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Ryu-chan6708

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2006.08.31
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カテゴリ: 読書感想
:昨日のNHKの「 歴史が動いた 」で サンフランシスコ講和条約の秘密外交 で吉田首相がアメリカ軍基地を提供する申し入れをしたという番組があったね。
 莫大な賠償金を避けるための外交テクニックだったわけだ。
戦争で負けて外交で勝つ 、というわけだ。
 しかし、 基地問題 など、まだ、敗北したときの問題点は今も尾を引いていて、われわれの毎日の生活に知らないうちに影響を与えているね。

 ところで、君は 今の憲法

A氏: アメリカが短期間でドタバタ作って日本に押し付けたという印象だね。
 内容は理想主義的なものだがね。

私: ところがこの本を読むと、そんな単純ないきさつではないんだね。
 実は、ポッダム宣言というのは、 無条件降伏というが第5項以降は民主化などいくつかの条件があるんだね。
 「 天皇の戦争責任 」に全文が載っているよ。

A氏 :アメリカは占領とともに当然、具体的には天皇制を廃止するか、より民主主義的な方向に憲法を修正することになるね。

私: 明治憲法の改正は、 最初、マッカーサーは日本政府側の自主的な活動にまかせるつもりでいたんだね。
 1945年の10月までには、案を作るように要求していた。
 その間、政府よりも私的なグループや政党が案を作り公表していたが、政府のほうはノロノロしていた。
 そこで、 10月にマッカーサーが近衛公爵に個人的に憲法改正の検討を開始するように告げる

A氏

:自殺は12月6日だが、その前にGHQのほうは危ないと思い、11月に近衛公爵のプロジェクトから離れる。
 しかし、11月末には 近衛プロジェクト案 が提出されている。
 これは、今回の敗戦は軍部の権力の乱用なので、 軍を国会と内閣に従属するなどの案で、天皇統治権は残した。
 しかし、この案はそれで終わっている。

A氏

私: 政府(幣原内閣)は、並行して 10月25日に憲法問題調査委員会を設置 した。
 しかし、当時の日本の上層部はマッカーサーの憲法改正の声明など、真剣に考えなかった。
明治憲法は一部のマイナー修正で十分と思っていた。
 こうして、 翌年の2月初めまで22回ほどの検討を行った。
 その間、憲法は自主的にきめることであるからとして、GHQとの途中の情報交換も不十分だった。
敗者は勝者との意思疎通をしなかった。
 「 天皇は 神聖 にして侵すべからず 」は「 天皇は 至尊 にして侵すべからず 」という一語の修正であった。

A氏 :他の政党や民間グループ案もあったのだろうね。

:共産党は 天皇制廃止案 であったが、社会党は 天皇の象徴制 をすでにかかげていたね。
 民間でGHQの目をひいたのは「 天皇は国民の委託により専ら国家的儀礼を司る 」としている 憲法研究会 の案であった。
 このメンバーはリベラルで左翼的な知識人で構成されていた。
 この案は 国民主権 が明確であった。

A氏 :それだけ盛んに検討していたのに、なんでGHQは、押付けに走ったのだろうね。

:実は、政府案を毎日新聞が2月1日にスクープしたんだね。
この内容にGHQはがっかりする
 全くの頑迷な指導層であることが明らかになる。
 マッカーサーは、 2月3日、憲法案をGHQ側が作ることにして、部下に指示を出した
マッカーサーが、急いだのは、あまり遅れると国内的に共産党などの「共和国」発想が日本国民の中に支配的になる懸念と、連合国内でも日本の天皇制に反対する国の声が強くなることが考えられたからだ。
 こうして、24人のアメリカ人が約1週間で憲法草案を作り、2月10日に完成し、2月13日に日本政府に提示された。
 このとき、 白洲次郎 がからむ。

A氏 なるほど、敗戦後、8ヶ月ももたもたしているうちに、後手になったのか
 ポッダム宣言の受託でもたもたして、キズ口を広げたのと似ているね。

:GHQ案が示されても、内閣ではまたもめる。
 しかし、2月22日には天皇の承認も得て、基本的にGHQ案の受入が決まる。

A氏 :これで一件落着かね?

:そうではないのだ。
 新憲法は英語だ。
これを訳すときにまた、悪知恵がはじまる。
 いろいろ日本文では修正する。
 そして、GHQに日本語文を提出する。
 GHQ側は和英辞書をひきひき、これを英文で確認する。
 そうしたら、 英語案と違う箇所がたくさん出てきた
 また、再修正だ。

A氏 peopleの訳 が問題になったということは聞いたことがあるね。

:「 人民 」が最初の訳だったが、政府上層部は「 国民 」とした。
 天皇も一般民衆も含むからだという。
 これはGHQでちょっと問題になっただけでパスした。

 もう1つの英語は sovereignty だね。
 これは「主権」だ。 至高 」として訳した。
 これはGHQのチェックで「主権」ともどされたね。
 茶番だね。

A氏 :日本人は自ら民主主義政治を作る力はなかったのだろうかね。

私: しかし、GHQとしては、建前はあくまで日本政府が自主的に憲法を作ったとしなくてはならない。
 そこで、 新憲法は明治憲法の「改正案」として天皇によって国会に提出される形をとった
 これにより マッカーサーと天皇制支持者双方は、憲法の制定と天皇の救済が一度に行えることになった。
 3月6日に新憲法案が発表される。天皇の勅語も発行される。

 この本では、次のように、この勅語の発行をコメントしている。

事実上、天皇は臣民に対し、提案された新憲法を支持するように命じていた。
 これは天皇が決して真の権力を行使しないという考えとは矛盾している。
 これによって、その後の「憲法修正」の公的プロセスにも、民主的な国民憲章を天皇がその慈悲において与えたということを強調する、ふるぼけた勅語の形式が残されることになったのである
。」

A氏 :この 日記の「天皇の戦争責任」の最後の君の発言 にある新憲法発布の勅語の矛盾はここにあったのだね。

:憲法問題は、次に 戦争放棄の9条問題 に移っていくがこれも最初から問題があったのだね。
 これは、その後、60年延々として続く発端となるね。

敗北を抱きしめて(下)増補版





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Last updated  2006.08.31 06:41:03
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