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今日は朝から雨である、僕は朝の散歩はなしつまんないの・・。だけど今日リボンちゃんとメダカちゃんが遊びに来るという。ばあちゃんの13回忌以来である。今日はリボンちゃんと僕のパパはカクレンボをした後絵を書き始めた。リボンちゃんはママとお買い物に行きことになっていたが、「リボン行かないお絵かきするの」と言って僕のパパと絵か画きを始めた。僕のパパはリボンちゃんやメダカちゃんのために鳳凰を書くらしい。鳳は雄、凰は雌を指し、羽ある生物の王であるとされる古くは風を司るとされるが、後に五行説の流行により四神の一つ孔雀と同一視される。たとえば漢代の緯書には、鳳凰を火精としているものもある。古代から中世にかけて意匠が装飾に使用されており日本では宇治平等院鳳凰堂や京都鹿苑寺金閣寺の屋上にもある・また2004年から発行された壱万円札の裏面を飾っている。東西の聖なる鳥の代表として混同される鳳凰だがフニックスのルーツはエジプトにあり鳳凰はルーツはインドにある。フィクションにおいてしばしば同一視される背景として両者ともに「火の属性」を持つという共通点がある今世界において鳳凰や不死鳥と同一視される描写が多く見られる。パパはリボンちゃんと机を並べて書いている、すごく嬉しそうに鳳凰を書いている、リボンちゃんは僕のパパの似顔を書いている。今日のパパは本当に楽しい1日であった。
2008.06.30
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過日留学生とのバスハイクに阿蘇山に僕のパパは行ったようである。梅雨時のバスハイクすごく天気を心配していたがパパは必ず天気になると信じていた。天気予報は雨のち曇り夕方から雨との予報であるもし雨の場合を想定して第2案まで作っていた。パパは雨は降らしてなるものかとの強い一念である。みんなの一念が通じたのか朝から曇り空雨の気配はなし。朝8時に留学生を乗せて一路阿蘇山へと向かった広大な阿蘇山、今でもなお噴火を続けている中岳始めてみる留学生は歓声を上げた。中国の留学生を支援して3年目である、毎年大学1年生が中心である。モンゴル、大連、北京、広州、青島、上海、内モンゴルなど、中国各地より留学生として日本で学んでいる。 (写真は噴火に備えての避難所が林立している)僕のパパはいつも言っている。留学生の人は将来中国においてあらゆる分野で活躍をする人たちであり中国の国民感情をやわらげ、真の日本を理解していただくために支援活動を展開している留学生に対する友好支援の輪は必ずや近き将来祖国中国の人に伝わり、日中友好の絆は深まっていくと。 (今は大人しく寝んねしてる火口)雄大な阿蘇を見ていると、様々な人間模様を忘れさせてくれる。 (目を覚まさないでしづかにお寝んねしていてね)またいまだ噴火している阿蘇は一人一人の胸に我が人生は不滅であると語っている。若き留学生も幾多の試練が待ち構えているかも知れない。試練はまさに竹の節である、節があるから真直ぐ伸びる。節が多いから、強く大きく伸びる。未来への夢と希望を求めて。「人生とは闘争の異名成り」人は皆戦い続けている、負ければ人生の敗残者である苦しくとも、辛くとも、避けることの出来ない人生の並木道である。阿蘇を見ながらそれぞれ何かを感じていたようであつた。。
2008.06.28
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今日市民センターに行くと七夕さんが飾っていたパパが帰って来て僕に七夕さんの話をしてくれた元来は中国の節句の一つであり、太陰太陽暦の7月7日(旧暦)である。日本では天保暦(旧暦)など和暦で7月7日という7月15日((旧暦)に行なわれる盆の直前に行なわれた。日本古来の豊作を祖霊に祈る祭りに中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞功奠(きっこうでん)などが習合したものである。僕のパパが小学生の時先生から話してもらった七夕さまの話をしてくれた。織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった夏彦星(彦星、牽牛星)はわし座のアルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めためでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなったこのため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが年に1度、7月7日だけ会うことが許されていた。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し織姫は渡る事が出来ず、牽牛も彼女に会うことが出来ないそのときは二人を哀れんでどこからか無数のカササギがやってきて、天の川に自分の体で橋を架けてくれるという。星の逢引であることから、七夕には星合という別名があるまたこの日に降る雨は「催涙雨」といい、織姫と彦星が流す涙だと伝えられている。各地の「七夕祭り」は戦後始まったものの多くは仙台七夕をモデルとしている。祭りは7月6日の夜から7月7日の早朝の間に行なわれ午前1時ころには天頂付近に主要な星が上がり、天の川、牽牛星、織女星の三つがもっとも見ごろのになる時間帯である。短冊に願い事を書き笹竹に飾ることが一般的である僕のパパも願い事を飾ったと云っていた笹は精霊が宿る依代が起源である。僕は7月7日は織姫さんと彦星さんが逢えることを願っているお天気さんお天気さん意地悪しないでね
2008.06.27
