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朝日新聞朝刊 2015年4月17日の記事です。 木久蔵さん、放射線治療の副作用で声が出ず、いずれは治ると言われていたが、復帰前日になっても戻りません。ところが・・・・ 7週間の放射線治療を終えたが、肝心の声はほんのかすれ声程度しか出なかった。 2014年9月、落語家の林家木久扇(きくおう)さん(77)は、声がれはいずれ治ると聞いてはいても、不安で仕方なかった。「このままだと落語家としての道は閉ざされる」 数週間後に、本格復帰となる寄席が控えていた。長男の二代目木久蔵さん(39)も出演予定で、「声が出なくても、姿だけでも見せてほしい」と言われていた。 前日になっても、かすれ声のまま。長女でマネジャーの豊田佐久子さんは「明日は話すのは無理そうだ」と主催者に伝えた。寄席の翌日には、テレビ復帰となるバラエティー番組の収録もあった。 「奇跡のようなできごと」は、寄席当日の朝に起きた。 「おはよう」。家族に何げなく発した声。かすれてはいる。それでも、これまでと比べものにならないくらい、しっかりしていた。 「あら、声が出たんじゃない!」「出たね」「また出た!」 妻の武津子さん(68)と佐久子さん、弟子も居間に集まって歓声を上げた。「結婚してからこんなにうれしかったことはないわ」と武津子さんは涙ぐんだ。 舞台では、がらがら声だがマイクを通して客席に届いた。笑いで返してくれる客席を見ながら、実感した。「戻ってきたんだ」 木久扇さんは「気持ちの力が大きかった」と振り返る。ある日突然回復することもあると聞いてはいたが、佐久子さんは「まさにプロ根性だと思った」と話す。 人気テレビ番組「笑点」には、10月19日の放送から復帰。この日は、77歳の誕生日だった。 冒頭、復帰を報告した。「よく診てもらったら喉頭(こうとう)がん。頭の後ろからボカッと殴られて気絶しそうな感じでございました。『後頭、ガン』、なーんちってね」 自分の経験を笑ってもらい、がんでもめげずにやれることがあること、治して復帰する人がいることを知ってもらいたい。 笑点収録に復帰した日、出演者やスタッフが温かく迎えてくれた。長男の二代目木久蔵さん(右)と 「気持ちの力が大きかった。」とあります。これは私も肝に銘じて治療に励んでいます。「残された人生、濃く生きていきたい。」私は会社を辞めました。今まで濃く生きてきました。これからは、全く別の方向で濃く生きたいと思っています。 それから、あふれる様々な情報を収集し、かつそれに振り回されることなく、自分で納得できる治療方法を選択することが何よりも大切だと思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/04/21
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【2021年12月3日(金)】 昨日12月2日は、11/29金戒光明寺、11/30鞍馬~貴船、12/1比叡山(東塔・西塔・横川)と続いたあとの在宅日。忙しくてブログがアップできてなかったので、少しだけ挽回。しかし、予期セぬことが2件あり対処して時間も費やしたし、気持ち的にも張りつめた日になってしまいました。 今日は月イチの地区組の集まりと研修。その前に郵便局に立ち寄って、後腹膜悪性腫瘍経過観察(こちら)の20回目のマイカルテを送りました。 特記点は、半年前のマイカルテ返信で、右肺傍胸椎に4mmの結節ありとの指摘があったが、その後のK病院でのCT結果、今回のCT結果で問題なかったことと、粒子線治療後6年半経過して安定しているので、経過観察を半年に一度から、今後1年に一度にしていくことにしたという点です。それらを連絡簿に書き(下記)、あと問診票と、血液検査結果(健康診断分と今回の経過観察分)、皮膚写真、CT写真、腫瘍径グラフ、クレアチニン等グラフ、アミラーゼグラフ、赤血球関係等グラフも入れて、兵庫県粒子線医療センターに送りました。 月イチ地域組集まりの後、午後、フィールドワーク研修で、御所東を歩きました(こちら)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/12/03
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【この本読みました】タイトル:極楽征夷大将軍(上・下)著者:垣根涼介発行所:株式会社 文芸春秋(文春文庫)発行日:2026年4月1日 第1刷ページ数:上~516ページ7、下~495ページ初出:オール讀物 2020年5月号~2022年11月号単行本:2023年5月 文芸春秋刊私の読書時期:2026年8月癌闘病中の私に、ガイド会の同じグループのMさんが、「面白かったですよ」とわざわざ郵送してくださいました。OJRセンターへの往復のバスや電車の中、診察の待ち時間を利用して、一気に読みました。Mさんのおっしゃる通りとても面白かったです。主人公は足利尊氏なのでしょうが、尊氏は実弟・足利直義(ただよし)の目から見た形で描かれており、この本の主人公は直義のようにも思います。英雄扱いされる尊氏ですが、この本では、裏表紙にも書いてあるように、「やる気なし、使命感、執着なしの、ぼんくら男」の姿で描かれています。どこからどこまで史実かは、専門家ではないので、よく分かりませんが、随所に出て来る歴史描写に、色んな文献を詳らかに読んだあとが垣間見られ、あながち誇張ではないと思えてきます。この本を読む限り、著者の垣根涼介氏は、歴史小説家と思ってしまいます。でも、歴史小説は著者のカバー範囲の一部でしかないようです。1966年長崎県生れ、筑波大学卒業。2000年に『午前三時のルースター』でサントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞し、第2作は『ヒートアイランド』というハードボイル小説を著しています。2004年には『ワイルド・ソウル』で、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞と、史上初のトリプル受賞に輝いています。2005年に『君たちに明日はない』で山本周五郎賞を受賞し、2023年にこの『極楽征夷大将軍』で直木賞を受賞しました。まだ読んではいませんが、歴史小説と思しきタイトルの著書として『光秀の定理』『室町無頼』『信長の原理』などがあります。尊氏が本当に、本に書かれていた性格だったかどうかは分かりませんが、ストーリーの骨格は史実に基づくものと思われ、この時代の歴史の勉強にもなりました。観光ガイドの仕事に戻ることができたら役にたちそうです。わざわざ郵送してくださったMさんに深謝です。よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「この本読みました」 次回「この本読みました」→
2026/10/11
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2016年5月5日 京都新聞ホームページから 天王山中に本殿を構える酒解(さかとけ)神社(京都府大山崎町大山崎)の例祭「神幸祭」が4日、同町内で営まれた。約200人が神輿(みこし)を担ぎ、西国街道沿いを約3時間かけて勇壮に練り歩いた。 神輿巡行は2年に1度。地元の青年たちでつくる「敬神会」を中心に、御旅所(大山崎区民会館)を発着地に西国街道沿いを往復する。トラックや台座で巡行する祭りが多い中、伝統に倣って今なお全行程を人の手で担ぐ。より多くの人に見てもらおうと、今回からコースにJR山崎駅を追加した。 「ワッショイ」の掛け声とともに、約20人の担ぎ手が20~30秒ごとに入れ替わって神輿を進め、大山崎小、阪急大山崎駅前、離宮八幡宮などを回った。沿道の人たちは、写真を撮ったり、手拍子をしたりして巡行を見守った。 敬神会の筒井憲行会長(51)は「習わしを守って続けてきた祭り。町民たちが久しぶりに顔を合わせる交流の場でもある」と話す。約10年前から担ぎ手として参加する今村忠隆さん(29)=同町大山崎=は「父が神輿を担ぐ姿を見て育った。先祖代々参加している人も多いんです」と笑顔を見せた。JR山崎駅前で神輿を高々と持ち上げる担ぎ手たち(大山崎町大山崎)「ワッショイ」の掛け声とともに西国街道を練る神輿(大山崎町大山崎)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/06
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2016年10月9日 京都新聞ホームページから 「洛北の奇祭」として名高い「八瀬赦免地踊(しゃめんちおどり)」が9日夜、京都市左京区八瀬の秋元神社一帯で行われた。頭に切り子灯籠を載せた若者が、集落を出発し神社に向かった。暗がりに灯籠の明かりが揺らめき、幻想的な光景が浮かび上がった。 赦免地踊は、江戸中期に始まったとされる。比叡山との境界争いを巡って、八瀬の住民側に有利な裁定を下した老中秋元但馬守喬知(たかとも)に感謝を示す祭り。 午後7時半過ぎ、左京区八瀬出張所近くに、高さ70センチ、重さ5キロの切り子灯籠を頂いた「灯籠着(とろぎ)」と呼ばれる男子中学生8人が集結。中学生は女性用の着物に身を包み、約400メートル離れた八瀬天満宮境内の秋元神社に向かった。 神社への沿道には、多くの見物客が集まった。電灯のない参道では灯籠側面の魚や鳥の図柄がろうそくの明かりに照らし出され、多くの見物客が見入っていた。明かりがともった灯籠を頭に載せて、秋元神社に向かう中学生たち+(9日午後8時4分、京都市左京区八瀬)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/10/10
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【2015年4月23日(木)】4月15日付で再就職先を退職しました。退職後の手続きを進めています。 最初に会社が発行した離職証明書が「契約満了」による退職であるにも拘わらず、「自己都合」退職になっていたので、再発行をしてもらいました。自宅に送ってもらうと遅くなるので、病院に送ってもらって今日届きました。今度はちゃんと「契約満了」による退職になっていました。 単に「契約書に基づき更新せず」となっているので、離職票-2の離職者が書く事情のところに「病気のため契約更新されなかった。」ことが分かるような記載をしておきました。多分、返送されてきてから、ハローワークに出向く前に記入すればよかったのでしょうが。 早速、署名・押印して、昨日返送しました。 同封されていたレターがちょっと気になりました。「拝啓 早春の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。 ・・・・・・」 決まり文句なんですが、病気が原因で退職して、まだ入院しているのを知っていて、この書き方はいかがなものかと。「その後、お加減はいかがでしょうか」とか何か言い方があると思いますが。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/04/23
