。チョコピーの話を聞いているうちに日ごろのチョコピーは何時もママと一緒に苦楽をともにして育ったため人間の子供が母親を思う気持ちよりはるかにワン公のチョコピーが勝っていると思った。僕やラッキーに事あるたびにママの話をしてくれるチョコピーとママの絆は黄金の絆と感じた。3匹の侍はルネッサンス最大の巨匠ミケランジェロを尋ねてウフィッツィ美術館へと・・・。行く途中にメディチ礼拝堂があり壁と云う壁には有名な彫刻が施されていた。
2006.02.06
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フィレンツェの観光スポットの多くは歩いて回れる範囲にある。メディチ家の繁栄を見つめ、ルネッサンス開花の舞台となったこの街の空気を感じながら、3匹の侍達はゆっくりと散策した。サンタ・マリア・デル・フイオーレ大聖堂(ドウオモ)は圧倒的な存在感を誇るシンボルとしてフィレンツェのシンボルとなっていた。大聖堂(ドウオモ)の正式名称は「花の聖母教会」1296年に着工、完成までに140年を要し赤褐色の大円蓋と赤・白・緑の大理石を幾何学的に装飾した外壁との調和が美しいゴシック建築である。堂内の丸天井に描かれたヴァザーリのフレスコ画「最後の審判」は見事なものである。屋上には階段で上がる事が出来、我々3匹の侍は其処から市街が一望することが出来た。東側の扉「天国の門」で名高いサン・ジョヴァンニ礼拝堂にきた。ドゥオモ正面にある、11世紀建造の八角形の礼拝堂フィレンツェの守護聖人聖ジョヴァンニを祀る。3箇所の扉には彫金が施され、特に東門はミケランジェロが「天国の門」と賞賛した。イタリアで最も完成度が高いと世界中の建築家から称される大聖堂(ドウオモ)は勿論世界遺産の一つである。フィレンツェの象徴ともいえるドゥオモは、街の真ん中に位置する。美しい装飾が施されたファサード、ジョットの鐘楼後ろ側に建つドゥオモ美術館はルネッサンスを語るにふさわしい所である。3匹の侍達は西欧文化の素晴らしさを堪能した。13世紀は日本では鎌倉時代でありいまさらながらルネッサンスの偉大さを感じるとともに。世界遺産を真のあたりに見て驚きと感激で心が弾んだ。
2006.02.05
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ベェネツィアでリュウの誕生祝を兼ねて最後の晩餐をした3匹の侍は夜遅くまで語り合った。朝7:00に目を覚ましいよいよルネッサンス芸術が開花したフィレンツェへと向かった。朝の早いチョコピーは目覚めは良く、すっきりした顔である、僕とラッキーはまだ目が覚めていない状態である。ベェネツィアからフィレンツェまでバスで移動256Kmの距離である。フィレンツェは世界遺産にも登録されている町並みに溢れるルネッサンスの美。小さな街は何処を歩いていても、その美しさに感動を覚えるものである。バスは250Kmの行程を走りぬけ、ヴェッキオ橋を渡り、真直ぐ進むと左手に広大なピッティ宮が見える宮殿後部の庭園を抜けて坂道を上がるとミケランジェロ公園である。ミケランジェロ公園からフィレンツェ市街が一望でき観光客だけでなく、市民の散策の場として多くの人が訪れる。3匹の侍達はバスから降りてあたりを散策した。広場では多くの画家の卵たちが、周りの風景をスケッチする姿が、目についた。ミケランジェロ公園後にしてバスは一路ホテルへと向かった。アングロ アメリカン グランド ホテル レギナに到着した3匹の侍達は、旅の疲れを癒すためにひとまず部屋に入り、みんなでスケジュウルの話し合いをした。街全体が美術館といわれる花の都では中心部の広場や主要な通りは歩行者専用道路であり、教会や美術館など観光スポットが集中しているエリアは車両の乗り入れ禁止である。3匹の侍にとっては、散策しやすい街である。色々な意見が出たがルネッサンスを代表する美は、アノル川の北側直径僅か1Kmほどの市街の中心部に凝縮されているため其処を散策することで意見が一致した。美の殿堂フィレンツェでルネッサンスの華麗とメディチ家の膨大な遺産を巡る散策に心は高鳴った。
2006.02.04