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今はほとんどの小学校は春に運動会が開催される僕のパパの時代は秋の運動会である5年生までの運動会の記憶はほとんど無くおそらくタダ参加するのみであったと思われるご近所にいつも遊んでくれた、二人の先輩がいた2級先輩の岸田さんはお金持ちで闘犬の土佐犬を飼っていた。モウ一人の山川さんは3級先輩で中学、高校時代は番長である。と言っても喧嘩や虐めなどはしない、いつも弱いものや貧乏人の味方であり困った人のために、助けてくれる生徒のリーダーであった僕のパパもたぶんに山川のお兄ちゃんの影響を受けていたみたいである当時学校では町内ごとに分団制が決めてあり僕のパパは分団長であった。分団長の役目は、町内の児童の揉め事や相談に乗っていた。 (写真は当時の中学校その横に小学校がある生徒数1800名)運動会のハイライトは町内対抗リレーと最後を飾る4年、5年、6年男子により川中島である。町内対抗リレーは各分団ごとにプラカードを先頭に選手入場行進である。僕のパパは2年生から6年生まで出場をした今年は6年生アンカーである。1年生の女子からスタートして最後は6年男子アンカーである。運動会で一番盛り上がるのは町内対抗リレーである。父兄はこのときばかりは応援で半狂乱になる残念ながらパパの町内は健闘むなしく予選落ちであった。最後を飾る川中島の騎馬戦である4年、5年、6年生赤白あわせて450人の騎馬戦である。大将は背の高い準で決まる、ダガ背の高い準では10番目のパパが白組の大将として乗馬した。何も無い時代だから学校も騎馬戦にはすごく感心が在るらしく、大将は紙で作った鎧を着せられ白の鉢巻も2m近くあり、大将騎には旗持ちがいて白旗がなびいている。まさに風林火山を思わせるいでたちである大将騎の左右には副将騎が並び最後を飾るのに相応しい体型である。1回戦は全騎馬が出ての勝負である勿論パパの騎馬に責めてくる騎馬ないない2回戦は勝ち馬だけの勝負であり3回戦は大将同士の一騎打ちである赤組の大将は金持ちの息子まさに貧乏人と金持ちの対決で在った。ダガ勝負は決まらず引き分けに終わった3年後中学生の時くしくも騎馬戦で小学生時代の再現の如く大将同士の一騎打もまた金持ちの息子と雌雄を決することになるとはこのときは知る由も無かった。運動会が小学生としての最後の思い出でいよいよ中学生である。パパの生涯でもっとも華やかな時は中学生の時だったと僕に語っていた。中学校は3校の小学校から集まってくる。1学年500名全校生徒数1500名である。6年生の時パパの名前は3校の人に知られていたようである。パパもまた先輩山川さんと同じように全校生徒のリーダーだったかも知れない。僕とパパは声高らかに「貧乏に栄光あれ」と叫んだ
2008.06.26
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6年生の時に二人目の弟が出来たので家に帰るといつもしたの弟を背中におんぶしていた、お父ちゃんは酒が好きで何時も買いに行く役目はパパである。弟を背負っての買い物である。酒屋に行くとポスターが張ってあり。酒造会社が闇酒の防止の標語を募集していた。入選したらお酒一升がもらえる。僕のパパはその場で標語を書きお店の人に渡した「とうちゃんに、飲ましてならない、やみの酒」一ヵ月後に発表があり見事入選お酒一升を貰ったのである。とうちゃんはすごく喜んだと云っていた。この年に市の作詞競技会があり先生は皆に何か詩を書いて来るように言われた。おそらく優秀な作品を書いた生徒には作詞競技会参加をさせるつもりである。僕のパパは「うちの庭の木びわの木は」と題して詩をかいた。全校生徒の詩が集まり、先生は何を勘違いしたのか僕のパパが代表に選ばれたのである。今思えば担任の先生は学校内ではすごく力のある先生で教務主任か学年主任もしくは教頭格で在ったかもしれないなぜなら、いつも学校代表にはパパのクラスから選ばれていたからである。僕のパパは毎日詩を書いて先生に添削を受けていたそれが作詞競技会の前日まで続いた。作詞競技会市内でも当時最優秀校といわれていた学校で行なわれた。この学校は大手企業の官舎や社宅の子弟達がいて裕福な人が住んでいた詩の表題が発表され題は「製鉄所」である。僕のパパはこの題を見たとたん駄目だ~と思った毎年起業祭には構内の見学が許される、だけどパパは一度も起業祭にも構内の見学にもいっていない戦う前からすでに負けており入選するはずが無いパパの人生で敗北感を味わったのはこれが最初で最後である。おうちの還るととうちゃんが標語のお礼と言って美味しい料理を作っていた。珍味は食用かえる、ハトの肉、それにザリガニの煮付け、どれも始めて食べる珍味でありすごく美味しかった。かあちゃんが、これはね~とうちゃんが作ったフランス料理なの言われた。僕のパパは生まれて初めてフランスを食べたのである。今ではまさに数万円もする料理かも知れない僕のパパは台北に行ったとき、お友達の彼女が蚊の目玉のスープを注文した。小さなグラス1杯が何と五千円である。パパも少し飲んでみたが何ともいえない味で、こんなものが・・・とビックリしたらしい。先天性貧乏であったが、そのおかげでフランス料理も食べることが出来たのである勿論材料費はタダである。
2008.06.25
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小学6年生になってもお金を見たのは10円である。それ以上のお金は見たことが無い。米を買うにも、お酒を買うにも、買い物総ては通帳で買っていた。ダカラ色々な通帳が在ったのである。買い物をすれば通帳に品名と金額が書かれていたダカラ給料日には総て支払いに当てられいつも残金はゼロである。給料日には会社の門の前に飲み屋のお姉さんや奥様方ですごくにぎあっていたようである。日曜食品類も会社の購買会が各地にあり社員は給料引きである。ダカラパパのお家ではいつも現金は無くお金は元気よく跳んで行った。衣料も余分なものは無くパパの学生服も着られなくなるまで着ていたのである。下駄も歯がなくなるまで履き割れてから初めて買ってもらっていた。現代では品物が豊富で沢山の衣服があり整理に困っている状態である。買っても一度も着ていない衣服も沢山あるようである。TVで言われていたが買って3ヶ月も着ないものは捨てること云っていた。その点パパのお家はいつも整理整頓は完璧である。毎月掛けの生活で、今で言うカードローンでの生活であるお家に現金が無いから安全で泥棒の心配も無い町内一の貧乏が知れ渡り泥棒の耳にも入っていたかも知れない。(佐賀のがばいばあちゃんの住んでいた武雄の楠で日本で3番目に大きい楠である)いっも云っていたお金持ちと貧乏人との違いは、預金通帳の数字の差だけだと。お金持ちだから食事を5度とることも無ければ夏になればランニング一枚である。