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年8月18日の記事≫ 2012年の10月、奈良県のAKさん(41)は経営する設備関係の会社で外のやぶを何とはなしに眺めながら用を足していた。 「わーっ。なんや、これー」。下を向くと、尿が真っ赤に染まっていた。すぐに従業員を呼ぶ。「ただごとじゃない。すぐ病院に行った方がいい」と言われた。 翌日、自宅近くの総合病院を受診した。膀胱(ぼうこう)鏡とCT、MRIの検査を受けた。痛みも自覚症状もない。有川さんは知らなかったが、突然、血尿が出るのが膀胱がんの特徴だ。 「仕事先とかいろいろなところに迷惑をかけたくない」。検査結果が出る前から目の前が真っ暗になった。 妻のAUさん(42)も呼ばれ、膀胱がんと宣告された。それもリンパ節に転移があるステージ4の進行したがん。覚悟はしていたが、衝撃だった。AUさんは「まだ30代の夫が、まさかがんになるなんて」と激しく動揺した。 転移がないステージ2、3では膀胱を取る全摘手術が標準治療だ。通常は手術をしないステージ4でも、化学療法がよく効く患者の場合は「全摘」を検討する。 AKさんには化学療法を試した後に全摘という方針が伝えられた。全摘しても治るかどうかは半々との説明だった。化学療法を受けるため、11月に入院した。病室にはAUさんのママ友たちが折ってくれた千羽鶴が飾られた。 「まだ、38なのに膀胱がなくなるのか」。膀胱がなくなると、代わりの袋をつけることになる。「昔ほど不便ではない」と医師から説明を受けたが抵抗はあった。 病室で「パパはどうしたいの?」とたずねるAUさんに「膀胱を取りたくない」と訴えた。 AUさんや親族たちは全摘手術を受けてほしいと思っていた。だが、AKさんの意思は固かった。AUさんは元看護師の友人から「そういうときは、セカンドオピニオンをきくという手段がある」と助言された。 AUさんが友人とネットなどを調べているうちに大阪医科大の東治人(あずまはるひと)教授(52)らが膀胱の温存治療をしていることを知った。入院中のAKさんに代わり、AUさんらが会いに行くことになった。 私は2011年11月にAKさん同様、血尿が出てすぐ病院に行きました。やはり痛みがないので、膀胱がんとか腎臓がんが疑わしいと言われました。すぐに膀胱鏡で調べてもらいましたが、異常はありません。尿細胞診の結果、悪性腫瘍がグレー判定となりました。 尿管や腎臓を調べるために、後日検査入院をしました。尿道からカテーテルを入れてカメラで見てもらうのですが、1回目では、途中までしか入らず途中までしか確認できませんでした。その場所までは異常なしです。 カテーテルを入れたままにしておくと、奥に入れやすくなるので一旦退院して、日を改めて再度入院検査。腎臓の入り口部分に腫瘍が見つかり、検体をとってもらって調べてもらったところ悪性であることがわかりました。腎盂癌でした。 腎臓は2個あり、1個でも十分に機能するので、腎臓ごとの切除が提案され、迷うことなく切除手術を受けました。恐らくセカンドオピニオンを聞きにいっても、どこの医療機関も、腎臓ごとの手術を提案したと思いますが、今から思えばセカンドオピニオンは聞きにいくべきでした。 ひょっとして温存する方法が何か提案されたかもしれないし、それがなくても後々これしかなかったのだと納得できるからです。 これで1個の腎臓になってしいました。 その後の生活は普通にできたし、経過観察でも2年強異常ありませんでしたが、2014年7月、運が悪いことに、残っている腎臓の後ろに悪性後腹膜腫瘍ができてしまいました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/04
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2016年7月16日 京都新聞ホームページから 祇園祭の鉾町が校区に含まれる下京中(京都市下京区)で15日、祇園祭に合わせた恒例の「ゆかた登校」が行われた。生徒たちは色とりどりの浴衣で登校し、特別な一日を過ごした。 日本の伝統文化に触れる機会に、と旧成徳中の行事を継いで2007年の開校時から始め、10回目を迎える。この日は校門前で、環境委員たちが打ち水をして、「涼」を演出。浴衣姿の生徒たちは校外で、和歌や京都の風景をあしらったうちわやティッシュを配ったほか、ごみ拾いなどボランティア活動も行った。 初めて浴衣を着た同中1年寺籠鈴菜さん(12)は「これから友だちと一緒に浴衣で祭りに行きたい」と話した。浴衣で登校する生徒たち(京都市下京区・下京中)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/07/17
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前回、「脂肪肉腫」の治療優先のため、白内障手術は延期の旨、投稿しました。その後、「脂肪肉腫」の治療は、手術による摘出ではなく、とりあえず抗がん剤治療ということになり、抗がん剤治療の第1クールが1月13日から、第2クールが2月3日から行われました。ここで、各クールは1週間入院で抗がん剤治療をし、2週間自宅療養というサイクルであること、退院後4日くらいすると通常の体調に戻ることが凡そ分かりました。特に見にくい左目だけの手術の予定なので、これなら抗がん剤治療の合間を縫ってできないことはないなぁと思うようになりました。2月24日からの第3クールのときに、「第4クールが終わった後、左目の白内障手術をしたい」旨申し出て、腫瘍内科の主治医Y先生と、眼科の主治医K先生と相談していただきOKが出てました。 3月9日、家族同伴で説明を聞くためにK病院に来院し、4月2日、日帰りで左目白内障手術と日程が決まりました。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/03/02
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2016年02月06日 京都新聞HP 祇園祭の山鉾を飾る金工品を調査した報告講演会が5日、京都市中京区の京都芸術センターで開かれた。山鉾の中で最も古い金工品は役行者(えんのぎょうじゃ)山が所蔵する金具であることや、普段は遠目に見る金具が、町衆と職人のこだわりで細部にわたって趣向や技術が込められていたことなどが説明された。 祇園祭山鉾連合会が、15年かけて初めて金工品調査を実施した成果報告会。調査は再来年にかけて3冊の報告書にまとめられる。 講演会では、調査にあたった京都国立博物館名誉館員の久保智康さん(57)が解説。調査の過程で、役行者山の旧欄縁(らんぶち)角金具が、17世紀末~18世紀前半に作られ、現存する山鉾の飾り金具で最古であることが分かった。また、長刀鉾の天井を飾り、星座をデザインした「天井二十八宿金具」などは、町内に残る未調査の文書を読み解いて制作年や作者まで特定できたという。 久保さんは「文化、文政、天保年間は、京都はバブリーな時代。祇園祭の町がありったけのお金を山鉾につぎ込んだ結果、素晴らしいものが現在も残っている」と話した。 また、月鉾に元亀4(1573)年の鉾頭が残ることなども報告された。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/02/07
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問題#11西本願寺の解答です。そうだ京都、行こう。銀閣寺1994年(下記行をクリック)https://www.youtube.com/watch?v=et9hfh2wpv0●西本願寺・前身は文久9年(1272)に宗祖親鸞の末娘(覚信尼)が建立した東山の大谷廟堂。・第三代の(覚如)のときに本願寺と称した。・(豊臣秀吉)が現在地の堀川六条に寺地を寄進、伽藍が整備された。・慶長7年(1602)に(教如)が(徳川家康)から烏丸七条の地を寄進されて、 東本願寺を分立した。・国宝の建物(書院)は、南側の(▲)→対面所と背後の(▲)→白書院から成る。 三室からなる(▲)→白書院は公的な門主との対面の間。 これらは畳を一部上げると(能舞台)に転化できる。・門主の執務室であった(黒書院)と(伝廊)も国宝。・(飛雲閣)は(滴翠園)の中にあり、(滄浪池)に臨む。国宝。 初層は(▲)→招賢殿と(八景之間)と池からの出入りを想定した(舟入之間) がある。二層は(三十六歌仙)を描いた(歌仙之間)、三層は(摘星楼)と呼ばれる。・その他国宝建造物は(▲)→唐門、(北能舞台)。 後者は(▲)→現存最古の能舞台・(御影堂)、(阿弥陀堂)と呼ばれる(本堂)も2014年に国宝になった。・重要文化財の建物は(南能舞台)、(▲)→浪之間、(▲)→虎之間、(▲)→太鼓之間などの書院、、 浴室(黄鶴台)、経蔵、鐘楼、手水所、鼓楼、御影堂門 阿弥陀堂門、総門・(伊藤忠太)設計の旧真宗信徒生命保険株式会社本館で(本願寺伝道院)と呼ばれる 近代建築も重要文化財・対面所東側の庭は(虎渓の庭)と呼ばれる。・対面所下段の間の障壁画(▲)→松鶴図は(渡辺(狩野)了慶)筆。 (狩野光信)に学び、西本願寺の障壁画制作の中心的役割を果たした。・黒書院の障壁画(▲)→「瀑布山水図」は(狩野探幽)55歳の作。・国宝 (親鸞聖人像)は(鏡御影)と(安城御影)がある。 (観無量寿経註) 親鸞筆 (阿弥陀経註)親鸞筆 (▲)→熊野懐紙:後鳥羽天皇宸翰以下11通 (▲)→三十六人家集 37帖~(▲)→藤原公任が選んだ三十六歌仙の中で最も古い・重要文化財 (▲)→善信聖人絵:親鸞の生涯を描いている (歎異抄):(蓮如)が写した (慕帰絵):第三代(覚如)の生涯を描いた。 (▲)→教行信証 6冊「京都検定過去問」カテゴリー一覧表http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28「京都検定出題傾向分析」カテゴリー一覧表http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=30「京都検定勉強」カテゴリー一覧表http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=31よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/18
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年7月14日の記事≫ 東京都内に住むグラフィックデザイナーのTHさん(33)の左肩には、大きなほくろがあった。 「形が変で気持ち悪いから、取ってもらいなよ」。薄着をする時期になると、夫(43)からたびたび言われた。 ほくろは20歳を過ぎたころからあったと思う。でも、鏡越しでないと見えないし、痛くもかゆくもない。それほど気にしていなかった。直径約1センチ。輪郭はいびつで、アメーバのようだった。 2012年4月、軽い気持ちで自宅近くの皮膚科を受診した。 医師はほくろを見ると「メラノーマ(悪性黒色腫)かもしれません」と言って、総合病院への紹介状を書いてくれた。 数日後、近くの総合病院の皮膚科を受診した。医師が何人も入れ替わりやって来た。ほくろを見るたびに「あぁ」とか「わー」と漏らすのが気になった。 「おそらく、メラノーマだと思います。切除はできますが、体の別の部位から皮膚を移植する可能性があります」と告げられた。 「皮膚を移植するために、余計な傷をつくるなんて……」。メラノーマという耳慣れない言葉より、皮膚移植が気がかりだった。 病院を出ると、すぐに実家の母(60)に電話した。 「ほかの病院で診てもらわなくていいの?」。母から言われてハッとした。ほくろを見るなり声を出し、珍しそうに診察する医師の態度に違和感があった。 総合病院に行った2日後、メラノーマに詳しい病院としてネットに出ていた中央区の石原診療所(現・かちどき皮膚科クリニック)を訪れた。 診察したのは野呂佐知子(のろさちこ)医師。国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)に勤務したことがある。ひと目見てメラノーマだと確信した。不安で涙を浮かべるTHさんに、ゆっくり話した。「メラノーマの治療は適切に取ることが大切です。がんセンターを紹介するので、安心して任せていいですよ」 野呂医師はその場でがんセンターの医師に電話をしてくれた。紹介先を聞いて、THさんは改めて気づいた。 「やっぱりがんなんだ。皮膚の移植が嫌だとか、言っている場合じゃないな」左の肩にあったほくろ。直径約1センチ。輪郭がにじんで、いびつな形だった 今まで体の中にできる「がん」が中心でしたが、今回は皮膚です。 20歳を過ぎたころから「ほくろ」があって、33歳に何気なく病院にいって、はじめて「がん」であることが分かったのですね。 私の後腹膜脂肪肉腫のように、2、3ヵ月で11センチまで成長するような「がん」もあれば、この例のように、ほんとにゆっくり成長する「がん」もあるのですね。 改めて「がん」という病気の多様性に驚きます。 THさんが、専門の病院で診直してもらったのは正解だったと思います。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2015/12/05
