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私 : 文藝春秋正月号 で、「 我ら日本人の戦後史・古希を迎える戦後日本は、はたして老熟した大人の国家になれたのだろうか 」というタイトルで 半藤一利 氏と 宮城谷昌光 氏が対談しているね。
その中で、 半藤
氏の 終戦の日の記憶
が述べられている。 氏は新潟の長岡で
、 勤労動員
で 軍需工場
で働いていた。
8
月
15
日
の 終戦の玉音放送
を聞いたが、録音状況がひどいためよく聞こえなかったが、 玉音放送
に続いて 和田アナウンサー
が詔勅をもう一度、丁寧に読み上げ、解説もしたので、 中学
3
年の半藤
氏にも理解できたという。
A 氏 : 玉音放送 でよく戦争が終わったか理解できないというのは事実でないね。
私 : 半藤 氏は、 玉音放送 で、 これで人生は終りだな という気分があったという。
戦争中は日本が負けたら、 男はみんな奴隷 にされてハワイやカリフォルニアで働かされると言われていたからという。
だから、人生の楽しいことは今のうちにやっておこうと悪い仲間 3
別の文春の記事で「 敗戦の年の将校生徒・僅か 4 ヶ月の陸軍幼年学校生・戦争末期のエリート教育の実態 」と題して、 作家の西村京太郎 氏が書いている。
A 氏 : 西村 氏は、 幼年学校 で 玉音放送 を聞いたのだね。
私 : 玉音放送 を聞いた夜、 西村 氏たちはわけもなく 激昂 し、 東條元首相の悪口 を大声で叫び「 東條のせいで敗けたんだ。あいつが悪いんだ! 」と叫んだという。
何かに当たり散らさずにはいられなかったという。
帰宅したのは 8 月過ぎ で、 倉庫にたくさんあった物資 を持てるだけ持って帰っていいということで毛布などを持って帰ったという。
だから、 戦争に負けたという実感がなく 、命令に従って家に帰るのであって、集合の命令があればまた 学校に戻る気でいた という。
A 氏 : 本土決戦 がなかったので、本土の人の多くは玉音放送だけでは「 敗けた」という実感 がなかったんだね。
私 :同じ 文藝春秋 の「 高倉健 最後の手記 」の出だしは、「 諸行無常 」で、これを 高倉健 が最初に味わったのが 8月15日 だという。 学徒動員 で貨車から石炭を下ろす仕事をしていたという。