貧乏しているとややもすると卑屈になるだけど無いと思うからであり、洋服もあると思えばボロを着ていても気にならないものである。パパが中学生になった時は男の子ばかりの5人兄弟になった。貧乏していてもとうちゃんやかあちゃんはうちには5億円の財産があるといつも人に話していた。一人1億の財産である。とうちゃんが6年生のパパに話していた「しろがねも、くがねも、玉もなにせむにまされる宝子にしかめやも」万葉歌人の歌である。この歌人も子沢山ですごく貧乏していた歌人であると思われるお金は無くても僕のパパはこれが貧乏だとは思っていなかった。月に一度ポンポン菓子屋さんが近くの広場に来た米1kで10kになるポン~という音とともに米が10倍である。10kになったポンポン菓子と御芋が常食であるたまには御飯だけの時もあったが麦の中に恥ずかしそうにお米が顔を出していた。パパの小学校では女子のドッジボールは市内でも最強チームである。市内大会を控え女子チームを鍛えるために。男子チームが結成され放課後毎日女子チームと試合をしていた。どう間違ったのかパパが男子チームのキャップテンなった。試合はいつも女子チームの勝ちである。女子を鍛えるどころかいつも男子が鍛えられていたこの時パパはよくメタンガスを出していた。俗に言うイモ屁である。このときパパは芋はすごく通じがよくまたメタンガスもよく出る事にきずいたらしい。このとき屁にも3種在ると云っていた屁の中にも「ビリ、ブ、スウ」の3種ありビリ~中身出る恐れありブ~声高くし臭みなしスウ~声低し臭みありとかく変わったパパで何をしても明るかった
2008.06.24
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人生において師匠に出会うことはその人の人生に影響を与えるものである。僕のパパも振り還ると5年生の担任の先生によってパパの人生が開花したようである6年生なった時また弟が生まれた、まさに貧乏の子たくさんの始まりである。それからはパパはかあちゃんと呼びとうちゃんと呼んだ。11月の時学校が教育委員会から表彰を受けることになった。どういう訳か知らないが、学校代表として表彰状を貰いに行く羽目になった。隣町の小学校での表彰式である。小学校の中では一番新しく講堂も立派で在った。かあちゃんに明日よその学校に行くというと「あ~そう」とだけ答えが返ってきた。貧乏だから仕方が無いが普通ならいい服を着て行きなさいといわれるが、僕のパパは着たきり雀、古ぼけた制服しかないのである11月はパパの町では起業祭が始まるそのときは雪が降っていた。だからすごく寒く学校ではうわズックを履いていた。靴下などは無くパパは黒足袋をはいていた。その黒足袋も破れて中の白い布が顔を出している。新しい足袋はないのと聞くとないよとのことかあちゃんは黒と白の模様と思えばなんて無いよ遠くから見る人は模様が入っていると思うよといわれた。表彰式の当日演壇には多くの人がいた、おそらく市長を始め教育委員長や関係者である。パパは学校の名前を呼ばれ演壇に上がった破れたままの足袋をはいて。表彰状を受け取り学校に戻り校長先生に手渡し無事役目は終わった。それ以後僕のパパは服装には余りこだわることは無かった。今でもいつもホームレススタイルである。パパは僕にズボンが破れていても気がつかないと平気で履いているでしょう。女性でもストッキングに電線が入っていても気がつかないと平気でいられるでしょう。気がつくとすごく嫌な気になって、急いでお家に還るでしょう。だけど本人が気にしてるだけで周りの人は一向に感心がないの、ダカラ気がついてもかまはないよといわれた。貧乏はしていたけど食べ物にはさほど不自由はしなかった近くの焼き芋屋さんがいて、商品にならないくず芋や腐れかかった芋などをいつも頂いた。腐れかかった芋はいいところだけをとって芋団子になっていた。ダカラ朝はふかした芋、夜は芋団子である。とうちゃんの休みの日はおかずを取りに行った。今日のおかずはうなぎの蒲焼だよととうちゃんは云っていた。電車に乗った記憶が無いのでおそらく、歩いて行ったようである。今考えると少なくとも2時間は歩いたようである。沢山ライ魚が取れた、晩のおかずにかば焼きである。うなぎの蒲焼と言われ、パパは沢山食べたようである。少し臭いがするので、かあちゃんに聞くと、生きのいいうなぎは臭いがするの、それに舌先で食べるのではなくこのうなぎの蒲焼は舌先の1cm上で食べなさいといわれ、そのとおりに食べた。ダカラかば焼きの味は今でも思い出せない。今思えば味覚を感じるのは舌先である、舌先1cm上では味覚を感じることはできない、ダカラ何を食べても味は同じである。ライ魚のかば焼きもうなぎのかば焼きも舌先1cm上では味は同じである。ようは、うなぎの蒲焼と思って食べればうなぎの蒲焼である今問題になっている飛騨牛問題も1級から5級に分けられ3級4級5級が飛騨牛として販売していたところが1級2級のものを混ぜて飛騨牛として販売それが分かり調査が入っている。見た目には専門家でも3級4級5級の見分けがつかずまして消費者には全く分からない。味も2級の物を4級と言っても消費者は分からないであろう値段だけは100g2000円から500円とすごく差があるがばいかあちゃんが言うように、ライ魚の蒲焼をうなぎうなぎの蒲焼と思って食べてもタレさえ美味しい物で在れば、僕のパパは見分けがつかないと思うそれだけ一般の人の舌はいい加減なものである。中国の留学生が日本の友達と中国を旅行した時美味しい肉の店があると行ってそこで沢山食べたお友達はこの肉はすごく美味しい肉ねと言って何皿もお替りをしたとのことである。この美味しい肉は何の肉なのと聞かれこれは犬の肉なのと応えるとすごく驚いたとのことである。ダカラ僕のパパはいまだに味覚音痴何を食べても美味しい美味しいと言って好き嫌いが無いこれもがばいかあさんのせいかもしれない。
2008.06.23