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2016年1月8日の記事≫ 乳がんに続いて、子宮体がんが新たに見つかり、手術を受けた東京都杉並区に住む会社員の女性(49)は2012年8月下旬、抗がん剤治療を受け始めた。9月からは会社勤めも再開した。 抗がん剤の影響で、全身の倦怠(けんたい)感やしびれのほか、食べ物の味がしないなどのさまざまな副作用に襲われたが、「クビにならないように」と仕事をするのに必死だった。「がんになっても働けると証明してやる」という思いもある。その一方で、働けることへのありがたさも感じていた。 12年11月。抗がん剤治療の4回目は、特に副作用がひどく、冷蔵庫から水を取り出すのさえ難しい日があった。ほとんど飲まず食わずで寝て過ごす日々。会社も10日間ほど休まざるを得なかった。 抗がん剤治療は約4週間の間隔で計6回。治療は翌年1月まで続いた。治療中、「寂しい」とは思わなかったが、病気との闘いは孤独だ。当時はブログを書くことが日課のようになっていた。 「私はまだ、ブログを通して多くの人に支えられ、働く職場もあって、社会とつながっていると思うので、何とか保っていられる」「どこかでひとりで病気治療にあたっている人の孤独を考えると辛いです」。そう書き込んだこともあった。 抗がん剤治療をためらっていたとき、「治療はしてください 生きてください」とメッセージを残してくれた人もいた。 自分の体験や思いを伝えるブログは今も続けている。多くの人が閲覧しているわけではないが、「私の言葉でないと、響かない人がいると思うから続けている」と言う。 抗がん剤治療も無事に終え、現在は乳がんの再発防止の薬を飲み続けている。検査などのため、3カ月に1度は病院に通う。 今やおひとりさまでがんになることは、決して特別ではない。 二つのがんを経験し、お金や生活で困ったことはあった。でも、病気になったのは自分のせいでも誰のせいでもない。「これは自分が歩んできた道なんだ」と受け止めている。 そして、今はこう思う。「さいごまで自分らしく生き切るんだ」病院に向かう女性。二つのがんの治療を経験した=東京都渋谷区のJR東京総合病院>「私はまだ、ブログを通して多くの人に支えられ、働く職場もあって、>社会とつながっていると思うので、何とか保っていられる」>「どこかでひとりで病気治療にあたっている人の孤独を考えると辛いです」。 私の場合は妻や東京から戻ってきてくれた次女、名古屋から1ヵ月の半分くらいは、京都に帰ってきてくれた長女と、家族に支えられたので助かりました。しかし、会社を長期に休み、メールベースで仕事の引き継ぎをした後は、極端に社会との接点が少なくなってしまいました。ブログをやっていたのは正解でした。当時は読んでいただいている人も少なかったですが、家族以外の方に読んでいただいているということは励みになりましたし、何人かの方から応援メッセージもいただきました。>自分の体験や思いを伝えるブログは今も続けている。>多くの人が閲覧しているわけではないが、「私の言葉でないと、>響かない人がいると思うから続けている」と言う。 私も、体験や思いをこういうかたちを通じて発信させていただいています。何かのお役に立てれば嬉しいです。>「さいごまで自分らしく生き切るんだ」 元勤めていた会社をリストラで早期定年退職で辞めたとき、全然違う生き方をしたいと思っていました。しかし、まだ60際にも満たないのに、働いていないという後ろめたさが先に立って、再就職してしまった感がありました。病気をして、再就職した会社を自分の意思で辞めることになりましたが、病気が自分らしく生きることを後押ししてくれたような気がしていて、どこか病気に感謝する部分もあります。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/04/08
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2016年6月11日 京都新聞ホームページから 祇園祭の長刀鉾の稚児、粂田龍志(くめだりゅうしん)君(11)を、鉾の町内に迎える儀式「結納の儀」が11日、龍志君の京都市北区の自宅で行われた。長刀鉾保存会の役員を前に、稚児と禿(かむろ)の親が大役を引き受ける決意を告げた。 この日は八坂神社(東山区)の神職が家を清め、祭壇が設けられた床の間に「祇園牛頭(ごず)天皇」の軸が掛けられた。 神饌(しんせん)を供えた後、紋付き羽織はかま姿の稚児と禿の父粂田晃稔(あきとし)さん(43)、もう一人の禿の父森栄彰(ひであき)さん(42)が、保存会役員と向き合った。床の間の前で、保存会の西村利男代表理事(66)が「このたびは名誉と伝統ある長刀鉾の御稚様のご大役をお引き受けいただき、ありがたく、おめでとうございます。幾久しくよろしくお願い申し上げます」と結納の品を差し出した。粂田さんは「由緒正しく、格式高い稚児の大役を務められるよう精進いたします」と返礼した。「祇園牛頭天皇」の軸を掛け、祭壇の前で厳かに行われた結納の儀(11日午前10時半、京都市北区)ワルディーのコメント祇園祭の行事は、7月1日の吉符入りから始まるとばかり思っていました。6月中にこんな行事があるのですね。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定1級過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/06/12
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【2020年9月5日(土)】 4日前ですが、民放BSで「007ユア・アイズ・オンリー」を見ました。007シリーズは、肩肘張らないアクション映画で、大好きなシリーズです。「ユア・アイズ・オンリー」は、1981年公開のシリーズ第12作、ロジャー・ムアー主演5作目、ジョン・グレン監督では、シリーズ最初の作品です。監督 ジョン・グレン原作 イアン・フレミング主演者 ロジャー・ムーア キャロル・ブーケ音楽 ビル・コンティ主題歌 シーナ・イーストン配給 ユナイテッド・アーティスツ公開 イギリス 1981年6月24日 米国 1981年6月26日 日本 1981年7月11日上映時間 127分製作国 イギリス、米国 原題は「For Your Eyes Only」ですが、邦題では「フォー」が無くなっています。冗長になりインパクトが無くなるからでしょうね。“Eyes Only” は「見て読む以外不可(複写など不可)」の意味の慣用句で、極秘文書に使われるとのこと。 “For Your Eyes Only” は、「あなただけに見て欲しい」という女性からの誘惑の言葉で、タイトルには2つに意味が込められているのではないかとのこと。 これまでのシリーズは推理小説的映画の要素が強かったのですが、この作品は本格的なアクションムービーとなっています。オープニングのヘリコプター・空中スタントから、カーチェイス、スキーアクション(下記動画)、銃撃戦、そして水中での格闘、ロック・クライミングと、アクション・シーンが満載です。また、スター・ウォーズの影響を受け、SF色が濃かった前作『ムーンレイカー』から、007映画の原点へ軌道修正されました。私にとっては、ドイツ滞在中に家族で旅行したギリシャの「メテオラ」が出て来るのも嬉しかったです。(封切りのとき映画館で見たときは、そのずっとずっと前ですが)スキーシーン@コルティナダンペッツオ 主題歌を歌うシーナ・イーストンは、この歌で人気が高まりました。主題歌 シーナ・イーストンよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/09/05
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【2020年11月19日(木)】 昨日は後腹膜悪性腫瘍(脂肪肉腫)の半年に一度の経過観察でK病院へ。大腸ポリープ切除手術で、この月曜日まで入院していた病院です。いつもようにCTを撮り、血液検査、尿検査をして先生の診察でした。CT撮影のとき、撮影画像を見た技師さんから、「何か金属を身に付けていませんか?」との質問がありました。大腸ポリープ切除手術で、先生が傷口を閉じるのに金属性ホチキスを使っているとおっしゃってたのを思いだしたので、場所を聞いてみると右下腹部とのこと。恐らくこのホチキスが映ったのでしょう。 先生との面談の結果、腫瘍の大きさや、クレアチニン値は、前回から変化無しで、経過良好とのこと。いつものグラフです。 先生が1つ気になるととおっしゃってたのが、アミラーゼ値が139と高いことです。120くらいが上限です。膵臓が問題の可能性があるが、CTでは異常はないとのこと。今日の採血を使って、さらに詳しく血液検査をしてみましょうということになりました。大腸ポリープ切除後の診察が12月10日にあるので、そのときに結果を確認することにします。 帰宅後アミラーゼ値について、ネットで調べてみました。日本衛生検査協会http://www.jrcla.or.jp/atoz/rexm/rexm_05_03.html 血液中、尿中のアミラーゼが増加した場合は、膵臓、睡液腺の細胞に異常があることを示しています。膵炎のマーカーや膵臓の腫瘍マーカーとしても有効です。アミラーゼ値に異常がある場合は背中に痛みがないかどうか確認することと、超音波検査やCT検査を行い、膵管が太くなっていないかどうかや膵臓の形に変化がないかどうかを調べます。●異常値の場合に考えられる主な疾患 基準値より高い場合、急性膵炎、慢性膵炎、膵癌、膵嚢腫、耳下腺炎、慢性腎不全など。 私の過去のアミラーゼ値につても調べてみました(下の図)。腎盂がんで片方の腎臓を切除する前から、上限を超えることが時々ありました。後腹膜悪性腫瘍の治療で粒子線治療をした後、さらに値が上がっています。上記ホームページにあるように、腎不全でもアミラーゼは高くるうようです。元々高め+片腎+粒子線治療副作用 でアミラーゼが高くなっているのではないかと思います。では何故、腎不全の症状についてよくご存知の先生が、腎不全でも高めになるとおっしゃらなかったのでしょう。恐らくM病院からK病院に移って、130を越えたのは初めてで、クレアチニンの結果は横ばいなのに、アミラーゼだけが上がったからだと思います。M病院の頃のデータを見ると、4回130を越えています。12月10日に大腸ポリープの検体検査の結果を聞きにいくので、そのときにこのグラフを持っていって先生と相談したいと思います。 昨日は、家内も同伴していて、天気も良かったので、通院のついでに浄住寺へ紅葉狩りに寄りました。⇒こちら 今日、兵庫県粒子線医療センターにCT画像データや血液検査結果などを送り、連絡簿は次のように記載しました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/11/19
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米国事情の続きです。 アメリカの人種構成です。出典は「社会と歴史」・e-ガイドです。 黒人12.9%、ヒスパニック12.5%、アジア系4.2%、先住民(アメリカインディアン)1.5%。残り、7割が白人ですが、その中にも、ドイツ系、イギリス系、アイルランド系など、様々な出身の民族がいます。 日本は、平安時代になる前に中国や、朝鮮半島から、移住してきた人がいて、日本の文化発展に寄与しましたが、融合帰化しているので、ほとんど日本人だけの単一民族世界で今まできたと言っても過言ではありません。先進国の中でも稀有の存在です。出張期間:2014年5月7日~5月16日よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/04/13