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夕闇迫る大運河、壮大な運河を眺めながら3匹の侍達は、色々な思いが走馬灯のように頭をよぎった。此処まで無事故で来たことへの感謝。チョコピーの足も回復に向かっていることの喜び。それにまして3匹の侍達の心温まる思いやりリュウは真の親友は何かと聞かれたら「友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う」と答えるに違いないと思った。あたりはすっかり暗くなっている、ヴェネツィア最後の思い出として、夜の水上バスでリド島に向かった「ベニスに死す」の舞台で知られているリド島はプライベート・ビーチを持つ高級ホテルが立ち並ぶリゾート地。毎年9月にはヴェネツィア映画祭が開催され世界の映画人が集う所である。潮風に打たれながら3匹の侍達は夜のヴェネツィアを心行くまで楽しんだ。夜の遊覧も終え、サンマルコ広場に帰ってきた。人影はほとんどなく、にぎやかな広場もすっかり静まりかえっている。広場にはテーブルや椅子も使っている人はいない3匹の侍は一番上等なテーブルと椅子に腰を下ろしたその時チョコピーが大事そうに持っていた包みを広げた、其処には沢山のビスケットが入っていた。夜の散歩のオヤツとしてもらったビスケットをチョコピーは手をつけずリュウの誕生祝に残していたのである。ラッキーも新婚さんから貰ったケーキを食べずにリュウの誕生祝に持ってきたのである。「リュウ誕生日おめでとう」とチョコピーとラッキーは声をそろえて祝ってくれた。リュウの目からは友の心使いと感謝の気持ちで大粒の涙が頬を伝った。有り難う、有り難うと何度も何度もチョコピーとラッキーの友情にお礼の言葉を発した。3匹で食べるケーキやビスケットは本当に美味しかった。食べながらチョコピーが自分の生い立ちを話し出した。ママと出合ったのは僕がまだ生まれて6ヶ月目ペットショップの小さな箱の中に入れられている僕をガラス越しに指差す親子連れがいた、そして店のお姉ちゃんに僕を抱きたいと、云ってるようで、おなかにチョット乾燥したウンチがついている、僕を優しく抱っこしてくれたの。その時優しい感触は、今でも忘れない・・・。小さなチワワやテレビのコマーシャルに出ている白のチワワ、多くいるチワワの中から僕を選んでくれたママを僕は生涯かけて恩返しがしたいと思う・・話しているチョコピーの目から涙が流れていた。僕は動物センターからパパの里子として引き取られたパパは僕を選んだのではなく、別のワン公を選んだのそのワン公は他にも好きな人がいて、パパはじゃんけんでまけ、パパの選んだワン公は他の人の手に渡ったの・・あたりを見るとほとんどのワン公は行き先が決まり残っている良いワン公はほとんどいなかった。パパが帰ろうとした時、パパと一緒に来た人が僕を見つけ、「このワン公は可愛いから貰ったら・・」とパパに云ったの。動物センターに里子として、くるのは生まれて2ヶ月のワン公なの、だけど僕はまだ40日足らずで誰も貰ってくれる人はいなかったの。キット僕は悲しい顔をしてたと思う、あの時パパと一緒に来たおばさんがパパに云わなかったら今の僕は此処にはいないと思うの。僕の正確な誕生日は知らないの、パパは仕方なく貰ったから、僕の実のパパやママに生まれた日等聞かずに40日ぐらいですとの言葉で2月3日にしたみたいこの日はパパのパパの誕生日なの、それに合わせたみたい。ラッキーは名前の如くラッキーなワン公である父親はゴン母親はアイ血統書付のワン公であり良いワン公を30日目で今のママのところに貰われて、思いもしない良いワン公を貰ったのでラッキーと名前をつけたのである。それぞれの生い立ちを3匹の侍は時の経つのを忘れて話し込んでいた。チョコピーが寒くなったのでそろそろ帰ろうや・・といったので、引き上げることにした。ホテルに帰ってみると日本にいるパパから誕生ケーキと手紙が届いていた。
2006.02.03