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僕のパパは小学4年生までの記憶が無い成績も悪く目立たない生徒で在ったと思われる5年生になり新しい先生が赴任され、このときからパパは大きく変わったようである。先生はまづクラスの中で科学班を結成した男子生徒5名女子生徒5名の10人で科学班が結成された。女子生徒は山羊やウサギの飼育と観察男子生徒は気象の観測である。僕のパパは毎日の気温とそれに風力の記録である他の生徒は雨量や湿度などが決められた。科学班になってパパは日曜日も学校に行きみんなとデーターを作っていた。風力の測定器などは無い、だから工場から出る煙突の煙で調べていた、煙のたなびき方で判断をスルのである。不思議なもので素晴らしい先生が担任になったからパパの成績は上がったようである。別に勉強をしたわけでは無いが、やはり好きな先生だよ授業に実が入ったかもしれない。5年生の時パパに弟が出来た。これで家族は3人である。6年生になると担任が変わる、だが幸いにも同じ先生が担任になった。科学班も5年生を含め15人である。部室も頂くころが出来すごくにぎやである。科学班発足2年目でパパ達の学校も生徒児童発明工夫展覧会に作品を出すことになった。出品作品は5点である、間も無くして発明協会から3点が入選したとの通知があり先生に引率されて男子科学班全員で作品の見学と表彰式に出るために博多の岩田屋デパートに行くことになった。僕のパパは生まれてこの方デパートには行った事は無い当時の岩田屋デパートは福岡でも最大のデパートである会場には高校生から小学生までの作品が所狭しと展示されていた。僕のパパは素晴らしい作品を見て周り自分の作品の前にくると優良賞の張り紙がしてあった。表彰式が終わると先生が科学班10人をつれて大濠公園に、すごく綺麗な広い広い公園である勿論パパは始めてみる景色である、大きなデパートと広い公園を見ることが出来たのである。賞状は学校保管と成り、賞品だけをもってパパはお家に帰った。賞品は置時計である。当時の時計は貴重品であるパパは寝るときは枕元においていつも寝ていた。ある日パパが学校から帰ってくると置時計が見当たらないお母さんに聞くと貴重品だから一六銀行に預かって貰ったと言った。そして他の銀行は預かり金をとるが一六銀行はすごくいい銀行で預かってもらうと反対にお金をくれるのと説明された。確かにお母さんの言うように貴重品である置時計の裏側には県知事賞と刻印されていた。この年入選作品は東京での全国大会に出品され5年生の後輩の作品が見事文部大臣賞に輝いた。結成2年にして最高の栄誉を勝ち取ったのである。それ以後パパの母校は科学の優秀校としてSONYから100万円の支援金が贈呈されたのであるこの話はパパが就職してから学校に勤務している友人から聞いたのである。中学生になった時パパは一六銀行を探したらしいが一六銀行と書いた看板は見つからなかったと云っていた。
2008.06.22
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貧乏していても、慣れれば結構楽しいものである。僕のパパは小学生の2学期に隣の市の学校に転向した今は5市が合併して100万都市に成っているがパパが小学生のころは市も小さい市であった。転向して間も無くトマトジュースが全児童に配給された。僕のパパは転向したばかりで貰う資格は無いお母さんに話すと、市民税をきちんと払っているから大丈夫と言って大きな鍋を持っていきなさいと言われた。確かにクラスの中でパパの鍋が一番大きかった先生はパパに今回は本当はあげることは出来ないのだけど仕方が無いわね。といって先生はトマトジュースを大きな鍋に入れてくれた。器が大きいので、みんなと同じ量では少なく見えるだから僕のパパには他の生徒の2倍は入れてくれた。おうちに持って還ると、お母さんは「大は小を兼ねる」のだからものを貰う時はいつも大きな入れ物をもって行きなさいと言われた。それ以後僕のパパはスーツケースにしてもカバンにしても大きいものばかりである。確かに「大は小を兼ねている」転向してきたせいか、成績も悪く目立たない存在で1年生から4年生までの記憶は全く無い5年生に成りいい先生にめぐり合い頭角を現してきたみたいである。貧乏をしていたせいか、よくお母さんのお姉さんつまり叔母さんのところにお使いに行かされた。お使いと言ったも米や野菜それにお金を借りに行かされた。小学5年生の時からである、往復40kの道を歩いて行っていた。「行きはよいよい、帰りは怖い」お米に野菜を背負って20kである。身長が伸び無かったのはこのせいだとパパはいっていた。叔母さんのお家にお金を借りにいったが一度も払ったことは無い。ダカラ借りることは頂くことである。おかげで貧乏はしていたが食べ物には不自由はしなかった。貧乏もやりかた次第では楽しいものである。がばいばあちゃんが言うように由緒正しい貧乏暮らしに誇りを持っていたのかも知れない。
2008.06.21
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佐賀のかばいばあちゃんの話を聞いた僕のパパはすごく感動をしていた。映画とTVで放送されたらしいが僕のパパはどちらも見ていない。武雄で聞いたのである。貧乏にも「明るい貧乏」と「暗い貧乏」があるまさにパパのお家も「明るい貧乏」で在っただから貧乏をしていても僕のパパは貧乏だとは感じていなかったみたいである。パパのお母さんは広島産である、幼少のころ、実家は酒問屋と油問屋でありおじいさんは村会議員をしていたらしいだからパパのお母さんの姉さんは小学校に行くのにも、お手伝いさんや、丁稚さんと行ってたらしい。パパのお母さんが中学生の時2度目の火災になり、近所の人たちの補償や賠償で倒産したらしい。昔は火災保険などは無く、総て土地や屋敷を売って補償や賠償に宛てていたのである。親戚縁者を頼って一家は福岡に無一文で来たのである。まさに天国から地獄である。広島の本家も3代で潰れた様である。福岡に来てからパパのお母さんは、貧乏とお友達になったようである。パパのお母さんには子供5人孫10人ひ孫が3人授かっている。僕のパパはお母さんの13回忌を終えて僕に色々な思い出を話してくれた。僕はパパが話してくれた思い出を少しずつ話していこうと思う。リボンちゃんやメダカちゃんはおばあちゃんは知らないダカラ僕が伝えていくことにした。
2008.06.20