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2016年01月24日 京都新聞HP 京都府の丹波地域が、映画やテレビのロケ地として業界関係者の注目を集めつつある。田園風景を生かして古くから時代劇が撮られてきたが、近年はバラエティーの収録も増えている。高速道路網の整備が完了し、京都、大阪から近くなったことが最大の追い風だ。時代劇の撮影に活用できる公園整備も始まっており、ロケを地域活性化につなげようという機運が高まっている。 昨年11月、亀岡市千歳町の築300年を超す建物を生かした和食店「へき亭」の門前。藤沢周平原作の時代劇「三屋清左衛門残日録」(2月6日、BSフジ放送)が撮影された。 スタッフが持参した落ち葉を敷き詰め、台本通りに野良作業できるよう、むしる草を壁際に仮植えした。撮影本番で、白髪の交じったまげ姿の北大路欣也さんが姿を現し、草むしりする男性に声をかける。瞬時に江戸時代にタイムスリップしたかのようだ。 へき亭近くの丹波国分寺跡では、放送中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公あさ(波瑠さん)と夫の新次郎(玉木宏さん)が雨の中、寺の軒下で自分の思いを素直に語り合う印象的なシーンが撮影された。市内の桂川河川敷でも新次郎が歩くシーンをはじめ、前々作の「マッサン」や映画「超高速!参勤交代」などが撮影されている。 南丹市美山町の美山かやぶき美術館・郷土資料館では、仲代達矢さん主演の時代劇「果(はた)し合い」(2月7日、時代劇専門チャンネル放送)のオープンセットが組まれた。在阪テレビ局によるバラエティーの撮影も増えている。最近は、亀岡市ではAKB48の横山由依さんが天然砥石(といし)の採掘体験する情報番組や、やくみつるさんが武将明智光秀ゆかりの地を巡るといった歴史番組が収録された。■公園整備計画 亀岡市観光協会によると、2013年の京都第二外環状道路(にそと)の全線開通以降、テレビ局などからロケ地に関する相談が増えたという。同協会は「移動時間が短縮され、日帰り撮影のスケジュールが立てやすくなった」と分析する。 時代劇の撮影に活用できる公園整備は京丹波町に計画されている。2004年に鳥インフルエンザが発生した約4・7ヘクタールの養鶏場跡地を、ロケができる森林公園にする方針だ。東映太秦映画村(京都市右京区)のようなオープンセットを建てるめどは立っていないが、周囲の山林や田園風景を生かしてもらうという。 東映京都撮影所製作部の高橋剣次長(51)は「京都縦貫自動車道で移動しやすく、合戦シーンなど大がかりな撮影ができるのは魅力的だ。大作とうまくめぐり合ってほしい」と注目している。■ バスツアーも この動きを観光に生かそうと、京都府や丹波・洛西地域の自治体、バス会社などで構成する「京都・西の観光推進協議会」は昨春、丹波2市で計2回のロケ地巡りのバスツアーを試行した。 案内役を務めたのは、「水戸黄門」のご老公一行にふんした俳優たち。社寺などで小道具や写真パネルを使って撮影の裏話などを説明した。参加者は、俳優による再現シーンを間近で見たり、自ら立ち回りを即興で演じたりして時代劇の雰囲気を満喫していた。 同協議会事務局の府観光連盟は「旅行会社のツアー企画につなげたい。ロケ地と別のテーマの味覚と連動させるなど今後も提案していきたい」としている。ロケ地巡りツアーで撮影の裏話などを披露する「ご老公一行」にふんした俳優たち(亀岡市千歳町・丹波国分寺跡)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/01/25
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2016年5月10日 京都新聞ホームページから 京都市左京区一乗寺の詩仙堂(丈山寺)が、英王室のチャールズ皇太子と故ダイアナ元妃が同寺を訪れ、撮影された写真を公開している。今年はそれからちょうど30年。12枚を厳選して展示を決めた。 チャールズ皇太子とダイアナ元妃の2人は、1986年5月8日から3日間、京都に滞在。同9日午前には修学院離宮(左京区)を見学し、午前11時ごろに詩仙堂を訪れた。皇太子はベージュのスーツ姿、元妃は白地に赤い水玉模様のワンピース姿。中国の36人の詩人を選んで詩と肖像画を描いた「三十六歌仙」を見学し、新緑の中に咲くサツキをめでて庭を散策した。 当時副住職として案内した石川順之住職(62)によると、庭園に鹿おどしを取り入れたのは詩仙堂が発祥だと説明すると、皇太子は「独創的で、しずけさに似合う音」と評したという。 写真や当時の新聞、雑誌も見られる。29日まで。寺に入る拝観料が必要。23日は法要のため休止する。詩仙堂の庭を散策するチャールズ皇太子とダイアナ元皇太子妃(1986年5月9日、詩仙堂提供)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/11
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2016年5月16日 京都新聞ホームページから 奈良時代に日本に仏教の戒律を伝えた中国の僧、鑑真(688~763年)の像が中国で完成し、16日、鑑真が創建した奈良市の律宗総本山唐招提寺を経て、京都市中京区の律宗寺院壬生寺に安置された。 壬生寺と、鑑真が日本に渡航する前に通ったという中国の文峰寺が「姉妹寺院」にある関係から、日中双方の寺院で鑑真像を安置して遺徳をしのぼうと、日中文化交流協会(事務局・東京都千代田区)の創立60年に合わせて制作された。 像のモデルは、唐招提寺所蔵の鑑真和上坐像(国宝)で、同じ技法を用いて中国で2体を制作。1体は文峰寺に安置し、もう1体は鑑真が日本海を渡ったように、船で日本に運んだ。 壬生寺では、到着した鑑真像を輿(こし)に乗せて本堂に運び入れ、本尊の地蔵菩薩(ぼさつ)立像の脇に安置。中国の僧侶ら約100人を含む計約200人が参列し、中国語による読経もあった。松浦俊海・壬生寺貫主(81)は「鑑真和上は日中友好のパイオニア。その精神を引き継いでいきたい」と話した。来年一般公開する予定。 鑑真は中国の律宗の僧で日本の要請を受けて渡航を試み、6度目の挑戦で日本に渡った。戒律を伝え、奈良・東大寺に戒壇院を建立、唐招提寺を創建した。壬生寺に到着し、輿に担がれて本堂に向かう鑑真和上像(16日午後2時55分、京都市中京区・壬生寺)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/05/17
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2016年8月25日 京都新聞ホームページから 江戸や明治期などに製作された古地図から現在の京都や日本を考える「古地図展」が9月3日から、京都市南区東九条の「長谷川歴史・文化・交流の家」(長谷川家住宅)で始まる。築約270年の農家住宅である同住宅に所蔵されていた15点が並び、街の変遷やかつての日本人が見た世界を浮かび上がらせる。 「中昔京師地図(なかむかしけいしちず)」は、応仁の乱後の1480年~1580年ごろの京都を、江戸期の学者・森幸安が文献資料から1753(宝暦3)年に描き起こしたものの模写という。北は大徳寺、南は東寺周辺までが描かれている。 「大成京細見地図(たいせいきょうさいけんちず)」は幕末の京都市街を描いている。京都府庁の場所に「御用御ヤシキ」とあり、京都守護職を務めていた会津藩主の松平容保の公邸を示している。 2種類ある「東九条村図」は、江戸期の東九条村(現南区東九条)でどのように土地が利用されていたかなどを今に伝えている。 オランダの航海地図を基に1861(文久元)年に製作された世界地図「新刊輿地全図(しんかんよちぜんず)」をはじめ、樺太や千島列島、清国など外の世界に目を向けた地図もある。 監修した佛教大の伊東宗裕非常勤講師は「地域に関係するものだけではなく、世界地図などがある。当時の農村の指導者層が地理的な情報や日本を取り巻く情勢について、どん欲に知識を得ようとしていたことが分かる」と話す。 長谷川家住宅は、国の登録有形文化財で、地図や文書など貴重な資料が数多く残っている。 9月18日と10月16日、11月20日の午後2時からは伊東さんによる展示解説がある。 土日祝日の開館で、11月27日まで。開館時間は午前10時~午後4時半(入館は4時まで)。入館料は中学生以上600円、小学生300円。展示応仁の乱後の1480年~1580年ごろの京都を、江戸時代に描いた「中昔京師地図」江戸期や明治期の古地図が並ぶ会場(京都市南区、長谷川歴史・文化・交流の家)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/08/26
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2016年10月22日 京都新聞ホームページから 恒例の「市民大茶会」が22日、京都市中京区の二条城清流園で始まった。朝晩の冷え込みでぐっと秋めいた庭園で、市民や観光客が一服を味わった。 茶道文化に広く親しんでもらおうと、茶道各流派の協力で市が毎年開く。初日は裏千家、11月1日は表千家、3日は藪内家が担当し、それぞれ午前9時半から午後3時まで、有料で茶席を設ける。 着物姿の来場者らは、庭園内の「和楽庵」と「香雲亭」に特別に設けられた茶席で、うっすらと色づき始めた木々を眺めながら、和菓子と抹茶をゆっくりと堪能した。秋めいた庭園の中に設けられた茶席で抹茶を楽しむ来場者(京都市中京区・二条城清流園)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28
2016/10/22
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【2021年8月11日(水)】 昨日は、午前中、事務所で関係の組織の方々の打ち合わせ。午後からは外に出てお世話になる組織へのご挨拶でした。それが終わって、事務所で諸事。終日外出していました。今日は、終日在宅で、会の諸事です。 「若冲と応挙」の第33回。生涯のお話しを前回で終え、今回は、雅号の由来、肖像画、ゆかりの地についてです。◆第3章 円山応挙(続き)3-7 雅号の由来、肖像画、ゆかりの地 応挙という雅号の由来について触れておきます。 以前の回で、応挙が私淑した一人が、宋から元にかけての中国の画家である銭舜挙(せんしゅんきょ)であると書きました。応挙はその精密な描写力を高く評価し、彼を目標とし、彼に近づこうと努力を重ねたといわれています。それだけではなく、写実を追い求めた円満院祐常も銭舜挙を高く評価していたようです。パトロンとなった祐常が銭舜挙の画力に近づこうとする応挙を見て、「銭舜挙の筆意に応ぜむ」という意味で与えたのが「応挙」という雅号であったといわれています。銭舜挙は銭選とも呼ばれます。応挙は「仲選」という落款印も多く押しています。「仲選」は「銭選に伯仲せむ」という意味だといわれています。図1「雪松図屏風」の落款上の印:応挙之印 下の印:仲選 落款のことについてさらに付け加えると、応挙の作品には「応挙冩」(冩=写)の款記を記したものが多くあります。一般的には「――筆」「――画」「――之図」が使われますが、応挙の作品では圧倒的にこの「写」が書かれたものが多くなっています。「写」には「えがく」という意味もあるので、応挙は「筆」という意味で「写」を使ったとも考えられますが、いわゆる「うつす」という意味で「写」を使ったと考えたいところです。ただ、応挙の「写」は、実物をそのまま写すという意味の「写」ではなく、対象を対象らしく描くという意味の「写」であることは、今まで述べてきたことで推し量ることができます。図1に「雪松図屏風」(以前の回で紹介)の落款を示します。「応挙之印」、「仲選」の落款印と「応挙冩」の款記を見ることができます。 図2 応挙肖像画 山跡鶴礼筆 さて、若冲の肖像画については、生前時に描かれたものは存在しないことを書きました。応挙はどうでしょう。実存します。応挙の弟子の一人である山跡鶴嶺(やまあとかくれい)が晩年の応挙を描いたものです。図2に示します。生前の肖像画なので、こんな風貌だったのでしょう。まじめな人柄のように見えます。 応挙ゆかりの地は、ポイントポイントで説明してきましたが、地図を使って説明したのは、誕生・幼少期の亀岡のみでしたので、ここで現京都市中心部のゆかりの地をプロットした地図を図3に示します。図3 京都市中心部の応挙ゆかりの地(若冲生家、若冲親族菩提寺・宝蔵寺を含む)図4 円山応挙宅跡碑 四条堺町西入ル南側 その中に若冲の生家や親族の菩提寺「宝蔵寺」もプロットしました。若冲生家は錦小路高倉、応挙の自邸はその目と鼻の先にありました(1782年以降は四条堺町。図4の碑が建つ)。応挙のアトリエは浄土宗寺院大雲院にありました。大雲院は現在東山の高台寺に近い「ねねの道」沿いにありますが、当時は今の京都高島屋の場所にありました(図5の碑が残る)。昭和48年、高島屋の拡張で現在地に移転したのです。図5 大雲院跡地碑 四条寺町下ル東側(高島屋裏側) 右端は現・大雲院 東山高台寺近く 「ねねの道」沿い 若冲のアトリエの場所ははっきり分かっていませんが、生家に近い場所だったとすると、応挙と若冲は、1キロも離れていないところで絵を描いていたことになります。ただ、文献上では、応挙と若冲が会ったという記録は残っていません。以前の若冲のところで述べたように、若冲、応挙両名と交流のあった著名人の一人儒学者皆川淇園(みながわきえん)(応挙の絵の弟子でもありました)が、天明8年(1788)に応挙、呉春らとともに石峰寺の石像群を観覧しましたが、そのとき若冲は石峰寺にいなかったと、自ら著した「淇園文集」に書いています。しかし、別の機会に二人が顔を合わせ、言葉を交わした可能性は大きいと筆者は思っています。仮に会わないまでも、互いの絵を目にする機会は多かったと思います。「平安人物志」でも、常に上位を争ってきた2人ですので、互いにリスぺクトし、互いに影響を受けたものと思います。それを窺わせる作品もありますので後述します。 応挙の弟子でもあり、四条派の始祖である呉春の自邸跡が、錦小路東洞院上ル西側にあり、碑が建っています。その碑の建つ場所には、低層マンションがあり、何と「Shamaison 呉春」という名が付いています(図6)。呉春やその弟子たちの多くが四条通付近に住んだので「四条派」と呼ばれます。図6 呉春宅址 次回は、円山派、応挙の一風変わった絵などを紹介します。(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/08/11