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サンマルコ広場前の船着場から水上バスで約20分の所にあるムラーノ島は中世からヴェネツィアングラスの島として榮、現在もガラス工房が多いガラス博物館では、貴重なアンチーク品も見られる。ルラーノ島はヴェネツィアン・レースと漁業で有名な島、緑やピンクなどの壁が色鮮やかな家々が並び本島とは一味違った趣である。ヴェネツィアの建設物は、水の上から眺めた時に最も美しく見えるように設計をされている。ヴェネツィア共和国のメインストリートであった大運河沿いには14~18世紀に建てられた貴族の館や教会が贅を競うかのように立ち並ぶ。3匹の侍にとっては、始めてみることばかりであった。それぞれの侍達は又来る機会があればパパやママと一緒に行きたい衝動に駆られた。サン・ジョルジョの岸壁でカモメの親子が遊んでいたヴェネツィアでは子供連れには会えなかったが・・・。カモメの親子は楽しそうに遊んでいる、3匹の侍達はカモメの親子の所に行った。母親の名はニーナと云う、母親に似てか3羽の子供たちはすごく可愛かった。親子で遊んでいるカモメを見て、チョコピーは海を見つめながら、涙ぐんでいるようにも見えた。キット、日本にいるママやお兄ちゃんのことを思い出しているに違いない。雪の降る時も、木枯らしが吹きすさぶ時も、散歩につれててくれたママ。疲れたと言えば何時も暖かいママの胸に抱かれて散歩した日々のこと・・。何時も明るく振舞ってはいるが寂しがり屋のママ。僕が居ない間、キット寂しい毎日かも~。出かけるときは何時も僕のマフラーを首に巻いているに違いない、僕と思って・・・・。お兄ちゃんにぜんざいを作ってやってるかな~又砂糖と塩を間違えてぜんざいを作っているのではないのかな~。誰もが遠く海を見ていると遠く離れた故郷を思い出すものである。ラッキーも又チョコピーと同じように何時もボール投げして遊んでくれたママのことを思い出しているに違いないと思った。僕はパパのことがすごく心配である、お仕事の都合で、月・水・金は朝が早く散歩も朝が早い何時も夜が遅いので僕が何時も起こしてあげている何時も遅刻しているのでは・・。火・木・土は遅いいお出かけ、何の仕事をしているか知らないが時差出勤見たい。僕がいないと何にも出来ないパパである。色々やらかしてはいないかと心配である。出かける前にパソコンだけは扱わないように云ったから、大丈夫と思うけど・・。口には出さないけれど3匹の侍はそれぞれの想いを自分の胸に収めた。親子のカモメと3匹の侍はヴェネツィアについて色々と話が弾んでいた。その時ラッキーがリュウ明日はリュウの誕生日と突然叫んだ。明日は僕の誕生日、2歳になる、パパのお家に来て2年・・、速いものだと思った。
2006.02.02
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フランスからイタリア・ヴェネツィアに来てからも上天気である。3匹の侍は心行くまでヨーロッパの歴史探索に堪能した。サンマルコから船でサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会に来た、此処から見る景色は360度の大パノラマである。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は運河を隔てたサンマルコ広場の向かいに浮かぶ。17世紀に完成建物の内陣にはテイツィアーノの「最後の晩餐」「マナ拾い」がある。鐘楼からは、サン・マルコ広場や遠くリド島まで360度のパノラマが広がる。サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を見ることも出来た。大理石に覆われた美しいシルエットがヴェネツィアバロック傑作といわれる教会、殿堂の上のクーボラはヴェネツィアのランドマークの一つである。アラジンの魔法のランプに出てくる宮殿を想像させる。3匹の侍達は大鐘楼の屋上から、飽きることなく大パノラマに見入っている。リュウが持ってきた痛み止めと筋肉緩和剤が効いたのかチョコピーの足は腫れも引き痛みも和らいだように見えた元気なチョコピーに戻りつつある。ラッキーはリュウの腹痛が心配である、幸いにも此処ではすべてコンクリートか石畳のため雑草が生えてないリュウは雑草を食べては腹痛を起こしていたがその心配はないと思った。3匹の侍が元気で無銭旅行できることをラッキーは祈った。
2006.02.01
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