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ばあちゃんが「昭広も手伝いんしゃい」振り返ってそういうと、ばあちゃんは川から木切れや木っ端を拾い上げ始めた。川の水面すれすれに1本の棒が渡してありその棒に木切れや何かが引っかかっているのださっき、川をのぞいていた時「何かなあ?」と渡された棒を見ていたのだが、まさかばあちゃんが仕掛けたものとは思わなかった。なんとばあちゃんは、この棒に引っかかる木の枝や木っ端を乾かして薪にしていたのだ。「川は綺麗になるし、燃料費はタダ。まさに一石二鳥だねえ」と豪快に笑うばあちゃん。いま思えば、ばあちゃんは45年前から環境問題にとる組んでいたのである。棒に引っかかるのは木だけではなかった川の上流に市場があって、二股になった大根や曲がったキュウリなど、売り物にならない野菜が川に捨てられる。それも、棒に引っかかるのだ。今写真で見る川がその川である。さらに、半分傷んだ野菜や果物も売り物にならないので捨てられるしかしばあちゃんにとっては「傷んだところだけ切って使ったら同じ」というわけで、ばあちゃんの家では大半の食料を川に流れてくるものでまかなっていた。この家が当時ばあちゃんが住んでいた家の再現である。家の前は川である。子役のオーデションがあった小学生が最終的に10名が残った。一番の困ったのは撮影のために学校を休まなくてはならない。撮影の時は欠席扱いである。武雄の教育委員会はTV局の強い要望もあり武雄の人は心もお湯も温かいとの配慮で課外体験の授業実習体験として欠席扱いにはしなかった。スタッフの悩みは佐賀牛や美味しい米、だけど朝4時から夜の11時までの撮影だから食事時間は数分しかない。ダカラやわい御飯と小さくきったおかずを所望された。まさに流し込む食事である。運動会の弁当も昭和33年の弁当である。若い御母さん方の悩みであった。だから、若いお母さんの姑さんに色々当時の料理を習ったとのことである。その結果姑さんとの仲が良くなり、すごく家庭が明るくなったと云っていた。パパが明日からパパのおばあちゃんの話を僕に聞かせてくれると云っていた。すごく楽しみである。
2008.06.19
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パパが佐賀から帰ってきた。パパのお母さんの13回忌を終えて「かばいばあちゃん」の佐賀に行った様である。2007年1月4日の21:00~23:18にフジテレビで放映された。かばいばあちゃん 徳永サノに泉ピン子・徳永昭広に島田洋七本人・徳永秀子(昭広の母)石田ゆり子小説は、少年時代を佐賀で過ごした島田洋七が少年時代の出来事を書いた小説で、彼の自伝である。島田洋七監督でも再映画化がされる。公開は2009年初頭の予定。出演者は島田紳助やそのまんま東・高島礼子・香山美子などあらすじ戦後の動乱期、広島に暮らす昭広(島田洋七の本名)少年は母親に女手一つで育てられていた。働く母を恋い慕って、まだ幼い昭広が物騒な夜の盛り場にやってくるため、懸念した母親が騙しようにして、佐賀の昭広の祖母、おさのばあちゃんの家に送ることから物語が始まる。おさのばあちゃんの家は超のつく貧乏であり、ばあちゃんは苦労人だった。だがそれ以上に、明るく逞しい「かばいばあちゃん」であった。破天荒な発言で昭広をけむに巻く。最初は驚かされっぱなしだった昭広だが、佐賀にも学校の友達いも、そしてばあちゃんの「由緒正しい貧乏」暮らしにも馴染んいった。周囲の優しい人々に見守られ、スクスクと成長する昭広少年のかばいばあちゃんと過ごした8年間を描く。撮影でのエピソードは次回に設定は昭和30年である。「かばい」とは「非常に」との意味で「すごかばあちゃん」となるパパがどうして「かばいばあちゃん」のことをブログに載せるのと僕が聞くとパパのお母さんも「由緒正しい貧乏」でまさに福岡の「かばいばあちゃん」と云っていたおそらくすごく生き様が似ているのかもしれない。
2008.06.18
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今日はすごく暑い、僕は平気だがパパはすごく暑そうである。僕のおうちの前が墓苑になった朝から木の伐採が始まった。周りには沢山の木がある、小学生の通学路にも大きな木が立ち並ぶ、冬になると枯れ葉が落ちてすごく厄介であるまた台風シーズンになると木が折れたり倒れたりする墓苑の管理者が枯れは対策や小学生の通学路の危険防止のために木の伐採を市に依頼し伐採が始まったのである。だが伐採をしたのは墓場のためで小学生の通学路はそのままである。また落葉も墓場にはすごく助かるようであるが民家にはほとんど関係が無い今年も台風シーズンは落葉拾いである。市も小学生の通学路安全対策のために伐採を許可市の費用での伐採である。だが本質は墓苑のための伐採である。今の日本を象徴している。伐採をしていると木の頂上付近に鳥の巣があった伐採業者は鳥の巣だけは切ることはしなかった。巣の中にはヒナがいるとの事、親鳥が餌を運ぶのだが木を伐採しているので親鳥は来なかった。ヒナたちはすごくおなかをすかしているだろう今世界中で環境保護の運動が展開されている、環境破壊で住む所が無くなった動物達はどうしているのであろうか、僕は鳥の巣を見ながら人間の欲望や便利さのために、鳥や他の動物達が犠牲になっていると思った。
2008.06.13
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今日はすごく天気がいい梅雨の晴れ間だしいパパが僕にリュウ、今度のバスハイクは上天気だよと言って胸を張っていた。雨でも万全な用意をしておくと雨さんが逃げていくの雨さんは意地悪だから傘を持たずに行くと雨が降り傘を持っていくと雨は降らないでしょう。パパがね昨日雨さんに土曜日は雨が降ってもいいよ雨が降ってもいいところに行くからね。と話したの、ダカラ雨さん面白く無いので梅雨前線は今日からドンドン南下してるのダカラ、今日から日曜日までは雨が降らないの。僕と話している時にお友達がオートバイを見せに来た。一面龍の絵が画かれている、素晴らしいオートバイである。最近のオートバイは1200CCクラスを乗っている人もいる。パパの時代は250ccが主流であった車も今は650ccかそれとも2000ccが主流である。クラウンの2000ccはすごいと思っていたが今は4000ccの車が高級車である。僕はオートバイを見てすごく大きいのには驚いた。僕のパパは自動二輪の免許は持っているが今は乗っていない。勿論運転は出来ないと思う。ご近所の塗装屋さんがヒマの時に趣味で書いた龍の絵である。僕のパパも龍の絵が好きで塗装屋さんも大好きのようである。パパが塗装屋さんに、お家に掛ける龍のえを画いてもらうようにお願いしたようである。僕もリュウ。パパも龍、お家も龍、出来上がるのがすごく楽しみである。