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【2016年6月3日(金)】 夏の高原のように爽やかな日が続きます。 今日は、シニアガイド会新人研修の第4日でした。 過去のうち1回は実地研修でしたので、座学としては3日目になります。 今日は、少々焦りました。今まで阪急の最寄り駅までバス、そこから阪急を使って行っていたのですが、今日は理由があって、五条烏丸までバスで行って、そこから地下鉄で御池から烏丸まで行くつもりでした。ところがバスが渋滞でなかなか進まないのです。朝のラッシュはいつもこれくらい混むのか、いつになく混んでいるのかは分かりません。そのまま乗っていても恐らく講義開始には間に合ったと思うのですが、安全策を取りました。西大路五条で降りて、阪急の西院駅まで小走りで走りました。そこから阪急で2駅乗って烏丸へ。続いて地下鉄で御池まで行き、歩いて会場へ行きました。何とか開始10分前までに着くことができました。走ったので、息が上がってしまいました。次回からこのルートは使わないようにします。 今日のプログラムは、・建物の見方(1)(神社、寺院)・建物の見方(2)(茶室、町家、城、多層塔)・修学旅行のガイドについて 講師は、前回同様、先輩のガイドさんたちです。 「建物の見方」は、ほとんどが過去に聞いたことがある内容ではありましたが、まとまった内容で聞くことができ、実戦で役に立ちそうです。 修学旅行のガイドの説明も、経験に裏打ちされた内容で、臨場感があり、面白かったです。色んな生徒さんがいるので、苦労することも多いようです。でも、子供たちと接することができるのは楽しみです。 「建物の見方」から、血天井の話。 伏見城は最初豊臣秀吉が、指月(しげつ)伏見城を建てましたが、大地震で倒壊。その後、同じく秀吉によって、木幡山伏見城が建てられました。豊臣秀吉の死後、徳川家康が入城しましたが、その後大坂城に移り、城代は鳥居元忠になりました。 1600年家康の上杉討伐の際、石田三成が城を攻め、炎上落城しました。鳥居元忠らが自刃したのですが、そのとき床板に血の跡が残りました。菩提を弔うため、その血の跡の付いた天井板が、京都のいくつかのお寺に「血天井」として残されています。 今日の講義で、8ヶ所に血天井があることを知りました。●養源院(三十三間堂近く)●宝泉院(大原)●正伝寺(西加茂)●源光庵(鷹峯)●天球院(妙心寺)(特別拝観)▲栄春寺(伏見区)(本堂は要予約)▲興聖寺(宇治)(本堂は要予約?)×神応寺(八幡市)(本堂拝観は??) 栄春寺、興聖寺、神応寺にも血天井があるのを初めて知りました。自由には拝観できないようですが。まだまだ知らないことがたくさんあります。 私が血天井を見たことがあるのは、●の寺院。 ▲は拝観したことがありますが、血天井は観ていない寺院です。 ×は拝観さえもしていません。 源光庵の血天井出典: http://www.kyotok.net/ma111.html(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/06/03
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抗がん剤治療の痕跡として、手の爪と頭髪の様子を、7月18日と9月1日に投稿しましたが、この前の投稿から約1ヵ月、手の指の爪の筋は消えました。しかし、手の爪が1日に約0.1mm、1ヵ月に約3mm伸びるのに比べ、足の爪は手の約半分で、1日に約0.05mm、1ヵ月に約1.5mmしか伸びません。ですので、まだ足の爪は筋が残っています。手の爪 7月18日 筋は爪の真ん中やや下手の爪 9月1日 筋は指先の方へ手の爪 10月4日 筋は消滅足の爪 筋はまだ残っている健康な頭髪は、1日に約0.3〜0.4mm、1カ月で約1cm前後伸びるとされますが、9月1日に比べ、1cmは伸びてないようです。でも伸びているのは間違いなさそうです。頭髪 9月1日 頭髪 10月4日よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/10/08
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今日は秋晴れのもと、小学三年生の孫Wちゃん(次女の長女)の運動会に家内と行ってきた。一年生のときもいったので2回目である。(去年はガイドがあったためか、行っていない)我々が小学校のときは、小学校の運動会といえば、町の一大イベント。開会式は校旗を先頭に、国旗を拡げて4人とか6人で持って、グランドを一周。校旗や国旗を持つのは栄誉なことだった。親もゴザを持って早くから場所取りに行ったり。お昼のお弁当が楽しみだった。保護者や家族でなくても、自由に学校の運動場に入ることができた。競技も、着順で商品や賞状がもらえた。私は足が遅かったので、障害物競争でがんばった。親の出る競技もあった。最後のクラス対抗リレーは大盛り上がり。今は、午前中半日だけ。見に来る人は保護者が事前に届けて、その名札を持ってないと中に入れてもらえない。国旗は最初から揚げてある。国家斉唱はもちろんなし。校歌に合わせて、校旗を上げるだけだった。孫の出番も少ない、開会式と踊りと60m走のみ。もちろん親やジジババの出番はなし。徒歩競争も着順はつける訳ではなし。昔日の感がある。ただ我々の時代にはなかった風景があった。外人の先生がスタッフとして動いていたこと。小学校でも英語教育をするようになったからだ。児童の中にも外国人あるいはハーフと思われる子がいたこと。これも我々の時代にはなかった。変わらないのは、運動会に向け、児童は一生懸命練習するし、そういったなかで団結力が生まれていく。親御さんが写真撮影、ビデオ撮影に必死なのは変わらない(失礼、我々の時代には、写真撮影はあったけど、ビデオ撮影なんてなかった)。児童が親御さんに向かって笑顔で手を振る姿も変わらない。我が孫Wちゃんも、我々ジジババに笑顔で手を振ってくれた。欧米にはこういった運動会はない。日本の誇る文化の一つだ。たとえ半日になっても、いつまでもこの行事は残ってもらいたいものである。日差しが強く、ちょっと疲れたけど楽しい半日であった。そして、次の土曜日のは、孫O君(長女の長男)の運動会。これも楽しみである。
2026/10/10
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昨日示したアメリカ10州、日本10都道府県の最高気温と夕刻相対湿度をグラフにしてみました。 ちょっと見にくいかもしれませんが、点線が平均です。最高気温の平均は日本も、アメリカも大差がないことが分かります。しかし、アメリカは、夏に35度程度になるところがあったり、冬に暖かいところ、寒いところ開きが大きくなったりで、バラツキが大きいです。一方日本では、札幌以外は、どこもよく似た気温です。 湿度は、アメリカの平均は、年間を通じて、50~60%ですが、日本は夏になると70%近くになります。アメリカは、夏に日本並みの湿度になるところもあります。 日本は夏に高温多湿。アメリカは概して夏に高温だが湿度は高くないといえます。また、気温にしても、湿度にしても、国土の広いアメリカのほうが、バラツキが大きいといえそうです。 私が担当している製品では、日本では色んな仕様があるのに、アメリカでは、極端に仕様が絞りこまれていました。バラツキが大きいので、一々気候にあった製品を開発してはいられないという事情があるのかもしれませんし、湿度が一般的に高くないので、仕様も絞り込みやすいということかもしれません。 これで、52回にわたって投稿してきた「アメリカ出張よもやま話」のシリーズを終わります。出張で見聞したことを今後の仕事に生かしていかなければならないのですが、後半で示したように日米の国情の違いが非常に大きいので、今回の見学出張を主催しているところの指導に素直に従うのはとても危険です。 その辺を考慮して、今後の仕事に活かしていかなければならないと思っています。長い間お読みいただきありがとうございました。(注:このシリーズを書きあげた直後、癌の治療のため会社を休み、現在ではその会社を辞めましたので、今回の知見を応用することはありませんでした。しかし、会社では報告書として発表し、残しましたので、何らかのかたちで貢献できたと思っています。)出張期間:2014年5月7日~5月16日よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/04/26
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2015年6月25日 読売朝刊 京都版京都高島屋で。30日まで。無料。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/06/26
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2015年11月19日 読売夕刊 よくテレビに出てこられるいかにもボンボンという感じのご当主。でも、やはり歴史を感じるお話です。細川三斎のお姉さんが、この店の先祖に嫁いでいるとか。さずが老舗。_____________________________________________________「京都のニュース」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=20「京都の行事・お祭り案内」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=32「京都本」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=25「京都検定過去問」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=28よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/11/20
