明治20年、京都電燈会社が設立され、明治26年に京都電燈株式会社(以下、京都電燈)に改称された。京都電燈は、関西から北陸をテリトリーとし、明治24年稼働の日本初の一般供給用水力発電所である蹴上発電所からの電力を背景として、電灯の本格普及、京都市の産業振興に大きく貢献し、日本初の事業用電車である京電を明治28年に走らせる原動力ともなった。その後、九頭竜川に水力発電所を作り、大正3年に越前線(新福井/大野口間)を開通させた(図1)。
当時は、夜間は照明用に需要があっても、昼間は需要が少なく、昼間の余剰電力活用のため、電力会社が鉄道経営をすることも珍しくなかった。

配電部門は関西配電(関西で電気供給事業を営む大阪市・神戸市・京都市の3市を含む合計14事業者が統合されてできた会社。関西電力の前身)と北陸配電(北陸電力の前身)に譲渡され、発送電部門は日本発送電(株)に譲渡された。京都電燈は清算に入り、昭和19年に清算が完了した。

一方で、1960年代から1970年代にかけて、福井地域の不採算路線・区間の廃止が行われた(図12)。
ここで、比叡山のロープウェイについて触れておこう。前述のように、京都電燈は昭和3年10月に、「叡山空中ケーブル」を開通させた。それを引き継いだ京福電鉄は、昭和19年1月に叡山空中ケーブルを一旦廃止した。しかし、戦後しばらくして、昭和31年7月に、架空軌道線を復活させ、「比叡山ロープウェイ」を開通させた。しかし、同じ場所に復活させた訳でなく、図17(次ページ)に示す昭和3年開通(初代)の「叡山空中ケーブル」は
高祖谷(こうそだに)駅/延暦寺駅間、昭和31年開通(第二代)の「比叡山ロープウェイ」はロープ比叡駅/比叡山山頂駅間とルートが全く異なっていた。初代はその駅名が示すように、延暦寺参拝を主目的としたもので、高祖谷駅は、ケーブル駅から約500メートル離れており、しかも山道であり、図18に示すように、籠も利用された。
鞍馬寺の参詣者の利便を図るために、宗教法人鞍馬寺が運行するケーブルカーである。山門駅/多宝塔駅を結ぶ。昭和32年1月開業。鉄道事業法による許可を受けた鉄道としては、唯一宗教法人が運営している鉄道である。また総延長は0.2kmで、鉄道事業法に基づく路線では、日本一短い路線である。車両は1台のみで、歴代「牛若號」を名乗る。現車両は4代目。
通常の列車の左右両車輪には内側にフランジがついており、これでレールから脱線せずに運行することができる(図21)。しかし、このフランジがあるので、分岐では線路を動かして、進むべきレールに誘導する必要がある。例えば、図22で手前から来た列車を右側の線路に進ませたい場合は、写真のままのレールの状態でよいが、直進させたい場合は、矢印の方向にレールを動かす必要がある。
これをポイント切替という。ケーブルカーはこのポイント切替が不要なのである。実は、ケーブルカーの車輪は図23のように、外側の車輪の両側にフランジがあり、内側の車輪にはフランジがないのである。すれ違い部の線路は図24のようになっている。2台の列車はすれ違うとき、それぞれ決まった側を走ることになる。このような理由からポイント切り替えが不要なのである。素人考えだが、スピードも普通の電車ほど速くないし、ケーブルで引っ張られているので、このような構造の車輪でも問題なく運行できるのであろう。





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