2008.06.12
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いよいよ僕の所も梅雨の季節朝から雨である。今年になって水曜日は雨が多い。韓国語の先生も水曜日が担当である、ダカラ雨ばかりとぼやいていた。僕はパパにどうしてわざわざ梅雨時にバスハイクなのと何度も尋ねた。パパはおそらく色々な行事があり6月に決めたらしい僕はパパに雨が降ると観光どころでは無いでしょうねすごくつまらない旅行になると思うよと言うと。たとえ梅雨時でも雨の降らない時もあるでしょう。つまらないと思えばつまらない旅行である。だけど雨の旅行を素敵だと思えば素敵な旅行になるよといわれた。パパはね6月14日は雨は降らせないからね留学生がみんな雨が降らないことを祈っているからパパは期待に応えたいの。必ず願いは叶うと思うよ一つに天気が悪いと観光客も少なく車も渋滞が無いそれにマイクロバスに乗る時間が70%を占め観光は30%だよ、ダカラバスの中で色々なことも出来るしすごく楽しい思いでも作れると思うよ。運転手も天気が悪いとすごく慎重に成り安全運転が出来ると思うよ「高名の木登りというし、おのこ、人をおきてて高き木に登らしこずえを切らせしに・・・・・・近こうなりし心して下りよ・・」高名の木登の名人が弟子に高い木の登らして小枝を切ってきなさいと言った。上に上るほど危険である無事に小枝を取り降りてきた時もう少しで地面に着く時初めて気をつけて降りなさいと注意をした。弟子は一番危険な時には注意もしないでどうして地面に近くなった時に注意をするのかと質問をした名人は誰もが危険な時は自分自身が何も言わなくても注意をするものである。だが危険が去ると油断をして怪我をするのであると。ダカラ危険な所では事故は無く大概油断や安易なところでの事故が多いようである。運転手も広い高速道路でポカポカ天気ならば眠気も起きよう、だけど天気の悪い時は何も言わなくても、慎重な運転をするものである。それから雨が予想される時は旅行先を雨天でもいいところを第2案として計画をするものである阿蘇山に行くのだが雨がひどい時は熊本城に変更とパパは云っていた、雨の中を歩くのは10分程度後はお城の中であるまた、熊本城は周りの客殿や屋敷を復元し今年から見学が出来るようになったの見て回るだけでもすごく時間がかかり雨にもぬれる心配は無いの。だからリュウ心配は要らないよといわれた。中国の留学生もキット喜ぶと僕も思った。
2008.06.11
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今日から僕の所は梅雨入りである明日から雨、雨雨、本当に憂鬱である。散歩道に咲いているお花さんも散ってしまうかも知れないと思った。パパは梅雨なのに色々な行事を組んでいる6月14日は留学生とのバスハイク15日~町内の旅行。7月は韓国釜山行き。何で梅雨時を選ぶのか聞いてみた。パパは別に選んだわけでは無いがたまたまそうなったと話していた。そして僕に「リュウ人間はねおかしなものでヒマが出来るとロクなことは考えないのおまけに仕事もはかどらないの。日ごろ自分の仕事に忙殺され、忙しく立ち回っている時には時間のたつのも忘れて不要な出費もなく腹の虫も治まっているが、仕事もなくヒマをもてあますようになるとつまらぬ事を思い巡らし腹の虫が踊りだし、自分らしからぬ事をしでかすの。「小人閑居して不善をなす」というように、おそらく事件を起す確率も暇人に多いようである。仕事もなくブラブラしてる時よりも仕事に忙殺されている時の方がむしろ幸せであるといえよう。ダカラパパはね自己省察に時間を割いてるのこれからはますます人間らしさの証となるカルチャーが大事になるのカルチャーの意味の語源は絶えずものや、心を「耕す」(カルチペート)から来ているの。ダカラパパは仕事が一段落シタラ、仕事の合間に一種の虚脱状態に陥るのだからそのときは心を耕しているの。パパの話は分かったようで僕には理解できないようは色々旅行をしてみたいだけのようである。膝が痛いとか腰が悪いとか言いながら色々やるよね
2008.06.10
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今日はすごく天気が良い、だけど週末は雨である。中国留学生とのバスハイクは今週末である、予報では曇り降水確率40%である。リュウ行ってきますと機嫌よく出かけて行った大学に行く前に車を見に行くつもりである。僕は月曜日は車屋さんは休みだと言ってあげようと思ったが、急いで出かけて行った。案の定車屋さんは休みである、その足で大学に打ち合わせに行ったようである。大学のキャンパスはすごく静かである。授業中かもしれない。昨年の秋は熊本城と水前寺公園であったが生憎の雨である。今年は熊本の草千里と阿蘇山頂までの予定である。雨の時は熊本城と水前寺公園に変更である。大学側も了承していただいた。パパの会社の敷地に大学があり今は国際通りとなっている。総てココは会社の社宅の跡地である。最盛期は従業員数は8万人である。ダカラ会社の周辺には10箇所近くの社宅が立ち並んでいた。1901年の創業であり、当時は官営である管理職社宅は別にあり、大学の周辺は一般社員の社宅である。現在では一部の社宅を大学生の寮として使用している。総て3LDKであり、留学生は一部屋を宛がわれている。ダカラ1軒に3人ですんでいる。総て6畳だから、学生には適している。僕のパパも社宅に住んだことがある、駐車場もあり会社にも近いのですごく便利である。懐かしい思いでパパは社宅の跡地を歩いたに違いないと思った。
2008.06.09