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朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。≪2015年9月5日の記事≫ 精巣(睾丸〈こうがん〉)には、男性ホルモンを分泌する機能と、精子をつくる機能がある。 精巣がんにかかる割合は男性10万人あたり1人で、「希少がん」に該当する。主な症状は、片側の精巣が腫れたり、硬さが変化したりする。痛みを感じないことが多く、かなり進行してから気付くケースが少なくない。非常に進行が早く、転移しやすいとされる。 発症のピークは、20代後半から30代にかけて。連載で紹介した神奈川県に住む会社員の男性(37)は、働き盛りで、幼い子どもがいる中で治療を受けた。 治療は、がんが強く疑われる段階で、腫瘍(しゅよう)のある側の精巣を摘出する。取り出した組織を調べてがんかどうかを確定し、転移の有無や転移先の部位によって、その後の治療法が選択される。 神奈川県立がんセンター泌尿器科の岸田健部長(52)は「若い人に多い精巣がんの治療は、治癒をめざすだけでなく、将来の就職や結婚も視野に入れ、発病前と同じ生活に戻ってもらうことが大切」と指摘する。 精巣がんの多くは抗がん剤がよく効き、転移があっても治ることが期待できる。ただ、筑波大病院腎泌尿器科の河合弘二講師(55)は「非常によく効く理由は、まだわかっていない」と話す。解明できれば、ほかのがんにも応用できる可能性があり、精巣がんの研究は世界的にも注目を集めているという。 若い患者では、将来子どもを持つことを望んでいる場合が多い。抗がん剤治療を受けると無精子症になる恐れがあるため、希望者には事前に精子を採取し、必要になるときまで凍結保存する。 横浜市立大付属市民総合医療センターの湯村寧(やすし)・生殖医療センター泌尿器科部長(48)は「精子凍結をすることで、若い患者が将来を心配せず、心置きなく治療に専念してもらえる環境を整えることが重要だ」と語る。 精子凍結が検討される病気には、精巣がんのほかに、白血病や悪性リンパ腫などがある。国際泌尿器科学会によると、凍結後に融解した精子は、通常の精子と比べて、運動率が30~60%、受精率は70~75%程度に低下することが報告されている。精巣の位置/精巣がんの特徴>精巣がんにかかる割合は男性10万人あたり1人で、「希少がん」に該当する。 私が罹病した軟部肉腫は10万人あたり2人といわれ、やはり「希少がん」でした。できたのは腎臓の後ろ(後腹膜)。もう一方の腎臓は腎盂がんで摘出してしまっています。残った腎臓の後ろに軟部肉腫ができたというのは、ひょっとすると日本で初めての症例かもしれません。 抗がん剤治療の後、主治医からは腎臓ごとの摘出手術を勧められました。腎臓は2つあって、1つ取っても問題なく生活できるし、2つともとっても透析さえすればいいので、泌尿器科ではどうしても切除するという発想しかないようです。 私がセカンドオピニオンを聞きに行った大阪府立成人病センターでは、私のがん種が骨軟部肉腫であったため、セカンドオピニオンの窓口が整形外科でした。整形外科では手術ができない場合、粒子線治療を紹介することもあり、それであれば腎臓を温存できるとのこと。紹介してもらった兵庫県立粒子線医療センターで診てもらって、治療可能ということが分かり、粒子線治療を受けました。 今、透析もせず普通に健康に暮らせています。同じ大阪府立成人病センターでも、泌尿器科が窓口であったら、やはり「透析して、残った腎臓ごとの摘出しかないでしょう。」となっていたと思います。 一つの医療機関の知見には限界があります。だからセカンドオピニオンがあるわけですが、このようにセカンドオピニオンを聞きに行っても、どんなコメントをいただけるかは、どこの医療機関か、窓口の診療科が何か、さらに担当の先生が誰かということで大きく変わってきます。しかし、行かなければ何も情報は得られません。がんに限らず、セカンドオピニオン受診は患者にとって大切な行為だと思っています。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村 ___________________________________________________________________【関連カテゴリー記事一覧】◆がん治療情報http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16◆がん治療日記http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10◆がん治療振り返りhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2016/01/18
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5月13日撮影の、「ロウバイ(蝋梅)」の実または「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」の実@ご近所散歩 です。 「ロウバイ」は黄色の花ですが、花芯は褐色です。これに対し、花芯も同じ黄色のものは「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」と呼ばます。両者の実は、見分けがつかないので、花が咲いたときでないと、どちらかを特定するのはむつかしいようです。「ソシンロウバイ」の花は、下記に投稿しました。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201601090008/ 「ロウバイ」「ソシンロウバイ」ともロウバイ科 ロウバイ属で原産地は中国。花期は1~2月。 ロウバイ(蝋梅)は、蝋細工(ろうざいく)のようで、甘く清清(すがすが)しい梅の香りに似た花という意味で付けられたもの。 蜜蜂が巣を作る時に出来る蜜蝋の色合いに似るという説もあります。 蝋月(陰暦12月)説もあるようです。 ソシンロウバイの「素心(ソシン)」は、花弁から花芯(花の中心)まで同じ色をしている事を意味しています。 この写真が「ロウバイ」または「ソシンロウバイ」の実であることは、写真を「みんなの花図鑑」サイトに投稿して教えていただきました。 全員「ロウバイ」という回答だったのですが、一人の方から「ロウバイかソシンロウバイかは花が咲いたときでないと判断はむつかしい。」とのコメントをいただきましたので、ここでは両方の名前とも記載しました。 場所は分かっているので、花の時期にどちらなのかを確認します。「みんなの花図鑑」サイトでご回答をいただいた、秀さんだよさんこだっくさんkurumatabisky(車旅好)さんsazankaさんMAYU的さんよっちゃん×3さんmomochanさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/06/24
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「アカメガシワ(赤芽柏)」@ご近所散歩 です。雌花 2016年6月18日撮影雄花 2016年6月27日撮影トウダイグサ科アカメガシワ属。原産地は日本(本州~沖縄)、朝鮮、中国、台湾。花期は6月ごろ。新芽が鮮紅色であること、そして葉が柏のように大きくなることから命名されました。「カシワ」の名については次のような由来です。食物を盛る食器としていろいろな葉っぱが用いられ、それを「かしきは(炊葉)」と呼んでいたが、そのうちでも柏の葉をよく使ったことから「かしきは」の名がそのまま使われ、しだいに「かしわ」になりました。「みんなの花図鑑」サイトに投稿して、この植物の名前を教えていただきました。kayu-さんかくれみのさんkurumatabisky(車旅好)さんLADYBIRDさんリンゴちゃんさんオレちゃんさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/08/01
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2016年9月21日撮影の「センニンソウ(仙人草)」@三重県実家の坪庭 です。 三重の実家にお墓参りに帰ったときに、庭で撮ったものです。住んでいる京都の桂坂では見かけない花なので、写真に収めました。キンポウゲ科センニンソウ属の多年草。原産地は日本 朝鮮半島 中国。花期は8~9月。仙人草という名前は、実の先端につく白い羽毛状のものを仙人のひげに見立てたことから。みんなの花図鑑で名前を教えていただきました。上記写真以外に、非常によく似た白い花の写真も投稿しました。下の写真です。花びらが細いのと、葉の形が違うので、別種かもしれないと思ったからです。 意見はセンニンソウ、ムニンセンニンソウに分かれました。似ているのはムニンセンニンソウなのですが、小笠原諸島固有種だそうです。ムニンセンニンソウでないとすると、一人の方が教えてくださった、キイセンニンソウかも知れません。この写真の花の同定はむつかしそうですので、こちらの方は、名前不明のままとします。MATCHさんオレちゃんさんスタンプさんmehyan20さん秀さんだよさんドラゴンズさん寒がりたー坊さんkayu-さんkurumatabisky(車旅好)さんsazankaさんスズメちゃんさんこだっくさんキタさんMAYU的さんkoryayasoさんmomochanさんリンゴちゃんさん花華3さんくにゃままさんありがとうございました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村____________________________「散歩・草花記」カテゴリー 色んな花が登場します。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=34
2016/09/09
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【2016年11月2日(水)】 今日は、東寺五重塔に続き2つ目の仕事となる修学旅行ガイドの第1回でした。過去2度、先輩ガイドに同行しての研修がありましたが、そのときは基本的には観光ガイドはせず、先輩の行動から学ぶだけでしたが、今回は、単独でガイドをします。 東寺五重塔の初日同様緊張するかなと思いましたが、そうでもありませんでした。東寺のガイドである程度度胸がついたこと、修学旅行研修を2度していること、生徒が対象なので説明すべき内容が平易なことなど色んな要因があるのだと思います。 ただ子供たちの命を預かっているということが、東寺でのガイドとの最大の違い。さらに終了後の集合時間に絶対遅れてはいけないというプレッシャーもあります。また研修では2回とも中学生だったのですが、今回初めて小学生というのが未経験要素でした。 今回第1回めの担当学校は、東海地方の市立小学校6年生。午前8時15分までに、宿泊先であにガイドは集合です。10月18日に下見に行っており(こちら)、五条通を通るバスを大宮五条で降車して、問題なく30分弱前には宿舎前に到着。 ところが仲間のガイドの姿が一人も見えません。普通は30分前には、かなりの人数が集まるのですが。今日は特別かなと思い、5分ほど待ちましたがやはり誰も来ません。これはおかしい、同じ名前の宿舎がもう一つあるのではないかと不安になり、先輩の一人に電話。「まだ、どなたも来ていないのですが・・・」「もう、皆さん集まっているよ。どこにいんの?」「駐車場のあるところです。」「それ裏側と違うか?東側やで。」 しまったぁ・・・下見で裏側から入って、そこがちゃんとした入り口だったので、表玄関だと思いこんでいました。あわてて東側に回り、皆さんに合流することができました。 ≪気付き≫宿舎の表玄関を下見でしっかり要確認 リーダーから各ガイドに市バス一日乗車券と昼食代が配られました。普通は昼食代は報酬とともに後日銀行振り込みなのですが、この日は現金渡しでした。続いてこの日の世話役ガイドから、諸注意事項の説明があり、準備が整いました。 出発前にホテルのロビーに生徒全員がクラス班別に並んで座っていて、その班の前に我々ガイドが班名を書いた紙を持って立ちました。代表の子の音頭で「よろしくお願いします。」との全員そろっての挨拶がありました。礼儀正しい学校のようです。(小学校は初めてなので他との比較はできませんが)私の用意したプレート。これを見て、私の班のメンバーがくすっと笑ってくれました。 集団での挨拶が終わり、班別に出発前の打ち合わせ。次のようなチェックシートを準備していました。 これに基づき打ち合わせを進めました。 まず私の自己紹介。気軽にニックネームで呼んでとお願い。同じ県の出身で父が当該学校のある市に勤務していたことも紹介。少し距離を縮められたかな? 続いて、生徒たちの自己紹介。私の班は男の子2人、女の子3人の合計5人。各人、係があり、班長、タイムナビ、保健、レク、美化。チェックシートに特徴欄を設けましたが、何も書けず仕舞い。 