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今日は母の13回忌法要の日であるパパはボクの散歩も早く済ましみんなが来る準備をしていた。リボンちゃんとメダカチャンは昨日から泊まっている。子供と孫だけが集まってのパパのお母さんのの13回忌法要である。パパの兄弟たちが次々におうちに来たすごくにぎやかである。ボクはお外でクンクン啼いたがおうちの中には入れてもらえなかった男ばかりの5人兄弟である、今日は孫を含めて20余名である。子供を育てるためにすごく苦労をしたようである5人の兄弟が今あるのも、母あればこそである。お寺に行き母の墓前で一人一人が亡き母に報告をしていた。会食のときは生前の母との思い出をめいめい尽きることなく話していた。孫の中にはまだ小学生もいる。リボンちゃんは曾孫に当たる。母が生きていればすごく喜ぶに違いない。パパがおうちに帰り僕に親孝行をしたいときはもう親はいないよね。としみじみボクに話した。懐かしそうに話していた。
2008.06.08
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今日はメダカちゃんの1歳の誕生日リボンちゃんとメダカちゃんそれに竜太もパパの所に来た。明日はパパのお母さんの13回忌法要である。リボンちゃんもメダカちゃんも法要のためにきたのである。メダカちゃんの誕生祝はボタンちゃん親子も一緒に祝ってくれた。子供たちはパパの日のプレゼントをもって来てくれたみたいである。竜太はリボンちゃんからすごく可愛がられ寝る時はリボンちゃんと一緒に寝てるらしい。久しぶりに会ったがすごく成長してるように思えた。明日は13回忌法要である。親不孝ばかりしていたパパはしっかり法要をしないといけないよと僕はパパに言ったパパはリュウ分かったよと言って、お花を飾っていた。子供たちや兄弟が揃うのは正月以来である。メダカちゃんの誕生祝はすごくにぎやかであった僕は外でクンクン泣いたのでパパがお家に入れてくれた小さい時は僕を嫌がっていたパパの家族も今ではすごく僕を大事にしてくれるやっと市民権を獲得したようである。皆でメダカちゃんのケーキを頂いた。僕も一口おすそ分け、生まれて初めてケーキをたべた。明日は13回忌法要である、沢山の人が来るので僕はすごく忙しい1日になると思う。
2008.06.07
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最近僕は睡眠不足である、原因は夜遅くタバコを吸いに来るパパである。禁煙を宣言してモウ半年になる、いつも止めるやめると云ってるけど、一向に止める気配はない。今ではパパが止めると言っても信用する人はいない。「好きにしたら」である。僕がやっと寝付かれた時に必ずタバコである。僕は夜遅くまでお家の番をしている。番犬リュウの使命である。5時間は睡眠をとりたいと思うダカラ夜の24時から朝の5時までは寝せて欲しいと思うだが現実はパパが夜中の2時にタバコを吸いに来る何をしてるのか、夜行性である。ダカラ僕を仕方なく起きてお付き合いである毎日3時間の睡眠では体がもたない。今は蚊取り線香の煙とタバコの煙で僕の犬小屋は煙だらけである。人間は自分さえ良ければ知ったことではないとの風潮が高まりつつある。夜中の2時にタバコを吸いながらリュウ御免ねこれが最後の1本だから、明日からやめるからね・・・そして朝起きると早速タバコ屋へ何度同じ事を聞かされたものか。いい加減にして欲しいと思う今は新幹線でも飛行機でも禁煙である。特に空港では羽田にしても関空にしても一番はずれに隔離された禁煙室がある。外国では喫煙室は見当たらない。ダカラやめればいいのにと思う。ナゼ止められないか僕なりに考えてみた。一つは美味しいとは思わないが習慣で吸っている二つは身近にいつでも手に入る三つは口ではやめると云ってるが止める気が無いからである。精神薄弱だあるダカラ僕はパパに言ったタバコはやめなくてもいいから僕の所に来て吸わないではしい。どうしても吸いたければ24時までにしてねとお願いをしたリュウ分かったよ、そうするね、と言ったが信用ならないと思った。タバコは「百害あって一利なし」早く気がついてくれることを願うのみである。
2008.06.06
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今日は朝はすごい雨であつた散歩を心配したが散歩のときは晴れていた。パパはお仕事から還ると車を見に行った僕のパパはカタログ専門である。TOYOTAにいきBELTAやRacitisPASSOそれにBELTAAXIOなど見て回った。見るだけだけど営業マンはすごく親切であった購入するわけでは無いが「有り難う」来店を感謝された。最近では物が豊富にありまた社会から自動的に給付されろ物が多くなったせいか人からお世話を受け、頂き物をしても礼もいえず、感謝の念すら待ち合わせ無い人がいるようである。むしろ受け取るのがあたりまえと言った考えを抱き受けられないと「自分にナゼくれない」と愚痴や不平不満をもらす手合いが増えているのではなかろうか。先日テレビで放送されていた病院で治療を受けても治療費をはらわない人が多くなったと云っていた。またお産の費用も払わない人も増えているとの事である。払わない人のインタビューで医療費を払うくらいなら美味しいものを食べた方が言いと嘯く人もいる。命のかかわる病気の治療費を払わない医者は人命を守る立場なので未払い者を断ることが出来ないとの事である。何不自由の無い便利な生活は確かに我々を物質的には豊かに豊かにしたかもしれないが、それによって失われたものも多い、お互いが感謝の念を持ち合わせず、どんな恩恵を受けても当たり前と考える生活は果たして幸せなものとはいえるであろうか。自由な世の中に住むというありがたさは不自由を前提としない限り到底分からないかもしれない。ワン公も3日飼われると恩を知るという今人間社会にかげているのは感謝の気持ちと有り難うという言葉ではなかろうか。
2008.06.05
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今日は朝から曇り空どんよりした1日である僕の庭の上の電線に2~3日前から小鳥が囀っているよく見ると夫婦の小鳥がわらを咥えては行き来している。僕はあたりを見渡したが小鳥の巣らしいものは見当たらない。パパに話すと散歩のときに小鳥の巣を探してくれた今日も電線に小鳥は止まっている。どこかのお家に巣を作っていると思うが見当たらない夕方お隣のご主人がパパに話していた。裏の路地にわらくずが落ちていた、そしてよく見ると小鳥が巣を作っているのを見つけたらしい。ダカラその巣を取り除いたと云っていた。巣の中には小さな卵た1個は入っていたとの事である。朝来ていた親鳥はモウこなくなっていた。僕のお家に巣を作っていたら僕のパパはキット巣立つまで見守ってあげると思った。パパは僕にリュウ小鳥さんの卵はどうなったろうねモウ親鳥が来なくなったので小鳥さんは出来ないねと云っていた。ワン公にしても小鳥にしても子供をすごく大事にしている。親鳥は自分は食べなくても子供に餌を与えている。今は人間の世界では生まれたばかりの子供やマダ乳飲み子の子供を見捨てたり、殺したりしている。巣を作るのにも夫婦でわらを運んでいる。鳥はいつも夫婦が一緒である。パパが驚いたのは沢山のお家があるが一番これから先梅雨時でも雨風がしのげ、人目に着かない所をえらいる。子孫を増やすために最大の智恵を出してたようである。人間も小鳥に見習うことが沢山あるみたいねとパパはしみじみ僕に語った。僕は鳥さんに誰からも邪魔されることなく子孫繁栄のために素晴らしいところに巣を作って欲しいと願っています。鳥さんくじけることなくがんばってくださいね。
2008.06.04
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我々は生まれた時は無一物無一文であった現在はどうであろうか、いくら無いとはいえ「自分のもの」と称するものをもっている持ち物にしろ、地位にしろ、名誉にしろ生きている間に幾多のものを所有するそしてなおかつ、より多くよりよいものを求めてあくせくし、求められない時は不平不満をこぼす、求めて止まないのは向上心の現れである。人は皆幸せに成りたい、健康でいたい人生を楽しく送りたいなど様々な欲望がある。今より少しでも向上したいという願いであるだがゆえに悩みがあり、苦しみがある人はみな、悩みに直面するとその解決法を模索する。しかし目先の解決ばかりを考えると、後にまた同じような「悩みの壁」にぶつかることがあるではどうすればいいのか、本当の解決には自己変革につなげる悩み方が重要である。僕のパパは色々なことに挑戦をするダカラ悩みも尽きないと思う「悩みとは自身が授かった、宿題のようなもの」とある。自分が悩みに遭遇した時この問題を通して自分は何に気付く事が大事なのかと考えを前向き臨む眼前の悩みを通して、自分の課題に目を向けられれば解決への一歩が踏み出せるのである。ある哲学者は「人生には解決法などは無い在るのは、前に進む力だけである。解決法は後から付いてくるものであると」パパは僕にリュウにも成長の過程で悩みもあると思うよリュウもパパも悩みの壁を破るとは、停滞する自身の生命の壁をやぶるしかないよねといわれた。僕もパパも名誉も地位も財産も無い在るのは互いの思いやりで、勇気と希望をもって前進在るのみと思った
2008.06.03
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先日市の国際交流団体ネットワーク2008年度総会が市立国際村交流センター国際会議室で開催された。パパ達の日中国際交流ナンチャオから5名の人が参加した。市の地域の国際交流にかかわる様々な市民団体のネットワークで各団体の情報交換や連携を図っている。加盟団体は60団体である。昨年はパパ達は北京に行き北京五輪の支援のために故宮博物院で水墨画を購入北京五輪のために中国の有名な画家や書道家が無料で寄付をしそれを一般観光客に格安での販売である。その年に青島の食品会社を見学試食会をした。昨年から中国の餃子問題を初め色々と中国食品が話題に成り国内においては不買運動へと発展した。中国でも日本の企業よりも素晴らしい食品会社もある。一部の粗悪な会社のためにすごくイメージを悪くしたようである。秋には一市民団体として青島歌舞団を招聘この事はNHKのテレビで報道された。これらのことをパパは手短に活動報告をしたようである。また市の国際交流課の活動報告の中で国際フェリー就航の話があり韓国釜山港への1日1往復週6便の説明があった。総会は会長・市長の挨拶に始まり2007年度の総括と2008年度の取り組みに着いての話がなされた。昼食会のあと五つのサークルに別れ情報交換や、連携の確認がなされた始まる前にモンゴールの音楽家による楽器演奏があった、中国の二胡によく似ているパパたちは日中国際交流関係でその関係者のサークルである。会議も終わりパパ達は市民センターに還るとすぐに臨時幹事会を開き11月に各交流団体と連携をとり関係各国の人たちと国際交流芸能祭を計画したようである。パパは今からが大変であると思った。すでに市民センターの会場は確保したようである。
2008.06.02
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6月でリボンちゃんの弟のメダカちゃんは満1歳になるパパはリュウお留守番ねといって竜太とチビ太をつれてリボンちゃんのお家に行った。メダカちゃんはまだ爆睡中、リボンちゃんはパパが来るというので、近くの公園まで迎えに来ていた。竜太を見るとリボンちゃんはリュウ、リュウと嬉しそうに僕の名前を呼んだらしい。僕は竜太のことをリュウ、リュウと言って可愛がってくれると思い安心した。寝てるメダカちゃんを起してメダカちゃんの誕生祝の買い物にリボンチャンのパパとママとメダカちゃんと近くの百貨店に行ったらしい。メタカちゃんは6月生まれだから衣服も春物から夏物への切り替え時期だから今は20%~50%の値引きが多い、それに男の子の衣服は女の子よりもすごく安い様である。小さい時から女の子の衣服は男の子より豪華であるメダカちゃんは沢山買ったが、リボンちゃんの買い物に比べると半額である。メダカちゃんのママが色々品物を選ぶのにすごく時間がかかる、パパはリボンちゃんと色々なところも見て回ったやはりゲーム機の前に来ると釘付けである、幼稚園生ともなるとすごく成長したようであるお人形をとるゲームをするというので、パパはリボンちゃんにさせてみた。1回100円である。何度も挑戦をしたが何も取れなかったそれを見ていた店員さんがリボンちゃんにお人形さんをあげたようである。パパはお家に帰るとリュウ今日は本当に疲れたと云っていた。
2008.06.01
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