次に行き先の確認。返信レターにも書いた下記の地図と予定表を使いました。 ここで、返信レター(こちら)は生徒が手元まで届いていないことが判明。研修のときもそうだったので、返信レターは書いても生徒まで届いていないこともあるようです。 ルートは、東寺⇒京都タワー⇒銀閣寺⇒平安神宮⇒(建仁寺)⇒清水寺でOK。建仁寺が( )で書いてあったのは、予想通り、時間が恐らく足らないだろうから、その場合は外すということのよう。京都タワーは、中に入らず外から見るだけでよいとのこと。割引きチケットについて色々調べて準備はしたのですが・・・。また平安神宮は時間がなければバスの窓から社殿や鳥居を見るだけでもいいとのこと。一番驚いたのは、男の子に一人鉄道ファンがいて、移動にできるだけ、電車を使って欲しいとのこと。余分に交通費がかかることは承知で、班のメンバーも了解済みとのこと。東寺から京都駅を近鉄を使い、京都駅から銀閣寺を部分的に地下鉄を使うことでまとまりました。≪気付き≫訪問先は中に入らず見るだけでもいい、車窓から眺めるだけでもいいという場合もある。 昼食は本能寺近くで食べたいと言います。本能寺はルートから大きく外れています。何か指定のお店があるのかと聞いたらそうでもないようです。京都らしいところで食べたいということのようです。それなら時間があれば祇園あたりで食べ、時間がなければ清水寺近くで食べるということにしました。 スイーツもどこかで食べたいとのこと。銀閣寺近辺で食べようかということにしました。 建仁寺に行かなくても時間がギリギリだったのです。しかし、京都タワーは外から見るだけなので、その分時間ができます。一方でスイーツを食べたいということなので、ここで想定していなかった時間が生じます。結局プラスマイナスで、建仁寺はむつかしそうです。 市バス一日乗車券、修学旅行パスポートを持っていることを確認。飲み物は各自持っており、カメラは持っていないので写真は自分たちでは撮らないとのこと。体調は全員良好。京都は家族で来たことがあり、初めてという子はいませんでした。 あまり時間をかけてもいけないので、ますは出発。バス停まで歩きながら、注意事項を説明しましたが、全部網羅はできませんでした。≪気付き≫時間活用のため歩きながらの注意事項説明は有効。ただし、チェックシートを確認しながら。 班は行きたい場所がよく似ている人を集めて構成されているとのこと。なるほどこういう方法もありかという感じ。 社会の教科書は事前調査通り、私の買った日本文京出版のを使っているとのこと。すでに江戸時代まで習い終わったとのこと。上卷の歴史が終わってから、下巻の政治経済を勉強するそうです。 ホテルから島原口のバス停まで歩き、バス停で待っている間に一日乗車券の使い方を説明。バスに乗って東寺東門前で下車。 バスに乗る時に基本的なミスをしてしまいました。私が先に乗ってしまいました。交通機関に乗る時、降りるときはガイドが一番最後というのが鉄則です。置き去りを防ぐためです。冷静さを欠いていました。≪気付き≫交通機関での最後乗り、最後降りを忘れないこと。(続きます) 家内は友達に誘われてゴルフ練習に行ったとのこと。私が「がん」を発病して遠ざかっていましたので、1年4ヵ月ぶりにクラブを握ったことになるでしょうか。以前買ったレッスン回数券が残っていて、友達がそれが今でも使えるかどうか聞いてくれて、使えるとのことで行ったようです。結構うまく飛んだらしいですが、さすがに身がいったとのこと。 また以前のように、家内とゴルフラウンドに行くことができれば嬉しいことです。テニスも頻繁にやっているので、両立できるかどうかですが。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/11/02
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【2017年11月24日(金)】 昨日に続き、今日も公私完全OFF日。家内はテニスでしたが、私は一歩も外に出ませんでした。ブログも追い付きました。津軽三味線も練習できました。 写真は、シロバナツワブキ(白花石蕗)@京都天龍寺(11月13日)です。 通常黄色の花ですが、白い花のツワブキなので、シロバナツワブキ。咲き始めはレモンイエローですが、開花とともに白花になります。 ツワブキ(石蕗)はキク科ツワブキ属。開花期は10月~12月。原産地は日本列島(東北地方南部以南の本州、四国、九州)、朝鮮半島南部、中国東部~南部、台湾。 葉は蕗(ふき)に似ていて、”つや”があるので”つやぶき”。それが変化して「つわぶき」になりました。また、岩や石などの間に生えていることから、漢字で石蕗と書かれます。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/11/24
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【2020年11月20日(金)】 先日、NHK-BSで「ティファニーで朝食を」を観ました。ティファニーで朝食をBreakfast at Tiffany's監督 ブレイク・エドワーズ原作 トルーマン・カポーティ出演者 オードリー・ヘップバーン ジョージ・ペパード パトリシア・ニール音楽 ヘンリー・マンシーニ主題歌 ヘンリー・マンシーニ作曲「ムーン・リバー」製作会社 Jurow-Shepherd Spinel Entertainment配給 パラマウント映画公開 アメリカ 1961年10月5日 日本 1961年11月4日上映時間 115分製作国 アメリカ 主人公のホリー(オードリー・ヘップバーン)が、タクシーでニューヨークの有名な宝石店「ティファニー」に乗り着け、そのショーウィンドウの前で、袋から出したパンを頬張るシーンから始まります。 主題歌の「ムーンリバー」は映画音楽の定番。作曲と音楽監督のヘンリーマンシーニはこの作品で、アカデミー賞主題歌賞と作曲賞を受賞しています。予告編タイトルバックと主題歌「ムーンリバー」 トルーマン・カポーティの原作の題名も「Breakfast at Tiffany's」。その意味は、小説の主人公の言う「ティファニーで朝食を食べるご身分」というたとえ。でも、実際には、当時ティファニーにはレストランはありませんでした。ところが、だいぶ時が経って、2017年にブランド初となるダイニングスペースがティファニーの中にオープンしたそうです。小説には、主人公がティファニー前でパンを食べる場面はなく、冒頭のシーンは映画のために創られたシーンです。ヘップバーンが「ムーンリバー」を唄うシーン 製作者マーティン・ジュロウに対し、原作者カポーティは、主人公ホリーにはマリリン・モンローを第一候補とすることを条件に、映画化を了承しました。しかし、モンローの演技コーチであったポーラ・ストラスバーグがジュロウ宛に「マリリン・モンローは夜の女をお引き受けいたしません。」として断りの電話を入れてきたとのこと。 そして、オードリー・ヘップバーンが主役となったわけですが、やはり、この主人公にはモンローのほうが合っていますね。ヘップバーンは上品過ぎます。ヘップバーンの品格を崩さないように脚本がかなり書き換えられたそうです。でも、「マイフェアレディ」といい、この作品といい、ヘップバーンには何故か下層階級出身の役が多いですね。 1961年は、昭和36年。まだまだ海外旅行も珍しかった時代。日本人にとっては、華やかなニューヨークを感じることができる映画でもあったでしょう。ラストシーン ところで、ホリーの上の階の住民で、騒音などにクレームするユニオシという日本人を思わせる人物が何度も登場しますが、これがあとでミッキー・ルーニーだと知ってびっくり。そういえばどこか面影がありました。でも昔のミュージカルの大スターがこんな役で登場するとは。このユニオシは人種差別だと問題にもなったらしいです。ミッキールーニー演ずるユニオシの登場シーンミッキー・ルーニー@映画「マンハッタン」よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/11/20
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後腹悪性腫瘍(軟部肉腫・脂肪肉腫)の経過観察の状況を投稿してきました。しかし、完治であるとの判断で、2024年6月5日の経過観察をもって、経過観察を終了しました。しかし、ここにきて、2度目の脂肪肉腫に罹患してしまいました。脂肪肉腫は希少癌ですが、それに2回も罹るとは・・・・・。癌の罹患は3回目になります。まず、2011年の腎盂がんで、左の腎臓を摘出。片腎でも普通の生活ができました。2014年に残った右の腎臓の後ろに後腹膜悪性腫瘍(種類は脂肪肉腫)ができたのが2回目。抗がん剤で小さくはなりましたが、完治には至らず、透析をできるようにしたうえで、腎臓ごとの全摘を主治医から提案されました。それしかないなぁと思いながら、ダメもとで聞きにいったセカンドオピニオンで粒子線治療に出会い、重粒子線治療を受け、完治しました。今回も腹部にできました。今度は背中側ではなく、お腹側です。経過を記しておきます。10月下旬に右腹部にシコリがあることに気がつきました。10/28に掛かりつけ医のO医院に行って見てもらいましたが、先生はちょっと触っただけで、「様子見でいいんじゃないですか。」との反応でした。O医院にはCTがあることが分かっていたので、「CTで分かりませんか?」と尋ねたら、「分からないでしょうねぇ。」という素気無い返事。「では大きな病院で診てもらいたいので、K病院の消化器内科に紹介状を書いてください。」とお願いしました。一旦帰宅して返事待ち。O医院から「K病院に相談したら消化器内科のA先生に定期的に診てもらっているようなので、A先生に診ていただくのがいいのではとK病院では言ってます。」という電話がありました。確かに、1年に一度胃カメラでの経過観察をA先生にやっていただいています。また、大腸ポリープの切除もA先生にやってもらったことが複数回かあります。「じゃあ、それでお願いします。」と11月14日に予約を入れてもらって、紹介状を書いてもらいました。予定通り、11月14日にK病院消化器内科のA先生に診てもらったところ、「まずCTを撮ってみましょう。」ということになり、11月17日にCTを撮ってもらい、今日11月21日にその結果を聞きにいきました。ガガガガーン・・・・「多分、脂肪肉腫でしょう。大きさは16センチくらいあります。」もうびっくり。癌が消化器の外であることと、前の脂肪肉腫の経過観察を泌尿器科で診てもらっていた経緯から、泌尿器科での主治医であったO先生に診てもらうことになりました。O先生は管理職になるとおっしゃていたのですが(それが前回の脂肪肉腫の経過観察を打ち切った理由の一つでもあります)、管理職の意味は院長になるということだったようで、K病院の院長になっておられました。院長で忙しいので、すぐに診てもらえないのではと思ったところ、何とか時間の都合がつき、私のかつての主治医だったということもあり、すぐに診てもらえました。O先生のニュアンスでは、手術で摘出できるのではとのことでした。さらに詳しい検査が必要なので、11月27日のPET-CT(K病院にはないので、Oクリニックで撮影)と、11月28日K病院での造影MRIの予約を入れてもらい、血液検査と尿検査をしました。次回診察は、11月26日。大変なことになりました。でも、手術でとれれば御の字です。ただ、どのような予定になるか全く予想がつきません。入っているガイドの仕事を全部他の人に代わっていただかなければなりません。関係する人に電話しまくって、交代をお願いしました。しかし、明日の分は急なので、いかんともしがたく、また、体調的には問題ないので、明日だけは出勤することにしました。振り返ってみると、思い当たる節が色々あります。10月24日、お墓参りに行った朝、経験のないようなしんどさを感じたこと。10月25日、ガイドの下見で山科に行ったとき、後半、疲労感を感じたこと。11月8日にも、同様の経験11月19日、常駐ガイドで昼食時、外食するため歩いたとき、極端な疲労感を感じたこと。11月20日、修学旅行ガイドでの疲れ方が、今までないない疲れ方だったこと。これらいつにないないしんどさは大きくなった脂肪肉腫から来ていたのでしょう。次回「闘病記」→
2025/11/21
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右目の白内障手術が、9月29日にあります。3日前から手術前の目薬を朝昼晩と手術当日の朝まで続けなければなりません。今朝から点眼をスタートしました。目薬は下記のレボフラキサシンです。細菌増殖を阻害し、抗菌作用をあらわすことで結膜炎などを治療したり、眼の手術前後の細菌感染を予防する薬です。よろしかったら下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/09/26
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知られざる伏見稲荷大社 その17(最終回)順序が前後しますが、下記ルート図の「23」のエリアをご案内します。そして、今回で本シリーズ最終回です。知られざる伏見稲荷大社 フィルードワーク ルート図23. JR稲荷駅ランプ小屋明治7年(1874)、官営の神戸・大阪間の鉄道が開通し、同9年には京都の大宮仮駅まで延伸し、翌10年に神戸・京都間が開通しました。同12年(1879)、京都・稲荷・山科(旧)・大谷間が仮営業し、稲荷駅が産声をあげました。全国で19番目に開設された古い駅です。稲荷駅は現在JR奈良線の駅ですが、当初の東海道線はこのように東山を迂回するかたちで敷設されたため、最初は東海道線の駅だったのです。ですので「鉄道唱歌」にも稲荷駅は登場します。「♪大石良雄が山科の その隠れ家はあともなし 赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山」 稲荷駅は大動脈上の駅であり、明治から大正にかけての稲荷大社への参拝者増に、この新駅が大きく寄与したことは疑いようがありません。こんなエピソードがあります。列車が稲荷駅に停車するたびに、乗客たちはこぞって朱の鳥居に向かって合掌し、車窓からプラットホームへ賽銭を投じました。駅長はそれをていねいに、逆さにした鍔広(つばひろ)帽子に拾い集め、夕方になると本殿の賽銭箱に収めに行ったそうです。このような鉄道の歴史を物語るのが煉瓦造りのJR稲荷駅ランプ小屋です(図1)。JR伏見稲荷駅出入り口のすぐ南側にあります。現存する国鉄時代の最古の建物で、準鉄道記念物に指定されています。当初は車両や駅舎に石油ランプが使われており、この建物はその灯具の整備・保管や油類の保管に使用されていました。図1 JR稲荷駅ランプ小屋建物内には古き時代を偲ばせる品々が保存され(図2)、以前は申し込めば見学できたようですが、JR西日本に問い合わせたところ、現在見学は受けつけてないとのことです。図2 JR稲荷駅ランプ小屋の展示ランプ小屋の傍らに前出の鉄道唱歌の石碑が立ちます(図3)。図3 鉄道唱歌碑ところで、伏見稲荷大社周辺の鉄道路線の変遷は、上記した経緯も含め、非常に興味深いものがあります。ここに紹介しておきます。明治5年、新橋・横浜間の官営鉄道が開業後、明治7年に神戸・大阪間が開業されます。続いて、明治10年の大阪・京都間全通により、神戸・京都間の全通が実現します。京都以東を真っすぐ東へ延ばすためには、東山・逢坂山に、長いトンネルを掘る必要がありました。当時としては、それは困難でした。そこで、京都駅を出ると南方向に進み伏見山南の谷(大岩街道)を利用して山科盆地に入って東北に進み、急な勾配を上ったうえで、逢坂山に短いトンネル(長さ665m)を掘り、大津への急勾配を避けるため東進して馬場(現・膳所)に向かい、スイッチバックして大津駅(現・浜大津付近)に至るというルートがとられました。難工事でしたが、明治12年に、京都・大谷間が開通し、明治13年には京都・大津間が全通しました。逢坂山トンネルは我が国初の山岳鉄道トンネルであり、馬場におけるスイッチバックは我が国初のスイッチバックとなりました。また、新橋・横浜間や神戸・京都間は外国人「お雇い技師」が中心となって敷設されたものですが、京都・大津間は、大阪に開設された工技養成所出身の日本人を中心に工事が進められ、日本の鉄道の歴史のなかで画期的な工事となりました。このときに稲荷駅が開設されたため、稲荷駅は最初東海道線の駅となったわけです。その後、明治28年に、京都電気鉄道が、日本初の商用電車を走らせ、東洞院塩小路・伏見下油掛間を結びました(伏見線)。明治37年には、伏見稲荷大社への参詣客を運ぶことを目的として、伏見線の支線として、稲荷線(勧進橋・稲荷間)が開業し、京都から伏見稲荷大社へのアクセスは、さらに便利になりました。また、奈良鉄道が、京都駅から伏見駅までは現在の近鉄京都線のルート、桃山から奈良までは現在のJR奈良線のルートを通るかたちで、明治29年に京都・奈良間を全通させました。(以上、図4参照)。図4 明治40年頃までの、伏見周辺の鉄道路線図の変遷明治43年には、京阪電気鉄道が大阪・天満橋と京都・五條(五條大橋東詰)を開業させ、大阪方面からの、伏見稲荷大社参詣の便利性向上に寄与しました。大正2年には、京阪宇治線(中書島・宇治間)も開業させています。大正2年発行の松岡貞次郎「伏見稲荷神社御山獨案内」では、稲荷駅が旧東海道線上の駅であることや、京阪電気鉄道が走っていること、官営鉄道奈良線が、伏見駅経由で走っていること、京都電気鉄道の伏見線・稲荷線が走っていることなどを窺い知ることができます。図5 松岡貞次郎「伏見稲荷神社御山獨案内」(大正2年発行)(部分)さて、ここからややこしくなっていきます。日本の鉄道工事技術は時とともに向上し、長いトンネルを掘れるまでになりました。京都駅から真っすぐ東進できれば、馬場駅(現膳所駅)への距離も短くなるし、勾配も緩やかになり、大幅なスピードアップが図れます。そこで、東山・新逢坂山両トンネルが掘られ、大正10年に現路線で京都・馬場間が開通することになります。そうすると、今までの稲荷駅を通るルートは、全て不要になるはずです。前出の奈良鉄道は鉄道国有法で、明治40年にすでに国有化されており、奈良とを結ぶ路線の確保もできていたからです。ところが、国はわざわざ稲荷・桃山間に路線を新設して、稲荷駅を残したのです。そして、稲荷駅以東と京都・伏見駅間は廃線としました。ただ、伏見・桃山駅間は貨物線として残されました。伏見は酒どころで、酒造業者たちから貨物駅として残すことを強く求められたからといわれています。ただ、何故、稲荷駅と桃山駅の間に新線を通してまで奈良線のルートを変えたのか、筆者が文献を読む限りにおいてはよく分かりませんでした。伏見稲荷大社への参拝客を逃さないようにということがあったかもしれませんし、明治41年、陸軍第十六師団が深草の地に駐屯し始めたため、物資や人員の輸送のために、軍からの要請があったのかもしれません。(以上、図5参照)図5 明治40年頃以降、大正時代までの伏見周辺の鉄道路線図の変遷昭和3年、奈良電気鉄道が京都・西大寺間を開業させます。京都・伏見駅間は、元官営鉄道の廃線跡が利用されました。このときに、伏見・桃山駅間の官営貨物線も廃止されました。奈良電気鉄道は昭和38年に近畿日本鉄道により合弁され、京都・西大寺間は近鉄京都線となりました。山科盆地の旧東海道線の跡は、廃線後も築堤が残っていたことが、昔の地形図で窺い知ることができます(図6)。図6 昭和30年発行の地形図に残る旧東海道線の跡地昭和38年に名神高速道路が我が国初の高速自動車道として開業しますが、このときこの跡地が利用されたのです。ひょっとして、この跡地は廃線後も国が所有していたのかもしれません。今の地図と旧東海道線ルートを重ねてみると、山科盆地内の大部分でぴったりとルートが一致します(図7)。図7 今の地図に旧東海線ルートを重ねてみると名神高速道路の旧東海道線山科駅があった場所には、法面(のりめん)に説明板が設置されていて、ここに旧東海道線の山科駅があったこと、山科盆地エリアでは旧東海道線のルートと名神高速道路のルートがほとんど一致すること、ここが名神高速道路の起工地になったことが書かれています(図8)。図8 名神高速道路の旧・山科駅があった場所の法面の説明板昭和時代になってからの、伏見エリアの鉄道路線の変遷を図9に示します。図9 昭和時代の伏見エリアでの鉄道路線の変遷最後にこれで予定のコースを全部ご案内しました。実際に回ると2時間くらいかかります。ご高齢の方も周りやすいよう高低差の比較的少ない、稲荷山の麓部分だけでコース設計しましたが、足に自信のある方は是非「お山巡り」にチャレンジしてみてください。「お山巡り」をされたことがある方は「お滝」巡りをされてはいかがでしょうか。新しい「知られざる伏見稲荷大社」が見つかるかもしれませんん。主な参考文献(順不同)1)伏見稲荷大社御鎮座千三百年史調査執筆委員会編(2011)『伏見稲荷大社御鎮座千三百年史』 伏見稲荷大社2)伏見稲荷大社講務本庁(2018)『神奈備 稲荷山巡拝』3)深草稲荷保勝会編(2002)『深草稲荷』(2版)深草稲荷保勝会4)秋元せき(2018)『伏見稲荷大社の明治維新』(大伊奈利第220号~222号) 伏見稲荷大社附属講務本庁5)京都新聞社編(1984)『稲荷総本宮伏見稲荷大社』京都新聞社6)伏見稲荷大社社務所編(1967~)『朱』(第1号~)伏見稲荷大社.7)本多健一(2016)『京都の神社と祭』中央公論社8)京都商工会議所編(2016)『新版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブック』 京都商工会議所9)山中雅之(2018)『伏見稲荷大社とその周辺の不思議研究』京都産業大学日本文化研究所.10)砂澤たまゑ(2004)『霊能一代』新元社11)伏見稲荷大社ホームページ http://inari.jp/12)伏見稲本教間力教会ホームページ https://kanriki-kyoukai.jimdo.com/13)御産場稲荷ホームページ http://andor.circus.ne.jp/osamba/よろしかったら下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「知られざる伏見稲荷大社」 次回「京都研究」
2026/09/27
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右目の白内障を手術をしたのが、10月29日(こちら)。上を向いての洗髪は、10月2日からOKでしたが、抗がん剤治療からの復帰段階でまだ髪の毛も短いし、上を向いての洗髪も面倒だし、洗髪はしていませんでした。10月5日から、普通に洗髪をしてもいいことになっていましたが、術後右目の上の方が充血しているので見合わせていました。しかし、充血も改善方向なので、昨晩久しぶりに洗髪・洗顔しました。気持ちよかったです。よろしかったら下記と「いいね」にぽちっとお願いします。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/10/09
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10月2日にOJRセンターで、重粒子線治療後初の経過観察があり(こちら)、腫瘍径が一回り小さくなったことが確認されました。体力的には、今のところ判断がむつかしいですが、この季節の常駐ガイドならこなせる(長距離歩くことはないし、夏場の高温もないので)と思い、その日に所属するシニアガイド会に復帰する決断をしました。所属するグループの責任者の方に、半年とか1年で再発する可能性は大きく、短い間の復帰になるかもしれないが、11月1日付けで復帰したい旨を伝えました。ただ、11月、12月は、もうガイド予定が決まっているので、月に一度の集まりだけ参加させていただくことにし、ガイドは1月からということになります。復帰時は様子をみるために、1月から3月の特別公開ガイドは避け、慣れた常駐先でのガイドのみを担当させていただきたい旨伝え、了承を得ました。1月に1ヵ月程度様子をみて、問題なければ、修学旅行や一般のガイドなど、距離を歩くガイドへと順次カバレージを拡げていきたいと思います。癌発覚で急遽休会したのが、去年の11月21日。約1年4ぶりのガイド復帰となります。よろしかったら、下記と「いいね」をぽちっとお願いします。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/10/07
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